宇宙。
ああ……
青白いスラスター光を鬼火の様に牽きながらMSジンが迫る。眼前にモノアイが輝く。
ああああああ……
手にした重斬刀を振りかざし、そして自分を一太刀に切り伏せようと……
「ああああああっ! くる! て、てきが……」
「落ち着け! 戦闘は終わった! ここは安全なんだ!」
「!? いっ……! ……つぅ……」
かけられる声と、身体に走る鈍痛が、サイ・アーガイルの意識を急速に覚醒させた。
ぼやけた視界がゆっくり明瞭になってくると、医務室の無機質な天井と、自分を覗き込む、衛生兵のワッペンをつけた陸戦兵が見える。
次に顔を動かすと、自分の身体が固定されているベッドと、自分の身体に繋がっている無重力対応の点滴、今も熱く焼けるように痛む腕や脚に包帯が巻かれているのが見えた。
「落ち着け。落ち着いたか? 戦闘はもう終わったんだ」
衛生兵は、サイを宥め落ち着かせる為に話しかける。サイは少しの間、苦痛に呻いていたが、ややあってから衛生兵に問いを投げた。
「敵は……どうなりました? アークエンジェルは? フレイ……は?」
「お前が全滅させたよ。船も乗組員も全員無事だ」
衛生兵が宥めるように言うと、サイは安堵の息をついた。そんなサイをもっと落ち着かせる為に、衛生兵は言葉を続ける。
「最後の戦闘から、もう三日が経った。今、アークエンジェルは連合の宇宙基地『アイランドオブスカル』に停泊中だ。安全だから、安心して休んでいろ。
ああそうだ、ちょっと待ってろ。鎮痛剤を使ってやるからな」
そう言って衛生兵は、医療キットを取り出すと中を探り、小袋に封された一本の注射器を取り出す。
「全身をコックピットの中で打ち付けたんだよ。骨はやっちゃいないが、打撲と擦り傷だらけだ。治りが悪くなるから、安静にしてろよ。これを打てば、眠れる筈だ」
全身打撲。それほど重い怪我ではなかったが、それでもしばらくはサイを動かせない。
衛生兵は、袋から出した注射器を、点滴のチューブから枝分かれした接続部に繋ぎ、中の薬液を注入する。
その動作をサイは見守っていた。
聞きたい事はあったが、苦痛が酷く、身体が軋むようで、話をするのも辛い。
沈黙のままに少しの時間が経つと、鎮痛剤が効果を及ぼしだしたか痛みが和らいでくる。だが、それと一緒に、サイは強い眠気を覚えた。これも鎮痛剤の効果なのだろう。
サイは身体の痛みから逃れる為にもこのまま睡魔に身を任せたかったが、眠ってしまう前に聞かなければと思い直し、衛生兵に再度重要な問いを投げる。
「あの……フレイは? あの時、艦橋にいたフレイ・アルスターはどうなりました?」
「なーに、大丈夫だよ。元気なもんさ。今はゆっくり休め」
衛生兵は殊更明るく言い放ち、何も心配する事はないとばかりに笑って見せた。
その笑顔が、急速に襲い来た睡魔に掠れ、サイの周囲は眠りの闇の中へと落ちていく。
「フ……レイ……」
最後の呟きを残し、サイはまた眠りに就いた。
サイの眠りを確認し、衛生兵は笑顔を解いて溜息をつく。
「嘘を許せよ。本当の所を知っても、ベッドの中で気を揉むしかできないからな」
サイに必ず聞かれるだろうと、全ての事情と、それをサイには伝えない事を衛生兵は言いつかっていた。
今、フレイ・アルスターは営倉入りを命じられ、艦内の懲罰房に入っている。
営倉入りから更に何かの処分が下されるのかどうか、まだ決まってはいなかった。
アークエンジェルは今、連合軍の秘密基地『アイランドオブスカル』に停泊していた。
暗礁宙域の中に位置するこの基地には、第81独立機動軍指揮下の海兵隊が駐留しており、主に偵察や通商破壊工作任務に従事している。
基地自体は、大昔の宇宙ステーションやコロニーの残骸などを組み合わせて作られたもので、デブリに擬装されてはいるが、中には最新と言っていい機材が揃っていた。
アークエンジェルはそのドッグで、破損した装甲や兵装の修理を受けている。
また、併せてMSカタパルトの改造も行われていた。ザクレロの様な大型MAでもカタパルト発進が出来るようにする為の改造で、設計上で許容されている範囲内での縦横幅の拡張と、より重量のある物が撃ち出せるよう出力の向上が行われている。
その作業は基地内のスタッフにより行われており、アークエンジェルの乗組員達には、その修理と改造が終わるまでの間、休息の意味も含めた待機命令が下されていた。
アークエンジェルは現在、第81独立機動軍の指揮下に入っており、命令もそこから出されたものである。
なお、アークエンジェル内にいたヘリオポリスからの連合国籍避難民達は、その全てが第81独立機動軍の保護下に移された。アークエンジェル内には今は軍人しか残っていない。
未だ人員の補充は行われていないので酷い定員割れは全く解消されていないが、待機中の現在はそれほど問題にはなっていなかった。
それに、準備が整い次第、人員補充と物資補給が併せて行われる事が約束されてもいる。
その時、現在の暫定的な人員配置がどう変わるのかわからないが、少なくともそれまではナタル・バジルールが艦長である事に変わりはない。
そのナタルは、シルバーウィンド襲撃戦以降、鬱ぎこみ気味であった。
一人、艦長室に閉じこもっている事が多く、外に出るのは任務の為の最低限の時のみ。士官食堂などに出てくる事もない。
ブリッジで勤務している時も何か懊悩している様子で、じっと重苦しい沈黙を纏っている。
そんなナタルに干渉しようとする者はいなかったが、ナタルのその姿はクルーに僅かばかりの不安を与えていた。
「で……我等が艦長はどうしたんだ?」
シミュレータールーム。訓練が一息ついたのを機として、ムゥ・ラ・フラガは、シミュレーターの座席でバテているマリュー・ラミアスに聞いた。
「んー」
突っ伏すように身を折っていた座席の上、半身を起こしてマリューは答える。
「艦長としての采配が上手く出来ないって、気に病んでるのよ。経験ゼロでいきなり艦長じゃ、出来なくって当然なんだけど……」
階級が上で同性という事もあり、マリューはナタルに踏み込んだ事を聞けていた。もとい、無遠慮に聞き出したとも言えるが。
「……当然であっても、失敗は許されないって所か? 上手くやってる様に思うんだがな」
堅い事だと深く溜息をつきながら、ムゥは偽り無く思う所を言う。
あの壊滅的な状態のヘリオポリスを脱出して、ZAFTの追撃を振り切って無事に逃げられた。ナタルは、それだけの成果を上げたのだ。
だがマリューは、そうじゃないのだと首を横に振る。
「戦闘の指揮がちょっとね……脱出してからまだ戦死者は出てないけど、サイ君はかなりやばかったでしょ? それを、何も出来なかったって……」
「生還が奇跡みたいなもんだからな。それに関しては、俺達もかなり不甲斐ないんだが」
ムゥは苦々しい表情を浮かべた。何もしてやれなかったという点ではムゥも同じだ。
巡り合わせが悪く戦場では離れてしまっていただけの話ではあるが、サイには単独で厳しい戦いばかりをさせてしまっている。
「サイ君は大活躍なんだから、ナタルが気に病まなくて良いのにねー」
一方、マリューは全くそういった事は気にしていない様子だった。方法はどうあれ、上手く行っているのだからと、楽観的に考えている。
どんな形であれ成果が伴えば楽観的になる所は、色々と危うい面もあるのだが、マリューの美点ではあった。
「……そうだな。気に病んでも仕方ないって事には賛成だ。ラミアス大尉は、お気楽が過ぎるが、艦長はそれを少し見習うくらいで良いのかもな」
「ちょ!? それ、私にも艦長にも失礼じゃない!?」
軽く肩をすくめながら冗談めかして言ったムゥに、マリューが抗議の声を上げる。
それを無視して、ムゥは言葉を続けた。
「ま、気分転換でも出来れば良いんだろうがな。艦の中に閉じこもりきりじゃなー」
と、その台詞を聞いて、マリューはちょっとした天啓を受け、今感じた怒りを忘れて、ムゥに向かって身を乗り出した。
「それよ。基地への上陸許可が出たんでしょ? 気分転換にならないかしら?」
アークエンジェルのクルーには、基地への上陸許可が出ている。
しかし、所詮は宇宙の孤島のような基地である為、上陸する理由はほとんど無く、上陸するクルーは多くなかった。
とはいえ、ナタルの気分転換の為に環境を変えさせてみるというのは方法の一つではある。
が、ムゥは少しばかり苦い笑みを浮かべて首を横に振った。
「あー、海兵隊は、ちょっとノリがな……乱暴な奴が多いし。バジルール艦長向きじゃないな。意外に、ラミアス大尉向きかもしれんが」
この基地は海兵隊の基地だ。宙軍とはその空気からして違う。
紳士であれと教育される海軍とエリートである空軍の血を引いている宙軍は、紳士でもあるしエリートでもある。気障で高慢で頭でっかちという評価もいただいているが……
ともかくナタルは、重症っぽくもあるがそういう宙軍の典型的なタイプだ。
一方で、海兵隊はその出自から違い、元になったのは同じく地上での海兵隊である。
敵地に真っ先に乗り込む事を主任務とする海兵隊は、その任務の性質の通り、兵達の気性も荒々しい。
ムゥは元よりお上品な方ではないし、マリューの楽観は海兵達にも心地よいだろうが、ナタルとの相性はどう考えても最悪だった。
真面目なナタルでは、かえってストレスを溜め込む事になるのがオチだろう。
「ま、今日はこれから、俺も上陸してみるつもりだ。偵察は任せろよ」
「え!? じゃあ、私も……」
「お前は、シミュレーター訓練で人並みの点数をとれるようになってからだ。これからも、MAパイロットを続けるんだろ? 愛しのザクレロの為にさ」
ムゥが基地に上陸すると聞いて同行の名乗りを上げようとしたマリューを、ムゥは軽くいなした。
補充兵が来るとなれば、MAパイロットも正規の兵が来るかもしれない。
そうなれば、マリューはザクレロから下ろされる……という危惧がある。あると言うより、マリューに特訓させる方便として、ムゥが吹き込んだ。
実際の所、どうなるかはわからない。
ただ、これでもマリューは実戦で戦果を上げているのだ。パイロットとしてそのまま搭乗を続ける可能性の方が大きい様な気はする。もっとも、わざわざそれを言うムゥではないが。
「残念だったな。噂じゃ、でかい酒保があるらしいぜ」
酒保。兵員用の売店の事だが、この基地には兵員用の酒場があると、この基地の港湾要員に聞いた。
そうでなければ、ムゥもわざわざ降りようとは思わなかっただろう。
「く……お酒!?」
マリューの声がうわずる。
酒類は、戦艦内ではなかなか楽しめない。特に戦闘行動中となればなおさら。つまり、ヘリオポリスからずっと逃走の中にあったアークエンジェルでは禁酒状態だった。
基地に着いた今では解禁されており、船内に積んである酒類が解放されているが、それでも飲む量に制限が付いている。
酔うとまではいかない……むろん、艦内で酒に酔うような醜態をさらさせない為の飲酒制限なのだから、それが当然なのだが。
マリューは、アル中が心配されるほど飲むというわけではないが、大人なりに酒を楽しみたい気持ちくらいはある。
なにより、ハメを外して遊びたい。でも残念、マリューにそれは許されない。
そんなマリューの気持ちを酌み取り、ムゥは清々しいまでに軍人らしい表情で敬礼をして見せる。
「自分が、ラミアス大尉の分まで飲んで来るであります!」
「無重力酔いしてゲロ吐いてゲロ玉の中で溺れちゃいなさい」
マリューの心の底からドロドロと湧き出た恨み言を、ムゥは笑顔でスルーした。
「あのままだったら、サイは死んでました!」
懲罰房。奥の壁に背を預けて漂いながらフレイ・アルスターは言い放った。
対面にいるナタル・バジルールへと。
先の戦いで拘束されたフレイへの事情聴取。如何に人手不足だとはいえ、艦長のする仕事ではない。
しかしそれを、ナタルは自ら一人で行っていた。まるで、他者を介入させたくないかのように。
そして、「何故、勝手な行動をしたのか?」それを問う。その問いにフレイが返したのが先の言葉だ。
それは単に感情のままに零れたものでしかなかった。
抗弁するにしてももっと他に言いようがある。フレイもそれは悟っていたが、サイを死地へ送り込み、無策に死なせようとしたと、ナタルへの感情が先走ったのだ。
言った後でフレイは、言葉を誤った事に気付いて、失態を演じた事の後悔と共に奥歯を噛みしめた。
サイを守りたい。その為には、軍を辞めさせられるわけにはいかない。それなのに、艦長に逆らうなんて……と。
フレイは身構えてナタルからの叱責を待つ。
だが、ナタルはただ一言だけ呟いた。
「そうか」
その時、ナタルの顔に浮かんだ表情は、咎を責める者ではなく、責められる者のそれだった。
あの局面でサイに有効な指示を下せなかった事をナタルは認めてしまっていたし、かといって「上官の失策に従って死ぬのも兵の責務だ」と正しい建前を言うほどの傲慢さもない。
非を認めてしまう真面目さと、正しい事であっても人の命を道具のように扱う事に傲慢さを感じてしまう健全な精神。
そのどちらも、軍人として生きれば、いずれは摩耗して消えてしまうものなのかもしれない。そして、そうならなければ、生きていけないのかもしれない。
しかし、未だ若輩者であるナタルは、そういういわゆる娑婆っ気を残していた。
「だが……それでも、兵の任を逸脱する事は許されない事だ。兵は……与えられた任を全うしなければならない」
言い訳じみたナタルの反論。そしてそれは同時にナタル自身を責める言葉でもあった。
艦長ならば敵を排除する為に的確な指示を下さなければならない。その任を全うできなかったのはナタル自身なのだから。
だから……
フレイはその心の傷を突いた。
「艦長は艦を守れなかったじゃないですか」
最初の言葉と違い、今度の台詞は冷たい計算から放たれる。
わかったのだ。
ナタルが何を求めてここに来たのか。
フレイの事情聴取は建前。かといって、叱責しに来たわけでもない。
ナタルは、自らの不甲斐なさを責められに来たのだ。
自分で自分を責めている時には、優しくされるよりも、責められた方が心が落ち着く時がある。今のナタルのように。
だが、アークエンジェルにはそれなりにしっかりした軍人が多い。つまり、上官が無能だろうと、今更、暴言を吐くような真似はしない。
それに、彼等からのナタルの評価は、こんな不利な状況で良くやってくれているというもの。なおさら、ナタルを責める言葉など出てこない。
ただ一人、命令違反を犯したフレイを除いて。
浮かびそうになる笑みをフレイは冷たい表情の裏に隠す。
ナタルは怒りと傷心と……僅かな安堵が混じった表情で唇を噛んだ。
そんなナタルに、フレイは背中を這い上るようなゾクゾクした震えを覚える。
――これだ。
フレイの中の“悪い子”が囁く。
欲しいモノを上げよう。それは、とびきり甘いだろうから。
その代わり、私は貴方の全てをもらう。貴方は、私の欲しいモノ全てを差し出すの。
ナタルが欲しいのは叱責。そして許し。
でも今はまだ許すべき時じゃない。
焦らして焦らして、そして最高のタイミングで許してあげる。プレゼントは、待たされた方が楽しみでしょう?
だから、今はこう言うの。
「もう、貴方と話す事なんて無いわ。出て行って!」
「…………っ」
強めの口調で言い放ち、フレイは出口の扉を指差す。
無論、本来ならばナタルがこんな言葉に従うなど有り得ない。本当に、本当に事情聴取に来たのだというなら。
だがナタルは、反論もせずにフレイの前を離れた。
そして、ドアの前に立ち、振り返りもせずに一言だけ残す。
「君の感情が落ち着かなければ、事情聴取は出来そうにないな。また来る」
ナタルはドアの向こうへと姿を消した。
「また来る……ね」
言葉の前半はナタルの自分への言い訳。大事なのは後の言葉。
また来てくれるらしい。
それは良い事。利用できる相手を利用するだけだ。やがて相手は、フレイの張った甘い罠に落ちるだろう。
クスクスと笑みを漏らし、そして呟く。
「いつでも、いらっしゃい。優しくしてあげる。溺れさせてあげる……」
フレイの顔に妖艶な笑みが浮かぶ。
その笑みは何処か熱に浮かされたかのように、そしてとても楽しげにも見えた。
愛おしい人を失う事を考えたなら、フレイは何でも出来てしまう。何でもやれてしまう。
失われた人には、その復讐を捧げる為。失われそうな人には、それを防ぎ守る為。
きっとそれが、その人から蔑まれ厭われる、そして嘆かせてしまうような事でも。
それが自分であり、自らをも焼き尽くす情念の炎を消す事は決して出来ない。その情念故に自分は、最後には全て失うのだろう。フレイには、そんな漠然とした予感さえあった。