ΖキャラがIN種死(仮) ◆x/lz6TqR1w 氏_第44話

Last-modified: 2008-06-24 (火) 19:00:52

 『流れた時の重さに』

 
 

 決着を着けたかった連合軍、抵抗の力を確保できたザフト――ジブラルタル基地での戦いは、情勢を落ち着ける結果となった。ザフトはプラントの守備を固め、連合軍はその攻略に乗り出す準備を始めた。今、地球圏は一時の平穏を取り戻している。
しかし、それも嵐の前の静けさ。次の戦いの前哨に過ぎない事は、地球圏を取り囲む緊張感が明確に示していた。

 

 無事にプラントへの帰還を果たしたミネルバは、プラント守備要塞、メサイアに入っていた。機動要塞としても機能するこの宇宙要塞は、巨大なアーモンド形のアステロイドの岩塊を刳り貫いて造られたものである。
その中は広く、戦艦の格納庫や兵器製造工廠、果ては兵士の宿舎なども完備されている。迎撃装備としての砲台も多数配備されており、その外周を取り囲む巨大なリングはバリア機能をも備えていて、正に鉄壁の要塞と呼ぶに相応しい造りだった。

 

 時間は、ミネルバが帰還する前に遡る。プラントへの亡命を果たしたカガリは、プラントの首都コロニー・アプリリウスへと招かれ、その議会堂でデュランダルとの会談に臨んでいた。
 流石に、オーブとは国の規模が違うだけあって圧倒的な建築物の数々がカガリを逐一感心させていた。まるで出稼ぎに出てきた田舎者の様にだらしなく口を開けて眺めるカガリに、キサカの注意が耳に痛い。

 

「仕方ないだろ? 油臭い軍事コロニーのアーモリー・ワンじゃないんだ。プラントは、オーブとは違いすぎる。これを見て感心するなと言う方がおかしい」

 

 議会堂の前で車を降りると、カガリに対して声援を投げかけてくる群衆が居た。振り向けば、彼等はオーブの文字――旧世紀でいう“日本語”で、“オーブ万歳”とペイントされた横断幕を持っていた。2年前にプラントへと移住してきた元オーブの民達だ。
 カガリは元気に手を振り、彼等の声援に応えた。あんな事になったのに、まだ彼等は自分を応援してくれているのだ。それが、カガリには堪らなく嬉しかった。

 

 議会堂の中に入り、出迎えられたカガリが通されたのは、絢爛豪華な会談室だった。道中、マスコミのシャッターを切る音がひっきりなしに鳴っていたが、会談室は一切のマスコミの入室を遮断された、静かな部屋だった。
そこでは、デュランダルがカガリの到着を立って出迎えていた。その表情には笑みを湛えていたが、カガリに随伴する人物がキサカであることに気付くと、怪訝に表情を変化させた。

 

「今日は、ユウナ殿はご一緒でいらっしゃらないので?」
「入用です。今回は私だけで我慢してもらいたい」
「いえ、肝心なのは代表ご本人ですので――」

 

 ユウナは、ウナトの一件以来自室に篭りきりになってしまった。余程ショックだったのだろう。食事も殆ど採らず、何度か部屋を訪れて説得しようと試みても、一向に出てくる気配を見せない。いい加減、カガリも業を煮やし始めていたが、無茶をする気にはなれなかった。
 デュランダルが、スッと手を椅子に差し出す。カガリは薦められるままにその椅子に座った。

 
 

 メサイアの内部は、兵士の憩いの場としてのレクリエーション施設も備えられている。さながら小都市の佇まいを見せるレクリエーション区画には、歓楽施設も存在していた。そこで、久しぶりに再会を果たした元・クルーゼ隊の面々はバーで会話に花を咲かせていた。
 カウンターの席に3人して並ぶ。アスランを挟むように、右にイザーク、左にディアッカといった感じだ。イザークがカクテルを流し込むと、赤く染まった顔を向けてアスランに絡んできた。

 

「貴様は、オーブに行ったと思ったら今更ザフトに復隊するなど、一体どういう頭の構造をしているんだ? 一度決めた道を逆戻りするなど、きょし抜けのする事だ! アスラン貴様、男ではないだろう!」
「今更そういう事を言うのか?」

 

 下から突き上げるように見上げてくるイザークの目は、据わっている。酔ったイザークを見たことは無かったが、酒が入るとこんな風になってしまうのか。酒癖は、かなり悪いと見た。

 

「あ~あ、イザークの奴、始まっちまったよ。こうなると、やたらと説教くさくなっちまうんだぜ? っつっても――」

 

 イザークの迫力に押されるようにして身体を仰け反らせるアスランの横で、ディアッカが茶化すように言った。そうなのか――アスランは一言応えてイザークに目を戻す。ところが、イザークの目は段々と眠そうにとろけてきていた。

 

「黙ってろ、ディアッカ!」
「おぉ、こわっ」

 

 急に跳ね起きるイザークに少し驚いて、体が無意識に反応した。しかし、イザークはディアッカを怒鳴って黙らせると、定位置であるかのように再び下からアスランを見上げた。

 

「――大体きしゃまはらな…ラクスしゃまという婚約者が居ながら、オーブの女と懇(ねんご)ろに……浮気癖はきしゃまの悪いところら。これからはきしゃまのころを“すけこまし”と呼んれやろう。それに、ディアッカ、きしゃまも昔の女に……」

 

 まるで呂律も回っていない。ところどころ聞き取りにくい箇所があって、相当酔っている事を覗わせる。
 そしてイザークはゆっくりと顔をカウンターにうつ伏せにしていき、遂に言葉が聞き取れなくなった。腕を枕代わりに、背中を揺らして寝息を立て始める。

 

「いっつもこうなんだぜ。酒が弱いくせに飲みたがるんだ、こいつは」

 

 そう言ってディアッカは、イザークを指差して笑った。

 

「人によっては、酒はそういうものになるさ。まぁ、イザークの言いたい事も、俺には良く分かるんだけどな」

 

 やや自嘲気味に言葉を漏らすアスラン。手に持ったウイスキーを片手に、一口呷ってからコースターの上にグラスを降ろした。カラン、と音を立てて崩れる氷が、雰囲気のあるバーの照明の光を受けて妖しく輝いている。

 

「一般的、世間的に見れば、俺は婚約者を捨ててオーブに降ったプラントの裏切り者だというのが正しいものの見方だ。ディアッカ、君は今のラクスが本物で無い事を知っているんだろう?」

 

 隣に座るディアッカに、アスランは視線を投げかけた。ディアッカはその手に持ったグラスを片手で抓むように持ち、手首をこねくり回して氷を遊ばせていた。少し俯き加減の横顔が、薄暗いライトの光で陰影を強調している。口元は、少し笑っていた。

 

「俺も、ヤキンじゃお前達と一緒に戦ってたからな。ラクス=クラインとお前の関係が、とっくに終わっているって事も知っているから、今のラクスが議長のでっち上げた偽者だって事くらい分かっているさ」

 

 そこまで話して、ディアッカは残りのウイスキーを一気に呷り、バーテンダーにおかわりを要求した。すぐさま下げられるグラスと、入れ替わりに差し出される新しいウイスキー。ディアッカはアルコールが足りないとばかりに即座に一口含むと、続けた。

 

「でもよ、それを言う必要はねぇし、言うつもりもねぇ。正直、今のラクス=クラインは頑張っているよ。一頃には地球とプラントを何度も往復して、プラントやザフトの為にコンサートばかりを繰り返していた。お前も、地球で一度くらいは見たことあるんじゃねぇのか?」
「いや、俺は――」

 

 ディオキアで、その機会はあった。しかし、アスランはラクス――ミーアのコンサートには結局行かずじまいだった。何故、行こうと思えなかったのか。それは、今思い出せば単なる自意識過剰だったのかもしれない。
世間一般的に婚約者であると認識されている自分が、恋人の為にコンサート会場に赴く様がアスランには恥ずかしかったのだ。
 そんな自分を笑うように、アスランも残りのウイスキーを喉に流し込んだ。そして、ディアッカと同じ様にもう一杯頼む。ディアッカは、アスランの余所余所しい態度に声を殺して笑っていた。

 

「お前らしいっちゃ、お前らしいかもな。そう言う俺も、ミリィとは顔を合わせ辛かったから、人の事は笑えないんだけどよ」

 

 ディアッカとミリアリアとの関係は、何となく匂う程度の事しか知らない。それなのにこうして自ら話すということは、ディアッカもそれなりに酔っている証拠だろう。
褐色の肌と薄暗い照明のせいでディアッカの酩酊状態を窺い知る事は出来ないが、それとなくアスランには伝わってきた。
 2人が、どうして別れなければならなかったのか、アスランは単純な好奇心で本人の言葉を聞いてみたいと思った。

 

「ディアッカは、どうして彼女と別れることになったんだ?」
「いいじゃねぇか、そんな事――」
「イザークも気にしている。俺だって朴念仁なわけじゃないから、聞いてみたいというのもあるさ」
「意外とやぶ蛇な事で――」

 

 身から出た錆とはいえ、ディアッカは不用意に口を滑らせた事を少し後悔する様に首を横に振った。そりゃあ、失恋の話をする事になってしまったのだから、話す本人としては面白くない話題だろう。聞く方としては、これ程面白みのある話はないのかもしれないが。
 アスランの顔は、若干の期待を込めてディアッカの次の言葉を待っている。ディアッカは軽く溜息をつきと、静かに語り始めた。

 

「戦後の事でな。俺は見て分かるとおり、緑への降格処分を受けてザフトに復帰させてもらった。それでも、白に昇格したイザークに拾ってもらえたのは感謝しているよ。でも、アイツは地球でフリーのジャーナリストをしたかったんだ」
「それでなんだよな。オーブに大西洋連邦が攻撃を仕掛けたときに、彼女は戦場カメラマンとして取材に訪れていた。そこで、偶然にバルトフェルドさんと再会して、そのままアークエンジェルに乗り込むことになった」

 

 アスランの捕捉にディアッカは俯けていた顔を少し上げ、ふうっともう一度軽い溜息をついた。

 

「知らなかったんだよ、アイツが足付きに復帰したって事をさ。俺とアイツは、離れることになっちまったんだけど、プラントと地球では遠すぎる。連絡便があるとはいえ、人にとって宇宙旅行って奴はまだまだ大変なものでよ、とてもではないけど会う時間が無かったのさ。
お互いの仕事も抱えちまっているわけだからな」
「何となく、分かる話だ……」

 

 ディアッカの話に、自分を照らし合わせてみると、アスランとカガリの関係は今のディアッカの話に通じるところがあるような気がした。アスランはザフトに復帰し、カガリとはここ数ヶ月会っていない。

 

「女ってのはよ、ハッキリした答を欲しがるもんだぜ。だけど、俺たち男は気持ちの強さだけで関係を続けたいと思える生き物じゃないか。だから、結局アイツの方から別れを切り出して、それで“おじゃん”――ってわけさ」

 

 アスランは無言のままディアッカの話を聞き、グラスに口を付けた。果たして、ディアッカとミリアリアのように、カガリと自分の関係もなし崩し的に自然消滅を迎えてしまうのだろうか。
ディアッカの言うとおり、それでもアスランはカガリとの繋がりを保って行きたいと思う気持ちがある。
男とはしょうも無いもので、曖昧にでも続けられるものなら続けたいと思ってしまう、どこか優柔不断な性根を持つものである。カガリも、ミリアリアと同じ様に確固とした答を求めたがるのだろうか。アスランには、それが怖かった。
 考え込むアスランの横顔を見て、ディアッカは僅かに呆れていた。自分から話を振っておいて、勝手に塞ぎこんでしまうアスランは、時に自分勝手な面を見せる。今のように、本当に傷ついているのはディアッカ本人なのに、少しくらい慰めの言葉があってもいいものではないか。
 ただ、不満を口にしたところでアスランの優柔不断な性格が直るとも思えず、別の話題を探そうとディアッカは思案を重ねた。

 

「――おっ、そうだ!」

 

 急に何かを思いついたディアッカが、ハッとした様に顔を上げた。グラスに口を付けようとしていたアスランは、腕を止めて顔をディアッカに振り向ける。

 

「イザークの奴、アスランに説教かましてたけどよ、コイツも人のこと言えねぇんだぜ」
「どういう事だ? まさか、イザークが二股を――」
「バカ言え。コイツにそんな立派な甲斐性はねぇよ。寧ろ逆、他人の好意に全く気付きやがらねぇんだ。同じ隊の女の子なんだけどさ、健気で、それを見てるとこっちまで不憫に思えてきて――」

 

 冗談とばかりに、ディアッカは服の袖で目元を擦った。

 

「イザークを好きになる子なら、いい子なんだろ?」
「そりゃそうさ。けど、本人もそれを知られまいと必死に繕ってよ、いじらしいじゃないか。隊のみんなはイザークに気があるって分かってるのに、当の本人だけは、何故か気付かないんだな」
「へぇ、イザークも、結構罪作りな奴なんだな……」

 

 右となりで気持ち良さそうに寝息を立てるイザークを見て、アスランは微笑ましい笑顔を浮かべた。

 

 それから、もう暫くの間ディアッカと2人で話し込んだ。バーの閉店の時間が近付き、徐にディアッカが席を立ってイザークを担ぎ上げた。

 

「久しぶりで、楽しかったぜ。――てなわけで、お会計、よろしく」
「お、おいっ?」
「緑の俺に、カンパなんてセコイこと言うなよ? エルスマン機はジュール機を回収後、この戦域を離脱するぜ。ここは、ザフト赤服のフェイス、英雄アスラン=ザラに任せた」

 

 すちゃっと指を伸ばした掌を掲げると、引き摺るようにしてイザークを抱え、ディアッカは逃げるようにバーを出て行った。立ち上がろうとして中途半端に振り向いたアスランは、その場で固まっていた。

 

「お連れ様の会計もご一緒でよろしいですね」
「――ったく……」

 

 ふと、我に返るとバーテンダーが磨いていたグラスを棚に戻し、レシートを差し出してきた。その金額に、アスランの眉間に寄る皺が、交通渋滞を起こしている。納得がいかない。
イザークは早々に潰れたから良しとしても、ディアッカは何杯もおかわりをし、一番料金がかさんでいた。
しかし、先に出て行ってしまったのではどうしようもない。しぶしぶアスランは胸ポケットから電子マネーのカードを取り出し、更に財布から紙幣を取り出してバーテンダーに渡した。それはチップ兼、口止め料のようなものだ。
出来れば、ラクスの偽者の話は極秘にしておきたいがための、アスランの配慮だった。

 
 

 格納庫に、ぽつんと佇む少女一人。見つめる先には、適当な応急処置を施したと見える深緑色のMSが一体、転がっている。それは、ヘブンズ・ベースでネオが乗っていたギャプランだった。

 

「それ、まだ使えないっすよ」

 

 手に木箱を抱えたヴィーノが、通りすがりに少女――ロザミアに告げた。一寸見やるも、ヴィーノはそのまま無重力を流れて行き、ロザミアは視線を元に戻した。

 

「何やってるんだ、ロザミィ?」

 

 今度は、別の少年の声。ロザミアは期待に振り向くと、Ζガンダムのコックピットから顔を覗かせたカミーユが怪訝そうにこちらを見ていた。

 

「お兄ちゃん……あたし、このMSに乗ってみたい」
「ティターンズの、変形アーマーに?」
「何か、あたしこのMSならもっと戦えるような気がするんだ」

 

 ヘブンズ・ベースで損傷を受けたギャプランは、ジブラルタル基地で中途半端に修復されたまま放置されている状態だった。流石のジブラルタル基地工廠でもギャプランの再生は難しく、先の連合軍侵攻のお陰で修復作業は滞っていた。
それが、ここメサイアに運ばれてくる事で、元オーブの技術者達の協力を得て修復が再会される見通しだが、地球から上がってきた部隊の整備が優先されている状態で、ギャプランは中途半端な姿で沈黙を続けていた。
 そんなギャプランを、ロザミアは気になって仕方ない。元々、この機体はロザミアの様な強化人間が使うように設計されていたもので、実際に再強化を受ける前のロザミアはそれに乗ってカミーユとも戦いを繰り広げた事もあった。
だが、確実に言える事は、ロザミアはギャプランを完璧に操って見せるということである。情緒こそ不安定であるが、精神的、肉体的に強化されているロザミアの身体は、ギャプランの真価を発揮するに値する能力値を秘めている。

 

「早く使えるようにならないかしら」

 

 期待を込めてギャプランを見るロザミアの眼差しが、好奇に震えている。何故、彼女はこんなにもギャプランに乗りたがるのか――しかし、カミーユはそんなロザミアの好奇は歓迎したいとは思わない。戦うために強化された彼女は、もう戦うべきではないと思うからだ。
 無邪気な笑顔を、カミーユに向けてくる。彼女の心の内は踊っているのだろうが、嗜めるように軽く溜息をついた。

 

「ロザミィってさ――」

 

『地球圏に住む、全ての人々に告げる。私は、オーブ連合首長国国家元首、カガリ=ユラ=アスハです』

 

 言いかけたカミーユの言葉をかき消すように、突然スピーカーから大きな音声が飛び出してきた。

 

「な、何だ!?」

 

 直ぐ脇にあるモニターに、画面が映し出された。そこに映っているのは、紛れもなくカガリその人で、会見場にデュランダルと2人、並んで座っていた。

 
 

 突然の放送は、全世界へと飛び火した。プラントのみならず、電波に乗せたカガリの言葉は、地球へも届けられていた。以前、デュランダルがオーブで世界放送をした時と同じだ。
カガリの目は、真っ直ぐと正面を見据え、まるで画面の先の誰かを睨んでいるかのような鬼気迫るものがあった。

 

『過日、我がオーブ連合首長国は、大西洋連邦軍を中心とした地球連合軍の侵攻によって制圧されるという憂き目に遭いました。連合軍の戦力は圧倒的で抵抗する間すら与えられず、その結果、私は同盟国であるプラントへと亡命いたしました』

 

 チラリと、横に居るデュランダルを見る。カガリの視線に気付き、デュランダルが軽く咳払いをして喉の調子を整える。

 

『争いを増大させるだけのブルー・コスモスの思想とは、何と嘆かわしいものでしょう。ブルー・コスモスは本来、地球環境保全団体でした。地球を大切にする、その精神は素晴らしい。私も地球は好きですから、その気持ちは理解できます。
だが、それもやがてコーディネイターの排斥へと思想を過激的に変革させ、そして最悪の戦争が起こってしまったのです。それが、2年前です。ブルー・コスモスはその過激な思想で、コーディネイターを根絶しようとしたのです。
――ただ、それも過剰な防衛本能と思えば、ナチュラルの方々も安心されるのかもしれません。しかし今回、ナチュラルも住むオーブが攻撃されたことで、最早その様な理屈も通らなくなった。
端的に言えば、彼等は逆らう者を断罪し、それが例え同じナチュラルであっても刑を執行するのです。私は、地球市民の方々に警告いたします。ブルー・コスモスは、やがて守るべき筈である、あなた方にも刃を向ける。
オーブの制圧は、その始まりに過ぎないでしょう。――しかし、我々は違う。コーディネイターは、ナチュラルを滅ぼす為に存在する人種ではありません。助け合ってこれからの宇宙時代を切り開いていこうという、あなた方のパートナーなのです。
確かに、過去に不幸な出来事は多々ありました。それはジョージ=グレンの暗殺に始まり、様々な経済的軋轢、そして血のバレンタインにエイプリルフール・クライシス、ヤキン戦役と今大戦の引鉄となったユニウス落下事件――実に様々なことが起こりました。
――思い出していただきたい。これまで、どれだけの多くの尊い命が失われてきたのかを。想像していただきたい。戦争を続ける事で、これからどれだけの新しい犠牲者が生み出されるのかを。コーディネイターとかナチュラルとかを言っている場合ではないのです。
このままでは、人類全て――いえ、地球圏全てが疲れきってしまう。平和を望んでいる全ての人々は、考えてみてください。戦うだけでは、いつまで経っても平和な時代などやってくるわけがありません。
怨嗟や憎しみといった負の概念を超越したその先にこそ、真の平和が待っているのです。ですが、未だ私達は争ってばかり――そして、それを煽っているのがブルー・コスモスとなれば、全人類の共通する敵は、彼等なのです。
これから先は、コーディネイターもナチュラルも力を合わせていかなければ解決しない問題なのです。ですが、プラントは協力を要請するような事は致しません。何故なら、地球に居るあなた方は、ブルー・コスモスに人質にされているようなもの。
もし、プラントに協力するような事があれば、先日のオーブと同じ目に遭わされることになるでしょうから。
ですから、この戦争の行く末を、ただ黙って見ていていただきたい。我々がブルー・コスモスを倒し、戦争の終わった世界で、今度こそ本当の友好を築きましょう。
――さて、その第一歩として、我がプラントはカガリ代表の要望を受け入れ、代表と共に連合の圧力から逃れてきた盟友を全て、受け入れました。そして、プラント最高評議会はオーブがその地位を取り戻せるまでの間、暫定的に亡命政府を樹立させる事を許諾いたしました。
故に、全世界でオーブが滅びたと思っている地球諸国諸君! オーブは、まだ死んでおりません。この強いカガリ代表が御健在な限り、オーブは不滅なる不死鳥の如く、再び舞い上がり、必ずや復活することでしょう』
『私、カガリ=ユラ=アスハ・オーブ連合首長国代表は、ここにオーブ亡命政府の樹立を宣言します!』

 

 ナチュラルとコーディネイターの2人が立ち上がり、がっしりと握手を交わした。そこには、ナチュラルとコーディネイターの友情を示す演出的な意図が含まれている。
世界の意識をブルー・コスモスの殲滅に向けるに当たって、先ずはコーディネイターが味方である事をナチュラルに示さねばならないとデュランダルは思っていたからだ。

 

 地球も、2年前の大戦からの傷が癒えていなかったり、ユニウス・セブンの落下で被った損害で迷走を続ける国が大半を占めている。それらの国々は、戦わなくていいならそれに越した事はないだろう。戦争は、国庫に多大な負担を強いるからだ。
 しかし、当然、地球側の反応は薄い事は分かっている。いくらプラントが友好を訴えたところで、既にオーブのような例が出てしまっているのだ。迂闊にプラント支援を打ち出せば、同じ目に遭うかもしれないという恐怖は常に内在している。
その反面、国力が窮している国々は、連合軍の作戦に難色を示すパターンが増えてくるだろう。ブルー・コスモスに溺れている大西洋連邦やユーラシア連邦は置いておくとしても、戦争に参加しない理由などいくらでもでっち上げられるのだ。
経済的な理由、世論の反発など、極端な話、作戦参加に伴う審議決議を半永久的に引き延ばせば良いのである。よしんば、それに業を煮やした連合軍が圧力を強めようものなら、内部抗争へと発展する恐れがあるし、当然世論の反発は凄まじいものが予想されるだろう。
 つまり、これでこの戦争の構図はザフト・オーブ同盟軍対大西洋連邦・ユーラシア連邦連合軍という規模にまで矮小化されていくことになる。デュランダルの懐柔的な物言いが、地球連合の足並みを乱した結果となった。

 

 クルーが一同に会してその会見の模様を見ていたブリーフィング・ルームで、壁に背をもたれて腕を組んで訝しげにしているシンは、スクリーンの中のカガリに厳しい視線をぶつけていた。
 こんな事で、本当にオーブを再建する気があるのかよ――全てが予定調和に陥っているように見えるシンは、カガリが最初からプラント頼みで居たように思えてならない。自らの無能を隠すかのように、プラントを当てにしている。
カガリはやはり、オーブの国家元首として相応しくないと改めて思った。

 

「そういう目、止めなさいよ」

 

 傍らで溜息をつくルナマリアが、注意を促してくる。肩眉を上げて不機嫌そうに壁から背を離すと、片手を腰に当てて同じ様に溜息をついた。

 

「したくなくても、なっちゃうものなんだよ」
「面白くないのは、分かりますけどね。シンだって、本当はオーブの事が嫌いなわけではないんでしょ?」

 

 絡んでくるルナマリアの言葉が、妙に煩わしい。それは、シン自身も自分の態度に疑問を抱いている証拠だったのかもしれないが――シンは一寸目を閉じると、ルナマリアの視線から逃げるように顔を横に向けた。

 

「オーブは、嫌いじゃないさ。でも、アスハは嫌いだ」
「意地張っちゃって。あの人だって、結構頑張ってるじゃない。あたし達とそんなに歳も違うわけでもないしさ。あんた、あの人と同じ事やれって言われたら、出来る?」
「そんなにがっつくなよ」

 

 食い下がるルナマリアを避けるように、シンは歩き出した。それを追って、ルナマリアも歩き出す。
 ルナマリアの心境としては、シンに早く素直になって欲しいと思う気持ちがある。いつまでも故郷に燻りを持っているシンは、まだ心の中に棘を持っている。それをなるべく取り除きたかった。誰しも、故郷に対しては穏やかな感情を持っていてもらいたい。
ルナマリアはプラントに誇りを持っているし、シンも今はプラント国民であるわけだが、何よりも本来の故郷であるオーブに素直になってもらいたい。戦争で傷ついてきたシンだから、ルナマリアは余計に心配だったのかもしれない。

 

 デュランダルとカガリの会見は、コンパクトに纏められた尺で終わりを迎えた。クルーがまばらに散っていく中、エマの元にヴィーノが駆け寄ってきた。ジブラルタル基地でヨウランに心中を暴露されてから、彼も開き直ったようだ。
少し照れくさそうに、しかしその表情は引き締まっていた。

 

「Mk-Ⅱのバランス、エマさんに合うようにやっておきましたよ」
「もう出来たの? 勝手が違うMSなのに――昨日の今日じゃない」
「徹夜で頑張りました!」

 

 前髪にケチャップをたらしたようなメッシュを入れた茶髪の少年が、張り切って声を張っているその様を、カツは少し面白く無さそうな目線で見ていた。
 結局、エマもカミーユもサラの存在を知っている面々はカツに彼女の事を伝えていなかった。カツは、サラの事になると途端に融通が利かなくなってしまう聞かん坊の一面を有しているからだ。
普段は真面目なカツも、若さゆえに情熱が空回りして周りに迷惑を掛ける事もしばしばあった。その度に修正を受けていたが、結局最後まで彼の空回りは直ることはなかった。

 

「あ、ありがとう。でも、あたしの為にそんなに無理してくれなくていいのよ? 身体を壊してしまったら、MSを直してくれる人、居なくなってしまうでしょ」

 

 少し戸惑い気味にヴィーノに言うエマ。好意全開で迫るヴィーノに対し、エマの方はそれ程乗り気ではないようだ。カツは陰ながらにヴィーノの空回りっぷりにほくそ笑んでいた。
 しかし、そこで諦めない少年ヴィーノ。戸惑うエマに対し、更に攻勢を掛けようと切り出した。

 

「いえ、エマさんのためなら、こんなのへっちゃらですって。それで、今日はもう仕事上がったんで、もしエマさんがお暇でしたら、その……これから俺と一緒にお茶でもしませんかッ!」
「え、えぇッ? ――その……」

 

 年下の少年からのアプローチに、エマは狼狽を見せた。目が明らかに泳いで、動揺している。そんなエマの様子に、ヴィーノは感じるものがあったのか、身を乗り出して詰め寄ってきた。
 全く、だらしないんだから――隣で聞いてやきもきしているカツは、ヴィーノの妙に高いテンションとエマのしどろもどろな態度が気に入らないのか、顔を顰めてやり取りを聞いていた。エマは、普段は凛としているのに、変に押しに弱いところがある。

 

「やっぱり、エマさんはザラ隊長とお付き合いなさっているんですか!?」
「な、何でそこでアスランの名前が出てくるの」
「けど、エマさん、ザラ隊長はいけません! あの人は、プラントのアイドル、ラクス=クラインと婚約を結んでいるんです! そんなのに手を出したら、この国ではやっていけませんよ!」
「だから、それは誤解だって――」
「デュランダル議長が言っていたじゃないですか! コーディネイターとナチュラルの友好が、これからの世界のスタンダードになっていくんです! その先駆けとして――」

 

 エマの話なんて、てんで聞いちゃ居ない。ヴィーノは迸る若さに勢いを任せて、畳み掛けるようにエマに猛アプローチを仕掛けている。エマはすっかり狼狽してしまっていて、ヴィーノのペースに巻き込まれてしまっていた。
 大袈裟に腕を広げて力説するヴィーノなど、見てはいられない。気付けば、カツは自然と口を開いていた。

 

「そんな事より、中尉。フォーメーションの事で相談があるのですが」
「カツ?」
「ヴィーノ、悪いけど中尉を誘うのは又にしてくれないか」
「又って――おいッ!」

 

 カツはヴィーノの叫びも聞かず、エマを無理矢理にブリーフィング・ルームの外に連れ出した。後で恨まれるかもしれないが、仕方ない。
 通路に出ると、カツはエマに振り向き、不満を臆面もなく表情に出していた。

 

「しっかりしてくださいよ、中尉。ヴィーノはああ言ってますけど、もしかしたらヘンケン艦長がどこかで見ているかもしれないって、どうして考えないんです? 今の中尉を見たら、きっとがっかりしますよ」
「そんな事、あなたに言われなくても分かっているわよ」
「全然分かってないから、ヴィーノにつけ込まれる隙を与えてたんじゃないですか。とにかく、あまり情けない姿を見せないで下さい。ただでさえ、アスランさんとの変な噂だって立っているんですから」
「そういう風に見えていたの?」
「そうですよ。少なくとも、アスランさんは中尉に好意を持っていると僕には見えましたけどね」

 

 正直、エマは周囲からアスランとの関係がそういう風に見られていることに対して、殆ど無頓着だった。本人としては、アスランに対して特別な感情は皆無に等しい。ただ、同じMSのパイロット同士、共に戦う仲間としての目線しか持って居なかった。
 だからこそ、エマは浮ついた現状に慣れてないのかもしれない。どうにも、激戦からの解放で艦内の空気が気合抜けしているように感じられた。最近、妙に気の抜けた話の多いミネルバにあって、エマはそんな事を肌で感じていた。
 しかし、それでもカツにそんな事を言われたのが正直ショックだった。酷い言い方をすれば空気の読めない彼なのだから、そんなカツに窘められたのはエマにとっては屈辱だったのかもしれない。それも、自らの不甲斐なさなのかもしれないが――

 

「分かりました。カツの言うとおり、もっと気をつければいいんでしょ?」
「頼みましたよ」

 

 偉そうに――不機嫌な顔で高圧的に言を放り投げてくるカツを疎ましく思いつつ、エマは去り行くカツの背中を睨んでいた。本当は、カツが恋愛だ何だと浮かれている周囲に嫉妬していただけではないのだろうか。
 サラの存在を考えれば、今のカツは良くも悪くも一人身。とりあえず、真面目で居てくれる分には、エマとしても助かるのだ。出来れば、このままサラと交わることなく戦争が終わってくれれば良いと思うのだが――
サラへの未練を捨てきれないカツには、それも些か可哀想だと思うのは、エマの良心的な心の内だった。
 しかし、エマはこの時点でカツが何かを感じ取っている事など、露ほどにも思っていなかったのである。

 
 

 とあるプラント・コロニーの街並みの中の一幕――人ごみに紛れて、街頭テレビのデュランダルとカガリの共同演説に注目している2人の男女が居た。一人は、アークエンジェルのエース・パイロットのキラ。そして、もう一人は見たことも無い少女だった。
ジャケットにジーンズというラフな格好に、黒髪のショートカットとサングラスが地味に見せている。
 やがて、中継が終わると、そぞろに歩き出した民衆と同じ様に2人は歩き出した。

 

 街の中央広場に訪れると、そこにはトレーラーの荷室を改造したステージが設置されており、熱狂的に声援を送るファンに囲まれて歌うアイドルの姿が見えた。健康的な色気を振り撒いて元気に歌う、“ラクス=クライン”だ。
 勿論、キラにはそのラクスが偽者だという事は分かっている。本物を知っているキラは、一目見てラクスとは別人だという事が判別できた。本人とは似ても似つかないプロポーションに、キラは隣に居る少女の胸の膨らみをチラリと見比べた。

 

「何を見比べていらっしゃるのですか?」
「えっ!? い、いやぁ……」

 

 心臓を抉り取られるかのような鋭く重い言葉に、キラは思わず跳び上がりそうなほどびっくりした。隣の少女は、視線も合わせずにほんのりと口元に微笑を浮かべている。目が笑っていない様が、余計に怖い。
キラは口元に拳を当て、軽く咳払いをして誤魔化した。

 

「ど、どうする? どこか、他のところに行こうか」
「いえ、少し観ていきましょう。わたくし、まだミーアさんのステージを生で観た事がありませんから」
「で、でも――」
「キラは、今日はわたくしの気晴らしにお付き合いなさってくださるのでしょう?」

 

 今度は振り向き、にっこりと微笑んでいる。やばいよ――キラは言い知れぬ恐怖を感じた。何となく、その笑顔が途方も無い怒りに満ちているような気がしたからだ。尤も、当の本人は全く怒ってなど居ないわけだが――
 小規模なステージの前には、既に数百人規模の観衆が出来上がっていた。トレーラーの荷室をステージとして使うライブは、告知無しのゲリラ・ライブだったのだろう。しかし、絶大な人気を誇るラクスのライブは、通りすがりの人々の足を悉く止めている。
 キラの目に、元気一杯に身体を弾ませて歌うミーアの姿が見える。リズム良く合いの手が入るファンの熱い声援に応えて、ミーアのテンションも加速度的に上がっているようだ。

 

(でも、こんなのはラクスの歌じゃないんじゃないのかな?)

 

 少しラクスを侮辱されたような気になる。ラクスの歌は、こういうテンションを上げるような歌ではなく、反対に気持ちを落ち着けるような癒しの歌だ。テンションの高い歌い方は、全然違うのではないかとキラは首を傾げる。
 チラリと、隣の少女を見やる。彼女も、自分と同じ様に感じて、不満を抱いているのではないかと思った。ところが、隣の少女は満面に笑みを浮かべ、ミーアの歌のハイ・テンションに合わせる様に身体を揺すっていた。それどころではない、時には要所で跳ねていたりするのだ。
意外な姿に、キラは熱狂する観衆の中で一人、呆然と立ち尽くしてしまった。

 

 ステージの上から見る、ファンの躍動する姿というモノは、いつ見ても爽快なものだ。ファンは、いつでも自分を見てくれている。人に見られる行為というモノは、初めこそ気恥ずかしさに戸惑うものだが、一度味を覚えてしまえば快感に変わる。
ミーアも、最初はそうだった。なまじ、それまでの自分の外見にコンプレックスを抱いていたばかりに、例えラクスと寸分違わぬ顔になったとしても、中々自信を持つに至れなかった。

 

 しかし、それも今となっては何処吹く風。ラクスの人気に便乗した形で、成り行き同然にデビューしたミーアであったが、自分を見て元気になってくれるファンに囲まれている内に、自信がついてきた。今では、ステージに立つことが最上の喜びに変わっている。
どんなに辛いスケジュールでも、不眠のせいで肌の手入れがどれだけ大変でも、ステージに立てる喜びを糧に出来るのなら、そんな苦労は寧ろ進んで背負おうという気概さえ持つに至っていた。
 今日も、緊急ゲリラ・ライブだというのに、これだけの多くのファンが集まってくれた。今は、ミーア=キャンベルが“ラクス=クライン”――印象の違う歌い方かもしれないけど、それでも継続的に人を集められるという事は自分の歌い方がファンに受け入れられている証拠だ。
 見渡す限りの、人の山。遠くの方でも、足を止めてこちらに振り向いてくれている人が居る。携帯電話を片手に歩いている人も、態々ゆっくりと歩いているのだ。これ程、幸せな事は無い。

 

 ふと、観衆の後ろの方に居る一組の男女が目に留まった。正直、男の方はどうでも良かったが、隣に居るサングラスを掛けた少女が気になった。まさか――ミーアには、即座に分かった。変装をしていようとも、世界で一番のファンを自称するミーアには分かる。

 

「ありがとぉーっ!」

 

 アンコールの最後の曲を歌い終え、ゲリラ・ライブは終幕を迎えた。トレーラーのハッチが閉まると、観衆たちはそれぞれに散っていく。ミーアはハッチが閉まりきるのと同時に、撤収作業に追われるスタッフの“お疲れ”の言葉も聞かずに駆け出していた。
 急がなければ、見失ってしまう――ミーアは焦り、ステージ衣装のままトレーラーを飛び出し、まだ少し混雑している中央広場を駆け抜けていった。

 

 中央広場のベンチに腰掛け、人待ち顔に景観を眺めている少女。飲み物を買いに行ったキラを待っていた。
 プラントは、今のところ平和そのものだ。主戦場であった地球とは違い、戦火が及んでいないプラントの暮らしは平時と変わらぬ穏やかさが醸し出されていた。忙しげに鞄を持って歩くスーツ姿の青年は、営業周りだろうか。
休日だというのに、ご苦労様、と言ってあげたくなる。反面、手を繋いで歩いている男女は、恋人同士だろうか。その向こうには、両手を繋いだ子供が、両親に挟まれて嬉しそうに歩いている。
 いつか、こんな平和が地球圏全域で見られる日が来るのだろうか――いや、それを目指して戦っているのだ。来るのだろうか、ではなく、来ると言い切らねばなるまい。少女は、そんな事を考えて、腕時計に目をやった。

 

「何処まで買いに行ってしまったのでしょうか……」

 

 キラが飲み物を買いに離れて、既に10分は経過している。自動販売機自体は何処にでも置いてあるとは思うが、どうしたのだろうか。少女はキョロキョロと辺りを見回し、キラの姿を探した。

 

「あ、あのッ!」

 

 唐突に声を掛けられ、少女は振り向いた。振り向いた先には、息を切らせて手を膝につくラクスの姿があった。ライブの時の格好のままで、全身に汗をじっとりと浮かべている様子が覗える。つうっと流れる汗が、セクシーな衣装と相俟ってエロティシズムを感じさせた。
 少女は、一瞬だけ羨望の眼差しを向け、しかし直ぐに呆気に取られた様に自然な表情を演じた。

 

「ラ、ラクス=クライン!? どう――」

 

 極めて自然に、問う。対し、ラクスの方は確信めいたように、しゃべりかけのベンチに座る少女に歩み寄ってきた。

 

「よかったぁ、見つかって……」
「はい?」
「ラクス様……でいらっしゃいますよね?」

 

 ラクスの一言に、少女はハッとして周囲を見回し、今の言葉が誰にも聞こえていないかどうかを確認した。周囲に人影は、それ程多くない。勿論、ラクスに注目が集まってはいるが、天下の大アイドルを前に、遠慮がちに遠くから眺めているだけだった。
 少女は一先ずの安全を確信すると、そっと人差し指を口元に当て――

 

「しっ、今はミーアさんがラクスなのですから、不用意にその様な事は仰らないで下さい」
「あっ、すみません!」

 

 慌てて口元を両手で覆い隠し、続けて頭突き、もとい、謝罪のお辞儀をした。ゴチン、とぶつかる頭と頭――2人は痛みに頭を抱えてうずくまった。

 

「――ったた……相変わらずでいらっしゃるのですね」
「も、申し訳ありません……」

 

 もう一度頭を下げようとした時、少女――本物のラクスは、スッと手を差し出してミーアのおでこを押さえた。お約束とはいえ、そう何度も頭突きを食らっては堪ったものではない。

 

「飲み物、買ってきた……よ?」

 

 その時、やっとキラが両手にジュースを持ち、帰ってきた。その場に居たミーアを見て、不思議な光景に固まってしまった。

 

「ど、どういう事、これ?」

 

 サングラスを外せば、その顔は同じ。同じ顔の少女が2人居る状況に、キラは頭の中が混乱していた。

 

 それから、3人で人気の無い場所までやってきた。そこで事情を聞き、ラクスが既にミーアと顔見知りである事をキラは知った。

 

「そうだったんだ」
「ごめんなさい……」
「いえ、ミーアさんが謝る道理ではないのです。それよりも、わたくしとの約束を守ってずっと歌い続けて下さっていたことを、感謝いたします」

 

 丁寧にお辞儀するラクスにミーアは慌てて畏まって姿勢を正した。

 

「そ、そんな事なさらないで下さい! 私も、音楽活動は楽しくてやっているのですから!」
「でも、わたくしの代わりだけではお嫌ではないですか?」
「そんな事はありません!」

 

 力一杯に首を横に振り、ミーアの長い髪がぴしぴしとキラの顔面を擦った。

 

「ラクス様は、私の憧れの人なのです! 本当は、神様に喧嘩を売るに等しい事なんですけど、ラクス様がお認めになってくれたお陰で、私は何の気兼ねも無くラクス様を演じられて、本当に人生を満喫できているんです! 私にとって、こんなにハッピーなことはありません!」
「そこまで言われると、流石に照れますね」

 

 ラクスの頬が少し赤らんで、顔を俯けた。ミーアは、ラクスに対して絶大な憧れを抱いている。その一方で、ラクスもミーアに少なからずの好意を抱いていた。
同じ女性として嫉妬するプロポーションも含めて、奔放な性格のミーアが自分とはまるで正反対で、羨ましさを覚えていた。
 それに、ミーアは純粋にファンとしての目線で自分を見てくれている。彼女が尊敬を抱いてくれているのは、政治的なカリスマではなく、歌手としてのラクスなのである。
 ラクスとて、アイドルとしての活動が嫌いなわけではない。寧ろ、そちらの方が健全な見られ方と思う節もある。だからこそ、ミーアの単純な目線が、ラクスには一番嬉しい事だった。

 

「それにしても、よくラクスの変装が分かったよね。道行く人、誰もこれがラクスだって気付かなかったのに」

 

 キラの言うとおり、今のラクスは黒髪のショート・カットのかつらをかぶり、サングラスで目元を覆っていて、一目ではラクスだとの判別が難しい装いをしている。格好も、普段ラクスが着るような服ではないのだ。
それなのに、ミーアは何百人といる観衆の中からラクスとキラを割り出し、一瞬にして変装を見破ってしまったのだ。その業は、最早ファンとか憧れとかいった域を超えてしまっている。完全にマニアの領域である。

 

「それはもう! 例えどんな格好をしておられようとも、私の目には丸裸同然ですもの。少しでもお姿を拝見させていただければ、鉄仮面の上からでも見抜いて見せますとも!」
「へぇ――」

 

 感嘆して、その次の言葉を飲み込んだ。丸裸同然なんて、羨ましいと思ってしまったが、それは流石に口に出すのが怖い。最近、妙に頭の中がピンクっぽくなってきたな、と反省し、気を引き締めなおした。

 

「ところで――」
「え……?」

 

 まじまじと見つめるミーアの視線に、少したじろぐ。

 

「あなたは誰なのですか? ラクス様の護衛はダコスタ様だけだと思っていましたけど――まぁ、ダコスタ様よりは多少お奇麗なお顔立ちをしていらっしゃるようですが、フィアンセであらせられるアスラン=ザラ様よりは正直、劣りますわね」
「へ?」
「私の好みではありませんけど、あまりラクス様に馴れ馴れしくして、あらぬ誤解を招いてしまうような事態だけは避けてくださいね、護衛さん。護衛さんの役目は、ラクス様の恋人役を気取るようなものではないのですから」

 

 ぶしつけに失礼な事を言われ、流石のキラも固まった――いや、固まってはいけない。ここは否定して、と思ったが、ラクスはミーアの無遠慮な言葉を聞いて、笑っていた。何となく、反論してはいけないような空気。
 しかし、ここで退いては男が廃る。ここは一発がつんとラクスと恋人同士であることを発表して、今後、こんな失礼な事を言われないようにしなければならない。とはいえ、周りに聞こえてもいけないから少し遠慮がちに――

 

「僕は――」
「あらいけません! もうこんな時間!」

 

 木陰から覗いている柱時計を見て、ミーアは素っ頓狂に声を上げた。キラの主張は、虚しくミーアの声にかき消されてしまう。その隣では、ラクスが軽い溜息をついていた。

 

「すみません、ラクス様。私、次のお仕事がありますので、もう行かなければなりません。次に会わせていただく時には、是非、あの時の約束を――」
「勿論ですわ。楽しみは、先延ばしにするほど嬉しいものです。わたくしも、その時の為に頑張ります」
「それでは!」

 

 がしっとラクスの両手を握り、ぶんぶんと上下させてお別れの挨拶をする。そして、ミーアはまるで嵐のように去っていった。残されたのは、笑顔でミーアの後ろ姿を見送るラクスと、台詞をしゃべらせてもらえないまま無碍にされたキラ。
最後に抵抗を試みたのだろう。右腕が、少し伸びかけてそのまま止まってしまっている。

 

「わたくしとアスランが婚約者――ですか」

 

 ラクスの呟きに、ハッとして我に返るキラ。さわさわと、木立が揺れて葉が擦れる音が響き渡る。少し不安になって、ラクスの顔を見た。

 

「後悔……してるの?」
「いえ、今はキラが居てくださるんですもの。後悔なんて言葉、知りませんわ」

 

 振り返ってサングラスを掛け直し、歩き出した。その行く先に、木立の間を抜けて降り注ぐ光が、美しかった。キラはラクスの言葉に嬉しくなって、表情を綻ばせながらその後を追った。

 

「でも、もう少しハッキリとモノをおっしゃって下さいね」
「は、はい。猛省してます……」

 

 でも、やっぱりラクスには頭が上がらなかった。

 
 

 デュランダルとの共同演説を終えて、カガリはそのままメサイアに入港しているアークエンジェルへと直行した。本当は色々と雑務が存在していたのだが、それよりもユウナの事が気になっていた。
 ランチに乗ってメサイアに接舷し、道案内の兵士に連れ立たれて要塞内通路をアークエンジェルへ向かって流れる。やがて薄暗い通路を抜けると、円筒状の透明な通路に変わり、まるで宇宙ドックの中を生身で流れているような気分になる。
普段はそうそう見ることの出来ない戦艦の底面に、珍しそうに目を輝かせた。そうして通路を進んで行く内に、アークエンジェルの中へと入った。ここまで来れば、後は慣れたものである。道案内人を入り口で帰し、後はユウナが“反省”している部屋に向かっていった。
 ユウナは、先の騒ぎの懲罰を受ける形で、半ば軟禁状態で部屋の中に押し込まれていた。それも当然、彼が今暴れだしでもしたら、シャレにならない。宇宙空間とは違い、今アークエンジェルが居るのは宇宙要塞メサイアの中なのだから。

 

「カガリ? こっちに来ていたのか」

 

 ちょうど、アークエンジェルに入っていくカガリの姿を、アスランが見ていた。そういえば、お互いに色々忙しくて、一緒の場所に居るにもかかわらず、まだ顔を合わせていない。懐かしさに恋焦がれるように、アスランはカガリの後を追っていった。

 

 無重力の感覚は、幾分か慣れた。地球暮らしが長かったが、彼女とてかつてはゲリラで腕を鳴らした事もある。御転婆のカガリの環境適応能力は、思った以上に高い。流れるように床に足を着き、ドアの横に設置されているブザーを鳴らした。

 

「なぁ、ユウナ。お前、ずっと部屋に篭りっきりで、大丈夫か?」

 

 マイクに向かって話しかけるも、返事はない。少しの間返事を待ったが、どうにも返事をする気配が感じられなかった。仕方なくドアに手を当て――

 

「入るぞ」

 

 ロックを外し、開いた。電灯も点いていない、暗い部屋。奥の方から、スンスンと鼻を啜る様な鳴き声が聞こえる。カガリが手探りで電灯のスイッチを探り、明かりを点けた瞬間、カガリの目に飛び込んできたのは大量の水玉だった。
まるでファンタジーの世界の一幕であるかのように、ゆっくりと浮かぶ水玉が、部屋の中に無数に散りばめられていた。

 

「これは――」

 

 全部、ユウナの涙だ。当の本人に目をやれば、無重力の中を膝を抱えて丸くなって浮いている。部屋の中は、ユウナの癇癪で散らかっていて、とてもセイラン家の御曹司の部屋とは思えなかった。
 カガリは、一通り部屋の中の様子を見渡すと、ユウナへ向かって床を蹴った。

 

「少しは落ち着いたか、ユウナ?」

 

 肩を抱きかかえるように右手を回し、左手で背中を擦る。ほんのりと震えている様子が、感触として伝わってきた。しかし、カガリが慰めても、ユウナは塞ぎこむだけで、一向に顔を見せようともしない。
いくらウナトを失って悲しいからといっても、いい加減、カガリも叱りたい気持ちになってくる。

 

「いつまで泣いてたって、ウナトは帰ってこないんだぞ。塞ぎ込んでいるだけじゃ、ウナトだって天国で安心できない」

 

 相変わらず、ユウナは何も応えない。苛立ち、カガリは軽く突き飛ばし、壁にぶつけてユウナの腕を膝から解かせた。だらん、と手足が開かれ、ユウナはその顔を久しぶりにカガリに見せた。
 皺くちゃになったスーツと、伸びきったネクタイ。シャツの襟は片方だけ立っていて、口元には無精髭が生えていた。何日も洗っていない髪は油でギトギトになっており、癖がついて乱れに乱れている。
虚ろな瞳は、その下に隈を作り、ぼんやりとカガリを見つめていた。
 徐に、ユウナの口元の端が上がった。

 

「カガリ、君にこの僕の悲しみが分かるって言うのかい……?」
「何だと?」

 

 カガリが身を乗り出して詰め寄ろうとする仕草を見せると、喉の奥から力ない笑いを搾り出した。完全に精気が抜け切った人間の笑い声だ。まるで壊れたおもちゃの様に。

 

「パパは、僕の最も尊敬する人だった。そのパパが居なくなって、僕がどれだけ悲しんでいるのか、君に分かるかい? パパは、僕にとって唯一無二のヒーローだったんだ……」
「分かるさ」

 

 きっぱりと言い切るカガリを見て、ユウナは軽く首を横に振った。

 

「そうやって分かった振りをして慰める事なら、誰にでも出来るんだよ。でも、僕はそれに騙されるほどバカじゃない」
「違う、私は本当に――」
「騙されないよ」

 

 何を言っても無駄だろうか。カガリは諦め、別の話題を探した。ユウナは、そんなカガリを見て余裕の笑みを浮かべていた。どんな話題になっても、決して丸め込まれたりするもんか、という決意の表れだろうか。
頭の中では、カガリの口から出てくるであろう話題に反論するマニュアルが、次々と生産されていた。腐っても、カガリには口で負けるわけがないと思っているからだ。
 カガリが、思案顔をやめてユウナを見据える。さあ、どんな言葉でも言い返してやると、ユウナは卑屈に気を引き締めた。

 

「私には、お前の力が必要なんだ。今だって、オーブの暫定政府の樹立を宣言してきたところなんだ。お前が力になってくれなきゃ、オーブを復活させる事も出来ないじゃないか」
「ふっ、ふふふ……」

 

 急に笑い出すユウナ。カガリは怪訝に表情を歪め、身構えた。

 

「何がおかしい? 私達オーブの民にとって――」
「パパが居なくなった時点で、オーブの事なんてどうでもいい事になっちゃったんだよ。どうせオーブが復活したって、パパが居ないんじゃ意味がない」
「貴様…それは本気で言っているのか?」

 

 カガリの固く握り締められた拳が、わなわなと震えている。ユウナの目線はそれに気付かず、悠長に滑る自分の口の調子良さにかこつけて、更にカガリを攻め立てようと声を絞る。

 

「それに、どっちみちデュランダルの手駒にされるだけで、まともな自治権も与えてくれやしないよ。オーブは終わりだ、プラントと同盟を結んだ時点で、こうなるって事は予め決まっていたんだよ。
全て、君のせいさ。君がさっさとパパの言うとおりに大西洋連邦との同盟締結を決めなかったから――」
「バカを言うな、ユウナ!」

 

 デュランダル云々はどうでもいい。もし、そういう事になったとしても、カガリは実力行使に出てでも自治権を認めさせるだろう。ザフトとの戦力差とかはとりあえず考えないとしてだが――実際、今のカガリにはその程度の事しか頭に浮かばなかった。
勿論、それ以前に手荒な真似はしたくないという前提があるが、そうならない為にもユウナの力は必要だった。
 そして、何よりもオーブの政治家であるユウナがオーブを蔑ろにしようとしている事が、ショックだった。怒りよりも、寂しさの方がカガリには大きかった。何か無性に悔しくて、涙が出てきた。
 ユウナは、そんなカガリを見ても一切の変化を見せない。涙を袖で拭い、カガリは震える声でユウナに語りかけた。

 

「オーブがどうでもいいなんて、そんなこと言うなよ! なぁ、お前がオーブを見放してしまったら、ウナトは悲しむんじゃないか? ウナトは、オーブを愛していた。だから、オーブの未来を私とお前に託したんじゃないか! それなのに、お前は――ッ!」
「そうやって感情的になれば、僕の気持ちを動かせると思っているんだろ? けどね、僕はもう終わりなんだ。パパの助けが無けりゃ、何も出来ない情けない男なのさ。なのに、どうして君は僕に無駄な努力を強要しようとするんだ?」
「ふざけるなッ!」

 

 激昂するカガリは、最早感情の抑制が効かなくなっているのかもしれない。ウナトの意志も継ごうとせず、一人で拗ねてオーブを見捨てようというユウナが、許せなかった。カガリは壁を蹴ってユウナに襲い掛かり、ネクタイを掴んで顔を引き寄せ――

 

 その瞬間を、アスランは目撃していた。懐かしさに恋焦がれて追ってきた彼に待っていたのは、無情とも言えるカガリの裏切りだったのかもしれない。事情も状況も全く分からない――しかし、その光景だけで裏切りを知るには十分だった。
 今のアスランには、2人の顔が重なる様が黒いシルエットにしか見えない。頭の中が真っ白になり、心の中で何かが音を立てて崩れ去った。衝動的に出そうになった声を何とか喉の奥に押し込め、2人に気付かれないうちにその場を立ち去った。

 

「――ッぷは!」

 

 唇が重なっていたのは、ほんの2、3秒だっただろうか。ユウナには一瞬で、カガリには途方もなく長く感じられた。もがく様に放すと、ユウナの頬に平手を一発見舞って蹴り飛ばす。そして、ぺっと唾を吐き捨てると、袖でグイっと口元を強く拭って怒りの視線を突き刺した。

 

「目を覚ませユウナ! この戦争は、お前だけが苦しいんじゃない、みんなが苦しんで、それで平和を勝ち取ろうと頑張っているんじゃないか! それなのに、お前は自分だけが不幸だと思い込んで――そんなの、ずるいじゃないか!」

 

 感情的になって、口を突いて出てくる言葉も陳腐なものだったり、的を射て無かったりと散々だった。しかし、それでもユウナには言ってやりたかった。迸る自分の感情が、少しでも彼の気力回復に繋がればと思って――
 カガリの叫び声に、誰かがやってくる気配を感じる。カガリの後ろのドアから姿を見せたのは、遅れてやってきたキサカだった。
 キサカは即座に状況を判断して、少し身を引いて影に隠れた。そのキサカに気付かないカガリの猛攻は続く。

 

「お前がウナトを失って、どれだけ苦しい思いをしているか、私には分かる! けど、それを言い訳にして塞ぎ込んでばかりじゃ、誰も納得するはずがないだろ!」
「う、嘘だッ!」

 

 もう、何であろうと関係ない。遂に、ユウナも感情に火が点いた。声を荒げ、激しく手を振り乱す。

 

「君なんかに、僕の気持ちが分かるものか! 僕は、パパを失ったんだぞ! 父を――どれだけ苦しいのか、分かって溜まるものか!」
「馬鹿野郎ッ! 分からず屋ッ!」

 

 カガリは振り返って、そこにキサカが居る事に一瞬驚いたが、身体をぶつけて退けさせると、凄い勢いで通路を流れていった。キサカはカガリの背中を見送ると、部屋の中で息を切らせて佇んでいるユウナを見た。

 
 

 その頃、呆然とした表情で通路を行くアスランの足は、自然とエマの私室へと向かっていた。アークエンジェルからミネルバへの直通回廊を通り、部屋の前までやってくる。ブザーを鳴らすと、短い返事の後でドアの隙間からエマが顔を覗かせた。

 

「アスラン?」

 

 エマから見た自分の表情は、どのように映っているのだろう――果てしなく情けない表情をしているには違いないが、それでも会いたかった。ミネルバに於いて、唯一包容力を感じさせてくれる年上の女性。
カガリとユウナの光景にショックを受けていたアスランは、エマの慰めが欲しかった。

 

「どうしたの?」

 

 半開きのドアを全開にし、曇った表情のアスランを訝しがる。しかし、言葉に出せずに、アスランはただ沈黙するしか出来なかった。
 そんなアスランの様子に、何かに気付いたエマは斜めに構えてアスランの表情を覗った。少年の、こういう落ち込んだ表情をしているときは、大概女性に慰めて欲しいときなのだ。それは、カミーユもそうだった。
 こういう場合、慰めてあげるのが年上の包容力のある女性のするべき事なのだろうが、生憎エマはそういう女性ではない。加えて、カツにも注意を受けたばかりである。アスランとの変な噂が立っている以上、彼を甘やかすような行為は出来ない。
 エマは一つ溜息をつき、腕を組んで下から見上げるようにアスランを見た。

 

「慰めが欲しいのなら、別を当たって頂戴。あたしでは、あなたの感傷を癒してあげる事は出来ないわ」
「別に――ただ、相談に乗ってもらおうと思っただけです。あなたに慰めてもらおうなんて――」
「じゃあ、何を相談しに来たのかしら?」

 

 妙に挑戦的に言ってくるエマに、アスランの表情が見る見るうちに険しく変化していった。

 

「もういいです。エマさんがそういう人だとは、思いませんでした」

 

 むっつりしてそれだけ言うと、アスランは不貞腐れてエマの部屋の前から去っていった。ドアの縁に身体を預けたエマは、そんなアスランの去り行く後ろ姿を見て呟く。

 

「英雄だ何だといっても、まだ子供ね――男の子の気持ちが分からないわけではないのよ。でも、悪いけど、あなたを甘やかすわけには行かないっていうのが現実ね」

 

 アスランは、ミネルバ・パイロット達の精神的な支柱だ。その彼が、いつまでもエマに頼っているようでは駄目だ。確かに、技術的な意味では既に抜群のリーダー・シップを発揮しているかもしれない。
しかし、彼が本当のMS隊長になるためには、もっと精神的に強くならなければならない。その為には、悩み事も自分で解決できるようにならなければいけないのだ。それが、アスランを成長させる糧になると、エマは信じていた。

 
 

「何だよ…お前もどっかに行けよ」

 

 崩れ落ちるようにしてベッドの上に座り込むユウナを、キサカは上から見下ろしていた。大きい図体が、電灯を遮ってユウナに影を落としている。それが煩わしく思えて、ユウナは何度もキサカを追い払おうと試みているが、彼は微動たりともしなかった。
それどころか、何もしゃべろうともしない。まるで、巨大な石像か何かが立っているようだ。

 

「せめて、何とか言えよ」

 

 巨漢が無言で目の前に聳え立っている様は、気持ちのいいものではない。ユウナはキサカから目を逸らし、不平を口にする。

 

「あなたは、何も分かっていらっしゃらない」
「何だと?」

 

 やっと口にした言葉は、しかしユウナを悪戯に刺激するだけだった。ユウナの表情が再び険しく変化し、怒りの意をキサカにぶつける。

 

「僕が、何を分かってないって言うんだ」
「カガリは、あなたの気持ちが痛いほどに良く分かっている。それをあなたが分かってやらないで、どうするのです」
「あんな子供が、僕の何を分かるっていうんだ? どうせ、いつもの奇麗事だろうが。そんなものに、僕が騙されると――」

 

 言いかけたユウナの胸倉をキサカはその太い腕で掴みかかり、持ち上げた。その瞳に、深い怒りを込めて。

 

「な、何をするんだ!」
「カガリが、本当にあなたの気持ちが分かってないと思っているのか!」

 

 普段冷静で温厚なキサカが珍しく見せる憤怒の表情に、ユウナも慄いて次の言葉が出てこなかった。これだけの怒りを露にするキサカは、本当に珍しい。感情的なカガリのサポートをする意味でも、キサカは常に冷静な判断を繰り返してきた。
しかし、今はまるでカガリの性格が乗り移ったかのように激怒している。

 

「何を血迷っているんだ、お前は。僕にこんなことをしてただで済むと――」
「あなたはカガリと同じになったんだ。カガリが、何の感慨もなしにあなたの気持ちを分かろうとしたとでも思っているのか」
「ん……ッ」

 

 締め付けられるように胸倉を掴まれ、呼吸が苦しい。しかし、苦悶に表情を歪めるユウナの懇願を見ても、キサカはその手から力を抜こうとはしなかった。

 

「2年前、カガリはウズミ様を亡くされた――今のあなたと同じ様にだ。カガリは、あなたよりも遥かに幼い時に、同じ苦しみを味わい、乗り越えてきたんだ。オーブの政治家であるあなたは、誰よりもその事を知っていなければいけない。
カガリの婚約者を気取るつもりなら、カガリが言わんとしている事を察してやらなければならない。勇猛なオーブの民であるあなたが、そんな事でどうされるのです? これからオーブを再建しようとするカガリの力になれるはずのあなたがそんな事で、どうする?」
「け、けど…カガリとウズミ様は血が繋がって――」
「親子の関係は、人の数だけあります。血の繋がりだ何だとそんな些細な事はあの方々には関係ありません。あの方々は、確かにウナト様とあなたと同じ、親子だった」

 

 キサカは乱暴にユウナを突き放すと、背を向けた。

 

「カガリは強い子です。しかし、オーブの再建という大事業を成就させる為には、あなたの力がどうしても必要になってくる。ウナト様の息子で、その政(まつりごと)の才を受け継いだあなたの力が必要なのです。どうか、カガリの力になってやってください」

 

 キサカの呟き――ベッドの上に突き飛ばされ、仰向けになったままユウナは初めて他人の事を考え始めた。
 確かに、キサカの言う通りなのだ。カガリは、2年前に養父であるウズミを亡くした。カガリはウズミと直接的な血の繋がりはなかったが、カガリにとっては唯一の父親だったのだ。少し考えてみれば、分かる事――カガリの喪失感は、今の自分と同じだ。
カガリはウズミを失い、自分はウナトを失った。今まで甘えていた自分は、今、ようやくカガリと同じステージに立ったのだ。
 どうして、そんな簡単な事に気付けないでいたのだろう。しかし、それでも解せない事はある。何故、カガリと自分はこんなにも違うのか。強く、前向きに歩んでいるカガリとは対照的に、今の自分は後ろを向いて座り込んでいるだけだ。
 カガリを突き動かしているモノは、オーブの再建へと向かう強い意志だ。では、何故その強い意志を持つに至れたのか――単純な答が、ユウナの脳裏を掠めた。結局は、カガリはウズミの意志を継いでいるだけなのだ。
しかし、その単純な動機が、絶対的なものとしてカガリを強者たらしめている。つまりは、カガリの強い動機は、強固な親子愛によるものだったのだ。
 ならば、そこで決めるべきこれからの自分の身の処し方は、簡単ではないか。カガリと対等になったのなら、同じ事をすればいい。ユウナのするべき事は――

 

「キサカ、頼みたいんだ」

 

 出て行こうとするキサカの背中を見つめ、ユウナは身を起こし、口を開く。立ち止まって振り向くキサカに、ユウナはニコリと笑って続けた。

 

「新しいスーツを一着、持ってきてくれないか? こんな皺くちゃのスーツでは、人前に姿を晒す事なんて出来ない」
「ユウナ…様……?」

 

 無重力に浮かんでいるクシをヒョイと手に取り、乱れた頭髪を整える。しかし、油で汚れた髪の癖は、その程度ではびくともしなかった。少し癖の強いユウナの剛毛は、まるで融通の利かない頑固者のようだ。諦め、ぽいっとクシを放り投げた。

 

「駄目だね――僕はその間にシャワーを浴びて、身だしなみを整えておくよ。こんな無様な格好をしていたのでは、父上に笑われてしまうからね」

 

 にやり、と口の端を上げた。まだ、浮浪者のような格好をしているユウナに品格は無い。しかし、その表情には、先程とは別人のような生気に満ちていた。死んだ魚のような目だった瞳は輝きを取り戻し、頬を上げて笑う顔は、自信に満ちていた。
 ユウナの突然の変わりようにキサカは呆気に取られたが、やがて納得したように表情を綻ばせた。

 

「かしこまりました」

 

 ユウナの要求に応え、キサカが部屋を退室すると、ユウナは服を脱いで備え付けのシャワー・ルームへと鼻歌交じりで入っていった。