ΖキャラがIN種死(仮) ◆x/lz6TqR1w 氏_第45話

Last-modified: 2008-07-05 (土) 18:53:44

 『エインシャント・ブライト』

 
 

 最近、カミーユは夢の世界と現実の世界の境界線が曖昧に感じられていた。そう感じられるようになってきたのは、時々見る元の世界の夢のせいだ。それも不思議な事にグリプス戦役の時分ではなく、その後の出来事である。
 夢の中では、地球に居た。オーブに居た頃の、ついこの間の夢には、危機に瀕する少女が登場した。幼いながらもMSを動かし、アーガマの危機を救うべくガンダムMk-Ⅱで出撃した女の子。
 まるで、穴蔵の中から外の様子を覗いているような感覚だった。夢さえも現実に感じられるほどの焦燥感を味わい、喉が枯れるほど必死に叫んでいたような気がする。波打ち際の海水が、熱を帯びた身体に心地よかった。

 

 暗い自室のベッドの上で、跳ねる様にカミーユは目を覚ました。メサイアには上陸せず、アークエンジェルの船室を利用していたので、目を覚ました時に身体に食い込むベルトの痛みが、それまでの出来事を夢だと認識させてくれた。

 

「何だ、この嫌な感じは……」

 

 ――本当に夢だったのだろうか。その夢の中の出来事が、余りにもリアル過ぎて、そして悲しすぎて、カミーユの瞳からは自然と涙が流れていた。体中には大量の汗。ベルトを外してシーツから出ると、外気に冷やされて、一寸寒気を覚えた。
 時計をチラリと見やる。まだ、起床時間までには時間がある。寝直すには十分な時間であったが、カミーユはもう一度ベッドに入ろうとは思えなかった。その夢が酷く陰惨で、同じ苦しみを二度と味わいたくなかったからだ。

 

「地球にコロニーが落ちて、たくさんの人が死んだ……?」

 

 見開いた瞳。ベッドに腰掛けたまま両手で顔面を覆うように包み込み、その隙間から見開いた瞳を覗かせていた。
 コロニー落しが現実に起こっていた事なのかは分からない。その上、今存在している世界がカミーユにとっての現実かどうかも定かではない。エマもカツも、皆死んでいった者の筈なのだ。その事実が、最近カミーユの自我の扉を叩いている。
本当に居るべき世界が何処なのかを――

 
 

 時間に余裕ができれば思慮の時間が生まれる。どんなに互いを思い合った仲でも、遠く離れている時間が長ければ長いほど、疑惑の生まれる余地というものはどうしても出てきてしまう。
 アスランに課せられた試練とも呼ぶべき出来事は、彼を深い懐疑の中へと落とし込んでいた。
 表には出さなかったが、カガリとの再会を楽しみにしていたアスランは、未だに彼女との面と向かっての接触を果たしていない。いや、彼の中の懐疑心が、彼に二の足を踏ませているのだ。

 

 アスランが素行を取り繕うようにして過ごし始めて数日――地球での連合軍とザフトの諍いが沈静化して間もない頃、未だ戦局は動き出そうとする気配は見せなかった。その分だけ、アスランにとっては不幸だったのかもしれない。
それは、何も考えずに戦いに打ち込めていたほうが気持ち的に楽だっただろうにという、粉飾的な楽観論なのかもしれないが。
 それは、朗報といえば朗報だったのかもしれないが、アスランの元に届けられた報せは幾分か気を紛らわせるきっかけになり得るような報せだった。ザフトとオーブが合同で軍事行動を取るというのだ。
とは言っても、単なる哨戒任務の一環として艦隊を組むというだけで、本格的な軍事行動とは一線を画するような内容であったのだが――とにかく、その艦隊にオーブ軍も編成されるという話だ。
その日は非番であったが、彼は偵察を兼ねた哨戒任務に進んで志願する事に決めた。

 

「折角の休みなのに、いいの? 張り切って見せたところで、お給料が上がるわけでもないのよ」

 

 仄かな驚きとともにそう問い掛けるのは、ミネルバの艦長室へと作戦参加を申し出たアスランに対するタリアである。勿論、人生に於いてアスランよりも遥かに高い経験値を積んでいる彼女だからこその驚きでもある。
アスランが、カガリに対して並みならぬ想いを抱いている事くらいは、とっくの昔に察し済みだ。だからこそ、休日を有効に使おうとしないアスランを訝しげに感じた。

 

「私とエマが非番の時です。万が一交戦に入った時に、MS隊を指揮する者が居なければ話になりません」

 

 真面目なのは結構ですけどね――アスランの言い訳のような言に溜息交じりでそう返したタリア。
 実際は、この程度の任務ならば、タリア一人でも統制は取れる。何時本格的な抗争に戻るかもしれない時に、態々エマとアスランが非番のタイミングで哨戒任務を行うのは、その時の為に十分に休息を取らせておくためだ。

 

「シンだって、無鉄砲だけど最近では頼りになるようになってきたわ。彼に経験を積ませるのも将来の為ではなくて?」
「そのシンです」
「え?」
「彼を言い訳にするわけではありませんが、デスティニーを受領してから少し気合抜けしているように見受けられます」
「そうかしら?」

 

 首を傾げ、タリアはアスランの目をジッと見つめた。考えるまでもなく、最近のシンは戦士として大きく成長した。それは、デスティニーを受領してから更に顕著になったと言っても良い。
 アスランは、タリアの見解と全く逆の見解を口にしている。それが、直ぐに彼の誤魔化しなのだとタリアは見抜いていたのだ。アスランは、取り繕うように続ける。

 

「私が、彼の気合を入れなおします。今の内に解決しておかなければ、この先の戦いは厳しくなるでしょう。彼は、今やザフトのエースなのですから」

 

 シンを言い訳に使うわけではないと口にしておきながら、実際は言い訳にしてしまっている自分が情けなく思える。アスランは表情で平静を装っているが、内心は自らの器の小ささに辟易する心を抱いていた。このままでは、彼の目指す先には辿り着けない――
 タリアは、そんなアスランの苛立ちが透けて見えているようだった。基本的に冷静で、感情の処理も比較的長けているアスランであっても、今の彼の無表情は寧ろ不自然に映る。
 ジッと見つめるタリアの視線に、少しアスランがたじろいだ。すかさず、タリアは射抜くように目に力を入れた。

 

「身体を動かしたいなら、素直にそうおっしゃい。少なくとも、私はあなたの事を笑ったりはしないつもりよ」
「そ、そういうわけじゃ――」

 

 タリアの視線から逃げるように、アスランは顔を逸らした。表情には、多少の焦燥が見受けられる。タリアの言葉に、魂胆が見抜かれているのではないかという焦りがあったからだ。
 どうやら、図星だったようだ――タリアはアスランの僅かな仕草から、女の勘といったもので全てに見切りをつけた。座っている椅子を回し、アスランに背を向ける。

 

「歳相応というものがあります。確かにプラントでは15を超えれば成人と見なされるけど、あなたはまだ20年も生きちゃ居ないわ。これからの長い人生、いくらでも経験すべき事がある。男女の色恋沙汰だって、そうよ」

 

 別段悪い事をしたわけではないのに、まるで学校の先生に叱られているような気分になるアスラン。タリアの言葉に全く返せない。ただ、押し黙ってそこに立ち尽くすのみ。拳をギュッと握り締めるだけが、彼の唯一の反抗の印か。
 そんなアスランが分かっているように、タリアは続ける。それは、自分の経験が他人に活かされる事を願っているかのように。

 

「ほんの少しの行き違いが、運命だなんて思わないでね。人間、諦めてしまったらそこで終わりよ。困難だって、超越して見せなくちゃ道は開かれないんだから」

 

 困難に道を閉ざされたタリアだから言える台詞なのかもしれない。デュランダルとの恋愛と失恋は、今も彼女の心の奥に鋭い棘となって突き刺さったままだ。その痛みと辛さを知っているから、若者に同じ道を辿らせたくないと思っている。
 そのタリアの想いが分かっているのかいないのか、アスランは相も変わらずに黙って立っているだけである。少しの間を挟んで、タリアは小さな溜息をついた。

 

「――あなたの作戦への参加は、許可します」

 

 俯き加減で聞いていたアスランが、顔を上げる。

 

「但し、休日を返上した事によるシフトの変更は無し。フェイスといえども、ミネルバに乗艦する以上は艦長である私の指示に従う事。それでもいいのなら、後は任せます」

 

 アスランの視点からでは、背を向けているタリアの表情は窺い知る事は出来ない。ただ、その声の抑揚で感情を推し量るだけだ。

 

「……はい、ありがとうございます」

 

 慎重に声の調子を選び、アスランは敬礼して回れ右をした。
 自動ドアの、空気が抜けるような音がする。タリアは椅子を回し、肩越しに退出しかけのアスランの背中を見た。少し猫背の、腑抜けした様子にもう一度溜息をつく。気合抜けしているのは、アスランの方ではないか――
せめて彼を慰められるだけの人物が居れば良いと思うが、真面目人間の彼にミネルバのクルーは恐縮している節がある。

 

「女性の慰めを欲しがっているように見えるけど……私みたいなおばさんがやってもね――」

 

 溜息が止まらない。困ったように頬杖を突くと、そのままタリアは机の上に突っ伏した。

 
 

 ミネルバに虜囚として乗船してはいるが、ネオ=ロアノークの待遇は患者という側面の方が強かった。兵士としてのネオのプライドからすれば厚遇を施そうというミネルバの態度は気に入らないが、連合軍という組織に未練を残していない今となれば話は別である。
スティングとアウルは気になるが、ジェリドもライラも信用できる人物だ。恐らくは自分との記憶も消されているだろうし、その方が彼らも幸せなのかもしれないと最近では思っている。ステラも一緒にミネルバに乗船している以上、今のネオは非常に気が楽だった。
 兵士であった頃には考えられないほど暇な時間の多い生活だ。たまに思い出したように尋問を受ける事もあるが、殆どの情報は過去のもので、今更役に立つような情報は持っていない。

 

「余暇の過ごし方の達人でも目指すか……」

 

 未だ十分に動かせられない身体を、ベッドの上に定位置のように寝かされている日々。やる事といえば寝食と排泄に着替え、それと本を読む事くらいである。そういう生活が続いていて、時々身体が腐っていくような感覚に陥る事もあった。
 いつものようにネオはベッドのリクライニングを上げ、身体を起こして文庫本を片手に文字を追っていた。紙は手垢に塗れていて、それが既に何度も読まれているものだと示している。
大して面白いわけでもなく、内容も全て覚えているのだが、文字を追っていればその内眠くなる。その催眠効果に期待して、ネオは無駄にその本を読み続けているのである。
 そんな時、訪問を告げるブザーの音が鳴った。ネオはチラリと時計を見やり、少し意外そうに眉を顰めた。

 

「ステラが来る時間には、まだ早い――誰だ? ――どうぞ」

 

 ステラの訪問は、ほぼ毎日と言って良いほど行われていたが、面会時間が限られている上、時間もきっちりと決められている。監視員のレイが、まるで定規で測ったかのように厳しく時間を計測しているからだ。話の途中でも、彼の裁定は容赦が無い。
 ところが、時間の鬼のレイの監視が付いているはずなのに、いつもとは違う時間帯での訪問なのだ。これに首を傾げたくなるのは、兵士としてのネオの警戒感か。果たして、ドアが開いて足を踏み入れてきたのは全く別の女性だった。

 

「あんたは……」
「聞いて驚きました。生きていらっしゃったんですね……」

 

 ベルリンでの事を、ネオは忘れようも無い。訪れてきた女性は、丸腰の、しかも両手足を拘束されている捕虜の自分に対して、躊躇いも無く銃口を向けてきたような女なのだ。
 いや、確かにネオは彼女を怒らせるような事を口走ったのかもしれない。しかし、それが殺されるような事ではなかったはずだ。マリュー=ラミアス――彼女の死んだ男に対する執着心といったものは、尋常ではなかった。

 

「フッ、ベルリンのブリザードでは私は殺せんよ」
「死ぬ勇気が無いだけでございましょう?」

 

 ネオはその時のラミアスの執心振りを思い出して微かな身震いを覚えたが、努めて冷静に切り返した。しかし、彼女も少しはこちらの性格を分かってくれているらしく、随分な言葉で返された。小癪だとは思うが、今の立場的に見てもラミアスが優位に立つのは仕方ない。
 ネオは観念したように溜息をつき、手にしている文庫本を閉じて脇のテーブルの上に投げ置いた。

 

「そうかもしれんがな、死ぬわけには行かないというこちらの都合もある。ヘブンズ・ベースで尽きたつもりだったわけだが、未だこうして生きているのは何故だろうな?」
「生かして貰っていると思ってください。ここはザフトなんですよ?」
「知っているよ。けど――私がムウ=ラ=フラガかもしれないという可能性は、考えてもらいたいものだな」

 

 レイから放り投げられた一つの真実――いや、ネオにとっては実感の無い真実なわけだが、ラミアスはムウに拘っていた。恐らくは罵倒しにやって来たのだろうと考えれば、動揺を与える事で少しでも口の滑らかさを鈍らせる事も出来るだろう。
 ところが、ラミアスは表情一つ変えることなく目線を逸らさない。動揺の色など、微塵も表さなかった。それが意外で、ネオは訝しげに顎を引いた。

 

「見てくれが似ているだけで、あの人は死んだんです。あなたの様な人がムウなわけ――」
「もし、生きていたとしたら……どうする?」

 

 レイの証言には現実味があった。ただ、記録上は死亡扱いされている人間の存在が信じられないだけだ。後は、曖昧な記憶の謎が解けるだけでいい。ネオはラミアスにそのカギがあるのではないかと踏んでいた。

 

「考えた事もありません。私は、目の前で見ていたわけですから」
「そりゃあ、考える余裕も無かったでしょう。――しかし、可能性は示された」
「私は知りません」

 

 ラミアスの表情が曇った。やはり、彼女は感情を隠すのが苦手らしい。ちょっとこちらが自信を覗かせれば、途端に自身の態度を不安がって視線を逸らしたがる。そういう脆さがあるから、彼女はムウを忘れられないのだろう。
口では嫌悪するような素振りを見せておきながら、こうして何度も接触を求めてくる彼女の態度がそれを証明している。
 しかし、ネオとて脆さを持っている。自分の存在のあやふやさに、時々気落ちするような事もあるのだ。

 

「あなたのその依存癖を、私は笑うことは出来ないが――なぁ、頼みたいんだ」
「何でしょう」
「ネオ=ロアノークのセクハラは、今に始まったものではない」
「その通りですが、自分で言わないで下さい」
「そうさ。開き直りで威張れるような男なんだぜ、俺は。だから――あんたの子宮で俺を抱いてくれないか?」
「なっ――!?」

 

 ネオの依頼に顔を真っ赤にして驚愕するラミアス。ネオとしてはそれほど唐突な事を口にしたつもりは無いのだが、彼女のほうは唐突だったらしい。
 ネオ本人としては、至極真っ当な意見を述べたつもりだ。ラミアスと交わる事で記憶を取り戻せるのではないかと真剣に考えていた。こういう風に考えるネオは、精神的に切羽詰っている証拠だった。
 しかし、ラミアスはネオの精神状態など関知していない。最初こそ羞恥に頬を染めていたが、次第にあまりにものネオのいい加減さに怒りがこみ上げてきた。

 

「け、怪我人が口にする事ではないでしょう!」
「私は本気だ。あんたの身体を味わえば、俺の曖昧な部分が見つかるかもしれないっていう期待感をだな――」
「馬鹿にして――どこまでふざければ気が済むんですかッ!」
「女だって、欲求を満たそうと考えるだろう? あんただって、俺を求めたくてここに来たんじゃないのか」
「よくも――ッ!」

 

 スパァンという爽快な音が、部屋の中に木霊した。腰を入れ、スナップの利いた手を振り抜いたのはラミアス。一方、顔を横に向けて頬を腫らしているのはネオ。一瞬だけ、2人の時が止まった。

 

「死ねばよかったのよ! あなたなんか!」

 

 激昂する声は、それまで聞いたことも無いようなものだった。まるで野獣のような咆哮を上げると、ラミアスは踵を返し、脇目も振らずに部屋を出て行った。
 残されたのはそのままの姿勢で固まっているネオ。少しして顔を戻し、シーツの上で指を重ねている自分の手に視線を落とした。
 自らの醜態に思わず笑いがこみ上げてくる。俯けた瞳から、情けなさで自然と涙が零れた。ぽたぽたと落ちる雫は、シーツに染み込んで色を変える。

 

「何をやってんだろうな、私は……」

 

 自嘲。自分が何者なのかを知りたくて、必死になっているみっともなさがネオを精神的に追い詰めていた。そんな情けない自分に対する、自嘲。
 結局、自分はどちらになりたいのだろうか。ネオとして生きる方が楽かもしれないが、記憶に疑問の余地が生まれてしまった今、真実を知りたいという人間的な探求欲が芽生えてきている事実もある。その板挟みに晒されて、ネオの迷走は続いていく。

 
 

 メサイアの宇宙港では、艦隊の発進を見送ろうと駆けつけたカガリとソガが展望室から見守っていた。窓の下では、着々と進んでいく出撃が、カガリの目にも映っている。殆どはザフトの艦で、いくつかの艦隊の中にはオーブ艦籍の戦艦も見受けられた。

 

「そういえば、アレックス=ディノも今回の作戦に参加するとか――」
「今はアスランだ」
「はっ、申し訳ありません」

 

 ソガの間違いを指摘するだけに留めたが、カガリとしてもアスランの事が気にならないわけではない。お互いに忙しい身だが、未だに彼とは口も利けてないのだ。長い間会えなかったせいで、寂しさともどかしさを感じざるを得ない。
 どうにかして、都合を合わせて会う時間を作れないものか――そんな事を画策していると、後ろのドアが開く音がした。

 

「どうです、ここからの眺めは?」

 

 ひらりとコートを靡かせて入ってきたのは、デュランダルだった。流石に宇宙暮らしが板についているようで、無重力での体のバランスの取り方は物慣れた様子だった。優雅に足を着けると、ご挨拶と言わんばかりにいつもの柔和な笑みを浮かべた。

 

「まさか、こちらの要請を受けてもらえるとは思っていませんでした。地球から戻ってきたザフトの編成が終わってない状況で、微妙に人手が足りなかったものですから――駄目もとで言ってみるものですね」

 

 窓に張り付いて出撃の様子を見ていたカガリに、デュランダルが言葉を投げかける。カガリは顔だけ振り向けてデュランダルを見た。
 畏まってそう言うが、カガリにも少しは彼の狙いが分かっている。大規模な哨戒任務は連合に対する警戒と牽制のためという事だが、本当の狙いは別にある。こうして同じ任務に就かせる事で、オーブ軍とザフトの親和性を高める事が真の目的なのだ。
来るべき決戦の時に備えて、あり合わせの残党のようなオーブ軍との連携を強化する為に、デュランダルはこの様な事を申し出てきたのだろう。
 デュランダルは、いつも口では本当の事を話さない。そういった彼の癖が、少しずつカガリにも理解できてきていた。

 

「哨戒任務でいらっしゃるのでしょう? 私達は居候をさせてもらっているようなものですから、この程度の申し入れであれば、断るのは失礼というもの」
「その内、本格的な軍事行動に組み込まれる事になるでしょうからな。居候も、不平を言われる前に信頼を得ようと苦労しております」

 

 深く踏み込まないカガリとは反対に、かなり核心を突いた物言いでソガが付け足す。それは、カガリも言いたかった事に他ならない事で、本来ならば窘めて然るべき場面でも、カガリは特に何も言わなかった。
 それでも、デュランダルは柔和な笑みを崩さない。彼自身、懐疑の眼で見られる事には慣れてしまっているからだ。少しも嫌な感情を滲み出さないということは、それだけ自分の事を分かっている証拠だった。

 

「どう思われても結構ですが、私達の最終目的がブルー・コスモスの打倒と地球圏の安定であるという事をお忘れなきよう――」

 

 普通なら、こういった台詞とともにここで姿を消すのが常道だが、デュランダルの心臓には毛でも生えているのか、カガリと一緒になって窓から出撃の様子を眺め始めた。2人の棘のある言にも、全く意に介していない様子だ。
 これだから、今一信用しきれない。カガリは諦め、視線を宇宙港へと戻した。

 

 カガリの視線の先の光景の中には、クサナギとミネルバで組む艦隊の姿もあった。
 クルーがそれぞれ艦に乗り込む前に、少しの時間だが、レクリエーションが催されていた。これも、ザフトとオーブ軍の連携の強化を狙った行事の一環だ。彼らのみならず、艦隊を組む全ての兵士達は、それぞれ親交を暖めている。
 そんなレクリエーションの一幕――シンにとって小さな再会が、そこでは待っていた。

 
 

「君に同行してもらえて助かるよ、カミーユ=ビダン君」
「Ζのテストも兼ねているわけですから、こういう機会を利用させてもらうんです」
「そう言ってもらえると、助かるな」

 

 クサナギの艦長を務めるは、トダカ一佐。それに同乗するカミーユと握手を交わし、歓談していた。

 

「君のMSなら、ムラサメの隊長機が務まるだろうな」
「まだ機体バランスがちょい甘ですけどね」
「すまないな――」

 

 言いかけて、カミーユの肩越しから覗く一人の少年の横顔。トダカは、その少年の顔に覚えがあった。ほんの一度顔を合わせたきりの――しかし、鮮明に記憶にこびりついて離れない深い絶望を背負った少年。

 

「あの黒髪の少年――失礼」

 

 トダカはカミーユに一言断わると、人ごみを掻き分けてその少年の下へ歩み寄っていった。

 

「君!」

 

 シンがレクリエーションの輪の中に溶け込めないでいるのは、オーブの人々に対する遠慮があったからだ。元オーブ国民のザフトという異色の経歴を持つシンは、どちらの顔をしていればいいのかが分からなかった。
そんな彼を見かねたように、トダカが見事な体捌きで人ごみの中から姿を現した。
 誰だ――デジャヴのような感覚に襲われながらも、その中年の顔が見知った顔である事に気付くのにシンは時間が掛かった。中年と顔を合わせたのは、一度きり。それも、失意の底に沈んでいた2年前のあの頃である。
記憶が定かではない頃に出会った、しかし今の自分の居場所を決定付けるきっかけを与えてくれた人でもある。フラッシュ・バックするように、シンの記憶の中に中年の顔が突如として思い出された。

 

「あんたは――」
「まさか、あの時の少年がザフトに入っていたとは――それも、エース部隊として名高いミネルバに乗っていたとは驚きだよ」

 

 トダカは、2年前のオーブ戦で家族を失ったシンに尽くしてくれた良心的なオーブ軍人だった。こうしてプラントに籍を置くことになったのも、全てはトダカのお陰といってもいい。シンにとっては、正に恩人と言える人物である。

 

「――君は、オーブを憎んでいるかね?」

 

 少し場所を移動し、人の輪を避けるように2人はタラップに腰掛けていた。
 トダカは、実直な人だ。そして、人を裏切るような人間性ではないことは分かっている。トダカの親切がなければ、シンはプラントにやってくるような事はなかっただろう。
 トダカは、シンにオーブでの出来事を忘れさせる為にプラントへの移住を促したのかもしれない。それは、殆ど正解だが、思惑としてオーブを嫌いになって欲しくなかったという願いも込められていたのかもしれない。
 だから、訊くのだ。2年という時間が経ち、少年にとってはトダカのような中年が感じるのとは違う長い時間をプラントで過ごし、兵士となってオーブと共存する事になった今、成長した事を期待してシンがどのような事を考えているのか。
 ひょっとしたら、激しい怒りをその内に秘め、オーブとの共存を冗談じゃないと思っているのかもしれない。しかし、トダカはそれでも仕方ないと思う。シンはそれだけ酷い目に、オーブで遭ってきたからだ。
 質問したトダカは、少し後悔しているようでもあった。オーブを愛するトダカであるからこそ、シンの口から紡がれようとしているであろう言葉を、聞くに堪えないのだ。もう少し言葉を選んだ方が良かっただろうか――と考えるが、もう遅い。
気配で、シンが声を出そうとしているのが分かった。しかし、身構えているトダカには驚きを与えるような素直な言葉が飛び出してくる事になる。

 

「今更そんな事を俺に訊くんですか? そんなわけ、ないじゃないですか」
「どうしてだい?」

 

 シンの顔をまともに見る事などできなかったのに、思いもがけない言葉に思わず顔をシンに向けた。シンの横顔には、懐かしみや悲しみといった感情が交差したような複雑な表情が浮かんでいる。ただ、そこに憎しみや憤慨といった負の感情は見られなかった。

 

「何かおかしいですか?」
「いや……しかし、君にとっては辛い思い出がある――」
「言わないで下さい。オーブは……父さんや母さん、それにマユと過ごした大切な故郷なんです。今はプラントに慣れちゃってるけど、オーブが生まれ故郷である事には変わりないじゃないですか。生まれ故郷が嫌いになるなんて、無いですよ」

 

 2年前のオーブ戦では、多大なる被害が生じた。勿論、悪いのは侵攻してきたブルー・コスモスの息の掛かった連合軍であることには変わりないのだが、その戦禍から民を守り通せなかった当時の軍人として、トダカは恥じる心をずっと抱き続けていた。
当然、シンのような元オーブ国民に責められるのは覚悟の上であり、オーブが憎まれるといった事態も想定の中に入っていた事だ。しかし、それはシンによっていい意味で裏切られる。
 シンは、この2年の間にしっかりと心の整理をする事ができたのだ。それは思春期の少年の成長の早さの如く――恐らく、齢を重ねてしまった今のトダカならば、容易に越えられなかった壁であろう。若さとは、こういうものなのだとトダカは思った。

 

 ふと、トダカの視界の中に展望室の窓からこちらを覗いているカガリの姿が目に入った。顔を上に向ければ、他にもソガやデュランダルといった面々が見える。嬉しい気持ちに拍車を掛ける様に、トダカはシンにお願いをした。

 

「シン=アスカ君。オーブは――君の故郷は今、かなり厳しい立場に陥ってしまっている」

 

 だから、手を貸してくれないか――そう言って終わらせれば、シンも何の躊躇も抱くことなく、トダカの言葉に首を縦に振っていただろう。しかし、トダカは知らなかった。

 

「カガリ様は、この苦境を何とか打開しようと奮戦しておられる。だから、せめて君のような身の上の人間がカガリ様に手を振って、少しでも元気付けてあげてはくれまいか」

 

 そう言って立ち上がり、上方の展望室から様子を覗っているカガリを指差した。
 迂闊だったのは、シンがオーブという国とアスハ家という一族を一緒くたにして考えていないことだ。ある意味、オーブは象徴としてアスハの名前を戴いている節がある。それは、トダカも例外ではなく、一時期セイラン家が実権を握っていた時分には反感を抱いていたりもした。
 だからこそ、安易にカガリの事を口にするトダカにとって予想外だったのが、急に豹変するシンの表情である。シンは、カガリの姿を見つけるや、激しい敵意のこもった視線をぶつけたのである。

 

 突然気配が変わった事に気付いてトダカがシンを見ると、彼は座ったまま歯を剥き出しにしてカガリを睨み付けていた。何事か推測する事ができないトダカは、何も言う事ができない。

 

「……偽善者がいくら頑張ったところで、オーブが元に戻るものかよ。奇麗事をいくら吐いたって、結局は2年前と同じ事をしてたんじゃ、アスハは何も変わってないって証拠じゃないか!」
「アスカ君……!?」

 

 戸惑うトダカを余所にシンは立ち上がると、キッとトダカを見据えた。

 

「あなたを責めるつもりはありませんけど、俺はアスハを認めませんよ。2代続けて同じ事やらかして――あなたには助けられましたけど、あいつには何もしてもらっちゃ居ないんですからね」
「しかし、先日のは不可抗力だったんだ。カガリ様は、恥を忍んで――」

 

 実際問題、今回招いた災禍は、ある意味では必然であったとも言える。詐欺紛いの同盟締結に始まり、地球上で唯一のプラント勢力ともなれば、連合軍の侵攻は不可避であったのが実情だったのだ。先日まで国として保てていた方が、奇跡と言えるものであった。
 しかし、シンにはそこまで考える余裕は無かった。実際はウナトやユウナ、そしてそれを束ねるカガリを中心として最悪の事態だけは避けようと良く努力した方だったが、アスハという家名に対して必要以上に憎しみを募らせているシンには関係ないことだった。

 

「悪いですけど、俺に取っちゃアスハは家族の仇と同じなんだ。銃を向けることはあっても、暢気に手を振るなんて事、出来ませんよ」
「そんな物騒な事を言って――笑えない話じゃないか」
「今が冗談を言う時だと思いますか」

 

 ある意味で、シンは割り切った考えを持っている。シンにとって、以前まではオーブと名のつく存在は全て憎悪の対象だった。トダカですら、例外ではなかったはずだ。
 しかし、オーブという国とアスハという一族を切り離して考える事で、曲りなりにもシンは気持ちに整理をつけることができたのである。歪んだ思想ではあるが、確かにオーブそのものを憎む事は止めた。代わりにその矛先をカガリ一人に向けて――

 

「アスカ君!」

 

 トダカが呼び止める声も無視して、シンは立ち上がってその場から去っていった。制服のポケットに両手を突っ込んで、しかしその背中は少し寂しそうでもあった。
 そんな2人のやり取りを遠目から見つめていたルナマリア。胸中は複雑で、そんな想いが表情に感情として発露していた。

 
 

「ロザミィはいいのか、カミーユ」

 

 不意に声を掛けられ、振り返った先にはカツが立っていた。彼は、ルナマリアと交代で非番だったはずだ。態々、見送りに来てくれたのだろうか――いや、そういう雰囲気ではない。

 

「あ、あぁ――」

 

 ここ最近、カツの纏う雰囲気に怒気が含まれていることに、カミーユは気付いていた。元々生意気な性格だったが、それは純粋さに裏打ちされた若さから来る焦燥感のようなものだったが、こと最近のカツに関しては何処か違う。
妙に言葉に棘が含まれているのだ。普段であれば、オンとオフくらいは使い分けられるくらいに素直な少年であるはず。ところが、何の変哲も無い普通の会話ですら、挑戦的な声色で語りかけてくる。

 

「エマさんやミネルバのメイリンって子と一緒に、プラントに行かせてあるんだ。Mk-Ⅱはエマさん用に調整が進んでいるし、彼女がついてきても、迷惑になるだけだろ?」
「冷たい言い方だな。カミーユは、ずっと一緒に居てやろうって思わないのか?」
「どういうことだ?」

 

 この調子だ。別段カツが気にすることでもないロザミアに関しても、突っかかってくるような物言いである。何がそんなに不満なのか――カツの小さな瞳にきっかけを見つけようにも、彼の目は小さすぎる。カツの場合、目は口ほどにものを言わないのである。

 

「それとも、ティターンズの強化人間だから、カミーユも持て余しているんじゃないかってさ」

 

 幾分か丸くなったつもりのカミーユでも、仏になったわけではない。カツの言い過ぎた物言いに、目の端が釣り上がる自分を実感した。
 カミーユは周囲を目で警戒し、不遜に腕を組んでいるカツの背を押して雑踏の中から抜け出した。

 

「何をそんなに怒っているんだ? お前、最近おかしいぞ」

 

 少しも悪びれる様子も無く、カツは変わらずにそっぽを向いたままである。カミーユの怒りなど、全く関知していないと言わんばかりだ。
 強情を張るカツは、それ自体が迷惑である。何度彼の無責任な暴走に付き合わされ――カミーユも人の事は言えた義理ではないのだが――苦労を被ってきたことか。一応エゥーゴの先輩として、カツの不遜は修正しておく必要がある。

 

「こういう非常事態じゃない時だからまだ許されるけど、その内そんな余裕は無くなるんだ。今のうちに自重することを覚えてくれよ」
「大して年齢の違わないカミーユが、僕の事を子供みたいに扱うからだろ」
「はぁ?」

 

 勘の鋭いカミーユでも、流石にカツの言うことは分からない。何時、カツを子供扱いしたのだろうか。そもそも、C.E.世界に迷い込んでからは、カツと行動を共にする時間なんて殆ど無かったのである。地中海では合流していたが、そもそも乗っている艦が違った。
カミーユに思い当たる節は無い。

 

「何を言っているんだ、カツ?」
「僕にはもう分かってるんだ。しらばっくれちゃってさ――」
「お、おい!?」

 

 その場を立ち去ろうとするカツの袖を掴む。しかし、強引にそれを振り払われると、カツは見向きもしないで遠くに流れていった。

 

「一体、どういうつもりなんだ、カツ……」

 

 カツの態度の変化に、カミーユは見覚えがある。しかし、それはありえない事なのだ。カツが、知っているはずが無い。だとすれば、何がカツをあのように強情に変えてしまったのか――首を捻っても、答が見つかるはずも無かった。

 
 

 いよいよ出撃が始まり、クサナギとミネルバも何の問題も無く進発を終えた。目的は、連合軍の動きを牽制する事。オーブ軍とザフトの連携を見せて、少しでも連合軍に警戒感を持たせて動きを鈍らせようというのが根底にあった。

 

 シンは、ミネルバに乗艦してから初めてルナマリアが乗艦している事に気付いた。彼女も今日は非番であったはずだ。コア・スプレンダーのコックピットで調整を行っていたルナマリアを無理矢理に連れ出した。
 シンがルナマリアの手を取り、抵抗する彼女を引っ張って流れていく様子を、目敏いヴィーノは仕事の片手間に発見した。彼は結局エマを誘うことができなかったのである。

 

「何やってんだ、あいつら?」
「じゃれ合ってんだよ」
「迷惑だぜ。レイが居ないからって、俺達は居るんだぞ」
「いいじゃねぇか。男のやっかみは恥ずかしいだけだぞぉ」

 

 ヨウランにそう言われ、ヴィーノは鼻で息を鳴らす。

 

「いいよな、あいつは。女って、いい匂いするんだろうなぁ……」
「何をイカ臭い事言ってんだ。これの匂いでも嗅いでろよ」

 

 不意にヨウランから投げ渡されたのは、何処の部品かも分からないほどに劣化した駆動系のパーツである。磨耗した金属がオイルに塗れてヘドロのように付着しており、色は黒茶色に汚れていた。嵌めていたゴム手袋を通してでも、ぐちゃっとした不快な感触が伝わってくる。

 

「何でこんなもんがあるんだよ!?」
「片付け忘れてたんだ。オイルと鉄のケミカリッシュな臭いは、俺達メカマンの大好物だろ?」
「バカ言うな。誰がこんな熟れ過ぎた鉄屑――なら、お前の部屋の芳香剤にでもしとけよ」
「俺はプライベートまで仕事の事を考えたくないんだよ」

 

 お決まりの台詞が飛び出してくると、それ以上は言葉を交わさなかった。
 ヴィーノは思う。ヨウランのこの落ち着きようは、解せない。彼に色気のある噂話はトンと聞かない。だから、悟りの境地に達しているのではないかと思いたくもなる。
 少しはヨウランの余裕を見習った方がいいのだろうか。しかし、それでは手遅れになりそうで怖い。捨てるなら、できるだけ早い方がいいのだ。惨めな将来は、考えたくない。

 

「俺は嫌だからな」
「ん?」

 

 ポツリと呟くヴィーノ。当然、ヨウランにその意図は分かるはずもなく――

 
 

 シンはルナマリアを引っ張って格納庫の隅にやって来た。ちょうどコンテナが積み重なっていて、皆が作業している場所からはほぼ死角になっている。ルナマリアを壁際に追い込んで、シンが通せんぼをするように立ち塞がっていた。

 

「メイリンとコロニーでショッピングじゃなかったのかよ」
「あの子なら、エマさん達と一緒よ。あたしはカツと交替で勤務」
「何で――」
「あたしが居ちゃいけないわけ?」

 

 そう言って、口を尖らせるルナマリア。本来のシフトならルナマリアは非番であり、予てから都合の良い日を選んで妹のメイリンと一緒に久しぶりのプラントでのショッピングを計画していたことは、シンの耳にも入っていた。
その計画は、地球から帰還の途に就いていた時――つまり、その時にはまだ“都合のいい日”にこのような作戦が組み込まれることなど知る由も無かったのである。
 ルナマリアにとっても、メイリンと一緒に久しぶりに普通の女の子に戻れる貴重な休日であったはずだ。だからこそ、シンにはその機会を返上して任務に就こうとするルナマリアの感性が、理解できない。

 

「折角メイリンと遊ぶ予定だったんだろ? それを潰してまでこんな作戦に無理矢理参加しなくたって――」
「あんたが心配だからに決まってるでしょ」
「え……っ」

 

 意表を突く一言に、シンの口も止まった。珍しく潮らしく顔を俯けたルナマリアに、普段は意識しない心臓の鼓動が聞こえてくる。

 

「シン、最近何だか苛立っているわ。そういうの、あたしとしては放っておけないじゃない」
「だからって、ルナが俺のために都合を合わせなくたってさ」

 

 優しげな声色に、シンはどぎまぎして顔を赤らめた。痒くも無いのに、何故か鼻の頭を掻く。斜め上に向けていた視線を一瞬だけルナマリアに向けると、彼女もこちらを見ていた。

 

「バカ。分かってるくせに――それとも、あたしから言わせるつもり?」

 

 いよいよ持ってシンの顔が赤くなる。流石に赤服と同じとまではいかないが、まるで顔面に赤いマスクを被っているかのようにシンの顔は紅潮を続けた。
 少し俯いているルナマリアの視線は上目遣いで、大概の男が弱い女性の仕草でもある。シンもその例に洩れず、初めて見たかもしれないルナマリアの表情に、心臓の鼓動は加速するばかりだ。
心臓が喉を通って口から出てくるんじゃないか――そんな錯覚を抱くほどに、喉に何かが詰まっている感覚がして声が出てこない。格納庫の隅で、しかも物陰に隠れているという状況も拍車を掛けているのかもしれない。

 

「ねぇ、キスしよっか。そうすれば、お互いに言葉にしなくても気持ちを確かめ合うことができると思わない?」
「な、何言って――ここでか!?」

 

 ルナマリアの止めの一言に、遂に心臓が飛び出してしまったのではないかと思えるほどに動揺して、裏返った声が出た。
 少し物陰から移動すれば、そこでは整備士達が働いている。そんな状況でキスをすると思うと、異常な背徳感がシンの興奮を盛り立てていた。

 

「早く目を閉じてよ。誰かに見つかっちゃうでしょ」
「あ…あぁ……」

 

 コンテナが、ちょうど電灯の光の影になっていて、明暗がハッキリと分かれている。その薄暗い場所で禁断的な事をしようとしている。シンの緊張がピークに達しようとしていることは、想像に難くない。下半身がむずむずしているのは内緒だ。
 ただ、ちょっと情けないと思うのは、何故か受身に回ってしまっているということ。本来なら男である自分がルナマリアをリードして――と行きたいわけだが、流れ的にこうなってしまったのはまだまだ進歩が足らんということだろうか。
男がキスを受身で待つというのは、どうにも格好がつかない。
 そんな事を考えて妙に長い間を待っていると、フゥッと首筋に息を吹きかけられた。それが生暖かくて、微かに香るミントの匂いが余計に興奮を促進させた。今や、シンのメーターはレッド・ゾーンを振り切ろうとしている。

 

 いよいよか――緊張と興奮で待ちわびるシン。焦らすのは、主導権を握りたいと考えそうな強気のルナマリアらしい。ところが、期待を込めて待っていたシンに突きつけられたのは、人差し指だった。

 

「へへ~、豚鼻~!」

 

 ぐいっと鼻が持ち上げられる感触に気付き、シンは閉じていた目を開いた。そこには、人差し指でシンの鼻の先を突き上げているルナマリアの悪戯顔があった。シンが呆気に取られて間抜け面していると、ルナマリアは歯を見せて笑い始めた。

 

「あははっ! 本気でキスするなんて思った? 冗談、こんな所でするわけ無いでしょ」
「思うだろ、普通……!」

 

 全くの期待外れに、湧き上がってくる怒り。未だ子供の域を抜け出せないシンの心情にとって、ルナマリアの悪戯は少し過ぎた。
 このままでは済まさない――高揚した気持ちの捌け口を求めるように、シンはいきり立ってルナマリアに襲い掛かろうとした。しかし、そんなシンの行動をも予測していたように、ルナマリアはひらりと床を蹴って回避した。
襲い掛かったシンはそのまま壁に激突してしまう。振り向いたシンの額には、赤い打撲の痕が残っているはずだったが、それも怒りの紅潮のせいで目立たない。

 

「待てよ、ルナっ!」
「あんたはそうやって単純してればいいのよ。深刻なんて、全ッ然似合わないんだから」

 

 ルナマリアは、悪戯にシンを弄んだわけではない。カガリの放送を観ていたときや、先程のトダカとのやり取りも見ていた彼女は、シンの気分転換をしただけ。シンに好意を寄せていることには変わりないのだ。
それでも、シンは単にルナマリアの悪趣味に付き合わされただけという認識しか持てていなかったが――それも、ルナマリアの求めるシンの単純さでもある。ルナマリアにとって、シンがどう感じようと関係ないのだった。
 ルナマリアは笑いながら側壁を蹴ると、そのまま無重力に任せて人気のある方へと流れていった。シンは、歯噛みして悔しくその姿を目で追うしかない。地団駄を踏みたい気分だが、無重力でその様な高等テクニックは難しい。我慢して、一言呟いた。

 

「ルナの奴……いつかブタマリアにして喰ってやる」

 

 勿論、性的な意味で。

 
 

 メサイアから次々と発進していく艦隊。幾つものバーニアの尾がシュプールとなって宇宙になだらかな軌跡を描き、それぞれが任務へと旅立っていく。

 

「随分とご立腹だったじゃないか」

 

 むくれているカツを嘲笑うように、レイが無重力の中を浮かんでいた。カツがカミーユに詰め寄っている様子を見ていたレイは、勿論冗談のつもりで言っているが、カツ本人は面白くない。

 

「そういうレイこそ、暇なんだな」
「俺は非番だったし、用事も済ませた。ここに居ちゃ、おかしいか?」
「プラントに戻ったんだから待たせている女の子の1人や2人――レイの顔だったら居なくちゃおかしい」
「興味が無いな」

 

 そう言って、先を行こうとするカツを追うようにレイは突起物を手で押し、後に続いた。

 

「それじゃあ、レイはこっちの気があるのか?」
「何だ、それは?」

 

 カツがレイに対してやって見せたのは、右手の甲を左頬に添えるといった、所謂同性愛者を示すジェスチャーであった。しかし、レイは俗世間的な知識は乏しく、カツの仕草にも疑問符を浮かべるだけだった。

 

「男好きじゃないかってさ」

 

 要領を得ないレイの鈍さにカツが業を煮やし、言葉に出す。本当は知っていてワザととぼけているのではないかと思っているカツは、疑いの眼だ。レイは、納得したように一つ頷く。

 

「そういうことか――安心しろ。本当に興味が無いだけだ」
「へぇ、どこまで信じていいんだか」

 

 苛立ちが治まらないカツは、レイに対しても辛辣に言葉を浴びせる。レイはそんなカツの苛立ちは大して気にしていないが、それでも理由は気になる。

 

「そういうカツは、異性関係で苛立っているように見えるがな」
「そういうことだよ」
「そ、そうか」

 

 レイはカマをかけてみた。どうせ訊いても本当の事をしゃべりはしないだろうと思っていただけに、あっさりと認めたカツに、驚かされた。まさか、認めるとは思わなかったのだ。適当に言葉を濁して終わりだと思っていただけに、ハッキリと即答するカツが意外だった。

 

「それでレイは、どうしてここに来てたんだ?」
「ん……」

 

 思わぬカツの即答に言葉を詰まらせていると、カツから反対に質問が飛んできた。

 

「レクリエーションに加わってたわけでもないしさ。僕の事が見えていたなら、どこかで様子を覗ってたって事だろう?」

 

 時々、カツの勘が鋭いことはレイも気付いていた。最近ではジブラルタル基地での戦いがそうだろう。ミネルバがデストロイの存在を察知する前に、カツはその存在を感知していた。そのカツが、今はレイの蟠りを見据えているようで気色悪さを感じる。

 

「もしかして、まだキラさんの事を――」

 

 レクリエーションの輪の中には、プラントで休日を送る自分を申し訳無さそうにするキラの姿もあった。カツは、レイの目的が彼なのではないかと思っていた。そして、それは正解だった。

 

「それ以上は言うな」

 

 カツの口をぴしゃりとシャット・アウトするように、レイは少し語気を強めた。
 カツは、知っていた。レイが、キラを見る目に深い敵意を込めていた事に。
 結構前の話だが、あれは偶然にも宇宙から降下してきたアークエンジェルと初めて合流した時だ。交流会が開かれていた場で、レイだけが浮いていたように思う。そして、キラを見るレイの表情が、見る見るうちに憎悪に染まっていく瞬間を、カツは見ていたのだ。
 レイがキラを嫌っているという事実は、本人達以外ではデュランダルとカツくらいしか知らないだろう。レイは、出来るだけ周りに迷惑を掛けないように自分を押し殺してきた経緯があった。
 レイが立ち止まる。カツは振り向いて様子を覗ったが、長髪で隠れた表情からは感情を知る事はできない。ただ、不機嫌なオーラを纏っている事だけは分かっていたので、カツはそのまま先に進んでいった。

 
 

 レイがメサイアの宇宙港までやってきたのは、自分の気持ちを確認する為だった。キラの姿を見る事で、自分の感情がどのような反応を示すのかを確かめたかった。
 その様な行動に移ったのには、それなりの理由がある。これから一緒に戦わなければならなくなるという環境の変化と、一重に大きかったのはデュランダルと交わした会話だった。

 

《彼は、生まれた時から大きなハンデを抱えてしまっている。それは、完璧なコーディネイターとして生まれてきてしまった事だ》

 

 どうしてそれがハンデになるのか――納得できないレイは、当然の如くデュランダルに問い掛けた。ナチュラルや普通のコーディネイターから見ても羨望に値する、ましてや不完全体として悪戯に生み出されたレイにしてみれば憎しみを抱くほどに恵まれているキラ。

 

《だからこそだよ。羨望というものは、憎しみを生み出しやすい。過去にはジョージ=グレンのような先例もあるし、同じ結果にならないとは、誰も言えないだろう? だから、自らの身を守るためには息を殺してひっそりと生きていくしかない》

 

 しかし、逆に同じ結果になるとは誰も言えない。結局、先のことなど誰にも分からないのだ。それに、先例が存在していれば、歴史を学んだ人間は過ちを繰り返さないで済む。ひっそりとした隠棲生活――刺激も何もあったものではないが、レイにとっては十分に贅沢な暮らし。
それに対して嫉妬を抱かないわけが無いのだ。

 

《或いは、ラウはその尖兵だったのかもしれないね》

 

 クルーゼがキラを憎む気持ちは、彼と全く同じ存在のレイには良く分かる。レイとて、デュランダルの存在が無ければキラを殺そうと考えていただろう。レイの心の中の良心としてデュランダルが居てくれるからこそ、レイは行動を起こさないで居た。
デュランダルは、レイのストッパーの役割も果たしていた。

 

《ならば、お前も彼を殺すかい?》

 

 言葉に詰まった。それは、何度も考えてきた事だが、いざ口に出されると萎縮してしまうのは、レイがまだ精神的に幼い証拠。違う言い方をすれば、レイの心はまだ純粋な部分が残っていて、それはデュランダルの献身のお陰とも言える。
 クルーゼが不幸だったのは、デュランダルという友人と出会う前にその心を憎悪で汚してしまっていたことだ。自分を見つけてくれた時のような優しさを持ち続けてくれていれば、或いは今でもその優しげな笑みを向けていてくれたかもしれない。
 押し黙るレイに対し、デュランダルは柔和に笑みを湛えていた。

 

《――コーディネイターとしての能力がいくら優れていても、心まではコーディネイトする事はできなかったんだよ。争いを嫌う彼が戦争をしなければならないというのは、何とも皮肉なものだ》

 

 実は、そういったキラの環境を整えたのは、他でもないデュランダル本人だった。レイは、その事を知っているが、キラの参戦は結果論に過ぎない事を分かっているが故に、何も言わなかった。

 

《結局、キラ=ヤマトという人間は戦争の中に身を置くことでしか身の証を立てられなかったんだ。それは、全能を宿命付けられた人間の悲劇でもある。彼は万物の才能を持ちえながら、醜い戦争でしかその才能を発揮させてもらえないんだ。
なぜなら戦争は、敵を倒した分だけ自分を認めてくれる場だからね。彼自身、諍い無くアイデンティティを得る為には、自ら戦いの中に飛び込んで勝利を得るしかなかったんだ》

 

 それは、シンの様にですか――レイは、デュランダルが以前に口にしていたデスティニー・プランという単語を思い出していた。遺伝情報によって個人の適正を判断し、それによって社会を運営していくという究極的な管理体制の構築。
シンがインパルスを与えられた背景には、その被検体としての意味も含まれているのではないかと、レイは気付いていた。そして、それはあながち間違いではなかった。
 しかし、デュランダルはレイの問いに首を横に振った。

 

《デスティニー・プランの事を言っているのなら、それは違う。確かにシン=アスカは、MSパイロットの適正は高かった。私もその成長に期待し、インパルスを率先して与えたのはレイの考えているとおりだ。だが、彼はそれを知らないし、知る必要も無い》

 

 何故――僅かな動揺を見せた。シンはレイの僚友でもある。いくらデュランダルがかけがえの無い人でも、シンが利用されるだけの駒として扱われているならば、少なからずのショックを受ける。血も涙も無いデュランダルであるとは、考えたくない。

 

《デスティニー・プランは夢物語だ。いくら適正を測れようとも、それを人間に強要する術は存在しない。デスティニー・プランはただ適正を測るだけ、それ以上の力は持ち得ないんだ》

 

 自らの思想を自虐的に語るあたり、デスティニー・プランの実現にはほぼ見切りをつけてしまっていると見える。昔の青い思考を自嘲するデュランダルの瞳には、憂いが込められていた。そして、それをレイに向けてくる。

 

《――シン=アスカは、己がすべき事を理解した上でMSに乗っているよ。自分の為にな。だからレイ……お前は、誰かを憎んで生きる必要は無い。お前はお前自身の為に生きれば、それでいい。私はお前の親として、そうなってくれる事を切に願っているよ》

 

 ポンと頭に置かれた掌。撫でるような感触から、デュランダルの慈しみが伝わってくる。あぁ、この人が身元引受人になってくれて良かった――キラの事は抜きにして、レイは確かな安らぎを感じていた。

 

 ――ふと気付けば、レイは展望室の窓から宇宙港を見下ろしていた。先程までは多くの艦船がひしめき合い、その中でレクリエーションを行っているキラを見ていた。その時の事を、思い出す。

 

「ギル……それでも僕は――」

 

 頭の中が沸々とする。普段は滅多に感じることのないストレスが、キラを目にする事で感じられた。それは、生半可な決意ではキラに対する憎しみを消せないという事。
 デュランダルの願いと自分の蟠り――譲れない2つの葛藤に挟まれ、レイは弱々しく窓を拳で叩いた。

 
 

 ミネルバの艦内に鳴り響く警報――コンディション・イエローをすっ飛ばしたコンディション・レッドの発令は、連合軍の艦隊に遭遇した事によるスクランブルだった。当然、ブリーフィング・ルームで待機していたシンにとって見れば、寝耳に水である。

 

「索敵は何してたんだよ!」
「文句言わないの。ほら、行くわよ!」

 

 艦内通路を急ぎながら、シンは愚痴を零す。そんな彼を窘める様にルナマリアが背中を押している。そこに、アスランの姿は無かった。
 ロッカー・ルームで即座にパイロット・スーツに着替え、MSデッキまでやって来るのにおおよそで5分程度。それほど遅くは無いはずだ。既にMSの発進準備も整っていて、整備班との連携も上手く行っている。
 シンとルナマリアは拳を突き合わせると、それぞれに自機へと床を蹴っていった。

 

『出撃準備、遅いぞ!』

 

 そんな怒鳴り声が響いたのは、デスティニーのコックピットの縁に取り付いた時だった。声の主は、ブリーフィング・ルームでの待機中にも姿を見せなかったアスランのもの。それは叱責というよりも、ほとんど八つ当たりに近いような印象を受けた。
 確かに自分たちよりも早くジャスティスに乗り込んだアスランの危機感といったものは、高い。ただ、それでもできるだけ早く出撃準備を終えようとしたメカマン達の努力を考えれば、少し可哀想である。
 シンが怪訝に眉を顰めてコックピットの中に入り込むと、インフィニット・ジャスティスの担当を終えたヨウランが流れてきた。

 

「どうしたんだ、隊長?」
「あの人、パイスーのままずっとここに居たんだぜ。コンディション・レッドが発令されると、直ぐに出せってさ――ブリーフ・ルームで待機じゃなかったのかよ」
「責任感が人一倍強いのが、アスラン=ザラっていう人間の特性だものな。とはいえ――」
「おう」

 

 シンが顎でヨウランに促すと、手でコックピットの縁を押してヨウランが離れていった。それを確認すると、シンはハッチを閉めて起動に取り掛かる。リズム良くスイッチを順に入れていくと、一斉に眠っていた機器が光を灯し始めた。

 

『ジャスティス、出るぞ』

 

 全ての起動が終わり、シンがデスティニーをカタパルト・デッキへと移動し始めた頃には、すでにインフィニット・ジャスティスは出撃を行っている状態だった。アスランの出撃の号令が、シンの耳にも届いてくる。
 シンも遅れないようにすぐさまカタパルト・デッキに移動し、ブリッジの管制官と通信を繋げた。

 

「隊長、こんなに急いで敵が何処にいるのか分かってんのかよ?」
『敵は12時方向、真っ直ぐに15000ほど進んだところの暗礁宙域だ。戦艦の数は4隻、向かって右から左へゆっくりと横断中』

 

 カタパルトに接続すると、右上の小モニターに管制官の顔が映し出された。少し電波状況が乱れているのが気になって、シンは背を伸ばして細かく調整する。

 

『ミネルバとクサナギは、石っころが邪魔で援護射撃はできない。MS部隊で接触してくれ』
「了解――デスティニー、行きます!」

 

 ぐいっと一気に押し込んだスロットル・レバーと連動するようにカタパルトがデスティニーを運び、一瞬にしてミネルバの艦外へと押し出されると、その鮮やかな紅い光の翼を広げた。
 続けて飛び出してくるコア・スプレンダーは、連続で射出されるチェスト・パーツとレッグ・パーツとそれぞれ合体し、最後にフォース・シルエットと合体した。
 クサナギからも、Ζガンダムとムラサメが飛び出してくる。トリコロールのウェイブライダーと、3機の戦闘機の編隊は、中々勇壮だ。

 

「隊長は――」

 

 珍しくレーダーが機能している。遭遇戦のためか、ミノフスキー粒子の影響はまだ微塵も表れていない。
 シンは目視でインフィニット・ジャスティスを探すが、虚空の先にはその姿を見つける事ができなかった。レーダーによれば、インフィニット・ジャスティスの反応は既に暗礁宙域に突入寸前と出ている。

 

『各機、聞こえているか。こちら、アスラン=ザラだ』

 

 これ程良好な通信状態は、久しぶりだろう。ワイヤーなどの触媒無しで開かれた通信回線に、シンは妙に懐かしい印象を受けた。

 

『ジャスティスはこのまま敵艦隊の側面から仕掛けて囮になる。デスティニー、インパルスの両機は敵艦隊の正面へ回りこんで艦隊の足を止めろ。Ζ以下のクサナギ部隊は後方から挟み撃ちだ』

 

 放り投げるように伝えられた命令に、シンは眉を顰めた。隊長自らが囮になるだなんて、聞いた事が無い。それも単独で突出してである。囮なら、デスティニーの方が向いているのではないかとシンは思った。

 

「隊長は、張り切ってんな」
『ジブラルタルを地球軍に追い出されたのが癪だったんでしょ。あの人も男よ』
「そんな拘り、持つかよ。隊長は軍人だぜ?」

 

 自尊心を持つ俗な人間像を抱いているルナマリアと、職人気質で堅気な人間像を抱くシン。アスランに対して憧れを抱いているシンは少し美化した見解となっているが、俗っぽく判断したルナマリアの見解の方が近いのかもしれない。

 

 ただ、どう思われていようが今のアスランにはどうでもいいことだった。彼は、唯ひたすら嫌な記憶を忘れたいが為に動いているだけ。単独で突出したのは、MSの動きに苛立ちが出てしまうのではないかという懸念があったからだ。
そういう外面を気にするだけは、アスランはまだ冷静でいるつもりだった。少なくとも、個人的な感傷で隊に迷惑を掛けたくないという判断はできている。
 尤も、彼が一番気に掛けているのは、自分の不安定さが露見することで誰かにそれを指摘されることだった。ミネルバMS隊の隊長としてこれまで指揮してきた自尊心が、自らの脆弱さを隠そうとする自衛行為に走らせた。
だから、タリアに心の内を見透かされそうになった時、心中は穏やかではなかった。暫くは、カガリの事は考えたくなくなった。

 

 しかし、考えてしまう。あのユウナとの行為のインパクトが強烈過ぎて、つい記憶のヴィジョンに浮かび上がってきてしまうのだ。振り落としたい記憶なのに、どうしてもこびり付いて離れない。できるものなら、この記憶は消したい。
 こんな終わり方なのか、カガリと自分は――何もかもがハッキリしない状況ではあるが、あの場面だけで彼女に対する信頼は大きく揺らいだ。いくら何でも、あんな仕打ちは無い。
 ふと、ディアッカと飲んだ時の事を思い出した。彼とミリアリア――彼らと同じ轍を、自分も踏んでいるのだろうか。理由はやはり、ハッキリと口にしなかった自分の優柔不断のせいか。

 

「ミノフスキー粒子が濃くなった――敵のミノフスキー・テリトリーに入ったと見える」

 

 思考を止めるように呟くアスラン。岩の間をすり抜けて機動するインフィニット・ジャスティス。滑らかに連合艦隊に接近を続けていると、急にレーダーが激しく乱れ始めた。どうやら、敵もこちらの存在に気付くのが遅れていたらしい。
インフィニット・ジャスティスが接近した事でその存在に気付き、慌ててミノフスキー粒子を散布し始めたようだ。しかし、もう遅い――敵艦隊の位置は、既に捕捉済みなのだ。
 アスランがヘルメットのバイザーを下ろすと、岩陰から複数のバーニア・スラスターの光が近付いてきているのが見えた。迎撃の部隊が、遅まきながら出てきたようだ。

 

「ようやくお出ましか」

 

 厳しく目を細めるアスラン。接近してきたのは、何の変哲も無いウインダムが5機。見慣れた相手だけに、インフィニット・ジャスティスに乗るアスランの敵ではない。
 フィールドは岩の多い暗礁宙域。こういう複雑に入り組んだ狭い場所では、いかに小回りを利かすかが勝負の分かれ目になる。そして、インフィニット・ジャスティスは白兵戦に優れたMSである。
 ウインダムが岩陰を利用してビームライフルによる砲撃をかましてくる。しかし、無闇な砲撃は無駄に岩を砕くだけ。インフィニット・ジャスティスは瞬間移動をするように岩の間を機動し、隠れ蓑にする事でウインダムへと肉薄していく。

 

「な、何ッ!?」

 

 ウインダムのパイロットが気付いた時には既に遅し。ワープしてきたと錯覚させるほどに素早く回り込んできたインフィニット・ジャスティスはデュアル・アイを瞬かせ、スラリと伸びるビームの刃を向けてくる。次の瞬間、ウインダムは胴体を薙ぎ切られ、爆散していた。
 暗礁宙域の中に、白球が燃え盛る。それが合図となったように、次々と連鎖的に同じ様な白球が巻き起こった。そして白球による光が収まった時、そこで佇んでいたのは紅のMS――インフィニット・ジャスティスだった。

 

「……くっ!」

 

 コックピットの中で、アスランはコントロール・レバーを固く握り締め、歯軋りをした。
 こうして戦えば、少しは苛立ちも治まるだろうと期待していた。ところが、苛立ちは治まるどころか余計に彼を苛ませる。こうして自分が任務へと出ている間にも、カガリはユウナと何か起こしているのではないかという疑いが沸き起こってくるからだ。

 

「これでは、逆効果じゃないか……ッ!」

 

 自ら志願した事とはいえ、哨戒任務に参加した自分の浅はかさを今になって思い知る。むしゃくしゃしていたからとはいえ、何と軽はずみな行動を取ってしまったのだろう。この失敗を取り戻すには、どうすればいいのか。
 思いついたのは、更なる刺激だった。敵と戦う事で、鬱憤を晴らす。それしかない。

 

「作戦通りに動かなければ……」

 

 アスランは目で周囲を索敵しながら、インフィニット・ジャスティスを機動させた。大物を仕留めれば、少しはこの苛立ちも治まるだろうか。望み薄な期待を一笑に付すように、アスランは鼻で息を鳴らした。

 
 

 岩の合間を縫うように進む3機の戦闘機の編隊。ウェイブライダーのΖガンダムを先頭に、後方から2機のムラサメが続く。カミーユ達はインフィニット・ジャスティスの進むルートを大きく迂回するように移動していた。
 1機のムラサメが、翼端を接触させて回線を繋げてくる。敵艦隊に接近した事により、ミノフスキー粒子の影響を受けている為だ。

 

『カミーユ、戦闘の光だ。どうやら、我々が一番最後のようだな』
「急ぎましょう馬場一尉。何か嫌な予感がするんです」
『嫌な予感――?』

 

 連合軍の艦隊に接近するに連れ、カミーユは妙な胸騒ぎが起こっていた。まるで、あの夢の中のコロニー落しのような嫌な予感が、止まらないのである。
 連合艦隊の姿が、ようやく視認できる範囲にまで接近してきた。光の明滅具合を確認する限り、どうやらかなり戦闘は激化しつつあるようで、それは既にアスランは当然としてシンやルナマリアも取り付いていると見てほぼ間違いないだろう。
ただ、加速を掛けても中々追いつくことができない。どうやら、艦隊の足止めはあまり上手く行っていない様だ。

 

 足止めが上手く行かない理由に、その艦隊に積載されていたユークリッドがあった。陽電子リフレクターを装備する防御に特化したMAの存在が、ザフトのエースであるミネルバ隊の猛攻を凌いでいたのである。
 単独で側面から仕掛けたインフィニット・ジャスティスは、ウインダムの群れに引っ掛かって戦艦に取り付けていない。正面から躍り掛かったデスティニーとインパルスも、ユークリッドの陽電子リフレクターに阻まれて艦隊のスピードを殺せないでいた。
 正面から仕掛けただけに、艦の砲撃とユークリッドの連携は、悔しいほどに噛み合わさっている。シンとルナマリアは回避運動を行いつつ、シールドも駆使してビームライフルで応戦しているが、碌に照準も合わせてもらえない上にユークリッドの鉄壁が立ちはだかっている。

 

「こいつら、そんなに大事なものを積んでるって言うのかよ?」

 

 シンの頭でもハッキリと分かる。これだけ防御を固める編成をしているという事は、つまりそれだけ大切な物資を輸送しているという事になる。つまり、この艦隊は輸送艦隊だったのだ。だから、ミネルバとクサナギの接近に対する反応も鈍かった。
 輸送艦隊ゆえに、抵抗もそれほど厳しくは無い。なのに足を止められていない現状にシンは焦りを募らせていた。高エネルギー砲を放つも、ユークリッドは何食わぬ顔でそれを受け止める。

 

『このままじゃ逃げられちゃう!』

 

 ルナマリアの悲鳴に近い焦り声が聞こえてくる。もし、この艦隊にこれからの戦局を左右しかねない重要な情報が詰まっているならば、ここで叩くなり接収するなりしなければ死活問題に関わってくるだろう。地球を諦めた以上、これ以上後手に回る事は許されない。
その責任が自分の双肩に掛かっていると自覚すればするほど、シンの焦りも自然と高まってくる。

 

「なら、接近戦だ! デスティニーの機動力でバリア持ちをパスして、アロンダイトで直接ぶった切ってやる!」
『出来るの!?』
「ルナが援護してくれりゃあな!」

 

 そう啖呵を切ると、ルナマリアの返事も待たずにシンはスロットル・レバーを目一杯奥に押し込んだ。カッと開く光の翼と、巨大な対艦レーザー刀のアロンダイトを構え、艦隊の前に立ち塞がるユークリッドの群れへと突撃を敢行する。
 ユークリッドも、デスティニーの目的が格闘武器による直接攻撃と分かっているらしく、接近をさせまいとビーム砲で応戦する。しかし、デスティニーの背後から浴びせられるビーム攻撃に、そちらへの対処にも追われた。インパルスの援護射撃だ。

 

「流石はルナ。分かってるじゃないか」

 

 射撃の腕前も、以前に比べたら随分と向上している。だからこそ、ユークリッドは艦への直撃を避けるためにインパルスの砲撃を気にしなければならず、その動きが止まった分だけデスティニーへの対処が遅れる。
 動きの鈍ったユークリッドならば、デスティニーの機動力の敵ではない。すれ違いざまにラリアットをするようなアロンダイトの薙ぎ払う一撃がユークリッドを両断し、そして先頭を行く連合輸送艦に迫った。
 狙いは一撃で戦艦の機能を潰せる箇所――つまりはブリッジだ。指揮系統さえ殺せれば、艦隊の足を止めるのは簡単だ。果たして、デスティニーのアロンダイトの斬撃が連合輸送艦のブリッジを粉砕するように叩き潰した。

 

「これでッ!」

 

 シンはデスティニーを上方に飛翔させると、そのまま高エネルギー砲を構えて連合輸送艦のバーニア・スラスターに砲撃を加えた。貫く高エネルギー砲の光が爆発を引き起こし、釣られるようにして誘爆が巻き起こる。
 連合軍の情報を得る為、出来るだけ足を止めるだけに留めようと思って攻撃をしたシン。誘爆が起こった瞬間、狙いどころを間違えたのかと疑った。まさか、撃沈する事になるとは思わなかった。

 

「しまっ――」

 

 ところが、そうではなかった。連合輸送艦の爆発の仕方が、あまりにも大き過ぎる。思わずシンはデスティニーを全速で後退させた。しかし、尚も膨張を続ける連合輸送艦の爆発。岩を消し飛ばしながら光は白く大きくなっていく。

 

 アスランには、その光が何の光であるのかを知っていた。それは、2年前にもこの宇宙を染め上げた禁忌の光。そして、彼の母親はその光の中に消えていったのだ。それは、核の光――

 

「積んで…いたのか――この艦隊に!」

 

 目を丸くするアスランの目の前で、後続の艦が先頭の艦の爆発に巻き込まれるような形で誘爆を開始した。そして、やはり同じ光の膨張を見せて轟沈する。
 まるで、小型の太陽を目の前にしているかのようだった。光の膨張は想像の範囲を超え、漆黒の宇宙にあって呆れるほどに白い。何もかもを跡形も無く焼き尽くす光――

 

 ――その光の連鎖は、カミーユの思惟の中に死の波動を送り込んできた。苦しむ間もなく死んでいく理不尽なのか、それとも一瞬でも味わう身を焼く苦しみなのかは分からない。ただ、人の命が消えていく悲鳴の波が、一斉にカミーユの思惟の中に飛び込んでくるのだ。

 

「う……ッ!」

 

 脳を手で圧迫されているような感覚を抱き、カミーユは思わず呻き声を上げた。胃の底から湧き上がって来る嘔吐感を我慢し、霞む目で輸送艦隊を見据える。

 

『連合は、こんなものをプラントに対して使うつもりだったのか……?』

 

 呼吸を乱すカミーユの耳に、馬場の震える声が聞こえてきた。馬場の正義感が、怒りに震えている。

 

『このまま見過ごしてしまったらオーブは――プラントも……』

 

 馬場の悲壮感のこもった声――最初、カミーユは純粋にその言葉に同意する気持ちを持っていた。しかし、馬場の言葉に込められた決意に気付いた時、激しい嘔吐感を根性で我慢して口を開いた。

 

「な、何をするつもりですか、あなたは!」
『ここで食い止めねばならん! 行くぞ!』
『ハッ!』

 

 嘔吐感に悶えるカミーユ。加速の鈍ったΖガンダムを尻目に、馬場機ともう1機のムラサメが韋駄天の如き加速で連合輸送艦隊に向かって行った。

 
 

 シンを襲った核の光は、思った以上にシンの視界に影響を与えていた。余りにも眩しい光に、シンは目が眩んでしまったのである。それは、恐らく虚を突かれた形になったアスランやルナマリアも同様だろう。
視界が回復するまでの暫くの間、満足に動く事は出来そうにない。
 少しして目が回復してくる。シンは、真っ先に残りの2隻の輸送艦を探した。レーダーはミノフスキー粒子のお陰で役立たず。カメラで方々を探して肉眼で捜索する。

 

「はっ――!」

 

 その時、カメラ・モニターの一つに、眩い大きな火球が華を開いた。小さなモニターからでも良く分かる。それは、紛れも無く先程の核の光だった。

 

「誰が――」

 

 一筋のバーニア・スラスターの光が、今の核の光へと突っ込むように伸びている。それを妨げようと反発するように放たれているビーム攻撃をすり抜けて、そのバーニア・スラスターの軌跡は火球の中に吸い込まれていった。
 瞬間、更にもう一つの火球が宇宙に拡がった。シンは言葉を失い、ただただ自分の目を疑うだけだった。

 

 ムラサメの火力では如何ともしがたいと判断した馬場達。最終手段として、彼等は自らを弾頭に見立てた特攻を行った。最初に馬場が、次にもう一人が――彼等は、オーブとプラントを守りたいという正義感と誇りと共に散っていった。
 カミーユは遂に我慢しきれず、緊急用のパックの中に吐瀉物を流し込んでいた。