「ステラが……そんな……」
眠るステラの前で、シンは絶望に打ちひしがれていた。
何も言えずにいるベラを気にかける余裕すらない。
結論を言えば、この話を聞いてしまったのは偶然だった。
だが。
「ステラが……強化された人間だというのは本当なんですか……?」
「そう……だということよ」
強化人間。
医師と話すベラから聞いた、残酷な単語がシンの脳裏を支配する。
かつて、生体cpuという存在があった。
前大戦において、"あのフリーダム"とほぼ同等の猛威をふるったパイロットたち。
薬漬けにされ、戦いに生き、戦いに死ぬことを強制された彼らは、戦いが終われば死ぬ他にない運命を背負っていた。
それは即ち、薬漬けの弊害による、宿命づけられた短い命。
シンが士官学校で教わったのは、そんな話だ。
ならば、その"強化人間"たるステラはの命は?
簡単に想像できる、最悪の結末。
それは、この少女が早逝を宿命づけられたという事実。
「人が……人の命を弄ぶなんて……」
ぽつりと言ったベラの言葉だけが、シンの耳に響いた。
好色そうな男が、己の前で目を潤ませる少女の体を、舐め回すように見ている。
「大西洋連邦との同盟破棄の件、お考えいただけないでしょうか……?」
すがるような、しかし燐とした声が、部屋に響く。
「ふむ、しかし我々としても大西洋連邦と正面から対立するなど……」
「わたしたちの願いは、ただ平和な時代の到来だけです。まさか戦争をしろなどとは……」
「そうは言うがね……大西洋の連中が、はいそうですかと聞くとは思えない。せめて相応の見返りはほしいところだな」
そう言って、舌なめずり。つまり彼はこう言っているのだ。
――話を聞いてほしいなら、まずは自分を満足させよと。
少女は、"ラクス・クライン"は、くすりと笑った。
「わたしは誠実なかた以外に興味はないの。もちろん、誠実な方ならば……」
男の手に、己の手を重ね、"ラクス"が微笑む。
無論、ここで彼女がこの男に抱かれてやる必要はないだろう。
そんなことが露見すれば"ラクス"のイメージが失墜しかねないし、それ以上の問題が発生する。
売女、少し譲歩すれば抱ける女。
ただのアイドルならともかく、今の彼女には"プラント親善大使"の肩書きがある。
彼女がそこまで舐められるということは、それ即ちプラントが舐められるということである。
「ユーラシア連邦の外務次官たる貴方は、きっと誠実な人だと信じております」
警戒は崩さず、そっと男の手を握る。
"ラクス"は明確な拒絶はせず、なおかつ男の懐に入ることはしない。
期待を持たせ、少しずつ譲歩を引き出す。
政治に携わるものならば初歩の初歩と言える戦術だ。
「う、うむ。考えてみよう。だが、過度の期待は――」
鼻の下を伸ばしながら、次官が答える。
「わかっておりますわ。ただ、貴方様ならきっとユーラシア連邦のための良い決断をするはずだと信じております」
にこり、と笑って"ラクス"は言った。
――落ちた。
その言葉を喉元に飲み込みながら。
「ああ、もう!気持ち悪い!脂っこい!なんだってあんな下っ端に媚びないといけないのよ!」
「ミーア。気持ちはわかるが、親善大使相手にいきなり"モスクワ"のトップが出てくると考えるのは……それにそんな大声で交渉相手を批判するな」
「ハイネはあのやらしい目を見てないからそう言えるのよ!」
肌荒れを心配せざるを得ないような勢いで"ラクス"――いや、ミーア・キャンベルが手を洗っている。
そのミーアの剣幕を見て、ハイネ・ヴェステンフルスは苦笑せざるを得なかった。
幸い、盗聴器の類は発見されなかったので、この会話があの次官に聞こえることはないだろう。
だが。
「議長も人が悪いぜ。このじゃじゃ馬の護衛を命じるなんてな」
三本目に突入したハンドソープを手につけるミーアを見て、ハイネが呟く。
議長を恨んでいるわけではなく、彼特有の軽口である。
「ちょっとハイネ、聞いてる!?」
「あ、ああ聞いてる」
怒鳴るミーアに気圧されるように答えるハイネ。
お調子者の彼とて、今の彼女に逆らえないようだ。
「今日はとことん付き合ってもらいますからね!」
そんなハイネに、据わった目のミーアが言う。手には、冷蔵庫からくすねて来たのかウォッカ、ワイン、果てはドンペリを持っている。
それは、ハイネには今夜の安息が訪れないという証であった。
ああ、議長、ミゲル、助けてくれ……
無論この状況で助けなど来るはずもないが――
ハイネはプラントの議長と、かつて可愛がっていた亡き後輩の姿を思い浮かべていた。
「そんな……だってあなたたちはカガリさんの……!」
『状況を考えていただきたい。我々としても"あんな物"が流れた後で、はいそうですかと協力するわけにはいかないのですよ、ラミアス艦長』
叫ぶマリューに、通信モニタに映った男は言い放った。
スカンジナビア王国領海。
そこでは、大天使の名を冠する戦艦が立ち往生していた。
「まあ、当たり前だろうね」
映像の途切れたメインモニタに目をやり、ギリが呟く。
「そんな……僕たちの目的を考えればそんなこと……!」
「止めとけキラ。スカンジナビアの返答は国として間違っちゃあいない。戦争を停止させるなんて目的で、ホンコン破壊の共犯容疑のある人間の支援をするわけがない」
ため息を一つ吐いて、バルトフェルド。腕を組んで難しい顔をして立っている。
「あれはザフトやセイランの仕組んだ罠です!」
「それは無いね」
なおも反論するキラに、ギリが即答。
「だって、あの場に居たのはザフトとオーブ、それに連合の……」
「……第三者がやった可能性もあるな」
「え……?」
横から、再びバルトフェルド。呆けているキラを横目に、サブモニタを操作している。
「僕たちに全てをなすりつけるならともかく、片方の当事者である連合があんなものを流すのはおかしい。そしてザフトは」
言って、バルトフェルドは映像メモリの入ったチップを差し込む。一瞬遅れて、サブモニタに映る映像。
「わたくしの偽物……ですわね?」
画面の中で歌う桃色の髪の少女に視線をやりながら、今まで黙っていたラクスが呟く。
「そう。デュランダルが彼女を本物のラクス・クラインとして扱う以上、こんなものを流す理由は無い。事実、プラントは例の映像の火消しに必死だ」
同意を得たと感じたのか、バルトフェルドが言い――
「ただ、真実は犯人にしかわからないことですわ」
しかし、それをやんわりと否定するラクスの言葉。
「……確かにそうだな」
――狂わんばかりの愛っていうのは怖いものだな。
ふと浮かんだその言葉を胸にしまい、バルトフェルドはモニタに視線を移した。
そこには、一曲を終えてお辞儀をする少女が映っていた。
「堕ちた歌姫に従う堕ちた英雄。英雄は歌姫と、歌姫に成り代わる偽物を討ち滅ぼして、新たな王の力となる、か。鉄仮面どのは三文芝居の脚本家の才能があるな」
カラスに渡された写真を手に、トールは言った。
続けて、周囲に視線をやる。
廃棄されたMS工場である。中央に設けられた即席のデッキには、三体のMSが立っている。
その周囲では金で集められた整備士たちがせわしなく動いており、パッと見た限りは、ここが現役のMS工場であるような錯覚を覚える。
「もっとも……三文芝居だからこそ騙されやすいのかもな」
ふん、と呟き、視界に赤いMSを入れる。そこには、今まさに修理真っ最中である"セイバー"の姿。
「キラに勝つにはもっと大きな力が必要か……ミリィを……いや、ミリィやキラたちを救い出すには」
誰も聞かぬその言葉。吐き出されたそれは、虚空を舞って、誰の耳に入らず消えた。
それは、藁にもすがるという言葉をそのまま具現化したような行為であったろう。
少なくとも、シンにとっては逆転の一手だと思える行為ではあるのだが。
「……哀れな"スパイ"の……ツラを拝みに来たのか……?」
"逆転の一手"にすがらんとするシンにかけられたのは、そんな言葉だった。
「聞きたいことがある」
「なんだよ……どう……せ全部聞いてるんだろ……?体の……ことも」
オーブで出会った少年――アウル・ニーダが、息も絶え絶えに答える。
顔はやつれ、髪は艶を失っており、あの時の生意気さは欠片もない。
ただ一つ共通点があるとすれば、最後に別れた時と同じように、ペンダントを大事そうに握っているところだけだ。
「聞いてるよ。だから、聞きたいことがある」
実際、動揺がないと言えば嘘だ。
シンにとって、アウルは印象の良い人間ではない。
しかし、見知った顔の人間が生死の境をさ迷っている姿を見て動揺しない人間はいないだろう。
「ステラの……ステラのことだ」
内なる動揺を隠し、シンは言った。
その言葉に、アウルはぴくりと反応したような気がした。
実際のコックピットを模したMSシミュレーターは、淡い光を放っていた。
「スティングはまたやっているようですな」
「まあ……ステラたちの記憶をあえて消さなかったんだ。それなら、ああもなるさ。大切な者たちを救える可能性があるなら、な」
シミュレーターに視線をやりながら言うリーに、ネオは苦笑しながら答えた。
「問題は、本当にあの"海賊船"にステラやアウルが居るか、ですがね」
「生死は不明だが……アウルやステラに持たせた発信機はインド洋に向けて順調に航海中だ。あの船の足跡と同じルートでな」
問うリーに、一転して口元を引き締めながらネオが答える。
ステラやアウルを救う道筋はできている。
だが、そのためには、ホンコンで一個艦隊に匹敵する戦力とやりあったあの艦を攻略せねばならないのだ。
「あの艦はカーペンタリアに針路を向けています。その後、ザフトがガルナハンのテロ勢力にテコ入れする気があるならば……」
「あの艦を向かわせるな。なら、目的地はガルナハン。常識的に考えて、海上ルートを採るな。ぶつかるのはインド洋か」
「ただ、こちらに問題があります。インドの現地戦力は当てになりません」
「確かに、エースクラスはカーペンタリア牽制に割かれているからな。戦力としてはホンコン戦以下。さらに海上戦闘じゃあデストロイは使えない。絶望的だな」
肩をすくめ、ひとりごちる。
「あの戦力に勝利するには、大佐にスティング……そして、ハリソンの活躍が不可欠です。そして今のスティングなら」
「わかってるさ」
ふ、と笑ってネオが言う。
"海賊船"の撃破、そしてアウルとステラの救出。
そして、スティングやハリソンを含めたファントムペイン全員の生還。
それは目標ではなく、義務なのだとネオは考える。
「人の想いを……利用するか。なんとしても、全員を生き残らせないと死んでも死にきれないぜ」
偽善だな。
小さな声で言って、ネオはシミュレーターから視線を逸らした。
決戦の地は、確実に近付いていた。