ある召喚師と愚者_01話

Last-modified: 2009-05-25 (月) 03:29:14

どうしようもないと諦めるには、力が在りすぎた。
気に入らないものすべてを薙ぎ払うには、力が足りなかった。
少年の日の自分はあまりにも未熟で、無知で、覚悟もなかった。
だから――目の前から家族を奪い去った“理不尽”に、再びすべてを奪われた。
地位も、力も、友も、信念も――築き上げてきたすべてを、否定された。
故にシン・アスカという男は、“理不尽”という暴力を憎む。
機械の巨人は朽ち果て、その手に残るは一振りの剣。
それは無銘のチカラ。使い手待つ愚直なるカケラ。
世界から弾き出された愚者は、何を見るのか?

 

―――幕を開こう、狂乱の舞台を!

 

 

――基底現実に降りて三百年が経過した。
何もかも定かではない煉獄。赤という景色がすべてを塗り潰し、幾千の屍が俺を苛む。
地を埋め尽くすのは亡骸。かつて笑い、語り合い、命を育んでいた人々の成れの果て。
力がなかったから救えなかった、たったそれだけのシンプルな現実。
どんなに決意したところで、汚染されたこの世界の人々は救えないのだろう。
それでも、俺はすべての人に笑顔でいて欲しかった。
それはきっと、故郷で為せなかった“理想”だから。
ああ、でも――実際は、血塗れの人殺しだ。
選ばれた者に、救済など訪れるのだろうか?
わからないけれど――これは罪であり、罰なんだと思う。
焔の色、緋色の戦衣が風に揺れる。

 

《自責する暇があるのならば、“戦え”マイロード》
「わかってる。わかってるさ――」
両手で握り締めた機構剣のデバイスコアが赤く光り、無尽蔵の圧縮エネルギーをほんの少し開封する。
たったそれだけの行為で、無量大数に及ぶ並行世界の“生け贄(サクリファイス)”の魔力により、
この次元に満ちるアンチ・マギリンク・フィールドが無いも同然と成り果てるほどのエネルギーの飽和状態となる。
同時に男の脳髄に走る電気信号。それは力の代償として、事象の地平よりダウンロードされる呪縛。
可能性の海より拾われた、幾億の記憶がシナプスサーキットを駆け抜け、ぐちゃぐちゃに思考を刈り取っていく。
――無限/並列する次元において、基底現実における記憶は多数在り、その可能性は多岐に渡っている。
栗色の髪の少女と歩んだ道があった。赤い髪の少女と生涯を共にした道があった。
護りたいと願った少女を護り切れた次元があった。家族を失わずに済んだ世界があった。
「ぁぁああぁあああッッッ」
爆発的なエネルギーの開放と空間振動に反応し、地平線の果てから無数の機械兵器が湧き出る。
醜悪な無数の地上走破脚と、あらゆる魔法を無効化するフィールドを持った、機械兵器。
便宜的に陸戦型ガジェット、ガジェットドローンⅥ型と呼ばれるもの――哀れな傀儡人形。
《推定、八十九万四千二百機のガジェットだ。我らも舐められたものだな》
「この程度で全戦力、ってわけでもないだろ?」
《肯定。知覚範囲にキロメートル級の次元航行物あり。十中八九“ゆりかご”だ》
「――ハッ。必死だなぁ」
その言葉は敵に対するものか、それとも自分に向けられたものなのか。

 

心という脆い器に込められた、ありったけの決意を吐き出しながら、両手大剣(ツヴァイハンダー)を振るい、
血で染まった草原を這う、九十万体に及ぶ節足の戦闘機械――殺戮をプログラミングされた自動人形――を薙ぎ払う。
音速を超えた剣先が生み出すのは、衝撃波、などという生易しいものではない。
それは次元を切り裂く神鳴る刃であり、空間断裂と呼ばれる絶技中の絶技。
たった一度の剣閃。それが引き起こした破壊は絶大であり、光と音を屈折させ空間を歪ませ、一撃で二万の軍勢を消滅させた。
爆発することもなく、空間ごと存在を抉り取られた機械兵器は、跡形もなく虚無に喰われた。
返す刃で振り上げた一閃、さらに貯蔵するエネルギーの一部を使用――魔力と共に基底現実に降りる可能性情報。
記憶という可能性に自我を犯され、無数の幸福に満ちた人生/無数の悲しみに満ちた人生を、一ナノセカンドの間に追憶した。
ギチギチと魂が軋む…………笑う、嗤う、わらう、わ、ら、う?
――自己の存在定義の境界線が曖昧となる=混沌(カオス)に呑まれる。
目眩、吐き気、口から呻き声を漏らし、涙を浮かべて吼え続けた。
大剣を振るう度に放たれる空間断裂、その殲滅半径に巻き込まれたものは塵一つ残らない。
四万、八万、十六万……人に到達出来る領域にあらざるそれの前に、機械兵器はただただ砕け散る。
だが森羅万象の守護者たる男にとっても、過度の力の行使の代償は重く、
平行世界と繋がった記憶と自身の記憶、その境界線がひどく曖昧になっていた。
自我を形成する記憶と人格は、今や狂ったような情報の雪崩れ――言わばノイズ――に呑まれている。
何もかもが無意味な、記憶の結集――総和へ向けて突き進む虚構。
――俺は、オレは、おれは……な、ん、だ?
自己の存在定義、名前という起源すらゲシュタルト崩壊し、無価値となる――。
魂魄の許容量を超えた数多の平行世界の記憶が、観測者の喪失によって無意味と成り果てる。
無情なる刃金の声は、死を迎える意識すらも無視して、力の行使を命じた。
《マイロード、“戦え”》
「……あ」
《まだ敵は残っている》
「―――ああぁぁあぁぁああ!」
意味なき慟哭と同時。虚空に穿たれた穴より、虹色の魔力砲撃がスコールのように降り注ぐ。
次元跳躍爆撃……男の身体ごとすべてを焼き尽くす業火は、人類の範疇ではないそれにとって致命傷たり得ない。
機構剣からの強制操作――青年が右手を翳すと、虚空を抉り取る半球状のシールドが展開される。
大気を震わせる轟音――核兵器に匹敵する爆風で周囲のガジェットが薙ぎ払われ、
疑似物質化していた魔力の崩壊は、膨大な熱量となって荒れ狂い、大地を穿つ。
それを遮断する隔絶結界がビリビリと震え、また真紅のデバイスコアから魔力と記憶が供給される。
ガリガリガリガリ――磨り減っていくナニカの音が、青年を苛む。
オリジナルの魂魄から転写された■■・■■■の人格情報が、ギチギチと歪んでいく。
どんな幸福な世界でも経験できる/どんな狂気の世界でも体験できる――されど、手には入らない。
無限の戦場においては、如何なる夢も無意味。ただそこにあるという悲劇がココロを砕く。
■■■■■■・デバイスによる平行世界接続は、エネルギーの抽出と因果情報の流入を青年の体にもたらす。
その影響――数多の世界で■■・■■■が味わった、可能性の追憶に因る“精神汚染”。
ガラガラと壊れていく人格に引き摺られて、肉体が悲鳴を上げる。
デバイスコアの声が、愁いを帯びた。

 

《今回の基底現実はこれで終わりか》
「……ぁあ……ま、ゆ……すて、ラ……る、ナ」
《……それらはすべて、虚数空間に呑まれた可能性だ》
灰となって崩れ去る青年の身体――緋色の衣装も崩れていく。
《次の戦いは楽だといいな》
ぽつり、とデバイスの管制人格が洩らしたのは、本音だった。
すべてが崩れ去る直前に、デバイスは最後のコマンドを実行する。
最早、廃人同然となった主(ロード)そのものを爆弾とするメルトダウン。
異常を察した“ゆりかご”が空間転移しつつあるが、無駄だ。
今から行うのは自爆行為であり、時空から“存在した”という事実を消し去る、守護者の最終手段だった。
身体構成元素が反物質へと変わり、対消滅が開始され始めた。
生み出されるのは絶大な量のエネルギー、空間組成を狂わせる光。
「………ぁあ……ぅ」
《――次にお前に会えるのは何時だ? マイロード、答えてくれ……》
零へと至る偉大なる虚無が、三百年前よりミッドチルダと呼ばれた惑星を飲み込む。
一つの時間分岐から、永きに渡る文明が消え去ったときだった。

 

たゆたう因果は……

 

……彼のすべてを、虚空へ誘った。

 

そして、すべての分岐点へと―――。

 

 

―――新暦74年

 

風が頬を撫でる。濃密な若草と焼けた薪の匂いが鼻孔をくすぐり、意識が覚醒した。
寝癖が何時もついているざんばらの黒髪を揺らして、上体を起こす。
何だか酷く厭な夢を見ていた気がするが――脳がぼうっ、としていてどうにも駄目だ、思い出せない。
あまり寝起きが良い方ではないシン・アスカが目を擦ると、目の前には地面に突き立った一振りの長剣。
真っ直ぐな刃は白銀の色/挟み込むように固定している黒鉄のフレーム=機械的印象を受ける両手大剣。
鍔元には真紅の球体が嵌め込まれ、朝の陽光を浴びてキラキラと光り輝いている。
確か――■■■■■■・デバイス? いや、アームドデバイスと言ったか。

 

「……夢じゃ、なかったのかよ……」
クソッタレ、と心中で毒づく。
どんよりと赤く濁った瞳は陽光が差しても晴れず、むしろ陰鬱さを増した。
シン・アスカはかつて、コズミック・イラ有数のエースパイロットと呼ばれた男である。
決して自殺など選ぶ質の男ではないが、その一方で燻り続ける自殺願望を抱えてもいた。
曰く、自らは生きる価値の無い人間だ。
曰く、シン・アスカはただの虐殺者。
曰く、殺した人間の数しか誇れない。
それら、負の感情はずっと青年の心に根を張り、じわじわと理性を犯し続けている。
少年期の終わりに漸く彼は悟り、その瞬間に儚く心という器はひび割れた。
―――“エース”とは人殺しの称号であり、撃墜数とは自らが奪った未来の数なのだ。
なのにのうのうと生き残って、未来を奪うことで生きる自分は――なんだ?
だから、贖いも出来ずに藻掻く、シン・アスカという男は情けないのだ。
少なくともシンはそう思っていたし、それを口に出すこともないから否定もなかった。
あの核爆発で“世界の未来”と引き替えに、贖罪を果たして漸く死ねると――そう思っていたのに。
現実はどうかと言えば、わけのわからないことに、魔法使いがいるファンタジックな世界にいた。
嗚呼、まったく意味不明だ。寝起きの脳味噌を整理しようと考えるが、何も浮かばない。
ただ泥のような眠りに就きたい欲求だけが降り積もる、精神の疲弊。
俺は何故生きているんだろう、と間抜けに思いながら立ち上がり、
真紅のデバイスコアを持つ大剣に触れようと手を伸ばした刹那。

 

「――っひ」
湧き出るのは畏れの感情、絶対的虚無という記憶の欠片。
アレに触れてはいけない、アレに触れると、また思い出してしまう。
何を? 答えなどでない。出るはずもない。だけど心は知っている。
理解出来なくても、本能が叫ぶ――“生存”に固執するシン・アスカの自我が、
自己の否定を恐れてぐるぐると警報を鳴らし続け、青年は結局、大剣に伸ばした手を震えさせて俯いた。
手を引っ込めると、そのまま乾いた土の上にへなへなと座り込み、深く溜息をついた。
――俺は……なんでここにいるんだ?
それこそ愚問だろう。
結局自分は世界を救えたのかもわからずじまいで、生きる意味も見失ったままだ。
無意味にただ其処に存在するという現実だけが、ひどく空虚だった。
ぼうっ、と朝日を見上げ、呻く。紺色のコートを着ているのに、馬鹿に寒かった。
ざく。ざく。ざく。

 

「……っ!」
誰のものとも知れぬ足音。
思わず弛緩していた身体を叩き起こし、油断無く振り返る。
自分のものではないかのように身体が軽い。そこにいたのは――。

 

「……? ご飯、できた」
薄紫の長髪、赤く澄んだ瞳、造形が整った顔――妖精の風情。
相変わらずの無表情、小首を傾げて佇む美しい人形のような少女がいた。
気まずくなったシンは、少女の名前を思い出そうと頭を捻った。
けれど思い出す前に、美しい少女が口を開く。
「……シン?」
「…………ん? ああ、なんだい、えーと……ルーテシア、ちゃん?」
「ルーテシアで良い。ゼストはそう呼ぶ……」
そう言うとくるり、と踵を返す少女。青年を待つこともなく、足早に去っていく。
シン・アスカは状況把握が出来ない自分に、改めて溜息をつきながらその後を追った。
鼻孔を掠める甘いような匂いが、いやに印象に残った。

 

 

茶色のコートを着た大柄な騎士が一人、焚き火で粥を煮ていた。
さじで鍋をかき混ぜると煮えたデンプンの匂いが立ちこめ、朝の陽光を浴びながら、
男は昨日拾った青年のことを考える。まだ詳しい事情を聞いていなかったが、あの分なら悪い男ではないのだろう。
魔法のない管理外世界から漂着したにしては、幾分冷静であったし、人を見る目が多少はあるつもりの騎士から見ても、
彼はそう悪い人間には見えなかったのだ。不可解なのは彼が持っていたデバイスだけだが、
あれを使うだけの資質が青年にあるとも思えなかった。
男の名はゼスト・グランガイツ。
古代ベルカ式を受け継ぐ騎士であり、首都防衛隊で隊長を務めていたオーバーSランク魔導師だ。
今でこそ次元犯罪者の傀儡に甘んじているが、それは人質にされた部下の――否、
彼女のためにとったやむを得ない行動であり、心までは売り渡していない。
ああ、でもきっと――それは裏切りだった。自分を信じて散った部下達を考えると、あまりに馬鹿な行為だった。
だが、愛した女とその子供の命を前にして、心を鬼と出来るほどゼストは強い男でもなかった。
その成れの果てが、あの子から感情を奪ってしまった“現在(いま)”なのだから、皮肉だろう。
そう自嘲していると、烈火の剣精ことアギトが彼を気遣うように言った。
「旦那……」
「大丈夫だ、アギト。俺は後悔などしないさ、ただ……」
今でも死なせてしまった部下を思うと悲しく、その報いは必ず受けさせてやりたかった。
――たとえそれが、理想を語り合った友との決別だとしても、俺は後悔しない。
だがしかし、それよりも望むのは。
「……あの子の笑顔が戻れば、それで良い」
あるいはそれくらいしか、男には残されていないのだから。
ざく。ざく。ざく。ざく。ざく。じゃり。じゃり。じゃり……足音。
やがて連れの少女ルーテシアに加え、その後ろを歩む黒髪の青年が姿を現した。
シン・アスカ。魔法を何一つ知らない異文明人……と思しき者へ、ゼストは視線を傾けた。
赤い瞳に黒い髪――ふと、幼少の砌(みぎり)に父から教え込まれた、古い伝承を思い出した。
そう、あれは御伽噺だ。古代ベルカより続くグランガイツの家の者に伝わる、古く尊い幻想。
すなわち……

 

「……ゼスト?」
「ん、ああすまんな。適当に座ってくれ、雑穀と肉の粥だ」
器に粥を分けながら、ゼストは事も無げにそう言った。
ルーテシアから粥の入った器とスプーンを手渡され、それを恐る恐る口に運びつつ、シンは訊く。
「ゼストさんは旅を?」
「ああ、アギトも連れて三人でな」
「……俺、どうなるんでしょう?」
不安げにそう聞いてきた青年へ、壮年の武芸者は心配するな、と微笑む。
「なに、近くの街まで送っていくさ。事情を時空管理局に話せば、元の世界まで送り届けてくれるだろう」
「時空、管理局……?」
「……そうだな、警察のようなものだ。事情を詳しく話せば、君一人の面倒くらい見てくれる筈だ」
はぁ、と納得したのかしていないのか。微妙な表情でシンは頷くと、粥を啜りながらむ、と唸った。
ルーテシアが不思議そうな顔で、この部外者の男に尋ねた。

 

「どうしたの……?」
「ん、ああ、いや――ちょっと、母さんのオートミールに味が似てて、さ」
「……………お母さん……」
妙に寂しそうにそう呟く、薄紫色の髪と神秘的な雰囲気を持った少女。
ふと、ひょっとして彼女の母はもういないのではないか、という可能性に考えが回り、
悪いこと言っちゃったかもしれないな、と思いつつ、シンは黙って粥を口に運ぶ。
お世辞にも行儀が良いとは言えない食べ方だったが、ゼストは責めるでもなく自らの分の粥を食べている。
「それじゃあ、近くの街まで――」
「ああ。見捨てるほど薄情でもないさ。ルーテシアも、それでいいか?」
幼い少女は無表情に頷き、粥を食べ終えた、と告げた。
「少ないな、いいのか?」
「……お腹いっぱい」
そう告げると器を置く。ゼストが仕方ないな、と呟き、
「ならいいが。アスカ君、もっと食べてくれても良いぞ」
「…………頂きます」
シンがそう言って二杯目のオートミールに手を伸ばした直後――。

 

 

森が――いや、時空が震えた。ざわざわと木立が軋み、鳥は空を羽ばたいて逃げ惑う。
ゼストとルーテシアはいち早く異常に気づき、それぞれお椀を置いてデバイスをセットアップ。
男の手足に鋼の装身具が現れ、その手の中へ黒鉄の大槍が物質化、禍々しい湾曲した黒刃を曝し、
少女の衣装が一瞬で分解され黒いドレスへ再構築、
その両手を覆うようにブーストデバイス『アスクレピオス』が装着された。
魔導師の戦衣=バリアジャケットの展開――純粋科学文明からすれば奇跡に思える、
事象改変の光景にシンが目を奪われた瞬間、

 

――空が裂ける/天地が揺れる/青空を引き裂く漆黒――虚数空間と呼ばれる事象の墓場。

 

ギチギチと音が聞こえる。シン・アスカの魂が否定したいナニカ。
それこそがアレなのだと、本能が警告していた。脳が痛い。身体が歪む。
「ぇぅう……あぁ……」
唇を開いて跪き、両手で上体を支えながら呻いた。
どうしようもない苦痛/虚無感が押し寄せる中、天空を突き破ってそれは顕現する――!
まず最初に甲殻類――海老や蟹――を思わせる黒く巨大な鋏が現れ、時空の裂け目を押し広げた。
バキバキと砕け散る次元境界線。本来ならば直径二十メートルほどのそれが、
巨大な鋏によって八十メートルはあろうかという穴へ。
そして、その暗黒より顕現するのは、脈動するおぞましい金属装甲と――巨大な顔が露わとなった。
毒虫を思わせる禍々しいグリーンとイエローのカラーリング、甲虫か甲殻類の如き鋏の四本足。
破壊をもたらす刃金の塊たるそれは、青き光によって侵されながら吼えた。

 

―――GYAAAAAAAAAAAAA!

 

甲高い金属音は、竜の咆哮のようだった。
「……なんだ、これは……?」
ゼストの呻きは、真っ当な常識を持った人間からすれば尤もなものだろう。

 

「来る……」
体内に埋め込まれたレリックの胎動――ルーテシアは召喚魔法を行使し、その絶大な魔力の一端を開封。
三角形のベルカ式召喚陣より、黒金の筋肉質なヒトガタと、戦車ほどもある大きさの甲殻虫を喚び出し、使役する。
黒金のヒトガタの名は“ガリュー”。誇り高き昆虫人であり、アルピーノ一族の剣となることを誓った戦士だ。
威力偵察のため、二匹呼び出された甲殻虫は“地雷王”という。知性が低い分よく従ってくれる召喚獣だった。
ルーテシア・アルピーノの魔法的命令権によって使役される、二匹の虫が羽を広げ、雷電を喰らわせようとスパークを発した。
刹那の出来事――暴虐の音が弾けた。二匹の召喚虫は跡形もなく吹き飛び、思念通話の断絶だけが召喚師に現実を認識させる。
たったのコンマ一秒で、自らの持つ手駒が完膚無きまでに粉砕されたという現実を。
大気を引き裂く発砲音/七十五ミリ対空砲の砲火/耳の鼓膜が破れそうな音の暴力――外れた砲弾が木立をバラバラに吹き飛ばし、
デタラメなその威力に敏感に反応したのは、ゼスト・グランガイツと召喚虫ガリューであった。
「ルーテシア、アスカ君、逃げろ! 俺が時間を稼ぐっ!」
シン・アスカは呆然とその怪物を――地球連合軍大型試作モビルアーマー『ザムザザー』を見上げ、呻いた。
「どうして……! どうしてなんだ……!」
それは――地球圏における大量破壊兵器の一つ/故郷との決別の象徴/初めて倒した巨大兵器。
“遠く離れた”この世界にあってはならないはずのモノ=機動兵器を用いた忌まわしき大戦の遺産。
何故か確信する――あれこそが敵なのだと。
だから、叫んだ。

 

「――今更だろうがァァァ!!」
「シン、逃げて」
ルーテシアの声も耳に入らず、青年はそれを睨み付けて立ち上がる。

 

―――KYUGIYIIIIIIIIIIIIIIII!

 

“それ”は咆哮し、接近する次なる獲物――たった一人の槍騎士――に機体正面の足を向け、
鋏を折り畳むことで入れ替わるように大口径ビーム砲の砲門を展開する。
ゼストは複列位相砲のエネルギー集束を感じ、冷や汗を掻きながら空を飛び、
咄嗟の重力制御で慣性ベクトルを制御、上方へ向けて機動軸をずらし、空気を焦がす荷電粒子の渦を避ける。
ゼスト・グランガイツはオーバーSランクの魔導師であり、
最強の騎士であるが故にその空戦技能は異形の戦闘機械よりも遙かに上だった。
だからこそ、並みの魔導師ならば即死するであろうビームの一撃を避け
、迎撃の弾幕が飛び込んでこない死角を見つけ出せた。
――このデカ物は上面には対空火器がついていない、ならば!
敵機の上面に張り付き、直後に急激降下/莫大な加速。迎撃に飛び交う弾幕――決して当たらぬ、という確信。
重力の制御とフィールド魔法の効果によって七十五ミリバルカンの衝撃波をキャンセル/槍の先端に魔力を込める。
音速を超える弾丸の如き疾駆。鋭い斬撃が一瞬で空気を叩き割るような音を出し、
複合装甲の甲殻類=ザムザザーの右前脚を切断する―――!
極大のエネルギーを纏った刃によって寸断された鋼鉄の前脚は、
バチバチと火花と神経系のようなケーブルを撒き散らして散華、爆発を起こす。
ザムザザー=機体下部のホバーユニットから推進炎を吐き出し、切断された前脚の分崩れた姿勢制御を実行。
バランスを立て直すと、低空飛行で木立に逃げ込んだ騎士へ向け苛烈なビームを掃射/地面が蒸発した。
高熱によって雨露に濡れた草木が燃え始め、ザムザザーの巨体がそれらを押し潰しながらホバリング。
その機体前面に張り付いた青い魔晶――ジュエルシードの輝きが増し、切り落とされた筈の右前脚が“再生される”。
ケーブルがびゅるびゅると伸び、“魔力の物質化”という事象改変によって鋼鉄の鋏を構築。
「なに!?」
突如として再生された右前脚の一撃――超振動クラッシャーの打撃を槍で受け止めるが、
五百トンもの重量が乗った単純な打撃は、慣性質量制御を以て相殺してもあまりに重い。
結果、ゼストの身体はゴミクズのように吹き飛び、遙か彼方の山腹に叩きつけられた。
ずどん、と砲弾の直撃のような轟音。遠くで上がる土煙を見て、ルーテシアが叫んだ。
「ゼスト! ガリューッ!」
漆黒の昆虫が、人間離れした速度で空を駆け抜ける――ヒトガタが超音速で機動し、
慣性質量の操作によって重さ百トンにも及ぶ強大なパワーの跳び蹴りを放つ。
だが――ジュエルシードの加護を得た怪物を倒すには、あまりに非力だった。
複合装甲を蹴り砕く一撃なれど、砕け散った先から修復されるそれには無意味。

 

―――GYOEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!

 

暴れ回るそれの弾幕ではなく、打撃を受け止める羽目になったのは幸か不幸か。
いずれにせよ、黒鉄の召喚虫もまた、打撃の衝撃を殺すのに使用した右腕を粉砕され、
赤い血を撒き散らしながら痛みに呻き、後方へ飛び退った。
暗号念話を飛ばし、主へ撤退要請。
返答=却下と理由の説明。

 

――駄目、アレは私のレリックを狙ってる……何処までも追ってくるはず……。
戦闘理由を了承。勝率計算=十二パーセント。面白い、とガリューが獰猛に唸る。
直後、ガリューの知覚器官が大電力の消費を確認、勝率が五パーセントまで低下した。
ザムザザーの左前脚が砲門を展開し、複列位相エネルギー砲に電力が伝導、光が灯る。
荷電粒子の苛烈なる猛撃――ガリューどころか、その射撃方向にいるルーテシアも巻き込みかねない。
彼我の距離は三十メートル。どんなに頑張っても自分一人の離脱が精一杯だ。
だがしかし――ガリューの忠義は、幼い主を救い出すことを渇望していた。
故に飛んだ。背後へ向けて空気孔より圧縮空気を吐き出し、ひたすら愚直に。
あるいは馬鹿な選択なのだろう――だがしかし、一度、メガーヌ・アルピーノという主を失っているガリューにとって、
その程度の危機など危険には入らぬのだ。ルーテシアが泣きそうな顔で叫んでいる。

 

「ガリュー! 逃げてぇ!」
――主よ、そんなことは出来ません。我が身は貴方の騎士なのだから。

 

 

――もう駄目だと思った。ガリューも死を覚悟している顔だったし、ゼストも助けてくれないだろう。
こんなところで――お母さんも助け出せずに終わるなんて厭だった。でも、ガリューを失うのも厭で。
どうしたらいいか、わからない。そんなどうしようもないとき、あの人は。

 

「デバイス・セットアップ! アートマン!!」

 

――シン・アスカは、立ち上がったんです。

 

 

現実から遮断された暗黒。何もかもが知っていること/知らないことだ。
その中――事象の地平と呼ばれるすべてを内包した場所で、シン・アスカの精神はたゆたう。
自由に、縛られることもなく――否、干渉するモノが一つ。
――俺の自我に、そいつは囁きかけた。
“何を迷う?”
――俺はどうしてここにいる? アレは何だ?
“お前はアレを壊すために存在する。お前という存在は、無数の魂魄が呼び寄せた奇跡の一端だ”
――そんな話を信じられると思うのか?
“良いだろう、聞かせてやる――お前が望んだ声を”
――な、に?
“お兄ちゃん。また逃げるの、あのときみたいに?”
――ま、ユ……マユ!?
“シン……シン! 戦って、戦わないと、また失っちゃうから……!”
――ステラ! どういうことなんだよ、おい!

 

“問おう。お前は目の前の少女が、絶望の中で死ぬのを許容できるのか?”

 

迫る荷電粒子ビームの渦。涙を流し、必死に手を伸ばすルーテシア・アルピーノの悲嘆。
その嘆きがひどく心を狂わせ、ただただ悲しかった。だから―――!

 

――ハッ! そうだよなあ、俺には戦うことしかできないもんなぁ! 決まってるさ、俺は戦う!
“ならば――我が力を託そう、マイロード!”
瞬間、ありとあらゆる感覚領域が事象の地平から解放された。
因果転送完了/虚数空間から現実空間へジャンプ/物質化=虚空を突き破り現れる、黒鉄と白銀の大剣。
漆黒のフレームがくわえ込んだ白銀の刃/真紅のデバイスコアが発光=デバイス全体に行き渡るエネルギー。
その柄に手を掛けた刹那、シン・アスカの脳に夥しい量の情報が注ぎ込まれ、たった一つの事実を理解させた。
己の武器の名前を。
「デバイス・セットアップ! “アートマン”!!」
《All right...久しぶり、いや初めましてか、マイロード》
体が組み変わる――幾億幾千万の可能性から選び抜かれた、人類の行き着く剣技の果て。
それに適応したモノへと改変されていく、シン・アスカという端末の肉体情報。
基底現実へ合わせて創り変えられる。より細くしなやかで、獰猛な身体へ。
紺色の冬期採用コートは一瞬で分解/疑似物質へ置換され、裾の長い緋色の戦衣へと変わる。
心に満たされる朱い炎――戦うための精神構造。ガリューと交差する形で前に躍り出て、大剣を構えた。
迫り来る荷電粒子ビームの渦へ、白刃を突き立てるように繰り出す。
「……シン?」
こちらを見て驚いている少女へ、見ようによっては獰猛な笑みで応えた。
「もう大丈夫だ……俺が――」
直撃――Sランクの砲撃魔法にも匹敵する焔。
されど、その一撃はデバイスコアの“事象改変”によって屈折/無力化される。
まず空気中を突き進む荷電粒子が集束状態を解かれたうえ、そのエネルギーをデバイス“アートマン”の中枢に喰われ、
一瞬で運動エネルギーを失った圧縮粒子が空気をイオン化させた結果、異臭が辺りに漂い、酷い臭いがした。
破壊を止めた緋色の青年――シン・アスカに気圧されるように、JS暴走体・ザムザザーが吼えた。

 

―――KYUGIGIGIGIGIGIGIGIYYY!

 

「――みんな護ってみせるっっ!!」

 

 

これはただ一人戦い続けた愚者と、紫のお姫様の物語。
馬鹿げた歴史と時間分岐に跨る“叙事詩(サーガ)”である。