アスランSEED_第01話

Last-modified: 2007-11-17 (土) 18:10:59

 荒れ狂う嵐の中、まるで何かから逃げるかのように一機のモビルスーツが空を行く。
 いや、逃げるかのようではなく、それは事実、逃げているのだ。
 そのモビルスーツの後方より、二条の光が奔る。一つは当てる気は無かったらしく、大きく逸れて海面に消えるが、もう一つは的確に目標を捉えていた。
 しかし、狙われたモビルスーツは最低限の動きでそれを避ける。
「アスランさん……」
「くっ」
 その後も幾本も奔る光を、鮮やかな動きで避け続けるその力量は非凡なものだった。
「あんたって人は!何で!」
「アスラン、大人しく投降してください」
 コクピットに響く二人の少年の声に、アスランと呼ばれた男は固く唇を噛む。
 傍らで今にも泣き出しそうな表情でいるメイリンに心配するなと微笑みかけると、アスランは追手である元同僚の説得を試みる。
 だが、その声は彼らには届かず、尚も牙を剥き続ける。
 アスランの額に汗が伝う。
 追ってきている二機のモビルスーツの内の一機、デスティニーがその背に輝く翼を広げる。
「この!裏切り者がぁぁぁぁ!!」
 怒りの叫びと共に、ぐんぐん縮まる両者の距離。
 デスティニーが構えた大剣、アロンダイトの切っ先が吹き荒ぶ風さえも切り裂きながら迫り来る。
(これでは……)
 数々の戦場を生き抜いてきた戦士としての勘が、冷酷にも回避不可能と告げる。その未来を直感しても、それを無視し、アスランは懸命に機体を動かすが、
「はああああああああ!!」
 無情にも、大剣は深々とアスランの駆る機体へと突き刺さった。
(しま……)
 閃光に包まれる中、アスランの脳裏にはいくつもの映像が浮かんでは消えていく。それは自身の一番の親友であったり、かつての大戦を共に戦った仲間であったり、将来を誓った女性であり、そして。
(シ、ン)
 ついこの間まで自分の部下であった者たち。その中でも瞳に怒りを宿す少年がこちらを睨みつけていた。
(俺は、こんなところで……)
 それを最後に、アスランの意識は闇へと落ちていった。

「シン?」
 裏切り者であるアスラン・ザラを討った友にかける言葉を考えていたレイは、その光景が告げる事実に困惑していた。
 アスランの機体が爆発し、その光が止んだとき、そこには友の機体の姿まで無くなっていた。
 レーダーには反応は無い。
(まさか)
 一瞬、あの爆発に耐え切れなかったのだろうかと考えるが、それこそまさかだ。ザフトの最新鋭の機体があの程度の爆発に耐えられない筈がない。
 だとすると、シンの機体はどこに消えてしまったのか。
 レイは機体の残りのエネルギーを確認した後、デスティニーの捜索に向けて動き出す。
 しかしこの後、彼が友を発見する事はなかった。

 見渡す限りの白の世界。
 軽い眩暈のようなものを感じながら、アスランはそこにいた。
「ここは?」
 その疑問に答える者はいない。
 時間にして数分。
 アスランはその答えに思い至ったが、頭を振ってそれを否定した。
 自身の足場さえ判別できない世界を、アスランはゆっくりと歩き始める。
「俺は、シンに」
 殺された。それは理解できても、認めることができない事実。だが、どのような反論材料を用意しても、結局はそこに行き着いてしまう。
「俺は、本当に……」
「死んではいねーよ」
 突然の声にアスランは辺りを警戒する。だが、誰もいない。気配も無い。
「ここは夢のような場所。お前に確認したいことがあったから、ここに来てもらったんだ」
 だが、声はアスランの耳に届く。
「お前は誰だ!」
「誰って、俺は俺だ。そしてお前でもある」
 そこでようやく異質な気配に気付いたアスランは、視線を足元に下ろす。
「ようやく気付いたか。我ながら鈍い奴だな」
 嘲りを含んだ声も、今のアスランには届かない。目のあたりにした事実に、ただ茫然自失とするばかりだ。

「これは……」
「くっくっく。そんなに驚くなよ」
 その声は、アスラン自身の影が発していた言葉だった。
「なあ、俺。そろそろ本題に入らしてもらうぜ」
 影の声が、真剣なものへと変化する。
「何、簡単な質問さ。大切な一人のために大勢の人間を危険に曝すことを、お前はどう思う?」
「何?」
 影が喋るということに、不思議と違和感がしなくなっている。そのことに戸惑いながらも、影の質問の真意を図る。
(たった一人のために、か。)
 どれくらい時間が過ぎただろうか。アスランは考えが纏まらないまま、自分の気持ちを正直に伝える。
「分からない」
「分からない、だと?」
 それが彼の答え。
 自己の信念が揺らいでいる彼に、このような質問は酷だったのかもしれない。
「そうか」
 落胆を滲ませた影の声に、アスランは逆に問いかける。
「じゃあ、おまえはどうなんだ?」
「知るかよ。俺はお前の正義だぜ?お前に分からないんじゃ、俺にだって分からねーよ」
「何だと?」
「まあ、今のお前に正義はないことは分かったよ。んじゃ、俺は消えるぜ」
 その言葉を最後に、影は消えた。
 それと同時に、白い世界に罅が入っていく。
 ついにはアスランの足元までその罅は侵食し
「っ!?」
 砕け散った。
 後に残るのは、昏い奈落。
「~~~~~~~~っ」
 抵抗することすらできず、アスランはそこへと落ちていった。

 見渡す限りの黒の世界。
 闇より暗いその場所に、シンは漂っていた。
 状況を飲み込めないまま、それでもシンは行動する。
 だが、結局は何も変わることない。
「何なんだよ、これは」
 つい愚痴が漏れる。情けないと思いつつ、微かな疲労感に身を任せようとし
「諦めてしまうのですか?」
 突然響いた声に、意識を覚醒させる。
「誰だ?」
「私はあなたの運命。あなたの未来を求める意思」
 その涼やかな声に一瞬、母を連想するが、すぐに頭から打ち消す。
「シン、あなたに一つ質問があります。答えてくれますか?」
 綺麗過ぎるその声は、どこか作り物めいた感じがしてならない。シンはこの声に少し不快な感情を抱いた。
「何だよ、その質問ってのは?」
 刺々しいシンの声を気にした風もなく、謎の声は言葉を続ける。
「大切な一人のために大勢の人間を危険に曝すことを、あなたはどう思いますか?」
 その一種の極端な質問に、シンは迷うことなく答えを告げる。
「その人が本当に大切なら、俺ならそうする」
 思い浮かぶステラの笑顔。マユの笑顔。家族の笑顔。それらを守るためならば、と考えるシンに声は告げる。
「本当に、それでよろしいのですか?」
「何が言いたいんだよ?」
 お互いの質問に答えることなく、両者とも黙り込む。
 張り詰めた空気の中、シンは謎の声の主がいなくなったことを悟った。
「本当にそれでいいのかだと」
(いいに決まっている)
 大切な者たちを失った少年にとって、それは揺るがない真実だ。
「いいに、決まっている」
 だが、不の感情で強くなった想いは、ある種の脆さを持っていることに、彼は気付いていない。

 数秒の身動ぎの後、アスランは目を覚ました。
 霞む思考を纏め上げ、自分の置かれた状況を確認する。
「ここは、医務室か」
 部屋の作りの独特さから、おおよその当たりをつける。そして、それは正解だった。
 痛みに叫ぶ体を無視し、アスランはベッドから起き上がる。
 彼には確認しなければいけないことがあった。
(メイリンは?)
 一緒にいた彼女の姿がどこにもない。
 最悪の事態が頭を過ぎる。
 アスランが部屋の扉を開けようとしたとき
「あ」
 扉の方が勝手に開いた。アスランはその先にいる少女と目が合うと、とりあえずはと挨拶する。
「やあ。偉いね、お手伝いかい?すまないけど、誰か大人の人を呼んできてもらえるかな」
「……分かりました。それよりもちゃんと寝ていてください。傷の具合が悪くなりますよ」
 少女は少しの驚きを見せながら、アスランを慌ててベッドへと誘導する。
 アスランはそんな少女の姿を微笑ましく思いながら、言われた通りにベッドへと戻る。
 横になりながら、アスランはメイリンの所在を確かめるために少女に質問するが、少女の表情が少し翳る。
「一命は取り留めました。ですけど、まだ昏睡状態で、意識は取り戻していません」
 生きている、という情報にアスランは安堵した。
「でも驚きました。発見されたとき、あの女の人は勿論、あなたは物凄い重症だったんです。いったい、何があったんですか?」
 少女の瞳に宿る真剣さに多少驚かされながらも、アスランとしては血生臭い話を子供にするわけにもいかない。曖昧に笑って誤魔化すと、何かを察したのか、少女もそれ以上の追及はしてこなかった。
 しばらく沈黙が部屋を支配するが、扉の開く音がそれを打ち破った。

「フェイト、彼が意識を取り戻したって」
 入ってきた少年を見てアスランはため息をつく。
(ここに大人はいないのか?)
 その意図を察知したらしい少年は、僅かに顔をムッとさせながらも、名を名乗る。
「僕は時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ」
 堂々と言った少年の言葉に、アスランは思わず噴き出しそうになるのを懸命に堪えた。
(時空管理局?最近の子供の流行なのか?)
 対して、クロノと名乗った少年は額に青筋を浮かべながら、現在のアスランが置かれた状況を淡々と告げる。
 アスランもその説明を微笑ましく思いながらも、思考の端に留めておく。
「ふう、どうやらまったく信じていないみたいだね」
「管理外の世界から来たのかも。それも魔法の認知されていない。なら仕方がないよ」
 二人の子供のやり取りを聞きながら、自分に刃を向けた戦友のことを思う。
(……シン、レイ)
 そして、自分が離反することになった理由。一刻も早く傷を癒し、議長の企みをキラ達に知らせなければならない。
 自分はいったい何のためにザフトへと戻ったのか。それで何を得ることができたのか。幾つもの思考が頭を埋め尽くす中、二人の子供の話を聞き続ける。
「……というわけさ。まあ、今日のところはこの辺にしておこう。あなたの傷もまだ完治したわけじゃない。もうすぐ、医療班がこちらに来るから、それまで待っていてくれ」
 そう言い残し、クロノは部屋をあとにした。
「じゃあ、私もこの辺で」
 それを追う形で、フェイトも部屋を出て行った。
 再び静けさを取り戻した室内で、アスランは今後について考える。
 とりあえず、ここの人に敵意が無いことは先程の会話で伝わってきた。
(やはりどうにかしてキラ達と合流しないと)
 手段はまだないが、とりあえずの方針を纏めたところで、アスランは眠りにつくことにした。

 アスランが目覚めてから数日。
 驚愕の事実を知らされて、それを理解し始めた頃。
 今後の方針について、改めて考える必要性があることに気付く。
 あの時、クロノ達が語った事は真実だった。
 異世界、管理局、魔法の存在。
 どれもこれもアスランの理解の範疇を超えていたが、受け入れなければ前には進めないことを自覚してからは、積極的にそれらに関する情報を集めていた。
 その中で親しくなった人間もいた。
 金髪の映える、可愛らしい少女。フェイト・テスタロッサ。
 子供だと思っていたら、実は案外歳が近かったクロノ・ハラオウン。
 フェイトの使い魔と言う存在らしいアルフ。
 アースラという艦の艦長、リンディ・ハラオウン。
 通信主任兼執務官補佐、エイミィ・リミエッタ。
 主にこの五人から現在自分が置かれた状況の説明を受け、そして得た答えは結局どうしようもないということだった。
 アースラの主要メンバーは現在、あることに追われているらしく、あまりアスランに構っている余裕は無いのだそうだ。
 それでも忙しい合間を縫って、自分に付き合ってくれたことにアスランは感謝している。だが、先のことについて不安も抱いていた。
 もうすぐ手が空くという言葉を信じ、それまでは気晴らしにこの世界についてもっと深く調べようと、艦内の資料を閲覧する許可を貰った。勿論、機密に関すること以外だけだが、それでも十分に興味深い内容だった。
 それから、何か変わったことが起きるでもなく、日々はゆっくりとだが、確実に過ぎていった。
 アスランがこの状況に慣れ始めた頃、リンディ提督に自室に呼び出された。
 自分に関することで何か変化が起こったのかと思い、慌てて行くと、そこには何とも言えない飲み物が用意されていた。
「これは?」
「ふふ、どうぞ。私のお気に入りなのよ」
 促されたとおりに、その飲料に口をつける。見た目同様、何とも言えない味わいだった。
(飲み物に関しては、俺たちと少し差があるみたいだな)
 正直飲みたくなかったが、郷に入りは郷に従えという言葉を思い出し、無理矢理胃袋に押し流す。
 軽い眩暈に襲われながらも、リンディの言葉に耳を傾ける。
「ずっと艦内で生活っていうのもあまりいいものじゃないでしょう?だから、明日は私たちと一緒に出かけてみない?」
 思わぬ申し出だったが、この艦以外というのも興味がそそられる。
 アスランはそのことを了承し、退室しようとしたが、リンディに呼び止められる。
 まだ何か用事があるのだろうかと振り返れば、リンディが嬉しそうな表情で先の飲み物を持っていた。
 その後、アスランは三杯ほどあのお茶に付き合わされることになった。

 意識がある中での初の転送体験に、内心興奮しながらも、アスランは皆と一緒に、とある建物へと来ていた。
 アスランはついさっき聞いた話を思い、フェイトへと視線を向ける。その視線の意味を感じ取り、フェイトは微笑み返す。
 その笑顔が多少ぎこちないことに気付かない振りをし、アスランはフェイトに一言
「頑張れ」
 とだけ告げた。
 フェイトが皆と建物の奥へ入っていく中、アスランはエントランスホールで立ち止まる。
(俺にはあの奥へ行く資格は無い)
 過去にどのような事件があったのか。フェイトの表情を見れば、おそらく悲しい出来事だったのだろう。
 そう思い、一行の中から抜けると、エイミィも付き添いとしてついて来てくれた。
「迷子になられちゃ困るからね」
 明るく失礼なことを言ってのけるエイミィに苦笑しながらも、アスランはその行動に感謝する。
「この後は皆でパーティーするからね。楽しみにしておくといいよ」
「そんなことを言って、一番楽しみにしているのは君だろう?」
 アスランはフェイトのことを思う。
 出会って間もないが、それでも一人の少女の人生が大きく変わる日だ。気にならないわけが無い。
「大丈夫だよ」
 突然のエイミィの声に、アスランは視線を向ける。
「絶対、無罪だからね」
 確信に満ちた声。信頼からの答え。
 もっとも、既にパーティーの計画すらたてているのだ。きっと無罪はほぼ確実なのだろう。
(あんな幼い子が、か。この世界には表立った人の遺伝子操作の技術はないようだし……それにしては随分と早熟な子だな)
 フェイトのことを考えながらも、エイミィとの何気ない会話を楽しむ。
 もとの世界では久しい穏やかな時間。
 しかし、それは一つの轟音と共に破られた。

 アスランたちのいる建物から数十メートルの位置で火災が発生していた。
「な!?襲撃!?」
 エイミィの驚愕を横目で見ながら、爆発音が聞こえた方へと意識を向ける。
 爆発に吹き飛ばされたであろう人間を見て、アスランはそこへと向かおうとするが
「駄目だよ!あそこには魔導師がいるから…」
 エイミィの静止を無視してアスランは駆け出す。
 そこに傷ついた人がいるのだ。助けるのが道理だろう。
 現場まで近付くと、子供の泣き声が聞こえた。
 アスランはその子を必死で探す。炎の中を掻い潜り、ついにその子を見つけたときは絶句した。
 その子の母であろう女性が、瓦礫の下敷きとなっていたのだ。赤く流れ出る血の量が、彼女がもう助からないことを告げていた。
「くっ」
 アスランは女性に冥福の祈りを捧げると、子供を胸に抱き、その場から離れた。
「逃がさん」
「!」
 冷たい声と共に、アスランに向けて何かが飛来する。
 持ち前の反射神経でそれを避け、声のした方へと視線を向ける。
 そこに一人の女性がいた。
 長い髪を後ろで結い、手には剣が鈍く光る。全身を甲冑のような服で包んだ姿。まさに女騎士とでも呼ぶべき姿をしていた。
「……何故魔法を使わない?貴様、管理局の者ではないのか?」 
「魔法なんて使えるわけないだろう!それより、これをやったのはお前なのか?」
 冷めた声に、アスランは激情を持って返す。
「……魔法無しでその身体能力。しかし、一般人か。ならば用はない。その子供を連れてここから立ち去れ」
 そう言って女性は歩みを、先ほどまでアスラン達がいた建物へと向ける。
 その意図を察し、アスランは叫ぶ。
 だがその声を黙殺し、女性は剣を構え、烈火の如く吼える。
「紫電っ!一閃っ!」
 振るった剣の斬撃は、焔を奔らせながら、建物の正面にいた数名の人間を焼き払う。
 それを見たアスランは、子供を安全な場所に降ろし、その拳を握り締める。
「止めろ!」
 地を蹴り、女性の背後へと迫る。
 その拳を振り上げ
「邪魔をするな」
 光速の斬撃が、アスランのわき腹を打った。

 そのまま真っ二つになることは免れたが、それでも数メートル吹き飛ばされたその体は、満足に動かすことができない。立ち上がろうとするも、うまく力が入らない。
 当の女性は、そんなアスランに気を払うことなく、ただ黙々と歩き続ける。
「それ以上動くな!」
 怒声が辺りに響く。
 見れば先ほど焼き払われていた男たちが、態勢を立て直していた。
(あの炎の中で生きていたのか)
 アスランの感嘆は、しかし無意味だったと悟らされる。
 女騎士の目が細まり、何事かを呟く。
 すると、手に持つ剣から何かが排出された。機械的な音と共に、剣が鞭のように変形する。
 それを女性が振るうと、剣の鞭はまるで蛇の如く、男たちへと襲い掛かった。
 時間にして僅か数秒。男たちは皆意識を刈り取られてしまった。
(彼女は、魔導師なのか?)
 アスランは動かない体に鞭打ち何とか立たせると、引きずるようにして歩を進める。
「止めるんだ!」
 その声に、女性は驚いたようにこちらを振り返る。
「ほお、あそこでのびている雑魚どもに見習わしてやりたいな」
 感嘆と共に、女性は苦笑する。
 だが、次の瞬間にはまた冷たい表情に戻っていた。
「いかに無関係な人間であろうと、これ以上邪魔するのならば容赦はせん」
 その確かな敵意に、身が震える。
 だが、アスランとて戦闘に関しては素人ではない。気迫で負けるわけにはいかない。
「……そうか」
 どこか残念そうな声と共に、剣を振り上げる女性を見て、アスランは身が竦む。
 やはり素手で魔法と戦うという事は無謀にも程があるということを改めて実感する。
(どうする?)
 対処法を考えるが、どれも今のコンディションでは無理があるものばかりだ。
 そうこう迷っているうちに、剣が振るわれ斬撃が放たれた。
「くっ」
 だが、その斬撃はアスランへと届かなかった。
「アークセイバーッ」
 上空からの攻撃がその斬撃を相殺する。
 見上げればそこに、黒いマントをたなびかせたフェイトが、女騎士を見据えていた。

「管理局の者か?」
「はい。嘱託魔導師、フェイト・テスタロッサ」
「そうか」
 言葉はどこまでも冷たく、剣の切っ先は静かにフェイトへと向けられる。
 フェイトは悟る。この相手に言葉は届かない、と。
「……いきます」
 告げる言葉と共に、フェイトが猛スピードで騎士に接近する。互いが同時に一撃を振るい、その衝撃が周囲に奔る。
 捲れあがる地面を後に、二人は上空へと戦場を移す。
 地上からでは二つの光がぶつかり合っている様にしか見えないであろうその戦いは、当の本人たちからしてみれば冷や汗ものの激突だった。
 少しのミスが命取りになるという認識の中で繰り出されるのは、相手を崩すための牽制の嵐。一般的な魔導師にとって必殺の一撃も、彼女たちには牽制程度の働きしか示さない。
 だが、その均衡は第三者によって崩される。
「スナイプショット!」
フェイトが離脱すると同時に、加速する無数の光弾が騎士へと襲い掛かる。
 だが、騎士はそれら全てを斬撃で薙ぎ払う。

「凄まじい攻撃力だな」
 アスランが振り向けば、そこにはクロノがあきれたように立っていた。
「無事かい?」
「少し、辛いな」
 アスランはクロノの肩を借りる。
「安全な場所まで退避するよ。しっかり?まって」
 突然の浮遊感にアスランは足元を見ると、体が宙に浮いていた。
「!」
「行くよ」
 合図と共に、空を行く二人。

 一方、上空での二人の魔導師の戦いは熾烈を極めていた。
 互いのスピードは視認することすら容易ではない域に達している。騎士が一太刀振るえば、二の雷撃がそれを押し返す。
 フェイトが無数の雷撃を放てば、猛る騎士はそれらを全て斬り伏せる。
 両者互角の中で、互いが一時攻撃の手を緩める。だがそれは次の大技へと繋げる空白に過ぎない。
「ちぃ」
「このっ!」
 焔と稲妻がぶつかり合い、大きな爆発を生む。
 フェイトはこの爆発が止む前に、次の行動へと移ろうとしていた。
 だが。
 爆炎から飛び出してきた騎士に、フェイトは一瞬対応が遅れる。
「ぐぅ」
『Defenser』
 自動発生の防御魔法は、しかし盾としては脆すぎた。
 易々と切り裂かれた防御ごと、フェイトは地上へと叩き落とされた。
 遠のく意識は最後に、顔を歪める騎士を見た。

 轟音に振り向くクロノからは余裕の表情が消えていた。
「っ」
 焦りを浮かべる彼の表情から、アスランはフェイトに何かあったことを悟る。
「フェイトちゃんに何か?」
「いや、大丈夫だ……君をあそこで降ろす。すぐに管理局の者が駆けつけてくるはずだ。その人を頼ってくれ」
「クロノは?」
「僕は、あいつの足止めをする」
 地上が再び近付いてくる。安全な高度まで下がると、アスランは地上へと離される。
「たのむぞ」
 自分の無力を嘆きながら、アスランは小さな友に彼女を託す。
「任せろ」
 そう言い残し、空へと飛翔するクロノを見送り、アスランは安全な場所まで自力で行くことにする。
「アスラン!」
 聞き慣れた声に振り向けば、エイミィが駆け寄ってくるところだった。
「その傷……待っていて。今医療班を……」
 そう言いどこかに連絡するエイミィも、所々に怪我をしている様子だった。
「エイミィ、君こそその怪我」
「ん、大丈夫だよ。それよりつい最近まで重症を負っていた人間が無茶するものじゃないでしょ」
「それは」
「それは、じゃないよ」
 その後、アスランは医療班が到着するまで、エイミィの説教を受けることになった。

 アルフはフェイトの状況を察知し、すぐにでも助けに行きたい衝動に駆られた。
 だが、非戦闘要員の避難の援護という役目を主人に言いつけられている。
 そこに本来の主従関係ほどの強制力は存在しないが、かわりに信頼という絆がある。
(フェイトなら大丈夫。大丈夫。大丈夫)
 自分に言い聞かせるようにして、避難の誘導を続ける。
「こちらへ来ていただきます」
「いやぁ、やだやだやだ」
 不穏なやり取りを耳にしたアルフは、そこに向かうことにする。
 見れば、管理局の魔導師が数人で、一人の少女を取り囲んでいた。
「あんたたち、何してんのさ?」
 突然の乱入者に驚いた風にも見えた数人組みは、しかしすぐに静かな声で
「何も知らない女が」
「所詮は使い魔にすぎないということだ」
「汚らわしい」
 理不尽な侮辱の数々に、瞬時にアルフの怒りが頂点に達するが、寸でのところで冷静さを取り戻す。
(危ない危ない。今ここでこいつらを殴ったら、折角のフェイトの判決が台無しになるとこだったよ)
 拳を握り締めたまま、アルフは多少相手を立てて尋ねると、どうやら少女が治療を嫌がって駄々を捏ねているということだった。
 その感も、少女は必死にもがいていたが、魔導師の一人が何事かを呟くと、やがておとなしくなった。
 その強引なやり口にアルフは絶句した。
 特に目立った外傷は見受けられなかったが、そう言い張られてはアルフの立場ではどうすることもできない。
 アルフには少女を見送ることしかできなかった。

 アルフは気付く事はなかった。
 その少女は、さきほどアスランが助けた少女であることに。
 その少女には本当に、軽度の傷しかなかったことに。
 連れ去っていった魔導師たちが、全員管理局から死亡扱いを受けていたことに。
 気付く事は、できなかった。