武装運命_第15話

Last-modified: 2008-01-28 (月) 00:01:39

“不幸”に塗れた人間。
 そんなもの、世の中には掃いて捨てた所で到底捨て切れぬ程の数が存在している。
 しかしてその中で、自分より不孝な人間などいないと考える者も少なくない。
 “不幸”は心を歪める。
 普通の状態なら気付けるであろう他者の優しさに気付けず、瑣末なつまづきを気に掛け、揚げ句の果てには認識までもを世界と違えてしまう。
 こう表現すると語弊はあるのだろうが、敢えてそうしよう。
 ミーア・キャンベルの“不幸”は、有り触れたモノでしかないのだ。
 親に捨てられた仔など幾らでもいる。
 貧しさに身を売る娘とてざらだ。
 彼女の場合は実母がそれなりの成長を遂げるまで養っており、その後も善意で拾い上げてくれた小村の存在があった。しかし、それすらなく座して死を待つだけの幼子がどれ程いるというのか。
 ミーアはまだ“幸福”な方であったのだ。
 だがしかし、彼女はその善意に気付かなかった。
 否。
 気付いておりながら、ある意味で安易な“憎悪”という逃げ道に奔った。
 己の不遇に折り合いをつける事は、とても大変な事だ。だが、自分から境遇に向き合う勇気と決意があれば、決して不可能な事ではない。周囲の力添えがあれば尚更である。
 けれど、そうしなかった。
 その弱さが、際限無き悪意の呼び水となってしまったのだ。
 ――――それこそミーアの原罪。

 

 心には善も悪もある。
 性善説や性悪説に拠って「正しい」や「間違っている」を定義するのは、恐らく実りの有る事ではなかろう。
 人は矛盾を秘めているものだ。ましてこの時代、悪意を持たぬ者など存在しないと言って良い。
 それでも、ラクスは人間の善性を信じ続ける。
 ヒトを外れてしまった身に辛うじて遺された、嘗ての遺志。
 己の歌に生きる望みを得た、そんな声に喜びを覚えたあの日の残滓。
 それが彼女をヒトの近似値で押し止めている。
 人を喰らう事は、あの日の喜びを自ら噛み千切る事と同じ。
 一瞬でもそう考えれば、肉体を遥かに凌駕した精神は絶対に顎を開かない。
 血反吐を吐こうと。
 空腹に苦しもうと。
 きっとそれは、誰のためでもなく、自分のための制約/誓約なのだ。
 ホムンクルスの胎児を身に宿した瞬間、『ラクス・クライン』は死んだ。今ここに立っているのは、『ラクス・クライン』の殻を被る一体の化物。
 だが、彼女は、最後までヒトであろうとするだろう。
 ヒトを喰らう事こそヒトからの逸脱、その思考に則り驚異的な精神で本能を封じ込む。
 本能の抑制が出来る、それもヒトの証。けれど、時折その本能に負けてしまうのも、またヒトであろう。
 強すぎた。強すぎたが故に、別の意味で一層、ヒトから遠ざかってしまった
 ――――それこそラクスの原罪。

 

 して、その原罪を産んだ総ての元凶である事。
 ――――それこそシーゲルの原罪。

 
 
 
 

 突如クライン邸の屋上に咲いた極大の薔薇は、庭に立つ6人に向けその威容を如何なく曝していた。
 要塞のごとく折り重なる茨。
 より一層鋭さを増した棘。
 ゆっくりにじり寄って来る蔓。
 禍々しく鉄色に艶めく葉。
 威圧を撒き散らす鉄色の華。
 その総てが、ミーアの操っていた時とは比べ物にならぬ明確な殺意を放つ。
 殺意。
 ホムンクルスは動植物から生み出された胎児が人に寄生する事で暴威を示す存在、故にその行動にはやはり生物性が根差している。
 通常の兵器は無機質、このような怖気を生み出せる存在など生物以外に有り得ない。
「俺、ここ一週間で一番自分の目を疑ってる」
「自分、今までの生涯で一番我が目が信じられない」
 誰に言うでもなくぽつりと零したシンに、ヨップも追従して呟いた。
 じゃり、砂を握り締める音。
「ホムンクルスを兵器として用いるか…………いや、私が何を言える立場ではないな」
「あの連中、やってくれんじゃない。このアタシを道具扱い?冗ッ談!!」
 シーゲルの独白を押し潰すがごとく吐き捨て、ミーアが俯けていた顔を持ち上げて立つ。
 その眼に宿るものは、烈火の憤怒。
 感情が猛るに任せて左手を無数の茨に分解し、その内数本を茎に変える。
 ぷく、先端が赤く膨れ。
 皆に何事かと問う暇さえ与えず、ミーアは膨れた赤いモノを右手で引っ掴み、ブチリともぎ取った。
 そして、投げる。
 赤球が逆向きの彗星となり大華へ突き刺さる、その様は文字通り乾坤一擲。
 直後、甲高い破裂音が響いた。
 爆裂する種子、つい先程シンとラクス目掛けて撃っ散らしたモノだ。
 どうやら炸裂に指向性を持たせていたらしく、直撃を食らった花弁の大半はごっそり砕き潰されている。
 効いた。
 そう、誰もが思った瞬間。
 ――ぞるるっ!
 時間を巻き戻したかのような猛スピードで、破壊された部分が急速に修復されてしまったではないか。
 げ、誰かが呻くのと薔薇が反撃の狼煙を上げたのは果たして同時。
 先のミーアと全く同じように真っ赤な実を一個生成し、彼女目掛けて、撃ち出す。
 表情筋を引き攣らせながらバックステップを踏むミーア。
 ごばん、地面に減り込んだ赤が内圧で盛大に爆ぜ、今し方のそれと同じく指向性ある破壊を撒き散らした。
 その大半はターゲットであるミーアの茨の防壁に絡め捕らたものの、流れ弾が幾つか傍に飛ぶ。
 シンは緑鉾からの衝撃波で弾いた。
 ラクスはヒルダに押し倒され何を逃れた。
 シーゲルはそもそも弾の射線軸にいなかった。
 が、一人。
 未だに唖然としたままのヨップだけが、たまたま、直撃のコースに立っており。
 誰かが庇うには、遅く、そして遠い距離。
 最悪の予想図が浮かぶ。

 
 

 無駄な足掻きになるだろうことを半ば理解しながらも、シンは緑鉾を構え衝撃波の塊を創った。
 これでは見殺しだ、絶望が心を過ぎり――――
 ――HOWL!!
 闇を薙ぐ凄烈な咆哮。
 続けて鉄片と鉄塊がぶつかり合う耳障りな音が響き、咆哮で吹き飛んだ少年の意識を現世へと返す。
 ざりり、地面を擦りながら種弾の射線に割り込んだモノは動きを止めた。
 夜闇の下においてなお黒さを誇る、鋼の獣。
 武装錬金――ハウンド・ガイア。
 ヨップが自分の置かれていた危機をやっと理解し、かくんと膝を折る。
 僅かにガイアから遅れ、少女が颯爽と奔って来た。
「間に合った、せーふっ」
「ステラ!」
 長銃とナイフを握った金髪の戦士、ステラ・ルーシェ。
 鉾に充填していた衝撃を解き、シンは彼女へ駆け寄る。
「ルナは!?」
「ちゃんと助けてきたよ、怪我もしてなかった。今は外で待っててもらってる」
「そっか、無事か…………よかった」
 その言葉に、心底安堵した様子で息を吐くシン。
 たいせつなひとを奪われる苦しみ、それが一先ずながら回避されたのだ。
 しかしながら、この庭とて絶対に安全な場所ではない。何時までも暢気になどしていられぬ状態である。
「取り敢えず本隊には連絡したけど、今晩中に助けてもらうのは多分ムリ」
「ムリ!? な、なんでよっ」
「指示系統に反した行動は処罰の対象、お給料にも響く。それ覚悟でこっちまで来れる人は、残念だけどこの国には配属されてなかった」
「何てこった、あんなのが陽の下に出たら錬金術は秘匿されるとか云々言ってる場合じゃなくなるだろ!」
 叫び、シンは頭を振った。
 何かが起こった後の情報改竄なら戦団でも可能である。しかし、リアルタイムで人の目に晒されたモノをどうこうする事は流石に難しいと言わざるを得ない。
 人の意識に干渉する特性を持った武装錬金とてなくはないが、所有者はそれこそ全体の数%。一々駆り出していては彼らの身が持たぬのだ。
 最善は、今ここであの大華を倒しきる事。
 そう結論付けたステラに、ミーアが疑念の目を向ける。
「…………倒せるわけ? あんなチートも同然の事やってのけたアレに」
「倒す」
 突然飛び掛って来た蔦を一顧だにせずナイフで薙ぎ裂きながら、ステラは凛とした声で言い切った。
 ガシュ、長銃のストック上部から淡い緑の燐光が蒸気とともに吐き出される。
「パパさんと黒い服の人はガイアについてって。外へ出るとこ作ってきたから、早く離れてほしい」
「あ、あぁ」
 その言葉に従い、ヨップはおずおずと腰を上げる。
 シーゲルもその後を追って歩き出し、しかしふと止まった。
 振り返った先には、先程から一言も口を訊かぬラクス。

 
 

「ラクス様、お逃げください。アタシも護衛に回ります」
 心底彼女を案じながら、ヒルダが乞う。
 それが分かっているラクスは、何故か心持落ち込んだような表情で頷いた。
「…………皆様、どうか御無事で」
 静かに頼み、深々と頭を下げるラクス。
 ふん、ミーアが離れたところで髪を掻き上げつつ鼻を鳴らした。
 楚々と黒獣に歩み寄った彼女に、シーゲルが申し訳なさそうな目をする。
 何も言わぬ、言えぬ、親娘と呼ぶには寂しすぎる姿。
 一部始終を見届けたガイアが、もう良いだろうと言わんばかりにとっとと歩き出した。
 慌ててヨップがその後を追い掛け、シーゲルとヒルダも続く。
 ラクスも歩き出そうとし、しかしすぐに足を止めてシンへ振り返った。
「シン」
「え?」
 呼ばれたシンが怪訝な顔をしたにも拘らず、彼女はシーゲルの元へ小走りで近づき何やら言葉を交わし始める。
 首を傾げること数秒。
 上着のポケットに手を入れつつ戻ってきたラクスは、その上着を颯爽と体から剥いだ。
「わわ! 何してんだアンタ、」
「ジャンパー、お借りしたままでしたから。お礼も合わせてお返しいたします」
「お、お礼? 別に着たままでも構わないのにってか着たままじゃないと色々とこうさぁ」
「私は気にしませんわ。――――御武運を」
 襤褸切れのような服を言葉通り全く気にした様子はなく、ぺこりと頭を下げガイアの方に走っていくラクス。
 残ったのはシンとステラ、そして。
「…………お前、残ったんだな」
「道具扱いのままでおさらばは御免よ。あんな花、ブッ散らしてやる」
 くっ、喉奥を鳴らしてミーアはひとつ笑った。
 斜めに歪んだその笑みを崩さず、そして今度はジャンパーを見る。
 見て、しかし何も言わぬまま。
 微妙な沈黙の後。
「来る」
 そうステラが呟いた瞬間、目の前の植物群が一斉にざわめき出した。

 
 

 その華には、明確な自我が存在するわけではなかった。
 ただ怠惰な反射と本能のみが巨躯を動かしている、言わば命令を待ち待機するだけの自動人形。

 
 

 兵器に感情など不要。
 いやそも兵器として重要なのは、予想外のモーションを取らず確実に指示に従う信頼性では無かろうか。
 まぁ、この場で論じる事でもなかろう。
 しかしてソレもまた数在る兵器と同じように、下されたオーダーを遂行していた。
 即ち――――近辺に撒かれた同属を侵食して己の一部とし、周囲にいるヒトを一匹残す事無く絶滅させよ。
 今まで動かなかったのは、単純に“準備”を整えていただけ。
 第一目的は二手に分かれたようだが、問題無い。
 どちらにせよ行き着く場所は同じ、奈落だ。
 つい先程炸裂する種を撃ち込んでくれた女は残っているらしい。ある意味では母とも呼べる者だが、ソレに対する感慨など在るわけが無く。
 ぞろ、叢が蠢動する。
 “準備”はたった今完了した。攻勢に打って出よう。
 無数の棘を戦士達に差し向け、大華はゆっくりと蔦鞭をしならせた。

 
 

 まるでこちらの準備が整うのを待っていたかのような振る舞いに、甘んじて見られている事への怒りと、そう出来るだけの知性に対する怖気が奔る。
 舌打ち一つ、シンは先程返してもらったジャンパーを羽織った。
 取り回しを考え、武装錬金を長柄であるブラストからフォースの形態に変える。
 鋼鉄が噛み合い一対の翼と化して、首輪から生えたコードへ接続。
 ご、蒼穹に変色した外郭が軽い衝撃波を吐いた。
「一塊になるは危険、散開する」
「了解!」
「命令しないで!」
 ステラの指示に返事を飛ばし、各々に動き出す。
 風を双翼が繰る衝撃で逆巻かせ、シンがまず地を蹴り一気に跳躍した。
 その後へぞろぞろ続く蔓草。屋敷に絡みついた草の大半が向かったのではと思わせる量である。
 重ねて言うが、フォース形態は決して飛行が可能だというわけではない。あくまでも衝撃を用いて跳躍・滑空する事が可能であるだけで、空を思う通り自由に舞えたりはしないのだ。
 上へ行くに従い運動エネルギーを消費し減速するシンに、蔓草は颯爽と距離を詰める。
 げ、今度の呻き声ははっきりシンのものと分かった。
 ぐねぐね足に絡み付こうとする極太の蔦を蹴飛ばし、今度は下方向へ加速。
 鼻先三寸を掠めた棘に肝を冷やしながら、剣を躍らせる。
 斬、斬、閃いた紅刃が刻んだ切断面から濁った液体を吹き散らす鉄草。
 足さえ掛かれば足場代わりになる、斬り飛ばした破片を踏みシンは花弁の方へ体向け衝撃を噴かした。
 全身を圧す強烈なG。
 ふと下を向くと、立ったままのミーアが棘群に全身を貫かれている姿が見えた。
 思わずそちらへ行こうとするも、跳ね上がった首に見据えられる。
 ぎっと睨む目、歪んだままの笑み。迂遠に寄るなと訴える目だ。
「そう、かよ……ッ!」
 丁度良く迫って来ていた棘を足蹴に、三度目の超跳躍。
 跳び去ったシンを見送り、ミーアは改めて顔を正面に向ける。
 章印の在る額以外、全身をくまなく満遍なく抉られた姿。
 だのに、彼女は笑みを崩さない。

 
 

 腹を貫通する一際太い棘が、突き抜けた背中側で震えた。
 注視すれば分かっただろう。その肉と棘の接合面が、常軌を逸した速度で癒着し始めている事に。
 この巨華の大半は、ミーアが展開していた植物群を横合いから掻っ攫って構成したモノで占められている。こうして直接接触すれば、そこから逆に制御する事が可能なのだ。
 尤も、キャパシティが足りないせいか操り返せるのは末端部分程度のようだが。
「賭けみたいなもんだったけど、うまく当たってくれたわね…………
 はっ、青イ秋桜【ブルーコスモス】ごときが天下の薔薇様を弄りたくってくれるんじゃないわよ!!」
 唇を獰猛な形に歪め直して吼え、ミーアは全身に食い込む棘を吸収した。
 根元から切り離されていた棘は欠損の修復に費やし、本体と繋がったままの棘は向こうの感覚を侵食する道具として利用する。
 手足の数が一気に数十倍まで膨れ上がった違和感をぐっと抑え、無理やり制動。
 びくん、ステラの周囲で包囲網を強いていた茨が一斉に震え、直後に全挙動を停止してしまう。
 すぐさまナイフを閃かせて網から脱し、ステラは横へ走った。
 末端の部分はミーアの命令に従い動きを止めたが、それでもかなりの数の触手が蠢いている。
 止まっている物には手を出さず、空を飄々と舞っているシンの邪魔になりそうな存在だけに狙いを絞り射撃射撃射撃。
 淡緑に輝く光条が撃ち散らした蔓へ、にこりともせず一瞥だけ。
 己も狙われぬように場所を細かく変えつつ、ステラはひたすら敵を撃つ事に専念した。
 閃光。
 閃光。
 ミーアの触手制御とステラの銃撃援護を受け、シンが八艘越えよの勢いで跳ぶ。
 先程までは迂回する形でしか接近できなかったが、今ならば本体が在るだろう屋敷部分に最短距離で突っ込んでいける筈だ。
 加速器、出力全開。
 不安定なベクトルを縒り上げ、弾丸顔負けの勢いで夜空を翔る。
 茨に絡まれ過ぎたがため原形の片鱗すら失った屋敷に、大気の抵抗を抉り破って突貫。
 ぞん、草の壁を断つ手応えは今までのどのホムンクルスよりも柔らかかった。
 降り立ったのは、広大極まる空間。階層や部屋を隔てる壁が一つ残らず取り払われてしまったのだろう。
 すぐさま開いた穴が別の茨に埋められる。それでも薄ぼんやりとした明かりがあるのは、このホムンクルスに蓄光性か何かでも備わっているせいか。
 訝しげに周囲を見回すシン、その視野に赤いものが入った。
 近づいてみると、それは一輪だけ花開いた真紅の薔薇。
 機械然としたホムンクルスの一部とは思えぬ、有機的な形の花である。
 これが、本体か?
 容易く手折れそうな紅薔薇の傍に膝をつき、シンは剣を握らぬ左手で軽く花弁に触れようとした。
 瞬間。
 ――ドス、ドスドスッ!!
 その薔薇を覆い隠すように、幾本もの棘が床を突き破って生える。
 引っ込めるのが遅れたか、指先から僅かに血が滲んだ。

 
 

 危険を感じたシンが大きく後ろへ退がる。
 ピジョンブラッドのその目が次に捉えたのは、棘折の向こうで床からずるりと這い出した一対/二体のヒトガタであった。
 どちらも鉄色、朽木に細工を加えて人形に仕立て上げたような適当な姿。
 ぽっかりと空いた胸部の洞に、先の紅薔薇がこれもまた一対/二株収まっている。
 疑問を差し挟むより早く、その音を皮切りにヒトガタが一気呵成の強襲を仕掛ける。
「うおっ!?」
 気を抜いたつもりが無くとも、体が弛緩していたのは事実。防御が間に合ったのは先の一戦があったからこそか。
 ガチン、鋼鉄同士がぶつかり合う響き。
 先に殴り掛かってきた右側のヒトガタの頭へ横薙ぎの斬撃を入れ、続けざまに踏み込もうとし。
 悪寒。
 咄嗟に剣を頭の後ろへ回すと、直後強烈な打撃が刀身ごとシンを打ち据えた。
 前へたたらを踏みかけ、しかしこのままでは前方のヒトガタに無防備な腹を晒すと気付き慌てて剣翼で横へ跳ぶ。
 待ち構えていたヒトガタの拳を、すれすれで回避。
 地面を蹴って一度ジャンプしようと試みるが、踏みつけた瞬間足が動かなくなった。
 何が起こったかと下を見れば、両足に絡みつくか細くも数多すぎる蔦。
 追い縋ってきたヒトガタ二体が、鏡合わせのモーションで拳を後ろに引き絞る。
 かなり無理な姿勢で迎え撃とうとして後ろを見、シンは気付いた。
 一体、たった今斬り飛ばした筈の頭が再生している。
 思考とは別に跳ね上げた紅剣が、迫り来る双拳をざくりと斬断。
 しかし、鋭すぎた。
 斜めに斬られた二体の腕は、凄まじくおぞましい勢いで復元――それは最早、修復などという生易しいものではなかった――されながらシンに迫る。
 ノックバックが起こらなければ、相手の動きは止まらない。
 復元途中の二本の腕に、強か横腹を打たれる。
 ごき、自分の内側でくぐもった音がやけに残響した。
 ぶちぶち足元に絡みついた蔦を引き千切りながら、盛大に吹っ飛ばされる。
 河原でサラのタックルを受けた時と、さて、どちらがマシか。
 呼吸がままならない、血さえ吐けない。
 しかしそれで終わりでは無かった。
 これ見よがしにゆっくり接近してきた一体がシンの襟首を掴んで掲げ、間髪入れずもう一体がボディブロー。
 鮮血が口腔に満ち、噴き出す。
 所々紅く染まった鉄色は、それを気にするでもなく反対の腕でもう一度胴を突いた。
 くぐもった音、二度目。
 激痛を超越した激痛で、シンは最早思考する事さえ叶わない。
 ヒトガタは執拗に殴り続ける。
 腕、脚、顔、胴、腰、
 一撃一撃、受ける度にシンが破壊されていく。

 
 

 ただの血が詰まった肉袋へ成り下がり掛けた少年は、ぼやけた視界の中で、あの日を見た。
 父が、母が、妹が、それまでの『シン・アスカ』が殺された、3年前のあの日を。
 涙が溢れた。
 家族だけ先に逝かせ、生き残ってしまった己の不甲斐無さに。
 仇の顔すら思い出せぬ、記憶が確かならぬ己の不覚人さに。
 今こうして打たれ続ける、戦士足りえない己の不様さに。
 シンは泣いた。
 不様さを怒り、不覚人さを嘆き、不甲斐無さを呪った。
 そして、思う。

 

  こんなところで 死ねるか

 

 種は爆ぜた。
<<Change Sword・Silhouette>>
 掠れた合成音声。
 ぴたりと殴るのを止めたヒトガタに、シンは一言も繰らず加速器を動かした。
 一気に跳ねた剣翼が、襟首を掴んでいた腕を斬り落とす。
 重力に引かれ落ちるシン、その体を地面に刺さった紅剣が支える。
 全身、全く力が入らない筈。
 筈なのに、動けた。
 一個一個の細胞の動きが手に取るように分かる、異常な感覚。
 震える足が体を支え、剣に頼らず立ち直す。
 大地より抜き放った紅色の刃に剣翼が噛み付き、紅蓮の剛剣へ変わる。
 ばちん、コードが外郭から外れ首輪に巻き取られた。
 体が癒えていく。
 生存本能に由来する、核鉄の超回復。
 しかし自分は武装錬金を展開しているのに、何故かと思い体を探ると。
「これ、は」
 ラクスから返してもらったジャンパー、そのポケットが硬い。
 開いた左手を突っ込み引っ張り出してみると、そこには淡い青色の核鉄がひとつ入っていた。
 彼は与り知らぬ事だが、この核鉄は本来シーゲルのものである。
 シンが最前線に立つと見越したラクスは、こういう事例の時父が書斎に仕舞ってあった核鉄を持ち出すだろう事も予見していたので、罪滅ぼしだと言ってそれを借り受けジャンパーに仕込んだのだ。
 それが功を奏し、今シンはこうして立っていられる。
 とは言え向こうも悠長に回復を待ってはいない、正面のヒトガタが腕から棘を生やし殴り掛かってきた。
 即座に右手を突き出し、棘を腕ごと二つに引き裂く。
 そのまま勢い込んで加速器から衝撃波を吐き前方に突進、洞目掛けて渾身の一撃を捻じ込んだ。
 強烈な抵抗を噛み千切り、後ろへ抜ける。
 体ごと振り返れば、ヒトガタは洞に収まった紅薔薇を潰され緩慢に崩れ落ち始めていた。
 もう一体のヒトガタがその傍まで走り寄り、ぐずぐずに崩壊していく相方の体をぎゅっと抱く。
 取り込んでいた。
 開いた洞を鋼鉄の樹皮で覆い、棘と葉の鎧を作り、朽木細工の人形は兇相持つ異形へ変貌する。
 見る者を威圧する雰囲気、しかしシンはそれが脅威とは思えなかった。
 確かに恐ろしい姿ではある。
 あるけれども、決して抗えぬ絶対的な恐怖とはなりえない。
 タネが割れた相手に、畏れるものなどなし。
 閉じていた目を見開き、シンは、戦うだけの活力が何とか戻った体に最後の鞭を打った。

 
 

 力なら、ここにある。
 決意は未だ毀れず、掌握は未だ緩まず、咆哮は未だ。
 なれば、すべき事は――――唯一。

 

「 武 装 錬 金 ! 」

 

 叫び、少年は左手の青い核鉄を掲げた。
 鋼が割れ、内部構造を晒してその有様をぎちぎちと変化させていく。
 紅蓮の右と対を成すかのような、青を増した紺碧の外郭。
 無骨な右と対を成すかのような、鋭角に洗礼された刀身。
 柄の形状は全く同じで、グリップエンドがお互いと噛み合うような形。
 一瞬も躊躇せず、紅蓮の大剣と紺碧の大剣を接続する。
 ガチン、両の刃に光輝が奔った。
 その様は舟を漕ぐのに用いるパドルのよう。
 身の丈3倍程の全長を誇る、前後にブレードを持った実用性度外視の剛刃。
 それを両手で握り締め、踏み出す。
 向こうもまた、両腕から蔦の絡みついた棘を一対抜き放った。
 距離を詰めながら、ぐっと剛刃を持ち上げる。
 刀身の加速器が唸りを上げた。
 構えるシン。
 構える朽木。
 緊迫した静寂も僅かの事。
 ――ゴッ!
 衝突のインパクトが世界を揺らす。
 互いに行ったのは、一気呵成の踏み込みから薙ぎ抜ける事。
 横へ振るった姿勢のシン、鋭角に裂いた姿勢の朽木。
 同じ行動での衝突、なればより頑強な方が勝つのは至極当然。
「っぐ!」
 胴をざっくりと裂かれ、シンが呻いた。
 と、同時に。
 ――ズ、グシャッ!
 朽木が、その中の紅薔薇二輪が、斜めにズレて、壊れる。
 シンの武装錬金が、朽木に勝ったのだ。
 だが、そこまでだった。
 元々限界を突破していた体である。ラクスが託した核鉄の治癒力で今までは何とか持っていたものの、それを武装錬金にしてしまった時点で彼の活力は急速に削られていたのだ。
 もう立てない。
 ぐらり、傾いだ体を支えるものは皆無。剣は既に六角の鋼へ戻っている。
 倒れたシンの目に、棘の檻が入った。
 それがこれ見よがしにゆっくりと開かれ、そして顔を出す。
 紅薔薇。
 シンは悟る。本当の本体はこの檻に包まれていた花で、あの朽木はこちらを殺すか立つ事も出来ぬ程疲弊させるため作った木偶なのだと。
 一度花弁が揺れた。
「く、そ…………まだ、終わって」
 立ち上がろうとするも、力は入らず。
 抗おうとしながらも、その一言を最後に、シンの意識は極度の疲労で彼岸へ吹き飛ばされてしまった。

 
 
 

 
 勝利を確信する紅薔薇。
 その頭上に、細く長い影が差し――――直後、花弁を打ち散らす。
 びくん、瞬間全ての植物群が震えた。
「間に合っ…………ては、いないか」
 呟き、ブルーコスモスの鬼札を軽々叩き潰した者は溜息を零した。
 竦めた肩の向こうに、横たわるシンを見る。
 小走りでその脇へ行き、脈を取り、今度は安心の溜息。
 落ちていた青い核鉄を拾って腹の上に置き、横に抱え上げる。
「よくやったよ、シン・アスカ。バッチリだ」
 に、整った顔に微笑を浮かべ、現れた者――橙に艶めく頭髪の美丈夫――は外へ向け歩き出した。

 
 
 
 

 
 目蓋に、光が差し込む。
 朝か、思いゆっくりと目を開け――――
「!!」
 フラッシュバック。
 昨日の全てが一気に思い出され、シンは体を起こそうとし……激痛に崩れた。
 痛い、半端無く痛い。
 それでも首だけを捻ろうとし、傍と気付く。
 この、頭の下にあるやわらかいものはなんだろう。
「シン」
 声。
 やわらかいものと同じ、快活さを秘めながらそれでも優しい声。
「無茶、させちゃったね」
「…………あ」
 そう言い、少女は微笑んだ。
 微笑んだ瞬間、真紅の髪が一房揺れる。
 誰か? そんなの決まっている。
「ほら見て、こんな時間なのに飛行機雲。マスドライバーが動いたのよ」
「る、な」
「ただいま、シン。心配かけてごめんね」
 力が抜け再び脚にもたれ掛かってきたシンの髪を、少女――ルナマリアが梳く。
「ステラと話したの。シンの、その剣の名前」
「…………ぶそう、れんきん?」
「そ。あの雲みたいに真っ直ぐで、だけど雲と違ってすぐには消えない、すっごく強い衝撃…………
 だから、インパルス。<<Uplight-Impulse>>って」
「アップライト…………イン、パルス」
 噛み締めるように呟き、シンは良い名だとだけ思った。
 ステラはどこだろう、ラクスさんたちは無事か、あのバラ娘はどうしたかな。
 そんな止め処ない思考も、やがて安堵に流される。
 今は、休みたい。
 再度閉じゆく目が最後に見たのは、紅い少女の笑顔。
 それで、久しぶりに、自分も笑えた気がした。

 

 飛行機雲が、空に溶ける。

 

                           第15話 了

 


 

後書き
 猛烈に遅くなり申した、謝っても謝りきれぬと第15話投稿。
 最早多くは語りません。事後の片付けなどは次に記しますが、薔薇の事変はこれにて幕にございます。
 次からは新章突入、よろしければまたお付き合いの程をよろしくお願いいたします。ギギー。