ΖキャラがIN種死(仮) ◆x/lz6TqR1w 氏_第53話

Last-modified: 2009-05-21 (木) 05:45:49

『戦士の輝き』

 
 

 機動要塞メサイアは、文字通りの動く要塞である。外敵からプラントを守らんと位置するそこには、ザフ
トの9割以上の戦力が集結し、プラントへと進軍を続ける連合軍と全面的な戦闘に入っていた。戦闘が開始
されたのは、奇しくも月でのダイダロス基地攻防戦が始まったのとほぼ同じ時刻だった。
 ただ、展開されている戦力の規模はまるで違った。この戦闘には、大西洋、ユーラシア両連邦の連合軍
と、メサイアやゴンドワナを中心としたザフトの全戦力が衝突をしているのである。瞬くビームや白球の数
は、月の比ではなかった。

 

 ひっきりなしに飛び交う情報の嵐。メサイアの司令室は白亜で彩られており、高い天井が音の反響を良く
していた。幾重にも重なる多重音声に、しかしデュランダルは眉をピクリとも動かさず中央の座席に鎮座し
ていた。
 視線の先では状況の変化に追われる国防委員長が忙しなく身振り手振りをしている。全ての出来事を把握
しているかのように、次々と的確な指示を出して連合軍の動きに対抗していた。

 

「――勝率はどの程度と考えているか」

 

 一区切りが付くや、その合間を縫うようにデュランダルは国防委員長に尋ねた。刻まれた皺と鋭い眼光
の精悍な中年の顔が、振り向いた。

 

「戦いは生き物です。刻々と変化する状況によって、その可能性にはバラツキが出ます」
「概算でよい」

 

 そう言うと、国防委員長はこめかみの辺りを人差し指で掻き、数瞬ほど渋い顔で物思いに耽っていた。そ
れから再び顔を上げると、渋い顔のまま口を開く。

 

「4割強といったところでしょうか。勿論、この数字も前提としてオーブ艦隊がダイダロスを落としてくれ
る事が条件ですが。実際は、もっと低いと思ってください」
「厳しいな。ふむ――」

 

 司令室の中央に、小高い丘のように盛り上がっている場所がある。デュランダルの座る椅子はそこにあ
り、その貴公子的な容姿も相俟って、まるで皇帝が君臨しているかのような佇まいを見せていた。
 デュランダルは肘掛に肘をつき、軽く頬杖を突いて忙しなく動く眼下の国防委員長に目を細める。

 

「――とは言え、連合の物量に対してそれだけの数字を出せているのならば、かなり健闘していると言って
良いだろう。――ですよね? ラクス嬢」

 

 流し目で傍らに立つ少女に視線を向ける。そこには陣羽織で着飾り、威風堂々とした佇まいを見せるラク
スの姿がある。その目線はジッとモニターの中の戦闘風景に釘付けになっており、人形のような顔立ちか
らはおおよそ想像できない様な険しい瞳を湛えていた。キュッと結んだ唇は、大人への過渡期であるがゆ
えの幼さと色気を兼ね備えており、それが益々、凛々しさを際立たせ、健気な印象を与えてくれる。
 デュランダルの声に応えて、その険しさを湛える瞳が陽炎が揺れるかのごとく動く。例え僅かな仕草で
も、とても魅力的で気品が漂っていた。オペレーターの1人がその様子を盗み見ようと余所見をしたが、隣
席の上官らしき人物に拳骨を貰っていたのが、デュランダルの視界の端に見えた。

 

「わたくしは机上の数字だけでものを申したりは致しません。ですが、この戦いに負けるわけには行かない
という事だけは、承知しているつもりです」

 

 凛とした張りのある声。艶やかで、それでいて勇ましい。やはり、本物の声はミーア(替え玉)の声とは
違う。デュランダルは、フッと鼻で笑った。

 

「結構。戦いには戦術と、何よりもそれを全うする兵士のモチベーションが不可欠であります。ラクス=ク
ラインにはラクス=クラインの役割を果たしていただきましょう」

 

 デュランダルはそう言うと、立ち上がってラクスに席を勧めた。
 ラクスは、数瞬迷う。ナチュラルとコーディネイターの間で中立だった自分が、一方に肩入れをする。そ
れは中立を表明して第2次ヤキン・ドゥ―エ戦役に介入した自分のする事ではないと思った。自分がこれか
らする事は、ただザフトを鼓舞するだけ。それは悪戯に戦争を拡大させるだけではないだろうかという懸念
があった。
 ふと、見やったデュランダルの瞳は強い光を湛えていた。爛々と輝くその瞳は、何としてでも理想を実現
させてやろうという野心家の目だ。ラクスは、その理想が自分の理想と同じ場所へ通じていると感じたか
ら、デュランダルに協力しようという気になった事を思い出した。
 相反する2つの気持ちが、ラクスの内にあった。しかし、ここまで来てしまった以上、今更、迷うような
事ではない。ラクスは軽く首を横に振り、意を決して司令室の中央席に腰掛けた。

 

「ラクス、お前……」

 

 デュランダルは、ラクス以外にもう一人の少女を傍らに置いていた。その髪は、開戦当初に比べれば随分
と伸びたものである。背中の肩甲骨辺りまであるブロンドのロング・ヘアーは、約束の証。カガリは、ラク
スの気苦労を気遣って声を掛けた。
 そんなカガリの気遣いを軽く受け流すように、或いは心配させないように、ラクスは柔らかな笑みを浮か
べるだけだった。

 

「大丈夫です、カガリさん。わたくしは、カガリさんのような強さが欲しいのです」

 

 皮肉にしか聞こえなかった。捻くれた解釈が詰られているように感じさせ、カガリは少し目を伏せった。

 

「私は強くなど無い。ただ、がむしゃらに精一杯やっているだけで――」

 

 それは思い違いなのだと、カガリは弁明する。褒められた事がくすぐったかったからではない。自分が強
いだなんて全く思わないから、否定しておきたかった。しかし、ラクスはそんなカガリの言葉を聞いても柔
和な笑みを崩さなかった。それは、まるで本当の自分を知っている親の眼差しのようで――

「その一生懸命さが、尊いのです。それが事を成す上で一番大切なことなのだと、わたくしは思います。で
すから、カガリさんはお強いのです」

 

 きっぱりとそう言われ、カガリはきょとんとした顔で立ち尽くしてしまった。
 美しい顔立ちから、まるで調べに乗せるように紡がれた言葉。自然と口元に視線が吸い寄せられ、適度な
厚みを持った形の良い唇が、カガリの頬をほんのりと桃色に染めた。薄めのルージュは透き通る様な白い柔
肌の中で一際の存在感を放ち、ほんのりと重ねられたグロスがてらてらとした妖しい艶を出している。童女
のような大きな瞳と、アンバランスなアダルトチックな唇――その危ういバランスに、同じ女でありながら
ドギマギさせられた。「可愛い」の中にほのかに混じる「エロス」。これがラクス=クラインという事なの
か。女性としての圧倒的な魅力。アスランを取り合いになっていたら、絶対に勝てなかったであろう。
 顔を見つめるだけでこんな調子なのだ。何となく、プラントが彼女に熱狂する理由が分かった気がした。
もし、自分が男として生まれていたなら、きっと自分も彼女に惚れていた事だろう。そうなると、キラとは
恋敵になるということか――一瞬考えたが、直ぐにバカらしくなって首を振った。

 

「有り得ん。こんな時に何を考えているのだ、私は」

 

 誰にも聞こえないように独り言を呟き、自らの頬を張る。それからチラリとラクスの表情を覗った。
 そこには、一寸前までの可憐な美少女は居なくなっていた。柔和な笑みは鳴りを潜め、きりっと引き締ま
る表情には少女のあどけなさなど消え去っていた。

 

 準備は既に整っていたのか、モニターにはラクスの顔が次々と映し出されていった。ラクスはその様子を
確認すると、一つ小さな深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
 高鳴る鼓動が、徐々に遠くなっていく。精神の集中が戦争の喧騒を遠ざけ、ラクスの意識は自分の言葉
を届ける事だけに夢中になっていた。

 

「今、この放送を拝聴されている全ての方々は、どうかわたくしの声をお聞き届けください。わたくしは、
ラクス=クラインと申すコーディネイターの女です」

 

 ぷっくりとした柔らかな口元から、芳醇な美声が漏れ出た。それは甘美な響きでありながらも、抜き身の
刀のような凛然とした鋭さがあった。ラクスの魔性の調べが、地球圏全域へ向け流れ出した。

 
 

 戦場には、いつものようなミノフスキー粒子による電波障害は少なかった。それは、ジャミングを減らし
て少しでも長距離の砲撃を行うための戦術であり、メサイアには連合軍の放った多くの砲撃が注がれてい
た。しかし、巨大なバリア・リングによって光波防御帯を形成するメサイアへの実質的な被害は、未だ皆無
に等しかった。

 

 デスティニーが広げる光の翼と繰り出す数多の残像は、それだけで連合軍へのプレッシャーとなる。シン
のデスティニーの活躍は、連合軍内でも話題に上っており、既にフリーダムと並ぶ程の警戒対象として恐れ
られていた。

 

『――コーディネイターはナチュラルの方々との争いを望んでおりません。ならば、ナチュラルがコーディ
ネイターとの争いを望んでいるのでしょうか? いいえ、そうではありません。わたくしには、ナチュラル
の友人も居ります。では、何故? どうして? わたくし達は、手を取り合う事だって出来るはずなのに』
「ラクスの演説が始まった? 戦闘中だぞ!?」

 

 全周波で、問答無用にスピーカーから流れてくる柔らかい声は、戦場そのものを忘れさせるような安寧が
宿っている。気を弛緩させるようなラクスの声に、シンは抗うように毒づきながら、ビームライフルでウイ
ンダムを撃墜した。

 

『コーディネイターは、宇宙という苛酷な環境に適応する為に生まれ出でたものです。言うなれば、その程
度のものでしかないのです。ナチュラルとコーディネイターの違いなど、些細なものでしかありません。そ
れなのに、それを殺し合いの理由にしよう等と、愚者の考える事でありましょう。ですが、わたくし達は残
念な事にその愚を犯しています。これが本当に宇宙にまで進出したわたくし達、人類の為すことなのでしょ
うか?』

 

 連合軍の布陣は、メサイアを軸に展開するザフトを左右から挟みこむように展開している。それはネオ・
ジェネシスを警戒する布陣である。最終防衛ラインであるメサイアを守りきらねばならないザフトにしてみ
れば、袋のネズミにされたようなもので、そういった焦心をも喚起させる心理的な意味も、連合の布陣には
込められていた。
 シンは、LとRに別たれた戦闘フィールドの内、Lフィールドでの遊撃をこなしていた。彼の所属艦である
ミネルバがLフィールドの旗艦として構えているからという単純な理由である。反対側のRフィールドではイ
ザークのボルテールを中心に戦力が整えられていた事から、エース部隊のミネルバはLフィールドに配置さ
れる必要があった。

 

『――ブルー・コスモスはコーディネイターを討った世界こそが平和と主張します。しかし、何を以って平
和と言い切れるのでしょう。憎しみの上に成り立つ平和など、砂の城を壊すよりも簡単に崩れ去るものです』
「温室育ちのお嬢様に、何が言えるってんだ」

 

 煩わしい害虫の羽音を聞くようなしかめっ面をして、シンはまた1機、ウインダムを撃墜した。
 シンは、ラクスの事を知識としては知っていても、彼女のカリスマを実感として知っては居ない。その感
覚のズレが、ラクスの言葉を妨害電波として認識させていた。奇麗事を吐くその様が、どうしてもカガリと
重なってしまうのだ。
 しかし、そんなシンの感想とは裏腹に、ザフトの士気は高まる。それまで劣勢気味であったザフトが、ラ
クスの演説が始まったのを皮切りに、その活動を活発化させた。
 声を発するだけで、これだけの影響力を与えるられるものなのだろうか。まるで異性から好意を告げられ
たかのような高揚感が、ラクスの声を聞いただけの彼等を鼓舞しているのである。妙に張り切っているよう
に見えるその様が、シンには見ていられなかった。

 

「愛撫されてんじゃないんだぞ。プラント育ちは、この程度の事で悦ぶのか」

 

 彼女の声には、プラント国民の脳内麻薬を分泌させる効果でもあるのだろうか。オーブ生まれ育ったシン
には理解できなかった。

 

『話し合い、和解できればそれに越した事はありません。しかし、例え理解し合えなくとも、暴力で相手を
従わせようとする行為よりは遥かに文明的であると、わたくしは考えます』
「そうは言うがぁッ!」

 

 目標捕捉。シンの瞳に連合軍の艦艇が映り込む。撒き散らされる弾幕と、それを守るように展開する守備
MS。デスティニーが光の翼を広げると、支援機のザクやゲイツRが展開する連合軍の守備MS隊に取り掛かっ
ていった。
 シンのデスティニーは、一直線に艦艇を目指す。弾幕の嵐の狭い隙間を縫うように、デスティニーの姿は
幾重もの残像を繰り出しては敵の視覚を狂わせる。やがて、艦の正面に現れると、背中からアロンダイトを
引き抜いて艦首部分を横薙ぎに切りつけた。

 

「敵が襲ってきている状況で、よくもそんな事を言う! 戦ってる最中に理想論を述べるのがラクス=クラ
インかよ!」
『同感だな、デスティニー!』
「何ッ!?」

 

 通信機越しの、くぐもった声が聞こえた。シンは一回、周囲をグルッと見回したが、直ぐに視線を正面に
戻した。
 戦場は雑多になっていて、どこから電波を拾ったのか分からない。しかし、今の声には聞き覚えがある。

 

「何処だ?」

 

 今しがた切りつけた戦艦は、まだ沈んだわけではない。ブリッジはまだ生きているし、砲塔が沈黙してい
るわけでもない。当然、反撃は行われるわけで、デスティニーは砲撃の中に身を晒された。しかし、シンは
些かも動じることなく、寧ろその砲撃の中でそれまで以上に軽快に踊って見せ、ついでにまたウインダムを
1機撃墜した。

 

「違う、こいつじゃない」

 

 光の翼からミラージュ・コロイドの粒子を撒き散らし、華麗に戦艦から離脱。去り際に高エネルギー砲の
一撃をブリッジに叩き込んで、シンは再び索敵を掛ける。戦艦はブリッジを失い、爆発の規模が拡がって程
なく轟沈。帰る場所を失くした守備MS隊も、ザフトの勢いに呑まれて次々と屠られていった。

 

「空耳だったのか? ――あッ!?」

 

 その時、不意に味方のMSが撃墜された。それまでの快進撃が嘘のように、簡単にビーム攻撃を受けて爆散
してゆく仲間達。一撃でMSを葬るビームの威力、メガ粒子砲だ。
 間髪入れずに警告音が響く。今度狙われたのは自分だ。シンの目が左モニターを睨むように見ると、光が
瞬いた。フラッシュするモニターに目を細め、歯を食いしばって必死に操縦桿を傾けた。
 損傷部位は幸いな事に無い。どうやら掠めただけで済んだようだ。コンソール・パネルの画面を切り替え
ながら、シンは背筋の悪寒を鎮めた。

 

「さっきの声、ジ・Oか!」

 

 デスティニーの機動が、鮮やかな残像となって人々を幻惑させる。殆どの人間はそれに惑わされ、デス
ティニーとシンの織り成す奇跡的なMSの動きの前に、成す術も無く敗れ去っていく。しかし、類稀なる戦闘
センスを持ったパイロットには、それは通じない。
 ブラン=ブルタークは、そういった所謂エース・パイロットの中の一人だった。ジ・Oは恰幅の良いその
体型を晒しながらも、決してそれが欠点になるような脆弱さを持たなかった。被弾面積が広かろうが、それ
を問題にしないだけの機体性能を誇っているからだ。そして、ブランはその性能を満遍なく引き出せるだけ
のセンスを持ったパイロットであった。
 ギラリと、シンの目がその姿をキャッチした。小憎たらしいほどに存在感を強調し、巨躯を惜しげもなく
見せつけるジ・O。全身が緊張で強張る。睨みつけるその目のまま、顎を引いた。

 

「来たな……!」

 

 ジ・Oのビームライフルがデスティニーを狙う。メガ粒子砲の直撃は致命傷を意味する。それに当たるわ
けには行かない。細心の注意を払いつつ、且つ大胆に身を翻してかわす。
 シンはデスティニーにフラッシュ・エッジを引き抜かせ、それをビームサーベルとして持たせた。それを
見たジ・Oが、待っていたとばかりに左手にビームソードを持たせ、加速する。得意の格闘戦に持ち込もう
としているようだ。しかし、思ったとおりに行くものかと、シンもスロットル・レバーを押し込んだ。
 フェイントを織り交ぜたトリッキーな動きで勝負。デスティニーが光の翼を展開すると、その輪郭を歪ま
せて驚異的なスピードでジ・Oの左側から強襲し、ビームサーベルを振り上げた。しかし、不思議なことに
ブランは何の反応も見せなかった。
 ブランに考えを読まれているのか、それともただ単に反応できないだけなのか。瞬きをするよりも短い一
瞬では、判断を躊躇っている時間的余裕などは無かった。デスティニーはそこに幻を残すと、宙返りするよ
うにジ・Oの上方を翻り、その右側面からビームサーベルで切り掛かった。

 

『初撃はフェイク――甘いな!』
「なっ……!?」

 

 刹那、バチィっと激しい閃光がコックピットのシンを照らした。目を凝らせば、スカート・アーマーの裏
側から伸びる隠し腕が持つビームサーベルが、デスティニーのビームサーベルを防いでいるのがおぼろげに
見える。その閃光の向こう、ジ・Oのモノアイが刺すような上目でこちらを睨みつけていた。完全に攻撃を
読まれていたのだ。

 

『その程度でやり合おうとは』
「クッ……舐めるな!」

 

 ジ・Oが右腕のビームライフルを掲げる。ボウっと砲口がビームの光に輝くと、シンは慌ててビームシー
ルドを展開させた。
 切り結んでいたビームサーベルを弾き、ビームシールドで砲撃を防いで後退。その際、頭部機関砲をばら
撒いて足止めを試みる。どれ程の効果があるのかは分からないが――

 

『そんなもので!』

 

 思ったとおり、ジ・Oの重装甲にそんなものは通用しなかった。チッと舌打ちをするが、悔やんでいる暇
など存在しない。凄まじい突進力で追撃されると、サブ・マニピュレーターがデスティニーのシールドに掴
みかかってきたのである。
 原始的でありながら高精度を誇るそのサブ・マニピュレーターが、デスティニーのシールドを左腕から引
き剥がすかのような勢いで取り上げる。まるで、左腕を丸ごと持っていかれたかのような力の強さ。
 間髪居れず、ジ・Oは手にしたそれをデスティニーに投げつけた。

 

「クッ!」

 

 一瞬だけ、デスティニーのロックオン・マーカーが投げつけられたシールドをロックした。オート・リア
クション――普段は便利なその機能が仇となった。それは即ち、一瞬だけジ・Oを見失ったという事。眼前
に迫ったシールドを払い除けると、既にジ・Oは姿を消していた。シンの背筋が、ゾッと悪寒を覚えた。
 見失うというのは、無防備になるという事と等しい。ジ・Oを相手にその隙は、致命傷となる。言うなれ
ば、自身の生死に直結するという事である。これまでの戦いの中で生死の境界を自然と本能に刻み込んでき
たシンには、今がどれほど絶望的な状況であるかが嫌と言うほどに理解できていた。
 時間が止まる。頭が真っ白になる。死の直前の人間の心境が、分かったような気がした。

 

 オ・レ・ハ……

 

 全身の毛穴が一斉に開いたかもしれない。全身が汗を噴き出している様な放出感に包まれた。それは集中
力の高まりなのか、諦観の境地なのか分からない。動き出した「時」は、一瞬一瞬がコマ送りになったよう
に遅く感じられた。それは、まるで時間の流れが停滞しているかのような不思議な感覚だった。
 「あの感覚」だ。幾度となく危機を乗り越えてきた、自身の内に眠る謎の力。それが発動する時、決まっ
て今のような感覚に陥り、まるでそれまでの自分が嘘だったかのように超人的になれる。シンは、射精感に
も似たその瞬間が堪らなく好きだった。この感覚、病み付きになる。
 頭の中で何かが弾ける。鬱屈した閉塞感の殻を内側から破ったように、途端に爽快感に覆われた。

 

「そこだぁッ!」

 

 パッとデスティニーが身を翻して反転した。後ろが見えていたわけではない。ただ、狙われるとすれば背
後からだろうと思っただけに過ぎなかった。しかし、その単純な思考が、シンの身を救う事になった。
 ビームライフルの砲身の先には、同じくビームライフルを構えて逆さに相対しているジ・Oが存在してい
た。相手も、急にデスティニーが振り返ったので驚愕しているのだろう。先にトリガーを引いたのは、意外
にもデスティニーだった。
 メガ粒子砲に比べれば威力は低いが、十分に高出力のビーム。収束率も高く、貫通性能は高い。そのエネ
ルギー波が、ジ・Oの脚部、外脛を掠めた。チリッと火花が飛び散り、焼け跡が残る。

 

「チィッ、外した!」

 

 入れ違いになるように、ジ・Oのビームライフルが火を噴いた。メガ粒子砲の暴力的な威力。ビームシー
ルドで防ぐが、衝撃で腕をもがれそうになる。やはり、純粋なパワー勝負では太刀打ちできない。
 咄嗟に間合いを開く。そうでもしなければ、一方的にやられてしまう。

 

「死んで堪るかよ――死んでぇッ!」

 

 デスティニーが高エネルギー砲を小脇に抱えた。直撃さえできれば、ジ・Oとて粉砕できるであろう高出
力のビーム砲である。しかし、その砲口を見てもブランはまるで意に介す素振りを見せなかった。全身に配
置された50にも及ぶアポジ・モーターの数。巨躯でありながら圧倒的な運動性能を発揮するジ・Oの回避力
に、ブランは絶対的な自信を持っていた。
 デスティニーから吐き出された光の奔流。高威力な分、射撃モーションが大味になるのは否めない。不意
討ちで無ければ回避は容易いものである。軽くあしらうように高エネルギー砲の一撃をかわす。ブランに
とって、この程度は朝飯前である。

 

「一瞬、動きが良くなったようだが――奴は接近戦を諦めたか」

 

 射撃戦に持ち込もうという意図が見え見えである。高エネルギー砲を抱えながらビームライフルを構える
デスティニー。必要以上に間合いを詰めさせようとせず、その様がまるでパイロットの苦心を表現している
かのように見えた。ジ・Oの特性を考えれば、賢明な判断だと言えるが。

 

「だが、そうはさせん!」

 

 デスティニーの目論見に、わざわざ付き合う必要など無い。ブランは構わずジ・Oを突っ込ませた。
 黄土色の機体が、恐ろしい勢いでシンの砲撃を潜り抜けてくる。その大型の体躯そのものが迫り来る脅威
としてプレッシャーを与えてくる。

 

「な、何だコイツ!?」

 

 あっという間に接近を許してしまった。覚醒している状態でこの体たらく、悪い夢でも見ているかのよう
であった。
 しかし、シンに驚いている暇など無い。ジ・Oは左手に持たせたビームソードを掲げ、デスティニーの右
肩から左腰にかけて袈裟に切りつけようとしていた。
 射撃戦に持ち込もうという目論見は外れたということか――再び接近戦になり、シンの神経の糸が千切
れそうなほどの張りを見せた。

 

「誰がそう簡単にぃッ!」

 

 デスティニーが、両手に持つ火砲から手を離した。そして、その掌から炎が噴き出る様にビームの光が漏
れ出す。パルマ・フィオキーナ――極短のビームサーベルを発生させ、振り下ろされるビームソードを挟み
込んだ。
 バチィッと光の刃を挟んだ掌から激しい光が溢れ出した。ビーム粒子同士が干渉し合って、反発を起こし
ているのだ。
 飛び散ったどちらのものとも知れない微粒子が、蛍が舞い飛ぶかのように美しく舞う。大部分は即座に冷
やされて儚く消え去ったが、残った少数の高熱を帯びたそれは、互いの装甲に付着して僅かばかりの焦げ跡
を付けた。

 

『フッ、よくもこんな事を2度もやろうと考える。小僧、度胸だけは一人前と認めよう』

 

 白刃取りは一度見ているから、ブランに驚きの様子は無かった。尤も、シンにも度肝を抜かしてやろうと
いう思惑があったわけではない。何よりも高度な操作を要求される白刃取りは、彼にとっては一か八かの賭
けであり、それに頼らざるを得なかったというのが実情だった。

 

『ラクス=クラインはコーディネイターの歌姫らしいがな?』
「知るかよ!」

 

 苦しい胸の内を隠すように気を吐く。何を言いたいのか知らないが、ブランの余裕たっぷりの声が癪に
障った。
 デスティニーが白刃取りをしたままジ・Oの腹部を前蹴りする。密着状態からの脱却、そして僅かばかり
であるがジ・Oのバランスを崩せた。
 隙が出来た。ショートレンジの攻防に於いて、致命的なタイムロス。ジ・Oが見得を切るようなAMBACで体
勢を立て直す間に、シンはビームライフルの砲口をその腹部に接着させるように差し向けた。

 

「これで――うわッ!?」

 

 チャンス――しかし瞬間、シンを妙な重心の移動が襲う。
 普通、人間の姿を模して造られたMSは腕が2本しかないのが基本である。ところが、ジ・Oは更に2本の腕
を隠し持っている。
 デスティニーの腰回りを、ジ・Oのフロントスカート・アーマーから伸びたサブ・マニピュレーターが掴
んでいた。それが相撲技の「うっちゃり」をするように、デスティニーを後方に投げ飛ばしたのだ。

 

「クッソ――」

 

 緩い斜めの回転を加えられて流されるデスティニー。シンは細かくブーストペダルを踏み、四肢の振りを
加えたAMBAC制御でバランスを立て直す。隙は、なるべく小さくしたつもり。視界から消えたジ・Oを探し、
先ずは左右を確認。それから、正面を見る。

 

「――ッ!?」

 

 正面モニター一杯に広がるジ・Oの頭部。悪魔のような赤いモノアイが、シンを飲み込まんと光を灯す。
 声を失くすシン。あまりにも突然な出来事に、思考が停まる。ただ、彼の本能だけが身の危険に対して反
応を見せた。
 無意識に動いた腕が、咄嗟にデスティニーにビームシールドを構えさせた。両手甲のソリドゥス・フルゴ
ールが光の膜を形成、頭部を抱え込むような防御姿勢をとった。
 本当に、間一髪だったのだろう。コックピットのモニターを全て白く染め上げるように光が広がり、後方
へ押し込まれるような強い重心の移動を感じた。ビームライフルかビームサーベルか――いずれにせよ、何
らかの攻撃をビームシールドで防いで、吹き飛ばされた事には違いないはず。
 突如、ズシンと後方に掛けられていた重心が一気に前に掛かった。急な衝撃に内臓が配置換えを行ったか
のような不快感が襲い、同時にシンを座席に固定していたベルトが身体に食い込んだ痛みも併発した。一瞬
だが強烈な締め付け。胸骨の辺りからミシっという軋んだ音が漏れた。
 先ほど撃沈した戦艦の残骸だ。バラバラになった船体の装甲の一部に、背中からぶつかったのだ。それは
複数枚で形成された緩い御椀型の鉄板で、MS1機をすっぽりと包み込むほど巨大なものだった。

 

『プラントは、争いを望まぬ方々とは戦いません。手を取り合ってくださる方々とは、未来を共に切り開く
為の約束をいたします。しかし、刃を向けてくる限りは、プラントは抵抗を続けます。これは、コーディネ
イターの排斥を錦の御旗とするブルー・コスモスへの、糾弾の戦いであります』

 

 スピーカーからは尚もラクスの声。シンにとって、その戦場に似つかわしくない柔らかな声は、引き締め
た帯を弛ませる様な脱力感を孕む。聞いちゃ居られない。シンは高いコンセントレーションを持続させよう
と、安らぎのラクスの声から耳を塞ぎ、目の前の危機であるジ・Oを睨み付けた。

 

『こういう演説はなぁ!』
「こんなの――」

 

 「ラクスが勝手にしゃべっている事だ!」と言おうとしたが、ジ・Oが弾丸のように突進してきて言葉に
出来なかった。

 

『俺達が、コーディネイターの魔女の言う事を聞くと思ってか!』
「コーディネイターなら誰でも聞くみたいに言うな!」

 

 ビームソードで押し込んでくるジ・Oから、罵倒するような、それで居て余裕溢れる声が届けられる。通
信機のノイズ混じりでも感じ取れる自信。脂の乗り切った男は、その声色だけでシンの様な若輩者に経験値
の差を思い知らせる。
 しかし、臆してはいけない。技術、経験でも劣っているのに、そのうえ気持ちまで負けてしまったら、そ
れは完敗を認めることになる。完全敗北は、シンのプライドが許さない。
 とにかく、何でもいいから抵抗して見せなければならなかった。敵の言葉を享受すれば、戦いの意思を折
られる。それは即ち敗北、そして死を意味する。まだ、こんな所で死にたくは無い。
 デスティニーは顎下に揃える様に拳を構えるピーカブー・スタイルで身を固めた。ビームシールドという
ものは、通常の物理シールドに比べて圧倒的にビーム兵器に対する防御力が高く、効果的であった。如何に
高出力のビームソードであっても、その牙城を崩すのは困難を極めるはず。
 しかし、ジ・Oには隠し腕がある。腹部の下から伸び出るそれは、ピーカブー・スタイルの隙間から突き
上げるアッパーカットのようなものだ。ブランに、抜かりは無かった。
 ソロリと、スカートアーマーの内側からサブ・マニピュレーターが顔を覗かせた。ブランが口の端を上げ
て笑みを浮かべる。こうして退路を断った以上、勝機は彼のものである。

 

「威勢だけは――」

 

 ブランが言いかけた、その時だった。突如としてデスティニーを押し付けている鉄板が、熱で溶断されて
いく。溶断面は飴色に色づき、しかし即座に冷やされて黒焦げとなった。目を見張るブランの視線の先――
溶断された鉄板の隙間から、エメラルド・グリーンの輝きが2つ、零れた。

 

「新手か!」
『後ろ?』

 

 デスティニーが頭部を振り向けた。刹那、腕で溶断した鉄片を払い除け、デスティニーの上に覆い被さる
ようにして紅のMSが飛び出してきた。マニピュレーターが掴んでいるのは、オールの様な両刃のビームサー
ベル。それを威嚇するように大きく振りかぶったかと思えば、容赦なくジ・Oに振り下ろした。

 

「ぬぉッ!」

 

 咄嗟にブランは操縦桿を引いた。ジ・Oがデスティニーの腹部を蹴り、その反発力を利用してギリギリで
その一撃をかわす。
 些か肝を冷やした。不意討ちを卑怯だとは言わないが、面白くは無い。舌打ちし、新たに出現したMSを
キッと見据えた。

 

「セイバーに似ているが、違う。鶏冠付きのMS? 鶏頭だが――」

 

 右腕のアンビデクストラス・ハルバードを前面に構え、左腕でデスティニーを庇うように立ち塞がる。各
駆動関節には鈍い銀色が輝きを放ち、背にはSFSと見紛うほど大きな背負いものを付けていた。

 

「あれを大出力のランドセルと言うか。――解せんな」

 

 コンソール・パネルを弄り、機種特定を行う。データ・バンクに、前回の戦いで入手した新型機のデータ
と符合する機体が見つかった。

 

「引っ掛かった――ライラ隊が接触した新型? 成る程な」

 

 乱入者――付けられた名はインフィニット・ジャスティスと言う。アスラン=ザラ専用の、ジャスティス
の後継機。その性能はデスティニーやストライク・フリーダムと並び、シロッコが持ち込んだ核融合動力機
にすら匹敵する。
 その仰々しい外見から、ただのMSでは無い事を即座に見抜く。しかし、ブランはインフィニット・ジャス
ティスの背中のファトゥム01を鼻で笑い、微塵も動揺する気配を見せなかった。
 ゆっくりと様子を覗うように、デスティニーとインフィニット・ジャスティスの周囲を旋回するジ・O。
インフィニット・ジャスティスの頭部がその動きを追い、警戒する。アンビデクストラス・ハルバードは常
にジ・Oに見えるように構え、プレッシャーを与え続ける事を忘れない。
 アスランの目に、初めて見えるジ・Oの姿。データや映像で見るのよりも更に大きく見える。キラがスモ
ー・レスラーと称していたように、かなりの重MSだ。その外見からザフトが付けたコードネームは、そのま
ま「ファット・マン」。

 

「あれがキラをやった“ファット・マン”、ジ・Oか。――シン?」

 

 背後でデスティニーが動きを見せる。アスランはデスティニーの腕を引きながら、シンとの接触回線を開
いていた。

 

「デスティニーはやれるな、シン」
『は、はい――行けます!』

 

 一方的にやられていたようにも見えたが、シンの気力は衰えては居ない様子。精神的なムラが戦闘能力に
も影響を及ぼしかねない彼の一番の弱点は、気合負けをしてしまうことである。しかし、今の声を聞く限
り、彼はまだ十分な闘志を持っている。アスランは安心したようにフッと鼻で笑った。

 

「いいか。ファット・マンは、俺とお前の2人掛りで潰す」
『デスティニーとジャスティスで――ですか?』
「卑怯などとは思うな。戦いは、生きるか死ぬかの2つしかない。手段は選べないんだ」
『分かってます。生か死ならば、俺は生きる方を選びます』

 

 ハッキリと意思を示すシン。数ヶ月前までは何時死んでもおかしくないような無謀な戦いを繰り返してい
た少年の言う事だろうか。そんな生への執着を見せる彼を引き出したのは、間違いなくルナマリアの存在だ
ろう。
 シンのモチベーションの源が、女性そのものという肉欲的なものであって、挙句、戦場にその気分を持ち
込んでいたとしても、アスランは咎めようとは思わない。何故なら、自分とてミーアに熱を上げ始めている
事に気付いているからだ。
 女性に愛や優しさだけでなく、肉欲的なものも求めたがるのが男なんだという事を、ミーアと出会って改
めて思い知った。アスランは傷心を癒そうと、既に頭の中で何度かミーアを抱いている。彼女が好意を寄せ
てくれている事は知っているから、裸を想像する事に何の躊躇いも無かった。
 しかし、妄想の世界では、余りにもその肢体の輪郭はおぼろげだ。そして、それを補完する為に、どうし
てもカガリのイメージが混じってきてしまう。傷心を癒す為に行った事が、逆にフラストレーションを溜め
る結果となってしまっていたのは、何とも皮肉なものであった。
 実物を確認してみたい――肉感を得られない欲求不満は、直に彼女に触れて見たいという願望と活力へ
と繋がった。そのために戦いで生き残ろうとするモチベーションは、そのまま男の力となる。
 シンも男なら、きっと自分と同じ様にルナマリアの事を見ているはずだ。だから、そういうシンには自分
の背中を預けても良いと思える。彼も、再びルナマリアに会わずして死ぬつもりなど毛頭無いだろうから。

 

「俺がファット・マンの動きを止める。デスティニーはジャスティスの動きに合わせられるな?」
『やれます』
「よし、散開だ!」

 

 ジ・Oがビームライフルを構えた。瞬間、デスティニーが光の翼を広げてその場から飛翔する。一方でイ
ンフィニット・ジャスティスは注意を引きつける為にその場に留まり、敢えてジ・Oのビーム攻撃の中に身
を晒す。何とか回避し終えると、アンビデクストラス・ハルバードを二分割して二刀流の構えを取らせた。

 

「ファット・マンは近接戦闘が得意。だが、ジャスティスとて!」

 

 全身に凶器を隠し持っているようなインフィニット・ジャスティスだ。ビーム刃の本数ならば、ジ・Oを
軽く上回る。一方的な展開だけにはならないはずだ――アスランはジ・Oの懐へと飛び込んだ。
 インフィニット・ジャスティスの機動力の高さの為せる業か、それとも敢えて迎え入れたブランの策略
か。あっという間に急接近した両機は、互いの視線をぶつけ合わせた。
 片やヤキン・ドゥーエ戦役を生き残り、英雄と称されるまでに至った若き驥足。片やアムロ=レイ、シャ
ア=アズナブルといった2人の伝説的なパイロットと数度に渡って激闘を繰り広げたベテラン。戦いのキモ
を知り尽くしている2人――先に動いた方が不利であることを、経験則として身に付けている。コンマ何秒
のミクロ単位の時間でも、少しでも長く我慢できた方が主導権を握る事になるのは明白であった。

 

「――はあああぁぁぁッ!」

 

 気合一閃。先に仕掛けたのは、アスランだった。焦れたのではない。これ以上は待てないという、ギリギ
リのレンジまで侵入してしまったのだ。我慢の限界だった。リーチは、僅かながらにジ・Oの方が長い。
 右腕のビームサーベルを袈裟に斬り付ける。オーバー・アクションなどしない、実にコンパクトに纏めら
れた斬撃。しかし、ジ・Oは胸部のアポジ・モーターを軽く噴かし、スウェーバックでこれを回避。立て続
けにアスランは左手のビームサーベルを今度は逆袈裟に振り上げたが、これもかわされる。アスランの気合
は完全に空回り、ただビームサーベルを振り回して踊っただけだった。
 逆にジ・Oの隠し腕ビームサーベルがアスランを襲う。距離は5m程度か。先に攻撃を仕掛けたインフィ
ニット・ジャスティスには、隙が生まれてしまっている。このままでは回避できない。
 しかし、下から振り上げられる2本のビームサーベルはインフィニット・ジャスティスに届く事は無かっ
た。ジ・Oが隠し腕で斬りかかった瞬間、上方から降り注いだ一筋のビームが両機の僅かな隙間を劈き、攻
撃する事が出来なかったからだ。
 目の前でビームの残粒子が粉の様に舞い散る。続けて2発3発と降り注ぎ、ジ・Oはそれに追い立てられて
インフィニット・ジャスティスとの間合いを開かざるを得なかった。アスランの耳に、「チッ」というブラ
ンの舌打ちが聞こえた。

 

『デスティニーは鶏頭の援護に回ったか。――そういう事ならば!』

 

 ジ・Oがデスティニーとインフィニット・ジャスティスに交互に2発ずつビームライフルで牽制すると、素
早く身を反転させて後退を始めた。
 同時に、それを援護するように数体のウインダムが出現。ビームライフルの集中砲火を浴びせてくる。

 

「ファット・マンが逃げる? ――シン!」
『追撃します!』
「そうだ、アステロイドに追い込め! そこでなら、余計な邪魔は入らないはずだ!」

 

 前後からインフィニット・ジャスティスに襲い掛かってくるウインダム。挟まれていようが、アスランに
は問題ではない。
 前方のウインダムの突きを上体を仰け反らせるスウェーバックでかわすと、その動きの流れから右足を大
きく縦に振り上げ、向こう脛のグリフォン・ビームブレイドでウインダムを股下から切り裂いた。そして、
そのままサマーソルト・キックの要領で、軽快に後方へと翻った。
 素早い動きに、背後から襲い掛かったダガーLは肩透かしを食らい、そのまま切り裂かれたウインダムへ
と抱きつくようにしてぶつかる。それが切欠となったのか、ウインダムの爆発に巻き込まれて2体は諸とも
閃光となって消えた。

 

『泥に満ちた争いの時代は、省みる事で終わりを迎えます。思い出してください、これまでの悲劇を――ナ
チュラルはコーディネイターを滅ぼしますか? コーディネイターはナチュラルを滅ぼしますか? それと
も、和解して共に歩もうとしますか? その決定権は、他ならぬ皆様方一人一人に委ねられています。です
が、殺し合い、流血を望むのが皆様方の考えることでは無いと、わたくしは信じて居ります』

 

 アスランの耳にもラクスの声。昔ほどの安らぎを感じず、或いはミーアの声がアスランにとってのラクス
であるかのように変質してしまっているのかもしれない。しかし、彼女の言わんとしている事は、アスラン
自身の願いでもある。彼女にはあまり良い思い出が無いアスランでも、理解は出来た。

 

「デュランダル議長はラクスをプロパガンダとして使う。彼女は本来、そういう存在ではあるが――ミーア
を用意したのは、彼女に対しての議長なりの当てつけという事なのか?」

 

 最初、ミーアをラクスに仕立てたのは、彼女をラクスの替え玉にする為であると単純に考えていた。しか
し、デュランダルのような人物がその為だけに態々スキャンダルに発展するようなリスクを冒すだろうか。
もしかしたら、性格の色が異なるミーアをでっち上げてラクスの自尊心を刺激し、彼女が自ら姿を現すよう
に仕向けたデュランダルの罠だったのかもしれないと、今になって思えた。尤も、不愉快に思っていたのは
彼女よりもキラの方で、彼女自身は怒るというよりも、寧ろ良き友人が出来たとミーアの存在を喜んでいた
ようだが。
 とは言え、真相はデュランダルの胸の内。アスランがいくら考えたところで、それは妄想でしかない。

 

「――今という状況で考える事ではないな」

 

 特徴的なデスティニーのバーニア・スラスターは、良い目印になる。先行していったシンが、要求どおり
の宙域へとジ・Oを追い込んでいくのを確認する。
 そこは、大小様々な隕石が集積された場所。本来は連合軍にメサイアまでの直進ルートを迂回させる為に
ザフトが作り上げた暗礁宙域であった。そのため、好んでそこへ足を踏み入れようとするMSは連合軍、ザフ
ト双方共に殆ど居らず、アスランはそこをブランとの決戦の場としようと考えた。
 デスティニーの砲撃の先、岩陰の隙間をバーニア・スラスターの青白い光がチラチラと見え隠れする。先
程の支援砲撃といい、この追い込みといい、シンは本当に色々な事が出来るようになった。

 

「デスティニーが位置を教えてくれている。なら、それに応えるのが隊長としての俺の役割だ」

 

 連携という言葉からは縁遠かった男との共同作戦。かつて、ミネルバでの初陣であったインド洋でのファ
ントム・ペイン戦を思い出す。その頃のシンは口答えが目立ち、誰に対してでも棘を隠さないような乱暴者
でしかなかった。あれから幾月――多くの戦場を経験し、彼自身もまた、人間的に成長できたのだろうか。
そう思わせる頼もしさを、デスティニーの動きから感じ取っていた。
 インフィニット・ジャスティスを暗礁宙域へと侵入させる。岩を利用して出来るだけ身を隠しながら、デ
スティニーの砲撃先へと忍び寄る。人工的に作られた暗礁宙域ということで、岩の密集具合が凄まじく、窮
屈に感じた。しかし、シンの援護が入ると考えるだけで、随分と気が楽だ。今の彼は、それだけ頼りに思え
る。

 

「――見えた!」

 

 デスティニーのビームライフルの一撃が、岩を砕く。削り取られたその向こうに、ジ・Oの尖がり頭が覗いた。
 まるで、かくれんぼの鬼になったような気分。まだ子供っぽさを残すシンならば、その瞬間に興奮を隠せ
ないだろうがアスランは違う。性格の違いとも言えるが、彼は普通は興奮するような場面でも逆に自らを律
して冷静であろうと努めようとする傾向がある。それは性癖なのかもしれないが、常に死と隣り合わせの戦
場に於いては有利な要素なのかもしれない。
 狭い岩の間では、あまり強い加速は掛けられない。アスランは絶妙なタッチでスロットル・レバーを押し
込み、インフィニット・ジャスティスをジ・Oへと躍り掛からせた。
 左にビームライフル、右にビームサーベルを持たせる。ビームライフルの砲口を差し向け、アスランの正
面の照準がジ・Oの姿をその枠内に納めた時、不意にモノアイが振れてこちらを見た。偶々なのか気付かれ
ているのか、このまま行くべきか一旦思い留まるべきか――考えているうちに、アスランはビームライフル
の発射タイミングを逸してしまった。

 

「南無三――!」

 

 彼のもう一つの性癖。物事に対して優柔不断になるのは、あれこれ色々と考えすぎて思い切りの良さを
殺してしまうからである。様々な可能性を考慮するという事は、思慮深いということにも通じるが、それも
決断力が無ければ宝の持ち腐れ。その思慮深さを活かせないのは、ある意味で彼は「未完成」なのである。
 しかし今さら後悔しても遅い。ジ・Oは既にインフィニット・ジャスティスへの臨戦態勢を整えており、
アスランはそれに仕掛けるしかないのだ。
 ビームサーベルを横薙ぎに一閃。ひらりとバックステップで逃れるジ・Oに向けてビームライフルを3連
射。巨体が身体を半身にして軽々かわすと、幅広で長いビームソードを振り上げた。インフィニット・ジャ
スティスに制動を掛け、紙一重でその斬撃をかわす。

 

 一見、互角の攻防だが、その実、間合いはジ・Oのものである。インフィニット・ジャスティスが仕掛け
るにしては微妙にリーチが足りないが、ジ・Oは届くという絶妙な距離。軍人としての経験ならば圧倒的に
上のブランが作り出したフィールドである。

 

「チィッ! 隠し玉は――」

 

 接近戦のギミックは、ジ・O以上に豊富に持っている。特に左腕に装着されているシールドは、一見普通
のものに見えるが、それ自体が暗器の宝庫である。ブランの作り出した距離など、あっという間に無効化す
る事も出来るだろう。しかし、いざと言う時の為になるべく手の内は晒したくないという事情もある。

 

「――うッ!?」

 

 ビームライフルが2発、撃たれたかと思いきや、アスランの眼前を黄金の軌跡が通過した。長刃のビーム
ソードがインフィニット・ジャスティスの顔面を掠めたのである。知らず知らずのうちに反応した身体が、
いつの間にか操縦桿を引いて微かに機体を退かせていた。それが無ければ、今の一撃で戦闘不能であっただ
ろう。身も凍る思い――アスランは眩惑せざるを得なかった。

 

『鈍いな!』
「クソォ……ッ!」

 

 ジ・Oの下腹部から振り上げられる2本のビームサーベル。出し惜しみをしている場合ではない。
 左腕を、居合い抜きを構えるように右腰の辺りに添えた。シールドの先端がビームの輝きに溢れ、イン
フィニット・ジャスティスが左腕を逆袈裟に振り上げるのと同時にビームの刀身が伸びる。

 

『仕込みドスか!?』

 

 そんな生易しいものではない。インフィニット・ジャスティスのシールド先端から出でたビーム刃はブラ
ンの予想を遥かに超えて伸び、果てにはジ・Oのビームソード以上の長大さを現した。それは近接戦闘を生
業とするインフィニット・ジャスティスの仕込み武器の1つ、シャイニング・エッジの変化形のビームソー
ド。ジ・Oのビームサーベル2本を、その一振りだけで防ぐ。
 本来なら、こんな風にして使う予定ではなかった。暗器というものは、相手の意表を突くからこそ効果的
であって、一度見せてしまってからではその威力は半減してしまう。状況が不利な以上、贅沢を言っていら
れる場合ではないのは百も承知であるが、しかし、暗器を攻撃にではなく防御の為に「使わされた」という
現実が、アスランの鼻っ柱をへし折ったのは事実であった。何よりも、インフィニット・ジャスティスとい
う最新鋭機を使いこなせない自分が、悔しかった。屈辱だったのだ。

 

『何やってんです、隊長は!』

 

 声が聞こえると同時に、複相ビームの光が傍を掠めた。ジ・Oのモノアイがぎょろりと周囲を見回すと、
ビーム刃同士の反発力を利用して正面より離脱、それからインフィニット・ジャスティスの上方に向けてビ
ームライフルを撃ってデスティニーに牽制砲撃を掛けた。

 

「逃がすかッ!」

 

 シールドからシャイニング・エッジを取り出し、それをジ・Oに向けて投擲。しかし、あっさりと切り払
われてしまう。

 

「クッ……!」

 

 アスランの顔が苦汁に歪んだ。ジ・Oが強敵だからなのか、今一調子に乗り切れない。浮かれているのか
――どうにも空回りしているような気がして、自らの不調を訝しげに思った。
 脇を、デスティニーが駆け抜けた。岩陰に身を隠そうとするジ・Oに、そうはさせじとビームライフルを
連射して迫る。ジ・Oの反撃をものともしない運動性能で、光を纏ったデスティニーは圧倒的であるように
すら見えた。接近戦で苦杯を舐めたシン、肉弾戦でなければ互角以上に渡り合えるのかもしれない。

 

『英雄アスラン=ザラは――!』
「え……?」

 

 苛立ちを含んだ声。久方ぶりに聞くシンの声色に、アスランは不覚にも気圧されてしまう。かつての刺々
しさを持った声と同じであるが、当時と違うのは少しの淀みも無い事。雰囲気がまるで違うのだ。
 ジ・Oとデスティニーの中距離での撃ち合い。即死レベルのメガ粒子砲をものともせずに舞うデスティニ
ーは、まるで怖れを知らないかのようであった。神業のような機動は、特殊な推進システムを装備している
からではない。それを使いこなすシンのパイロット・センスによるものだ。

 

『この程度じゃないはずでしょ! 本気でやって下さいよ、本気で!』
「何だと!? 俺は手を抜いちゃ――」

 

 ここは暗礁宙域。身を隠す岩は腐るほど存在している。デスティニーが逃げようとするジ・Oを阻止しよ
うとビームライフルを撃つが、ひらりと岩陰に隠れられてしまった。それならば、とデスティニーが左の脇
から鉄色の砲身を伸ばし、高エネルギー砲を放った。

 

『俺は――』

 

 ケルベロスやオルトロスと同系統の武器であるが、それよりも更に威力を高めたその一撃は、ジ・Oが隠
れた小隕石を容易く砕いた。しかし、手応えが無かったのか、通信回線からはシンの舌打ちが忌々しげに
聞こえてくる。
 デスティニーは即座に高エネルギー砲の砲身を上方に構えなおした。彼には逃げたジ・Oが見えていたと
いうのか、何の迷いも無く2撃目を放った。その射線の先、慌てたようなバーニア・スラスターの青白い光
が、アスランの目に微かに入り込んだ。
 休む間もなく、デスティニーが再加速する。高出力のバーニア・スラスターの恩恵は絶大で、アスランす
ら驚愕するような加速力でジ・Oへと突っ込んでいく。

 

『隊長の事はあまり好きじゃありませんでした! 故郷のプラントを捨ててアスハにべったりで――ザフト
に復隊したと思ったらいきなり隊長でフェイスで――わけ分かんないって思ってた!』

 

 それは知っている。シンが2年前にオーブで起きた戦いのせいで家族を失い、その原因を作ったウズミの
娘であるカガリを憎んでいた事、そして、その護衛をしていた自分の事を軽蔑していた事も。
 しかし、それが何だと言うのか。今この時に言うべきことでは無いだろうに。今さら昔の癇癪がぶり返し
て喧嘩したくなったとでも言うのか。

 

「不満があるのなら、後で聞く! 今という時に話すことでは無いだろう!」

 

 やはり、シンはシンでしかなかったのか。ビームライフルでジ・Oを狙い撃つも、既に当初予定していた
連携行動は形を成していなかった。先程感じた彼の成長は、夢幻でしかなかったのか。

 

『見ちゃいられないから!』

 

 加速しながらデスティニーが右肩からフラッシュ・エッジを取り出し、それをジ・Oに向けて投擲。しか
し、ジ・Oはフラッシュ・エッジを簡単に弾く。デスティニーは弾かれたフラッシュ・エッジを再度回収、
そのままビームサーベルとしてマニピュレーターに持たせ、ビームライフルで牽制を掛けながら斬りかかっ
たが敢え無く回避されてしまう。お返しとばかりにエルボーを首元に受け、デスティニーが脳震盪を起こし
たようにグラついた。
 危ない――咄嗟に撃ったインフィニット・ジャスティスのビームライフルが、ビームソードを振りかぶっ
たジ・Oを後退させ、何とか事無きを得ることが出来た。

 

「バーサークしている!? ――何を考えているんだ、シン!」

 

 やはり、単独で立ち向かっても勝てないのだ。ジ・Oはそれだけの強敵であり、倒すにはしっかりとした
連携は必須である事には間違いない。いくらシンでも、その事が分からない筈が無い。だのに、彼は尚もア
スランの言葉を無視してジ・Oに向かっていく。

 

『隊長の事は嫌いだったけど、でも、MSパイロットとしては尊敬してた! 嘘じゃない、本当なんです! 
インド洋で初めて一緒にファントム・ペインと戦った時、敵わないって思った! だから、戦っていく内に
アスハの事も忘れて、1人のパイロットとして認めてた! ベルリンでデストロイを倒した時、隊長は俺を
一人前のパイロットとして認めてくれた――嬉しかったんです! キラ=ヤマトの様にだってなれるって言
ってくれた事や、何よりも英雄だって言われている隊長に認めてもらったことが、俺の誇りになったんです
よ! なのに、今の隊長は何をやってんです!? 偉そうに語ってた隊長が、俺の前で無様をやって恥を晒
して――自分をみっともないと思わないんですか! 悔しいって思わないんですか!』
「シン……」
『アスラン=ザラはもっと強かったはずだ! 英雄なんでしょ! プラントを救ったんでしょ! なら、そ
の名に恥じない姿を見せてみろ! 出来ないなら、俺は今のあんたを認めない! 隊長とは呼ばない! 命
令にだって従うもんか!』

 

 ギリギリの瀬戸際――ジ・Oと銃撃を交えるシンに、アスランの印象ほどの余裕は無かった。本当なら、
こんなべらべらとしゃべりながら戦ったりなどしないはずだ。しかし、それでもシンは声を大にして言いた
かった。これ以上、不甲斐ないアスランを見たくなかったからだ。自分が尊敬する男がこの程度だと認めた
くなかったからだ。
 分かっていたはずだ。カガリがどうとか、ミーアがどうとか考えながら戦争をやって、それでまともに戦
えるわけが無い。迷いを持ったまま戦場に出ればやられる。当たり前の事じゃないか。

 

『今のあんたには頼らない! ジ・Oは俺が1人で倒す! あんたは邪魔にならないように適当にやってろ!』

 

 シンの乱暴な言葉は流石に頭に来るが、彼の言う事も尤もだ。こんな体たらくで、今やザフトのトップ・
エースに名を連ねる彼に偉そうに出来る立場では無い。頭を冷やすのだ。余計な事は今は忘れて、戦場で何
を為すべきなのかを考えるのだ。煩悩は、目を曇らせる。煩悩に惑わされない目が欲しい。
 アスランは一つ大きな深呼吸をした。吐息がバイザーの内側を白く曇らせる。口元の辺りから膨張してい
き、吐く息を止めると、それは逆に少しずつ縮小していった。
 その白い曇りが、アスランの煩悩だ。薄く開けた目でぼんやりと眺め、徐々に小さくなっていくそれが消
え行くのを待つ。頭の中がシンクロしている――まるで着膨れしていた服を脱ぎ捨てるように、頭の中が軽
くなっていく。それは、とても不思議な感覚だった。曇りが小さくなっていくのと同時に、煩悩が削ぎ落と
されていくような感じ。アスランは、目を閉じた。
 頭の中が、透明になっていく。今のアスランは空っぽだ。行動する為には、何か目的を考えなければなら
ない。1つでいい――アスランは戦場である事を考えた。
 バイザーの曇りが、消えた。同時にアスランの目蓋が上がる。頭の中で、何かが弾けた。途端、窮屈に思
えた暗礁宙域が広く見えた。

 

「もう迷わん……!」

 

 見えなかったジ・Oが、今なら見える。アスランは操縦桿に添えた手を一息に奥まで押し込んだ。何の躊
躇も淀みも無い動作だった。

 

 暗礁宙域に追い込んだという認識は、間違いだったのかもしれない。ジ・Oはその巨躯を晒しながらも、
この隕石が数多散在する状況であっても些かのパフォーマンス・ダウンを起こしていない。それどころか、
隕石を利用して多対一の不利を埋めようとしている。それはジ・Oが高性能であるとか、パイロットの技術
的な問題ではなく、ブランの経験値が生み出した状況である。シンとアスランは、この暗礁宙域へとブラン
を追い込んだのではなく、誘い込まれたのかもしれない。たまたま思惑が一致したのだと考えれば、勘違い
も筋が通る話であるが――

 

「クゥッ!?」

 

 ジ・Oは巧みに物陰を利用して、シンをかく乱してくる。逃がすわけには行かないというシンの心理は、
追う者の焦りとして隕石を利用するという行為を怠らせていた。こちらから敵の姿は見えないが、敵からは
こちらの姿は丸見えなのである。機体の性能差やパイロット技術云々の前に、状況で不利を作られてしまっ
ている現実に気付くには、シンはまだ未熟であった。

 

「どうすりゃいい? ――そこッ!」

 

 横合いからビーム攻撃を受けた。シンの超絶的な反応が不意討ちの一撃を回避させ、間髪を入れずに
射線元へと高エネルギー砲を撃つ。しかし、隕石を粉砕した先にジ・Oの影も形も無かった。

 

「また外れ!? ――うわっ!」

 

 攻撃を受けてその射線元に向かっても、いつの間にか別の方向から更なる攻撃を加えられる。いい様に弄
ばれているだけの状況では、如何ともし難い。しかも、それがブランの時間稼ぎなのだとは露ほどにも思わ
ないシンは、無駄に時間を浪費しているだけだという事にすら目が行かなかった。

 

「この手詰まり感――もぐら叩きをやらされているのか、俺は!」

 

 八方塞とは、こういう状況を指して使う言葉なのか。何とか被弾は免れているが、いつまでも続けられる
ようなものではない。単機で挑んでもにっちもさっちも行かないとは分かっていても、先程のアスランの体
たらくを見る限り、彼を当てにする事は出来ない。ジ・Oは、自分1人でやるしかないのだ。

 

「やるしかないんだ……俺が! ここで!」
『落ち着け、シン!』

 

 通信回線にアスランの声が入り込んできた。シンは耳の辺りに手を添え、インフィニット・ジャスティス
の機影を探す。

 

「隊ちょ――あんたはノコノコと! 偉そうなのは口ばかりで!」
『騒がしいと言っている。敵は――』

 

 漆黒の闇の中にギラリと光る刃の輝き。それは、鏡面に磨き上げたメッキのような銀ではなく、研ぎ石で
研がれた刀のような鈍色の煌き――インフィニット・ジャスティスの銀色の輝きが、隕石の陰に潜んでいた
ジ・Oを押し出して姿を現した。

 

「あんなところに――隊長は見えていたのか?」

 

 2刀のビームサーベルでビームソードを押し込み、脛のビームブレードでサブ・マニピュレーターのビー
ムサーベルを弾く。
 いつの間に見つけたのか。接近戦に持ち込んでいるインフィニット・ジャスティスは、ジ・Oの肉弾戦の
強さを意識させないような鋭さがあった。力任せに弾き飛ばされるも、インフィニット・ジャスティスは隕
石を蹴って跳躍し、ジ・Oを蹴り飛ばした。その一連の動きはマシンではなく、人間のもの近い。
 全身に鳥肌が立った。何だろうか、このわくわくする高揚感は。ラクスの演説なんかメでは無い。少年の
心をくすぐる強いアスラン=ザラは、シンの瞳を憧憬の光に溢れさせた。

 

『何をしている! ジ・Oは2人掛りで叩くと言った事を忘れたか!』
「あっ――はい! すんません!」

 

 ジ・Oに向けてビームライフルを連射。インフィニット・ジャスティスがジ・Oへと迫撃する。

 

『狙いが甘い! 俺の隊に射撃が下手な奴は2人も要らない!』
「な――了解です!」

 

 厳しい叱咤が飛ぶ。つい数分前までの男の声色とは思えない。しかし、心地よい響きだった。ようやくア
スランがシンが期待するような実力を発揮し始めたのだ。有無を言わせない力強い声は、自然とシンを従わ
せる迫力があった。

 

 迫り来るインフィニット・ジャスティスは、明らかに雰囲気が違った。動きの質が、一味も二味も違うの
だ。一体、どんな革命が起こったと言うのか――ブランに知る由は無い。

 

「背中のランドセルをパージした?」

 

 インフィニット・ジャスティスのバック・パックが、分離した。それは左右から翼面を展開し、方々から
ビーム刃を突き出した。ファトゥム01――まるでコンドルのような姿形を取り、自立してジ・Oへと体当た
りをしてくる。

 

「ふざけた事を!」

 

 デスティニーのビーム攻撃など、問題ではない。インフィニット・ジャスティスは動きに切れを増した
が、MSの機動の根幹を成すバーニア・ユニットを遠隔武器として使うようでは、アイデアの高が知れる。MS
の命は機動力と運動性能だ。それを自ら捨てる輩に、ジ・Oを操る自分が負けるわけがない――ブランはそ
う思った。
 ファトゥム01の加速力は、インフィニット・ジャスティス本体を切り離した事で数段跳ね上がった。しか
し、それなりの大きさを示すそれに直撃されるほどブランは間抜けではない。ひらりとかわし、ビームライ
フルをインフィニット・ジャスティスに向けて発砲した。
 ビームが粒子の尾を煌かせてインフィニット・ジャスティスに迫る。ビームにはビームで――インフィニ
ット・ジャスティスのシールドから、膜で包み込むように光波防御帯が広がった。ビーム攻撃に対して絶対
的防御力を誇るビームシールドが、メガ粒子砲をも無効化する。

 

「しかし、ランドセルを失くした機体ではな! ――鶏頭ぁッ!」

 

 メイン・スラスターを切り離した機体に、まともな機動力など皆無。最低限の機動力程度は残されている
かもしれないが、戦闘機動を行えるとはとても思えない。インフィニット・ジャスティスはバック・パック
をぶつけるという奇を衒ったつもりが、自ら墓穴を掘ったのだ。
 インフィニット・ジャスティスへと迫る。デスティニーの援護射撃を岩を盾にしてやり過ごし、ビームソ
ードを構えた。
 その時、インフィニット・ジャスティスのシールド中央部から鋏のような物体が射出された。尾にワイヤ
ーの紐をつけたアンカー攻撃。まだ隠し武器を仕込んでいたと言うのか――しかし、ブランは慌てることな
くそれをかわした。

 

「悪あがきを!」
『どうかな?』
「何ッ!?」

 

 微笑を含んだ不敵な声。それがただの強がりでなく、確信を持った声だと気付いた時、不意にインフィ
ニット・ジャスティスが信じられないような加速でこちらに突っ込んできた。メイン・スラスターを失った
MSが取るような加速ではない。流石のブランも度肝を抜かれた。
 謎の加速から繰り出された回し蹴りが、ジ・Oの左腕を捉える。脛のグリフォン・ビームブレイドが二の
腕に食い込み、斬り飛ばした。

 

「よくも!」

 

 そのまますれ違い行くインフィニット・ジャスティス。しかし、そのままで済ますブランではない。即座
に反転し、右腕に握られたビームライフルが火を噴いた。

 

『撃たれた!? ――えぇい!』

 

 メガ粒子砲の軌跡が、インフィニット・ジャスティスの右足の膝を撃ち抜く。バランスを崩し、若干のき
りもみ回転をしながら、しかし不思議なことに加速力自体は衰える事はなかった。

 

「何だ? ――あれか!」

 

 インフィニット・ジャスティスがシールドから伸ばしたアンカー、それが先程に飛ばしたファトゥム01に
鋏で喰い付いていた。何て事は無い、インフィニット・ジャスティスの謎の加速は、ファトゥム01に引っ張
られたことによるものだったのだ。だから運動性に自由が利かず、今のインフィニット・ジャスティスは良
い的である。

 

「奇策を用いるという事は、貴様に力が無いという証左だろう! そういう人間は、得てして目先の結果だ
けに目を奪われがちになる! だから、奇襲は出来てもその後の事を考えられなければこういう事に――」

 

 ビームライフルの照準をインフィニット・ジャスティスに合わせ、トリガー・スイッチを押そうとした時
だった。インフィニット・ジャスティスの彼方から、赤と白の炎熱のようなビームがジ・Oを飲み込まんと
飛来してきた。高火力の一撃、デスティニー以外には考えられない。

 

「あ、あ奴ら、示し合わせていたと言うのか! この状況で……!」

 

 お陰で、狙撃のタイミングを逸した。ブランは忌々しげに舌打ちをするのだった。
 結果的に、アスランは命拾いをした事になる。しかし、本人はそういうつもりは全く持っていなかった。
シンは先程アスランの「ジャスティスに合わせられるな?」という問いに対して肯定して見せたのだ。だか
ら、必ず援護は入ると思っていた。

 

『隊長ッ!』
「次で決める! 攻撃パターンを変えるぞ! ジャスティスの動きを見逃すな!」
『了解!』

 

 ファトゥム01の制御は所謂ドラグーン・システムの応用で、遠隔操作でもある程度の融通は利く。ただ、
MSのようなフレキシビリティな運用は出来ないから、高速機動中の旋回には大きな弧を描く必要があった。
 インフィニット・ジャスティスがアンカー・ワイヤーを切り離した。ファトゥム01は大きく旋回してジ・O
の頭上から襲い掛かり、そして本体は隕石を足場にして跳躍し、再度ジ・Oへと迫撃する。

 

「十字砲撃――かわせるか!」

 

 ファトゥム01のフォルティス砲、そしてインフィニット・ジャスティスのビームライフル。前と上からの
十字砲火でジ・Oを攻撃する。しかし、ジ・Oは「ファット・マン」というザフトの蔑称に似合わぬ運動性能
で、アスランの渾身の攻撃ですら掠りもさせない。
 これまでの戦いを鑑みれば、予想通りといえば予想通り。ならば、最後の手段に打って出るしかない。

 

「お前に賭ける……シン!」

 

 ファトゥム01がビームスパイクとなってジ・Oの上から襲い掛かる。当然のようにジ・Oはかわすが、アス
ランはその回避で出来た一瞬の隙を突く。インフィニット・ジャスティスは隕石を蹴った跳躍の勢いそのま
まにジ・Oへと突撃し、左腕に持たせているアンビデクストラス・ハルバードをバトンのように回転させな
がら振り上げた。

 

『カミカゼのつもりだろうが!』
「そんなつもりは無い!」

 

 ジ・Oのビームライフルがインフィニット・ジャスティスの左肩を打ち抜き、左腕が吹き飛ばされる。
 瞬間、アスランの目が見開いた。固く食いしばった歯が、鎖の封印を解かれたように開かれる。

 

「うおおおぉぉぉ――!」

 

 アスランの雄叫びと共にインフィニット・ジャスティスが腰を捻った。右手に握らせたビームライフルの
砲口が突き出され、ジ・Oの頭部モノアイに突き刺さる。

 

「吹き飛べぇッ!」

 

 ゼロ距離からの射撃。ビームが発射され、ジ・Oの頭部を貫通。ビームライフルはジ・Oの頭部共々、爆散
した。

 

『も、モニターが――何だと!?』
「今だ、シン! トドメを刺せ!」

 

 咄嗟にビームライフルから手を離したインフィニット・ジャスティスの右腕が、ジ・Oの腹回りを抱くよ
うにして拘束した。
 ブランはメイン・カメラをやられた混乱で、状況の把握が遅れている。今がジ・Oを撃墜する最初にして
最後の好機であろう。これを活かすも殺すもシン次第――アスランは、彼が必ずやり遂げてくれると信じて
いた。

 

 シンは、アスランの意図に気付いては居なかった。インフィニット・ジャスティスがジ・Oの頭部を破壊
しても、どのタイミングで援護を入れるかを考えていた。しかし、インフィニット・ジャスティスがジ・O
に抱きついて動きを封じた時、彼の身体は自ずと然るべき動作を行った。それは、理屈で行う事ではない。
彼の本能の部分が、理性を超越して身体を突き動かした。
 デスティニーの手が右後背部にある長得物を取り出すと同時に、光の翼が広がった。損傷したインフィ
ニット・ジャスティスではジ・Oを長い時間、抑えていることは出来ない。デスティニーが持てる最大限の
力を解放して、シンは急いだ。

 

「ケリを付ける――ジ・Oッ!」

 

 両手で柄を持つ。腰に帯刀している様な脇構えで突撃。半分に折りたたまれていた刀身が展開すると、片
刃からレーザー刃が光を放った。
 一方、大半のモニターが砂嵐に変わったジ・O。ブランは背後から凄まじいスピードで迫るデスティニー
の存在は察知していた。しかし、組み付いたインフィニット・ジャスティスが邪魔で身動きがとれない。
 初めて陥った劣勢。ブランは、自身の命の危機を感じ取っていた。アムロ=レイにアッシマーが撃墜され
た時の記憶――その時と同じ予感がする。とても嫌で屈辱的な予感だった。
 しかし、今ブランが乗っているジ・Oは、アッシマーとはモノが違う。圧倒的に不利な視界でも、機体の
性能を最大限に引き出せれば苦境を脱する事だって出来るはずだ。ブランはまだ諦めていなかった。

 

「こいつめ!」

 

 サブ・マニピュレーターが、ビームサーベルでインフィニット・ジャスティスの二の腕を切る。

 

『そ、そんなバカな!?』

 

 アスランの焦燥した声。既に左腕を失っていたインフィニット・ジャスティスは、ジ・Oを掴まえておく
術を断たれた。最早素体に等しいこの敵は、無力も同然だ。ブランは生き残ったモニターから伝えられる僅
かな情報を頼りに、デスティニーと相対させた。
 ジ・Oを反転させた時、デスティニーは既に眼前へと迫っていた。大きく右肩に大剣を構え、今にも振り
下ろさんばかりの迫力。その、シンの覚悟とも言うべき大きな構えが、ブランに時間を与える事となった。

 

『もらったぁッ!』

 

 加速を乗せて、大剣・アロンダイトが振り下ろされる。円運動をする切っ先が、ミラージュ・コロイドの
光と合わさって黄金の軌跡を描いた。その切っ先はジ・Oの肩口へと迫り――外れた。

 

「ハッ! そんな隙だらけの動きで――」

 

 瞬間、ブランは我が目を疑った。デスティニーが、まるで時間を巻き戻したかのように再び同じポーズで
アロンダイトを構えていたのだ。しかも、その足元ではアロンダイトを振り下ろしたデスティニーが蹲って
いる姿もある。そこから胴回しをして現在のポージングに至る過程が、幻影として残されていた。
 それは、ブランが初めてデスティニーの幻影に惑わされた瞬間だった。余りにも速過ぎるデスティニーの
動きが、ブランの常識を凌駕していた。
 最早、為す術は無い。一度回避して油断した以上、もう一度アロンダイトをかわすだけの力が、ジ・Oに
は残されていなかった。

 

「イアン! ファントム・ペインの指揮は――」

 

 デスティニーの双眸が、緑の軌跡を描く。目に焼き付いたそれが、ブランが今わの際に見た光景となった。

 

「でやあああぁぁぁッ!」

 

 シンの咆哮と共に振り下す。刀身が今度こそジ・Oの肩口に切れ込みを入れると、ぐりぐりと抉り込む様
にして胸部に食い込んでいった。レーザーで焼き切りながらその重量でジ・Oの身体に沈んでいくアロンダ
イト――脇腹の付近まで捩じ込むと、そこで押すも引くも出来なくなった。

 

「離脱!」

 

 シンはアロンダイトをジ・Oに切り込んだまま放棄し、ボロボロになって漂っているインフィニット・ジ
ャスティスを抱えてその場を離れた。
 頭部と左腕を失い、胴体部には大剣が切り込まれている。数瞬の静寂の後、ジ・Oは大きな爆発を伴って
四散した。

 

 振り返り、爆発の閃光を見る。心臓はバクバクと早鐘を鳴らし、呼吸も平時と比べれば相当に早い。固く
操縦桿を握る指は脈の鼓動を一本一本で感じ、気付けば全身が温い湿気に覆われていた。思い出したように
瞬きをすると、存外に目が痛い。酷く乾いていたようで、鏡を見れば瞳と同じ色の白目がお目にかかれる事
だろう。
 実感が、湧いてこなかった。本当にジ・Oは自分が倒したのか、そもそもあのジ・Oは本物だったのだろう
か――全てが閃光の中に消え去った今となっては、自分の記憶だけが依拠できる証拠である。
 コックピット・ハッチを開き、外へと身を出した。思った以上に疲れているらしく、上手く身体に力が入
らなかった。

 

『やったな、シン』

 

 放心状態の中、耳に聞こえてきたのは尊敬する男の声だった。その男が一応の目撃証言者という事になる
のだろうか。何はともあれ、彼の存在なくしてジ・Oの打倒は無かっただろうという事を考えれば、いくら
感謝してもし切れないだろう。
 アスランは同じ様にコックピットから出て、ハッチの縁に腰掛けていた。こちらに向けて拳を突き出し、
親指を立てる。若干の距離があって表情までは読めなかったが、きっと笑顔で見てくれていることだろう。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 小さく、掠れていた。喉の奥から出てきた声は、自分でも驚くほど細い声だった。
 シンの虚ろな瞳が、インフィニット・ジャスティスに視線を泳がせた。大仰にも見えた紅のMSは、見るも
無残な姿に変わり果てていた。マントのようであった背中のファトゥム01を失い、右膝から先と両腕を失っ
た素体にも等しいインフィニット・ジャスティスは、そのパイロットの強さからは大きく掛け離れた貧弱で
脆弱な姿を晒していた。――アスラン=ザラがここまでやられなければ、ジ・Oは倒せなかったのだ。
 アスランが掌を上に返し、肩を竦めた。インフィニット・ジャスティスの惨状を嘆いての事だろう。掛け
ていた腰を浮かし、スゥッと再びコックピットの中に消えた。

 

「どう…ですか」
『このくらい――と言いたいところだが、無理だな。遺棄するまでではないが、ダメージを受け過ぎている』

 

 途端、インフィニット・ジャスティス各部の銀色が、黒ずんだ鈍色に変わった。まるで役目を果たし終え
たかのようにフェイズ・シフト装甲のエネルギー供給が停止したのだ。

 

『情けないが、ここは一旦――』
「隊長」
『ん? どうした』
「ミネルバへ帰艦します」
『あ、あぁ……? そうしてくれ』

 

 シンはふとミネルバの事を思い出した。ジ・Oとの戦いはかなりの時間を消耗した。戦況を確認するとい
う意味でも、一度ミネルバに戻るべきだと思う。それに、インフィニット・ジャスティスは戦闘継続が不可
能な状態であり、アスランを無事に帰還させるという理由もある。
 アスランの方も、それは納得していた。ミネルバへの一時帰艦は補給の意味でも重要であり、シンの言う
事は尤もであった。しかし、アスランが怪訝に思えたのは、ジ・Oという強大な敵を倒しても、シンの態度
がしおらしいという事実であった。礼を失しているかもしれないが、シンという人物像を考えた時に、彼が
取るような態度とはとても思えなかった。
 ジ・Oの撃破――この事実の実感を得るには少し時間が必要だろう。シンは不思議なほど冷静な自分を、
我ながらおかしいと自嘲つつも、今はこれで良いと思えた。戦士としての確かな成長――それだけは、実感
できていたからだ。それは、シンにとってとても喜ばしい事だった。

 

 背中を抱くようにして、デスティニーはインフィニット・ジャスティスを連れ行く。暗礁宙域の中は、相
変わらず静かだった。