機動戦士ΞガンダムSEEDDestiny166氏_第18話

Last-modified: 2013-06-23 (日) 22:12:04

アスラン・ザラは当惑していた。

 

半分以上は広義の「公務の一環」だと言っても差し支えなさそうな、
ミーア・キャンベル演ずる〝ラクス〟との会食の一時を終えて。
そのメイン・ダイニングから出て来たホテルの中。
一緒に出て来たミーアが隙あらば腕を組もうと狙いながら、ずっとまとわりついて離れない。

 

彼女には本当の事――実際には彼とラクスはもう婚約関係にはない、
普通の友人同士に過ぎないのだと言うのを教えてやれれば良いのだろうが、
あくまで「芝居」(それも二重の意味で)だと言う意識である彼と、
あくまでも〝本当の自身〟の感覚上にイメージされる「二人の関係」で認識している
彼女〈ミーア〉とでは、同床異夢な齟齬が生じるのはある意味必然の話なのだった。

 

会食中の一時には、芝居の枠を越えてのよき雰囲気にと確かに踏み込んではいたが、
基本的な相互の齟齬自体が解消されたわけでは無いのだから。
こうして再び彼女なりに「周囲の人々の目」と言うものも意識しての
(同時に個人的にも役得とばかりに、それにとちゃっかり便乗してもいるわけだが)
振る舞いを再開する様にとなれば、また会食に入る前の構図へと回帰するのは自明の理と言う事だ。

 

いや、先程の場合はそれを目にする人々が(〝ラクス〟自身の事は本物だと疑ってはいないものの)
彼女〈ラクス〉とアスランが、実際にはもう婚約者同士では無いと言う事を知っている
「限られた人々〈戦友〉」達だったから、まだいい。

 

議長や〝ラクス〟らも宿泊する――と言うよりは、そこへと彼ら戦功者が招かれたと言うべきだが――
場所であるだけに、大多数の一般将兵達の目に直に晒されているわけでは無いのがまだ救いだが、
それでも「本当の事」は知らない多くの人々の目から逃れられると言うわけではないのだ。

 

ましてや、無論必要であり、またやむを得ないだろう務めであるとは言え、
先程デュランダル議長本人から直々にお膳立てをされる様な格好にとなってしまっていたと言う事もある。

 

何だかんだ言っても、性格的には元来他人に対してはあまり邪険には出来ない性質〈たち〉である上に、
逆に成長して視野を広げた結果として、その辺りの事も考慮しなければならないと言うのも
判らないではなくなって来てもいるだけに尚更……と言う部分もあったと言うのは、
アスランにとっては些かならず皮肉な話だったと言えよう。

 

一方、そんなアスランの困惑ぶりには気付く事もなく、
彼は大いに気にしている行き交わすプラント政府関係者やザフト軍人の人々に対しては、
むしろより関係を見せ付けるかの様に彼へのアプローチを仕掛け続けるミーアであった。

 

「アスランは、もうお休みになられますの?」
通りすがりに思わず聞こえてしまった他者がドキリとしそうな一言を、ミーアはさらっと口にしてみるが、
この場合は相手が悪かった。
「ああ……」
当のアスランから返って来たのは、言外に含ませた秋波には全く気付いてもいない、
どこか上の空の様な生返事だけだった。

 

どだい、相手が朴念仁な事には定評があると言ってしまっても過言では無い様な処がある
アスラン・ザラである。
ましてや、様々な事情故のこの状況にかなり当惑している最中なれば。

 

こう言っては酷なのかも知れないが、そんな彼の様子に気付いてやれもしないと言う意味では、
その点においてはミーアにもやはりある意味では「自分の物差し」だけを無自覚無意識なままに、
勝手に相手へ期待し〈押し付け〉てしまっている。と言う部分は有るのだと言えるのかも知れない。

 

とは言え、無意識にしている事なればこそ、自覚もまた期待するのは難しいと言う意味で、
彼女はめげずにそれを続けようとする。
「じゃあ、後で……」
お部屋に――と、彼女がそう言い掛けた処でアスランのその眼前にその人物の姿が現れたと言うのは、
ミーアにしてみれば実に間の悪いお邪魔虫。
逆にアスランにとっては恰好の渡りの船と言うところであったろう。

 

「ハイネ!」
中庭を見下ろす回廊のバルコニーの手すりに、正面からもたれ掛かる様にと佇んで夜風に当たっている、
オレンジの髪のザフトレッドの青年士官はその声にと振り返る。
「お、アスラン」

 

そうして不意にアスランに水を入れられた格好のミーアは、思わず一瞬の渋面を浮かべそうになるが、
実際にそうするよりも早くハイネから続けて声を掛けられて、嬉しそうな表情で敬礼されてしまっては、
そんな内心の本音など脊髄反射的にどこかに吹っ飛ばして、〝ラクスらしい〟満面の笑顔を浮かべる――
「これは、ラクス様も。今日のライブは本当に素晴らしかったであります!」
――などと言われてしまっては、仕方が無いではないか!

 

もちろん、そうした素直な感謝や賛美の念を向けられると言う事自体は、
彼女自身にとっても嘘偽り無く大きなやりがいと喜びになってもいるのだけれども。

 

「二重の芝居」の裏の方――より重大な、〝ラクス〟の正体――について、
無論の事この時点でハイネが知っているわけでは無く、普通のいい意味での
そつの無さのあらわれに過ぎない応対だったのだが、それだけに裏表の無い率直なものでもあり、
故にミーアの側も正面からそれを受けとる以外に無かったと言う事だ。

 

そしていささか過剰過ぎな、婚約者に対しての〝ラクス〟の「芝居」に
露骨なくらいに辟易〈持て余〉しているアスランの様子がハイネの目にはありありと見えていた。
故に――
(助け船を出してやるか?)
そんな風に思って、ハイネはせいぜいお邪魔虫をやってやるかねと言う感じにアスランを誘う。
「そうだ、アスラン。ちょうど良かった。向こうで皆が集まって飲んでるぜ。お前も来ないか?」

 

そう水を向けられて、アスランの反応は実に迅速だった。
「ああ、そうだな。ぜひ行こう!」
過ぎるくらいに大きく頷いてそう言うや、さっと一足飛びに〝ラクス〟の圏内から飛び出すと、
ハイネと肩を組んで競歩選手の如くに足早にその場から遠ざかり始める。

 

「…………」
あまりにも見事すぎる飛び出しに、流石のミーアも完全に虚を突かれた風情で
為す術なく見送るしかなかったくらいだ。
それこそ、誘い水を送った側である筈のハイネまでもが、思わず
「いいのか? 婚約者なんだろ?」と口に出してしまわないといけなくなる程に。

 

それに対しては、「いいんだ!」と実にシンプルに断言して。
アスランは脱兎の勢いのままに視界から消えて行き、きょとんとした顔のままの〝ラクス〟だけが
ぽつんとただ一人、その場にと残されたのだった……。

 

――確かにこの場はそれでどうにか切り抜けた。
しかしそれが逆にこの後刻、更にとんでもない方向へと化学反応を起こす事に繋がろうなどとは、
(様々な意味合いで)まだ若きアスラン・ザラには想像する由も無かったのである。

 
 
 

ハイネの言う通り、バーカウンターを併設したラウンジの一つを丸々占拠する様な格好で、
同じく今宵はここへの宿泊をあてがわれた彼らの戦友達が、めいめい小グループを形成しながら集まって
それぞれに寛いだ雰囲気で歓談している。
ハサウェイとイラム達、マフティーの首脳陣とレイだけは議長と会席中の為に姿が無かったが、
それ以外のガルナハン作戦からこちら、戦いの道行きを共にして来たミネルバとディアナに乗艦の
ザフトとマフティー、両軍のパイロット陣の面々があらかた顔を揃えていた。

 

「おお、アスラン。待ってたぞ!」
ハイネと共に姿を現した彼の姿を目にして、異口同音の歓迎の声が上がる。
〝婚約者〟としての務めは務めとして、戦友達との付き合いもまたおろそかにはしませんよ?
と言う態度を、ちゃんと示してもいると見なされたと言う事なのだが。

 

――もっとも、夕刻のやり取りを目の当たりにしていた〈事情を知る〉その中の一部の者達は、
いささかげんなりとした風情を漂わせてもいるアスランの姿に気付いてそっと声をかける。
「お疲れさま。あちらは上手く行ったのかしら?」

 

そう尋ねて寄越す、ジェスと共にこの場に加わっていたルルーに、
とりあえずは……と微苦笑を浮かべながら頷き返すアスラン。
日に日に打ち解けて行きつつある戦友〈仲間〉達と共に居る方が、やはりずっと気楽と言うものだった。

 

「とりあえず、改めて乾杯と行こうじゃないか」
ハイネも戻ったし、アスランもやって来たと言う事でと。
ハイネ隊No.2のグロスが音頭を取って、座の一同はもう何度目かになる互いのグラスを響かせ合う。

 

そうして再び和気あいあいと始まった場の雰囲気を、遅れてやって来た格好のアスランは
ハイネと並んで座るカウンターの丸椅子を後ろに回して、黙って眺めやる。

 

ようやくアスランもこの場にとやって来たわけなので、
シンやメイリン達はアスランの方へと行きたい処ではあったのだが、
彼らは彼らで一緒の卓を囲む相手とのやり取りの最中でもあったのと、連れだって来たわけでもあるし、
まずはヴェステンフルス隊長と同じフェイス同士で始めたい処なんだろうなと言う遠慮をした。
その両方の理由でそういう格好にとなっていたのだった。

 

それはアスランの方も似たようなものだったが、それはそれとして、
確かにハイネともこうしてじっくり飲んでみたいと言うのもまた間違いのない処ではあったので、
別段困ったりはしていなかったのだけど。

 

「慣れない事をして、やっぱり疲れたか?」
無言でグラスの中身を一口呷って、ふうと一つ息を付いたアスランに、ハイネがそんな声をかける。

 

「ん? ああ、そうだな。確かにちょっと……いや、それなりに疲れたかもな」
相手が気さくなハイネであればこそ。と言う部分は間違いなくあっただろうが、
当のアスラン自身も遅れて内心で軽く驚くくらい、意外にもそんな感じの軽口が自然と出て来る。
いちいち自覚をする程でも無いような事ではあるのかも知れないが、
そういう小さな変化をもたらす源となるものこそは彼の内で確かに育まれつつあるものの
湧出であったのは間違いなさそうだった。

 

そういうものを直感的に感じ取って、ハイネはこの年少の戦友に対して若干の苦笑も交えて微笑する。
「ま、そうは言ってもな。むしろ本番は〝明日の夜〟だろ? 
 気疲れとか言ってる暇はあんま無いかもしんないぜ」

 

「まあ、そうだよな。確かにそうなんだよな……」
と、アスランが苦笑と共に応じて言うのは、デュランダル議長を迎えたこのディオキアで
明晩に予定されている、「この地域の解放を祝う」と言う触れ込みの祝宴への出席の事だ。

 

それに先だっての、昼間の市議会でのデュランダル議長の演説や、市内の大学への視察と講演。
そしてディオキア市長をはじめとする、この地域の要人達との会談などの一連の行事
全てをひっくるめての話であるが、このディオキアの様な、地球連合側に三下り半を叩き付けて
プラントとその友好勢力の陣営入り〈助け〉を希望するこの地域の都市や小勢力。
それに本音では地球連合側のやり方には辟易していて、その力をなお恐れはしつつも、
積極的に解放者たるプラント側に味方する道を選択したガルナハンやディオキアにと倣うべきか?を
天秤に掛けているであろう者達も、その辺りを見極める為の密使の任を帯びた立場の人間を、
それぞれ送り込んで来る筈だ。
ある意味ではそれ自体が地球連合――そのバックにいるブルーコスモス・ロゴス達への
心理戦の側面も持つ、紛れもない政治的なメッセージともなっているわけなので、
その場にこの地域の解放の立役者ともなった彼らザフトの特務隊とマフティーの面々も出席するのは、
むしろ当然必須な話でもあるわけだった。

 

本音を言えば、未だにそうやって作って演じても見せる必要に対しての若干の躊躇が
無くなっているわけでは無いのは、性分とは言え
アスラン自身にとっても「我ながら、情けない話だよな……」と言う事になるのだが。

 

そして脇で聞いていてそれを思いやれないではないハイネだからこそ、
そんな戦友の気持ちへの配慮もして見せるのだった。
「とは言え、変に溜め込むくらいならさ、そうやって吐き出しちまった方がいいんじゃないの? 
 変に無理するって事もないだろうしな」
そうしていいとこ悪いとこのTPOってもんだけ判ってりゃさ……。
言外にそんな風に示してくれる気遣いは、嫌みも感じさせなければ押しつけがましくもなく
気負いをほぐしてくれる様なもので。

 

そういう配慮が自然に出来ると言う処がハイネと言う青年の美点なのだなと、
アスランはかなわないな……と言う無条件降伏の態度で、
どこか羨望を抱きつつもありがたくそれを受けさせて貰うのだった。

 

そうしてアスランは黙したままでしばし、じっと自らの視界の内にと広がるものを眺めやる。
そこには大きく変わった彼自身の有り様と、その居場所とを象徴するかの様な情景が広がっていた。

 

ミネルバにと成り行きから乗り込んで、どこか懐かしくもありながら
同時にある種の距離感をも感じてしまった、シンやルナマリア、メイリンの姉妹達〝新しい世代〟の
ザフトの少年少女兵と出会ったのが始まりで――。

 

身を隠していたオーブの一市民と言う立場から、ザフトへの復隊を決意し着任したミネルバで
再会するシン達と、そしてハサウェイ総帥以下の異世界から紛れ込んで来た客人
〈マフティーの青年〉達との新たな出会い。

 

再び身を投ずる事にとなった戦いの道行きを共に歩む事となった、
そんな彼らの存在がその周囲はもちろんの事、アスラン自身にも予想だにする事が出来なかった
様々な善き影響を与え続けてくれていた。

 

自分自身をも変えてくれたそんな大きなうねりのただ中にと身を置いて、
自身もまたそれが拡大し〈広がり〉続けて行く様を同時に感じていられると言う事実から得られる
充足感とでも呼ぶべきものは、まさに例えようの無いものだった。

 

今や名実共にミネルバの仲間として完全に同化した感のある旧ニーラゴンゴ空戦MS隊のパイロット達――
インド洋会戦を共に生き延びた面々がいて。
マハムールからこの黒海沿岸に至る広大な地域の解放戦を共に戦った、ハイネ達がそこに加わって。

 

そしてナチュラルとコーディネーターの区別無く、真の自由と平和の為の戦いだと言うその有り様を
間近にて見届けんとやって来た、自身がそんな垣根などあっさりと踏み越えてもいるジャーナリスト達、
ジェスとルルーの二人もが現れた
(そのジェスには同時に、腕ききの傭兵であるコーディネーターの相棒も付いて来ている)。

 

様々な異なる立場にいた者同士が、今こうして垣根を超えて共に集い、
大きな義の為にと想いを重ねて和している。
かつての大戦の終盤に加わっていた、キラやラクス達と共にあった(俗に言う)「三隻同盟」にも
匹敵する――否、それ以上にもまばゆく感じる様な現実だと言えよう。

 

しみじみとそんな情景を眺めやっていたアスランの横顔に、ハイネが笑いながら声をかける。
「なんて言うかさ、嬉しくなって来る様な光景だよな……」
「え?」
思わず彼の方へと向き直って聞き返すアスランに、苦笑気味に応えるハイネ。
「恥ずかしい話だけどさ、ついこないだまでは俺にもやっぱりどこかにあったんだよなぁ……。
 『コーディネーター〈俺達〉は、ナチュラル共とは違うだろ?』って感じの、
 〝差別感覚〟って言うの?」
「ハイネ……」
彼らしいと言えば、やはりらしいと言えるかも知れない率直な物言いで軽めに嘆じて見せるその横顔は、
口調以上に真摯なものだった。

 

「ま、それも今回こうして地球へと降りて来て、ハサウェイさん達マフティーの人達や、
 ガルナハンなんかの俺達に助けを求めて来たこの地域に暮らしてる人々と
 実際に会ってみるまでだったけどな。
 俺自身も、俺の隊の皆も、遅まきながらもそれでやっと気付いたんだよな。
 俺達はそれまでただ〝敵としてのナチュラル〟しか知らなかった――
 現実はそんな単純なものじゃないって事を、ホントの意味で知りもせずに
 判ったつもりになってただけだった……ってさ」
「……ああ」
ハイネが漏らした素直な述懐に、自身も同様に頷くアスラン。
ナチュラルに対しての優越感情と言う、プラント生まれの世代のコーディネーター達の大多数が
〝刷り込まれてしまっている〟宿痾から、かつての大戦を通しての出会いと体験によって
解き放たれる事が出来たアスランには、ハイネが口にする彼らが新たに抱く様にとなったと言うその想いも、
我が事の様に既視感も伴った共感として受け取れるものだった。

 

「苦しい状況下にあるラドル隊〈友軍〉の支援に~と言うつもりだけで降りて来た地球でな。
 むしろ、本当の意味で助けて貰ったのは、俺達の方だったかも知れないよなって……
 今は、そんな風にさえ思えるかな」
そう言って微苦笑するハイネの横顔に、アスランは自分自身の想いを鏡に写して見ているかの様な
想いにさせられる。

 

「判るよ。俺も、そうだったから……」
どこか遠くを見るように――かつての大戦の時の自身や、仲間達の姿を同時に思い起こしながら
頷きを返すアスランに、ハイネの浮かべた表情から苦笑の成分だけが消えて行った。
「……そうか。なら、こうやって俺達が戦っているのにも。少しは意味はあるって事なんだろうな」

 

けして深刻ぶってはいないのだけど、戦争と言う行為そのものはどう見たとて
誰かには悲劇や破壊をもたらさずには無い、悲劇的なものであると言う事実を承知してもいる。
そうであるからこそ、そんな業を背負う者の一人としてその只中にと身を置いて。
けれどもやはり一方でそれだけではない「何か」をも、同時にそれによって残せるのなら。
それを通して見つけられるなら。
戦うと言う道を選んだ者として、それこそが何よりも報われる真実であるのかも知れない。
それをもう一度確かめる様にと、ハイネは自身も一つ頷いてから続けた。
「そうだよな。だったらそれも、必然って事かね……」
(?)
当然ながらそんな彼の呟きを訝しむアスランに、ハイネは告げる。先程、議長から受けた内示の事を。
「ああ、さっきな。議長から打診を受けたんだ……」
「内示を?」
「そう。俺達の隊に、解散と異動の打診をさせて貰えないだろうか? と言う事だったよ」

 

「それは……」
そう言われたアスランの方も驚いた。
フェイスでもある隊長のハイネ率いる彼の隊と言えば、現在のザフトMS隊の中でも間違いなく
指折り級のエース部隊である。
瑕疵もなしにそれをわざわざ解隊させようと言うのは、些か尋常で無い話ではあった。

そして、ハイネが受けたと言う内示の後半分――解散をさせての異動と言うのは――も、
一体どこへ? と言う疑問が浮かんで来るのも当然の成り行きだと言えよう。

 

そんなアスランの浮かべている、ある意味では当たり前とも言える疑問の表情に対して、
ハイネはしばしの逡巡を伺わせる微苦笑を返し、やがてそれを深化させながら答えた。
「んー、まあ……そのな、アスラン。
 この話も、お前さんにも関係あると言えば間違いなく有る話なんだけどな」
「俺に?」
予想通りの反応を示すアスランに、ハイネは微苦笑を浮かべたまま頷く。
「ああ。その場合の俺の新しい配属先は、ミネルバになるって言われたよ」

 

「こっちにか!?」
その答えにもまた、アスランは予想もしなかったと言う驚きを与えられる。
元よりグラディス艦長と自分の二人のフェイスが鼎立すると言う、
ザフト全軍を見渡しても他に類を見ないであろう特殊な構成を見せる格好となっていた
〝ミネルバ隊〟に、更に三人目のフェイスを加えようと言うのだから。

 

そんなアスランに、ハイネは今度は明確に苦笑を浮かべて応じる。
「まあな。お前さんさっき議長に、この先は単なる一軍人の枠を越えた、
 政治的な部分での働きもさせて欲しいって志願しただろ?」
「あ、ああ……」
頷くアスランに、それが理由だよとハイネは告げた。
「そうするとさ、そっちの+αの部分も入って来る分だけ負担も増えて、
 〝隊長〟としての純粋な軍務の面では、遂行に支障が出る可能性も有る。
 なんで、その分も手当てしとこうって話だな」

 

そう語られて、アスランはようやくハイネが言う「自分にも関係が有る話だ」と言う所以に得心が行った。
それでなくとも、謎多き驚異の同盟軍〈マフティー〉と共にの最前線での連戦を重ね、
いみじくも議長の言う通り今やザフト――プラントのみならず、反地球連合の立場や意識を抱く人々に
とっての抵抗と解放のアイコンたる存在と化しつつある〝ミネルバ隊〟の立場と言うものを考えてみれば、
ここで更にその構成を強化しておくと言うのは、確かに定石だとは納得の行く話ではあった。

 

(それで、どうするんだ?)
と言うのを表情のみで問い返すアスラン。
軍人である以上は、本来ならば命令一本で済む話であり、否やも何も無い筈ではあるのだが――
そこはやはり、特別待遇のフェイスに対してならではの事と言えよう。
フェイス直卒のエース部隊などと言う代物をわざわざ置く意味合いなどの面から考えても、
例外的に与えられている拒否権を行使して断る事も出来る筈なので。

 

しかし、ハイネから返ってきた答えは何の迷いも躊躇いも無い、
その声音も表情も実に晴れやかなものだった。
「そりゃあ勿論、全隊一致で了解さ。反対する理由は何処にも無いからな」
あまりにもあっさりと断言されてしまって、そうなる原因を造ってしまった立場だとも言えなくもない
当のアスラン自身の方が逆に(いいのか?)と、戸惑ってしまいさえするくらいに。

 

「ま、ウチの隊はそこそこ大所帯だからな。
 今度の地球上での戦いで俺達の隊も、今まではほとんどお前らミネルバ隊だけの独占状態だった、
 〝マフティーさんとの共同戦闘で、異次元のMSとその運用や戦術〟ってものを、
 実際に身を持って学ばせて貰ったろ?」
「ああ」
ハイネの言葉に頷くアスラン。

 

ガルナハン戦後も結局そのまま、なし崩し的にミネルバに再配属のままの格好で来てしまった
旧ニーラゴンゴ空戦隊の面々や、交代で共同戦闘や訓練に派遣されて来るマハムール基地(ラドル隊)
所属の各隊もいはしたが、マフティー側のハイレベルな運用や戦術をミネルバ隊と互せるレベルにまで
対応して学び取れているのは、やはりエース級揃いのハイネ隊だけだった。
――もっとも、そんな両フェイス直卒のエース部隊でも、まだまだマフティーに本気を出させる処までは
とても行けてはいないと言う辺りに、逆に彼らは異世界人達のその凄みと言うものを
より深く感じさせられもするのだが。

 

「そんな画期的な戦術・運用面はもちろんだがな――それだけじゃなくて、
 当の俺達自身が今回の事で目から鱗を落とさせて貰った〝ナチュラル達との在り方〟って事までも
 含めての、あらゆる意味でだよな。
 それを持ち帰ってザフトの中に――ひいてはそれを通してプラントそのものにも、
 これからはそういうのをこそ広げて行かなきゃ行けないだろう? って話さ」
だから、お前さんが何か気にしなきゃいけない様な事なんて何一つ無いんだぜ?
屈託無い朗らかな表情を浮かべながら言うハイネは、言外にそう示していた。

 

「…………」
それを聞かされて、アスランは無言を返す事でもって自身もそれを首肯する。
コーディネーター〈自分達〉――プラント社会の側にもやはり色濃く存在している、
「対立と不和の要因」を希釈し中和する為に。必要な為すべき手を、たゆまず繰り出し続ける事。

 

「戦争を終わらせ、平和を希求すると言うその思いが本物であるならば。
 ではそれは、一介の戦士としてただ〝(戦場でのみ)戦う〟と言う事、
 それのみで果たして本当に叶え得る事なのか?」

 

初めてハサウェイ達に会って投げかけられた、その際には答える事が出来なかった問いの
言わんとする処への理解とそれ故の納得感が、アスラン自身の中でまた一つ深化する。

 

ハイネも言う通り。問題の真の解決法とは、表層の事象への対処療法――
もちろん、それはそれで必要不可欠なものではあるけれど――のみで止まるものではなく、
同時にその症状の原因となる内なる〝病根〟への処置を考えると言う事が行われなければ意味がないのだ。

 

「例えその想いは同じでも、〝ミーアの声〟はただの一人の声でしかないわ……。
 でも、それがもし〝ラクスの声〟だったなら?
 それは現実に沢山の人達に届いて、同じ思いを呼び覚ます事が出来るわ。
 そしてそんな大勢の人達の抱いた想いを繋いで大きなものにまとめ上げる事が出来る、
 そんな〝力〟を備え持っているんだもの」

 

つい先程まで向かい合っていたミーアが口にした述解を、アスランはもう一度自身の内で思い返して頷く。

 

(ガルナハンで〈あの時〉も、そうだったよな……)
圧制下にあった住民達による地球連合軍将兵への報復を、押し止めようとして果たせなかったシンと、
それを止めさせてのけたハサウェイの、その始終を間近に見て思い知らされた事。

 

真の意味で平和を希求する。その為ならば、心情的な抵抗や躊躇はなお強くとも、
(否応なしに)自身もまたそれを期待され得る立場に在る人間なのだと言う事実を認め、受け入れて。
〝実際に他者に影響を及ぼし得る立場〟へと、自分自身も腹をくくって踏み込んで行く以外には無いのだと。

 

自らの意志で選ぶ事にしたとは言え、苦しい困難な途となるであろう事は明白だった。
けれどもそれは、決して孤独なだけの途行きでは有り得ない。
かつての大戦の時とはまた違う、思いを同じくする多くの仲間達と共に
確かに歩んで行く道であるのだと言う事。今のアスランにはそれが確信出来た。

 

「そうだな……。こうやって俺達自身が現に変わって行けたんだ。
 今度は俺達が、それを自分達自身でも広げてかないといけないよな」
ふっと微笑みを浮かべるアスランに、ハイネも同様の笑みを返す。
そうしてそのまま一つ頷くと、促すようにと続けた。
「ならさ、きっともう〝お前ら〟も大丈夫だな」

「え?」
不意にそう言うや、ハイネは椅子からさっと立ち上がる――少々アルコールが効いていると言う事なのか?
ほんの僅かだけ足元が泳いだのは、見えなかったことにしておこう――
釣られる様に目線でそれを追ったアスランの目に、いつの間にかこちらにと近付いて来ていて、
声を掛けようかどうかと迷っている風情のシンの姿が映った。

 

「おう、シン。待たせて悪かったな。俺はもういいから、後はゆっくりやってくれ」
そんなシンに声をかけながら肩を叩いて促すと、そのまま彼方へと歩み去って行くハイネ。

 

恐縮する様にぺこりと一礼をして彼を見送りはしたものの、やっぱり遠慮感と躊躇感をない交ぜに
突っ立ったままのシンの姿に微苦笑を浮かべて。
アスランは空いた隣席を指し示しつつ、(来ないか?)と言うジェスチャーを送るのだった。

 
 

差しで飲み交わす。その片割れを入れ替えてからこちら、
それまでとは一変して互いの間にはただ沈黙だけが落ちていた。

 

「…………」
自分からやって来た筈のシンが一言も発さなければ、それを待つ立場となるであろうアスランの方もまた、
音無しの構えでいると言う形であったから。

 

端から見ている方がむしろ、じれったいとさえ感じてしまいそうな格好ではあるだろうが、
もちろん当のシン自身とて、そんな自分に戸惑いを覚えてはいるのだった。

 

(隊長とこうやってゆっくり話せる機会が来たら、話してみたいと思っていた事は沢山有った筈なのに……)
そんな風には思いはしながらも、けれど不思議とそんな沈黙に居心地の悪さこそは
互いに感じてもいなかったのだ。

 

客観的に考えてみれば、ある意味それも当然の話で――
ローエングリンゲート要塞攻略戦のその前夜に持つ事が出来た一時の語らいを通して、
それまでは自身の胸の内にとだけ秘めたままでいた過去の境遇〈痛み〉と、
そこにと根ざした現在〈いま〉の自身の抱く想い、戦う理由と言うものを
もう一度見つめ直していたのだけれど。
同時にそれによって、今までは知る事の無かった相手の境遇やその抱く想いをも知らされ、
そうして相手をより理解する事から始まる自身への振り返りが、
また違った意味で自らを成長させる事にと繋がっていたのだから。

 

その上、そんな想いを更にもう一ステージ(それ以上かも知れないが)高める結果となった、
先程までのデュランダル議長に招かれての会談の一時の事もあった。

 

そうやってもう、互いに相手に対して心を開ける様にとなっていればこその
状況であったのだと言えるかも知れない。

 

――とは言え、流石にいつまでもそうやっているわけにも行かないと、シンは意を決して口を開く。
「隊長」
「うん」
呼びかけられて、改めて彼の言葉を謹聴の構えになったアスランへと、シンは語りかける。

 

「隊長。……ありがとうございます」
絞り出す様にしてどうにか、ようやく口に出して言えた一言。
ほんの一言だけのごくごく短かなそれにはしかし、
言い尽くせない様々に去来する感謝の想いが込められていた。

 

ザフトに戻って来てくれて。
ミネルバに――自分達の隊長として来てくれて。
こんな自分を見捨てずに、教え導き、支え励ましてくれて。
自分に本当の意味での戦う者としての覚悟と意義とを気付かせる、そのきっかけまでもを与えてくれて。

 

(アスラン・ザラと言う青年〈あなたと言う人〉と出会えて、本当に良かった……)
それが今のシンの中に有る、偽らざる率直な想いだった。

 

そんな存在と出会えたと言う事もまた、一つの運命みたいなものだったのかも知れない……。
現在のシンは自身の隊長に対して向ける心情を、そんな域にまでに持って行っていた。

 

縁あってアーモリー・ワン緊急出撃後のミネルバの艦内で出会い、
その後の地球へと落ち行くユニウス・セブン破砕を巡る一連の流れの中で
文字通りに身体を張っているその姿に、敬意に値する人だと感じさせられればこその、
「あなた程の人が、なんでオーブなんかに?」と言う疑問も同時に抱かされもしたその人が、
やがて自分達の指揮官として出戻って来た。

 

考えが足りなくて視野も狭い自分には、そんな彼の豹変的な立場の変化の経緯がろくに想像も出来ないで
――と言うより、そんな事をしようとすらしていなかったわけだけど――
その結果、一パイロットとしての技量自体は認めながらも、上に戴く存在としては
反感と反発を強く抱いてしまっていた。

 

そんな形で始まった上官としての彼との関係は、マフティーの人達の存在と言う中和要素が在っても
当然ながらしっくりとは行く筈もなく。
今でもなお心に刻んで忘れえぬ痛恨事である、インド洋での会戦で犯してしまった大きな過ちと言う
最悪の結果をも呼び起こしてしまいさえした。

 

だが、そんな誰からも見捨てられても文句は言えない様な最低の自分を、叱りつつも諭し、
あるいは支えてくれた共に戦う仲間達のその中に――それも大事な時に、大事な所に、彼もまた居てくれた。
そんなアスランが向けてくれていた気遣いにも、自分はそれとは知らぬまま確かに救われていた。
助けられていた。

 

そうしてどうにかもう一度立ち上がる事が出来た、ガルナハンの戦いの前夜。
思いがけずも聞かせて貰った、アスラン〈彼〉と言う人の過去と現在〈いま〉、
そしてその胸中に抱いている想い。
それらを知った時、自身の内でそれまで彼に対して抱いてしまっていた
疑問やわだかまりの念のその根本は、自然と全て氷解して行った。

 

いや、それだけではない。そんな氷解は彼に対しての事だけでなく、
自分自身がこれまで嵌り込んでいた自らの心の内にと張っていた不可視の壁をも
同時に溶かし去ってくれていたのだ。
だから自分も言えたのかも知れない。ルナマリアの温もりが初めてそのきっかけを与えてくれた、
ずっと自身の想いの内に凍り付けさせたままで来ていた慟哭〈痛み〉を。

 

そうして生まれ変わった様な目で見てみたならば、これまで気付かなかった、
気にもしなかった様な事までも、全てが違って見えて来た。

 

シンは今、決して帰らぬ過去にとただ捕らわれるだけの状態から脱し、
生き残った者としての責務でもあるかも知れない「新しい生き方」と言うものを日々探し始めている。
自身の心境がそんな状況〈ステージ〉へと移りつつあるのだと言う事を、
理屈では無しに実感している――またさせられもしているが――そんな日々を過ごしている処だった。

 

アスランに対しても、もう素直に心を開ける様にはなれては来ていても、
弁舌の面で内なるそんな想いを上手く口に出しては言えないのだけれど……それでも――
そんな想いが込められた短く、けれども本当に深い、「ありがとうございます」の一言であったのだ。

 

「…………」
そんなシンの率直な――それ故に深く真摯な想いを受けて、アスランに出来る事は一つだけだった。

 

(た、隊長?)
そう戸惑いを覚えるシンの目の前で。アスランはその上体を彼の方へと
はっきりと傾けて、そのまま身じろぎもせずにじっとそうしていた。

 

「シン。本当に……すまなかった」
そしてそのまま詫びの言葉を口にするアスランに、逆にシンの方が驚かされる。

 

何で、あなたが……?
それを言うのなら、詫びなきゃいけないのはむしろ自分の方なのに。
予想だにしなかった事態を目の当たりにして、シンは少々狼狽え気味にさえなっていた。
「よ、止して下さい隊長! 貴方が俺に、そんな事をしなきゃいけない理由なんか……」

 

(こうする筈の〝約束〟が今までかかってしまったのは仕方がない事なのだし……)
自分の方が狼狽えながらアスランに顔を上げさせようとするシンは、
彼のその謝罪が何に対してのものであるのかを取り違えていた。
そのまま続いたアスランの言葉に、シンは彼の真意を悟らされる。

 

「いや、違うんだ。シン。……俺は、君に謝らなければならない。
 ミネルバで君と初めて出会った時の事。あの時、俺は……君に対して公正では無かった」
そう謝られてシンは自身でも思い返す。
アスランが言う、カガリ〈アスハ〉を間に挟んでのほとんど睨み合いにも近かった、
ミネルバでの彼らの最初の出会いの事を。

 

「いえっ! でも、あの時の隊長の立場じゃ、それはむしろ当たり前の事で……」
様々な感情が同時に惹起されて、シンは言葉もその表情も複雑に入り交じったものを浮かべてしまう。

 

アスランがそうして気にしてくれていたと言う事実と、こうしてその時の自身の気持ちに対して
わざわざ詫びて理解を示そうともしてくれたと言う誠意に嬉しい驚きも感じつつ、
今ならば判るし自身でも認められもするけれど、確かにあの時の自分の〝アスハ〟に対する態度は、
公的な意味で指弾されるのは仕方がないものであったのは間違いないのだから。
――もちろん、(為すべき義務は何一つ果たしてすらもいないと言う意味で)そんな資格も無いくせに、
その対価である筈のそうした公的な特権にだけはしっかり守られて恥じない〝アスハ〟自身を
認められると言うわけではないにせよ、だ。

 

それはそれ、これはこれ。と言う意味で。
相手がどうなのか?と言う事と、翻って自身の方はどうなのか?と言うのは別の話であると言う事を
シンは悟り、その辺りの分別を付けられる様にとなって来ていたのだとも言えるだろう。

 

そんなシンの様子に、アスランはようやく上体を戻すと、ほんの僅か苦笑を浮かべて応えた。
「そうだね。確かに今でも、もし目の前でああ言う態度をされるのなら、
 やっぱり同じ様な事は言わなきゃいけないだろうし、言うだろうけど……」
そこまで言うと、再びその表情は真摯なものにと戻る。

 

「――それでも、な……」
義務や責任と言っても良いだろう、立場としての為すべき事が有るのは当然ではあるけれど。
それでも同時に、〝一人の人間としては〟やはりそうした他者の痛みや想いと言うものへの
配慮や共感も抱いていなければ、抱ける様でなければならない筈であるのに。
あの時の自分には、そんな事さえ本当の意味では判っていなかった。

 

たまたま接点を生じた処から、シン・アスカと言う個人としての形でもって浴びせられた
カガリ――彼女が自ら背負う事を決めた筈の、オーブの理念〈アスハと言う名が背負うもの〉――への
糾弾の声。

 

そうした「向き合わなければならなかった筈の現実〈もの〉」(それも、本来ならばもっと早くにだ)と、
その心に何の準備も無しにいきなり向き合わされてショックを受け、ただ打ちひしがれているだけだった
彼女を慰めようと自分は言った。
「考えてもしょうがない……カガリ。わかっていた事だろ? あんな風に思ってる人間もいる筈だって」
などと言う、それこそ判っている〝つもり〟でなければ言えない様な、
無自覚の――それ故にこそ傲慢な言葉を。

 

そんな言葉を口に出来た自分の、その脳天気さと無神経さは、我が事ながら
ただただ恥ずべきものだと言うしかない。
ガルナハンの戦いの前夜、シンの口から自身の辛い過去の記憶を直に語って聞かされて。
それでようやく思い知らされた、〝そんな風に思っている人間〟の抱く慟哭〈痛み〉。
それは自身にも同様の覚えがよくよく有る筈のものなのに……。

 

幾ら特別な好意〈感情〉を抱いていた相手に対しての事だからと言って、
その時の自分はただ目の前の〝ひとりぼっちで泣いている彼女〟の事だけをしか、
実質的には見ていなかった――いや、それに対する相手の立場の事など、
見ようとすらもしていなかったのだ。

 

「……そして、もう一つ――」
そう続けるアスランの表情に陰りが混じる。
あるいはシンに――そして、彼と同様の立場に追いやられた幾多の人々に対しても――
詫びるのならば、こちらの方がより比重は大きくなるのであろう事にも触れねばならなかったから。

 

「君の家族が亡くなった――いや、〝殺された〟二年前のオーブでの戦いの時。
 俺自身もまた、君達のその頭上で戦っていた人間の一人なんだ……。
 あの時、そこで戦っていた〝俺達〟の目に、その意識の中に。自分の足下で、
 君達一家の様なただ必死に戦火から逃れようとしていただけの人々の存在は、
 欠片さえも〝見えて〟はいなかった……」
(………………)
アスランの沈痛な表情を、シンもまた同様に、無言で受け止めていた。

 

「だから、そうして直接的な意味で君から家族を奪った仇は――きっと、〝俺達〟なんだ……」
「…………」

 

〝俺達〟と言う、その物言いにこそ、アスランのその真情がありありとにじみ出ていたと言えるだろう。
あの時――オーブ側に立つ格好で戦闘に介入した彼のジャスティスガンダムと、
その前から地球軍の新型GAT〈ガンダム〉・タイプMS3機と戦っていたキラの駆るフリーダムガンダムは、
オノゴロ島の上空を舞っていた。
シンから聞かされた、その時の彼らの状況からすれば、島の地上と上空、
その両面に展開して攻撃を仕掛けて来ていた地球軍ガンダム達へのキラからの反撃の火箭が
避けられるか流れ弾となって、運悪くその先にいたシンの家族を着弾に巻き込んでしまった可能性が高い。

 

飛行可能な機体特性を活かして常に上空にいたあの時の自分達と、
それにずっと頭を押さえられる格好のまま空と地上の双方から押して来ていた敵機地球軍ガンダム達
それぞれの展開位置を考えれば、地上の敵機を狙っての攻撃を放つと言うのは
「自分達の側」にしかあり得ない射角だった。

 

無論の事、アスカ一家を狙って撃ったなどと言う事はある筈もないけれど、結果的には同じ事で。
そうやってそれに〝巻き込まれた人達〟の事を、考えた事が有るのか!? と言う、
今にして思えば(遅ればせながらどころの話ではないけれど)当たり前の、シンからの糾弾。
そんな事に何一つも気付いてすらいなかったと言う意味では、誰が直接的にやったかなどは問題ではない。

 

偶々そこではキラによるものにとなったのかも知れないけれど、
ほんの小さな運命のボタンのかけ違えがあれば、それはアスラン自身の手によってのものとなっていても
何らおかしくは無いのだし、あるいはそれは地球軍ガンダム達のいずれかによって
起こされた事であったのだとしても、やはり同じ事である。

 

そんな状況の――〝その場所を戦場にして戦ってしまった〟と言う事実。
罪だと言うのならば、その事自体がそうなのだから。

 

だから、自分にも間違いなくその時の事に対しての罪が有る。
なにも親友〈キラ〉を擁護する為にと言うのではなく、今へと至るミネルバに戻って来てから
これまでの幾多の経験を通して学び、変化し始めた自身の認識と想いのままにアスランは
シンに――そしてその背後にいるであろう、彼ら一家と同じ立場へ追いやられた幾多の人々へも――
じっと頭を下げていたのであった。

 

(隊長……、あなたは…………)
そしてそれを受ける側であるシンもまた、何も言えなかった。

 

二年前の喪失の記憶が余りにも重過ぎるが故に。
ましてやそんな、傷を負ったままの心へと更に塩を擦り込むが如き、〝アスハの娘〟〈バカ〉が
何らの反省や後悔も見せずに声高に叫び立て続ける上っ面だけのきれいごとを聞かされれば、
やっぱり心には憤怒の衝動が激しく湧き上がる。

 

それは仕方がないし、当然の事だとは思う――けれど、同時に今のシンはもう、そうして
〝自身の内なる怒りをただひたすらに燃え上がらせるだけの自分〟では、いられなくなっていたのだった。

 

それが自身にとって許せるか、許せないか? 納得が行くのか、行かないのか? と言う
物差し自体があるのは言うまでも無い事ながら、自らもまた多くの血を流させる存在〈罪人〉となり、
その事で自身も深く傷付いてようやく実感した、
「その中身の是非はあるにしても、相手には相手なりの言い分や理由が有るのだ」と言う
客観的な事実に接した経験。

 

そして何より、自分にとって恨み募る存在であり、否定すべき対象である〝アスハ〟だが、
同時にそのアスハ――正確に言えばウズミ本人ではなく、そいつを盲目的に全肯定し、
その思想・施政面〈愚行〉の後継者たらんとしているその娘だが――は、
自分自身が今や認め、相応の敬意を払う存在となったアスラン〈隊長〉が、
互いの立場を微妙なものへと変えた今でも、なお心を残し、大切に思っている存在でもあると言う事もまた、
否定できない一つの現実だった。

 

そう言った要素にも目を開けるくらいに。やはり日に日に成長をしつつあるからこそ、
シン自身もまた、かつてのままの自分ではいられなかったと言う事なのかも知れない。

 

だから、シンはそこで言えたのだ。
明らかに変わりつつある、現在〈いま〉の互いの間だからこそ言える
――逆に言えば、少し前までならば絶対にあり得なかった筈の――事を。

 

「……ありがとうございます、隊長。もう……充分です」
アスランが示してくれた誠意へと、逆に自らの方が軽く頭を下げ返してそう応じるシンに、
アスランの表情にも僅かな驚きの想いが浮かぶ。
「シン……」

 

あなたの、そんな気持ちだけで……もう――
そう言いたげな表情で、シンはアスランへと呟いた。
ここでもまた、彼に対してより開ける様にとなったその心が言わせる想いを、率直に。

 

「隊長、例えもし隊長が言った通りだったのだとしても……俺にはもう、あの時の隊長や、
 フリーダムのパイロット――友達だったんですよね?――を恨んだり、憎んだりする事はできません……」
シンは自分自身でもはっきりと自覚できる、静かな心境〈想い〉のままに応じていた。

 

「だって、そんな俺自身がもう、そうやってこの手で血を流している人間になってるんですから……」
(そんな資格がもし有ったとしたって、俺はもうそんなものはとっくに自分で投げ捨てちゃってますよ……)
口にはしなくとも、その先に続く自嘲混じりの想いはアスランへとはっきりと伝わって来る。

 

「変な話かもしれないけど、俺も自分でそう言う側にと廻ってしまったからこそ、
 判る様になってしまったんですよ……」
大きな過ちを犯してしまったインド洋での会戦の後の事から思い知らされた、
被害者だった筈の自分が、いつしか加害者にもなっていたと言う現実。

 

遅すぎると言うしかないけれど、自分自身がそうなってようやく気が付く――
そうならなければ、決して理解する事が出来なかっただろう事も有るのだ。
戦うと言う道を選ぶとは、そういう事なのだと。

 

単なる無力な、一方的な被害者のままならばあるいは、
誰かをただ責めるだけの立場ではいられるのかも知れない。
けれど彼らはもう、選んでしまった。
圧倒的な理不尽に突然踏みにじられ、大切なものを奪われる痛みを、悲しみを味わわされて。
それに対する怒りと、そしてそんなものに抗おうとせずにはおられないと言う生き方を。
だからこそ……。

 

「今なら俺にも判ります。いえ、判る様な気がします……。
 さっき、デュランダル議長に招かれて皆で話し合わせて貰った事――
 本当に、こんな事をいつまでも繰り返したくないと思うなら、
 ただ何にも考えずに戦ってるだけじゃ駄目なんだって。
 だから、それ以外の方法で俺なんかにも出来る事がもし何か有るんなら……
 俺も、隊長と同じくその為にも精一杯、やってみようと思うんです……」
「シン……」
どこか吹っ切れた様な表情を浮かべて言うシンをまじまじと見つめて、
やがてアスランの方も、そうだなと言う様に頷いた。

 

「隊長、すみません。こんな事を言ってしまって申しわけないですけど……」
あなたの気持ちを知っていながら……。そんな想いの前詫びの言葉を付けて、シンは言う。
「正直、俺は今でも〝アスハ〟の事は許せないし、納得は出来ません……」
「…………」
無理もない事だものなと、黙ってそれを受けるしかないアスランに、
しかしシンは示してみせて来てくれるのだった。
今現在の彼に出来得る、最大限の譲歩〈誠意〉を。

 

「でも、俺は今、隊長の事は本当に信じられるし、尊敬しています。
 〝アスハ〟は、そんな隊長〈あなた〉が今でも変わらずに大切に思っている存在でも有るって言うのも、
 やっぱり事実で……。
 そうだとするなら、もしかすると俺が気付いてもいなかったり、
 まだ見えて無かったりするって言うだけで、〝アスハ〟にもアスハなりの、
 何かしらの真実ってものは、少しは有るのかもしれない……。
 それでも、やっぱり納得は出来ないかもしれないし、どうしても許す事は
 出来ないかもしれないですけど……。少なくとも、俺自身今まで全くそんな事をしようともしてなかった、
 そういう事にも目を向けてみる。その努力くらいは……してみようと思います」

 

そうして、殺したからって殺されて。殺されたからって殺し返して、それで最後は平和になるのかよ!?

 

――アスランから聞かされた、彼の原動力の一つともなっていると言うその問いかけは、
それが憎い〝アスハ〟が口にした言葉であるものなのにも関わらず、その言葉にだけは、
シン自身にとっても否定し得ない共感を覚えさせられる力が有った。
自らが戦う側――殺す側にと転じた今だからこそ判る、判る様にといつしかなってしまっていた
哀しい真実として。

 

「すみません。今の俺にはまだ、これが精一杯です……」
そんなでも、いいですか……? と、言いたげに。すまなさそうな表情で言うシンに、
アスランはふっと微笑み返す。
「充分以上だよ……。ありがとう、シン」

 

(やっぱり、俺達はどこか似た者同士なのかも知れないな……)
そんな内心の想いがにじみ出た微笑に、シンもようやくその表情をゆっくりと微笑へと変える。
そして、互いに背負った心の重荷をまた一つ。前へと向かって下ろす事が出来たと言う実感にと
導かれる様に、軽やかな音を立てて互いのグラスを重ね合う。

 
 

それは、シンにとってはどうしたって複雑な感情を抱き続けたままにはならざるをえない、
アスハ〈過去の象徴〉との向き合い方を自ら変える――一歩を踏み出すきっかけの象徴の様なものだったし、
アスランにとっても、今こうしてザフトのフェイスとして
――結果的には、〝それ以上〟の先へも向かう事にとなったわけだけど――
の道を選ばせた理由の一つたる、カガリが抱き大事にしたいと思っている「理想」を
真に現実のものとする為に、必ず向き合わなければならないシンの様な人々の事を伝える、
その橋渡し役をいつか務める事が自分の使命でもあるのだと言う決意を、
新たにさせられるものでもあった。

 

どこか相手に自分と似ているものを感じるからこそ、共感し〈引かれ〉合うものを感じ、
時には反発し合う事もあった互いの関係を、こうしてまた一つ確かなものとして。
それを通して同時に、自身の内に有る決意をもより強くする二人だった……。

 

――そんな彼らの間に満ちる静かな緊張がふっと失せて、代わりにその前よりもより深みを増した
和やかさが戻って来たのを確かめて。
一つの山とも言うべきものを越えられて。その心地よい余韻をしばし味わっていたアスランとシンの下へと、
待ちかねていた突撃をかけて来る尖兵が現れる。

 

「ちょっとシン! それに隊長も! いつまで二人だけで難しい顔付き合わせてるんですか?」
そう言って割り込んで来たルナマリアの顔は赤らみ、何と言うかもう、
すっかり出来上がっていると言う雰囲気だった。

 

ほぉーら、行こうよぉ~!
と言う感じに、恋人の袖を取ってぐいぐいと引っ張って行こうとしているその先では、
すっかり打ち解けて寛いだ雰囲気で彼らの方へと注目している「仲間たち」の姿があった。

 

「って、ルナ! お前ちょっと飲み過ぎじゃないのか!?」
ルナマリアに半分腰を浮かせかけられているシンの肩にと、
先に立ち上がったアスランの手がぽんと置かれる。
「隊長」

 

振り返ったシンへと、アスランは笑いかけた。
「行こう、シン」
「……ええ!」
シンもそれにと頷き返して、立ち上がる。

 

吹っ切れた表情で、アスランとシンは彼らを待つ仲間達の輪の中へと入って行く。
戦友同士の宴の盛り上がりは、まだまだこれからが本番だった。

 
 

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