推進器から溢れた噴射炎が、ザクレロの背後に長い炎の尾を生み出す。
その莫大な推力は、ザクレロに常識外の加速を与えた。
行く手に立ちふさがるジンのコックピットの中、モニターに映るザクレロは距離を詰めるにつれてモニターに占めるその大きさを急速に増していく。
コックピットに座るミゲル・アイマンとオロール・クーデンブルグには、まるでザクレロがその体を大きく膨らませながら迫ってくるように見えた。
「くっ! 化け物……」
オロールは、迫りくるザクレロに思わず威圧され、恐怖に駆られたかのようにザクレロの進路上から逃げ出す。
しかし、ミゲルは逃げない。
「化け物だと!? まやかしだ!」
声を上げ、ジンにM69バルルス改特火重粒子砲を構えさせると、ザクレロの真正面からビームを浴びせかけた。
ビームはザクレロの右の複眼センサーを焼き切り、一筋の深い傷を刻む。だが、
『ミゲル逃げろ!』
オロールの叫びが、通信機を通してミゲルに届く。
その時になって初めてミゲルは、自分の足が震えて動かないことに気づいた。
眼前には、モニターいっぱいに迫るザクレロ。
ビームを真正面から受けきったザクレロは、今まさにミゲルのジンに突っ込もうとしていた。
悲鳴を上げる間もなくミゲルは、突然の激震に襲われたコックピットの中で全身を激しく揺さぶられ、そして襲いかかってきた猛烈なGに体を叩き潰される。
ミゲルの意識はすぐに途切れた。
しかし、意識を失った体を激震は容赦なく揺らし、コックピット内でミゲルを振り回す。
『ミゲル! 応答しろ、ミゲル!』
オロールの呼びかけに、ミゲルは答えない。
オロールは、ザクレロを追ってジンを飛ばしていた。
ミゲルのジンは、ザクレロの顔面に張り付いたままで、宙を引きずられている。
ミゲルの応答がない事から、ザクレロの衝突はパイロットの意識を失わせるに十分な衝撃をジンに与えたのだろうと、オロールは推測した。
一方でザクレロは、ジンと正面からぶつかった事など無かったかのように、変わらぬ動きを見せていた。
「くぅ……」
ザクレロのコックピットの中、操縦桿を握るマリュー・ラミアスの体にも凄まじいGがかかっている。
まるで酔った様な感覚。そして、灰色に色を失っていく視界。
グレイアウト……正面からかかるGで、脳内の血液が偏る事で起こる現象。気絶する事はないが、判断力の低下を伴う。
マリューはGに耐えながら、ザクレロを戦域中の戦闘艦に向けて飛ばす事だけに集中していた。
ガクガクと揺さぶられる座席でマリューは、何も考えずにモニターを見つめる。
ビームを受けて複眼センサーの一部が死んでいるため、モニターの右半分にはノイズが混ざり込んでいた。
だが、それだけではない。モニターの半ばを何か巨大な影が塞いでいる。
「ぁあ……じゃま……」
マリューは、ミゲルのジンがザクレロに張り付いている事に、今になってようやく気づいた。
即座に、何も考えずにトリガーを引く。
直後、ザクレロの口からはき出された拡散ビームが、直前にあったジンの下半身を消し飛ばした。
下半身を失ったジンは、ザクレロの顔の前からズルリと滑り、ザクレロの背に体をぶつけながら後方に吹き飛ばされたかのように去っていく。
ジンが去り、遮る物がなくなったモニターの中、マリューは敵の姿を正面にとらえた。
ローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフ。
マリューは、Gに耐えながら呟く。
「……ごめんナタル……方向間違えちった……」
「ザクレロ、敵艦へ向かいます」
アークエンジェルの艦橋に、索敵担当のジャッキー・トノムラの報告があがる。
艦長席のナタル・バジルールは、思わず席から身を乗り出して通信士に向けて叫んだ。
「直掩に呼んだ筈だ! 呼び戻せ!」
「はい、呼びかけます! ザクレロ! こちら、アークエンジェル。聞こえますか!?」
通信士は、即座に呼びかけを始めた。
しかし、ザクレロからの返答が返る前に、戦況は推移する。
「艦長! ジンが接近してきます!」
ジャッキーの新たな報告。
艦後方上に位置し、M69バルルス改特火重粒子砲で攻撃を仕掛けてきていたジン。
アークエンジェルが使用したアンチビーム爆雷によりビーム攻撃の効果が薄れた事を悟ったか、距離を詰めてきていた。
アンチビーム爆雷の効果範囲を超えて、艦の至近でビームを撃たれれば、アークエンジェルは多大な被害を受けるだろう。
また、更に接近を許して艦に取り付かれれば、白兵攻撃に何の対抗手段も持たない戦艦はたやすく落とされる。
「ヘルダート、コリントス発射!
イーゲルシュテルン、対空防御!」
ナタルの指示が飛んだ。
艦橋後方の十六連艦対空ミサイル発射管から対空防御ミサイル「ヘルダート」十六発。
艦尾の大型ミサイル発射管の内、後方に向けられた物十二基から、対空防御ミサイル「コリントスM114」十二発が放たれる。
計二十八発のミサイルが猟犬の群れの様に一塊になって宙を駆け、ジンへと向かう。
ジンは、ミサイル迎撃のため重粒子砲を薙ぐように放つ。
ビームはミサイルの群れを切り裂くように走り、直撃および至近でビームの重粒子を浴びたミサイルを次々に誘爆させた。
その爆光の中、生き残ったミサイルが六発飛び出してくるが、四発は目標を見失っており何もない宙へと進路を向けている。残る二発を、ジンは無視して突っ込んだ。
近接信管で爆発し、その爆発に巻き込んで敵を損傷させる対空ミサイル。
非装甲のミサイルならば迎撃するに十分だが、装甲を纏ったMSには効果が薄い。
ジンは重粒子砲を抱え込んで守り、ミサイルの爆発に耐え、ほぼ無傷のままで対空防御ミサイルを突破した。
それに対し、艦上面に六基配置されている75mm対空自動バルカン砲「イーゲルシュテルン」が無数の砲弾を吐き出し、弾幕を張ってジンの接近を阻止する。
実弾に紛れ込ませている曳光弾が宙に光の線を描く。それが無数に集まり、まるで光の線を束ねたかのように見える弾幕。
ジンは弾幕の合間を縫うように飛行し、わずかずつその距離を詰める。
そして、身近に位置する艦右後方のイーゲルシュテルンの砲塔に向け、重粒子砲を放った。
直撃を受けた砲塔が、爆発を起こして無数の破片へと変わる。
一つ、落とされれば死角が増えて回避はさらに容易になる。ジンの動きに余裕が出て、アークエンジェルは更にもう一撃を許す。
「後方上面のイーゲルシュテルン全損! ジンが死角に入りました!」
索敵担当ジャッキーからの報告。直後、アークエンジェルが揺れる。
「左推進機関に被弾!」
艦を揺るがす振動の中で上がる報告の声に、ナタルは奥歯を噛みしめた。
艦後方のジンが、アンチビーム爆雷の効果範囲を、そしてアークエンジェルの対空防御網を抜けてきていたのだ。
これで……チェックメイトをかけられたも同じ。
「被害は!?」
「推進剤の誘爆発生。自動消火中。推力、60%以下に低下」
足を狙われた。これで、逃走を防ぐつもりだろう。そして、とどめを刺す。ナタルはそう判断する。
状況は危機的ではあるが、予想通りとも言えた。ザクレロが帰ってこないという一点を除いて。
「ミストラルはどうか?」
ナタルは、残された戦力を使う決定を下す。通信士は確認の連絡をとってから答えた。
「MAミストラル。出撃準備完了との事です」
「わかった。ミストラルの出撃用意。指示を出す」
ナタルは、ミストラル出撃について素早く指示を出す。ジンの不意をついて攻撃できるように……
格納庫。ノーマルスーツを着込んだコジロー・マードック曹長は、無重力に故に宙に浮く体をMAミストラルのコックピットにしがみつかせていた。
マードックはコックピットの中を覗き込みながら、パイロット席に座るサイ・アーガイルに説明をする。
「良いか坊主。今、対艦ミサイルを積み込んだ。
おそらく、MSに効果があるのはこいつくらいだ」
ノーマルスーツの内蔵無線通信機がサイに言葉を届けた。
ミストラルの基本装備は機関砲のみ。これでは、ジンに対抗し得ない。
なので整備班は、ミストラルの出撃があると聞いてから、急遽、追加装備を取り付けていた。
とはいえ、TS-MA2メビウスの整備部品の在庫から引っ張り出した有線誘導式対艦ミサイル一基を、剥き出しのまま無理矢理取り付けただけなのではあるが。
「狙って撃つもんじゃない。自動的にホーミングして当たる。
敵がモニターの真ん中にいるようにすればいい」
マードックには、自分の説明が嘘であるという自覚があった。
規格外の武器を無理矢理積み込んで、僅かな時間でこれまた無理矢理にセッティングした物だ。
モニター中心辺りに映る目標をホーミングするようにはセッティングしてあるが、正直、ちゃんとホーミングするかどうかも怪しい。
ちゃんと動く確率は、五分とまでは言わないが、六分か七分か……
十五分程度の突貫作業だ。整備班全員で全力を尽くしたが、それでも完全な仕事にはならなかった。
あと一時間あればと思うが、そうも言ってはいられない。
「わかったか?」
「はいっ!」
マードックに、サイは緊張に青ざめた顔で答える。
何か緊張をほぐす言葉がないかと、マードックが頭の中を探ったその時、甲板員が駆け寄ってきてマードックに言った。
「曹長! 出撃命令でました! 離れて!」
「帰って来たら、もっと良いマシンに乗せてやる! 機体を捨てるつもりでぶつけてこい!」
無茶を言うと思ったが、他の言葉も見つからなかったマードックは、とにかくそれだけ言ってコックピットを離れた。
残ったサイはミストラルのコックピットハッチを閉じ、緊張に震える手で操縦桿を握る。
いよいよだと思うと、不意に言葉が口をついて出た。
「最後に、フレイに会いたかったな……」
その言葉の意味に気がついて、サイは首を横に振って、今し方吐いた言葉を振り払う。
「何を言ってるんだ。生きて帰るんだろ、サイ・アーガイル」
モニターの中、格納庫のハッチが開いていくのが見えた。
ジンは、速度を落としたアークエンジェルとの距離を詰めていた。
至近からブリッジを確実に射抜き、一撃で勝負を決めようと。
ジンのコックピット内、モニターに映るアークエンジェルがその大きさを増していく。
抵抗を示す対空火器がまだ砲火を輝かせているが、既に死角に踏み込んでいるジンには当たらない。
頃合いかと、ジンは重粒子砲を構える。
照準がアークエンジェルのブリッジを捉えようとしたその時……アークエンジェルのカタパルトから、一機のMAが出撃するのを視認した。
機種確認。画像データからMAミストラルと判別され、モニターにその名が表示される。
ミストラルは隠密行動のつもりか推進器を使っておらず、機体後方に噴射炎は見えない。
ジンから離れたところで方向転換し、ジンの後背を襲うつもりか?
ジンのパイロットの戦闘経験によれば、ミストラルは脅威になる敵ではない。
放置してもかまわないのだが、敵の出現に対して反射的に振り上げた重粒子砲が既にミストラルを照準に捉えていた。
カタパルトから撃ち出されたままに宙を進むミストラルは、射撃演習の的よりも当てやすい。
ジンのパイロットはこの格好の標的を逃すことなく、引き金を引く。
重粒子砲から放たれたビームが、宙を進むミストラルへと一条の線を描きながら突き進んだ――
ジンの放ったM69バルルス改特火重粒子砲。ビームの直撃を受け、アークエンジェルから射出されたばかりのミストラルが爆炎に変わる。
ザクレロは速度を増しながら、ローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフに突き進む。
「‥‥落ちなさい」
急加速に伴う高Gにより脳内の血液が偏る事で起こる現象‥‥グレイアウト。
その症状で判断力を落とし、視覚への障害で灰色に染まった世界を見るマリュー・ラミアス。
彼女はただ、眼前の敵を攻撃するという単純で希薄な意志しかもっていなかった。
故に何の考えもなく、照準の中にガモフの艦影が入った瞬間に引き金を引く。
ザクレロの口。その両脇に開く左右四連ずつ計八連のミサイル発射口。そこからミサイルが撃ち出される。
八発のミサイルはザクレロから飛び出し、それぞれが加速を行ってガモフを目指す。
だが、そこで本来有り得ない事が起きた。
加速を続けるザクレロが、先行するミサイルに追いつき始めたのだ。
「敵MAおよびミサイル高速接近!」
それを察知したガモフの中、索敵担当の悲鳴のような報告が上がる。
「対空迎撃!」
今までアークエンジェルからのミサイル迎撃にあたっていた450ミリ多目的VLSと58ミリCIWSが、ザクレロへと向けられ、躊躇無く撃たれる。
直後、ガモフからの迎撃ミサイルと対空機銃の弾幕が、ザクレロと共に飛来してきたミサイルの群を絡め取って爆発させた。
ガモフの艦橋の中、迫り来るザクレロとミサイルを捉えていたモニター上が爆発の閃光で埋まった。
迎撃成功‥‥艦橋の兵達の喜びの声が挙がる。
しかし、その喜びは、索敵担当の報告で脆くも打ち砕かれた。
「敵MA健在!」
直後、迎撃ミサイルと自身の放ったミサイル八発の爆発に巻き込まれた筈のザクレロが、消えゆく爆発の残滓の中からその魔獣じみた姿を表す。
艦橋に居た者達の喜びは、瞬時に恐怖へと変わった。
逃げ出す者が居なかったのは奇跡と言っていい。
だが、全ての者が恐怖故にモニターを見つめる以外の行動をとれなかった。
艦長のゼルマンですら、下すべき命令の事を考えることも出来ず、迫り来る恐怖の魔獣にただ目を見開いて見入るばかりでいたのだ。
そして、ザクレロはついにガモフに肉薄。直後、ガモフを下から突き上げるような振動が襲った。
ガモフ艦底部の通路。
無重力の中を壁のガイドに掴まって、泳ぐように移動していたZAFT兵士。
彼の真横、壁を破って巨大な刃が姿を現す。
一瞬の後、彼の身体は前後に断たれ、上下に分かれた身体は中身を零しながら、刃が開けていった壁の穴から宇宙へと吸い出されていく。
刃は、そんな惨状を後に残し、ガモフの中を切り裂きながら突き進んでいく‥‥
「あっちゃあ‥‥」
ザクレロの中、マリューはへらりと笑った。
背後に離れ行くガモフが、モニターの一部を占めて映されている。
ガモフは、艦底部分を切り裂かれてそこから火花や破片を吐き出していたが、未だ沈む様子もなくそこにあった。
「失敗しちゃったぁ」
マリューのグレイアウトに思考力を低下させた脳でもそれくらいの判断は付く。
ガモフが幸運だったのは、ミサイルの爆発にザクレロが無事でも、中のマリューはそうでは無かったという一点だ。
機体全周で起こった爆発にマリューは気を取られ、ガモフに接触するまで何もしなかったのである。
そうなったのはマリューの思考力が低下しているからでもあるが、戦闘慣れしていないからという理由も厳然としてありはした。
ともあれ、ガモフにザクレロを接近させすぎたマリューは、追加のミサイルを放つことも、拡散ビーム砲を放つことも出来ず。
艦底部を擦れ違いざま、とっさにヒートナタを引っかける位しか出来なかった。
打撃は与えたが、撃沈の機会は活かせなかったのだ。
ザクレロは、そのまま高速でガモフから離れていく。ターンして戻ってくるまでは、それなりの時間が必要だった。
「艦底の被害甚大!」
「航行、戦闘に支障有りません!」
魔獣が去って動きを取り戻した艦橋には、今の攻撃の報告がもたらされていた。
それを聞きなが、ゼルマンは苦々しく呟く。
「黄昏の魔弾が、敵を抑えきれないとはな」
出しうる最強の札、エースのミゲル・アイマンで、アークエンジェルを仕留めるまでの間、ザクレロを抑えるのが作戦の肝だったのだ。
それが出来なくなった今、MSの直掩の無いガモフで大型MAザクレロに対抗するのは不可能。
そう分析したゼルマンは声を上げた。
「退避! ヘリオポリスの陰に入れ!」
アークエンジェルに対し、ヘリオポリスの陰に隠れる。その為、ガモフはゆっくりと動き始めた。
もちろん、艦の速度では、再度のザクレロの肉薄の前に完全に隠れ去る事は不可能だろう。
だから、今回は示威行動をとる。
「主砲、ヘリオポリスに向けろ!」
ガモフは主砲をヘリオポリスの無防備な側壁へと向けた。
その動きの意味に気付いたのは、メビウス・ゼロでガモフへの攻撃を続けていたムゥ・ラ・フラガ。
ムゥは、この動きが攻撃終了を意味すると同時に、自分やザクレロからの攻撃も止めさせる為の牽制だと察する。
「ヘリオポリスが人質か! それはちょっと、卑怯なんじゃないの!?」
一応は、アークエンジェルの居る方向に砲は向いているが、実際にはあからさまにヘリオポリスを狙っている。
ここで無理に攻めれば、誤射とでも言ってヘリオポリスに穴を開けるだろう。
いや、実際にするかどうかは微妙ではある。政治的なデメリットが大きいコロニーの破壊などという大事件を起こしたがる者はそうはいない。
だが、コロニーの破壊を匂わせている以上、こちらもガモフの攻撃を誘発するような無理な攻撃は出来ない。
「良いでしょ、そっちがその気なら」
ムゥは舌打ちをしながら、ガモフから離れるコースを取った。その後を追って、ガモフからの対空放火が宙を射抜くが、それに当たるムゥではない。
ガモフへの攻撃を止めさせてはいるが、戦闘は継続中というわけだ。
恐らく、撤退信号の発信は、アークエンジェルに肉薄しているジンの戦果を確認してからになるのだろう。
ならば、メビウス・ゼロとザクレロは、アークエンジェルの直掩に戻るべきだ。
そう判断したその時、ムゥはザクレロが戻ってきているのに気付いた。
ザクレロはガモフを狙うコースを辿っている。
「‥‥あのバカ、何考えてるんだ? こっちよりも、アークエンジェルが先だろうが!」
ムゥは、通信を開いてザクレロのマリュー・ラミアスを怒鳴りつけようとする。
だが、ムゥは通信モニターに映ったマリューを見て、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。
「ラリってんのかよ‥‥」
コックピットの中マリューは、操縦桿を握りしめたまま人形のように微動だにせずそこにある。
アークエンジェルから、直掩に戻るよう通信士が悲鳴の様な声で呼びかけているのも確認できたが、それにも反応を見せていない。
加速による高Gでグレイアウトになっているのだと、ムゥは判断した。新米にはままあることだし、戦闘開始前から危惧していたとおりの展開だ。
「全力で加速するなって言ったろうに‥‥困ったな。このままガモフに突っ込ませるわけにはいかないんだがね」
どうする? ザクレロは放置して、自分だけでもアークエンジェルに戻るべきか?
ムゥは迷った。
天秤に掛けるわけではないが、ヘリオポリスが無傷でも、アークエンジェルが落とされれば自分達の負けなのだ。
だが、逆にヘリオポリスが破壊されても、アークエンジェルが残れば連合軍的には負けではない。
しかし‥‥
迷うムゥ。
その時、ムゥの目の前のモニターに警告表示。
ムゥはアークエンジェルの後方で新たな爆発が起こったのを確認した。
ミストラルを仕留めたジンは、改めてアークエンジェルの艦橋を狙った。
アークエンジェルからの反撃は無い。ジンのパイロットは勝ちを確信する。だが‥‥
ジンのコックピットを襲う激震。一斉に鳴り響くレッドアラート。その時、ジンの下半身を爆炎が貫いていた。
ジンの下方、アークエンジェルの船体下から姿を見せたミストラル。
その機体には、空になったミサイル発射筒が取り付けられていた。
「や‥‥やったぞ」
ミストラルの中、サイは震える声で呟く。
サイのミストラルは格納庫ハッチから直接宇宙に放り出され、ジンから死角となるアークエンジェルの艦底沿いに移動していた。
カタパルトから射出されたのは囮。ジンの注意を、一瞬でも引きつけるための。
ジンが囮に気を取られている間に、サイのミストラルはジンの下方へと位置し、有線誘導式対艦ミサイルを発射できた。
ミサイルは、線を曳きながらその進路を僅かに補正しつつ突き進み、ミストラルのモニター中央に映っていた物‥‥ジンへと突き刺さったのだ。
今やジンは腰から下を失い、破断面から細かな破片と油をまき散らしながら、宙を無力に漂っていた。
それを、ミストラルの中からサイは見ている。
自分の戦果だとは今でも信じられない、あっけない勝利。サイに実感はない。
と‥‥ジンは最後の抵抗を試みた。
上半身だけで、重粒子砲を構えようとする。
その動きは緩慢で、おそらくは放置してもそれを完遂する事は出来なかったろう。
しかし、経験のないサイはそれを読む事は出来ず、まだ戦おうとする敵に戦慄すると同時に、単純な怒りから激高した。
「やらせないぞ! その艦には、フレイが乗っているんだ!」
機関砲を撃ちながら、サイのミストラルはジンに突っ込む。
照準もつけずに撃った機関砲の砲弾は、そのほとんどが何もない宙に消えた。
焦れたサイは、そのままミストラルでジンに肉薄。
ジンの正面に回り込んで、その身でアークエンジェルの盾となってから、マニピュレーターで掴みかかる。
緩慢な動きしか取れなくなっていたジンは抵抗する事もなく、ミストラルに真正面からその両腕を掴まれてしまった。直後‥‥
『‥‥チュラルに! どうしてナチュラルなんかに負ける!? 動け! 動けよぉ!』
接触したことで通信回線が開いたのか、ミストラルのコックピット内に、ジンのパイロットの物と思しき声が響いた。
『畜生、ナチュラルめ! ナチュラルのくせに、俺を殺すのか!? 殺すのかよ畜生!』
サイは、その泣きじゃくるような怨嗟の声に驚いたが、やがてその驚きは怒りへと変わっていった。
「な‥‥何を! こいつ、勝手だ! お前達が攻めてきたんじゃないか!」
ZAFTが攻めてこなければ、戦いにはならなかったはずだし、フレイも戦いに巻き込まれなくて、サイも戦わずにすんで‥‥そしてこいつも死ななくてすんだ。
「お前達が悪いんじゃないか! 殺させておいてさ!」
殺す気はなかった。
ただ、黙らせたかった。
勝手を言う敵への怒りのあまりに。
トリガーは軽かった。
ジンの腕を掴んだ状態で、ミストラルの機関砲が火を噴いた。
至近距離で放たれた砲弾は、ジンの装甲を穿って機体に無数の小孔を刻み込む。
『い、いやだ死にたくな‥‥』
その内の幾つかは、ジンのコックピットハッチの上に刻まれ、あっけなく通信は止んだ。
機関砲弾を全て吐き出して、弾切れの警告音を聞いてサイは気付いた。自分が、機関砲のトリガーを押していた事に。
そうしてから、敵の声が聞こえない事に気付く。
サイは少し惚けてから、敵の声が思ったよりも若かったなと思い返した。
直後、サイはヘルメットの中に胃の中の物を吐き出していた。
どうやら、アークエンジェルにとりついたジンは撃破されたらしい。
そう知ったムゥは、安心してザクレロ対策に乗り出すことにした。
「ちょっとでもずらせば!」
ザクレロは物凄い速度で宙を進んでおり、猶予の時間は短い。
ムゥは、ザクレロの機体右側に照準をあわせた。
対装甲リニアガンに対軟目標用の榴弾を装填。そしてすかさずトリガーを引く。
直後、ザクレロの右正面で起こった爆発が、ザクレロの進路を左にずらすと同時に、爆圧でその速度を減衰させた。
「っ!?」
マリューは、突然に襲いかかった激震に、一瞬だけ気を取られる。直後。
『減速!!』
コックピット内に響くムゥの怒声。
その短い命令にマリューは反応し、何も考えずフットペダルから足を放し、逆噴射で緊急制動までかけていた。
ザクレロが、つんのめるように止まる。
今まで身体の後ろ側に押しつけられていた血が、一気に身体の前面に移動する。
マリューの視界は赤く染まり‥‥レッドアウト状態となった所でザクレロは巡航速度にまで速度を落とした。
「敵艦を攻撃中のジンが撃破されました」
ガモフの艦橋に、ジンの反応が無くなったことが知らされた。
「攻めきれなかったか‥‥」
ゼルマンは悔しげにそう言うと、撤退信号を上げるように命令を出す。そして、
「ジンから脱出は確認されたか?」
ゼルマンは通信士に確認した。
通信士は、即座に首を横に振る。
「‥‥いえ。残念ながら」
脱出に成功したなら出されるであろう、救助要請の信号は出ていない。
つまり、戦死と言う事だ。
「そうか」
また、若いパイロットが死んだ。若くはあったが、歴戦の勇士でもあった。優秀な者ほど、早く死んでいく。
そんな事を苦く思いながら、ゼルマンは残り二人のパイロットの安否を確認する。
「ミゲル・アイマンの隊はどうした?」
「確認します」
ザクレロに突破された以上、撃墜されている可能性も高いのだが‥‥何事も確認しない事には終わらない。
行方不明なら、探さなければならない。だが、幸いにもその手間は省かれた。
「オロール機より返信。敵MAに撃破されたミゲル機の回収に成功とのこと。艦ではなく、近いヘリオポリスに退避する許可を求めています」
「許可を出せ。ヘリオポリスにも連絡をしろ‥‥そういえば、降伏の連絡はまだだったな?」
ゼルマンは許可を出した後、ヘリオポリスがまだ無防備都市宣言を出していない‥‥つまりまだ降伏をしていない事に気付いた。
約束では、とっくの昔に降伏していなければならないはずだ。
「まさか、この期に及んで抵抗はしないだろうが‥‥何故、降伏が遅れている?」
ゼルマンは訝しげに首を傾げたが、今はそれを追求している場合ではないと思い直す。
今はまず、戦場を離れて安全な場所まで移動しなければならない。
「敵艦の動きに注意しながら後退。ヴェサリウスと合流する」
ガモフが発した発光信号を、アークエンジェルの艦橋でも捉えていた。
「ZAFT艦からの撤退信号を確認」
通信士の報告に、艦長のナタル・バジルールは密かに安堵の息を吐いた。
戦闘はこれで終了だ。アークエンジェルは今、転進して攻撃できる状況ではない。
「敵艦を警戒しつつ全速離脱。各MAには帰還するように伝えろ」
ナタルが命じたその少し後、通信士はナタルに報告を返した。
「ミストラル、応答有りません。ザクレロからは『目が見えない』と。メビウス・ゼロより、ザクレロを曳航して帰還すると連絡がありました」
「何かあったのか?」
確認するナタル。返った報告は、前途の思いやられるものばかりだった。
「マリュー大尉は、高Gによるレッドアウトです。ミストラルの方は‥‥新兵特有の奴です。その‥‥吐いてます」
「ミストラルは、作業班にミストラルを出させ、牽引して回収させろ」
頼みの綱のMAパイロットは、内二人が新人と言う事になる。
これからを考えると不安ではあるが、とりあえずはそんな戦力でも生き残れた事に感謝をすべきだろう。
ナタルは不安に押し潰されそうになるのをこらえる為、無理にでもポジティブに考えてみた。
‥‥あまり効果はなく、深い溜め息が出る。
それでもナタルは、何とか気を取り直して、まだ終わらない作業に意識を向けた。
「艦内の被害状況確認急げ。航行しながら、補修作業を行うよう艦内作業員に伝えろ。艦橋要員は気を抜くな、敵の追撃や待ち伏せがあり得る。最大の注意をしろ」
まだ、一度の襲撃を凌いだだけである。
何も終わったとは言えない状況にあるのだ。
「目の前が赤いわぁ‥‥」
マリューは、ザクレロのコックピットの中、自分の目の前に手をかざして呆れたように言った。
視界は赤く染まっており、全てが赤く見える。
『Gの影響で、目に血が溜まったんだ。戦闘中になったら死ぬぞ』
通信機から、ムゥの声が入る。怒らせたのだろう、声が非常に険悪だ。
『艦に帰ったら、Gを発生させない戦闘法を叩き込んでやるからな』
マリューは、モニターに映るメビウス・ゼロを見て溜め息をついた。
今、ザクレロは、メビウス・ゼロに牽引ワイヤで曳かれて、アークエンジェルの格納庫へと入ろうとしている。
「迷惑かけちゃったわね」
ムゥに助けてもらったのだと実感し、感謝の言葉でも言っておこうかと思ったマリューだったが、その前にムゥから言葉が返された。
『全くだ。こんな邪魔くさい物を引きずるハメになるとはよ。でかくて黄色くて丸くて、カボチャの馬車かよってんだ』
「‥‥じゃあ、あんたネズミの馬? 貧相なメビウスにはお似合いかも」
その後は二人ともに沈黙。ただ二人の間に、どうしようもない険悪な空気が漂っていた。
そうこうしている間に、二機のMAはアークエンジェルの格納庫に入る。
入ってすぐに見えたのは、上半身だけのジンとそれにしがみついたミストラル。
ミストラルに整備兵達がとりついて、コックピットの仲からパイロットスーツを引きずり出していた。
「何かあったの?」
マリューは、返事を期待してではなく、なんとなくムゥに聞いてみる。
『あー‥‥何だろうな』
ムゥもそれに気付いていたのだろう。確認しているのか、少しの間、声が途切れた。
『わかった、お前と同じだ。お前は下から漏らしたけど、奴は上から出した』
「あんた死になさいよ!」
すかさず怒鳴るマリュー。だが、それを読まれていたらしく、一瞬早く通信回線は閉じられていた。
怒りを奥歯で噛み殺し、マリューは座席に身を沈める。ちょうどそのタイミングで感じる振動。
今、ザクレロはアークエンジェルの格納庫に着底した。
ここにヘリオポリス脱出戦終了。
アークエンジェルはヘリオポリス近域を脱して、地球方面に向かって逃走を開始した。
「‥‥逃げていくなー」
去っていくアークエンジェルの推進器の火を見送り、ZAFTのMSパイロット、オロール・クーデンブルグは暢気にそんな事を言った。
彼の乗るジンは、ザクレロに弾き飛ばされたミゲル・アイマンのジンを抱え込んでいる。
そのジンのコックピットから引きずり出したミゲルは、意識は無いが命に関わる怪我はなかった。
確認の後、ミゲルはオロールのコックピットの隅に押し込めている。
「さ、帰ろうぜ」
オロールは同室のミゲルに言って、お荷物のミゲルのジンを引っ張って移動を始める。
とりあえず、近場と言えるヘリオポリスへ。とは言え、それなりの距離があるので時間はかかった。
しばらくかかって、港口にオロールは辿り着く。
この時、オロールは全く油断していた。連合軍が居なくなった今、危険はない物と思っていたのだ。
港口に踏み込んだジンを、港奥から撃ち放たれたミサイルの群が襲った。
「なぁ!?」
とっさにオロールは、ミゲルのジンをミサイルの方に放り出した。同時に、自機は港口の外へと飛び出すべく動く。
ミサイルはミゲルのジンに突き刺さり、港口で巨大な爆発を生み出す。その爆発を逃れて港口の外に出たオロールは、思わず口に出して愚痴る。
「話が違うぞ‥‥ヘリオポリスは降伏するんじゃなかったのか?」