Sturmpanzer II

Last-modified: 2016-01-24 (日) 09:28:47

StPzII.png

Tier 4 ドイツ 自走砲

公式紹介ページ

スペック

車体

HP190
車体装甲厚(mm)30/15/14
最高速度(km/h)45
重量/最大積載量(t)15.85/16.0
本体価格(シルバー)156,000
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
Grille
(16,330/400,000)
StPz II
(7,900/156,000)
15cm s.I.G. 33B Sfl
(1,750/12,360)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
Sturmpanzer IIBüssing
NAG L8V/GS 36
15cm sIG 33 L/11StPz-Ketten
Ausf. A
Sturmpanzer II190340
155HE
HE
HEAT
75
75
185
350
450
300
30200
280
12G
5.41
6.50
0.83
20--/--/--16340
15cm s.I.G. 33B SflBüssing
NAG L8V/GS 39
15cm sIG 33 L/11StPz-Ketten
Ausf. B
Sturmpanzer II190700
180HE
HE
HEAT
75
75
185
350
450
300
30200
280
12G
5.41
6.50
0.83
22--/--/--16340

外観

1_Sturmpanzer_II.jpg
 
搭載砲が同じなのでどちらのパッケージでも外観に変わりはない。

解説

史実

1933年にラインメタル社によって開発された歩兵砲「15cm sIG33」を運搬する為に開発されたSturmpanzer I Bisonが1940年5月10日からのフランスの戦いで思わぬ戦果を挙げた事から兵器局はより本格的な自走重歩兵砲を開発する事を決定。1940年6月13日にはベルリン近郊のクンマースドルフ陸軍車両試験場でPz.Kpfw.II Ausf Cの車体を利用したプロトタイプによる試験が行われた。
1940年10月、アルケット社はPz.Kpfw.II Ausf Bの車体を用いてプロトタイプを作製したがそのままの車体では搭乗員のスペースや砲撃の反動を抑えられない事が分かった。1941年2月18日、車体を延長し砲塔を排除したPz.Kpfw.IIの改良型車体を採用。同年7月~8月にSturmpanzer II Bison lenghtened version(Sturmpanzer I Bisonの車体延長版)の生産が決定された。生産数は実験車両的な意味合いから非常に少なく、アルケット社によって1941年に7両。翌1942年に5両の合計12両のみである。
1942年2月~4月にリビア、北アフリカに12両全て新たに編制された第707、708重歩兵砲(自走式)中隊に6両ずつ配備されることになった。砂漠での運用は過酷であり、エンジン冷却は効かずエンジンその物も冷却の為に開けたハッチから侵入する砂埃により損耗したりした。同年7月1日から始まったエル・アラメインの戦いで同車両は次々と失われ、12月2日には全車両を失った。
ところがイギリス軍によって放棄された修理中の6両が鹵獲され、その内の1両が1948年のアラブ諸国とイスラエルによる第1次中東戦争でエジプト軍によって使用されたという。
またこの車両の実験的な製造から新たなSPGであるWespeが生まれる事となる。

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