Mauschen

Last-modified: 2018-04-12 (木) 20:12:55

※車両の正式名称は『Mäuschen』だが、ページ名に̤̈ウムラウトを使えないためページ名を「Mauschen」にしている。

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Tier 9 ドイツ 重戦車

公式紹介ページ

スペック

HP2,300
車体装甲厚(mm)200/155/130
最高速度(km/h)20
重量/最大積載量(t)168.39/171
本体価格(シルバー)3,580,000
修理費(シルバー)

パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
Maus
(196,470/6,100,000)
Mäuschen
(『必要経験値』/3,580,000)
Mauschen mit 12.8cm/55
(63,000/『必要シルバー』)
Typ 205
(138,900/『必要シルバー』)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
MäuschenDB 603 mit
mechanischer Aufladung
12,8 cm Kw.K. L/50170 ton PanzerMäuschen2,300『無線機名』
1,300AP
APCR
HE
220
260
65
440
440
630
50『弾代1』
『弾代2』
『弾代3』
4.29
2.7
0.4
12240/160/15015400『通信範囲値』
Mauschen mit 12.8cm/55DB 603 mit
mechanischer Aufladung
12,8 cm Kw.K. 44 L/55170 ton PanzerMäuschen2,300『無線機名』
1,300AP
APCR
HE
246
311
65
490
490
630
50『弾代1』
『弾代2』
『弾代3』
4
2.3
0.38
12240/160/15015400『通信範囲値』
Typ 205DB 603 A112,8 cm Kw.K. 44 L/55MäuschenMäuschen2,300『無線機名』
1,550AP
APCR
HE
246
311
65
490
490
630
50『弾代1』
『弾代2』
『弾代3』
4
2.3
0.38
15240/160/15015400『通信範囲値』

解説

アップデート 4.1で実装されたMausの計画案の1つ。

史実

1941年6月22日。独ソ不可侵条約を一方的に破棄したドイツによるソ連侵攻作戦「バルバロッサ作戦」が開始された。
3個軍集団300万の兵力でソ連へ侵攻。当時の主戦力はPz.Kpfw.35 (t)、Pz.Kpfw.38 (t)、Pz.Kpfw.III。
当時からドイツは自国の戦車こそが世界最強であると自負していたが、7月8日に遭遇したたった1両のソ連戦車T-34の前にPz.Kpfw.IIIの砲撃はおろか対戦車砲である3.7cm PaK 36も通用せず多大な犠牲を払いようやくカノン砲である10.5cm sK 18で仕留める有様であった。
報告を受けたヒトラーはこれらを凌駕するソ連が新型戦車を実戦投入させてくる事を危惧し、11月29日の総統官邸で行われた会議でフェルディナンド・ポルシェ博士に超重戦車開発の可能性について打診した。
翌年、1942年3月5~6日に行われた会議でヒトラーはクルップ社に100t級の超重戦車の開発を打診した。
以前よりヒトラーは二重開発を行っており(45t級重突破戦車の「Tiger program」が特に顕著である)両社が開発競争を行えば、より良い超重戦車が開発される事を目論んでの事だが、当時の軍需大臣であるアルベルト・シュペーアは再三ヒトラーに二重開発の禁止を提言していたとされる。
なおこの超重戦車については車体はポルシェとクルップ社の競作ではあるが、砲塔に関してはクルップ社のみの開発となった。
同年6月8日の会議においてポルシェ博士は100t級超重戦車にガソリン=電気駆動式ではなくディーゼル=電気駆動式を提案。ディーゼルエンジンの新規開発を求めたが、兵器局は貴重な銅を大量消費する事に反対し、アルベルト・シュペーア軍需大臣も新規開発に対して中止を求めた。
6月23日にポルシェより社内呼称Porsche Typ 205の図面及び基本仕様書がヒトラーに提出された。この時の車体と砲塔デザインは後にMausと呼ばれる事になる同車両に良く似ており、この時点で基本コンセプトが変わっていない事がうかがえたと言う。
この時の仕様として
1.武装は、砲塔防盾に15cm戦車砲と7.5cm戦車砲を左右並列に同軸装備する。
2.パワープラントはディーゼル=電気モーターを用いたハイブリッド機関を採用する。
3.サスペンションは縦置きの外装式トーションバーを用いる。
これらの仕様はヒトラーに高く評価されたが、幾つかの仕様変更を与える。
1.地雷対策として車体下面の装甲厚を100mmに増加。
2.主砲を37口径15cm砲もしくは70口径10.5cm砲とする事。
この時点で100t級超重戦車はポルシェに事実上の内定を与える事になり、ポルシェ博士は1943年3月12日までにはPorsche Typ 205のモックアップ又はプロトタイプを完成させると約束した。
この頃から100t級超重戦車は「モイスヒェン」(Mauschen:ドイツ語で子ネズミの意味)という名称で呼ばれ始めた。
基本仕様書のパワープラントはディーゼル=電気モーターを用いたハイブリッド機関である為、ポルシェはダイムラー・ベンツ社にPorsche Typ 205に搭載するディーゼルエンジンの選定を打診するがポルシェの要求案を満たせるエンジンが無かった為、代わりに航空機用ガソリンエンジンであるDB603(水冷V型12気筒)を車載用に改修して搭載する事を逆に提案した。
この案は思いのほか功を奏し低オクタン化(元々航空機のエンジンのオクタン価は高い)する事が出来た上に出力も悪くない為にMB509の名称が与えられた。
1943年1月の会議でポルシェ博士はヒトラーにPorsche Typ 205の縮小模型を提示しヒトラーはその出来に満足したと言う。この会議の中でポルシェとクルップ社の100t級超重戦車の採用を巡って詳細に比較検討された結果、クルップ社案は退けられ、ポルシェ案が採用される事になった。

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