第三十話 ブルー・シー
ひとまず、交渉は成功した。
ラクスはそのままプラントに留まり、国民達の感情を抑えるために動く。
アークエンジェルはさしあたってはカーペンタリアに向かうように。
以上、会見によって諜報員より告げられた概要。
「……さて、これからどうする?」
レンタカーのハンドルを操りながら、キラが言った。
赤道連合領に潜入しての諜報員との接触は、あっけないほど何事も無く終わり。
夕方に予定していた帰還時刻までは、まだかなりの時間をキラ、シン、ジェナスは残していた。
「終わったんなら、はやく帰ったほうが───……」
「そういうわけにも、いかないんだよね。『迎え』がくる時間、決まっちゃってるし」
信号待ちで止まったところで、キラは振り向いてジェナスに苦笑する。
助手席のシンは二人のやりとりも見ずにぶすっと前方を眺めているだけだった。
「……なら、俺は勝手にやらせてもらうからな」
「え?」
「シン?おい」
──と思いきや、突然にシートベルトを外し、ドアを開けて車外へと降り立つ。
彼は、うんざりとした顔を二人に向けた。
「時間に間に合うように行けばいいんだろ?一人でその辺ぶらついてくる」
「あ……おい、シン」
ばたんと音を立ててドアを閉めると、返事さえすることなく、彼はすたすたと歩いていった。
もう信号が変わろうかというところで、降りて追いかけていくわけにもいかない。
見送るしかなかった。
だが、その代わりに。
「───やーっと、見つけた、わよぉ……キラ」
「え?」
歩き去っていった彼と、入れ替わるようにして、開け放たれた車の窓へと少女の手がかけられる。
一瞬きつい目で警戒しそちらを見たキラは、拍子抜けしたように表情を崩した。
少女が一人、肩で息をして立っていた。
「ミリアリア!?」
「よかった、丁度信号で止まっててくれて……探したわよ」
「どうして君がここに?」
「あー……ききたいのはこっちなんだけど。ま、いいわ。そこの喫茶店に連れといるから、車止めてきなさい」
「う、うん?」
知り合いか。随分、押しの強い子だな。
彼女とキラとのやりとりを見てそう思ったジェナスを乗せて、キラの運転する車は近くの駐車場へと曲がっていった。
「くそっ」
無性にむしゃくしゃしながら、シンは街を一人歩いていた。
角を左へ行き、少しすると海岸線へと出た。
穏やかに凪いでいる海面を見て、彼は色々と思うところがあった。
それはキラとともに行動させられているから、だけではない。
「俺は……」
自分の、オーブに対する気持ち。
やっぱり、守りたいとは思う。
だから、ユウナ・ロマ・セイランの示した選択肢に従った。
それ以外にとりようもなかったというのもあるけれど、
少なくとも一番心のうちを占めていたのは、オーブに中立であって欲しかったから。
プラントと戦って欲しくなかったからだ。
けれど。
今はこうして戦わずに済む道を、オーブとプラントは採ることができた。
しかし、もしも。
もしも、どうしようもなく戦わねばならぬ状況へと追い込まれてしまったら。
自分は一体どっちにつくのだろう。
家族を殺したあの男……キラは、オーブを守るだろう。今度こそ、という決意と共に。
アスランも、カガリのためにオーブ側につくと思う。
アークエンジェルのクルーもほぼ全員がそうするのだろうが。
自分は一体、どうするのであろうか。わからない。
オーブ出身でありながらザフトの兵士である自分は。
そのもやもやに、シンはむしゃくしゃする。
オーブでのことや、この街で受けた諜報員からの話といい、政治の裏側というものを見せられて、嫌が応にも考えざるをえないのが、腹立たしい。
自分の中にある「力」に対する迷いに、いらついて仕方がない。
「ちっ……」
守るための、力が欲しい。
そう思って得た力の矛先に、シンは今悩んでいる。
「何を」守るための力だったのだろうか、それは。
オーブ?プラント?仲間?わかったつもりになっていたそれは、儚くもすぐに裏返ってしまうようなものでしかなかった。
誰を撃ち、誰を守るか。それがわからない。
わかったつもりで、戦う。これではあの男、キラを非難などできないではないか。
「わかんねーよ、ったく…………」
ほんのわずかに垣間見ただけの汚い世界を理解し、それが自分に迫るかもしれない選択肢についてきちんとした答えを用意しろというほうが無理な話だが──……
シンはそのことに気付けるほど、経験が豊富ではない。
「……ん?」
海鳥の飛ぶ先をぼんやりと追っていた彼は、砂浜のはずれに一人の少女が座り込んでいるのを見つけた。
金髪に、ブルーと白のドレスのかわいらしい少女は、どこかで見覚えがあった。
「あれ、あの子どっかで……」
少女はシンに見られていることも知らず、なにか──おそらくは蟹かなにかだろう──を見つけ興味を持ったらしく、四つん這いの姿勢で地面を這うようにして動き出した。
幼げな感じだが、胸は大きい。
「──っあ!?あの時の!?」
彼女に覚えた既視感の正体に思い至り、シンはその姿を目で追いつつ赤面した。
あの日──、ミネルバの進水式が行われるはずだった、三機のMSが強奪されたあの日に街でぶつかって、うっかり彼女のおっぱ……失礼、胸部を触ってしまってきつく睨んできた子だ。
「そっか、地球の。この辺の子だったのか」
無事だったのか、と安堵すると共に、ユニウスの被害は大丈夫だったのか、と思う。
一番心の中を占めるのは無論、ご馳走様……もとい、すいませんでした、なのだが。
あのときのきつい目線が嘘のように、彼女は今天真爛漫な様子で地面の何かを、岩場のほうにまで目を輝かせて追って行っている。
それを見て、次第にシンの心も和んでいった。
出て行ったら、覚えているだろうか。
覚えていたら多分、逃げられるか張り手の一発も食らうだろうけれど。
海と美少女というありがちな組み合わせに、シンは惹かれていた。
が。
「っと……時間時間」
まだまだ時間はあるとはいっても、きちんと把握しておくべきだろう。
一瞬視線を外して、腕時計へと視線を落とした、そのときだった。
────どぼん。
「へ?」
顔をあげてみると、少女の姿はどこにもなかった。
「あれ?」
少し視線をずらすと、海面から水しぶきがあがっている。
どうやら、うっかり落ちたらしい。
天然というやつなのだろうか。微笑ましく思いながらもシンは再び彼女が岩場の上に姿を現すのを待つ。
「……おい」
しかし、待てど暮らせど、少女はあがってこなかった。
それどころか、ばしゃばしゃとはねていた水とその音が、次第に小さくなっていく。
「ええ!?溺れたのかよっ!?」
シンは走る。
岩場の辺りは突然深くなっている場所もあるし、足のつかないそこにはまってしまったのかもしれない。
たどりつくと、波に身体を持っていかれたのか、少し岩場から離れたところで沈みかかった少女の金髪が浮いていた。
「あーもう!!待ってろ!!」
上半身の服を脱ぎ、シンは迷わず青い海へと飛び込んだ。