第三十七話 メンデルズ・チルドレン
「くそっ!!」
カガリの拳が、机を打った。
ただ強く、強く。
彼女の思い感じている、憤りを込めて。
「カガリ、落ち着いて」
そんな彼女をいたわるようにユウナが肩へと手を置いて頭を振る。
カガリの憤りと同様に、ユウナの顔にはけっして薄くない疲労の色があった。
「こんな……こんな条件……っ!!」
「わかっている。だから落ち着いて。まだ大丈夫だ」
二人を追い込んでいるのは一通の書状、それはまぎれもなく同盟国たる大西洋連邦から遣わされたもの。
「こちらの条件は加盟時に承知しているくせにっ!!」
「大丈夫だって。まだ跳ね除けられる。当面はまだ」
幾度目かになる、オーブ軍に対する今次大戦への派兵要請だった。
毎回、拒否する旨の回答を出してはいるが、その度に脅迫めいた色を強めて連合は折り返すように次の書面を送ってくる。
「これ以上毟られることも、奴らのために血を流してやる義理もない」
激するカガリも、なだめるユウナも派兵は避けたかった。
前者は理念のため、中立性維持のため。後者は、国防力を削がれることを懸念して。
のらりくらりとした外交戦術で乗り越えてきてはいるが、それもそろそろ限界にこようとしている。
連合寄りの首長や、年配で連合の力を恐れる首長たち──そこにはユウナの父、ウナトも含まれる──からも、派兵やむなしの声があがりはじめている。
避けたくはあったけれど、同時にユウナはそろそろ、派兵したあとのことを、流す血を最小限にとどめるための手段を講じなければならない時期にきていることを痛感していた。
整備員たちに声がかけられ、ミネルバ内のドックの一角にあった、幌をかけられ隠されていた場所が開放される。
「これは……!!」
「ストームバイザー……!!」
中から姿を現した一機の戦闘機に、エイブスから来るように言われ立ち会っていたジェナスとセラは驚きの声をあげる。
「やっぱりそうか」
二人の反応をみたエイブスが、満足げに笑みを浮かべる。
「なんでも、アーモリーで奇跡的に無事だった格納庫の一角に、まるで最初からそこにあったみたいに放置されていたらしい。ザフト正規のもんでもないし、報告を受けた議長が気付いて回してくださったそうだ」
「……」
エネルギーが供給されていない、灰色のその姿にセラとジェナスは頷きあう。
やはりこの世界に来ているのは自分達だけではない。きっと他にも仲間達やバイザーが送り込まれている。おそらくはフルゼアム同士がぶつかりあった力によって。
「セラ、どうする?」
「……使わせてもらうわ。ついていこうとしている以上、何かできることはしないといけないし」
「決まりだ、な」
「わかった。あとでアークエンジェルに搬入しておく。エネルギーの補給はジェナスに任せていいんだな?」
「ええ」
久々に触れたその機体は、冷たく。
硬いアムマテリアルの輝きを見せる時を今か今かと待っているようであった。
「ラウ・ル・クルーゼ?君が……?」
忌まわしき男の名を言った少年の声は、固かった。
「……はい。人類の夢、最高のコーディネイター。キラ・ヤマト。私も、彼なのです。
あなたを作り出す過程で生まれた彼と同じ……アル・ダ・フラガの出来損ないのクローンです」
「……そう……」
レイの言葉に、キラは瞑目する。
自分が討った者。自分のために生み出された者。その彼と同じ存在が今、目の前に立っている。
やはり彼と等しく、不完全な命を持って。
「クルーゼは……ラウは。世界に絶望していました」
「うん……知ってる」
「討たれる理由は、ありました。彼にはそれだけの理由があった」
自身の残された僅かな未来に絶望し。世界を道連れにしようとした。
それは生まれの特殊という同情すべき点を差し引いても、決して許されることではない。
「でも、それは彼が本当はこの世界に希望を望んでいたからかもしれません」
希望への執着が深かったが故に、己の運命、行き着く先が見せた絶望もまた、あまりに深かった。
彼は自身と同じ存在であった先達を、そう分析した。
「……」
「私も、長くは生きられません。だから、軍に入りました」
「……?」
「ギル……いや。デュランダル議長のために。彼が作ろうとしている戦なき世界のために」
「戦争の……ない世界?」
「自分のように若くして命を落とす者がいないような世界をつくるために、私は戦っています」
誰かの都合で、誰かの命が若くして玩ばれることのないような世界を作れるように。
明日ある者たちが、よりよい世界に生きてゆけるように。
クルーゼが絶望し、無くしてしまおうとした世界を、変えていく。
その願いはあまりに壮大だ。しかし言ってのける彼の若さが、かつての戦争を知ってしまったキラには少し羨ましい。
「それが、同じ存在である彼が絶望した世界に残された私の、義務だからです」
「……違うよ」
「……?」
彼が絶望した世界に、希望を。そう思う彼の想いは買う。けれど。
キラは、なにか違うと思った。
誰かと同じであるから臨んだのではない。それはきっと、彼自身であるのだから望んだのだと思う。
義務感ではなく、それは願いだ。
「彼にも、言ってあげるべきだったのかもしれない。すべての元凶である僕の口から」
「キラ?」
クローンであろうと、なんであろうと。
他の誰かになんて、なれやしないのだ。そんな簡単なことを、どうして言えなかったのだろう。
心はあくまでも、自分自身のものだと。
彼の願いがあくまでも、彼自身のものであるように。
コピーだろうとなんだろうと、同じものはひとつもない。
「君は、君だ。彼じゃない。アル・ダ・フラガでもなければ、ラウ・ル・クルーゼでも」
「!?」
「もちろん、キラ・ヤマトでも。彼が絶望した世界を変えたいと臨むのは、君自身の想いだ。
ならその意思は、命は。君自身のものだろう」
クルーゼは、自身を呪い、生い立ちを呪い。キラやムウを呪い、世界を呪って死んでいった。
常に他の人間、別の自分に囚われ続けていた彼と同じ徹を、どういう形であれ目の前の少年に踏ませるわけにはいかない。
彼らを生み出したのは言ってみればすべて、自分の責任なのだから。
「誰かに、囚われる必要はないんだ。君が思ったことは、君自身にしかわからないんだから」
「……」
──それでも、守りたい世界があるんだ……!!──
ラウ・ル・クルーゼを手にかけた際に己の口から溢れ出た言葉を、思い出す。
そうだ。自分もあの時はそうだった。
彼と同じように、クルーゼが見切りをつけたこの世界を守りたいと願ったのだ。
なのに大層なことを言っておきながら一体、何をやっていたのだろう。
この二年間自分は、何もやってこなかったではないか。
「そうだ、ね。守らないと」
「守る?」
「僕はそれだけの犠牲の上に生まれてるんだ。生まれて……選んだ」
自分は、その道をあの時、選んだのだ。模索し、守っていく困難な道を。
レイがなんのために自分を呼び出し、正体を明かしたのか少しわかったように思えた。
彼はクルーゼを討った自分に、訊きたかったのだ。
なんのために戦うのかを。訊いて、確認したかったのだ。
同じ「メンデルの子」の覚悟を。
「……大丈夫」
「……」
「絶望、しない。絶望させたり、しないよ」
まずは、戦争を終わらせる。オーブを、人々を守る。
けれど、それから先は。彼の行く末を見守りたい。
自分の手は汚れすぎているけれど、それでもできるなら、彼が求める先を見届けてみたい。必要なときには、手を貸しながら。キラは、思った。
観念だけで戦争がどうこうできるものではないということも、重々承知していた。