《第30話:近くて遠い、あの煌めきに》

Last-modified: 2022-06-12 (日) 17:16:22

 わたしの喉元には、夕立師匠のビームダガーの切っ先。
 逆に師匠のお腹には、わたしのグランドスラムの刀身。
 互いに、上空から降り注いだ5発の短距離誘導ミサイルを食らいながら閃かせた必殺の刃は、艤装に外付けした演習用判定装置の自動干渉機能によりピタリと寸止めになって。両者大破判定、決着、演習終了。此度の対決は引き分けと相成った。
 勝てなかった。
『――胸を張っていいよ、響。もしもあたしが改二のままだったら……きっと負けてた。改三だから、引き分けにできた。響の強さは本物だよ』
『師匠……』
『でも次はこうはいかないっぽい。半年後、今度はちゃんと、あたしが勝つ。こんな終わり方じゃ悔しいもん。それまでに……もっと、響ももっと強くなって』
 やっぱり師匠はすっごく強かった。
 疾く、速く、鋭く、精密で、それでいて重い一撃の雨霰。正確かつ大胆な判断と発想。かつて憧れた通りに、彼女は高みにいた。最強の相手だった。
 加えて、自分自身にも足りないもの、艤装の改善点や戦術の反省点が山ほどあった。
 これではまだ勝てない。
 すごく、悔しい。
 だけど。
『……うん。約束する。もっと強くなる。……なりたいよ』
『なら、もうこの関係性は終わらせよう? そーすればきっと、あたし達は更に前に進めるからっ』
『……!』
 だけど不思議と、清々しくて良い気分だった。
 もちろん勝つつもりで挑んだし、引き分けという結果は悔しいものだけれども。
 でも、それでも、彼女が相変わらず強かったことが嬉しくて。そんな彼女と一対一で戦って、この10戦目にしてやっと引き分けられたことが、なにより対等に「勝負」してくれたのも嬉しくて。
『免許皆伝おめでと! これからはライバル関係っぽい!!』
『らい……ばる……。……え、そんな……そんなのまだわたしには……!?』
『早くないの。技だけは前から合格ラインだったけど、心が伴ってなかったから負けてたの。だけど今の響ならもっともっと強くなれる強さ、持ってるから。だからもうライバル! どぅーゆーあんだーすたん?』
『えっと……、……うん。……ありがとう。頑張る』
 一人の戦士として認められて、また半年後にという新たな約束を交わせたのもまた、嬉しい。
 彼女も自分もまだまだ高みを目指せるという確信。霧の中から抜け出して、道標を見つけられたという希望。次こそ勝ちたいという気持ちでさえ、悔しささえ、いつものような鬱屈感なんて一欠片もない――晴れ渡った蒼穹のよう。
 まるで世界中が自分を祝福してくれているような錯覚さえ覚えてしまう。
(あぁ……強くなれたんだ。ずっと強さを求めてて、やっと……、……本当に求めてたモノに届いたんだ)
 少し前まで。
 ほんの少し前までの、過去に怯える弱い【わたし】を封じて、不沈艦の響としての強い【私】という仮面に頼っていた頃の力じゃ、夕立師匠には全然敵わなかった。並の艦娘よりかは強くなれたけれど、対深海棲艦の戦果なら彼女に匹敵するぐらいにはなれたけれど、これまでの師弟対決じゃほとんど勝負にならないぐらいの実力差があった。
 それでもいつかと願って……この道こそが正しいと信じて、わたしは私であり続け、力を磨いた。でもそれは過去を乗り越える強さを求めているつもりで、実際は過去から目を背けて逃げていたのと同じで。
 足りなかったのは、ありのままの自分で自分自身と対峙し、受けとめる勇気と覚悟。そういう想いが、決定的に足りていなかった。
 まだ、依然として自分のことは嫌いなままで、赦せないままで、好きになれた訳ではないけど。でも、わたしなんかを信じてくれる大切な仲間達の為なら、勇気も覚悟も持てる。デカプリストの存在も大きかった。彼女の想いも一緒に居てくれたから、ここまで守り導いてくれたキラと瑞鳳姉さんが手を握ってくれたから、過去と対峙しまっすぐ受け止めて――改二になることができた。
 だからといって【私】が無駄だったわけじゃない。遠回りだったわけでもない。そうでなければとうの昔に響という艦娘は沈んでいた。間違いなくキラと出逢う前に死んでいた。この想いに辿り着けたのは、師匠が鍛え上げてくれた力の導きがあってこそ。
 全てが必要不可欠で、連鎖していた。
 力と想いだ。両方を揃えられたからこそ掴み取れたこの強さで、絶対的な強者であった夕立師匠と引き分けることができた。とっても幸運で、恵まれてて、有り難いことだった。
(きっと、わたし達は更に前に進める……か。凄いな、こんな未来があったなんて)
 勝てなかった。わたしはまだ弱い。
 ここが上限じゃない。まだまだ、もっともっと上へ、強くなれる。
 そういう確信と約束がある。嬉しくないわけがなかった。
(生きていればこんなこともあるんだね。無駄に長く生きたつもりだったけど、知らないことばかりだ。わたし、こんな幸せでいいのかな……?)
 困ってしまう。
 昨日からずっと嬉しいこと続きで、その全てがこの瞬間に結びついていて、これ以上何かあったら頭がどうにかなってしまいそう。心がぽかぽか暖かくて、ふわふわ舞い上がって落ち着かない。
 こんな心地をどう発散すればいいのか、わからない。

 
 

「――おかえりなさい、夕立ちゃん、響ちゃ……わぁっ?」
「由良~♪ 夕立、いっぱいいっぱい頑張ったっぽい! 褒めて褒めて~♪」
「……うん、うん。よく頑張ったね夕立ちゃん。格好よかったよ……すっごく。えらいえらい♪」
「ぽい~♡」

 
 

 素直に喜びを全身で表現できる夕立し……氏が、少し、初めて羨ましくなった。
 演習を終えて佐世保軍港に到着し、出迎えくれてた工廠の整備スタッフ達に破損した艤装を預けた矢先、その背後に控えていた由良さんに夕立が一目散、飛びかかるように抱きついていった。二人の長い髪がくるくるとメリーゴーランドのように宙に円を描く。
 由良――最初は横須賀所属で、その次は半年前まで佐世保所属で、現在は呉の支援部隊所属と三つの鎮守府を渡り歩いてきた軽巡艦娘。紅梅色の長く艶やかなポニーテールが特徴的で、物腰が落ち着いてて世話好きな――夕立の大事な人。軽巡洋艦と駆逐艦は水雷戦隊として行動を共にすることが多くて色々と相性が良いのは確かなのだが、この二人は最初に横須賀で出逢ってから瞬く間に恋人の関係になったという。その経緯をわたしはよく知らないけど、話を聞く限りではどうも劇的にロマンティックな何かがあったらしい。
 閑話休題。
 いつもよりちょっと多めの六回転で停止すると、乱れた夕立の髪をパパッと直した由良さんはいつものように少し腰を落として、わたし達に優しい微笑みをくれた。
「響ちゃんもお疲れ様。……二人とも、背と髪が少し伸びたかな? ちょっと大人っぽくなったわね。新しい制服も似合ってて、いい感じ」
「Спасибо」
「んふふ、夕立の新衣装に由良もメロメロっぽい?」
「うん、メロメロ。もう食べちゃっていいよね? っね?」
「きゃー♡ 由良に食べられちゃうっぽーい♡」
 食べるってなんだろう? まぁ、それはそれとして。
 二人はいつだって、毎日こんな調子。楽しそうにじゃれ合う姿は平和そのものって感じで。
(……羨ましい? そうか、わたし……羨ましいのか)
 夕立はとにもかくにも表情がコロコロと変わる少女だ。
 平時は無邪気なドジっ娘で、戦闘時は【狂犬】とか【ソロモンの悪夢】とかの二つ名がピッタリなぐらい凄絶で、師匠としてわたしに接している時は冷静沈着なオトナの顔。そして今のように由良さんと一緒の時はまるで主人に甘える愛犬のようになるし、かと思えばなんだか切なそうな顔もする。全てがいっそ別人のようで、その時々の感情を素直に表現できる事こそ、彼女らしさだと思う。
 その有り様を不思議と、自然と、良いなと感じている自分が心の隅っこにいた。素敵だった。心のぽかぽかとふわふわを由良さんと共有できている、その笑顔が。
 羨ましいと思うことはつまり、今の自分には「無い」ということだ。世紀の大発見をしたような気分になる。
(わたしは無表情が板についてしまってるし、可愛げもない。夕立みたいに満面の笑みなんてできやしない)
 できない。嬉しさを素直に表現するなんて。
 できない。それができてる自分を想像することさえ。
 無い。そもそもの表情のバリエーションが。これまで色々な人に無表情だと言われて、それを自覚していて、たまにちょっとだけ微笑んだりするか、大泣きするぐらいしかやったことがない。最近は少し柔らかくなったとも言われるが、しかし。
 更にもう一つ。
(伝えたい人も、此処にはいない)
 未練がましく、先程まで居た海を眺めてしまう。
 キラも瑞鳳姉さんも姉妹達も、他の【榛名組】のみんなも今、佐世保にはいない。全員まだ海上でやるべき事があって、帰還は昼前になる予定だ。夕立にとっての由良さんのような存在が、此処にいない。
 いない。例え不器用なりにでも、この嬉しさを伝えて共有できる相手さえ。
 できないし、いない。
(けど……もしも今、みんなが此処にいたとしても。この想いを伝えられたとしても、きっと普段の態度となんら変わらないんだろうな、結局のところわたしは)
 仮にいても、きっとできない。
 笑顔も、抱きつくことも。だから嬉しさを、幸せを持て余している。どう発散すればいいのかわからない。
 故に羨ましいという感情が、心のド真ん中に来てしまっている。
 この有り様がわたしという存在のアイデンティティだとしても……それはなんだか、寂しい、と、思う。
「響どうしたの? 行かないっぽい?」
「っ。……ぁ、いや、なんでもない今行くよ。……行くって何処に?」
「何処にって、お風呂に決まってるっぽい。……何か心配事あるっぽい? なんか心此処にあらずって感じ」
「……少し考えを纏めてただけだよ。学ぶことが多かったから」
「そー? ならいいケド」
 気付けば夕立と由良さんが、少しだけ遠くにいた。
 入渠施設がある方向――そうだ、戦いの後はそこで身体を癒すのがルーティンだったじゃないか。単に自分がぼーっとしてたせいで出遅れただけのこと。少しだけ小走りになって、わたしは二人の背中を追いかける。
 少しだけ、ほんの少しだけ遠くに、先にいるだけなのに。
 遙か彼方のように見えた。
 今の自分には「無い」ものを持っている二人が。
『――勿体ないっぽい! 好きな人がいるってとっても素敵なことで、すっごく力と元気が沸いてくるっぽい。それに命短し恋せよ乙女――命短しって由良も言ってたし!』
 不意に、あの廃墟で聞いた夕立の言葉を思い出す。
 一緒にいるだけで凄く幸せそうな二人、そのように臆面なく笑い合える二人は、その言葉を具現化したかのよう。
(恋……わたしにはまるで縁のない話だ。だけど……)
 一つの確信を得た。
 ついさっき、夕立にはライバル認定されちゃったけど。でも彼女は今も尚、わたしが師事すべき人生の師匠なのだと。
 好きとか愛とか恋とかよくわからないから「命短し恋せよ乙女」は余所に置いとくけど、素直な感情表現について見習うべき点は多い。羨ましいで止めない。戦闘の強さだけじゃなくて、ヒトとしての想いの強さもまだまだ上があると気付けたばかりなのだから、羨ましいで終わらせない。
 できないのなら、できるようになればいい。
(変わっていくことを選んだんだ。変わっていきたいって思ってるんだ。なら尻込みなんてしてられない。少しずつでも……!)
 いつか、やがていつかは、ちょっとは感情表現が上手になれますように。
 伝えたい人にありのまま全てを伝えられる自分に、なりたい。無自覚だとしてもわたしにそう決意させてくれた夕立は、やっぱりわたしの師匠だ。
「あ、そうそう。あのね、木曾ちゃんから二人に伝言があるの」
「木曾から?」
「ぽい?」
「今日のお昼、佐世保の食堂で【榛名組】のミーティングするんですって。響ちゃん達だけじゃなくて、夕立ちゃんにも出席してほしいみたい」
「……そういえば前、木曾に改二艤装の相談をした時に、みんなが一段落したらやるべき事があると言ってたよ。その絡みかな?」
「んー? なんで夕立もお呼ばれされたんだろ? もしかして、なんかやらかしちゃったっぽい?」
「聴くところによると、シンさんも出席するみたいよ。やらかしはない……んじゃ、ないかなぁ……?」
「そこはちゃんと断言してほしいっぽい!?」
 二人に並ぶと、由良さんから新情報。
 ミーティングということは当たり前の話だけど、みんな会えるということ。
 会える。あの人に――
(――っ? なんだ、この感覚……?)
 真っ先に、無意識に、脈絡なく想像してしまったのは、あの人の微笑み。
 改二になれたら真っ先に『おめでとう。よく頑張ったね』と言ってくれたあの人の。

 
 

 想像して、少し胸がザワつくような違和感を覚えた。

 
 

 戸惑い。
 なんなんだろう、これは。
 今日はなんだか情緒がかなり忙しない。新たな目標と決意だけじゃなく正体不明な感覚までも来て、どうにもこうにも出鱈目に乱上下、いつにも増して不安定。最初に感じてたシンプルな嬉しささえ、どこか遠くに行ってしまったかのよう。
「響? ……ほんとーに大丈夫?」
「ぅ、うん。大丈夫。……行こう」
 胸中に渦巻く様々な感情を整理できないまま、混乱したまま、わたしはまた二人の背中を追いかけた。

 
 
 
 

《第30話:近くて遠い、あの煌めきに》

 
 
 
 

<時間かな。お疲れ様、瑞鳳。最後の攻撃はいい感じだったよ>
「……ぁ……ありがとぉ、ございまし、たぁ……」
<ヘトヘトだね……ハードだったもんね。送るよ、デュエルの手に乗って>
「ぅ、ううん……大丈夫。訓練だもん、疲れ切ってても自力で動けなきゃ、駄目だし……キラさんだってこの後も金剛さん達の相手するんでしょ?」
<そうだけど……でも>
「響達も自力で戻ったんだもの。私だってしっかりしなくちゃ」
 所変わって、佐世保鎮守府正面海域にて。
 響と夕立の師弟対決が終わって、その後。
 あえて悪く言うと地味だった松葉色からうって変わって、ほんのちょびっとだけ肩と腰の露出が増えた紅白色の弓道着を纏った瑞鳳は、息も絶え絶えにその場にしゃがみこんでしまいたい欲求を必死に堪えていた。
 艦娘として、戦闘訓練に甘えは許されない。
 たとえ、キラから託された翼――凰呀ストライカーパック装備の【GAT-X105 ストライク改】と幾多の艦載戦闘機を同時に使役し、デュエルを駆るキラと模擬戦をした後だとしても。呼吸は肩を上下させるほど荒く、足腰はガクガクで思考も定まらないほど疲労していても、だ。
 実に魅力的なキラからの提案をきっちり断って、例のL計画によってMS搭載型特装空母へと改装した少女は若干ふらつきながらも、ストライクをMSサイズの戦闘形態から手乗りサイズの待機形態へ変換(コンバート)、艤装の一部である飛行甲板モジュールに着艦させつつ、厳つく機械的になった長弓を杖代わりにして自身の脚で海上に立つ。
 それは意地や見栄もあるが、それよりも彼に余計な気を遣ってほしくない意思の顕れであった。大きな深呼吸を繰り返して息を整え、ちょっとの無理を重ねて少女は明るく振る舞った。
「ケド、心配してくれるの……すっごく嬉しい。ありがと」
<……わかった。じゃあゆっくり、気をつけて戻ってね>
「りょーかいですっ。瑞鳳、警戒を厳にして帰還しますっ。キラさんも頑張ってね」
<うん。また後で>
 デュエルに乗ったままのキラに別れを告げ、戦域外で待機している艦娘達に向けて信号弾を打ち上げると、瑞鳳は佐世保軍港へと舵を取る。
 全体のスケジュールを滞らせてもいけないので、速やかに次のメンバーと交代しなければ。
「……はふぅ……。……つかれたぁ……」
 今日という日はつまり、そういう主旨の日だった。
 先の師弟対決においてデータ取りと広域警戒を兼ねた万全の厳戒態勢を敷いたのは、なにも響と夕立の為だけじゃない。むしろその逆。佐世保鎮守府所属艦娘全員の特装型改修が完了し、かつキラが無事に作戦成功させて帰還したら実施すると予めスケジュールされていた合同慣熟訓練の一環としてあの師弟対決があって、瑞鳳とキラの模擬戦もそうだ。
 いつ敵が攻めてくるとも知れない状況下なので、このように大規模な催しで一気に済ませておきたいというのが提督の考えなのだろう。確かに各々がバラバラに慣熟訓練するよりも低リスクかつ高精度なデータも取れるので合理的である。
 しかし。
「……でも、キラさんの方が疲れてるよね……。なのに、帰ってきたばかりなのに……相手役を自分から買って出るなんてお人好しが過ぎるわよぅ、もぅ……」
 ついつい独りごちてしまう瑞鳳であった。
 ストライクを操ることになった瑞鳳への指導だけでなく、【Titan】をはじめとする強力無比な台湾の深海棲艦を仮想的とする特装型艦娘の相手役として、キラとデュエルはこれ以上なく適任だ。
 でもだからといって。
 キラは第二次ヘブンズ・ドア作戦の為に過酷な宇宙で一人で頑張って、一週間ぶりに、昨日やっと帰ってきたばかり。しかも響の大規模改装を夜通しで手伝ってたから殆ど寝てなくて、元々決まってたスケジュールだからって、これではいくら何でも。一番手で彼の胸を借りた瑞鳳が言えることではないのだが、「どうせデュエルに乗るならついでに」と自ら提案したキラを止めることなんてできなかったのだが、相手役をしてくれると知った艦娘達の半数近くが彼との模擬戦を希望したのだ。この合同慣熟訓練は午前中だけで終わる予定とはいえ、どう考えても働き過ぎだと思う瑞鳳である。
 せめてシン・アスカが少しでも代わってくれればと思うが、警戒の為にコンテナ船甲板上に待機しているデスティニーは未だ建前上ではその存在を極秘としており、模擬戦に駆り出すことはできない。また専属パイロットのシンでなければ起動すらできないため、仮にシンがキラの代わりにデュエルに乗っている最中に敵に奇襲された場合、この厳戒態勢の全てが本末転倒になる。あの【軽巡棲姫】強襲事件と同じ轍を踏まない為に、シンとデスティニーが居てくれている事を忘れてはならない。
 そう理性ではわかっていても、キラの体調を案じる身としては納得しきれない。もう少し自分の身体を大事にしてほしい。
 こうして疲れ切った身体に鞭打って自力で航行してるのは、これ以上いたずらに彼に負担をかけさせない為だった。
「そうよ……もうちょっと自分のこと、顧みるべきなのよキラさんは」
 優しい人だと思う。
 優しくて、思いやりがあって、行動力もある。
 特別なことだと思わずに平然と、当たり前のように誰かの助けになろうとしてくれて。けれど、それが少し危なっかしくも思えるようになってきた今日この頃。

 
 

 今朝の一幕を思い出す。

 
 

 改装作業を終えて、夕立との対決に臨む響の背中を見送った彼はこう言った。キラと瑞鳳の、二人の協力関係を振り返ってのことだった。
『結局、僕は何もしてなかったのと同じだよ。響の中には元々、変われる力があった。それに気付いたのも受け入れたのも全部、彼女の中に最初から全部あったんだ。だから僕がいなくても、君といればきっと辿り着いたと思うよ』
 そんなことはないと反論したら、
『まぁ、ちょっとだけ背中を押すことはできたの、かも? もしそうであったのなら光栄かな、これ以上なくね』
 とも言って、静かに微笑んだ。
 自分のやり遂げたことの重大さをわかってないのか、ともすれば厭味とも取られかねない謙虚さか、至極大真面目にそう思ってるようで。一番響への影響力が大きかったのは彼の存在そのものなのに、彼の認識は違っているようで。
 確かに、客観的に見ればそう取られても仕方ないのかもしれない。
 協力関係といっても、まぁ、全然大したことは出来なかった。精々なるべく三人で一緒に行動するようにしただけで、色々考えていた企画は【軽巡棲姫】のせいでほとんどお流れになってしまって、性急に事が進んでしまって、そこはキラが言った通り具体的なアクションを起こせなかったのは事実だし、残念だった。でも本当に色々なことがあった三人の日々で、七転八倒して九死に一生を得て絆を深めた日々で、当初想像していた以上に色々なものが急激に変わった。
 響の中には元々、変われる力があった。それも確かに違いない。あの娘は聡明だから、一つのキッカケでどんどん次へと自力で進んでいけるのだ。きっと今だって、夕立との戦闘の影響でまた次のステップへと進んでいることだろう。
 しかし、そのキッカケを与えてくれたのは紛れもなくキラなのだと、瑞鳳は信じている。もし彼がいなかったら、一つのキッカケすら得られなかった響は未だに停滞したままだっただろうと。聡明過ぎて、逆に考えすぎて、傷ついてきた彼女にとって、きっと彼の護ろうとする姿勢そのものが支えや道標となったのだ。だから何もしてなかったなんて、とんでもない誤認だ。
 彼は間違いなく、響の恩人なのだ。瑞鳳の恩人でもあるのだ。
 そして。
 そんな優しい彼に、自分を犠牲にするような危なっかしさを見いだしてしまった。
 だから、なのかもしれない。
「キラ・ヒビキさん……かぁ」
 無意識に呟いて、白く煙った吐息に乗って寒々しくも清々しい大気へ溶けていったその名は、今となっては瑞鳳という一人の少女にとっても大きな意味を持つようになっていた。戦友である以上に、瑞鳳の願いを叶えてくれて、響を救ってくれた恩人のもの。
 彼は、自分に出来なかったことをやってくれた。
 最初はできる自信はなんか無いと苦笑してたのに、やり遂げてくれた。響が改二になるまでに変わってくれた今という未来まで道を繋いで、辿り着かせてくれた。
 瑞鳳にとって、彼はそういう男になっていた。
 知らなかった。予想もしていなかった。

 
 

 まさか言葉にするだけで、その響きが私の心の中にもスッと溶けてきて。こんなにも胸がぎゅうってなるような日が来るなんて。

 
 

「あぅ……、……まいったなぁ……」
 まさかこんなことになるなんて、本当に思ってもみなかった。
 全ての始まりは、響を支えて助けになる為にと奇妙な協力関係を持ちかけた、あの食事会の夜。あの夜から当初想像していた以上に色々なものが急激に変わった。響だけじゃなくて……知らないうちに、瑞鳳の心までも大きく変わっていた。
 考えてみると、協力関係になってから第二次ヘブンズ・ドア作戦の為にキラが佐世保を出立するまでは、たったの10日だけしかなかったのが正直驚きだけど。思っていたよりもずっとずっと短い。その間に一回死にかけた身からすると体感一ヶ月以上もあった気がするのに。
 ともあれ、そんな短くも濃密な10日間を経て。
 彼に対する気持ちが、なんでだろう、凄くすごく熱くなっていることに気付いてしまった。
 この想いはきっと、仲間に対する信頼感や、恩人に対する感謝の念を超えていて。
 こんなつもりじゃなかったのに。
(いつから、だろう。いつから私……?)
 きっと佐世保軍港で一緒に夕焼けを見た時には、もう既にあったのだと自己分析する瑞鳳。そうでなければあの時の自分の行いに説明がつかない。というか逆に、あれのせいで自覚したというか。
 あの時。
 一緒に夕焼けを見て、彼の涙を見た、あの時、やってしまったことは。
(だって……キラさんの哀しそうな顔なんて、見たくなかったから……)
 無意識に、刹那の欲求で、涙を唇で拭おうとしてしまった。彼が此方に振り向いたから【その行為】自体は未遂になったけど、余計に業が深くなった。
 指先が自然と唇をなぞる。
 あんなことをしちゃったから海に落ちてしまったのだ。
『でもさぁ実際ありえるかもじゃん? つーかみんな気にしなさすぎだけど、いつの間にか溶け込んじゃってるけど、鎮守府に出入りする男なんて提督以外初なんだよ? 面白いことが起こらないはずがないよ状況的にお約束的に』
 いつかの鈴谷の冗談が脳裏を過ぎった。
 認めざるを得まい。恋愛偏重主義者の戯言と一蹴してしまうには、あの言葉どうも的を射ていたようで。
 鈴谷曰く面白いこと――厄介なことになってしまったと、少女は頭を抱えた。
 こんなつもりじゃなかったと、頭を抱えて、

 
 

「ちーっす瑞鳳(づほ)、迎えにき」
「ひゃわぁー!!??」
「ほわぁー!? なに!? そんな驚くことないじゃん!?」

 
 

 正面から話しかけてきた鈴谷にビックリして、素っ頓狂な叫びを上げてしまったのだった。
「す……鈴谷!?」
「ぉ、おう……鈴谷ですとも。え、なに、もしかして来ちゃ駄目だったり?」
「にゃ、にゃん……なんでここに?」
「はいはい可愛らしく噛まないの。なんでって一応の護衛じゃん、軍港までのエスコート係。事前に説明あったっしょ」
「ぁ……あー、うん、そういえば。……えっと、来ちゃ駄目ってワケじゃなくて、その……」
 彼女が現れたのは不自然なことじゃない。
 すっかり意識の外になっていたが今は合同慣熟訓練の真っ最中。厳戒態勢は、疲れ切った艦娘達の護衛も伴うものである。瑞鳳の担当が鈴谷だったということで、さっきの響と夕立にも軍港まで同行した艦娘がいる筈であった。
 なんというか、ここまでの自身の反応を含めて【お約束】まんまのようで若干癪だけど、色々とタイミングが悪かっただけなのだと瑞鳳はまたも深呼吸を繰り返す。
 悟られてはならない。
 他の誰よりも、この恋愛偏重主義者の鈴谷にだけは。知られたら間違いなくネタにされる。
「あ、もしかして瑞鳳(づほ)さぁ……」
「!?」
「キラっちに手も足も出なかったの気にしてたり?」
「……、……ウン。実はそーなの」
 鈍い子で助かったと、薄い胸をなで下ろす。
 確かに彼女の言う通り、先の指導という名の模擬戦にて瑞鳳のストライクは懇切丁寧にキラのデュエルにコテンパンにされたのだ。戦いを存在意義とする艦娘にとって凹まないわけがない戦闘内容だった。瑞鳳が凹まずにいたのは、より彼に対する情緒の比重が大きかっただけの話に過ぎない。
 この分なら当面は気付かれないだろうと、そのまま流れに乗ることにする。
「やーそりゃ仕方ないと思うわ流石に。ビックリするぐらい強いからねぇあの人。……でも、良かったじゃん?」
「? なにが?」
「愛しの王子様とワンツーマンだったんだしさっ☆」
「ぶっ!? ちょ、なん……なんでソレを!?」
「え」
「え」
「……」
「……」
「……、……ゴメン瑞鳳。そんなガチだったとは思わなかったじゃん。そういうことだったら愛の伝道師たるこの鈴谷、茶化さないで心から応援するから」
「……シニタイ」
 一瞬で自爆った。
 図星だったのが尚更酷い。
 ここでとうとう、気力が折れてその場にしゃがみこんでしまう瑞鳳であった。せめて茶化してほしかった。
 見事に、あの食事会直前の会話と立場が逆転してしまった格好である。
「なんでさ? もー堂々と告っちゃえばいーじゃん。きっとあれ脈アリだって」
「そーいぅ単純な問題じゃないのよぅ……」
「んまー、そうだねぇ。恋は障害が多いほーが燃えるよねぇ」
「もう燃え尽きたい気分よぅ……」
 前途多難。
 そう。
 この恋は、前途多難。
 否。それ以前に、叶えちゃいけない恋だった。あってはならない横恋慕、裏切りだった。
 だから誰にも知られたくなかったのに。
 知られず、いつかの別れの日まで。または墓の下まで、秘密にしておきたかったのに。
 鈴谷が悪いわけじゃないのは、わかってるけど。
「……ぅ……ふぇ……、……っ」
 涙が溢れて止まらなくなる。
 意味がわからない。どうして自分が泣いてるのかわからないまま、ついに大声を上げて泣きじゃくってしまう。自分が酷く惨めに思えてならなかった。
「……ゴメン。えっと、とりあえず知っちゃったから、知らなかった前に戻れなくて……この話、他言はしないから。誓って、絶対に。いつか、瑞鳳が打ち明けたいと思える時が来たら、その時は力になるからさ」
「すずやぁ……」
「だから……、……あーもう、泣かないでってばー! こーいうの苦手なんだってー!! 助けてぇーー熊野ぉーー!!!!」
 その後、なんやかんやあって。
 お堅い訓練行動中に発覚した青春っぽい涙は、真新しい白の上着の袖を盛大に濡らしつつもなんとか軍港に着くまでに引っ込んだ。瑞鳳は気恥ずかしいし、鈴谷は気後れするして終始無言の道中だった。
 一回泣いてスッキリ……とはいかない。
 持て余すばかりの想いは胸の中で燻ったままで、せっかくの蒼穹さえ色褪せて見えてしまう。これからどうするべきか、心をさんざかき乱された瑞鳳には皆目見当がつかなかった。特に、これから響とどう接すればいいのかが想像すらつかなかった。
「……えっと、お恥ずかしいところを……ごめんなさい」
「あ、や、鈴谷もちょい軽率だったなーっと……瑞鳳(づほ)はいつも難儀してるねぇ」
「言わないでよぉ……、……とりあえずお風呂、行ってくるね……」
「ン。……あ、ちょっと待って。伝言忘れてた」
「伝言?」
「木曾からね。今日のお昼に――」
 【榛名組】のミーティングの件を最後に、そそくさと別れる二人。この後にまた顔を合わせることになるが、それまでにいつもの自分に戻らなきゃと意識する少女は、知らない。
 ついさっき、この場所で。
 少女が護りたいと願うもう一人の少女もまた、同じ想いを芽吹かせていたことを。
 片や自覚していて、片や無自覚だけれども。もう二人は同じ立場にあることを、二人はまだ知らないままだった。
 今は、まだ。
 二人はまだ、知らないことの方が多かった。

 
 
 

 
 
 

 合同慣熟訓練はつつがなく全てのプログラムを消化し、時刻は12時ちょっと前。
 【榛名組】のミーティング開始まであと30分程といったところで、旧ザフトの赤服を纏ったシン・アスカは佐世保鎮守府工廠の裏手へと歩みを進めていた。
 あの異端の深海棲艦姫級・デカプリストと響が邂逅した、あそこだ。ヤツに指定されたその場所へ、普段から人目のつかないその場所へ、シンはこれ以上ない仏頂面で向かっていた。
 仏頂面というよりかは、硬い。
 不機嫌なわけでは、ない。
「……」
 さりげなく周囲を見渡す。気配を探る。
 一人で来いとのお達しだった。天津風とプリンツにも秘密で、隠密で、彼は誰にも見られていないことを把握するとサッと細い路地裏に入る。工廠と倉庫の間の道。ちゃんと歩道として整備されている道なのに、何故だか人を寄せ付けない細い道。
 この先に居る。
 じとりと湿った掌をズボンで拭って、そこで初めてシンは自分が緊張していることに気付いた。
 覚悟はしていた。佐世保の土を踏んだ一週間前から。迷いはない。
 けど、どうしても、足が重い。覚悟が足りなかったのかと、青年はここ最近で染みついてしまった自嘲に頬を歪めた。
「……いない?」
 広場に出た。
 寂れたベンチと、それをスポットライトのように照らす電灯があるだけのただっ広い空間。されど、木々の隙間から蒼い空と碧い海が覗き、春には桜、秋には紅葉が舞うという豊かな自然を感じられるこの場所に、されど、今はまだ冬を迎えたばかりで寒々しいばかりの木々に囲まれたこの場所に、呼び出した当の本人の姿が見えない。
 少しホッとして、少し心配になった。
 そんな自分をアホかと一蹴して、探す。まだ来ていないわけがない。となると、心当たりは一つしかない。木々に囲まれた広場の、ベンチの横――さっき通ってきた路地裏よりも更に細い、林道の入り口。
 なるほど、内緒話をするなら彼処が適切だろうと得心する。なにより、自分達二人の内緒話ならば。
 林道へ。
 どんどん、狭くもの悲しい空間へと誘い込まれているようだと思った。物理的にも、精神的にも。賑やかで明るくて頼もしくて美しい少女ばかりがいる、言うなれば暖かい光と煌めきに満ちあふれた空間から隔絶されたような、闇の一寸手前のような空間へと。
 それもその筈。この短い林道の奥には、小さな石碑がある。一度だけ来たことがあったから、知っている。
 ――名も知らないナスカ級クルー達の慰霊碑。墓地。死者の集う場所。その石碑の前で、キラは静かに佇んでいた。
「よぉ、キラ・ヤマト」
「やぁ、シン・アスカ」

 
 

 此処は、今此処だけは彼ら二人にとって、C.E.という世界の延長だ。

 
 

「……で? なんの用だよ?」
「わかってる癖に。此処に、今、君が来た。それが答えでしょう?」
 彼は、振り向かなかった。
 旧ザフトの白服を纏い、その襟足を男性にしてはちょっと長めな赤銅色の後ろ髪で隠したその後ろ姿は、シンにとって酷く懐かしいもので。懐かしくて、違和感の塊すぎて、直視するには辛くて。その懐かしい後ろ姿こそが己の罪の象徴なのだと、らしくもなく思うから。
 だからかなんの脈絡もなく、シンは思いついたままに問いかけた。
「なぁキラ、こんな話を知ってるか? 人の皮膚って1ヶ月で全部入れ替わって、血液は4ヶ月、一番遅い骨の細胞も大体3年で入れ替わるんだってさ」
「……え? いきなり何?」
「……、……場を和ませるジョークだよ」
「うーん。前々から思ってたけど、そういうセンスないよね君。僕もヒトのこと言えないけどさ」
「あんたのは冗談が冗談に聞こえないんだよ」
「それね、アスランにもよく言われた。……それで、まぁ、その和ませジョークに律儀に答えるなら、知ら……いや、知ってる、ような……?」
「そうかよ」
 慰霊碑の前で、ちょっと意味不明な会話に興じてみる。
 キラが意外そうな顔を隠そうとせずに振り向いくと、シンもしてやったりという顔を隠そうとせずに、軽口を叩いた。
 このあまりにも現実離れした異世界で、このように再会して、やっと二人っきりで話せる機会なのだからこれぐらいで良いのだと思う。
 最初のコンタクトは、呉の提督を経由した伝言だった。話がしたいと。それをシンは「電話や手紙で、記憶を失ったあんたと話すことはない」とすげなく断った。
 二回目は、佐世保への大規模輸送作戦の直後。たった一言二言だけ言葉を交わして、すぐに別れた。
 三回目は、ウェーク島前線基地からの電話でちょっとした悪巧みに協力させられて。
 四回目は、あのデカプリストを伴っての奇妙な事件で、あんまりに奇妙で唐突だったものだから、なんの益にもならない軽口を言い合うしかなかった。
 五回目だ。これで遂に五回目にして、やっと、二人っきりでまともな会話の場がやってきた。開口一番に不慣れながらもジョークを飛ばしたのは、シンなりの照れ隠しだった。効果は抜群で、やっと向き合うことができた。
 同じ立場で語り合えたいつかと同じ空気が戻ってきて、シンは少し嬉しくなった。
 もっとも、
(知らない、か……。そうか、あんたはあの時の事も、忘れてるんだな……)
 先の質問は荒唐無稽にようでその実、シンにとってはかなり大きな意味を持つものだったのだが。
 確信する。
 改めて、コイツは記憶喪失なのだと。
 自分が知っている人物とは少し違うのだと。
 一瞬で様々な想いが去来する。この感情を一言で表わすなら、喪失感、だろうか。
(部分的な記憶喪失……つったってな。まさか、また誰かに忘れられるなんて経験するとは思わなかったッスよ、キラさん……)
 緊張が深まる。
 もう一度、今度はこっそりと汗をズボンで拭って、生唾を呑込む。この人にちゃんとしてもらうには、言葉を選ばないといけない。そういう配慮は短慮なシンにとっていつだって課題だった。
 ともあれ会話だ。人と人の会話は、言葉を出さねば始まらない。以心伝心なんてものは存在しない。
 黙って時を浪費できるほどの余裕がないのも事実なのだから。
「……悪い、回り道が過ぎたな。そんなに時間に余裕があるわけじゃないってのに」
「だね。あともう少しでミーティングが始まる。その前に、シン、君にどうしても確認したかったことがあったんだ」
「奇遇だなキラ。俺もあんたに訊きたいことがあったんだよ」
 お先にどうぞ、とキラが促す。
 ならばと遠慮なく、シンは前々から気になっていたことについて口火を切る。
「じゃあ……なんであんた、この世界に来てまでキラ・ヒビキを名乗ってるんだよ? なんでヤマトを名乗らないんだ?」
「そう、それ、それだよ。それについて君と話をしたかったんだよ」
「はぁ?」
 予想外の返答にたじろぐシン。
 しかしこれはシンにとっての先の質問と同じなのだと、キラにとって大きな意味を持つものなのだと直感する。
 何故ならば、全てを知っている自分ですらこんなにも緊張しているのに、何も知らない――忘れてしまったキラのほうがずっと緊張しているに決まっている。口調こそ軽さを気取っているが、そんな彼の主題ならば、一体どれだけの重圧に耐えて、この場に立っているのだろう。
 話をするだけなら、例のミーティングの後でいい筈だ。なのに今この瞬間にと指定してきたからには、余程のことだ。
 意を決して、キラの次の言葉を待つ。その真意を推し量るのは俺の役目だと、信じる。
「ねぇ、シン――」
 それもまた、この世界に対する【俺達の責任】に通ずることだから。

 
 

「――僕は……この身体は本当に、キラ・ヤマトなのかな? キラ・ヒビキを名乗るこの僕が、あのキラ・ヤマトと同一の存在だっていう確証……それは君が知ってるのかなって、ずっと悩んでたんだよ」

 
 

 【榛名組】のミーティング開始まで、あと25分。

 
 

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