機動戦士ザクレロSEED_第10話

Last-modified: 2008-02-08 (金) 20:10:57

 ラウ・ル・クルーゼは、狭い空間に閉じこめられていた。
 そこは、非常灯を残して明かりの消えたコックピットの中。
 MSシグーは全機能を停止しており、残されたエネルギーは全て生命維持に回されていた。とは言え、そのエネルギーすら尽きて久しい。無敵の巨人であるMSも、こうなっては棺桶と何ら変わりなかった。
 ノーマルスーツが供給する酸素は既につきており、クルーゼは息苦しさからヘルメットと仮面を脱ぎ捨てている。出撃時に、わずかにコックピット内に残った空気が最後の綱……しかし、それも最早、失われようとしていた。
「死なない……私が死ねば……私の存在は何だったというのだ……」
 失われていく意識をつなぎ止めていたのは、クルーゼの中にある憎悪。クルーゼの人生で最も大きい部分を占めてきた憎悪。その為に全てをなげうってさえ来た。その憎悪を、残り火の様に燃やして生命と意思を繋ぐ。
 しかし、それとて燃え尽きて、命と共に消えようとしていた。
「嫌だ! 死なないぞ! まだ何も成していない……何も成さず、ゴミの様に、ここで死んでいくなど……」
 最後の力を振り絞った叫びも、最後には掠れる様に消えていく。
 荒ぐ息でクルーゼは、闇の中を見据えた。わずかに灯る非常灯が、クルーゼの素顔を、灯の落ちたモニターへ鏡の様に映し込ませている。
 その素顔は、憎悪の根本にいる男の顔に重なった。モニターに映るあの男は、死んでいくクルーゼを嘲笑う。失敗作が無為に朽ちていく事を笑う。
「……ゃめろぉ! ……笑うなぁ……」
 クルーゼは思わず、モニターの上を掻きむしった。嘲笑う男の幻影は消えはしない。
「消えろ……消えろぉ……」
 酸欠に喉を鳴らしてあえぎながら、クルーゼは泣きむせぶ。そこに、ZAFT英雄、世界の破滅を望む陰謀者の姿はない。狂気に陥った、死にゆく男がいるだけだ。
 クルーゼは、モニターを掻いても叩いても男が消えない事を悟ると、せめて見ないようにと顔を手で覆った。
 と……モニターに映る男の顔が消える。手で隠した為、映っていた顔が消えただけだが、クルーゼには別の意味を持って理解出来た。
「これだ……これがあるから」
 クルーゼは、顔を掻きむしった。モニターに映るあの男の顔に、傷が刻まれる。あの男の顔が消える。
 肉を掴み、皮膚に爪を突き立て、肉を引き裂き、皮を剥ぎ取り、クルーゼは自分の顔を引き裂き続けた。コックピット内に、血の飛沫が玉になって舞う。
「くぁ……はは……はははははははははははっ」
 顔を鮮血で赤く塗らして、クルーゼは笑い始める。
 心を壊し、顔を失った男は、酸欠に息を切らせながら、意識を失うその時まで笑い続ける。

 

 

 プラント船籍の民間船シルバーウィンドは、暗礁宙域に眠るユニウスセブンでの追悼式典に参加する要人を移送中、微弱な救難信号を受信した。
 シルバーウィンドは、ただちに船を止め、周辺の探索を開始する。
「ラクス様。申し訳ありません。遭難者の救助の為、若干のお時間をいただきます」
 宇宙船の中にしては広く、豪華な調度に飾られたVIP用の船室に、船長が直接やってきて詫びた。
 部屋に一人いた、プラントの歌姫にして議長シーゲル・クラインの娘、ラクス・クラインは穏やかに微笑んで答えた。
「わかりました……一刻も早く、その人を助けてあげてください。式典まではまだ時間がありますから、私の事は気にしなくても大丈夫ですよ?」
「はい、わかりました。かえってお気遣い頂き、ありがとうございます。では、失礼させて頂きます」
 一礼して退室した船長を見送り、ラクスは足下を転がっていたピンクのボールの様な物を拾い上げた。
「ピンクちゃん。遭難した方が見つかったようですよ? ご無事だとよろしいのですが」
「ハロ! ソーナンダ!?」
 ピンク色のボール……ハロ。ロボットであるそれは、相手に合わせて非常に適切な返答をする会話機能を備えている。
 人間を感知してその側に付き従ったり、鍵を開けてしまったりと、無駄に高性能。
 ラクスにとっては、大切な友人であった。
「そうなんですの、遭難です……ピンクちゃんも心配なんですのね」
 ラクスは、ハロを抱きしめながら遭難者の無事を願う。

 
 

 シルバーウィンドは、慣性で飛行中のシグーを発見、即座に搭載していた作業用MAを使って救助活動を行った。
 まず作業用MAが、シグーの飛行予定コース上に捕獲ネットを設置。シグーが突っ込んだところを、作業用MAとシルバーウィンドがネットを引いて停止させる。
 その後、シグーはシルバーウィンドの貨物スペースに収容された。
 足の無いシグーが床に寝かされ、船の整備員がコックピットの開放作業に当たる。定められた緊急解放の手順を踏んで作業をすると、コックピットは大きくその口を開いた。
 コックピットからは澱んだ空気が溢れだし、その臭気が人々を遠ざける。
 すぐさま、コックピットに換気用のチューブが差し込まれた。送風機からチューブを通して送り込まれる風が中の空気を追い出し、まともな空気と入れ替える。
 その作業はすぐに終わり、それからこの船の船医がコックピットの中に飛び込んでいった。
 そして船医は、コックピットの中に一人の男を発見する。
 薄く開かれた目は虚ろで何も見てはいない。半開きになった口からは糸を引いて涎が垂れ落ちていた。
 船医を驚かせたのはその男の顔。顔はボロボロで、原形をとどめていない。顔は自分で傷つけたのだろう……手が、血や皮膚や肉片で汚れている。
 船医は、男のノーマルスーツの首の部分を開き、血管を探った。脈有り。
「……生きてるぞ! だが、酸素欠乏症と二酸化炭素中毒の可能性が高い、すぐに医務室へ運んでくれ!」
 船医がそう言いながらコックピットを出る。入れ替わりに、何人かの整備員がコックピットに入り、中から男を引っ張り出す作業を始めた。
 その作業を見守る船医に、状況をうかがっていた船長が聞く。
「助かりそうかね?」
 船医は、正直に答えた。
「……命だけは。ですが、酸素欠乏症は脳がやられます。回復は難しいでしょう」

 

 

 ヘリオポリスを脱出したアークエンジェルは、地球方面を目指して飛行していた。
 戦闘終了後の今は、整備兵達が最も忙しい時間となる。損傷を受けた艦の各箇所を、移動中に出来る範囲で修理していた。また、出撃したMAも急ぎ修理が行われている。
 人手が足りないので、整備以外の部署……陸戦隊や事務員までが手伝いにかり出された。重要度の低いところは民間委託と称して避難民の技術者の手まで借りている始末だ。
 一方、MAパイロット達はそんな状況とは無縁だった。敵の追撃がない事が確認されると待機命令を解かれ、各自休養をとるように命令されている。次の襲撃の時に、万全の体調で出撃する為に。
 マリュー・ラミアスは休養をとる前に、栄養ドリンクのボトルを片手に艦橋へと立ち寄る。
「バジルール艦長、月と連絡は付いたぁ?」
 艦橋に入ってすぐ、マリューは艦長席のナタル・バジルールに質問を投げた。
 ナタルは、オペレーター席で何やらマニュアルを片手に苦労している通信士を見てから、マリューに振り返って首を横に振る。
「まだです」
「へー」
 マリューはいい加減な返事をすると、オペレーター席まで行って、後ろから覗き込んだ。
「どうしたのぉ? 通信士なんでしょ?」
 聞きながらマリューは、ドリンクのボトルから伸びるストローをくわえ、中身を喉に流し込んだ。疲労した身体に、冷たいドリンクが行き渡っていくようで、ほっと息をつく。
 そんなマリューに、通信士は相手をしたくもないとでも言いたげな様子で、マニュアルをにらみながら苛立たしげに答える。
「自分は、陸戦隊の通信兵です。艦の通信機は専門外だし、こんな超長距離通信なんて!」
 本来、背中に通信機を背負って戦場を走り回るのが役目の通信兵が困った様子で振り返り、ナタルを睨む様に見据えた。
 こういう、欠けてしまった人員を補うための本来は有り得ない人員配置は、アークエンジェルの各所で行われている。
「出来なくてもやってもらわないと困る。艦の生死がかかってるんだ。続けてくれ」
「そうよぉ、愚痴をいわなぁい! 私だってパイロットじゃないのにパイロットやってるし、バジルール艦長だって艦長じゃないのに立派に艦長してるのよ?」
 冷徹に言って聞かせるナタルと、通信士の肩を揉んでやりながら笑い飛ばす様に言うマリュー。二人に言われて、通信士はとりあえず愚痴を言う事は止めた。
「了解です。奮闘努力します」
 言って、またマニュアル片手の作業に戻る通信士。それを見てから、マリューはナタルの側へと戻り、改めて別の話題を持ち出す。
「ねぇ、聞いたんだけど……サイ・アーガイルはどうするの?」
「ああ……彼は元々民間人だったそうですね」
 ナタルは、マリューの問いに心当たりがあった。
 ヘリオポリス脱出戦でMAミストラルに乗って出撃したサイ・アーガイル。
 てっきりMAパイロットだと思いこんでいたが、戦闘終了後に入隊願書がナタルの手元に届いた事で、彼がただの民間人だった事が判明した。
 しかし、だからどうしたと言うわけでもない。
「MAパイロットは続けてもらいます。貴重な実戦経験者ですから」
 書類には、所属をMA部隊として、立場をMAパイロットと記載して受理している。
 サイは、名実共にパイロットになったのだ。
「本気? 子供でしかも初心者なのよ?」
 マリューは少し嫌悪を感じた様子で、眉をひそめながらナタルに聞く。
 ナタルは、マリューがそういった情を大事にするばかりか、時に仕事にまで持ち込む事を知っていたので、その反応は見越していた。
「わかってます。ですが、戦力になるなら何でも使わないと艦が落ちます。そうなれば、MAに乗っていなくても彼も死ぬ事になります。この艦に乗っている以上、仮に事務方に回したとしても危険の度合いに大差ありません」
「……それはぁ……そうだけど」
 マリューも、ナタルの言い分を聞いて理解はする。納得がいかないだけで。
 まあ、マリューが納得いって無くとも、艦長のナタルと、MA隊の実質的隊長であるムゥ・ラ・フラガが納得していれば何一つ問題は無いのだが。
 まだ若干、不服そうなマリューにナタルは、サイをパイロットにする結論を下した最大の理由を話した。
「それに、本人の意思でもあるんです」
「本人が? まあ、MAパイロットは花形だから、あこがれるのはわかるけど……」
「いえ、そうではなく」
 子供のあこがれを素直に聞いてやるのかと非難がましく言おうとしたマリューを、ナタルは手を挙げて制止した。
「婚約者が避難民として、この艦に乗って居るそうで。彼女を守りたいとの強い要望があったんです」

 

 

「馬鹿!」
 少女の涙声混じりの声と、頬を叩く音が、パイロットにあてがわれた部屋の中に響いた。
 サイ・アーガイルは、ベッドに腰掛けたまま俯いている。少女……フレイ・アルスターは、先ほどからずっとサイを叱り続けていた。
「どうしてよ! どうして軍になんて……それに、MAで出撃しただなんて!」
 戦闘終了後、サイとフレイは面会を許され、そして事の顛末をフレイは聞く事となり……現在に至る。
 安全なヘリオポリスで自分を待ってくれていると信じ、だからこそ安心していたフレイにとって、サイの行動は裏切りだった。どうして、わざわざ危険な事をするのかと。
「だから、僕はフレイを守りたかったんだ。どんなに危険だったとしても」
 サイは俯き、異様に静かな声で答える。それは、少年の理屈。
「そんな事して欲しくなかった! サイが危ない事をするくらいなら、私は守って欲しくなんか無い!」
 フレイは涙をこぼしながら叫ぶ。それは、少女の激情。
 平行線を辿り、決して交わらない。互いを大事に思う故に、妥協する事も出来ない。
「どうするの!? 死んじゃうかもしれないのに!」
 フレイは叫ぶ。サイの翻意を願って。しかし……
「……もう大丈夫だよ」
 サイは震える声でフレイに言った。そして、訥々と話していた言葉は、次第に激しくなっていく。
「もう、敵を一人殺した。あっけなかったさ! さっきまで勝手な事言ってたのに、気付いたらもう死んでた! 僕は、敵を殺せる! 大丈夫だ!」
「サイ……」
 俯いたまま床に向かって怒鳴るサイ。フレイは戸惑いながらサイの名を呟く。まるで、目の前にいるのが、見知らぬ誰かの様に思えて。
 その名を呼ぶ時にこもった疑問の響きに反応し、サイは顔を上げて立ち上がると、フレイの間近まで歩み寄って浴びせかける様に言葉を並べだした。
「疑うのかい? そうかもね。ああそうだ! 僕が殺したジンが格納庫にあるから、見に行ってくると良いよ。コックピットの中に、あいつのミンチが詰まってる! あいつ、砲弾でグチャグチャになったって整備の人が……」
「サイ!」
 サイの頬が、再び高く音を立てて叩かれる。
 その一撃で、サイは冷静さを取り戻した。目の前にいるのは、怯えて、涙を流して……それでもサイを心配するフレイ。
「やめてよ……そんなの、サイらしくない」
 フレイの声は、恐怖に震えていた。
 サイは、フレイの前で晒してしまった自らの狂態を自覚する。そして、暗澹たる思いに打ち拉がれながら、再びベッドの上に腰を下ろした。
「僕は……何をやっているんだ」
 錯乱していたのだろう。
 敵とはいえ、人を殺したという現実が怖くて仕方なかったのだ。自分は人殺し。この事実が怖い。わき上がる罪の意識に、押し潰されそうになる。
 それは、慣れれば消えてしまう、感傷に過ぎないのかもしれない。しかし、敵を殺す事に躊躇しない兵士となるには、時間と経験が必要なのが事実だった。
 サイは、この人を殺したという重圧も、いつかは慣れて感じなくなるのだろうと考え……それはそれで、人としての大事な物が壊れている様な気がして、嫌悪の思いが湧く。
 それでも、サイは決めていた。
「フレイは僕が守るから。絶対に地球まで届けるよ」
 決意は曲がらない。例えこの事でフレイに嫌われてもかまわないと、サイは自信を持って言えた。フレイさえ生きていて、幸せになれるのなら、自分はどうなろうとかまわないと。
 フレイは、そんなサイを理解できなかった。
 もし仮に、戦争で自分が死ぬ事になっても、サイには安全なところで生き延びていて欲しかった。決して、危険な戦いになど出て欲しくはなかった。
「サイの馬鹿……馬鹿……」
 フレイは、言いながらベッドに座るサイに歩み寄り、その身体を抱きしめようとする。少しでもサイの存在を感じたかったのと、抱きしめて何処にも行かない事を確認したかったから。
 だが、サイは手を突き出す様にしてそれを拒んだ。
「フレイ。少し、一人にしておいて欲しい。今の僕は……君に触れる資格なんて無いんだ」

 

 

『こちらプトレマイオス基地通信管制。所属不明艦アークエンジェル、どうぞ』
「通信、つながりました」
 アークエンジェル艦橋、先ほどから超長距離通信を試みて苦労していた通信士が、安堵の混じった声でナタルに報告してきた。
 なお、所属不明艦と呼ばれたのは、アークエンジェルが秘匿されて開発されていた為、未だに連合軍に登録されていない事情による。とはいえ、民間船どころか、ZAFT艦からでも通信は出来るわけで、未登録である事はさほど障害にはならない。
「用意しておいた通信データを送ります」
 通信士は、事前に用意してあった、報告書、戦闘記録、救援要請などを一纏めにした物を送りつける。緊急かつ特秘指定。
『通信データを受け取りました』
 通信管制からの返答。送ったデータはこの後、幾つかの厳重なチェックを受けた後、正式な報告として扱われる事だろう。
「やっぱり、第8艦隊のハルバートン准将個人宛にした方が良かったんじゃない?」
 マリューが、今更ながらにナタルに聞いた。
 この報告がハルバートンにとって不利な事を知っているからこその配慮である。
 ナタルもその辺りは考えてはいたが、理由があって連合軍宛としていた。
「ですが、ザクレロは第8艦隊所属ではありません。他の部隊の兵器を勝手に使った上に、その事実を隠匿していたと疑われては、大問題になります」
 これが一つの理由。もう一つの理由は、保身の為。
 それは、さすがにクルーに教えるわけに行かないので、ナタルは黙っていた。
 すなわち……ハルバートンに情報を握りつぶされた場合、アークエンジェルは孤立無援となると言う事である。
 ハルバートンは、そのような事をする人間ではない。とは言え、MS全機が強奪されたという事件は、彼を持ってしても御しがたいほどに大きいだろう。
 ナタルの危惧は、それほど外れていなかった事が後で明らかとなる。
 一方、そんなナタルの深慮など知らずにマリューは。
「そっか~、ザクレロのせいじゃ仕方ないわよね。ハルバートン准将閣下も、ザクレロの為ならきっとわかってくれるわん」
 マリューは何故か親バカ全開で幸せそうだった。

 

 

「馬鹿な……一機残らずか!?」
 アークエンジェルよりもたらされた、連合製MSが全機奪取されたとの報告は、ハルバートン准将を凍り付かせた。プトレマイオス基地、第8艦隊司令部の奥。執務室の机についたまま、ハルバートンは氷水を浴びたかの様に身体を震わせる。
 その姿を見て僅かばかり気の毒に思いながら、連絡を持ってきた部下は、送られてきたデータの全てを執務机の上に置いた。
「報告では全機です。また、同時に届けられた戦闘記録に、ZAFTのMSと行動を共にする連合製MSの姿がありました。今のところ、報告を否定する材料はありません」
 幾枚かプリントアウトされた写真の中、一枚を資料の一番上に置く。そこには、ZAFTのジンと共に飛行する連合製MS5機の姿があった。ザクレロのカメラで捉えられたものだ。
 その写真をみて、ハルバートンは絶望に呻いた。
「これでは……MSを失っては、連合は負ける」
「……しかし、戦闘記録によりますと、新型MAはかなりの高性能を発揮したそうですが? アークエンジェルの脱出にも、大きな貢献を……」
「時代はMSに移ったのだ! 時代遅れのMAでは、この戦争には勝てない!」
 MAの話を持ち出した部下の言葉を遮り、ハルバートンは声を荒げた。
 連合がMSで武装する事が勝利の鍵となると信じていたハルバートンにとって、MSが失われた事は敗戦の予兆と捉えられたのである。それはハルバートンにとって確信であり、別の見方をすれば妄執と言えただろう。
「……新型MAの戦闘記録がありますが、御覧にはなりませんか?」
「軍産複合体ロゴスの御用聞き共が持ち込んだ、ガラクタに興味はないよ」
 部下に勧められたが、ハルバートンは戦闘記録を見ようともしなかった。
 そんなハルバートンを見て、部下は心中で「思い込みの激しい男だ」と、密かに見下す。
 英雄を欲した軍の広報には知将ハルバートンと呼ばれてはいるが、実際の評価はさほど高くない。特に、ハルバートンと対立する派閥の中では。
 戦術戦略ともに見る所無し。いや、昔は確かに知将だったのだが。
 酷くなったのはMSとの戦いを経験してからだ。MSを無敵の万能兵器と思い込んでいる節があり、MSを敵にすると攻撃が及び腰となる弱点が出来てしまっている。
 また、麾下の艦隊を私物と考える傾向が有った。思い込みの激しさと合わされば、艦隊特攻などでも喜んでしかねない。ハルバートンが死ぬ時は、艦隊全部を道連れにする事だろう。
 何にせよハルバートンは想定通りの男と言える。このままなら、想定を大きく外れた結果にはならないだろう。そんな事を考えている部下の前で、ハルバートンは結論を下した。
「ZAFTから、MSを取り返すしかない」
 もう、新しくMSの開発は出来ない。
 連合軍では、ハルバートン主導のMS開発と、ブルーコスモス派閥主導の新型MA開発の二つの方向から、次世代兵器の開発を行っていた。ここでハルバートンのMSが無くなれば、ブルーコスモスの新型MAが次世代兵器と決まるだろう。MSの開発は停止させられる。
 MSを復権させるには、奪われたMSを奪還して、当初の予定通り新型MAとの評価試験に持ち込むしかない。評価試験まで行けば、連合の技術の粋を集めたMSが、新型とはいえMAに負けるはずがない。少なくとも、ハルバートンはそう思っていた。
「第8艦隊に出撃命令だ。ヘリオポリスへ向かうぞ! ここで取り返さねば、連合の勝利は無くなる! MSをプラントに持ち帰られては手が出せなくなる。状況は一刻を争う!」
「……了解。直ちに、第8艦隊全部隊に出撃命令を通達します」
 部下は一礼して下がった。そして、ハルバートンの執務室を後にする。
 各艦に出撃準備をさせ、艦長や参謀を集めてハルバートンとの作戦会議を設定し……と、やる事はたくさんある。しかしその前に、部下は途中の通信端末に寄った。
 幾つかの特殊な操作をしてから、つながった通信の向こうに囁く。
「第8監視員。シナリオA-3。状況想定内」

 

 

 部屋の壁一面を占めるモニターに、ローラシア級モビルスーツ搭載艦に肉薄して、その手につけられたヒートナタで艦底を切り裂くザクレロの姿が映される。
 その映像を見た、部屋の中の連合兵士達は歓喜にどよめいた。
 部屋は会議室で、大型モニターの前に椅子が隙間無く並べられている。そこに座るのは、普通の兵士はむしろ少なく、技術者や科学者、MAパイロット、士官などが多い。
 彼らは、アークエンジェルがもたらした戦闘記録を何度も見返していた。
「我々の作ったザクレロの初陣の姿だ。感動するな」
 技術者らしき男が、喜色満面で言う。
「ザクレロは凄いが、パイロットがな……俺なら百倍は上手く動かせる」
「機体に振り回されてるよな、これ」
 MAパイロット達が、ザクレロの動きを批評しだす。
 ここに集まっていたのは、新型MAの開発に携わっている者達だった。
 やがて、戦闘記録をだいたい見終わった頃、映像に見入る者よりも、そこかしこで始まった議論に花を咲かせる者が増えてくる。
 と……そこへ、一人の士官が駆け込んできて、映像を切った。
「ここまでだ。さっさと退出して仕事へ戻れ! 続きを見たい者は各自申告しろ! それから士官は残れ。今後の対応を協議する!」
 声を上げる士官の顔には、口元以外を隠す仮面が付けられている。どうも、この部隊にとって、それが習わしであるらしい。
 彼は、士官以外の全員が退出するのを確認すると、改めてその口を開いた。
「アークエンジェルからの連絡以降、幾つかの状況を想定してきたが、最も可能性が高い状況となる事が確実となった。ハルバートンは第8艦隊の出撃を選んだ」
 その言葉に、士官達は薄く嘲笑を浮かべて目配せしあう。
 想定された状況では今後、ハルバートンと第8艦隊は酷い目に遭う事だろう。こちらから手を出すわけではない。ハルバートンの自滅の様なものだ。
「第8艦隊はやり遂げますでしょうか?」
 手を挙げて聞いた士官に、仮面の男はどうでも良い事のように答える。
「可能性は極めて低い。我々ならやり遂げただろう。何年か前のハルバートンでも出来たかもだ。だが、今の奴はMS教でも開いて祈祷のダンスでもしてた方がましな男だ」
 その答えに、士官達は笑った。その笑いが静まってから、仮面の男は話を続ける。
「さて、我々の次の行動は、第8艦隊が忘れていった連中を回収する事だ。死にに行く艦隊に、新造艦と新型MAは不要だろうからな。では、今後の行動と作業分担について話し合おう」
 話が本題に入ったと悟って、士官達は姿勢を正す。
 とるべき行動は、多くが事務手続きについて。そして一部部隊の出撃を含んでいた。

 

 

 先の通信より一日経ったアークエンジェル。
 その艦橋で、ナタルは苛立ちを抑え込もうと努力していた。
 緊急で救援要請をしたにも関わらず、プトレマイオス基地からは何の音沙汰もないのである。
 通信士の報告は、ここしばらく何も変わらない。
「連絡は無し。こちらから連絡しましたが、指示無しです」
「同じ事しか言わないのね」
 訓練前に艦橋に寄ったマリューが、少し残念そうに言う。
 アークエンジェルは、状況的には“すっかり忘れ去られた”状態にあった。
 まず元より関係がなかった他の艦隊は関わる必要は無い。
 関係がある第8艦隊は出撃準備に忙しかった為、アークエンジェルは二の次としていた。
 第8艦隊も職務怠慢でいるわけではないので、出撃が終わり次第、留守を守る事務方から、アークエンジェルにも何らかの指示が出されただろう。
 だが、その前に、ある事情によって第8艦隊はアークエンジェルの管轄から離れていた。
 それは、突然鳴り響いた通信により明らかとなる。
『こちら、連合軍第81独立機動群。アークエンジェル、聞こえるか?』
「は……はい! こちらアークエンジェル、どうぞ!」
 いきなり艦橋に鳴り響いた声に、通信士が慌てて返答をする。それを半ば無視するように、通信は続いた。
『まずは脱出おめでとう。以降、アークエンジェルへの指示は、第81独立機動群が担当する』

 

 

 アークエンジェル艦橋。
 通信相手を映す大型モニターには、黒地を赤い線で彩った仮面で口元以外を隠した男が映っている。黒っぽく色が変えられているが連合の制服を着てるからには連合兵なのだろう。
 彼は、連合軍第81独立機動群を名乗っていた。
「第81独立機動群?」
 通信を聞いたナタルは、眉を寄せて首をかしげる。あまり聞かない名前だ。
 連合軍の派閥について通じていれば、それがブルーコスモス派閥の私設部隊に等しい存在だと知っていたのだろうが、そうでないならばその部隊は目立たない一部署に過ぎなかった。
 しかし、マリューはその名を知っていた。
「新型MAの開発と実用試験をしてる部隊よ。ヘリオポリスに、あのザクレロを持ってきたのもこの部隊」
 ザクレロの受領の時に聞いた部隊の名。それ以上の知識はない。
「それがどうして、この艦に……」
「多分だけど・・・・アークエンジェルそのものよりも、ザクレロの方が重要性が大きいって見なされたんじゃないかしら? だから、ザクレロを十分に支援できる部隊が出てきた」
 疑問を口にするナタルに、推測に過ぎないがマリューが答える。
 ただ、その推測は外れてはいなかった。
 強襲機動特装艦アークエンジェルは新造艦ではあるが、その真価はMSを搭載して運用する事にあったと言っても過言ではない。だが、その価値はMSが強奪された事で失われている。
 今では、極めて強力な砲を積んでいるものの、ただの戦艦でしかない。
 一方、ザクレロの方の価値は失われていないばかりか重要度を増している。何せ、実戦運用されているわけで、得られるデータは後続の新型MAの運用や開発に役立つだろう。
 しかし、そのデータは、新型MAを開発している者の手に渡らない事には意味がない。
「なるほど有り得ますね・・・・ともかく直接聞いてみます。通信をこちらに回して」
 ナタルは通信士に命ずると、艦長席のコンソールを操作して通信を行う手筈を整えた。そして、姿勢を正して毅然とした態度で通信に臨む。
「初めまして。艦長を代行しておりますナタル・バジルール少尉です」
『ああ、申し遅れたな。第81独立機動群ネオ・ロアノーク大佐だ。もっとも、あまり階級は気にしなくて良いがね。階級に似合わず、前線巡りばかりさせられている哀れな男だ』
 ネオ・ロアノークは、通信の向こうで苦笑して見せた。
 なお、このネオ・ロアノークという名は、第81独立機動群が彼に与えた偽名である。
 名前も顔もない人間。それが、ネオ・ロアノーク。
 もっとも、そんな事はアークエンジェルのクルーの知る由もない事であり、ネオ・ロアノークだと自己紹介されればそれを素直に受け取る以外にない。
 ナタルは、ネオに聞いた。
「ロアノーク大佐。許されますなら、詳しく事情を聞かせてもらいたいのですが? 何故、第81独立機動群が私達の担当に?」
『どうという事でも無い。我々はザクレロの開発部隊であり、君達に最も適切な支援を行える。そう判断したので、君達を第81独立機動群に引き込んだ。つまり、我々は君達を最大限支援する意思と能力を保有していると思ってくれて良い。安心したかね?』
 ネオの答えは、マリューの想像とほぼ一致する。そのことに、ナタルは安心した。
 ザクレロの運用データ取りが目的だとしても、それで手厚い支援を受けられるなら願ってもない事だ。放置されるよりは、ずっと良い。
「ありがとうございました。百万の援軍を得た思いです」
 礼を言うナタルに、ネオは満足そうに返した。
『その期待に応えよう。まず、暗礁宙域に移動してくれ。哨戒任務中のドレイク級宇宙護衛艦“ブラックビアード”がいる。まずはこれと合流しろ。補給と修理の用意をさせておく。次の指示は、合流する“ブラックビアード”から受け取ってくれ。以上だ』

 

 

 アークエンジェルとの通信を終えたネオだったが、通信室を出る事はかなわなかった。
「大佐、アズラエル氏から通信です。お待ちになってますよ」
 通信士がネオに告げたのは、今回の任務の大本となった男の名である。
 昨日、ムルタ・アズラエルは、ヘリオポリスで起こった驚くべき事件、連合MS強奪のニュースを聞いた後、第81独立機動群へ指示を出した。つまり、アークエンジェルを第81独立機動群傘下に入れる事と、可能な限りの支援を与える事を。
 本来、アークエンジェルに価値を見いだしているのは第8艦隊だけであり、第8艦隊が支援できない状況になればアークエンジェルは連合軍から見捨てられていた事だろう。
 しかし、アークエンジェルがザクレロを実戦運用していた事が状況を変えた。利用価値が出てきたのである。他ならぬ、軍産複合体ロゴスにとって。自社製品で戦果を上げているのだから、それを支援してもっと戦果を上げてもらおうとするのは当然の事だった。
 今日のこの通信は、任務の進展具合を確認する為の物だろう。
「ちょうど良いと言うべきか、せっかちだと言うべきかだな。まわしてくれ」
 ネオは通信士に答え、通信を回してもらう。
 直後に、ネオの前の通信モニターに、ムルタ・アズラエルの姿が映し出された。
 幸い、待たされた割には機嫌は悪くない様子で、とりあえずネオは安堵する。
「お待たせいたしました」
『いえ、良いんですよ。アークエンジェルと通信中だったそうですね・・・・で、どうですか? アークエンジェルは手に入りそうですか?』
「順調です。そもそも障害となる要素もありませんからね。第8艦隊の奴ら、アークエンジェルの事などまるで忘れた様でしたよ」
 アズラエルは、現在の進展具合をネオに聞く。ネオは、どうと言う事もなく素直に答え・・・・それから、気になっていた事を逆に聞き返してみた。
「しかし、よろしいのですか? アークエンジェルを新型MAの実戦試験部隊にするだなどと。彼らは、素人の寄せ集めですが」
 アズラエルからの指示を信じるなら、アークエンジェルを第81独立機動群に入れるのは、新型MAの実戦試験をさせる為だ。
 アークエンジェルという艦は良い。最新鋭の艦であるので、実戦試験のベースにするには十分だ。
 問題は乗っている人員。MAパイロットは、一人を除いて素人。艦長も素人。整備の人員が比較的揃ってるのが救いと思える程度だ。
 普通に考えれば、搭乗人員はそっくり入れ替えると思うのだが、アズラエルの指示を見るに、人員補充はあっても、今の人員を下ろすという事はない様だ。
 何故、素人を使うのか? それは当然の疑問である。
『素人だから良かったと言うべきですかね』
 アズラエルは、ネオの質問に苦笑しつつ答えた。
『その・・・・マリュー・ラミアスですか? ザクレロのパイロット。昨日まで実戦を経験した事もないナチュラルが、ZAFTの英雄ラウ・ル・クルーゼ含むMS2機を撃破し、戦艦を中破させた。おかげさまで、この上なく新型MAの価値を高めてくれましたよ』
「ビギナーズラックだというのがこっちの評価ですけどね」
 戦闘記録を見たMAパイロット全員が、自分ならもっと上手く動かせると言っていた事を思い出しながらネオは言う。
 とは言え、あの無様な動きでも敵を倒せるのだから、逆にザクレロは凄いという評価にもなるのだが。
 アズラエルも、その辺りはふまえている様だった。
『運も実力の内です。それに戦果だけあれば、実力が無くとも、コマーシャルには十分ですしね。ついでに言ってしまえば、見栄えのする女性だというのも好都合でした』
「戦闘機にプレイメイトを添えるのは、今も昔も変わらないという事ですか」
 おっぱいのでかい美女が水着か何か気の利いた格好でメカに張り付いていれば、一部趣味の異なる連中を除いた大方の男達は喜ぶ。ネオだって、雑誌か何かのピンナップで見たなら、ちょっとトイレの個室にこもろうかと考えるくらいの元気はあるつもりだ。
 アズラエルの意図は、さすがにそこまで下卑たものではないだろうが、男の感性を突こうという点では根本は同じだろう。
 アズラエルは、平然とした風で言った。
『まあそんな所です。実戦試験と言うよりも、コマーシャル用のお祭り部隊のつもりで。商品を売る為にも、私は彼らをバックアップしますよ』