戦争が終わって、焼かれたオーブに戻り復興しようという人々が徐々に増えるなか、シンとマユはテレビロボと一緒の三人の生活をずっと続けていた。トダカからは二人ともコーディネイターであるから、プラントへ行ってはどうかと勧められていた。
戦争の終盤で危うく本土を焼かれかけたプラントだが、もともと人口が少なく、戦争によって社会を構成する年齢層のバランスが危ういものになる兆候が見られている。
そのため、ハーフやクォーター、第一世代、第二世代を問わずコーディネイター系難民の受け入れに積極的だったからだ。
トダカの善意はありがたかったが、シンとマユはもう少し待ってくれとトダカへの答えを先延ばしにしていた。明日は、明日こそはあの人が、いやロボットが戻ってくるかもしれない。そんな、甘い期待が、ずっと二人を縛りつけていた。
ブルーコスモス思想の蔓延した大西洋連邦が盟主である地球連合の支配は、割とそうコーディネイターを迫害する様なものでもなかった。
そういった末期的思想の持つ主たちが、オーブ占領後すぐに対プラント本国攻略に意識を向けた事や、地球連合の兵士だからと言って全員が全員、ブルーコスモスのメンバーと言うわけでもなかったからだ。
無論、国土を焼き尽くされたに等しい惨状で、オーブ国民が彼らに向ける感情は良いものではなく、治安も良いとは言い切れなかった。
秋の気配が冬の凍える空気を運んでくる頃 ――といっても南国のオーブではあまり季節感は無いが――、マユは与えられた簡素な家から出て、夜空を見上げていた。
海岸に面した避難所のはずれは、少し小高い崖になっていて、眼下では夜の暗闇を写し取った波が、岸壁にぶつかっては無数のしぶきへと砕けている。
万天の空を白みを帯びた明かりで煌かせる星達。そのどれもが、あの戦争で死んでしまった人々の命の輝きに見えて、マユは悲しみで胸を一杯にする。
潮の匂いを乗せた風が、マユの髪をなびかせ、やや細くなった頬を撫でる。悲しみに沈む愛し子を撫でる慈母の手の様に。
そして、また手を組んで祈りはじめた。あれから毎日、一度も欠かした事の無い虚しい行為であった。
そのマユの後姿を、家の窓越しに見つめていたシンは、マユが戻ってきたらプラントに行く事を本格的に妹に切り出そうと決意を固めていた。ダイノガイストを待ち続けるマユの姿は、シンの心にあまりに痛ましく映っていた。
新天地に希望があるとは信じ切れなかったが、父母とダイノガイストの思いが染みついたこのオーブから離れれば、少しはマユの心も変わるのではないかと、シン自身あまり信じていない可能性を考えたからだ。
最後に言葉を交わす事も無く、ただ視線だけを交わして自分達――いや、マユの前から姿を消したダイノガイストを、シンは強く恨んでいた。
そしてマユに戻らぬ人を待ち続ける辛さをこれ以上味わってほしくないと、シンの心は強く、強く思っていた。もう、あんなマユの姿は見ていられなかった。
年ごろの女の子らしい明るさや、代償を求めぬ無垢さが透き通って輝く笑みは常にどこか翳りを帯び、ひとりぽつんと立ち尽くす姿は、世界のすべてから拒絶され、憐れまれているようで、時折その姿を見かけた避難所の人々がもらい泣きしてしまうほどに儚い。
あんな、小さな女の子が背負っていい悲しみでも苦しみでもないと、誰もが分かるのだ。避難所の周囲を警備し、同時に監視する連合の屈強な兵士達が、何人も自分達で出来る事があるなら、とシンやマユに心からの同情を示すほど、その姿は悲しみに満ちている。
何時か、やがて何時かはと抱く甘い期待。捨てきれぬ影の様な希望。
それを抱く代償は繰り返される失望と喪失感であった。
大の大人とて一晩でも抱え込めば悲鳴をあげてしまいたくなるような重圧を、マユは小さな小さな肩に、もう何か月も背負い続けていた。
それをすこしも救ってやれぬ自分が何よりも呪わしく、憎らしく、シンはいたたまれない気持ちでマユの後姿に向ける視線を引き剝がし、込み上げてきた熱い思いを、瞼を閉じて閉じ込めた。
――もう泣かない。泣かないと決めたのだ。マユがあの頃の笑みを取り戻すまで、ぼくは――“おれ”は絶対に泣かない。
この夜、少年の胸に壮絶なまでの決意を秘めた覚悟と言う名の楔が打ち込まれた。それは誓いの様であり、実質は呪いに等しかった。
胸の上で右手の拳を握りしめ、濾した血を固めたような色の瞳に、憎悪にも似た決意を宿らせたシンではあったが、すぐにその覚悟を捨てる羽目になった。
窓に背を向けたシンの耳に、ある音が聞こえて来たのである。それがなんであるかを理解したシンは我を忘れて家のドアを開けて外に出ようとした。だが、そのドアノブを握るシンの手を、金属の触手が止めた。
すっかり家族の一員になったあのテレビロボであった。少年らしさも少女らしさも欠片も無い、ただただ必要最低限の家具だけが置かれたリビングのテーブルの上で胡坐をかいていた。
なんだよ、と歯を剥くシンに、テレビロボは、もう片方の触手の先端を左右に動かす。チッチッチッ、まだまだ青いな坊主、と言う所か。
それからくいくい、と窓の外のマユを指して、肩を竦める。
“あれを邪魔するのは野暮ってもんだぜ?”
ジェスチャーの意味はたぶん、こんな所だろう。それを見たシンは、ドアノブを握る手から力を抜いた。確かに、言われて(?)見れば野暮以外の何物でもなかった。
人の恋路を邪魔する奴はなんとやら、か。シンはドアノブから手を離して、さっき心の中に誓った思いはなんだったんだろう、とちょっぴり虚しさを覚えた。でも、それはとっくに喜びに変わっていた。
だって、もうマユは昔の笑顔を取り戻しているだろうから。だから、シンは邪魔をして野暮な真似をする代わりに口で文句を言う事にした。
「馬鹿野郎。戻ってくるんなら、もっと早く戻って来いってんだ」
それでも、シンの口元に浮かぶのはこれ以上ない喜びの笑顔だった。
組んだ指をゆっくりと解きほぐして、マユは夜空へ向けて愛しい人を抱き迎える様に手を広げた。
後から後から溢れてきて、頬を流れる涙でくしゃくしゃになった顔に、なんとか笑みを浮かべようとして、何度も失敗していた。
ずっとずっとこの日を待っていたのだ。ずっとずっとこの日の為に取っておいたのだ。
大好きな人の為に浮かべるとびっきりの笑顔を。
今、マユの目の前に、ゆっくりと、夜の闇を圧し、星と月の光に祝福されて、上空から降りてくる巨大な戦闘機に向けて、マユは何度も失敗しながら、涙でぬれる笑顔を向けた。
ずっとずっと、こう言おうと決めていた。
「お帰りなさい、ダイノガイスト様!」
『となりのダイノガイスト』――裏エンディング・完――