《第29話:空は飛べないけれど》

Last-modified: 2022-05-05 (木) 19:25:20

 時は遡り、一週間前。11月21日。

 
 

 第二次ヘブンズ・ドア作戦のためにキラが佐世保を発ち、代わりにシン・アスカが佐世保入りした日の深夜。ようやく物資搬入作業が終了し、先程までの喧噪が嘘だったかのように静まりかえった佐世保工廠内にて。
 デュエルの隣に鎮座する新たなモビルスーツを見上げた響は小さく呟いた。
「……これが、デスティニー。シン・アスカの機体……」
 呉から秘密裏に運ばれたC.E.最新鋭の最高級MS。背に大型の翼、腰に小型の翼を携えた鉄灰色の巨人。
 その威容は当時、新型艤装の設計に取りかかっていた少女に深い衝撃を与えてきた。
「……」
 正直に言ってしまえば。響も例に漏れず、誰もが。ストライクの時点で大概であるとは思っていた。
 軍用兵器でありながら非効率とされる巨大人型ロボットで、しかもどこぞのアニメ漫画の主人公機のようにヒロイックなデザインなんて、と。
 その驚異的な戦闘力は認めてるし、人型の有効性は既にストライクと――なにより自分達艦娘が実証しているのだからそこに異論はない。ないが、それでも。兵器としてはあまりにも人為的かつ作為的な格好良さ、華やかさに溢れている。
 兵器としての機能美とは対極にある芸術の美。そうデザインするだけの余裕を感じられる。一少女としては単純に格好良いとも思うけれど、同じく軍用兵器の艦艇が前世である身としては複雑な心境になりもするというのが、実際のところの艦娘達の共通見解だ。
『そうだね。僕もそういうとこ、好きじゃないかな。もっと無機的でいいと思うんだけどね』
 昨日、新しい改二艤装設計の参考になればとC.E.の兵器について教えてくれたキラに思い切ってそう打ち明けたら、彼も曖昧に苦笑してそう言っていた。けれどその上でMSには戦闘力と同じぐらい、有人の人型ロボット兵器だからこそ、各陣営のプロパガンダを込めた外見も重要視されていたのは事実なのだとも言っていた。
 外骨格補助動力装備型の宇宙服を起源として開発されたMSの祖、当時コーディネイター専用機であった旧ザフトの【ZGMF-1017 ジン】のデザインには、コーディネイターが長年にわたってナチュラルに化物呼ばわりされ続けてきた意趣返しとしてのサイクロプス(単眼の巨人)、ザフトの精神的主柱であるとある化石(エヴィデンス01)への憧れと体現としての翼、正義の執行者であり侵略者としての騎士といった記号が託された。それに対抗すべくMS対MSをコンセプトに開発された旧連合の【GAT-X105 ストライク】――GATシリーズには、サイクロプスを討伐するナチュラルの勇者・英雄として意図的にヒロイックなデザインを採用された。味方の鼓舞と敵の萎縮を期待する視覚効果も込めて、そういったプロパガンダやイデオロギーの連鎖がMSの外見を決定付けていったのだと、彼は丁寧に補足してくれた。
 要するにイメージ戦略の一端である。
 それがC.E.におけるMS開発史の側面。ストライクやデュエルがどこぞのアニメ漫画の主人公機のように格好良くて華やかなのは、ちゃんと理由があったのだ。軍用航空機に描かれた様々な絵画、機体の愛称等を指すノーズアートが発展したようなものなのかもしれない。
 しかし。
 それにしたってと、目前の機体を見てついつい独りごちる響。この機体は、ちょっと思ってたより凄かった。
「これじゃまるで、悪魔みたいだ。ちょっとやり過ぎなんじゃないか?」
 シンの愛機であり、キラの本来の機体の対存在でもあるという【GRMF-EX13F ライオット・デスティニー】は些か、派手が過ぎた。比べてみればストライクとデュエルがまだ無骨、直線的で工業的だったことが理解できる。
 鍛え抜かれたアスリートのようにマッシヴで力強い肉感的な肢体、トゲトゲ尖っていっそ禍々しくもあるフォルムの装甲は悪魔的としか言いようがなく、頭部もストライク等よりも鋭くて威圧感が凄い。何よりも翼だ。航空機のような水平翼とは完全に異なる趣きの、背と腰から大きく張り出した複合可変翼は人体には絶対存在しないものだからこそ一番に目を惹いて、より一層悪魔というイメージを印象付ける。今は待機状態で鉄灰色だが、フェイズシフト装甲を展開したら一体どれだけ悍ましい色彩になるのだろうか。
 人型でありながら人を模していない。
 有人の人型ロボット兵器だと事前に知っていなければ、ファンタジーの世界から飛び出した魔神か何かのように捉えてしまうかもしれない。実際に聴くところによると、異世界C.E.との初遭遇がこのデスティニーだった呉鎮守府では最初、本気で新種の深海棲艦と疑われたとかなんとか。
 つくづくC.E.はこの世界の常識で測れない。もっとも、それはお互い様だけど。
 だからこそなのかもしれない。昨日、キラはこうも言っていた。
『明日ここに来るデスティニー……シンの機体は、見といて損はないと思うよ。今の君なら。黎明期のストライクとは全然違う、集大成の……到達点の一つだから』
 集大成、到達点の一つ。自分の持っている常識では計り知れない存在の極致。伊達や酔狂で悪魔っぽいのではなく、全てが計算され尽くされていて、一切の無駄がないということだ。
 そんなコイツを「見て損はない」と言われた。だから響は今ここに来たのだ。人がいなくなる深夜までわざわざ待って、細部までマジマジと見て学ぶ為に。
(あの翼……あんな大掛かりな機構、ちょっと動かしただけで重心バランスが崩れそうだけど……)
 突飛な見た目に惑わされて本質を見失ってはならない。
 プロパガンダやイデオロギーが込められた外見だとしてもデスティニーは名実共にC.E.最強の一角で、その意味を考えるべきだ。
(……わたしのちっぽけな常識なんか捨てるんだ。見たモノありのままを分析しろ)
 強さとは?
 強さとは、単純な戦闘力に限っても攻撃力と防御力と機動力だけに依らない。仮にたったそれだけなら、人型は艦艇や戦車や戦闘機に勝てない。攻撃力と防御力と機動力を求めるなら、ひたすら艦艇や戦車や戦闘機を進化させるべきだ。しかし現実に、この世界でもC.E.でも「人型故の強み」がある。
 響と夕立――川内の教えを受け継ぐ自分達のような艦娘には、艦艇としての戦法よりも人型としての戦技を磨いたからこそ類い稀な強さを手に入れたという経緯がある。人間の歴史に刻まれた戦技や戦術を再現し、艦娘の特性と融合させたからこそ今の力がある。
 目に焼きついているかつてのキラの空戦だって、きっと人型の汎用性の賜物だろう。
 強さには理屈がある。
 そこを踏まえたうえでもう一度、人ならざる翼を持ったデスティニー(最強の兵器)の姿を見つめる。今度は構造を隅々まで把握するように意識して。
(今のわたしなら、見て損はない……今のわたしに必要なのは……、……そうか、そういうこと?)
 発想の転換だ。
 C.E.はこの世界の常識で測れない。でも、どっちの世界にも存在しているのは普通の人間である。そしてMSは純然たる兵器で、技術力に差はあっても人間が考えて、人間が建造したものに変わりない。
 ならば。実際にMSの技術やパーツといったハード面を利用しての艦娘の改修が可能であるのならば。ハード面のみならず、アイディアやコンセプトといったソフト面を艦娘に落とし込むことだって可能な筈だ、理論上は。
 第二次世界大戦期の艦艇そのものには困難かもしれないが、同じく人のカタチをした艦娘なら、きっとできる。
「わたしという個人の適性、夕立師匠の弟子であるわたしの艦娘としての戦い方そのもの強化できるヒントが、ここにある。だから教えてくれたんだ……!」
 デスティニーもまた、きっと発想を変えて既存の何かを超越したからこそ、この外見なのだ。
 人型でありながら人を模していない。拡張している。あの大掛かりな翼なんて如何にも、ただの人型じゃ得られない様々な役割やギミックを持っていそうで、だからこそあの形状なのだ。飛ぶ為だけのものならシンプルなスラスターユニットで十分な筈だから。
 機能拡張によって超越するという発想。
 ならば艦娘も。
 追従できる筈だ。人のカタチをしているからといって人間の戦技や戦術を模すことに拘る必要はなくて、現状からもっと拡張できる筈だ。新しいカタチを考えられる筈だ。
 超越しなければならない。過去の記憶も含め、自分の全てを。その具体的な姿はまだ全然見えてこないけれど、そんな想いが響の胸中を満たした。尤も、実現可能な範囲内でだけれども。
 展望が見えてきた。
「そうと決まったら、急がなきゃだね。悠長に構えてはいられないから」
 第二次ヘブンズ・ドア作戦が無事に成功してキラが帰ってくるまでに新型艤装の設計図を完成させる約束だ。
 改二になれたらすぐに夕立と模擬戦をやる約束もある。瑞鳳にも強くなった自分を見せてやりたい。
 約束を守って、報いる為に。みんなの力があって今ここにいる自分なのだから、ちゃんと強くなる事こそが恩返し。
 持参していた新品のスケッチブックを開いて、これまた新品の鉛筆を握る。それから黙々とデスティニーの全体像を、特に関節部や翼の構造を重点的に模写した。しばし工廠内に鉛筆が走る音を反響させれば、次第に頭の中で昨日キラが教えてくれた様々なMSの特徴がリフレインされ、分解され、朧気ながら新しいカタチに再構築されていった。
(シン・アスカに頼めば、関節や翼が動くところを見せてくれるかな? ダメ元で聴いてみようか。そうだ、資料室で世界中の艦の資料にも当たってみよう)
 今ここに在る響と、3年以上も昔に設計されたまま旧式と化したヴェールヌイの艤装と、異世界C.E.のパーツの融合。これから更に激化する戦場を駆け抜ける特装型改二としての己の姿。それを現実のモノとする為の一歩がその時、静かに踏み出された。

 
 

 これが約一週間前の出来事。
 思えばこの段階で響は既に、過去を乗り越える力を手にしていたのかもしれない。

 
 
 
 

《第29話:空は飛べないけれど》

 
 
 
 

 そして迎えた11月29日の早朝5時。
 佐世保鎮守府正面海域。濃霧立ちこめる大海原にて開始された模擬戦で、その強さに夕立は素直に舌を巻いた。
(――強い! 改三になったあたしと互角……期待以上っぽい、改二の響!)
 ワクワクする。
 爛々と輝く紅の瞳と、犬耳のように逆立てた金髪はそのまま、制服を改白露型っぽいものに一新した夕立を掠めるようにして過ぎっていく幾多の砲弾。四足獣じみた異様な前傾姿勢による急旋回にも、波や爆圧すらも利用したランダム機動にも、背部に搭載した超伝導電磁推進機関(イオンバーストスラスター)の加速にも対応して放たれる攻撃をギリギリ紙一重のところで回避しながら、最強と謳われる少女はニィっと犬歯を剥き出しにした獰猛な笑みを浮かべた。
 戦闘開始から早10分。
 両手に携えたサブマシンガン型短10cm単装速射砲と、両肩のフレキシブルターレットに搭載した57mm連装ビーム砲を斉射、ついで両大腿部の450mm径五連装対MSミサイル発射管をフルオープンして足止めを試みる夕立。対する響は蒼銀の長髪と漆黒のロングコートを翻した華麗な回避運動で弾幕をくぐり抜け、時には白銀色のフェイズシフト製大型シールドで防ぎながら、先程と変わらぬ精度で砲撃しつつ突撃してきた。
 肉薄。
 ビームを斬り払って懐へ飛び込んできた響の振るう大太刀、身の丈程もある大型斬機刀グランドスラム改二。その重厚な高周波振動刃による横薙ぎ一閃を、瞬時に身を沈めつつ左のフェイズシフト製ガントレットで受け流すと同時に右ガントレット先端から70J式改ビームダガーを発振、神速のアッパーカットで――
「……!」
 ――カウンターする寸前。
 大型シールドの先端が。衝角としても使えるようにか鋭い刃を備えた響のシールドが、鼻先を掠めていった。咄嗟に後退していなければやられていた。
 続けて響の追撃、袈裟斬り。これもスラスターを併用したバックステップで躱せば、予見していたようにすぐさま左手で握ったライフル型13.5cmレールガン、大型シールド裏面にマウントされている10cm連装速射砲で圧倒してきた。
 隙がない。硬くて堅い。思うように攻めきれない。
 舌打ちを一つして着水と共にスピンターン。濃密な弾幕をスラロームで縫うように掻い潜りながら肩部の連装ビーム砲と腰部の長12.7cm連装高角砲改四で撃ち返す。しかしお互いに全然当たりそうにない。図抜けた回避力と防御力が全ての攻撃を無力化していた。
 ならばと一瞬の好機を見抜いた夕立が前方へ跳躍、空中で両手のサブマシンガン型短10cm単装速射砲――艦艇の主砲とは思えない程の、それこそマシンガンさながらの連射で響に防御を強要させ、ドロップキックをあえて掲げられたシールドにブチ当てる。
「せいやぁ!!」
「ぐっ!?」
 響の体勢を崩したら間髪入れず質量制御、空中姿勢制御、スラスター全開、突進。発振したままの鮮烈な荷電粒子の光刃を奔らせる。胸部を狙った最速の刺突。
 が、奇妙な動きで躱された。脇腹を浅く裂いたのみ。
 体勢は崩れてた。体捌きで避けられるタイミングじゃなかった。スラスターを噴かした様子もない。けれど実際に、響は何かに引っ張られるようにして側転して躱し、
「避けた……!?」
「そこだッ!!」
 刺突の勢いそのまま水上をかっ飛んでいく夕立の背中めがけて、左手のライフル型レールガンと10cm連装速射砲を連射。更に同じく大型シールド裏面にマウントされている450mm径五連装対MSミサイル発射管から対艦誘導ミサイルも放ってきた。
 当然この程度の攻撃に当たる夕立じゃない。両手のサブマシンガン砲身下部に備えられた護拳のような可変ブレードを海面に突き込み、これを起点として鋭角に旋回、得意かつ特異な前傾姿勢航法で背後から迫る砲弾をノールックで躱してはミサイルも余裕を持って撃ち落とす。
「甘い! そんなんじゃ、まだ夕立は倒せない!」
 またしても距離が開いた。響も腰部に搭載したスラスター全開で加速、互いに鋭角かつ複雑に疾走しつつ、全射撃兵装を駆使した砲撃戦へ。
 かと思えば、十秒も経たない内に振るわれた二人の刃が火花を散らし、息もつかない格闘戦へ。
 目まぐるしい高速機動。時には相対速度110ノット(約200km/h)にも達する一進一退の接戦だった。

 
 

 特装型改二式の【不死鳥】響と、特装型改三式の【狂犬】夕立による師弟対決である。

 
 

 ワクワクする。しない筈がない。
 こんなのは初めてだと、無意識に乾ききった唇を舐めた。
 師弟の間柄になってから半年に一度行われてきた定例の模擬戦。これまでの夕立は、響の超えるべき壁として師匠として圧倒的な力を見せつけ勝利していった。これまでの響は、夕立に翻弄されながらも必死に食いついた末に敗北していった。響は一度も勝てていないどころか、接戦に持ち込むことさえやっとという実力差で。
 けど今回は違う。こんなにもお互いに全力を尽くした互角の戦いは、初めてだった。
 自分と同格の戦闘力を誇る時雨や雪風、綾波といった猛者達と模擬戦をした時でも、これ程までに高揚したことはなかった。あの【軽巡棲姫】と戦って死にかけた時でも終始冷静であったこの自分が今、あの弟子に勝ちたいと燃えている。
(本当に強くなった! 前まで感じてた迷いがなくなってキレが良くなってる。一皮剥けた感じで、集中できてるっぽい。改二になれたってことは過去の記憶と何らかの決着が付いたってことだから……)
 日本の駆逐艦として一番早く改二になって以来、敵はいなかった。
 より正確に言えば、艦艇の記憶を取り戻してそれまでの自分と決別してから。大好きな由良を護れず、大好きな村雨や春雨を置いて先に逝ってしまった自分という過去と決別した瞬間、元々翠色だった瞳が紅色に変わり、艶やかなストレートだった金髪がまるで犬耳のように逆立ったあの瞬間から、オカルトじみた完全回避能力を会得した夕立についてこれる者はいなくなった。
 時雨や雪風、綾波などの艦艇時代から武勲艦と謳われた【異名持ち】の猛者達でさえ。最初に所属していた舞鶴鎮守府にて共に技を研鑽した川内と江風でさえ。ある意味で艦としての己と決別した夕立には届かない。戦術の組み立て方、その根本からして思想が異なるのだから。
 故に最強。人型故の強みとして、人間の歴史に刻まれた戦技や戦術を再現し、艦娘の特性と融合させたからこその力。尋常な一対一なら負け知らず、一対多でも縦横無尽にやりたい放題。
 それが、満を持しての第三改装である。
 改二になってからもう4年近く。響が憧れた時には既に改二として何度も実戦に出ており、新たな理想の自分を見いだすには十分な時間と経験を積み重ねていた。そこへ舞い込んできたのがC.E.の技術とパーツを用いた特装型改修の予定と、そしてあの【軽巡棲姫】との死闘。
 理想は確固なものとなり、より強き力として芽吹く。白露型駆逐艦四番艦、特装型改三式の夕立が望んだモノは、己の強みの更なる発展強化であった。
 誰も追いつけない領域へ。
 ところがどうだ。
 あの弟子は、より高みへと至った自分と互角以上に渡り合ってくるじゃないか。仮に改二としてスペックを強化したり装備を更新したりするだけでは、こうはなるまい。仮にたったそれだけの強化だったら既に勝負は終わっているだろう。
 これでワクワクしない筈がないのだ。
(今まで対決する度に、集中できてないっぽいって叱ったっけ。響はちゃんと集中してるって反論したケド、あたしから見たら考え事ばかりで隙だらけで。きっと無意識に考え事ばかりで迷ってたから、あんなに隙だらけだったっぽい。……知らなかったなぁ、あんなに記憶のことで苦しんでたなんて……気付けてあげられなかったのは不甲斐なかった)
 余談だが、元より響には強くなる素質というか、自分達に近い資質があると夕立は思っていた。というか、そうでなければ艦艇から逸脱した体術は会得できないのかもとすら思っていた。実際、一時は自分達の他にも何人かが川内流に挑戦したが、ちゃんとできたのは夕立と江風と響だけだったのだから。
 故に夕立は、いつか響は自分並に強くなると期待を込めて師匠を続けていた。彼女が戦技を極めても尚自分に勝てないのは、彼女の心の問題だと見抜いていた。
 ……けど考え違いもあって、改二になる条件――記憶を全て取り戻せば自然と解決する筈だとばかり思っていたが。まさか逆に、この世に顕現した直後に記憶を取り戻していたからこそ問題になっていたとは。自分のように嫌な過去と決別するのではなく、受け入れようとしたから苦しんでいたとは。
 ともあれその心の問題をしっかりクリアしてちゃんと改二になった響は、予想通りに。以前とは比べものにならないぐらいに、期待した以上に強い。キッカケになったのであろうあの青年に、ちょっと対抗意識が湧いた。
 感慨深い。
 深いが、しかし。
「それとこれは話が別っぽい。勝負なんだから、夕立も全力で勝ちを狙うっぽい! ……響ー!!」
「なに!?」
「いざ、勝負!!」
「……! うん!!」
 耽ってはいられない。彼女の師匠であるが故についつい感傷的になってしまうが、ここで不本意に負けることは許されない。あの動きが付け焼き刃でないことを認識したのなら、いよいよ本気で取り組まなければ。
 軽く乱れた呼吸を整える。
 客観的には数秒、主観的にはゆったりと遅延した刻の中で今一度、もはや好敵手(ライバル)と呼ぶに相応しい少女の姿を確かめる。若干厳つい軍服っぽくなったセーラー服と暗黒色のロングコートを纏い、ちょっと大人びた雰囲気の響のなかなかに先進的というか独創的な艤装を観察する。
(集中できてて隙がない。けどそれだけじゃ、ここまで強くなる道理がない……見極めなきゃ)
 技と力が互角ならば、勝負を決めるのは装備とそれを用いた戦術だ。

 
 

 響改二は重武装だった。

 
 

 何より一番の特徴はやはり、あの美しい白銀色の大型シールド。
 実弾攻撃をほぼ無効化するフェイズシフト製であることに間違いないが、先程ビーム砲を真っ正面から防いだこともありビーム対策も万全らしい。より詳しく言うとアンチビームコーティング効果で霧散したというよりかは無理矢理に軌道を逸らされたような印象で、何回かビームダガーが防がれた時もフワフワと不自然な反発感があったことから、恐らくは磁場による防御フィールドを発生させている。
 鉄壁である。元々防御に定評があった響にはピッタリの装備だ。しかも裏面には10cm連装速射砲と450mm径五連装ミサイル発射管を、縁には重く鋭い刃を備えていて攻防一体ときた。
(問題はアレが2枚もあるってこと。……うーん、攻略し甲斐があるってより正直やりづらいー)
 そんな厄介なシールドを、なんと2枚も装備している。
 背負った白銀色の艤装本体両舷上部、正面から見ると肩甲骨辺りから延びているような一対のフレキシブルアームで保持されており、フリーハンドで変幻自在に運用することができる。むしろ大型シールドの多機能性は、柔軟かつ精密に動くアームを最大限活かす為のものなのかもしれない。アームそのものデザインはMSの腕部を参考にしたらしく、名実共に第三第四の腕と言えよう。
 おかげでもの凄く戦いにくい。単純に有効打を狙える範囲が小さいし、次の一手も読みにくいのだ。
 そして響本人の両手には、主砲たる長大なライフル型13.5cmレールガン(電磁滑腔砲)。試作型改式の頃に持っていた試製ライフル型13.5cm単装砲の発展型だろう、威力と射程そのものはあえて中口径砲並に抑えているとの触れ込みだが、これまで撃たれてきた感じからすると短射程連射モードと中射程単発モードの切り替えが可能のようで、それを両手に一挺ずつ携えている。二挺流だ。今は左手のみに保持しているが、時折両手に持たれた際の制圧力は凄まじかった。
 次に、大型斬機刀グランドスラム改二。どんな重装甲もスパッと一刀両断できる切れ味と圧倒的リーチ、より強化した対ビーム防御力を誇るあの大太刀は、かつて戦艦レ級をも撃沈した業物。元はといえばデュエルの装備であったものを演習用に借りたのが最初に握ったキッカケだったか、日頃から大型アンカーを振り回していた故に手に馴染むのだろう、すっかり愛刀となったようだ。
 左の前腕には、夕立のものとは少々デザインの異なる白銀色のガントレット。この戦いではまだ使用していないので詳細不明だが、仮に同一性能なら先端部にオプション装備をマウントできる仕様で、響のものは諸刃のナイフを仕込んでいるように見受けられる。結構な大振りになりがちな大太刀とシールドでは対応できない超至近距離用の装備かもしれない。ちなみに夕立のガントレットは鋼鉄色に色付くフェイズシフト製で、右に70J式改ビームダガーを、左に対装甲貫入炸裂刀マインブレードを仕込んでいる。
 両肩のフレキシブルアーム基部にはチェーンガン式40mm単装機銃が、両踝部外側には61cm連装マルチランチャーがそれぞれ装備されている。どちらも特装型改修艦の共通装備であり、特にマルチランチャーはこれ一つで従来の61cm酸素魚雷から対潜魚雷、対空瑠散弾、照明弾、信号弾、アンチビーム爆雷等となんでも射出できる優れものだ。
 最後に、両側腰部に一基ずつ搭載した超伝導電磁推進機関(イオンバーストスラスター)。これは正真正銘、夕立のものと同型だ。前後左右に推進力を向けることが可能な旋回式で、テスト時には短時間ながら最大70ノット(約130km/h)という驚異的な数値を叩き出したこともある画期的ブースターである。
 以上が、響改二の武装。
 試作型改式はあくまで実験用の面が強く、また計画倒れに終わったが換装による多用途性を前提としていたらしいので単純比較はできないのだが、それでもあの頃とは比較にならない重武装かつ万能。これを計四本の腕で的確に使い分けてくるのだから、なるほど強力無比だった。

 
 

 しかしそれは裏を返せば、二つの構造的欠陥を抱えていることと同義であることに夕立は気付いた。

 
 

 欠陥だ。日本海軍の駆逐艦としては致命的なレベルのものが、二つ。
 まさか? と思った。けれどよくよく観察すればするほど、確信になる。
「……いや、もしかして……? それも最初から込みで設計して……あれが強さの理由の一端っぽい!? でもそれだけじゃもう一つの方は。響、あたしの弟子ながら思い切ったことを……!」
 二つの欠陥の内、片方は上手く逆手にとって――いやむしろ逆転の発想で、普通に考えれば欠陥となる要素を唯一無二の利点へ昇華している。それは素直に驚嘆に値するが、しかしもう片方はどうしようもなくカバーしきれていない。
 突かせてもらう他ないだろう。戦闘開始から15分にして、夕立は勝利の方程式を掴んだ。
 これの是非を確かめるべく、今度はその点を意識して仕掛けてみる。とは言っても加減なんか一切ナシ、ここで倒すつもりで行くが。
「じゃあ、まずは響の反応を超えてみるっぽい!!」
 再三再四の格闘戦。
 響も夕立も基本は高機動を中核としたヒット&アウェイ。だがここはリスク覚悟で、響が後退する気配を敏感に拾ってはより前へ出た。二挺のサブマシンガン砲身下部可変ブレードと蹴り技のコンビネーション、あたかも激しいブレイクダンスのような連撃で、至近距離での殴り合いを強要する。これに瞳を見開いた響はライフルを二挺とも腰部にマウント、回避行動と一体化した剣戟で夕立の動きに追随してきた。四本腕が蛇のように鋭くしなり、大太刀と二枚のシールドの刃がそれぞれ三方向から縦横無尽に振るわれる。
 しかし、それも束の間。極めて自然に、相手が予測も想像もしなかった未来にスルリと入り込めてしまうのが夕立の真骨頂。視界も想像も、本気の夕立を捉えられる者はいない。
 両手で握ったグランドスラムの真っ向唐竹割りに対し、即座にプレモーション無しの高速スライディングで足下をすり抜け、気配すらなく一瞬で響の背後に回り込む。彼女からすれば突然姿がかき消えたように見えただろう。
 把握される前に、先制。大太刀を振り下ろした直後の無防備な背中に砲を向ける。
 だが。
「ッ!?」
 それよりも更に先に、振り返ることもなく。
 またしても何かに引っ張られるようにしてグンッと加速した響もまた、夕立の視界から消えて。しかし見失ってはいない。即座にバックステップした瞬間、先程までいた場所を左のシールドが過ぎっていって、この戦いで初めて背筋に冷たいものが伝った。
 勘か、それとも経験則か、よもやこうも見事に対応してくるとは。なんにせよ出鼻を挫かれた夕立は、一端はここが潮時として距離をとる。
(今のはちょっとヒヤっとしたっぽい。完全に意識外へ行けたと思ったのに。……でも収穫あり、やっぱり思った通り穴はある)
 そうなるかもと予感していたとはいえ、渾身の不意討ちが成功しなかったのは残念だけれど。
(ま、課題はどーやってその状況に持ってくかー、なんだけど。……うん、こーなったら夕立の秘密兵器を使ってみるしかないっぽい)
 先の斬り合いで一度もシールドで防御されなかったのが答えだ。
 方針は定まった。戦術を組み立てて、一度限りの全力を披露することを決意。侮っていたわけではないが、これを使うことになるとは思っていなかった。
 まったく楽しませてくれる。期待した以上に充実とした戦闘に気分は最高、凄絶な笑みを浮かべた夕立はスラスターを起動して、ラストアタックを敢行した。

 
 
 

 
 
 

 白熱のバトルを繰り広げる師弟対決だが、その上空には最新鋭カメラを搭載した偵察機が飛行し、戦域外には複数の艦娘達が待機していた。
 響改二と夕立改三のデータ取りと、広域警戒を兼ねた措置である。以前の【軽巡棲姫】強襲事件の反省点として、近くに停泊しているコンテナ船甲板上にはデュエルとデスティニーもフル装備で待機、どんな敵が奇襲してこようが迅速に対処できる厳戒態勢を敷いているのだ。勿論、二人はこれを事前に了承している。
 師弟対決となればプライベートなことのように思えるが、その様子は公式の演習として事細かく観察及び記録されているのである。
 天津風も艤装に詳しいスペシャリストの一人として記録係を命じられ、海上にてあの二人の戦闘模様を望遠カメラで録画している最中だった。
 そんな少女の耳に背後から慌てたような声が届いたのは、2発目の流れ弾を回避した時のこと。
「あー!? もう佳境に入っちゃってる感じー!?」
「明石先生? もう起きちゃったんですか?」
「なーに言ってんの天津風、遅刻よ遅刻、痛恨の大寝坊ですよ! あーもう、最初から観たかったー!」
 最低限の身嗜みを整えた……と思いきや所々寝癖が残ったままの髪を振り乱して走ってきたるは、昨日丸一日かけて瑞鳳と夕立と響の大規模改装を主導した、【移動工廠】明石その人。
 てっきり昼過ぎまで爆睡するとばかり。ここ数日は天津風も弟子2号として彼女の通常業務を肩代わりしているのだが、まさか全改装作業終了直後にぷっつり糸が切れるように寝落ちした当人がもう起きてこようとは思わなかった。フラフラとした足取りで隣にやってきた明石に、変わらずカメラを構えている天津風は微妙な面持ちになる。
「映像記録はとってますからっ。ちゃんと寝た方がいいと思うんですけど。ただでさえ先生は――」
「で、どうなの戦況は?」
「――、……ハァ。……まぁあんなハイレベルな戦いになると、正直あたしはなんとも。でも、互角って感じです」
 師匠を思いやれる優しい弟子としては、明石にはちゃんと睡眠をとってほしいのだが。
 しかしそんな明石の弟子だからこそ、彼女の気持ちもよくわかる。誰よりも艦娘に詳しいスペシャリストならば、そりゃ生で観戦したいだろう。あんなハチャメチャな新次元戦闘は。二人が使っている武装の多くがデータなしなら尚更。
 溜息一つで説得は諦め、いそいそと望遠鏡を取り出している明石の質問に正直に答える。しかし天津風も歴戦の身ではあるものの、もはや異次元な響と夕立の戦いぶりを評する舌は持っていなかった。
「なるほど? じゃあ響が劣勢ってところね」
 すると予想外の答えが返ってきた。
 まだ見てもいないのにキッパリと断言。信頼も尊敬もしてる師匠がそう言うからにはそうなのだろうが、これまでの接戦を直に目の当たりにしている者としては俄に信じがたい発言だ。
「わかるんです?」
「響改二の欠点その一。……あの艤装、かーなり燃費が悪くて継戦能力低いのよ。フェイズシフトありきの設計だからね」
「それって、短期決戦型ってことです?」
「正解。特装型改修艦はみんなバイタルパートにフェイズシフトを増設してるし、色々あって燃費に難を抱えてるけど。でも響は頭一つ抜けて劣悪。だからビーム兵器は採用できなかったし、レールガンにだって絶妙なエネルギー配分が求められるんだから」
「そんなに……」
 ここでようやくと言うべきか、佐世保鎮守府所属艦娘全員に施された特装型改修の実情について語らねばなるまい。
 MSの特殊合金や超伝導技術などを使用して、艦娘の戦闘力を飛躍的に上昇させる特装型改修。これまで数度に渡り近代化改修を施してきたもののベースが第二次世界大戦期の艦艇である以上、大幅なパワーアップをすることができなかった艦娘達にとってまさしく夢のようなイベント。その目玉は各々のリクエストに応じたビーム兵器やミサイル兵器の実装だが、これ以外にも動力部や電気系、推進系、駆動系などの細々した箇所にも手を入れて基礎性能の全体的な底上げが実施されている。
 特に恩恵が大きいのは索敵と装甲。前者はレーダー・センサー及び照準系の強化と、艦娘同士で索敵情報や視覚情報などを共有できるデータリンク機能の実装。後者は船体全体にアンチビームコーティングの塗布と、バイタルパートにフェイズシフト装甲を増設。これにより艦隊の生存性や展開力は従来とは比較にならない程に上昇、これに新兵装の攻撃力も合わさった際の戦闘力は、過日の甑島列島近海における連合艦隊救援戦にて【榛名組】が証明している。
 船体構造やコンセプトをほとんど弄らず一部改修強化するのみに留まってもこの成果。しかし、どうしても燃費と消費エネルギーに少々難を抱える形になった。機関の高出力化と高効率化を最大限図っても尚、だ。
 であればこそ、最初から特装型改修を見越した大規模改装によって船体構造やコンセプトを弄った瑞鳳と夕立と響が、この点をどう処理するのか内心楽しみでもあった。
 だから響が持ち込んだあの改装設計図には心底吃驚したものだと、明石は愉快げに語った。
 響改二の最大連続稼働時間は、改装前と比べて3割も低下していた。かつては駆逐艦でありながら重武装と高速力、そして長大な航続距離と外洋航行能力を高レベルで纏めあげて全世界を驚愕させた旧大日本帝国海軍の特型駆逐艦、その血統とは思えぬ真逆の選択であった。
 エネルギー消費を犠牲に、更に高い戦闘力を。
 短期決戦型であるが故に、相手と互角の戦いをしていたら先に動けなくなるのは響の方なのだ。
「実弾もビームも防御できるあのシールドが一番のエネルギー喰いだし、補助腕もフェイズシフトフレームだからね。防御すればするだけエネルギー残量がヤバいのよね。まぁ機関から直接的に電力をとってるわけじゃないし、当然バッテリーを間に挟んでるから燃料が残ってる限り戦闘不能にはならないけど」
「発電が持続できても、一度バッテリーが空っけつになったら致命的だわ。……でも、だったらなんで響はあんな大層なシールドを2つも装備してるんです? 自分の首を絞めてるようなものよ、まるで」
「普通に考えれば1つで充分な筈よね。でもあの設計は2つなくちゃ意味なくて、それでいて、ああ見えて防御特化型じゃないのよ。ねぇ天津風、ちなみに響にはもう一つ欠点があるんだけど、わかる?」
「……」
「ヒント。艦艇の常識の真逆。意識してみればすぐわかる筈よ」
 とても欠点があるようには見えなかった。
 今もファインダーの中で、響はあの夕立を相手に素晴らしい戦いを演じていて。過去に数回だけ同じ戦場に立ったことはあるが、その時に遠目で見た印象よりも洗練された技の冴えに息を呑むほどなのに。
 とはいえ天津風も何度か他艦娘の艤装設計や新兵器テストに携わったことがあるスペシャリスト。弟子2号なのだから師匠からの設問はすぐにクリアせねば嘘だ。明石の言葉が頭の中で咀嚼して、改めて別の視点で響の戦いを反芻する。
(……、……あの娘ってあんなに避ける艦娘だったかしら?)
 すぐに違和感に気付いた。
 確かにシールド防御は必要最低限。エネルギー節約の為だろう、どうしても避けられないものだけを正確に防いでいる。だが、夕立の猛攻をほとんど躱しきっていることが異常なのだと。
 戦闘開始から15分が経とうとしている。だというのに、あんなにも近距離で撃ち合って斬り合っているのに、互いにほぼ無傷。ありえないことだ。
 艦艇時代から武勲艦と謳われた【異名持ち】の猛者達のうち、きっと【奇跡】の雪風なら似たようなことは出来るだろう。しかしそれはオカルトそのものな「そもそも当たらない航路を取る」ことで実現するのであって、響と夕立のような曲芸じみた運動による回避とは別物だ。あれもあれで神業に違いないが。
 そういった曲芸じみた運動による回避の第一人者といえば、夕立である。
 他の艦娘達はほぼ直立か、スキーやスケートのように中腰に近い姿勢で海上を滑るが、夕立はもはや四足獣の様相。極端な前傾姿勢で海を蹴って敵に肉薄するスタイルは二つ名である【狂犬】を彷彿させて違わない。
 重心を低く、前へ。
 やっていることは単純だが効果は絶大で、船体スペック以上の速度と旋回力を引き出すことができ、その真価は目視距離での敵の集中砲火を突破する際に発揮される。
 しかし普通の艦隊で普通の砲雷撃戦に従事する限りは不要な技術。目視距離で集中砲火されるような位置取り及び戦術はそもそも悪手であり、その姿勢を戦場で維持し続けるには強靱な体幹が必要不可欠だし、腕部装備の兵装が使いづらくなるという明確なデメリットもある。よってこれは夕立専用の航行姿勢だった。
 対して響の航行姿勢は至って標準的なスケーター型のままだ。
(響は元々、防御に定評のある艦娘。航行姿勢も普通。なのに今は、夕立並に動けてる……ここに何か仕掛けがある?)
 何故?
 その答えは、響が振り返ることもなく背後の夕立に反撃した直前。まるで何かに引っ張られるようにしてグンッと加速した彼女の挙動にあった。
「……あっ」
 まさか。
 繋がった。
「ん? わかった?」
「……まさか、と思いたいんですけど」
「気持ちはわかるわよ」

 
 

「まさか響、意図的にトップヘビーなんですか?」

 
 

「大正解。武装の殆どが上半身に集中してるのも、それが表面化してる証拠ね」
 トップヘビー。
 それは、全ての艦艇が忌むべきものである。
 艦艇だけに限らず自動車や二輪車、果ては人間といった全ての動くモノに当てはまることだが、重心が高ければ高いほど不安定になって横転しやすくなる。至極当たり前の話だが、走行するモノは旋回する際に遠心力のせいで必ず傾く。トップヘビーだと一度傾いたら元の姿勢に戻りづらくなってしまう。
 艦にとって横転――転覆は死だ。
 波や風といった自然的要因のせいで常に揺れ続け、水上であるが故に踏ん張ることもできない艦艇にとって、重心バランスと復原性は酷く繊細な問題なのだ。
 日本の史実では1934年に起きた惨劇、友鶴事件が有名だろう。あの事件ともう一つ、翌年の第四艦隊事件を経て当時の軍縮条約下で建造された全艦艇の重心バランスと船体強度の再確認が行われ、ほぼ全艦に対策を施された歴史があった。
 艦娘は人のカタチをしているので能動的に重心制御することができるし、転倒しても自力で起き上がることができる。人という縦長で高重心なカタチを、瞬間的な加速と運動という利点に活かして戦っている。損傷以外の理由で沈没した例は報告されていない。しかし元々の艦艇時代から重心バランスの悪かった艦娘は、艦娘になっても素で転びやすい傾向があり、そういった者はやはり現代になって是正されていった。言うまでもないが戦場での転倒なんてもってのほかだ。
 繰り返すが、重心バランスと復原性は酷く繊細な問題である。
 以上が艦艇と艦娘の常識。
 その真逆である。響改二はトップヘビーな船体であった。

 
 

 だからこそ、あの回避力なのだと。

 
 

 明石はどこか達観した面持ちで望遠鏡を覗きながら言った。
「あえてのトップヘビーで不安定にしたうえで、あの補助腕で重心と姿勢を制御してる。シールドを高い位置にすれば旋回性が、逆に低い位置にすれば安定性が増すって寸法ね。その為には末端重量を増やした方が効率的だから、シールドに武装を詰め込んでるわけ」
「普通に考えれば欠陥となる要素を、唯一無二の利点へ昇華してる……。じゃあ響改二の本質はあの補助腕なのね」
 だからこそ、あの夕立改三と対等に戦えているのだと得心する天津風。
 解説されてみれば簡単な仕組みだが、効果は絶大だ。
 体勢を崩していたのに夕立の刺突を躱した時も、片方のシールドで自身の重心を移動しつつ、もう片方のシールドを振るった際の遠心力を使って側転していた。
 振り返ることもなく背後の夕立に反撃した時も、両方のシールドを同方向へ一気に突き出し、その勢いと慣性で瞬間的に加速、夕立の視界外へと離脱していた。
 その他にも多くの場面で……否、常にシールドと補助腕による制御を使っていた。そこに響本人の鍛えられ上げた運動能力とセンス、そして高出力スラスターの機動力が乗算されれば。
 四本腕の彼女だけしか実現し得ない回避メソッドがあった。
「既存の艦艇にも人型にもない構造を増やすことで、自身の機能を拡張した。新しい独創的な発想よ。使い方によっちゃアウトリガー、カウンターウェイト、スタビライザーやブレーキにも使えるからトップヘビーが大して問題にならないのも花丸。いやはや、あんなギミックを響が考えてくるなんて、よもやよもや」
「間違いなくMSの影響だと思いますよ。あの娘って佐世保で一番MSと関わってるんですよね?」
「あー、確かに。色々思うところがあったのかも。キラからも色々教えてもらってたみたいだし」
 天津風と明石に知る由もないが、響改二の設計には明確なモチーフが二つあった。
 発想の根源はデスティニーの翼だが、そのおかげでキラが教えてくれた知識の中から望む特性を持つMSを導き出すことができたのである。
 一つはキラの乗機であったという【ZGMF-X10A フリーダム】。C.E.において当代最強と謳われた機体で、その性能は携えた大型複合可変翼による能動姿勢制御機能に支えられていたという。いわばデスティニーのご先祖様に相当し、翼を用いた能動姿勢制御というコンセプトはよりスラスター機能を強化した後継機にも脈々と継承され続け、果てはこの世界の響にまで届いたのだと言えよう。
 空は飛べないけれど、あの一対のシールドは【不死鳥】響の翼だった。
 そしてもう一つは、キラとフリーダムでさえ苦戦を余儀なくされたという【GAT-X252 フォビドゥン】。実弾もビームも寄せ付けないシールドを2枚装備した突撃強襲用MSで、その圧倒的な防御力は遂に最後まで突破すること叶わなかったとか。まぁそうは言っても、キラの話を聞く限りじゃ苦戦したのは対複数戦であったからで、一対一なら普通に勝てたのではと思うが。ともあれ今後の対MSを考えるのであれば対ビームコーティングや爆雷だけでは不足であると肌で実感している響は、大切な仲間達を今度こそ護るためにフォビドゥンのものに似た高出力電磁フィールドの搭載に踏み切った。
 この二機と響自身の理想を掛け合わせて新しいカタチになったものが、響改二の艤装なのである。
「ま、すっごい回避力と防御力があっても燃費劣悪って欠点はいつまでもカバーできるもんじゃないわ。それに手数は同等、速度と技量は夕立の方が上だし、あの娘のことだからもうとっくに気付いてる筈。……さてさて、響はどうやってこの劣勢を切り抜けるのかしらね……?」
 明石がそう呟いた瞬間、膠着していた状況に動きがあった。
 その時、二人の距離はだいぶ開いていた筈なのに。
「夕立も改三になっただけあって、常識なんて遙か彼方なのよ?」
 まるで瞬間移動かと錯覚する程のスピードで。

 
 

 あっという間に懐に潜りこんだ夕立のビームダガーが、響の右フレキシブルアームを切り飛ばした。

 
 

 自身の強みを発展強化した師匠と、自身の機能を拡張強化した弟子の戦いは、決着の刻を迎えようとしていた。
 望遠カメラを覗きながら天津風は胸元でぎゅっと拳を握る。
 思い出すのは昨日の早朝、デカプリストを名乗る深海棲艦【姫】級と響の邂逅。儚い離別。
 あの一幕に立ち会い、遺された暗黒色の霊子金属がどうなったのか知っている数少ない者として。
(頑張りなさい響。あなた、こんな早々に負けるなんて駄目なんだから……!)
 声無き声援。
 暗黒色のロングコートを纏った銀髪の少女に、負けるなと祈った。

 
 
 

 
 
 

 その加速が夕立の秘密兵器であろうことは、響にも辛うじて判った。
 しかし仕組みまではわからなかった。背部艤装から何かを展開していたのが見えただけで。戦闘開始から18分、ようやく夕立の疾さに目が慣れてきた頃合いだったのも災いした。
 普通にスラスターを使っても5秒は要する距離を一瞬で詰められた。
 あの距離なら大丈夫だと思い込んで――思い込まされていたせいで、反応が遅れた。完全に予測も想像もしなかった未来が暴力を伴ってやって来た。
「ぅ、わぁ!?」
 脊髄反射で掲げた右のシールドの表面で、爆発。
 夕立の左ガントレットに仕込まれていた対装甲貫入炸裂刀マインブレードが起動したのだと、一拍遅れて理解する響。本来であれば名称の通り敵装甲に食い込ませてから炸裂させるものだが、あのとてつもない加速でフェイズシフト装甲に叩き込んだ結果、自壊したのだ。その衝撃をまともに受けたシールドは後方へ流され、
「もう一撃ィ!!」
「しまった……!?」
 ほんの刹那の隙を突いて、まだ空中にいる夕立のビームダガーの一振り。右フレキシブルアームが中程で切断され、宙を舞うシールド。
 まずい。
 咄嗟に上半身を捻ってなければ今ので終わっていた。しかし夕立の攻勢はまだ続き、更なる回し蹴りをクロスした両腕でガード。弾き飛ばされる。視界の隅で全砲門を構える夕立を視認。
(回避は間に合わない!)
 姿勢制御の要であったシールドを片方失って、崩れたバランスがまだ修正できていなかった。また、トップヘビーな船体はこういった強引な力押しに弱い一面もあり、響は遂に見抜かれたと歯噛みする。
 今からスラスターを噴かしても速度が乗り切る前に被弾する。ただの砲撃なら凌ぎきれる。そう判断して防御一択、左のシールドを前へ。同時にスラスター噴射口を前方へ向け、後退準備。
 直後、着弾。多大な衝撃がフレキシブルアームを軋ませ――
「……!!」
「さぁ! これをどうするっぽい!? 響っ!!」
「くそッ! これを狙って……!?」
 ――夕立の攻撃が終わらない。
 響の構えたシールドに殺到する砲弾。サブマシンガン型短10cm単装速射砲、57mm連装ビーム砲、長12.7cm連装高角砲改四、450mm径対MSミサイル、40mm単装機銃が絶えずフェイズシフト製シールドに無力化される。砲弾の濁流の中に放り込まれた感じだった。
 バッテリー残量が一気にイエローゾーンへ。
 ここに来て響はようやく、自分が取り返しの付かないミスを冒したことを自覚した。
 嵌められた。この状態になるようにと謀った夕立の誘いに、まんまと乗ってしまっていた。夕立はこうして響の行動を封じつつ、バッテリーを干上がらせるつもりだ。その為にまず片方のシールドを破壊したのだ。
 多少の被弾は覚悟で回避するべきだった。
 しかし今更防御は解けない。解いた瞬間に大破判定の直撃弾を貰う確信がある。スラスターで距離を取ろうとしても、回避しようとしても、速力の勝る夕立が執拗に張りついてきて。
「だったら!」
「それは予測済みっぽい!」
 反撃しなければ。
 シールドの影からライフルを突き出す。即座に破壊された。
「それでも!」
「甘い!」
 引いて駄目なら押してみる。
 スラスター反転、突撃。シールドバッシュで状況の打開を狙う。予見していたのかビームダガーで押さえ込まれた。
 バッテリー残量、レッドゾーン。もう十秒も保たない。
 負ける――? このまま、また、わたしは――
「負ける、もんかァ!!」
 ――考えろ。
 発想を、逆転させろ。
 相手が執拗に張りついているということは即ち、常に此方の射程圏内にいるということだ。
 夕立の意表を突け。響にはまだ、一度も使っていない武装が残っている。
「今度こそ、勝つんだ!」
「やれるものなら……、……!?」
 シールド裏面にマウントした450mm径五連装対MSミサイル発射管をフルオープン、直上へ向けて小型の誘導ミサイルが5発打ち上がる。
 同時に右フレキシブルアームをパージ。船体本体のエネルギーをこれ以上消耗させない為だ。支えを失ったシールドが着弾の衝撃で吹き飛ぶ。これで響の運動性能は著しく、もはや欠陥レベルにまで低下した。
 そこまでして、僅かに。
 ほんの僅かに、夕立の注意が逸れた。
(今だ)
 前進。
 少しだけ乱れた弾幕を、神速で振るったグランドスラムで掻き分けながら。それでも捌ききれず被弾し、中破しながらも。
 前進。

 
 

 足下から突如出現したワイヤーに全身を巻き付かれた夕立をめがけ、愚直なまでに一直線に。

 
 

「んな!? これって……!?」
「スラスター搭載型ワイヤーアンカーさ!!」
 これまで未使用だった響の左のガントレット、その先端に仕込んでいた奥の手。
 日頃から振り回していた大型アンカーの代替品として装備した、軌道コントロールを可能とするスラスター内蔵型可変ブレードと高分子ワイヤーで構成された補助兵装である。
 射出速度自体は遅いので、普通に使っても夕立に通用するわけがない。だから構えたシールドの影に隠れて海中へ打ち込み、Uの字を描くようにコントロールして奇襲したのだ。
 ミサイルを放ったのも、アームをパージしたのも、わざわざ前進したのも全てはコレに勘づかせない為の囮。
(やっぱり性に合うなアンカーは)
 最後の最後で賭けに勝った。こればっかりは予測することは出来なかったのであろう夕立を、きっちり捕縛することに成功した。全身を何重にもグルグル巻きにして、唯一自由に動かせるのは左腕と左肩連装ビーム砲のみ。
 後は。
「捕まえられただけで、どーにかなる夕立じゃないよッ!!」
「行くよ、師匠!!」
 ワイヤーを巻き取りつつ、スラスター全開。
 驚きのあまり射撃を止めてしまっていた夕立に肉薄し、グランドスラムを振りかぶり。
 対する夕立も直ぐさまサブマシンガンを構え、可変ブレードを展開して。
 そんな二人を包み込むように、上空から5発のミサイルが降り注ぎ。

 
 

 判定。両者同時に大破相当の被弾。引き分け。

 
 

 これにて通算10回目の師弟対決は、初めての引き分けで幕を閉じたのだった。

 
 

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