ある召喚師と愚者_03話中編

Last-modified: 2009-09-19 (土) 20:20:10

―――もはや、灰に還る死者のみが真実だった。
燃え盛る大地……生けとし生けるものが燃え尽きた煉獄にて、漆黒の悪魔と緋色の熾天使が向かい合っていた。
片や漆黒の巨人――鋼鉄の鉄仮面で貌を隠した不気味な十八メートルの神像が、
手に持った真っ直ぐな刀身――断裂効果発生デバイスたる対艦刀『アロンダイト』を地面を突き刺し、
仮面のスリット越しにモノアイで周囲の光景を目に焼き付けている。
グルグルと回転するモノアイが舐めるように景色を見て、今にも崩れ落ちそうなほど傷ついた指で柄を握る。
引き抜く。土塊を落として真っ直ぐに構えられる切っ先は、確かにもう一騎の鬼神に向いていた。
同時に肩のブーメラン型デバイス『フラッシュエッジ』を引き抜き、小太刀のように左手で握った。
いわゆる二刀流の構えだ。その剣術技巧は既に完成されており、付け焼き刃とは程遠い。
胸の排気口より蒸気――否、排気されたのは無限動力の生み出す余剰エネルギー=エーテル。
《――満たされているのか? お前は……なァ、“シン・アスカ”》
答える声は冷たい絶望に満たされていた。
《……ベルカを滅ぼすことが――神意だ》
《落ちたな。自分自身の後始末だ、俺が決着をつける……!》
まさしく地獄に等しいそこは、戦場であった。
溶岩が煮えたぎる大地を見よ! 
焼け爛れ灰になった街を目に焼き付けよ!
死者の魂が流星のようにエーテルとなる光を!
これすべて、ただ一騎の巨人が為した惨状である。
《抜かせッッッ!!》
禍々しいツインアイを曝す暴力的な影こそ、熾天使の名を持つモノ。
漆黒の対となる白光を撒き散らす緋色の天使は、両手剣を右上段に固定した。
振り降ろしの運動エネルギーを以て斬撃する八相の構えであり、防御ではなく必殺を至上とする戦闘技巧だ。
黒鉄(くろがね)の魔神と赤銅の鬼神の対峙は長い。
両者ともに巨大なウィングスラスターユニット――天使の如き双翼を持っており、そこから虹色の燐光を放っている。
その輝きが二騎同時に一際強くなったのは偶然か。
否、断じて否!
戦うために量った最適のタイミングが同じ刻だったに過ぎぬ。
シルエットだけならば双子のようにそっくりな二機の巨人【デスティニー】が、大地を穿つように蹴った。
事実、あまりにも強い踏み込みに惑星ベルカの頑強な地層に罅が生じるほどだったという。
そうして到達した両機の加速は、光速の九十七パーセントという驚異的な数値を叩き出し、
防護領域(バリア・フィールド)と呼ばれる“魔法”の技術がそれによって生じる、
ありとあらゆる抵抗・障害をキャンセルし、純粋な戦闘行動のみに両の機神を集中させた。
熾天使が振り下ろす――八相からの振り降ろしは光速を凌駕し、超光速という物理的にあり得ない領域の魔剣を生み出した。
対し悪魔の動きは無様の一言に尽きた。予め振り降ろしの軌道上におかれていたビームサーベルごと、
左腕を両断され機体バランスを大きく崩し右側に倒れ込んだのだ。それどころか、左翼まで刈り取られてしまっている。
その姿を嘲笑うように天使が刃を構え、―――絶対物理防御を誇る相転移装甲の腹部を貫かれていた。
見れば右側に無様に倒れ込ん巨人は、アロンダイトを“投擲”しているではないか。
その運動速度はバカに出来ない。何せ互いに正面からぶつかるように加速していたのだ。
相対速度から考えれば、突き穿つだけのダメージを与えることは十二分に可能だった。
バチバチと火花をチラシ、青白いエーテルの血液を流しながら、深紅のデスティニーが膝をついた。
左腕と片翼を失った漆黒のデスティニーが立ち上がり、右拳を輝かせた。
ゼロ距離砲撃兵装『パルマフィオキーナ』――その光柱が熾天使の視界を飲み込んだ。
昇華された機械の神――今度こそ誰もいなくなったベルカの大地で、ボロボロの機神が蠢いた。
膝から、というより単純に機体を維持できずに倒れ込んだのだ。
メキメキと金属フレームが折れ曲がる中、かつて“シン・アスカ”と呼ばれた裏切り者(ベトレイヤー)は呟く。

 

《……俺は、ルナたちを護れないんだな……》

 

世界が、壊れた。
此は今から数百年の昔。
ベルカという大地が死に絶えた事件である。

 

 

最初はちっぽけな嫉妬だった。
自分でもどうかしていると思うくらい、ちっぽけな妬み。
死ぬほど努力を積み重ねて、同年代の誰よりも勉学で良い成績を取ってきた。
そんな矜持を突き崩すのは“生まれ”という抗いがたい運命(さだめ)。
他者より優れた自分という幻想は、才能を特化させた【コーディネイター】によって打ち破られる。
何時しか対抗心を剥き出しにし、コーディネイターの少年に挑んだが――軽くあしらわれ、こう言われた。
『やめておけよ、ナチュラルが勝てるわけ無いだろ?』
今にして思えば、その言葉にはこちらへの気遣いもあったのだろう。
それが尚のこと屈辱だった。負けっ放しの自分が情けなく、何よりもあいつらが嫌いになった。
厭で厭で仕方が無くて……何時しか、自分は彼らをカテゴライズし、差別し、区別し、こう呼んでいた。
―――ソラのバケモノ。
結局、一度死ぬまで――否、あるいは今でも――青年は彼らを憎悪していた。
お陰でろくな死に方も出来ず、悲願も達成できず何も残せない死だった。
…………アレを【死】というのであれば。

 

―――陽電子の濁流に意思も身体も何もかも飲み込まれ……鯨の吠える声を聞いた。

 

外は朝焼け。ベッドの隣には極上の美女もなく、ただ虚しい独り身を実感する。
この十年――騒がしい連中に囲まれた毎日だ――で身についた世間並みの生活水準と言う奴で、
ビジネスホテルの安いベッドから起き上がり、枕元にグラスに注いでおいた水をがぶりと飲んだ。
「……これまた最低の夢見……ああいやだ……」
金髪の手入れだけは怠らない。持ち歩いている櫛で梳きつつ、整髪料で髪型を整える。
ゴールデンブロンドの髪の毛は男の自慢であり、それは何処まで生活水準が下がろうと変わらない。
金髪碧眼の美青年、と言って良い容姿――尤も精神年齢は既に四〇代に突入し掛けているが。
ハンガーに掛けておいたスーツの上下を着込むべく、Yシャツとネクタイを着ける。
青年にとって唯一自由になる衣服は、仕立ての良い高級ブランドのオーダーメイド、随分と凝った代物だ。
それくらいしか金を掛けるモノがない生活なのである。
最近になって漸く、趣味を見つけようという気になったらしい。
「……まるで使用人ですねェ……いや、僕の家の使用人の方が高給取りか」
ぶつぶつと文句を言いつつとりあえず何とか最低限、己に課している容姿の最低水準を保った。
これでも【元の世界】では財閥の御曹司なのである。ガキっぽい内面を皮肉と傲慢で装った、そんな青年。
尤も二十歳にならない小娘に衣食住を握られていたこの十年で、その性格はだいぶ丸くなっているが。
モーニングコーヒーでも頼みますかネと思ったとき、携帯している通信端末に着信。
誰からのものなのかわかりきっているだけに、彼は非情に厭そうな表情をし端末を手に取る。
「……ハイ、またですか八神くん」
《はい、またやでパパ♪》
「その呼び方止めません? ……僕は子供を作った覚えはないんですが」
《ええやん、どうせ誰かが聞いているわけでも無し》
彼は溜息をついた。この少女とは価値観が合わないな、と思いつつ。
通話と同時に投影された空間モニターに映るのは、栗色の髪の毛をショートカットにした少女だ。
少女の年頃は二十歳前と言ったところだろうか。美人になりそうな、という枕詞がつくあどけなさがある。
聞き慣れないイントネーションで話す少女の名は『八神はやて』と言い、
青年が『この時空』で目覚めたときに目の前にいた存在だ。
出会った当時――今から十年前、彼は分厚い本の中から出てきたのだという。
殆ど断片的記憶であったが、青年も自らがわけのわからない不可思議なことに巻き込まれたという自覚はあった。
当時九歳の子供だった少女は異邦人に対し分け隔て無く接したし、
大人の見栄を張る青年はぎこちないながら保護者となった。
色々あって“家族の真似事”をして、また本から妙な四人が出てきて……騒がしい日々だったと思う。
生活水準は驚くほど下がったものの、青年にとって『コーディネイター』がいない世界は快適だった。
《……どうしたん? 急に黙って》
「いえ、どうしてこうなったのか回想を。で、なんですフロイライン。今は交渉は無理ですよ?」
《うわぁ、本当に今日は妙やなぁ【アズラエル】。ま、ええわ……うん、そっちはどう? 例の事件》
青年――元アズラエル財閥総帥『ムルタ・アズラエル』は明晰な頭脳を以て答えた。
今の肩書きは悠々自適、時空管理局の交渉人(ネゴシエーター)である彼だ。
【元の世界】においてはずば抜けた知識と観察眼、洞察力で勢力を拡大した男にとって今回の出張は有意義だった。
何故なら――

 

「間違いないですねぇ……僕の知る限り、あれだけの機動兵器を建造できる勢力は“こちら側”のどの企業、国家にもない。
明らかにコズミック・イラ製ですヨ、アレ――大型モビルアーマーは。
少なくとも僕がいた頃より、技術は進歩してますがネ」

 

――初めて自らの世界からの来訪者に出会えたのだから。
状態は酷く爆砕された機械の残骸だったのだが、その程度のことでアズラエルの目は誤魔化せない。
彼の見立てでは、凄まじいエネルギーを近距離で炸裂させたことに因る機能停止だと思われた。
同時にこれだけの大型兵器に対抗できるのは、高度な質量兵器か純粋な破壊魔法のみであることも。
そしてそのような兵器、術式を行使できるだけの戦力は、時空管理局の知る限り存在していない。
つまり、時空管理局にとって未知の勢力が存在しているということだ。
《……ということは》
「八神二佐の見立て通り……ですネ。僕の世界がまだ存在しているかはわかりませんが――」
何せ戦争しかしていない世界だったし、“ソラのバケモノ”が造り出した巨大レーザー砲『ジェネシス』がある。
月の地球軍基地を壊滅させた巨大レーザー兵器の照準は、アズラエルが死んだ時点で地球に向いていた。
核兵器によってコーディネイターどもを絶滅させられなかったのは心残りであるが……どうせ元の世界に戻れない以上、
今のアズラエルにとっては、地球の安否もコーディネイターの存続も等しく“興味がない”事柄だった。
故にこうも淡々と言える。
「――いずれも戦略、戦術核レベルでの破壊を想定していますねェ……あっちの戦争は絶滅戦争ですから。
こちら側の平和を乱す存在です。貴女方がどうするかはお任せしますが……僕は気に入りません」
《了解や。それだけ情報が集まれば――“私の部隊”の新設も可能やろうな》
「アレですか。それじゃ僕は少し出かけますから、ミッドに戻れるのは明日辺りです。では」
通信を切り青年が悪戯っぽい笑みを浮かべたと同時、腰のオートマチック拳銃が引き抜かれ壁に向けて構えられた。
つや消しの黒い銃口は何の迷いもなくそこに向けられ、十五連発マガジンのグリップを白い手が握り締める。
デバイス扱いで登録してあるミッド兵器工廠のカスタマイズ品だ。反動軽減措置によってその命中精度は高い。
「さて、そろそろ出てきてください。覗きとは趣味が良くないですヨ?」
慌てたような気配――壁から手がにゅっと突き出ると、
「わー、ちょっと撃たないで!」
明るそうな少女の声が響いた。アズラエルは銃口を逸らすことなく、にこりと営業スマイルを浮かべた。
「どうにも最近、勘が良くなったみたいです。当たりでしたネ……お嬢さん、貴女の役目は何です?
暗殺……されるようなことはしていませんよ。最近は平和主義者に鞍替えしましたから」
彼を知る人間が聞いたならば、皆一様に信じられない顔をするであろう一言。
思想集団ブルーコスモス盟主として、過激派の先頭で戦争を指揮した人間の台詞とは思えない。
が、少女がそんなことを知るわけもなく、ただこう答えた。
「暗殺なんかしないって。あたしはドクターから貴方を招待しろって言われて来ただけだよ」
そう言うと、壁から突き出た腕に手紙があることに気づいた。
慎重に近づきそれを受け取った途端、少女の気配と腕は遠離っていった。
逃げられたならばいいか、とそれを思考から追い出し手紙の封を切る。
―――意外な文面があった。

 

“初めまして、ムルタ・アズラエル様。
本日12:30、ホテル・ティベリアのレストランにてお待ちしております。
貴方様の質量兵器に対する深い見識を見込んでの招待です、ぜひお越しくださいませ。
なお、時空管理局のご友人方をお連れするのはお止めください。
その方が双方にとって有意義な時間になることでしょう。
研究者『Dr』より”

 

ふむ、と何度か文章を読み直した後、アズラエルは思案する。
あまりにも不審な手紙の内容もさることながら、自らの質量兵器に関する知識を知っているというのが興味を引いた。
『死の商人』として培った知識や見識は、管理世界のどの専門家にも劣らないと自負している。
スーツの裾を正し、にやりと笑う。
「行ってみますか……何が出るやらわかりませんが」

 

 

「……で、はやてちゃん。お土産は何がいい? こっちのパスタソースとかとっても美味しいの。
あと羽目を外しちゃダメだよ、くんずほぐれつ、ずっこんばっこん。処女卒業にはまだ早い!
帰ってきたら何故かはやてちゃんが一児の母とか微妙に流行りそうって言うか似合いすぎ。
八神家のお母さんって感じするよ!」
通信端末に向けて動画送信しつつ元気に喋っているのは、栗色の髪をサイドポニーにした美しい少女だ。
すらりとした白くしなやかな肢体を若草色の衣装で纏めたその姿は、
十人十色の表現はあれどプラスの評価をさせることだろう。
しかし会話の内容は端から聞いてもかなり“ハイ”なもので、はっきり言おう――正気ではない。
ちなみにこの少女――『高町なのは』は別に躁鬱病でも注射痕があるわけでもない。

 

―――単純な地である。

 

戸惑ったのは通話相手の少女――八神はやてだ。
《いや、なのはちゃん!? 初っ端から会話のキャッチボール成立させる気ないね!》
「はやてちゃん。むしろそこは気にしたら負けだよ、豪快に墓穴掘らなきゃ!」
《待てぇ! 関西弁だからってネタフリはやめてぇぇぇ!》
高町なのは十八歳、今日も絶好調でファールというか殺人的デッドボールである。
「まあそれはともかく……休暇申請をして貰ったのはありがたいけど、
私に密偵の真似事頼むなんてどうしたの? アズラエルさんの尾行、が仕事だよね」
突如として仕事モードに切り替わったなのはに愕然としつつ、はやては話を切り出した。
やや不安そうな表情だ。その声もやや沈んだ調子になっていた。
《……アズラエル、最近妙なんや……隠し事してる気がする。
たしかにアズラエルは大人で私たちに言えない過去があって、自分勝手な人やけど……“家族”なのに」
【家族】。これほど八神はやてにとって大事な言葉はない。
彼女は誰よりも家族を欲し、そして長い孤独の末にそれを手にした。
本質的に寂しがり屋なのだ。そのことを知る親友として、彼女は微笑んだ。
「大丈夫、アズラエルさんが男色だったり実は間男だったりしても、私はその光景を録画してしっかり送るから!」
《いや、それは遠慮します。というかなのはちゃんの中でどういう立ち位置なんや彼ェェ!?》
微妙な突っ込みとボケを堪能しつつ、高町なのはの思案は既に深いところに移行していた。
誰にも聞こえない心中で一人呟く。

 

(何が起こるかわからないなら、――私が変えてみせるよ)

 

強い意志が、存在している。
それが運命を掻き回すように。

 

 

「……旦那、なァ旦那!」
「ん? どうしたアギト」
壮年の武芸者……ゼスト・グランガイツが問うと、妖精のようなユニゾンデバイス『アギト』が言う。
今はゼストの肩に止まっている彼女は、現在では殆どが朽ち果てた“古代ベルカ式融合騎”である。
「何時までアイツを放っておくんだよ……いつもなら行きずりの奴を拾ったりしないじゃんか」
「事情が事情だ……たしかに時空管理局にでも突き出せば早いが……今回の件はそうもいかん」
何故なんだよ、という問いに対し男は黙る。
果たしてグランガイツ家に伝わる秘事、話して良いものかという思いがあった。
シン・アスカが魔法を発動させ、鋼鉄の巨獣を葬り去ってから一週間が過ぎた。
Sランク魔導師のゼストを倒し、ルーテシアを殺し掛けたバケモノを屠った腕は異常の一言に尽きた。
……何故魔法を使えるのか?
……あの兵器や魔法は何なのか?
ゼストからの詰問に対し黙秘を通し、結局デバイスからの情報開示で事なきを得た経緯があるために、
出会った当初と比較してもシンに対するアギトの心情は良くない。
彼のデバイス『アートマン』はやけに事務的に説明したものの肝心なことをはぐらかしており、
とても納得できるものでは無かった。
そういうわけで彼女は何かあると「気に入らない」とはっきりゼストに告げるのだった。
尤も一行のリーダー格であるゼストにその気がなく、
二人が甘くなるルーテシアがシンを何故か気にいっている以上、
アギトの主張は受け入れられないものであるが……。

 

いや、あるいはそのことがわかっているからこそ、この融合騎は不信感を強めているのかもしれなかった。
だがしかし、男とて何の考えも無しにシン・アスカを泳がせているわけではなかった。
一人思案するゼストの脳裏には、幼い頃から聞かされた『緋色の騎士』という単語がちらつく。
ただ一騎現れ、世界一つを救うか――もしくは滅ぼすとされる御伽噺の鬼神たるそれ。
果たしてあの青年がそうなのか、と問われれば、今のところは否だ。
たしかにオーバーSSランクの出力と破壊力は凄まじいが、世界一つを滅ぼせるほどではない。
いや、そもそも本当かどうかも怪しい伝説なのだ。
それを考えると、ゼストは己の見識の無さが恨めしかった。
今の目的地はティベリア市、そこでゼストたちは“創造主”を名乗る傲慢な男と対峙することになる。
あるいはシン・アスカの処遇も、奴が決めるのかもしれなかった。
憎い相手だ。部下たちの仇として八つ裂きにしても飽き足らない。
だがしかし、ルーテシアを救うために必要なのも事実だった。
彼女の心を取り戻すために――。

 

――ヒトは過ちを起こす。

 

ゼストたちからやや離れて歩く二人の影。
シン・アスカの足下には、ルーテシア・アルピーノの姿があった。
目線を下げると、こちらを見上げる幼い少女のルビーのような瞳と目が合う。
思わずドキリとするほど美しい少女だ。人形のような静謐さと妖精のような神秘的雰囲気がそう思わせる。
将来は美人になるな、と今はもういない我が子を思い、ふとシンは寂しくなった。
心も身体もボロボロになって、記憶もなくして戦い続けるだけの“装置”が人間性を取り戻し……何になると言うのか。
わからない。己が手にした力――魔法という超常の意味も含めて、わからないことだらけだ。
「……シン」
不意にルーテシアが口を開いた。
その紅玉の瞳は変わらず澄んだ色でシン・アスカを見据えている。
「……どうして、そんなに悲しそうなの?」
彼女の問いかけは無邪気で、それ故に深く心を穿ち……青年の言葉が詰まった。
それでも答えようとしたのは、少女の瞳の虚無に己と同じ悲しみを見たからか。
「……俺には護りたいものがない。だから、かな……」
「どうして? 軍隊にいたのに?」
ルーテシアの疑問は尤もだ。
ナニカを、家族や国を守りたいから戦う職業に就いたのでないか、と。
だがそれは例外中の例外、イレギュラーであるシン・アスカには当てはまらない。
「――ああ……俺は」
確かに“普通なら”そうだろう。誰かを守るための力を欲して、戦う道を選ぶのだろう。
しかし違うのだ。シン・アスカという“個”は、結局のところ怒りに突き動かされ力を手にしたのだ。
その果てに、“戦争のない平和な世界”という夢を見せられ、理想に縋って剣を振るい……敗れた。
でも良かったのだ。自分が背負うはずだった重荷は別の誰かが背負ってくれて、
代わりに家族という掛け替えのないものを得た。
ルナマリア。彼女は幾度となく護れなかった人たちのように、シンを愛してくれた。
でも……。
「……護りたい人だけを護れれば十分だった。俺にとって、世界なんてその程度だった。
なのに――俺は誰も護れなかったんだ。だからきっと、そうなんだろう」
少女はシンからの言葉を聞き、黙っている。
やや重たすぎる話だったかな、と思いつつ青年が話題を変えようとするが。
「……なら、――今度こそ護れば良いんじゃないかな」
「え……?」
「……私はお母さんの声も覚えてないけど……それでも、お母さんを守りたい。
上手く言えないけど……きっと、シンにも、護りたいものが出来るはずだから――」
ルーテシア・アルピーノは、不意に幽かに笑う。
無表情な友人を持っていたシンだからわかる、そのくらい小さな笑み。
でもきっとそれは、凡百の笑いよりも、尊いんじゃないか――そう思わせる微笑。
きょとん、とした表情で無垢に首を傾げる少女を尻目に、彼は早足に歩いた。
誰にも聞こえない声で呟く。
「どうかしてるな……俺は、ロリコンじゃ、ない」

 

真実はさておき、シン・アスカがガラにもなく心を動かしたのは確かだ。
護りたいもの――出来るのだろうか……所詮、運次第だろう。
それでも、気が楽になったようだった。
目的地はホテル・ティベリアだと、前方でゼストが言っている。

 

――運命の分岐点は、近い。

 

 

ホテル・ティベリア。
それがアズラエルが今回向かっている場所であり、相手がいる魔窟だ。
その二百メートル後ろには高町なのはがいたが、彼女の存在に気づくこともなく彼はレストランへ足を踏み入れた。
ムルタ・アズラエルの姿を認めると、青紫の髪をショートカットにした長身の美女が近づいてきた。
随分とセックスアピールの強い極上の砂時計型体型であるが、彼女自身は漆黒のスーツに身を包み、
男装の麗人といった感じの美しさがある。凜とした空気は男に媚びる空気が一切無い。
もう少し柔らかい表情の方がアズラエルの好みだが、それにしても稀に見る美女だ。
「ムルタ・アズラエル様ですね? 私はトーレというものです。
ドクターがお待ちです……あの、何か?」
「ああいえ、貴女のような美人が護衛とは“ドクター”なる人物は随分恵まれているな、とね」
「……お戯れを。では、ついてきてください」
1ミクロンも表情が動いていない。その後ろ姿を見つめつつ、アズラエルは小さく呟いた。
顔には皮肉っぽい笑みが浮かんでいる――己自身へ向けたものなのだろうか。
「いやぁ、美人一人口説けないなんて僕も衰えたものですね……」
そう言いつつ後をついていくと、異様に広い広間に出た。
客は――普通の客、という意味でだが――いない。おそらく貸しきりなのだろう。
ただ、中央の卓で鮮やかな料理を前に座っている数人の男女が確認できたのみだ。
その集団というのも微妙なもので、白いスーツを着込んだ紫髪の紳士に、――仮面の男。
漆黒のマスクを被った肩幅の広い男だ。おそらく護衛かなにかだろう。
悪魔の貌の如き、あまり趣味の良くない代物を顔に被った男がこちらを“見た”。
それに合わせ、紫髪の紳士――アズラエルを先導するトーレと同じく金色の瞳――がこちらを向く。
彼の脇にいるこれまた素晴らしく色気がある女性が、通信端末を弄って紳士に耳打ちしている。
秘書官だろうか。アズラエルは久しく感じていなかった獣欲を刺激されつつ、笑顔で卓に歩み寄った。
「貴方が“ドクター”ですか? いやぁ、僕としてはお会いできて光栄ですヨ。
―――ねェ、ジェイル・スカリエッティ?」
一瞬、場の空気が凍り付き鋭く男を突き刺したが、そんなことも何処吹く風と彼は笑っている。
やがて白いスーツの男『ジェイル・スカリエッティ』が、ニタリと笑った。
「驚いたね。私のことをご存じだった?」
「ええ。人工的に強化人間を安定して生産する技術……その基幹を築いたのは貴方でしょう?
こちらの兵器産業界でも一時注目されていたくらいですからねぇ」
笑顔のままそう言うアズラエルが、ゆっくりと着席した。
仮面の男の目線を感じたが、それも青年にとってはどうでもいいことだ。
さて。こちらから仕掛けたが――どういう反応を見せる?
“案の条”、スカリエッティは不気味に笑いながら言った。
「思った以上に頭が切れるようだ……私はジェイル・スカリエッティ。脇の女性はウーノという」
「トーレにウーノ……伊語の3と1……番号で呼ぶとは、ひょっとして彼女たちが?」
「御名答。私の最高傑作たる【戦闘機人】だ」

 

初めてアズラエルが驚いた表情となり、ウーノとトーレという二人の美女を眺めた。
この美しく肉感的な美女二人が“兵器”。なんとも予想外なことである。
「……僕にそんなことを教えてどうするんです。僕が【夜天の主】の食客なのはご存知で?」
「無論。しかしアズラエル氏、私はこう思うのですよ―――貴方なら決して言わないとね」
「……まあ、現状では。この先は保証できません」
スカリエッティがしてやったり、と微笑んだ。
「それで十分……ウーノ、そろそろ騎士ゼストたちが来る頃だろう?」
「はい、ドクター。そろそろです」
扉が開き――赤い瞳/黒い髪の青年と、緋眼の美しい少女が並んで入室した。
「おや、騎士ゼストは?」
「……外で待ってる」
言葉少なく応えた少女は、将来美人になるだろう美貌があった。
二人とも旅装と言った感じの姿であるが不思議とそう感じさせない――そう考えたところで、
アズラエルは青年の燃えるような瞳の矛先にぞっとした。
“自分だ”。
“ムルタ・アズラエルという個人を、赤い瞳の青年は睨んでいる”。
ガタ、と席を立つ。紛れもない殺意に曝されてじっとりと冷や汗を掻きながら、
ゆっくりと青年へ視線を向け、首から提げている青い星形のアクセサリへ手をやった。
同時に青年がデバイスらしきものを起動させ、量子化していた大剣を実体化させる。
漆黒のフレーム/白銀の刃/真紅のデバイスコアが発光――身の丈ほどのツヴァイハンダー。
「ムルタァ、アズラエルゥゥゥ!!」
狂気に等しい憎悪が音声として吐かれ、レストランを一瞬で戦場へ変える。
片手だけで振るわれた恐るべき剣閃――水蒸気の尾を引く=音速突破。
横殴りの突風のような一撃は回避不可能/防御不可能に思われた。
斬撃を喰らった人体は切断される――すなわち、死に直結するか?

 

「来い、――“アズライオー”!!」

 

否、断じて否!
見よ、斬撃を弾く凄まじい鋼鉄の腕を!
刮目せよ、ムルタ・アズラエルが手にした超常(レアスキル)を!

 

唐突である。突如としてアズラエルが翳したアクセサリから魔方陣が展開され、
そこから生じた途方もなく大きな機械仕掛けの掌が、大剣を持った青年を叩き飛ばしたのだ。
青年――シン・アスカは店のドアを二重三重に突き破り、とうとうホテルの外にまで吹き飛んだ。
「……結構恨まれてる自覚はありましたが、さぁて。ああ、食事はまた今度、僕は野暮用を済ませますよ」
アクセサリのデバイスを構えつつ、“腕”を引っ込めた男はそう言う。
もうもうと破砕された建材の粉が立ちこめる中、アズラエルは店の外へ悠然と歩き去った。

 

――運命の輪が廻る。