第二十九話 ジャンクション・ポイント
「……撤退、していく……?」
後退したアビスを深追いせず、機体を浮上させたキラが見たのは海中へと泡を立てて沈没していく巨大なMAの残骸と、撤退していく二隻の艦体、そして呆然と滞空するセイバーやムラサメを尻目にゆっくりとアークエンジェルへと着艦する、インパルスの姿であった。
「これは……誰が?アスラン?」
『いや、俺じゃない……シンだ』
「シンが?これを?」
セイバーから返ってきた答えに、キラは耳を疑った。
アスランがこの状況に持ち込んだというのならわかる。
しかしいくらザフトレッドとはいえ、新兵でかつ実戦経験の乏しいシンがやったとは。
『あいつも……俺やお前と、『同じ』なのかもな』
「……」
土壇場になると意識がクリアとなり、突如として戦闘力が増加する……
いわば火事場の馬鹿力の極端なものともいうべき不思議な力、それの存在は、
コーディネーター、ナチュラル関係なく、彼の知る限りキラとその周囲の人間にごくわずかながら存在していた。
スイッチが切り替わる、とでも言えばいいのだろうか。
キラ自身完全にその力を制御できているわけでないそれは、アスランにもその兆候があった。
アスラン曰く、シンもその一員かもしれないのだという。
『ストライクノワール、帰投してください。この海域を離脱します』
「了解、帰艦します」
通信のチャンドラの声に、キラは従いノワールを離水させる。
自らがあまり好ましいと思っていない力を、シンも持っているかもしれない。
その推測に、キラは複雑な思いだった。
「……え?じゃあ直接カーペンタリアに向かうんじゃないんですか?」
出撃に備えての待機の順番を終え、バルドフェルドとキラにその任を任せブリッジにあがったシンは意外なアスランの言葉に目を丸くして言った。
ザフト軍の赤服に着替えた彼の横には、オーブの白い軍服を着込んだジェナスが腕を組んで立っている。
アスランもまた、赤服。シンと違うのは、胸元に銀色に輝く特務隊「フェイス」の証たる徽章をつけているということだった。
「そうしたいのはやまやまだがな……。万一、交渉が失敗したら、ということもある。ひとまずはラクスの結果待ちだな」
遅めの昼食だろうか、アスランはハンバーガーの最後の一口を咀嚼し、飲み込んでからシンの質問に答えた。
話が行ってないところにのこのこ行って、問答無用で撃たれたくはないだろう。
確かに、アスランの言うとおりだった。シンは頷く。
「三日後に、赤道連合に潜入してオーブからの諜報員と接触して進行状況を聞く手筈になってる。それ次第だ」
「はあ」
「……で、だ」
あまり問題を先送りにしたくないから、今のうちに言っておくぞ。
アスランは前置きをそう言ってから、切り出した。
「ジェナスとキラと一緒に、その諜報員に会ってこい。場所や時間はキラが既に知ってる」
「はい。……ってえぇっ!?」
「いいな。『フェイス』としての命令だ。拒否は許さんぞ」
「……」
「返事は」
「……了解」
渋々、シンは了承した。
ジェナスとアスランがやれやれといった風に顔を見合わせるのが、面白くなかった。
「まあ、せっかくの上陸だ。ついでに少し羽も伸ばしてくるといい」
そんな自分の心情をわかっていながら(わかっているからこそ、なのだろうが)そういうことを言うアスランを、シンは恨めしげに見返していた。
ファントムペイン艦隊こと空母J・Pジョーンズとガーティ・ルーが、傷ついた船体を赤道連合の基地へと入港させたのは、二日後、東の空が白みだした頃だった。
戦力の多くを補給する必要があった。
「休……暇?」
「三人」のうちもっとも遅く目覚めたステラは、
あいかわらずの無気力で無感動な反応の中にも、少しばかり驚いていた。
「……や。ネオといっしょ、いる」
「だとさ。どーする、ネオ」
ある意味、予想通りといえば予想通りの答えを聞いて、スティングは上官のネオへと振り返り尋ねる。
アーモリーワンに自分達だけで潜入するとなったときも、ステラはネオから離れることを嫌がった。
「困ったな……せっかく休みがもらえたんだぞ?一泊二日もだ。アウルやスティングと一緒に出かけてこい、な?」
「や。ならずっとネオといる」
「行くんならはやく行こーぜー。河岸、干上がっちまうぜ」
「お前はゲーセン行きたいだけだろうが……ちょっと待て」
だだっこのように嫌がり、幼くないその身体を押し付けてくるステラ。
ネオと彼女を急かすように、既に私服に着替えたアウルが手元のコインを玩びながら足をぶらつかせる。
頭を抱え、ネオはなんとかステラをなだめすかそうと試みる。
「ああ、ほら。休暇で行くとこには海があるぞ、海」
「……ここにもある。ネオ、ステラと見れる」
「そうじゃなくて、砂浜だよ。真っ白な砂浜」
「すな……はま?」
「そうそう。こんな基地の味気ない湾より、ずっときれいで楽しいぞ?」
「……」
「俺は仕事で行けないから、土産話……どんなだったか、聞かせてくれ、な?」
白い砂浜。
今まで見てきた海より、ずっときれい。
ネオの言に一瞬、ステラは考え込むように俯く。そして。
「……わかった、行って、くるね」
「ああ、楽しんでこい」
ようやく頷き、スティングたちについていくステラに、ほっとするネオだった。
これでは、軍人なのか保父さんなのかよくわからないくらいだ。
一旦部屋に帰って着替えて、荷物をまとめてから三人は出かけていくことだろう。
宿泊も宿だけはこちらで指定してあるから、問題ない。
「ったく……さて、仕事仕事」
だがネオ自身、彼ら三人の「エクステンデッド」……不憫な子たちに対して父親のような役回りをさせられる自分の立場が、さほど嫌いではなかった。
彼らの「管理」を担当する技術者たちからは、情を移すなと釘を刺されるけれど、それでもだ。
「あの客人が起きてくるまでに、色々済ませちまわんとなぁ」
さしあたってすべきは、中破したガイアや、アビス、カオスの小破した部分の修理。損耗したスローターダガー隊に代わる戦力の補給も要る。
「盟主から……どやしつけられそうだな」
苦々しい口調と裏腹に、ネオのマスクから見える口元は歪んでいた。
何、補給など言えばどうとでもなる。
それよりも、思い通りの戦果が得られなかったことで歯軋りして癇癪を起こすあの男の姿は想像するに、実に滑稽で愉快だ。胸がすくとはこのことだ。
そう思うと、敗戦もなかなかに悪くない。散っていった部下達には申し訳ないが。
彼はそのくらいに、上司であるロード・ジブリールのことがいけすかなかった。
「ほんじゃ……いっちょ叱られてきますか」
修理中のガイアたちや、ダガー。
そして灰色の天使たちが並び立つその足元で、ネオは一人笑んでいた。