ΖキャラがIN種死(仮) ◆x/lz6TqR1w 氏_第52話

Last-modified: 2009-03-11 (水) 13:19:27

『いのち煌く』

 
 

 敵の抵抗は思ったよりも強くなかった。それは、誰かの思惑が働いているというのではなく、単純に、ダイ
ダロス基地の防衛部隊がこちらの陽動に乗ってくれているお陰であった。
 後方にギャプラン。カミーユはレコアに言われたとおり、ステーションの真下を目指す。彼女の指し示した
空には、おぼろげにコロニーらしき影が見えていた。
 ステーションを通り過ぎたレクイエムの光を、思い出す。映像越しであったが、コロニーを改造した中継ス
テーションを通過した光のインパクトは、月のグラナダに落下しようかというアクシズの軌道を変える程の威
力を示したコロニー・レーザーの印象と重なる。そういう超兵器を、敵は使おうとしているのだ。
 ロード=ジブリールという人物が噂どおりとすれば、それはプラントを直接狙ってくるだろう。それは、何と
してでも阻止しなければならない。

 

 やがて、巨大な竪穴らしき窪みが見えてくる。恐らく、あれが反射衛星砲の本体なのだろう。それと同時
に、1体の巨大機動兵器の影も確認した。いや、影では無い。黒く見えるのは、黒い機体だからだ。ぼうっと
モノアイが光ると、嵐のようなビームが放たれた。
 ビームをかわし、ハイパー・メガ・ランチャーで反撃するも、バリアに弾かれて効果は得られない。

 

「ゲーツはデストロイを持ち出す。――まったく!」

 

 類稀なるニュータイプの資質を秘めたカミーユの閃き。デストロイに乗っている人物を、一瞬で看破してみ
せる。
 厄介な事になったと思う。デストロイは強固な装甲、それに陽電子リフレクターを併せ持つ上に、豊富な
火器による膨大な火力をも有している。サイコ・ガンダムを彷彿とさせるそれは、カミーユにとって苦手な敵
だった。
 不意に、ギャプランが前に出る。デストロイにゲーツが乗っていることを、ロザミアも分かっているはず。

 

「ゲーツの事は、僕に任せればいい!」

 

 1人で向かわせるのは、危険と感じた。カミーユは操縦桿を一番奥まで押し込み、ウェイブライダーを加速
させた。

 

 オーブでカミーユに撃墜された後、味方に回収されて生還したゲーツ=キャパは、そのあまりのロザミア
を求めすぎる傾向が問題視され、再調整を施す為に強化人間の研究機関へと送られた。そこで「ゆりか
ご」による記憶操作を施され、シロッコの部隊へと派遣されてきた経緯があった。
 戦いに不必要な記憶を排除し、情緒の安定化を図られたゲーツは、強化人間としてほぼ完成されてい
た。彼にとって自らの存在意義は戦う事であり、またその為に生まれてきたのだと思い込んでいた。その一
方で、大切な事を忘れてしまったとも気付かずに。

 

 ゲーツは不思議な感覚に包まれていた。戦闘が開始されてから、どの位経つのだろうか。いや、時間は
問題ではない。敵が攻めてきてからこの方、妙な懐かしさを覚えていたのだ。それは、記憶にぽっかりと穴
が開いているような感じで、こちらへ向かってくる敵に知っているような人間がいるような気がした。

 

「パプテマス=シロッコが、このデストロイのシステムにニュータイプ用のサイコミュを仕込んでいるという事
実は知っている。しかし、この妙な違和感は何だ? サイコミュが私にフィットしていない感覚だぞ」

 

 デストロイのコックピットは、ゲーツに使い易いように全天周モニターとリニア・シートに造り替えられてい
た。それ故に、シートの座り心地は悪くない。操縦桿の重さだって、適度に重量感を感じてゲーツの鍛えら
れた腕に良く馴染む。フィジカルに受けるデストロイの操縦感覚には、何ら不満は無い。なのに、機体との
メンタルな部分でのリンクを司るサイコミュ・システムだけが、変にゲーツに違和感を与えるのである。
 シロッコがサイコミュ・システムの調整に手を抜いたのではないだろうか。そう疑いたくなるほどにゲーツ
は煩わしさを感じていて、ヘルメットの上から擦るように頭に手を当てた。しかし、そのゲーツの印象はまる
で逆で、サイコミュ・システムがしっかりと機能しているからこそ、煩わしさを感じるのである。
 頭の中をかき混ぜられるような不快感。その不快感はΖガンダムとギャプランの出現と同時に増し、ゲー
ツの表情を一段と険しいものへと変えた。

 

「私を苛立たせるのは、貴様らか! この、不愉快さは!」

 

 ゲーツが操縦桿を動かす。それと連動して、デストロイが、ゆっくりと一歩を踏みしめた。巨体ゆえに鈍重
であるが、それが逆に存在感を誇張する。足底が月面に下りると、乾燥した砂が大きく巻き上げられた。ま
るでデストロイの重量感を過剰演出しているようだ。

 

 向かってくるΖガンダムとギャプラン。デストロイが腰を落として中腰の構えになると、背部の巨大な4門
の砲身が一斉に肩越しから前に向いた。戦艦の主砲をも凌駕するデストロイの最強兵器、アウフプラー
ル・ドライツェーンである。

 

「こいつで!」

 

 地獄の業火が4本、月の空を穿った。メガ粒子砲すら歯牙にかけないそれは、真っ直ぐに敵へ向かって
伸びていく。
 宇宙を焼くような4本の光。まともに受ければ、恐らく跡形も無く消滅させられてしまうだろう。
 カミーユ達は左右に散開してやり過ごした。サイコミュ・システムがビームにパイロットの意思を乗せてい
るのか、その一撃から突風のようなゲーツのプレッシャーを感じる。敵は、本気だ。
 カミーユはΖガンダムをMSへ戻して一旦、月面へと着地させる。視線を感じ、デストロイを見上げれば、
その頭部がジッとこちらを見つめていた。威風堂々とその存在感を誇示するかのような佇まい。周囲を旋
回するギャプランを、片手間にマニピュレーター兼用のビーム砲で追い払う。明らかな余裕を見せ、まるで
こちらを挑発しているかのようだった。

 

「こっちを見ている?」

 

 妙だと思った。ゲーツの性格を考えれば、ロザミアの方に意識を集中させるだろうと思っていた。それな
のに、意外にも彼はカミーユを意識していた。――単に邪魔者であるカミーユを先に排除しようと考えてい
るだけなのかもしれないが。しかし、これは逆に都合が良かった。ゲーツの意識が自分に向いている分、ロ
ザミアへのリスクが低減されるからだ。

 

「なら、このまま!」

 

 Ζガンダムが月面を蹴って跳躍した。ハイパー・メガ・ランチャーの砲身を抱え込んで、デストロイの正面
から飛び越すような軌道で伸び上がる。狙いは、メイン・カメラでもある頭部。接着射撃を叩き込もうと画策
していた。
 しかし、そのΖガンダムの跳躍をなぞるようにデストロイの頭部が動く。顎を上げ、直上のΖガンダムを
睨みつける双眸のモノアイが、鋭く光を瞬かせた。

 

「――来る!?」

 

 カミーユは直感する。デストロイの口腔部が輝きを灯し、今にも吐き出さんばかりにエネルギーを蓄えて
いた。刹那、カミーユはブースト・ペダルを思いきり踏み込み、更にもう一段のブーストをかけた。
 直前までΖガンダムの存在していた場所を、ツォーンの光が切り裂く。間一髪、それをかわし、Ζガンダ
ムは翻ってデストロイの背後へと回り込んだ。上下逆さの体勢でハイパー・メガ・ランチャーの構え。ズドン、
と重く撃ち出したビームは、しかしデストロイの表面で攪拌するように弾け飛ぶ。ダメージは皆無、バリアの
内側から撃つ事が出来なかったのだ。

 

「間合いが甘い! ――駄目か!」

 

 反動で持ち上がるハイパー・メガ・ランチャー。後ろへ引っ張られるような反動を利用し、その動きの流れ
の中で、振り向くデストロイの視線から逃れるように即座に後退した。
 デストロイは陽電子リフレクターで完全防御されているとはいえ、物理的な衝撃までは無効化できない。
強烈なハイパー・メガ・ランチャーの一撃は石柱を叩きつけられたようなもので、コックピットではリニア・
シートが振動の吸収しようと前後に揺れていた。
 しかし、それでもゲーツは即時離脱して行ったΖガンダムの姿をその目で捉えていた。サイコミュ・システ
ムのお陰か、引っ張られる意識が自然とΖガンダムを追っていた。

 

「雑魚がちょこまかと!」

 

 振り返りざまにミサイルを発射。次いで5本指のビーム砲で狙い撃つも、Ζガンダムは木っ端が風に揺ら
れるかのごとくヒラリ、ヒラリとこちらの攻撃をかわす。その流れるような動きの中で左腕を上げ、続けざま
にシールド裏のミサイルを撃ち込んできた。
 鈍重なデストロイに、運動性は皆無と言って良い。だからこそ、鉄壁の防御が施されているわけで、遠、
中距離からの攻撃に対しては完全に無効化することが可能であった。しかし、ビーム兵器と違ってミサイル
などの実体弾は炸裂すると粉塵を伴う。
 果たして、ミサイルの炸裂の煙霧によって視界が汚されると、苛立ったゲーツは思わず自分の腕を横に
薙いだ。

 

「えぇい、敵はニュータイプの猿真似をやってくるのか! ――いや、違うな……そのものか?」

 

 脳がひりつく感覚がする。自分の目論見が悉く見透かされているようで、どうにも面白くないのだ。それ
が、カミーユのニュータイプとしての強大な才能を予感させ、強化人間としての劣等感が、本能的に潜在す
るニュータイプへの敵愾心へと繋がった。

 

 敵は、天然物である。実験と称される拷問のような日々の果てにしか得られなかった自分の力を、生ま
れ持った才能だけで凌駕していく。そんな恵まれた本物の才能が、今、目の前に現実として存在していた。
 ゲーツが、その現実を許せるわけがなかった。研究対象として身体を弄られ続け、時に、人間として扱わ
れるのを諦めたりもした。そんな惨めな思いをしてようやく手に入れた力を、嘲笑うかのように凌駕するの
だ。ならば、それを倒して超越して見せなければ、真に自らの存在意義を見出すことなど出来ないのではな
いか――追い込まれたゲーツが出した結論は、それだった。
 デストロイが、その巨大な腕を薙いで煙を吹き飛ばす。あっという間に煙霧を振り払うと、その双眸がΖ
ガンダムの姿を探した。

 

「何処だ! 独りでに存在を主張するニュータイプならば、サイコミュに引っ掛からない訳が無いだろう!」

 

 感情の高まりが、ゲーツから冷静さを奪う。闇雲にサーチを掛け、自身もやたらと首を回した。しかし、ミノ
フスキー粒子が介在するこの戦場で、レーダーの類が役に立ちはしない。コンソール・パネルにERRORの
表示が出ると、「役立たずが!」と憤って拳を叩きつけた。
 そんな時、コックピットに響く僅かな振動。モニターにCONTACTの文字が浮かぶ。いつの間にか背後に
回られ、接触を許してしまったというのか。手玉に取られていると感じる。ギリッと歯で音を立てた。

 

「貴様ぁッ!」

 

 カメラがその物体をキャッチ。肩口に抱きつくようにしてしがみ付いているそれは、しかしゲーツの思った
通りのMSではなかった。
 それは、深緑色のMS。紅のモノアイを光らせている。

 

「ムッ……! 頭が……?」

 

 途端、ゲーツの頭を違和感が襲った。そのMSに乗っているパイロットも、ニュータイプだというのか。叩
きつけるようにして頭に手を添え、違和感に苦悶の表情を浮かべる。

 

『お停まり!』
「この、脳が痺れるような生っぽい感覚……私にサイコ・バインドを仕掛けていたのはコイツだったのか。
――女ッ!」

 

 頭蓋の内側に、針を刺したような痛みと羽で擽られるようなくすぐったい感覚が混在する。この、妙な感触
を与えてくるテレキネシスの持ち主は、何者だというのか。

 

『こんなおっきなMSまで持ち出して、何をしようってのさ!』

 

 耳にノイズ混じりの女性の声。その口調は、声質から受ける印象よりも大分、幼く感じた。

 

「まるで攻撃の意志を見せない。こちらを懐柔しようって算段か? ――甘っちょろい事を!」

 

 独り言を口にしながら、それが的を射ていない推察なのだと気付いている矛盾。ゲーツの思考は、敵対し
ながらも交戦の意思を見せないギャプランの態度そのもののように戸惑いを見せていた。

 

「ガンダムに行かれるわけには――」

 

 肩口に組み付いたギャプランは、振り落とそうとするデストロイの動きに対し、決して負けまいと必死にし
がみ付く。その周囲を、機を覗うようにして旋回するΖガンダムを見て、ゲーツは舌を鳴らした。

 

「――戦う意志を持たぬものが、戦場(ここ)に何をしに来た!」

 

 語りかけながら、目はΖガンダムを追っていた。サイコミュ・システムの不調の原因がギャプランのパイ
ロットにあったとしても、Ζガンダムのパイロットが危険な存在である事には変わりない。ギャプランにかま
けている間に本懐であるレクイエムの防衛が御座なりになってしまったのでは本末転倒である。敵の侵入
を許してしまえば、強化人間である自分の存在意義に疑問を持たれてしまう。そんな事態だけは、絶対に
避けなければならない。
 デストロイの腕部が、切り離されて独りでに動き出す。シュトゥルム・ファウスト――本来は量子通信のドラ
グーン・システムによって制御される無線攻撃端末だが、ニュータイプの特性を持つゲーツ専用にサイコ
ミュ・システムによる制御が施されていた。それを、プレッシャーを感じる方向に向けて飛ばす。

 

「戦場に出るという事は!」

 

 少し、慌てたようにギャプランのモノアイがシュトゥルム・ファウストの行方を追った。
 ゲーツの頭の中で思い描くΖガンダムの姿。それにシュトゥルム・ファウストの動きを重ねて、攻撃の指令
を送る。

 

「敵とあらば倒す! 戦わずして死にに来る様な奴が、どうして戦いを止める事など出来る! 貴様は非戦
論者的な得手勝手で平和を語ったつもりになっているのだろう!」

 

 背後で5本指のビーム砲が光を放つと、睨みつけるようなギャプランの視線を感じた。いや、ギャプランの
パイロットの思念波と言った方が妥当だろうか。女性の、鋭い視線。呆れるほど鬱陶しい。

 

『なに言ってんの? そんなこと言ってると、一生、仲良くしてやらないんだぞ!』

 

 命のやり取りの場である戦場で、これ程、場にそぐわぬ台詞を聞く事になろうとは、想像だにしなかった。
最初におバカさんの微笑ましさを感じ、それから直ぐに腹立たしさがこみ上げてくる。一つ鼻を鳴らして嘲
ると、腹の内の怒気を吐き出すようにモニターのギャプランに視線をぶつけた。

 

「私は貴様たちとの馴れ合いなど望んで居ない!」
『嘘つくな! あたしが靡かないからって作戦を変更して、わけ分かんないこと言って気を引こうったって』
「何だと……?」
『そんな薄っぺらい策(て)に引っ掛かるもんか! バカにして!』
「先程から何を言っている、この女? いきなり現れて、身に覚えの無い事で私に説教をしたぁ!?」

 

 聞きようによっては、いかがわしい内容。これではまるで自分が、求愛を拒絶された情けない男のようで
は無いか。そんな記憶は持っていないし、勿論、ギャプランの女性の事など全く以って存じ上げていない。
 自分の記憶に違い無いとすれば、考えられるのはギャプランの女性の思い違いだろうか。若しくは、気が
触れているかである。様子を鑑みるに、後者である可能性が高いが――とにかく、こういう手合いはまとも
に相手しない事が肝要だ。

 

『敵になるばっかでちっとも素直になろうとしない頭でっかち! だから、“子供だ”って言いたくもなるんだ!』
「笑止! “子供”が私に向かって“子供”と言ったか!」
『最初に誘ってきたのはそっちでしょうが、不埒者!』
「在りもしない事をよくもべらべらと――女って生き物は!」

 

 煩わしさだけが募る。加えて頭痛の原因であるとすれば、これ以上の接触は精神衛生上、よろしくない。
 もう一つのシュトゥルム・ファウストが、起動した。マニピュレーターも兼務するそれは、デストロイにしがみ
付くギャプランを引っぺがそうと、その背後から襲い掛かった。

 

『そんな子供みたいな意地――』

 

 ギャプランのモノアイが、鋭く瞬いた。その瞬間、ゲーツは気付く。ギャプランは、シュトゥルム・ファウスト
の動きを、自分の思考を読んでいると。
 果たして、シュトゥルム・ファウストが指を広げて掴みかかろうかという寸前で、ギャプランが素早くその身
を翻した。

 

「――めぇーッでしょおッ!」

 

 ギャプランが、デストロイの肩部を踏み台にして跳躍。素早く腕部からビームサーベルを抜刀し、シュトゥ
ルム・ファウストの掌の中央へとその焔の刃を突き立てた。
 チリッと頭に火花が飛び散る感覚。シュトゥルム・ファウストとのミノフスキー通信が途絶した事を告げる感
覚に、ゲーツの表情が苛立ちに歪む。ギャプランの女性も、自分よりも優れたニュータイプの資質を有して
いるというのか。その事実に、ただ腹立たしさを覚えた。
 ギャプランはビームサーベルを引く抜くと、そのまま飛翔した。シュトゥルム・ファウストは一寸、スパークを
放った後に爆散。デストロイの頭部が、忌々しげにギャプランの姿を追った。
 ゲーツは苛立っている。剥き出しになった感情は、激しい敵意を伴って無意識に発散される。ロザミアに
してみれば、ゲーツの考えている事など丸分かりのお見通しだった。
 しかし、以前と比べてゲーツの様子が余りにも違うように感じる。芝居をしているにしても不自然で、まるで
本当にロザミアの事を知らないような――
 思わず、ロザミアは接触回線用のワイヤーを飛ばした。鈍重なデストロイ、命中させるのは造作もない。

 

『接触回線? ――私に拘るこの阿婆擦れ、何だと言うのだ?』

 

 ロザミアを求めたがっていたゲーツの台詞とは思えない。素っ気無い振りをして気を引こうにも、赤の他
人の振りをする必要など無いのだ。寧ろ、その方が余計に話が拗れて効率が悪い。まさか、本気で自分の
事を知らないとでも言うつもりなのだろうか。ロザミアは怪訝に眉を顰めた。

 

「あたしを知っている風だったくせに、しらばっくれるの?」
『だから、誰なんだ貴様は! このサイコ・バインドと言い、貴様は私を惑わせる事しかしない!』
「え……? 話が違う――前と違うの!?」

 

 デストロイのアウフプラール・ドライツェーンの砲塔が、ギャプランに狙いを定めた。自由奔放、天真爛漫
なロザミアが珍しく見せる動揺。放心したように動きを止め、まるでデストロイの攻撃を回避する素振りを見
せない。
 一方、陽電子リフレクターに砲撃を弾かれながら、シュトゥルム・ファウストに対応しているΖガンダム。カ
ミーユの意識にきらりと光る閃きが迸った。
 自然と、吸い込まれるように目線が向かう。その先に、身動ぎしないギャプランと攻撃を加えようかという
デストロイの構図があった。

 

「何……!?」

 

 当惑するロザミアと怒気を孕むゲーツの思惟を感じ取った時、危険と判断したカミーユはハイパー・メガ・
ランチャーをその場に投棄、Ζガンダムの身を捩じらせて一足飛びにギャプランへ向かって飛翔した。

 

「間に合え!」

 

 アウフプラール・ドライツェーンの砲口からは光が洩れている。ロザミアは何故か避けようとしない。しか
し、その理由を考えている場合では無い。目一杯、腕を伸ばさせた。
 紅が、視界の隅から襲い来る。カミーユに、アウフプラール・ドライツェーンの発射を確認している暇など
存在しなかった。ギャプランだけを見つめ、必死にその場から押し出す。
 背後で巨大な紅の奔流が通り過ぎた時、カミーユの背中がゾクリと悪寒を覚えた。

 

「ロザミィを躊躇無く攻撃した……? ゲーツのやる事か!」

 

 ダメージ・コントロールパネルを展開し、機体の損傷を確認しがてら呟く。何とか間に合ってくれたようで、
損傷は見当たらなかった。しかし、これが少し前までのΖガンダムであったならば、今頃は致命的なダメー
ジを受けていた事だろう。エリカの提案からであったが、仕上げを急いだ事が幸いした。
 首を振り、デストロイを警戒してからギャプランを見る。未だロザミアは困惑気味のようで、挙動が落ち着
かない。カミーユは彼女の動きをフォローする為、ギャプランと添い合わせるようにΖガンダムを接触させた。

 

「ロザミィ?」
『どうしよう、お兄ちゃん……。あの人、あたしのこと知らない!』
「知らないって――えぇっ!?」

 

 強化人間など、悲劇の温床でしかない。研究所では人間を戦闘マシーンに仕立て上げる為に、精神操作
や記憶操作は恒常的に行われていた。例外は、カミーユは知らない。C.E.世界の強化人間であるエクステ
ンデッドとて、ロドニアの研究所から引っ張り上げた資料によれば、何らかの記憶操作装置によって改竄が
為されているという事である。ロザミアの言葉が真実だとすれば、ゲーツにも同じ処置が施されている事に
なるだろう。
 平気で他人の人生を弄ぶ強化人間研究――泡立つような憤りが身を震わせる。
 視線の先では、アウフプラール・ドライツェーンを外し、方向転換に手間取っているデストロイ。ゆっくりと
波打つように機体が上下し、カミーユ達へ正対しようと砂煙を上げる。

 

「ゲーツ……本気でロザミィの事を忘れてしまったのか?」

 

 振り向いたデストロイの頭部。黒く塗りつぶされたカラーリングが悪魔的で、凶暴なデストロイの表情を、
より残忍な風に際立たせている。その双眸がΖガンダムとギャプランを見つけ、獲物を駆る狩猟者のよう
に不気味に瞬いた。
 どうしようもないのか――ふと、ギャプランのマニピュレーターがΖガンダムの腕を掴んだ。

 

「あっ……」

 

 つい先程、決めたばかりではないか。自分がニュータイプとして驥足であると信じるしかない。そうでなけ
れば、この難関を切り抜ける事など出来ない。これは、試練なのだ。カミーユは、心の中でそう決めた。

 
 

 敵、味方、敵――これが、レコアとサラの関係の簡単な遍歴である。彼女達の関係には常にシロッコの
影が付き纏い、そして縛られていた。特にサラのシロッコを絶対的な存在として崇拝する行動原理は、まる
で鳥の雛が最初に見た動くものを親と認識するような刷り込み的な単純さを孕んでいた。だからこそ、彼女
はカツの気持ちに応える事が出来なかったのかもしれない。
 その一方で、レコアはサラとは少し事情が違う。彼女はシロッコに従順でありながらも、絶対的な存在とし
ているわけではなかった。彼女の行動原理はサラよりももっと単純で、抽象的に言えば寄りかかれる柱が
欲しかっただけなのである。手前勝手な言い分ではあるが、レコアはエゥーゴの男性達では満足できな
かったのだ。だから、女として扱ってくれるシロッコは、レコアにとっては都合のいい男だったのである。

 

「サラ!」
『その声はやはりレコア……レコア=ロンドか!』

 

 呼びかけたレコアに答えて、サラの声。その声色から、若干の驚きと憤りを感じた。元々は同じ男に付き
従っていた同士、ライバル関係であったが、同時に同じ夢を見ようかという同志でもあった。それが今や再
び敵同士。サラの怒りは、尤もであった。
 レコアは少女のような自分の青臭い行動が、時に思いがけない負の影響を及ぼすという事を、考えもしな
かった。それが廃人になってしまったカミーユと再会した時、自分はとんでもない事をしたのだと気付いた。
直接的な原因は無いかもしれないが、レコアの裏切りがカミーユの心に傷を付けてしまった事には違いな
いのだから。
 繊細な少年を傷付けたという激しい罪悪感――それ以来、レコアは少しでも年輩の責任を果たそうと償っ
てきたつもりであり、今もそれは継続中であった。

 

『よくも抜け抜けと――不幸しかもたらさない女がッ!』

 

 苦しそうに目を細め、ヘルメットの耳元の辺りに片手を押さえつけるように添えた。怒鳴り声がうるさかっ
たわけではない。ただ、サラの言う通りで反論できないから、耳が痛くて仕方なかったのだ。
 元々、敵対していたとはいえ、再度の裏切りは彼女にも少なからずの傷を負わせたかもしれない。メッ
サーラの鋭い攻撃は、彼女の怒りの咆哮のようにも思えた。輝くメガ粒子砲の光が目に痛く、レコアに慰謝
を迫っているかのよう。

 

『裏切りに裏切りを重ね、敵にも味方にも裏切り者の汚名を着せられて!』

 

 メッサーラが腕を上げる。グレネード・ランチャーに装填されていた弾頭が吐き出され、セイバーを襲う。
レコアは操縦桿を傾け、回避運動を行った。

 

「……ただのグレネードじゃない!?」

 

 目に入ったのは、弾頭の尾から伸びるワイヤーである。それはΖガンダムのグレネード弾のバリエーショ
ンとしてのワイヤー弾と同じであり、セイバーの腕がそれに絡め取られて急激に手繰り寄せられた。
 唯でさえバッテリー動力と核融合動力の決定的な差がある。その上、メッサーラは木星圏での運用を想
定されてあり、馬力の差は明らかであった。抵抗する間もなく、吸い寄せられるようにしてメッサーラに手繰
り寄せられた。
 振りかざされるビームサーベルの刃。ゆらりとその切っ先が揺らめくと、レコアは咄嗟にセイバーの肩か
らビームサーベルを引き抜かせ、構えさせた。
 横に構えたセイバーのビームサーベルに、縦に切り下ろされたメッサーラのビームサーベルが十字形に
重なる。途端、化学反応を起こしたように一層輝きを増した。

 

『そんな女が、どうしてカミーユ達のところに戻る!』
「サラ……?」

 

 激情を吐き出すサラの声が、普通ではない事は直ぐに分かった。元ライバルの手前とはいえ、これ程の
感情を露にする彼女を、レコアは知らない。

 

『パプテマス様を見初めて、満足してたくせに! 何でよりによってカツの居るところなんかに――大人を気
取ってぇッ!』

 

 セイバーの腕が、軋む。メッサーラはサラが語気を強めるとそれに応えるようにしてジリジリとビームサー
ベルを押し込んでくる。パワーで劣るセイバーが、いつまでも拮抗させられるわけがない。ジリ貧。レコアの
前歯が、下唇を噛んだ。
 腕に絡むワイヤーは短く持たれ、これを何とかしない限り活路は開けない。かと言って、窮状を打開する
策がレコアにあるわけでもなく、気持ちは焦るばかりである。サラの気迫が、或いは裏切りに罪悪感を抱く
自分の心が、このような結果として現実に表れてしまっているのだろうか。それは、仕方が無いと諦められ
るものか。二度の裏切りを重ねたレコアに、果たして救いがあるのか。

 

『パプテマス様に仇を為す者は!』

 

 メッサーラのビームサーベルがセイバーのビームサーベルを弾き飛ばした。そして、返す刃でセイバーの
胴体を自身のワイヤーごと逆水平に薙ぎ払う。
 咄嗟に構えるシールド。ビームコーティングを強化されたそれがメッサーラのビームサーベルを防ぎ、寸
でのところでレコアは命を繋いだ。しかし、叩きつけられた衝撃までは防ぎきれない。殴られたようにしてセ
イバーは薙ぎ飛ばされ、大きく体勢を崩した。
 モニターの景色が、目まぐるしく変わる。きりもみしながら吹っ飛ばされたレコアは、メッサーラのメガ粒子
砲の砲門がこちらを捉えている事に気付いた。その砲口が輝きを放つと、数度の砲撃でセイバーが激しく
揺れる。モニターにメガ粒子砲の残光である光の微粒子が煌くたびに、レコアは死を覚悟した。

 

「こんな、何も出来ないままで――」

 

 しかし、おかしい。いくら砲撃を受けても、直撃を受ける気配が無い。それどころか、どうもメッサーラの攻
撃は微妙に掠めただけで、セイバーにダメージらしいダメージは無かったようなのである。
 訝しげに眉を顰めるレコア。月面に落着しようかという寸前でセイバーのオートバランス・システムが作動
し、体勢を立て直して再び飛翔した。

 

「躊躇ってくれた?」

 

 メッサーラのモノアイが、激しく揺れている。そしてサラの動揺を表すように、僅かに後ずさりした。
 それは迷いを断ち切れて居ない証拠。レコアを激しく罵倒しておきながら、内心では彼女を敵として完全
に認め切れていないのだ。
 トリガー・スイッチに親指を添えたまま、サラはセイバーに直撃を加えなかった自らの愚に慄いていた。
 理想は、シロッコの理想に殉じる事。例え道具のように扱われようとも、シロッコの為の礎になれるのなら
ば、自分の命など惜しくないとさえ考える。その異常性をカミーユに指摘されながらも、彼女は自分の生き
方を決して変える事は無く、最期はカツの攻撃からシロッコを守って散っていった。その自分が、信じられな
い事に、再び裏切りシロッコの敵となったレコアを倒す事に躊躇いを見せている。

 

「何と言うこと……!」

 

 自分の行いが信じられなくて、操縦桿を固く握り締める。それと呼応するように奥歯がギリッと音を立てた。
 サラは、レコアが好きでもなければ嫌いでもない。かと言って、全く興味が無いというわけでもなかった。シ
ロッコを求めてエゥーゴから転身したいけ好かなさを不愉快に思いこそしたものの、グワダンでのハマー
ン、ジャミトフとの三者会談でのシロッコの護衛をサラに任せたという出来事が、レコアに対する印象を微
妙なものにしていた。
 争いを望まなかったレコア。サラの嫉妬心を感じていたからこそ、レコアは身を引いた。それは、サラのレ
コアへの頑なな態度を軟化させ、シロッコの従者として、共存が可能なのではないかと考えさせた。
 だからこそ、再び寝返ったレコアの態度が、サラには理解できないのである。共に歩める資質を持ちなが
ら、敢えてそれを捨てるように敵として立ちはだかるかつての仲間――サラを悩ます葛藤が、僅かにメッ
サーラのトリガーを引く手を鈍らせる。それは、また同じようにして歩めるのではないかという淡い期待感が
サラを縛っているからだった。

 

「レコアはシロッコを知り、裏切った!」

 

 その台詞は、レコアに対する批難ではなく、自らに言い聞かせるものだった。レコア(敵)を討てない自ら
の甘さを排除するように。

 

「自分が居るべきところも分からず、子供のように!」
『それは違う、サラ!』
「何っ!」

 

 ビームサーベルを片手に、セイバーに躍り掛かろうとした時だった。直前をアッパーカットのようにビーム
が劈き、間一髪でメッサーラを制止させる。
 ノイズ混じりの音声。今のサラにとって、一番聞きたくない声。聞けば、心を揺り動かされそうになる自分
を抑えるのが苦痛で、さよならを告げた筈の同い年くらいの少年。その声は突然で、割り込まれるようにし
て聞こえてきた。
 セイバーに対してミサイルをばら撒き、牽制。小癪な不意討ちを掛けてきた火線元へ視線を流す。

 

『君こそ、何も見えていないじゃないか? シロッコしか見ないから、自分の世界を小さなものにしてしまって――』

 

 月面でビームライフルを構えているガンダムが居た。それはカメレオンのように擬態した灰色の機体で、
一瞬だけ見たのでは判別できなかったであろう。今まで存在に気付かなかったのは、そのせいだったのか
も知れない。――或いは、気付いていたのに本能的に気付かない振りをしていたか。
 途端、ガンダムの石灰色が鮮やかに染まりだした。眩しいまでのパール・ホワイト、蒼穹のようなコバル
ト・ブルー、灼熱のクリムゾン・レッド。平和、自由、愛を意味するトリコロール・カラーがガンダムを彩る。
最後にグリーンの双眸が光を放つと、月面を蹴って飛び上がってきた。

 

「カツ! あなたと出会わなければ、私は――」

 

 迷う事など無かった。ひたむきな姿勢が、純粋で優しかった彼の性格が、サラのシロッコに殉じようという
心を一瞬、曇らせた。
 メガ粒子砲で迎撃。しかし、ストライク・ルージュはカツらしからぬ動きでその砲撃を掻い潜ってくる。手に
したビームライフルが火を噴くと、メッサーラのメガ粒子砲を一門、吹き飛ばした。
 驚きに竦むサラ。対照的に確信的な表情を浮かべるカツ。奇跡や偶然なんかではない。勿論、キラがカ
ツ専用にストライク・ルージュを完璧にセットアップしてくれた事も少しは影響しているが、しかし、一番大き
な要因は、サラへの執念だった。それが、カツに実力以上の力を引き出させる。

 

「恨み言を言えば、君の悩みが解決するのか!」
『カツのくせに!』

 

 構えるビームライフルに、牽制以上の目的は無い。カツはストライク・ルージュに加速をかけると、一息に
メッサーラの懐に潜り込んだ。ビームサーベルが振り下ろされるが、マニピュレーターでその腕を掴んで食
い止める。

 

「くっついた! 止まれよ、サラ!」

 

 ビームライフルの砲口を、メッサーラに接着させる。チェック・メイト。抗おうとするサラの身動きを封じる。
 サラの感じるカツの意思に、こちらを撃墜しようという攻撃的なものは感じられなかった。ビームライフル
を突きつけているのも、見せ掛けだという事は分かる。だとすれば、カツの目的は前回の続きということだ
ろうか。それはサラが今、最も恐れている事。

 

「私の前には出て来ないでって言った筈よ!」
『僕は承服しちゃ居ない!』
「駄々を! これはあなたの為なのよ!」

 

 カツはメッサーラを撃墜する気が無い。分かってしまえば、ビームライフルの脅しなど何も怖くない。股下
から蹴り上げて、ストライク・ルージュを後ろへ逸らす。
 メガ粒子砲を傾けて、照準を合わせる。狙いはエール・ストライカーパック。機動力の根幹を成しているそ
れを潰せば、素体のストライク・ルージュは無力化したも同然である。
 しかし、それを阻害するようにビームが降り注がれた。ジリッと腕を掠め、ビームの残光と削れた装甲の
破片が煌いて消える。キッと睨み付けた先には、セイバーがビームライフルを構えていた。

 

『――少尉はカミ――の支援を!』
『どうし――がこんな所に――!』

 

 ミノフスキー粒子が希薄化しつつある。カツとレコアが言い合う傍受音声が、聞き取れた。

 

「カツはイレギュラー? だとしても、このメッサーラなら2人を相手取る事くらい!」

 

 連絡を取り合う2人に向けてメガ粒子砲を撃つ。サラにとって、今、最も厄介な2人。
 ストライク・ルージュが、こちらを向いた。性懲りも無いカツの諦めの悪さ。サラがメッサーラを伸び上がら
せると、倣うようにしてストライク・ルージュも追随してきた。

 

 カツの乱入により、レコアは呆気にとられている場合ではなくなった。何よりも作戦を無視したカツの独断
専行は久しくエマの懸念していた事であり、当事者としてそれに巻き込まれたレコアは頭を抱えた。
 彼は、この作戦がどういうものなのか分かっているのだろうか。そう考えるだに、カツの行動原理といった
ものは彼女にとっては全くの理解の範疇を超えていた。

 

「カツがメッサーラに絡み付いちゃって――ん? 動くものがある」

 

 ストライク・ルージュとメッサーラが絡んでいる向こう、ダイダロス基地の守備部隊とオーブ・ザフト軍が攻
防を繰り広げている彼方から、一際多くの爆発の光が一つの軌跡となって連なってきていた。カメラを拡大
して目を凝らせば、スラスター・テールが3本。瞬く間に大きくなってくるそのシルエットは、ブラック・カラーと
あって機種を特定するまでに時間が掛かってしまった。そのMSの容姿をもっと早くに認識できていれば、レ
コアはもっと迅速に対応に出ていただろう。
 その3機編隊のMAは、背部に搭載されている2連のビーム・キャノンを一斉砲火して、我が物顔のように
戦場を乱してきた。

 

「ブラック・ハンブラビ! あれが、カミーユが言っていた例の3人組……」

 

 レコアはハンブラビの砲撃をひらりとかわし、凄まじいスピードで過ぎ去っていくMAに振り返って砲撃を加
えた。しかし、セイバーの照準はハンブラビの猛スピードに追随できず、まるで当てる事など出来なかった。
 ハンブラビは上昇して高高度まで辿り着くと、そこで素早く変形を解き、MS形態となって再び戦場へと舞
い降りてくる。先頭の隊長機と思しきハンブラビのモノアイが、レコアのセイバーを睨んだと思いきや、その
ハンブラビだけ編隊から離脱して向かってきた。

 

「一匹こっち来た! ――そう簡単には!」

 

 右のマニピュレーターには海ヘビ。MSを外部から破壊するような武器ではなく、内部からパイロットもろと
も破壊するようなえげつない装備である。あれに、誰もが苦労した。勿論、レコアとてその事は承知済みで
ある。
 肩部からビームサーベルの柄を取り出し、ビーム刃を伸ばす。ハンブラビが警戒するように左腕のビー
ムガンを撃つも、レコアは一瞬たりとも海ヘビからは目を離さなかった。

 

「狙いはやはり、電流攻撃!」

 

 果たして、振りかぶった右腕から、竿から伸びる釣り糸のようにして海ヘビが襲い掛かってきた。
 その瞬間を、レコアは見逃さない。軽快に身をかわし、ビームサーベルで海ヘビのワイヤーを切りつける。

 

 まさかの展開に、ハンブラビのパイロット――ヒルダ=ハーケンも我が目を疑った。よもや、狙って放った
海ヘビがあれほど鮮やかにかわされるとは思わなかったからだ。

 

「かわされたとしても、もっとバランスを崩すなり何なりしてくれなければ可愛げというものがない。――セイ
バー如きが!」

 

 忌々しげに舌打ちするヒルダ。生意気にも、セイバーはビームサーベルを構えて立ち向かってきたので
ある。U.C.のMSとC.E.のMSの性能の違いをシロッコのタイタニアに思い知らされたヒルダにとって、無謀と
も言えるセイバーの突貫には眉を顰めた。
 しかし、レコアにとって、いかにハンブラビと言えど、初めて見るようなMSではない。特性は頭の中に入っ
ているし、最も厄介な海ヘビも早々に攻略した。テールやクローと言った格闘装備に恵まれているハンブラ
ビだが、ビーム兵器に対抗できるものでは無い。そして、何よりも基本的に物理攻撃を完全にシャットアウ
トできるフェイズ・シフト装甲のセイバーにとって、それらの装備は意味を成さないのである。
 ハンブラビは、その特性の殆どを失った。基本は同じ可変機同士。セイバーの方が有効的な武装が多い
となれば、動力炉の違いを差し引いても互角に渡り合えるはずである。純粋なMS同士の勝負となれば、後
はパイロットの腕の問題だった。

 

『バッテリー機でハンブラビに挑んでくるとは、良い度胸をしているじゃないか? えぇッ!』

 

 セイバーの斬撃に対抗してハンブラビもビームサーベルを抜く。ビーム刃が重なって閃光が弾けると、レ
コアの耳に喧しい声が聞こえた。

 

「女の声!」
『セイバーのパイロット、アスラン=ザラではないな。――誰だ!』
「寝返った女が新型を与えられてはしゃいでいる……。堪んないわね。昔の私を見ているみたいで!」

 

 正面モニターにはヤリイカの様なMSの頭部。それは、レコアにとっての亡霊か。過去の自分と同じ様にシ
ロッコに走り、新型を与えられてかつての味方に刃を向ける。そのような行為を、レコアは改めて逆の視点
から見せ付けられている。
 カミーユ、エマ、ファ――どんな気持ちで自分を見ていたのだろう。ハンブラビの黒は、そんなレコアの感
傷を掻き消すかのような禍々しさを醸し出していた。

 

『フン。その口ぶり、レコア=ロンドらしいな。――聞いているぞ!』
「私の名前を? レコア=ロンドは、ハンブラビに乗るような女が知る名前ではない!」
『よく言う。自分の女性性に従順で、男を求めて敵に寝返った売女という話だ』
「おのれ!」
『事実だろうが!』

 

 磁力と斥力が同時に働いているかのように何度も切り結ばれるビームサーベル。まるで演劇の殺陣を演
じているかのように互角の切り合いを繰り広げているが、馬力はハンブラビの方が数段上である。ヒルダ
の攻撃に対応しながらも、徐々に押し込まれていることがレコアにもハッキリと分かった。
 流石はコーディネイター。パイロットとしても、彼女の方が自分よりも優れているだろう。何とかなると思っ
ていた目測は誤りで、レコアは早々に接近戦を諦めて距離を置く他に無かった。
 ハンブラビがビームサーベルを大きく振りかぶった瞬間、レコアは目一杯操縦桿を引いてセイバーを下
がらせた。ビームサーベルが空振りをすると、後退するセイバーを足止めするようにハンブラビのビーム・
キャノンが発射される。咄嗟にしては、狙いが正確だ。頭部のブレード・アンテナを削られ、レコアの耳を金
属を削ったような不快なノイズ音が襲った。

 

「アンテナをやられた!?」

 

 いくらミノフスキー粒子が希薄化しているとはいえ、通信機能が著しく低下したこの状態ではカツとの交信
は不可能。レコアは苦汁の吐息を漏らしながらハンブラビを睨み付けた。
 左腋に砲身を抱え込ませ、アムフォルタスの光をハンブラビに向かって伸ばす。ハンブラビはそれを螺旋
を描いて絡みつくようにロール回避し、今度はヒルダの方からビームサーベルでの交戦を仕掛けた。格闘
戦に持ち込んだ方が有利だという事を、先程のやり合いで分かっているのだ。

 

『シロッコは、異世界での出来事を土産話のように語る男だ。ティターンズでは、毒ガス作戦で随分とご活
躍だったそうじゃないか』
「あれは――」

 

 伝え聞いただけで小癪な、と思いつつも事実である。レコアはバスクにティターンズへの忠誠を試され、毒
ガス作戦を指揮していた過去があった。エゥーゴが蜂起する契機となった30バンチ事件――それと同じ事
をやらされたのは、彼女にとって最大の皮肉だったのかもしれない。
 ハンブラビのモノアイが光る。レコアの行った事に比べれば、自分たちの裏切りなど大した事では無いと
主張しているかのように。

 

『あたし達のやっている事は、裏切りではない! 全てはラクス様の理想の為であるのだ。貴様の様なビッ
チと一緒にされては困るな!』

 

 再び眩く光を増幅させるビームサーベル。セイバーはアムフォルタスの砲身をハンブラビの腹部に突きつ
けるも、ヒルダの高い反応速度がレコアの常識を上回る。即座にセイバーのビームサーベルを弾き飛ばす
と、有無を言わさぬ早業でアムフォルタス砲の砲身を切り飛ばしてしまったのである。慌てたレコアは後退
しながらもう一本のビームサーベルを引き抜き、切られた砲身をパージしてハンブラビに投げつけた。

 

「見苦しいねぇ!」

 

 歯牙にもかけず、ヒルダは投げつけられた砲身をビーム・キャノンで破壊する。後退するセイバーの姿
が、ヒルダの迫力に圧されて萎縮しているように見えた。好機と見るや否や、ヒルダは戦いの流れを手繰り
寄せるかのように追撃を敢行した。
 対し、セイバーはCIWS、ビームライフル、残された片門のフォルティス砲を駆使して、ビームサーベルを
片手に迫ってくるハンブラビの追撃から逃げる逃げる。過去の負い目を穿り返されたから気合負けしてい
るのだろうか、レコアの顔は冷や汗に塗れていた。
 2つのスラスター・テールが、多角的に軌跡を描いては接近と離脱を繰り返す。先行して逃げるセイバー
の必死の抵抗も、ハンブラビは絶妙のマシン・コントロールで被弾を許さない。ヒルダは、この短期間の訓
練でハンブラビのコントロールを手中に収めていた。

 

「サラ=ザビアロフ、聞こえているか――チッ、この距離ではまだ駄目か。シロッコの言うとおり、どっかの
バカがミノフスキー粒子を撒き過ぎたせいで、部隊間の連携行動にまで支障を来して――」

 

 ヒルダには、戦場がとっ散らかっているように見えていた。ここまでオーブ・ザフト同盟軍に押し込まれた
のも、先見性の無いミノフスキー粒子の無駄使いのせいだと、舌打ちがてら愚痴を零す。

 

「ヘルベルトとマーズをサラのところにやっておいて正解だった。――ったく、新しい物好きのチンパンジー
どもが! だからナチュラルは数に頼るだけで質を向上させようとしない」

 

 悪態をつき、周囲に首を振り、その上でセイバーを追い込む。精一杯のレコアに対して余裕を見せるヒル
ダは、パイロットとしてのセンスがレコアよりも遥かに優れていた。
 短期間でハンブラビを自らの手足とした手並み、状況への適応力、そして常に全体を見渡せる視野の広
さ。行動原理に難こそあれど、MSのパイロットとして此れほど高い能力を持つコーディネイターも珍しい。キ
ラやシン、アスランなどの例外を除けば、彼女もまた特別な資質を有するコーディネイターであった。
 セイバーの必死の抵抗、それを嘲笑うかのごとく掻い潜り、接近を試みる。フリーダムほどではないにし
ろ、射撃武器の充実しているセイバーと、態々、撃ち合いに付き合ってあげる義理も無い。そうでなくとも格
闘戦を得意分野とするハンブラビである。
 身体を寝かせ、脚部の膝を逆間接に折り曲げるだけのシンプルな変形機構を持つハンブラビ。変形の際
の所要時間は極めて短く、操縦感覚もMS形態時と大差が無い。機動力のあるセイバーやΖガンダムと比
べても、更にワン・ランク上の性能を持っていた。

 

「分かる。分かるぞ。あんたの怯えが手に取るように分かる!」
『何を!』

 

 シロッコから聞かされたニュータイプのこと。概念を聞いた限りではエスパーのようにしか思えず、その存
在も半信半疑であった。しかし、セイバーの慌てふためくサマを見れば、大体こんな気分なのだろうかと想
像する事が出来る。
 冷静さを失しつつあるセイバーの攻撃など、ヒルダにとって何の脅威にもならない。簡単にビームサーベ
ルのレンジ内にセイバーを捕捉すると、途端に変形を解き、横殴りにするように右腕に握らせた刃を逆水
平に薙ぎ払う。
 ミットを構えるように右腕を添えてシールドで防御姿勢を作るセイバー。しかし、既に何度かメガ粒子砲を
受けているシールドの耐久度は著しく低くなっていた。サクっとハンブラビの斬撃がシールドに食い込む感
触を感じ取ると、レコアは即座にシールドを捨ててその場を離脱する。
 ハンブラビのビームサーベルが放棄されたシールドを一閃する。小爆発を起こして軽い爆煙がモニターを
覆うが、そんなものはヒルダの障害になりはしない。セイバーが離脱した時の残像――それを頭の中で再
生して、自らの位置を特定し、操縦桿を傾けた。

 

「そこだッ!」
『くぅッ!?』

 

 煙幕を振り払うように手をかざし、ビームガンを撃った。ビームが穿った煙の隙間からセイバーの姿を覗
えたが、想像していたよりは位置にズレがあったようだ。直撃は出来ず、バランスを崩す程度の効果しか
得られなかった。しかし、それでも「まぁいいか」とヒルダは舌なめずりをする。

 

「交信できなけりゃ、連携を取る事も出来ないだろう。お仲間のストライクは、ヘルベルトとマーズを含めて3
対1だ。退けられるものかよ!」
『カツが!?』

 

 少し揺さぶりを掛ければ、簡単に乗ってくれる。セイバーが注意を逸らしたのは、それだけ自分たちの置
かれている状況が逼迫していると認識しているからだ。
 その、ほんの一瞬の隙に、ハンブラビが加速をした。レコアがそれに気付いてビームライフルを構えよう
とした時には、既にハンブラビは直前にまで接近を終えていた。そのビームライフルを持つ腕を掴まれ、瞬
くモノアイが不敵に笑っているようであった。

 

『仲間を信頼してこそ、連携というものが生まれる。足を引っ張り合っているだけのお前たちに、これが解る
かい?』
「裏切り者が、信頼を口にするなどと!」
『裏切り者が、裏切りと誹る方がおかしいのさ!』

 

 ハンブラビを振り解こうかというセイバーが、身を捩じらせる。しかし、パワーで勝るハンブラビの腕はまる
で放す気配は無く、逆に反対の腕も掴まれて、いよいよ身動きが出来なくなった。そして、ハンブラビの肩
越しからビーム・キャノンが顔を覗かせると、レコアは遂に観念する時が来たのかと、目を閉じた。

 

「ここまでか……!」

 

 しかし、次の瞬間、ハンブラビは何故か掴まえたセイバーを突き飛ばして後退した。その振動に、何事か
と目を開けば、一寸前までハンブラビが居たところをビームが通過した。残光の粒子の散り具合から、そ
れがメガ粒子砲によるものだと分かる。

 

『フッ、――りな。しかし、こう――は面白く――』

 

 ヒルダの声が、激しいノイズに乗ってレコアの耳に届けられる。それからハンブラビを追い捲るように、更
にメガ粒子砲の砲撃。視線をその火線元にやれば、月面を滑りながら対空射撃を繰り返すガンダムMk-Ⅱ
が居た。

 

「エマ!?」

 

 逃げるハンブラビが反撃でビーム・キャノンをガンダムMk-Ⅱに撃つ。それを左右に機体を振って回避。
着弾で砂煙が舞い上がる中から、煙の尾を引き摺りながらガンダムMk-Ⅱが抜けてくる。そして素早く付近
の岩場に身を隠すと、消耗したビームライフルのエネルギー・パックを交換した。

 

『本隊の突入が始まっています。レコアは、私とあのハンブラビを』

 

 ハンブラビを警戒しながら、岩陰から覗くガンダムMk-Ⅱ。左腕を上げ、ワイヤーを伸ばしてセイバーと接
触回線を結んだ。

 

「けど――」
『カツのところには、キラを向かわせたわ。彼なら、上手くやってくれるはず』

 

 レコア1人では、ヒルダに撃墜されていただろう。しかし、裏切りを繰り返した自分にも、救いはあったの
だ。レコアにとって、これほど嬉しい事は無かった。

 

「――了解、エマ中尉」

 

 レコアは自分を笑うようにフッと鼻で笑い、そしてエマに返した。
 彼女がガンダムMk-Ⅱで援護に駆けつけてくれたことで、状況は一転した事になる。あわよくば、この場で
ヒルダを撃墜して後顧の憂いを断つ事も出来てしまうかもしれない。
 クッと腕を引いてワイヤーを収容すると、ガンダムMk-Ⅱが岩陰から身を躍り出した。それに合わせて、
レコアもセイバーに加速を掛ける。
 今しがた、ヒルダはレコアに向かって連携を説いた。裏切り者の自分には、信頼が無いから連携など不
可能だと彼女は豪語する。しかし、過去の過ちを償えば、信頼は取り戻す事は出来るし、連携だってやっ
てやれないことは無い。それを、あの女に証明してやるのだ。
 レコアはキュッと唇を噛んだ。先程の悔しさに対する雪辱を果たしてやろうと言うのではない。こうして、エ
マと再び肩を並べて戦えるという事の嬉しさを噛み締めたのだ。

 

 メッサーラを追うカツに、迷いなど無かった。しかし、戦場は常に流動的で、タイマンで戦い続けられるほ
ど暇なものではない。流れ弾というものもあるし、拮抗していれば援護だって入る。サラに集中したかったカ
ツであったが、接近する機影に気付いた時、その身を岩陰に隠さざるを得なかった。
 サラが自分への増援に気付いたのは、カツが岩陰に隠れるよりも前であった。だから、ストライク・ルー
ジュが隠れるのは理解できるし、カツを薄情であるとは思わない。
 やがて、2機のブラック・ハンブラビが連れ立ってやってくると、メッサーラを挟み込むように接触してきた。

 

『サラ=ザビアロフ、援護に入らせてもらう』
「要りません」
『そうは行かない。こりゃあ、シロッコの要請なんだ』
「パプテマス様が私を?」

 

 何を考えているのか、拘束するようなやり方に、サラは露骨に不快感を露にした。しかし、ヘルベルトの
口からシロッコの名が飛び出すと、サラは怪訝に首を傾げた。
 始めから思っていたが、ヒルダを含む3人組にシロッコの様なスマートさは皆無である。シロッコならこんな
粗雑なやり方はしないし、この粗野な振る舞いは野獣と称されたヤザン=ゲーブルに通ずるところがある。
サラは、そんな獣臭い下品な輩は嫌いで仕方なかった。

 

「打算で寝返った割には、随分と殊勝なんですね」

 

 ハッキリと分かる皮肉を口にすると、回線の向こうからバカの様な下品な笑いが聞こえてきた。思わず片
目を瞑って顔を顰める。

 

『受ける恩恵の分は尽くさせてもらう。その辺が、俺達のイカスところさ!』
『ふぅ』

 

 マーズは多少なりとも知性を持ち合わせているのか、そんなヘルベルトの能天気に呆れて溜息をつい
た。しかし、そのマーズもシロッコの言葉をこの様なやり方で解釈するような男なのだ。ヘルベルトよりもマ
シかもしれないが、同じ穴の狢である事には違いない。

 

『仕掛けるぜ!』

 

 単細胞はいい気なものだ。今の自分が抱える苦悩などとは、一生縁が無いのだろう。変形して、バカ正
直にストライク・ルージュの隠れる岩場に真っ直ぐに加速すると、それをフォローするようにマーズのハンブ
ラビが別の軌道を辿って加速を開始した。

 

「パプテマス様は、奴らを飼い慣らすつもりでいらっしゃる。確かに利用のし甲斐のある女達だとは思うけ
ど、獣の臭いが移ってしまわれることだけが心配かも……」

 

 シロッコの配下に据えるにしては、余りにも似合わないような気がする。粗野な人間は高貴な人間の傍に
居るだけでその品位を落とす。サラは、ヒルダ達の事をそういう人間として見ていた。

 

 ハンブラビが向かってくる。黒いカラーリングは視認が難しく、バーニア・スラスターの光がカツにとっての
目印であった。
 相も変わらずハンブラビの機動力は高い。MA形態時の旋回性能は極めて高く、運動性も十分である。そ
れが2機、今回はヤザン隊の時のようなエマと2人での対応ではなく、自分1人でやらなければならない。そ
れはとても厳しいことで、乗機がいくらガンダムであっても、嬲るようにしてガリガリと岩を削ってくるハンブラ
ビに対抗するのは、ほぼ不可能であった。

 

「弄ばれている……? ――こいつら!」

 

 また1発、ハンブラビのビーム・キャノンがカツが身を隠す岩場の岩を砕いた。熱で溶け切らなかった破片
が飛散し、カツの目の前のモニターを岩の破片が凄まじい勢いで通り過ぎる。
 状況は圧倒的に不利。メッサーラはメガ粒子砲を一門失っているが、ハンブラビが手に持つ海ヘビが厄
介だ。ストライク・ルージュの耐電性能は決して高くない。あれに捕まれば、即戦闘不能に追いやられてしま
うだろう。

 

「サラを説得している場合じゃない……それは分かってるんだけど――」

 

 口ではハンブラビを警戒しながらも、頭の中はサラの動向が気になって仕方が無かった。集中すべき事
は目の前の事態だと言うのに、カツの目は自然とメッサーラの姿を探してしまう。意識が、カツの意思に反
してハンブラビへの警戒心を緩めさせる。
 そんな警戒心の緩んだカツなど、ヘルベルト達にしてみればカモ同然である。岩陰から僅かに顔を覗か
せているだけのストライク・ルージュでも、ヘルベルトはその微かな変化を見逃さない。

 

「戦場で余所見をするバカが何処に居る!」

 

 ヘルベルトは虚仮にされた気分。しかし、それは同時に好機であった。3人の中では、ヒルダやマーズに
比べれば理性が低いヘルベルトであるが、闘争本能という点に関してはピカイチであった。
 ハンブラビの手に持った海ヘビのワイヤーがストライク・ルージュに伸びる。それが右上腕部に絡みつく
と、ストライク・ルージュのコックピットの中にアラートが鳴り響いた。

 

「しまった!?」

 

 一番避けなければならない事態が起こってしまった。カツが動揺して首を回すと、続けて頭部にも同じ様
に海ヘビが巻きついた。
 ヘルベルトの突拍子もないタイミングに合わせたマーズのものだった。そんな彼のハンブラビのモノアイ
が、叱るようにしてヘルベルトのハンブラビへと向けられる。

 

「ヘルベルト!」
『捕った!』
「タイミングは言え!」
『いいからライトニング・ボルト、行くぞ!』

 

 まるで反省の色を見せないヘルベルト。しかし、ワイヤーでしかない海ヘビは、MSの力に掛かれば直ぐ
に引き千切られてしまう。スピード勝負だと、渋々マーズは電流のスイッチを入れた。
 一瞬にしてワイヤーを伝い、ストライク・ルージュにまで届く電流。迸る電気の波が、コックピットに座って
いるカツにも襲い掛かった。

 

「うぅ…うわああぁぁ――ッ!」

 

 全身を焼くような衝撃。血管の中を針金が駆け巡っているかのような、激しい痛みに絶叫しながらのた打
ち回った。まるで自分の身体では無い様な激しい痙攣が起き、目の前の世界はグルングルンと巡り廻る。
 正気を保っていられたのは、ほんの数秒だった。ストライク・ルージュのメイン・モニターは一時的なシステ
ム・ダウンを起こし、カツの手は操縦桿から離れた。
 海ヘビの効果は覿面だ。ストライク・ルージュの双眸は光を失い、頭から岩に項垂れ、がっくりと膝を突い
た。ストライク・ルージュは戦闘不能状態に陥った――ヘルベルトは確信した。

 

「よっしゃ! このまま止めを刺す!」

 

 機能停止寸前のストライク・ルージュに向かって、ヘルベルトはビーム・キャノンを構えた。その親指がトリ
ガー・スイッチに添えられ、今、正に止めの一撃が放たれようとした。
 その瞬間だった。突如、けたたましくアラートが鳴り響く。ヘルベルトがその音に一瞬だけ慄き、親指の動
きを止めた。
 その一撃は突然で、アラートが鳴るとほぼ同時に飛来した。光り輝く一閃はビーム攻撃で、それが2発、
正確に海ヘビのワイヤーを狙い、切断した。

 

「な、何だ!?」

 

 得体の知れない攻撃。思わずヘルベルトは動揺を露にし、ハンブラビを後退させた。
 ミノフスキー粒子は希薄化しつつあるが、影響力がなくなったわけではない。だからハンブラビのセン
サー能力も、スペックよりも遥かに制限されている状態であるが、それでも常識的なビームの射程範囲よ
りはずっとか広いはずである。
 そこへ、今の一撃。状況を考えれば、完全に射程圏外からの攻撃であると思われ、更に減衰率を考えれ
ば、かなりの高出力のビームであった事が分かる。それを正確にワイヤーだけを狙撃したというのか。信じ
られないような射撃のテクニックだ。

 

『もう来た! この速さは、フリーダムなのか!』

 

 続けてようやくハンブラビのレーダーに引っ掛かる。冷静なマーズが珍しく慄きの色を含んだ声を漏らす
が、その口から出てきたMSの名を聞けばそれも納得だった。
 ストライク・フリーダムの参入は、それ自体が戦略級に比するものであり、戦術レベルの戦場では当たり
前のように状況が一転する。ヘルベルトもマーズも優秀なパイロットであったが、キラはそれすらも歯牙に
かけないような驚異的な戦闘能力を持っていた。加えて、ストライク・フリーダムはキラ専用にカスタマイズさ
れたフリーダムである。隙と呼べるものは存在せず、出くわしたが最後、見逃してくれなければやられるの
を待つしかないのが典型的なパターンだった。
 ヘルベルトは自分からマーズのハンブラビとの接触を図った。ストライク・フリーダムの参戦に、判断に
迷ったからだ。

 

「どうするマーズ? フリーダムだぞ」
『ヒルダの指示を仰ぐまでも無い。やるぞ、ヘルベルト』
「キラでもか!?」
『――でなければ、やられるのを待つしかない』

 

 鉄砲水のような砲撃が、2人を襲う。ストライク・フリーダムの規格外の火力は、一度飲み込まれればそこ
から這い上がることは不可能。氾濫した大河のようなものである。逃れる為には、ひたすら大きく回避運動
を行って少しでもストライク・フリーダムから遠ざかるしかない。
 2人で纏まっていれば、いっしょくたにやられてしまうだけだ。少しでも的を分散させ、キラの選択肢を増や
すべきである。2機のハンブラビは素早く散開した。
 ヘルベルトに、緊張が奔る。ストライク・フリーダムとキラの最強の組み合わせに、ヒルダ抜きで対抗でき
るのか。
 二の足を踏むヘルベルトとは対照的に、マーズは腹を括っているのか積極的にフリーダムの迎撃に取り
掛かった。それを見て、臆している場合では無いと気合を入れる。ヘルベルトも覚悟を決めて続いた。

 

 マーズの視界に、随所に金色を散りばめるMSの姿。白を基調とし、その金色は紛れも無く輝いていて、
まるで存在を見つけてくれと言わんばかりに主張する。そのMSは華奢なシルエットを持ちながら、異様に巨
大に見えた。それは背負いもののドラグーンの羽がそう見せているのではなく、機体から立ち上るオーラの
様な幻影が彼にそう錯覚させていた。

 

 しかし、マーズはそこで一旦冷静になって考える頭を持っていた。そして、思う。この錯覚が、本当に格の
違いによるものなのだろうか、と。ストライク・フリーダムが最強のMSでキラ=ヤマトが最強のパイロットで
あると言う先入観が、そう見せているだけなのでは無いか。マーズは、その推測の真偽を確かめたくて、単
独で立ち向かっていった。
 万能のストライク・フリーダムに、格闘戦が得意なハンブラビで射撃戦を挑んでも何の参考にもならない。
手っ取り早く結果を求めるなら、直に刃を交わしてみるのが一番だ。ビームサーベルを抜き、ビームライフ
ルで応戦するストライク・フリーダムへと切り掛かった。

 

「ううう……ッ!」

 

 恐怖。絶え間ない低い唸り声は、我慢をしている証。全身が痺れるような恐ろしい思いをしながら、マーズ
は震える腕でストライク・フリーダムへと接近を続けた。近づいてしまえば、ストライク・フリーダムの火力も
気にならないだろうからだ。それまでが勝負と、何故か聞こえる縮み上がった心臓の鼓動を聞きながら、必
死に操縦桿を動かした。

 

『抜けてきた!?』
「キラ=ヤマトォッ!」

 

 血走った目で、マーズは渾身の一撃を振り下ろす。ストライク・フリーダムが、少々意外な振りを見せ、僅
かばかりの動揺を見せた。簡単に排除できると思っていたのか。それは思い上がりだと、メット・バイザー
の奥の眼鏡が煌いた。
 途端、ストライク・フリーダムの左腕がブレて残像となった。マーズの目では捉え切れなかった、速すぎる
動き。一寸の後、水面に掌を叩きつけた時のような光の拡散が正面ディスプレイに広がった。

 

『あなた達は!』
「これを防ぐか! 流石は!」

 

 凄まじい反応速度と対応力である。光の広がりが落ち着くと、その様子が見えてくる。ストライク・フリーダ
ムはいつの間にかビームサーベルを抜き、その焔の刃をハンブラビのビームサーベルと重ね合わせてい
たのである。

 

『ラクスを裏切ってシロッコの野心に乗る! 一体、何を考えているんですか!?』
「知りたければ、俺たちと一緒に来ればいい。ラクス様を想うお前なら、理解できるはずだ」
『僕を取り込もうって言うのか!? 正気か!』
「解からんとはな。やはり、所詮はその程度。――ならば、俺はキラ“キラー”にでもなって見せようか!」
『そうやって図に乗る!』

 

 ビームライフルを取り回し、突きつけてくる。マーズはストライク・フリーダムのその動きに敏感に反応し、
宙返りをして離脱。驚くほど正確なビームライフルの射撃に晒され肝を冷やすも、横合いからのヘルベルト
の援護攻撃で何とか事無きを得ることが出来た。

 

『1人でフリーダムに挑もうとは――マーズ!』
「やれるぞ、ヘルベルト!」
『何ぃ?』

 

 数年ほど寿命が縮んだかもしれない。しかし、それだけの価値はあった。今の接触で、マーズはストライ
ク・フリーダムと渡り合えるという確信を得られた。――勿論、ヘルベルトとのコンビネーションがあればこ
そであるが。

 

「俺とお前のコンビネーションならば、このハンブラビでフリーダムを相手取る事も出来る!」
『そうかもしれないが……だが奴はラクス様の――』

 

 津波のような砲撃の嵐が、2人を襲った。慌てて回避してストライク・フリーダムを見れば、遂にドラグーン
を解放して本格的な戦闘モードへと入っていた。

 

『今ならまだ間に合います! ラクスの為にも戻ってきてください!』
「お前こそ良く考えろ。どちらが正しいのかをな!」
『まだ、そんな事を言うのか!? ――なら、容赦しませんよ!』

 

 憤怒の声。MSを降りている時の軟弱そうな青年の声色とは思えない。これが、彼の本性であろうか。た
だ、どちらが彼の本当の姿にしろ、キラの懐柔は不可能かもしれないが。

 

「見ろ、ヘルベルト! 奴は聞く耳というものを持たない! 到底、ラクス様と釣り合う男ではなかったのだ」
『そ、そうなのか? しかし――』

 

 歯切れの悪いヘルベルトの返事。マーズは苛立ったように奥歯を鳴らした。

 

「俺達がやられたら、誰がラクス様をお守りする? 地球圏に平穏をもたらす為には、シロッコの様な男も
利用して見せなければならないのは、分かり切った事だろう! お前は、デュランダルに浪費されていくだ
けのラクス様を見捨てると言うのか!」

 

 ストライク・フリーダムが、いよいよ狂ったような機動力を発揮し始めた。薄い膜のような光の羽を蝶の様
に広げて、縦横無尽に動き回って攻撃を加えてくる。派手な身形のお陰で攻撃の出所を見失うような事は
無いが、ドラグーンが相俟って余裕は無い。申し訳ない程度の反撃でビーム・キャノンを使うも、牽制以上
の効果は見込めそうに無かった。

 

『そうか……そうだな。フリーダムだとかキラだとかは関係ねぇ。ラクス様の為にはやらなきゃいけねぇっ
て、それだけは分かり切った事じゃねぇか!』
「そうだ。その通りだ!」

 

 ヘルベルトは計算が苦手な男だ。だからこそ純粋で気のいい男なのだが、その分、情に脆い部分があ
る。キラを相手に戸惑いを見せたのも、怖じける心があったというのも事実だろうが、本音は彼がラクスと
恋仲であるという事が、ヘルベルトに二の足を踏ませていたのだろう。
 確かに、キラを倒せばラクスは傷つくだろう。しかし、それよりももっと大きな目的の為に、自分たちは動
かねばならない。
 その背中を後押しするように、ヘルベルトの言葉に大きな声で同意した。これで、迷いは吹っ切れただろ
う。彼のハンブラビの活発な動きを見れば、それは一目瞭然だった。

 

 メッサーラはハンブラビとの連携を組まない。サラは彼らとの連携訓練は受けていないし、実際にシロッコ
から何か言われていたわけではない。それに、サラはヒルダ達のことが嫌いだった。
 オブラートに包まずそう言い切れる背景には、やはり寝返った人間だからという理由があった。レコアと同
じ様に再度、寝返る可能性は、考慮する必要がある。
 そもそも、ヒルダ達はシロッコの思想に賛同して参加した訳では無い。彼女達にとっての主はあくまでラク
スであり、シロッコに近付いてきたのも、彼女に地球すらも平定してもらおうという打算があったからだ。そ
れ故、サラはヒルダ達に嫌悪感を抱いていた。だから、援護を受けたくも無かったし共闘しようとも考えな
かった。
 しかし、それでも見せかけは共闘しているように見せなければならないのが辛いところであった。適当に
支援攻撃を行うも、連携訓練などしていないから、大した効果も見られない。ストライク・フリーダムはメッ
サーラの支援攻撃を意に介している様子は見られないし、中途半端な支援にハンブラビは苛立っているよ
うにも見えた。
 怒りたければ怒れば良いと思う。ただ、だからと言ってサラは態度を改める気はさらさら無かった。

 

「獣が野蛮人の堰となっている。――ん、何事?」

 

 ピピッと機械音が鳴る。コンピューターが、動く物体をキャッチ。音に反応してボタンを弄り、ワイプで球壁
に表示させると、意外な場面がサラの目に飛び込んできた。

 

「ガンダムがまだ動く? カツ……」

 

 そこにあったのは、岩にしがみ付くようにして起き上がろうとするストライク・ルージュの姿だった。しかし、
その動きは酷く鈍重で、ストライク・ルージュ自体が機能不全に陥っているようにも、カツ自身が瀕死である
ようにも、或いはその両方であるようにも見える。そんな状態でも、カツは戦おうというのだろうか。ストライ
ク・フリーダムを援護しようと、油の切れたブリキ人形のように軋んだ機体でビームライフルを構え、ハンブ
ラビに狙いをつけている。
 本来なら、カツの動きを阻害しなければならない。しかし、そんな立場にありながらサラは何もしようとはし
なかった。それは、ハンブラビが排除される事でサラの懸念が払拭されるかもしれないという打算が働いて
いたからだろうか。

 

「敵であるカツを攻撃できない……! 私は、そんなに甘い女なの……?」

 

 計算高さを誇りたくは無い。情に脆い甘さも誇りたくは無い。サラの気の迷いは、彼女自身の迷走を深め
ていく。まるで、深い森の中に迷い込んだように。

 

 幾つかのモニターは未だ復旧していない。ただ、メイン・モニターが復活してくれたのは、幸運だった。カツ
は朦朧とした意識の中で、画面の中のターゲット・マーカーと格闘していた。
 電撃のダメージは、残っている。額には大量の汗を浮かべ、肩で息をするくらいに呼吸も荒い。体中の痺
れは大分おさまったが、何分、意識がハッキリとしていなかった。視界は霧に包まれたように霞んでおり、
必要以上に瞬きを繰り返さなければ手元のコンソール・パネルさえ、まともに見ることも出来なかった。
 しかし、カツはグロッキーであろうが無かろうがやらなければならないと思っていた。それは使命感などと
言う格好の良いものではなく、独断専行に対する贖罪としての意味合いが強い。許しを請うわけではない
が、命令を無視した分だけは、挽回するくらいの結果を挙げなければならないと思っていた。

 

「寝ていられるか……こんな事で……!」

 

 英雄に憧れる気持ち――それはアムロ=レイを間近で見てきてしまったせいであろう。1年戦争当時に乗
艦していたホワイトベースが挙げた数々の華々しい成果も、アムロ抜きでは考えられなかった。多くのジオ
ンのエース・パイロットとの戦い、その中でニュータイプ部隊と呼ばれるまでになったホワイトベース部隊。
幼少時の記憶が、カツの脳裏にアムロを理想のヒーロー像として焼きつけていた。
 しかし、もう目は醒めた。どうあっても自分はアムロになる事は出来ないとようやく認めることが出来たの
だ。憧れは、時に自分自身を勘違いさせる。抱き続けた、アムロのような英雄になりたいという願望――そ
れを捨てた時、自分が為すべき事がハッキリと見えた気がした。
 サラをシロッコの呪縛から解き放つ。それが、自分が出来る精一杯の事なのだと理解した。

 

「僕だって……僕だって……!」

 

 バイザーを上げ、目を擦る。結局、独断専行を犯しながらもサラの説得は叶わず、何も出来ないで居る。
せめて、窮地を救ってくれたキラを援護する事だけでもやって見せなければ、自分はただのお荷物となって
しまう。そんな体たらくでは寝食の時間を削ってこのストライク・ルージュを仕上げてくれたキラに申し訳が立
たないし、ましてやサラを説得するなど以ての外、出来っこない。
 身体の自由は、思い通りとは程遠い。痺れの残る腕は細かい操縦桿の操作が出来ないし、霞んだ目で
は碌に照準を合わせることもできない。しかし、そんな状態であるはずなのに、カツは普段よりも集中して
いる自分に気付いていた。

 

「目に頼るな。敵の息吹を感じるんだ……」

 

 身体が不調ならば、目に見える現実を当てにする事は出来ない。それにプラスした、直感的な勘が必要
である。今のカツには、普段は弱くしか感じられない敵のプレッシャーが、その位置を特定できるほどに強く
感じられていた。
 それは、才能の開花だったのか。極限の状態で得られたそのニュータイプ的感性は、所詮は火事場の
馬鹿力に過ぎないのかもしれない。しかし、カツは得られたこの感性を大事に咀嚼し、自らの体に馴染ませ
るように深呼吸をした。

 

「見えるぞ……!」

 

 おぼろげにしか見えないメイン・モニター。目で見る光景だけならば、ハンブラビとストライク・フリーダムを
辛うじて区別できる程度だ。しかし、そこに自らの頭で描いたイメージを重ね合わせる事で、カツは敵の位
置を特定して見せた。
 カツの勝手なイメージで、キラは青い光、ヘルベルトとマーズは赤い光である。その赤い光が1つ、青い光
へと接近した。そして2つの光がぶつかって動きが止まると、もう1つの赤い光が青い光の背後へと回り込んだ。
 ピンチとチャンス。キラが背後を狙われて危機的状況に陥っているとなれば、カツの汚名返上の機会はこ
こしかない。突如、その時になってカツの腕の震えが止まり、手動のターゲット・マーカーが吸い寄せられる
ようにハンブラビを中心に収めた。

 

「今だッ!」

 

 カツのベスト・ショット。ストライク・ルージュが両手で構えたビームライフルから放たれた光は、味気ない
月面の景観の中に吸い込まれるようにして美しい軌跡を描いていった。

 

 背後にハンブラビが回り込んでいる事は、キラは知っている。しかし、予想外だったのはビームサーベル
で切り掛かってきたハンブラビが、ストライク・フリーダムの動きを止めるほどのパワーを有していたという
事実だ。お陰でキラの対応は遅れ、被弾は免れない事態に陥っていた。

 

「クッ! 今さらドラグーンを使おうにも――」

 

 恐らくキラのドラグーン制御能力では、間に合わないだろう。ここは、覚悟するしかない。
 ところが、キラがそう覚悟を決めた瞬間だった。突如、背後で爆発が起き、目の前で刃を交わすハンブラ
ビのモノアイが不規則に揺れた。

 

「何だ!?」

 

 即座にボタンを弄り、サブ・モニターで背後の様子を確認する。すると、そこには右腕を二の腕から失った
ハンブラビが月面へと墜落していく場面があった。

 

『あいつか!』

 

 不規則に動いていたハンブラビのモノアイが、横を向く。キラが釣られてそちらに視線を向ければ、射撃
姿勢のまま固まっているストライク・ルージュの姿。途端、片膝を突いてしゃがみ込んだ。まともに戦えるよ
うな状態ではなかったのだ。

 

『あんの死に損ないがぁッ!』
『待て、ヘルベルト!』

 

 先走る男と制止する男の声。カツに狙撃されたハンブラビが体勢を立て直し、殆ど死に体であるストライ
ク・ルージュへと矛先を向ける。

 

「させるか!」

 

 今、カツのところに敵を向かわせてはならない。彼に抵抗する力は残されておらず、悪戯に的にされるだ
けだ。キラは力任せにハンブラビのビームサーベルを払い除けると、蹴りを突き入れて追いやった。
 即座にもう1機のハンブラビを追う。背後からビームライフルの照準を合わせたが、位置が悪すぎた。スト
ライク・ルージュ、ハンブラビ、ストライク・フリーダムは、ちょうど一直線で結ばれている。下手に撃って回避
されたら、最悪、誤射になってしまう。キラはビームライフルの構えを解く他に無かった。

 

「撃てない! ――カツ……何でそんな無茶を!」

 

 大人しくしていれば良かったのだ。確かに独断専行は批難されるべき事だが、それをまともに動けないス
トライク・ルージュで挽回しようなどと、以ての外だ。――その考えは強者の特権なのかも知れない。キラ
は、わざわざ命を粗末にするようなカツの行為が、まるで理解できなかった。
 キラの脳裏に、2人の男女の面影が過ぎった。トール=ケーニヒ、フレイ=アルスター。2人とも、自分の
手の届くところで死んでいった。その記憶が、今の現実と重なる。
 キラの顔が凍りついた。それは、戦闘開始直後の彼の懸念が、不幸な事に現実となった事を意味していた。

 

「やめろおおおぉぉぉッ!」

 

 キラは思わず操縦桿から手を離し、モニターの先に居るハンブラビを止めようと目一杯に腕を伸ばした。
しかし、それは空しい抵抗。ハンブラビは容赦なく背部のビーム・キャノンを、動けなくなったストライク・ルー
ジュに向けた。

 
 

「動いてくれ! アムロさんのガンダムは、この程度じゃ――」

 

 ガチャガチャと操縦桿を目茶苦茶に動かす。しかし、先程のビームライフルの一撃を最後に、ストライク・
ルージュは急に動けなくなった。駆動系の回路がショートしたのか、コンピューターやカメラは生きているの
に、ストライク・ルージュ自身はどうやっても動かなかった。
 ピピッと警告音が鳴る。顔を上げれば、向かってくるハンブラビがビーム・キャノンの砲口をこちらに見せ
ていた。そこから光が溢れ出すと、その眩しさにカツは思わず目を閉じた。
 最期というものは、意外なほどあっけないものだ。前の時だって、隕石に衝突して最期を迎えたのだ。こ
んなものなのだろうと、カツは思う。
 しかし、無念は残る。それは勿論、サラの事である。宿願が果たされずして退場する事になるのが、非常
に心残りであった。

 

 耳が静かになった。もう、自分はあの世に召されたのだろうか。カツはそう思って、閉じていた目を開いた。

 

「――えッ!?」

 

 生憎、そこは天国とか極楽浄土とかいう場所ではなかった。カツは未だストライク・ルージュのコックピット
シートに納まっている。そして、正面モニターの映像に、視線を釘付けにされた。
 それはMSの背中。カツは、そのMSが何であるかを知っている。事態を把握した時、身体が徐に震えた。
 居ても立っても居られなくなる。緊急のハッチ強制解放スイッチを押し、ノーマル・スーツ用のバーニアを
装着してストライク・ルージュのコックピットから飛び出した。体調は万全とは程遠いが、気力で言う事を聞
かせる。

 

『何でサラ=ザビアロフが敵を庇うんだ!?』

 

 傍受した回線から、野太い男の狼狽した声が聞こえた。軽く顔を上に上げると、上方を駆け抜けていくハ
ンブラビを追って、ストライク・フリーダムがビームライフルを連射しながら追い捲って行くのが見えた。それ
から改めてMS――メッサーラの背中を見た。
 後ろからでは、詳細が分からない。カツは跳躍し、低重力の中をバーニアを使って舞い上がった。

 

「サラ、これが君の……」

 

 メッサーラの正面に回り込んだ。胸部の辺りを2箇所、撃ち抜かれていて、そこからパリパリっと放電が起
こっていた。頭部のモノアイは既に光を失っていて、彫刻のように固まって動かない。恐らくは、致命傷で
あったのであろう。時間は、あまり残されていない。カツはコックピット付近へと取り付き、外部ハッチ解放ス
イッチを押した。
 メッサーラのコックピット・ハッチがぎこちなく開く。中からは煙が噴出し、コックピットの全天周モニターは
全滅して無機質な白色の球壁へと戻っていた。カツが入り口から縁に手を添えて中を覗き込むと、その真
ん中でリニア・シートに座る少女の姿を見つけた。ぐったりとシートに身体を預け、弱々しく呼吸をしているの
が胸の膨らみの動きで分かった。

 

「サラ」
「カ、カツ……」

 

 そのままメッサーラのコックピットの中まで入り込み、自分のヘルメットのバイザーとサラのヘルメットのバ
イザーをこつんと接触させた。全身の痛みに苦しそうに目を閉じるサラ。名前を呼ぶと、彼女も名前を呼ん
でくれた。
 サラの肩を掴んで抱きしめるように自分の身体を近づける。心臓の距離が近いほど、サラの考えている
事が分かるような気がした。

 

「どうして、来たの……? 私は、あなたを――」
「分かってる。それ以上、言わなくていいんだ、サラ」
「私は、あなたとシロッコを……」

 

 消え入りそうな声で懺悔のように呟くサラ。それを優しい言葉で遮ろうとするカツ。それはサラを自分のも
のにしたいという独占欲的な格好付けではなく、何もかもを受け入れようという慈愛的なものであった。
 ますます溢れ出る煙に、2人は覆われていく。死の淵に立たされている状況にもかかわらず、カツは不思
議と落ち着いている自分が居る事にも気付かず、目の前のサラに夢中になっていた。

 

「僕は君の敵じゃないよね?」
「そ、そりゃあ……けど、私はあなたにとって毒婦にしかならないわ……」
「そんな事は無い。君は僕に男としての気概を与えてくれた。君のお陰で、僕はここまで来れたんだ」
「私なんかが……? それで満足なの……?」
「勿論さ。そういうサラを、僕は好きになったんだもの」
「ああ……じゃあ、私もカツを好きで居て良いんだ……」

 

 自然と、正直な言葉が漏れた。2人の本心、今さら隠す事では無い。流す涙は、サラの心の壁が取り払
われた事を意味していた。
 まるでお互いの心が溶け合っていくような官能的な感触が胸の内で一杯になり、カツとサラの心臓の鼓動
は限界を知らないかのように高まっていく。パイロット・スーツを着ているのに、まるで裸で向かい合ってい
るような錯覚さえ抱いた。
 サラが、くすくすと喉の奥を鳴らした。力の無い表情が、微かに口の端を上げて笑みを作り出している。カ
ツも口元では笑いながら、しかし目元では困ったように眉尻を下げ、小首を傾げた。

 

「どうしたの?」
「カツは、正直すぎるのね……」
「でも、サラはそれを美しい事だと言ってくれた」
「そうね。――私は、カツを理解したから…カツを遠ざけようとした……」
「それは違う。理解できたなら、一緒に居るべきなんだ。それはニュータイプだからとかじゃなくて、恋心を感
じられる大切なものだろう? 人を愛せないだなんて、そんなの、寂しいだけだもの」
「分かっていたはずなのに……人は1人では居られないって……」

 

 カツは優しくサラを抱き上げ、決して逞しくは無い腕でサラを包み込んだ。お互いの身体が密着すると、
心臓が最も近くに感じられる。自分の心臓でサラの心臓の鼓動を確かめているような感覚。思惟までもが
混ざり合う感覚が、自分は孤独では無いのだとハッキリと意識させてくれる。それは、とても幸福な事だった。
 小さな爆発が起こり、メッサーラが仰け反るように倒れ始める。コックピットは激しく揺れたが、カツは決し
てサラを離そうとはしなかった。

 

 カツ、これからどうなるの?
 大丈夫。後はカミーユが何とかしてくれる。サラは、僕と一緒に居ればいい。
 そうか。なら、安心なんだ。

 

 直後、メッサーラはストライク・ルージュを巻き込んで大きな閃光となった。

 
 

 パプテマス=シロッコは、ダイダロス基地のレクイエム・コントロール・ルームで戦いの情勢に目を光らせ
ていた。士官シートに鎮座するシロッコは深く目蓋を下ろし、まるで迷走をしているかのように身動ぎ一つし
なかった。
 その様子を怪訝そうに眺める一人の管制官。シロッコはコントロール・ルームに入ってきてから何一つ指
示らしい指示を出しては居なかった。唯一、ハンブラビ隊の出撃のタイミングを告げただけで、その後は
至って今のような状態だ。
 戦況は、小癪にもオーブ艦隊がダイダロス基地防衛軍と互角に渡り合っており、報告にはレクイエムの
付近にまで敵の侵入を許してしまっているとあった。そういう状況にあってこの様な落ち着きを見せている
シロッコは、余程の大物か唯の愚か者だ。
 そんな風にして視線を向けていると、徐にシロッコの目蓋が上がった。そして人差し指と親指で軽く目と目
の間を抓むようにしてマッサージをすると、立ち上がって遠くを見るような瞳で窓の外を見据えた。管制官
には、それが何処を見ているのかが分からなかった。

 

「サラが連れて行かれたのか? あんな小僧に……」

 

 口調も声の調子も普段と変わらなく聞こえるのに、何故か今のシロッコの言葉が憂いに満ちているように
感じられた。
 その管制官も密にシロッコの派閥に属する者であったが、時々シロッコが理解出来ないような不思議な
雰囲気を醸し出す事は、肌で感じていた。

 

「……レクイエムの状況はどうなっているか」

 

 胡散臭い霊能力でも発揮していたのだろうか。数瞬の間、何かを見送るような目をしていたかと思うと、
急に態度を変えていつもの感じに戻った。

 

「ハッ。ゲーツ=キャパのデストロイが奮戦してくれているようです。まだレクイエムに敵の侵入を許しては
居ません」

 

 応える管制官。シロッコは、レクイエムを使うつもりで居た。報告に一つ頷いて腰を下ろすと、優雅に足を
組んで指揮棒で掌を叩き、音を立てて遊ばせる。

 

「各ステーションに、ザフトは取り付いては居ないな?」
「勿論です。それだけの戦力を割けるほど、ザフトには数的な余裕は無い筈です。ターゲットは、随時修正
を入れて常に捕捉しております」
「よろしい。ステーションの角度修正には、核パルス・エンジンの使用も視野に入れて行うように伝えろ」

 

 シロッコの瞳が、妖しく光った。その瞳は、魔性の瞳だ。女性を虜にするようなチャーム能力だけではな
く、男性をも従属させるようなカリスマ性をも秘めている。
 もう直ぐ、新たな風が吹き込まれるときが来る。その風を巻き起こすのがパプテマス=シロッコという男で
あると、誰もが信じて疑わなかった。

 

「今頃はジブリールがプラントを攻めている頃だ。なら、もう少し時間を稼がなければな」

 

 口の端を吊り上げると、シロッコは不敵に虚空を睨み付けた。

 
 

 同時刻、カミーユは身体を突き抜けるような波動を感じた。

 

「カツ……サラ……?」

 

 戦争によって命を吸われたとは思えなかった。ただ、彼等は既にこの世界に目に見える形として存在して
いないという事実だけは、ハッキリと理解できた。