用語/な行

Last-modified: 2021-08-18 (水) 20:59:35

あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行~ A~

ナイナイ

嫌なら見るな!ではない。
司波達也の分解魔法、およびそれを使って殺人を行うこと。
魔法科高校の劣等生の「ラジオ 満開!ブルーム放送委員会第10回」での雨宮天の発言より。
つまり用語自体は一応公式である。
転じて、アンチスレでは「都合の悪い設定をなかったことにする」、あるいは単に手段を問わず殺害することなど幅広い意味で使われている。
 
乳幼児向けに、片付けする時に使われる「ナイナイしましょうね」とは似て非なるものである

なかなかできないよ

九校戦編で「作中キャラ 北山雫」が発した名言。会長の都合で待たされたにも関わらず、炎天下で点呼係の務めを果たした芝さんの偉業を讃えたもので、これがきっかけとなり雫は用語/は行 バス女と呼ばれるようになった。
このシーンに関する考察はニコニコ大百科「北山雫」の項目に詳細なものが載っているが、アンチスレでは「作者の実体験(ただし誰も労ってくれなかった)」説が強く支持されている。
「炎天下に突っ立っているだけで主人公が称賛される」という、まさに「なかなかできない」珍事は読者の心に強く刻まれ、用語/さ行 さすおにに並ぶ主人公賞賛の代名詞として「なかでき」は広く認知された。アンチスレでも、新スレが立つたびに>>1を「なかでき」で労うバス女のAAが貼られる。
なお一応フォローすると、これはwwさんが炎天下で働かされていることに対して癇癪を起こし周囲を凍らせ始めたキモウトを宥めるために、雫が「歯の浮くようなお世辞を」「真顔で」言うというシーンである。(ただしキモウトはただ文句を垂れただけで、お兄様のためにクーラー役を買って出るなどの行動は伴っていない)
つまり、バス女の分かりやすいお世辞でその気になってしまうキモウトはチョロい…という左遷渾身のギャグシーンなのだが、こんなところで要らない気を遣わされたバス女のことを考えると笑うどころか同情を禁じ得ない、とこの辺りまではそう思われていた。
ちなみに四コマ編においても、雫の会社の経営するレジャープールに招待されてはしゃぐ一行に対してエリカスが、「そうね、なかなかできないわね」「そうね、なかなかできないことね・・・」とツッコミを入れるなどしていた。
 
原文引用編1 【なかでき はここから生まれた】参照

ならばよし!

2chアンチスレでは 魔法科高校の劣等生は糞アニメ界のクリムゾン・プリンス40の377 が初出
 
追憶編の一コマ。
芝の私怨による報復に非戦闘員や投降者すら殺すことを了承するアホ軍人風間(当時大尉)のセリフ。
流れは以下の通りで、更にこの後は「お貸ししろ!」へと続く。
劣等星の国際倫理ゼロっぷりが垣間見える。
 
「自分が為そうとしていることは、軍事行動ではありません。個人的な報復です」
「それでも別に構わないのだがな。感情と無縁の戦闘など、人間ならばありえない。復讐心を以て戦うとしても、それが制御されていれば問題はない」
 お兄様と風間大尉の視線が交差した。いえ、二人は睨み合っていた。
「非戦闘員や投降者の虐殺など認める訳には行かないが、そんなつもりはないのだろう?」
「投降の暇いとまなど、与えるつもりはありません」
ならば良し。固(もと)より今回の我々の任務は侵攻軍の撃退、若しくは殲滅。敵に降伏を勧告する必要もない。
 司波達也君。君を、我々の戦列に加えよう」
 
と、ご覧の有様で、いかにして威厳を保ちつつ芝さんに嫌われないように協力を取り付けるかという保身っぷりを隠そうともしていない。ある意味、劣等星における無能な位置付けの軍属が芝さんの保護下に入るための試金石とも言える。
 
原文引用編2 【気に食わない奴は皆殺しのwwさん。それを褒め称える未来の日本軍人。英霊号泣必至】参照

二次創作

既存作品の世界観やキャラクターを題材とした、主にアマチュアの創作作品。
世界観の拡張性やキャラクターの魅力に応じて需要が発生する分野であり
SNS等を舞台にしてネット上でのコンテンツの盛り上がりに応じた隆盛を見せる、
こうしたアングラ的コンテンツにおいては一種の人気のバロメータとも言われている存在でもある。
中には作者側が二次創作を承認、あるいは奨励することで一次コンテンツの人気につなげようとする動きすらある。

 ちなみにこの作品はその手の人気がゼロに等しく、薄いエロ本も''健全ファンアート”も極めて少ない。「とある」「俺妹」「SAO」といった同出版社の先達が二次創作界隈で隆盛を見せたのとは対照的であり、更にこれがアニメ放映後もたいして変化しなかったというのが非常に特徴的で、ある意味では暗示的である。
考えられる要因は「キャラクターの魅力が絵師のイラスト以外皆無だったこと」か、「世界観が無駄に堅いクセに面白味も無かったこと」か、「設定が補完のしようもない矛盾塊だったこと」など、心当たりがあり過ぎて今となっては推し量りようもない。
原理主義者じみた一部信者が公式絵師にすら噛みついて目の敵にしている時点で「俺はクオリティもスキルも素人レベルだけどコレ好きだから題材にしてみたいなぁ」系の非ガチ勢にとってはハードル爆上がりだから仕方ない。
噂では、なかじまゆか氏が「有名になってから、初めてあまり売れなかった」らしい。おぉう、恐ろしい・・・
 
アルカディアやハーメルンといった小説サイトでは、劣等生の二次創作が多くは無いが存在する(古巣であるなろうでは二次創作自体が禁止された)。内容は「劣等生の世界に転生してしまったオリ主が苦しみに満ちた高校生活を送らされ、やがてさすおに要員の一人に堕ちていく」という、もう何をモチベにして書いているのか分からないものが大半を占めている。その手の作品では作者が段々疲れてくるのか、横浜編あたりから「オリ主がただいるだけで原作をなぞった展開」になり果てるパターンが多い。
もっとも作品の世界観やキャラの立ち位置を尊重した場合、芝さん一味に入るには心からのさすおにが必修科目となり、いかなる時も無条件で肯定するような人間しか相手にされない。しかも事件は芝さんを中心にしか起こらないため、原作やキャラを崩壊させるか、オリ主をさすおに要員とさせるかのどちらかを選ばされる事になるのだ。
さらに言えば劣等生は作品の軸が、「硬派ハードSF」という建前と「さすおに精神ポルノ」という本質が否定し合う形で存在しており、どちらに合わせて書くかに頭を悩ませることになる。
建前に合わせた場合、芝さんは茨の道を歩む孤高のアウトローであり、妹以外の誰から嫌われようが全く気にしない男ということになり、悪党であり嫌われ者であるという事を描かねばなる。そして接待・介護とまで称される「なにもかも芝さんに都合のいい世界」の恩恵を受けられないため、原作に比べはるかに辛く苦しい思いをさせ意見を否定する事になり、ある意味でアンチヘイトのような作品になってしまう。
かといって裏のテーマである『さすおに』を重点的に描くと、今度はキャラ崩壊のギャグ調作品のようなものにならざるをえない。あるいはマウンティングの精神ポルノをさらに過激化させ、芝一派やオリ主が原作以上に弱敵や気に食わない奴をいびり倒しいじめ、芝さんは更なるさすおにを受け神の如く褒め称えられるだけの様な作品になる。
要するに劣等生の二次創作は「劣等生の世界を真剣に描こうとする作品を本当に好きでさすおに作品では無いと考える人ほど、さすおに分量の調整に苦慮させられる」というジレンマを抱える事になるのだ。
 
クロスオーバーに至ってはさらに難易度が跳ね上がる。なにしろ、敵に対する異常な残酷性や全方位を見下す態度、更には自分の損得のみで行動するのを正当化するなど、まともな主人公では敵対するルートしか思い浮かばず、しかも芝さんは自分と意見の違う相手は見下しバカにするため、歩み寄るということも考えられない。
逆に芝さんに理解を示し手を組むような奴が居たとしても、そういった悪党は普通さすおになどする事がないため信頼関係を築くこともない。
そもそも端から見れば芝さんは単なるコミュ障なので、ちゃんとしたキャラ同士の掛け合いすら成立しない恐れがある。
これらが重なった結果、クロスの最も重要な要素であるお互いを尊重するという形を取ることはできない。
また、無駄に硬直化した劣等魔法の設定も仇となる。芝さんご自慢の戦闘能力は、イデア様だかサイオンだかの介護を受けつつ、律儀に劣等魔法で正面から殴りかかってくれる相手を虐める時にしか真価を発揮しない。設定を厳密に守れば、他作品の世界に行けば芝さんはただの木偶の坊だし、かといって他のキャラを劣等星に招待すれば、せっかく来たゲストキャラをさすおに奴隷に落とすしかなくなるのである。
事実、公式のSAOとのクロスはどちらもファンも得をしないようなものに仕上がっている。
 
某掲示板のいわゆるSS界隈においてはもっと酷く、言うなればさすおにテンプレにいろんなシチュエーションを当てはめるというただのさすおに大喜利が大半を占めており、劣等生の世界をちゃんと(?)パロディしたものはほぼ皆無と言っていい。
 
逆に「さすおに」ネタ扱いでそれなりに盛況なのが違法動画のMADムービー。こっちは基本的に「作中のシーンに違うアニメの音声を張り付ける」パターンが多いが、例えばエリカス殺す覚悟()を問うシーンで、「(殺す覚悟は)ありません。殺人は並べて悪鬼の所業」と言わせたり、目潰し作戦のシーンで「きったねー‼」「下衆、卑劣…」という野次を重ねたりと、本編とどっちがMADだったか分からなくなるシーンが目立つ。むしろ本編がよっぽどMADNESSである。
逆に、劣等生の音声をほかの作品に貼り付けたものはほぼ無い。

日本(劣等生)/似本

劣等生の主要な舞台。表向きは華やかな「魔法先進国」だが、その実態は

  • 狭い日本列島に人口3億人
  • アジア諸国と戦争中、国内にも敵性組織ウジャウジャ
  • 十師族によって軍、警察機構は掌握されている。国防の要である魔法技術も彼らによって秘匿・独占
  • 軍の独断によって大量破壊兵器の使用可能
  • 十師族の意向次第で政府の外交政策は踏みにじられる
  • 魔法関連の最高学府は慢性的な教師不足、いじめの日常化
  • 九校戦みたいな茶番が国内最大の娯楽

という、醜悪な魔法師コミュニティに裏から食い荒らされたこの世の地獄である。
このような修羅の国に生を受けた国民もやたら好戦的な上知能の低い愚民ばかりであり、沖縄侵攻の際外務省職員による非軍事的な根回しを「腰抜け」と国を挙げて罵倒した一方で、その時よりも明らかに深刻な領土侵攻を受けた上に、正体不明の大量破壊兵器「グレート・ボム」()が使用されるという事態を何故か「似本の完全勝利」と解釈して躍り上がる野蛮で短絡的な国民性の持ち主である。
そのくせ、魔法師によるえげつない支配には組織だった抵抗をしないばかりか、抵抗を考えたものは「テロリスト」「人間主義者」のレッテルを貼られて左遷のアバターにより処刑される。
現実の日本と混同しないための呼び名として、アンチスレでは概ね「似本」と呼ばれる。
ネットワークの発達により大半の仕事を家でできるようになり、たまに通勤する場合でも交通手段はコンクリ舗装の道路を走る二人乗りの電車「キャビネット」と共用自動車「コミューター」に置き換えられ、これらにより(何故か)渋滞問題が消滅している…など、左遷にとっては理想的なインフラが整備されている。
このように左遷が嫌いなものを大したビジョンもないまま消していった結果、この国の地上で動いているのは実質「お兄様および取り巻き」と「やられ役」だけで、彼らが戦いを始めても誰も騒ぎもしないというとても寒々しい世界になってしまっており、しかもアニメスタッフがこれらの設定をクソマジメに描写した結果、アニメにおける似本の風景は、人口3億人を抱える魔法先進国のものとは到底思えないゴーストタウンになってしまっている。
大亜やUSNA、中東などと比べると直接的な被害こそ受けていないものの、住民はみなwwさんのご慈悲がないと生きていけない愚者ばかりにされているという、ある意味一番バカにされている地域といえる。

人間関係

なろうでは評価されないが、左遷が描けているつもりのもの。
波紋を巻き起こした16巻の煽りで「絡み合う人間関係」という言葉を使ったことでネタにされた。

劣等生では無駄に多いキャラクターの人間関係がたいへん分かり辛く書かれているが、シンプルに纏めてしまえば「お兄様の敵」「お兄様の味方」しか存在しない。
敵だった人物は何かしら理由をつけて殺されるか、お兄様にコントロールされるさすおに奴隷として惨めに生き続けるかの二択である。
しかも人間関係の本命であるところの「お兄様の味方」内部の描写はなぜか異様に薄く、非常に寒々しい繋がりしか存在していない。その割には特にドラマも描かれないまま下賜されたカップルが突然湧いて出て来たりもする。
詳細は取り巻きの項を参照。
 
仲間やヒロインを「奴隷」という設定にするのははなろう小説においてよく使われる手法で、敵と味方でしか人間を切り分けられない層の読者にウケやすくするテクニックの一つである。
また奴隷制度という設定がなくても、「友人」や「仲間」「ライバル」という看板の下、実際には主人公専属の生体トレーニングマシンだったりアクセサリーだったり主人公をひたすら褒め称える外付けスピーカーだったりいう、もはや奴隷としか言いようのない存在で主人公の周囲を固めることが多い。

左遷は当初テンプレ外しのため大っぴらにはこの設定を使わなかったが、次第に「隷属遺伝子ホルダー」やら「調整体魔法師」など、言葉が違うだけで奴隷としか呼べない存在を増やしている。

人間主義

劣等世界において「この世全ての悪」と同義。
原作によると「人間は人間に許された力だけで生きよう」と主張する反魔法主義、魔法師排斥運動の総称であり、この先頭に立っていたのがあのブランシュであった。

この先wwさんが人間主義勢力を蹂躙していく話になるのは目に見えているのだが、教皇のお墨付きを掲げて魔女狩りの正当性を主張してくる凄腕異端審問部隊とか全然居ない。どうやら異端かつザコであるという前提は左遷生的に絶対譲れないポイントであるようだ。
 
超能力者がマイノリティとして登場する作品にありがちな設定と言えばそれまでだが、他作品における能力者が能力を使った犯罪に立ち向かうなど共存共栄を図ろうとしているのに対し、劣等星の魔法師なるものは危機的状況にある国をほったらかして、開き直るかのようにジメジメした勢力争いや虐殺に興じている。そのくせ、「表の権力を放棄している」というお題目で責任問題すら回避しているのである。
しかも力があろうが一般人は助けようともせず、魔法は専ら人を殺傷する用途にしか使われない。
そのため、どちらかと言えばそういった作品に登場する「自分達が世界の支配者になり、人間を奴隷にする事が目的」といった、敵側の組織のような様相を呈しているため、排除しようという主張が出てくるのは至極当然な話だとも言える。

なお現実における人間主義とは「哲学や思想などの文脈において、人間を尊重する立場や主義のことを幅広く指す」言葉であり、ヒューマニズムの直訳としても使われる。既存の言葉に妙な意味を付け加えてしまう左遷の癖はもう言及するまでもないが、とりあえず「フリーセックス」「HEAT弾」「動員」「時速○ノット」で懲りなかったのかと言いたい。

演説シーンを入れるなどして人間主義を詳しく描写してしまうと、ただでさえ薄かったwwさん達の理が消滅してしまうせいか、師族会議編後半で描かれた「人間主義者の暴徒」は都合良くハイパワーライフルとアンティナイトを持って、焦点の合わない目でキモウトに「神罰」を下そうとするというあまりにも安っぽい敵として描かれ、道理の分からない愚者として芝さんにたっぷり失笑(嘲笑ではない、らしい)された上で倒されるでもなく監視カメラを盾にほっとかれるというなんとも予想通りの顛末を迎えた。
しかも信者の考察によると、このアンティナイトはざーさん会長の実家が横流ししたもので、その目的はキモウトの正当防衛を成り立たせるための仕込みだったのだという。どうせ司法など機能していないのにご苦労なことである。

一応キリスト教ベースの組織という設定があるとはいえ、「人間主義」の団体が神罰の代行者を名乗るという意味不明な言動は、おそらく「"狂信者""邪教の徒"という属性を付けておけば一方的に殺しても叩かれない」という左遷の皮算用と思われるが、芝さんの周囲の方がよっぽど宗教じみているという、またしてもアイロニーになってしまっている。とりあえず、神に仕える「ただの力」であろうとした某神父に謝って欲しい。
ならば作中における「普通のキリスト教徒」は逆にキリスト古式魔法師説でも唱えているのかというと、どうやらモブとしてすら登場しない上にロクに言及すらされていないようだ。せいぜい、現実の日本と変わらないノリでクリスマス祝ってるっぽいぞ程度の情報しか伝わってこない。60億人ほど殺しまくる第三次世界大戦の影響をものともしない、びっくりするほど雑な宗教観である。
アニメ化範囲後には、米国発の事件によって吸血鬼(だと誤認されていた精神寄生体)も登場するのだが、十字架に祈る米国人くらい居なかったのだろうか。

忍者寺

ハゲ師匠/九重八雲が和尚と言いつつ、忍術()九重流しかやっていない。
WW3当時、首都防衛用対空要塞であった跡地に建てられた。
要するに「東京を爆撃されていた」という公式設定が生えてきたわけで、他人事ながら大丈夫なのか心配になる。
戦時に疎開していた住民は、老若男女問わず、この新しく出来た寺について気付いた者はいない。まことに劣等星住民らしいバカ設定である。
だが、開寺30年程度なので、いくらなんでも住民には老人含め3世代は確実に存在するので、この設定は不自然極まりない。
アンチスレでは、左遷生が住宅地のコミュニティすら知らない究極の引きこもりぼっちではないか?と疑われている。

年表

2chアンチスレでは 魔法科高校の劣等生は僕は自由だと御曹司()を接待する糞アニメ57の783 で@wikiより初転載

これによると、

  • 作中の歴史は1995年前後に現実世界から分岐。1999年に、カルト宗教の核自爆テロを一人の超能力者が食い止め、世界が「超能力」の存在を認知する(おそらくいつものごとく核爆発だけを止めたのだろう)
  • 2015年頃までに、超能力は何故か「魔法」になり、それまで歴史の闇に隠れていた忍術や陰陽道などのなんやかんやがなんやかんやでなんやかんやと暴かれて一括りに「古式魔法」として取り込まれ、それをベースにした"魔法師"の開発が本格化する。
  • 2030年前後、世界寒冷化発生。その危機的状況に対し似本政府は何を思ったか魔法師研究の規模を拡大。一年に一つのペースで研究所を建造し、後に似本を乗っ取る十師族のベースができる。
  • 2042年。魔法師の増産がすべてに優先されるようになり、国家ぐるみでの婚姻統制やら遺伝子操作が横行する。これは後に「フリーセックス時代の終了」と何故か人類の進歩のように語られるようになった。
  • 2045年。第三次世界大戦勃発。翌年(2046年)、それまでクソの役にも立たない実験動物だった魔法師は突然「国際魔法協会」を結成して大同団結。世界中の核兵器"だけ"を停止させる。
  • 2065年。第三次世界大戦終結。各国は魔法師が作った核のゴミを尻目に通常兵器での殴り合いを開始し、魔法師はそれに抗うでもなくごく普通に兵士として参戦。20年で人口を3分の1に減少させる泥沼の戦いは、魔法師勢力の潰し合いである空前の大虐殺(大漢崩壊)で締めくくられた
  • 2079年4月24日。芝さんが生まれる。
  • 2080年3月25日。キモウトが生まれる。
  • 2095年4月。物語開始。

もはや失われた100年と言っても過言ではなかろう。
 
信者@wiki 時系列 参照

ノブレス・オブリージュ

「高貴な者には義務が伴う」といった意味の言葉。
類似語としてアメリカン・コミックスヒーローの「大いなる力には大いなる責任が伴う」など。

アンチスレでは度々語られるが、魔法師同士で差別が横行し、名家の者というだけで不法侵入も殺人も他国へのテロ攻撃もまるで責任を問われない劣等生本編には全く存在しない概念である。