武装運命_第14話

Last-modified: 2007-12-29 (土) 02:39:52

彼――ヨップ・フォン・アラファスは、屋敷の変貌をただ見ている事しか出来なかった。
 煙草を吸いに外へ一歩出た瞬間、それまで超然と建っていた豪邸が無数に鋼を生やし始めたのだ。
 思わず我が目を疑い、しかし抓ってみた頬は痛く。
 懐に拳銃があるのを確認した途端、屋敷内から同僚の悲鳴らしき声が聞こえた。
 そう、悲鳴。
「何が起きてるんだ、一体…………!」
 呟きに応えるモノなどない。
 朝方に兄貴分と話した“嫌な予感”が、よもやこのような形で当たってしまうとは。
 ふと見上げた拍子に、彼は中へ取り遺された人を思う。
 このまま、逃げてしまって良いのか?
 石持て追われるやくざ者の一員にありながら、彼には人並みの善良さがあった。
 今逃げてしまえば命は間違いなく助かる。だが、これから先の生涯を二度と解放され得ぬ後悔と共に歩まねばならない。
 それは、嫌だった。
 本能的な怯えで軽く腰を引かせながら、恐る恐る入り口へ近付く。
 すると。
 ――バンッ!!
「ぅひァっ!?」
 向こう側から、扉が激しく叩かれたではないか。
 驚愕でバクバク心臓を跳ねさせながら、彼は銃を構えた。
 が。
「おい、誰かそっちにいやがるのか?」
「…………アッシュさん? アッシュさんですか!?」
「ヨップか! 手が塞がってんだ、扉開けろ」
 心配は杞憂で済んだようである。
 知った声に安心し、ヨップは扉をぐっと引いた。
 シリンダーの噛み合う音。
 開いた扉の向こうには、確かに今聞いた声の主と合致する男がいた。
 奇抜な髪型に奇抜なメイク、名をアッシュ・グレイ。
 その肩には一人の男が寄り掛かっている。中で助けたのだろうか、自分中心を地で行くこの男にしては珍しい事だ。

 

「無事だったんですね、よかったぁ!」
「ま、余計なモンも拾っちまったがな。疲れた、コイツぁ任せる」
「えっ、任せるってっちょっま!?」
「大事に扱えよ。上手い事行きゃ色々せびれるかもしれん」
「ぅ、ぐ………………」
「色々って、この人シーゲル・クラインっ!?」
 ドアの隙間からひょいと渡された男の肩を支え、ヨップは別の意味で驚愕した。
 シーゲル・クライン。本日のターゲットが一人。
 彼の物言いたげな視線を無視し、アッシュは壁へ寄り掛かる。
「娘の、ところへ…………!」
「さっきからこれしか言わん」
 動きが響いたか、シーゲルがヨップの肩で呻く。
 痛みに歪めた顔から滴り落ちる血。かなり大きな裂傷が頭に見受けられた。
 こんな状態で、何処ぞへ連れて行けと?
 思わず兄貴分を見るも、見られた方は無言…………と思いきや、ドアの向こうで裏庭の方を差し示した。
 お前が連れていけ、雄弁に目が語る。
「…………アッシュさん」
「言ったぜ。“任せる”ってな」
 追い払うように手を二度振り、鋭い顔を曲げるアッシュ。
 逡巡する事数秒、ヨップはひとつ頷いてシーゲルと共に屋敷の裏へ回り始めた。
 わざわざ外を通る選択。
 それで、良い。
 二人の姿が角を曲ってこちらから見えなくなるのを計らい、
 ――BANG!
 アッシュは、躊躇い無く銃弾を解き放つ。
 するする足下ににじり寄っていた蔦が、その弾丸で撃っ散らされ毒々しい樹液を吐き出した。
 しかし鋼の植物群はその一本に納まらない、次々生えては寄ってくる。
 つまらなさげに鼻を鳴らし、アッシュは壁に沿ってずるずると地面へ背中を滑落させた。
 白亜にべっとり張り付く、どす黒い赤。
「時間切れか」
 呟き、自分の頭へ銃を押し付ける。
 この男、シーゲルを運ぶ途中で、既に致命傷の攻撃を幾度か受けていたのだ。
 とは言え、得体の知れぬモノに自らをくれてやる積もりも毛頭ない。喰われて果てるくらいなら、さっくり死んで見せてやる。
 誰へともなく笑みを投げ、引金に掛かった指にきりりと力を込め――――その顔に、上から影が差す。
 人の、影が。
 ばたりと閉まる扉。
 それは、ヨップとアッシュの往く道が完全に分かたれた事実を暗示していたのかもしれない。

 

 薔薇園での邂逅より遡る事、およそ数分前の出来事であった。

 
 
 

 がさり、右の茂みが揺れた。
 その方向へ向き直る事はせず、剣だけを盾代わりに構える。
 直後、体を叩く衝撃。
 剣翼でダメージを拡散させながら、周囲へ再度気を配る。
 だが、もう、いない。
 息を吐く暇さえなしに、直感任せで首を横へ跳ね倒す。
 ちっ、顔の皮を軽く削がれた。
 狂獣と化したヒルダの猛攻は、数十合打ち合った今でも全く衰えない。
 確実に戦闘能力を削ぐ場所や急所を狙ってくる動きは、軌道こそ直線的であるものの、挙動自体が恐ろしく速いのだ。
 タイミングが1コンマずれるだけで首と胴が泣き別れしかねぬ、逼迫した状況。
 シンは、非常に追い詰められていた。
 一言すら発せず、ただ意識を研ぎ澄ませる。
 向こうは視認できない速度、なれば目だけに頼るのは愚の骨頂。
 五感全てを使わねば、追い着けない。追い越せない。
 呼吸を落ち着ける。
 一朝一夕で出来る事ではない。が、出来なければ屍を晒す事になろう。
 だから、やる。
 腰だめに紅剣を構え、蒼穹の剣翼へエネルギーを充填。
 左後ろから爪が来た。
 体勢を崩さず紙一重で捌く。
 まだ、捉えきれない。
 間髪入れず鉄鞭と化した尾の奇襲。
 徹を先端に叩き入れて弾く。
 動きの先が、見えた。
 強靱な双脚で思いきり蹴り付けられる。
 バックステップを踏み、自ら吹っ飛んでダメージを緩和。
 もう少し。
 接地と同時に回転し右の爪を横へ薙ぎ。
 スウェーし伸び切った手を下から搗ち上げた。
 瞬間、銅狼に初めて隙が生まれる。
 それを見逃すシンではない。
 ここだ。
 踏み込んで、袈裟掛けに、一閃!
 手応えが在った。
 双者共に止まる動き。
 その静寂は、天へ伸びたヒルダの右腕が肘からズレた事で破られる。
 斜に線が走り、落下。
 がしゃ、地面へぶつかり跳ねた拍子に切断面から鉄屑が零れた。
 双方、無言。
 シンにしてみれば安心したいところではあるが、やっと一撃当てただけなのだ。
 すっぱり断ち斬られた右腕を、銅狼がじっと見詰める。
 ふ、視線がシンへ戻った。

 

「…………やるね」
 その口から放たれたのは、理性ある台詞。
「アンタ、気付いたのか!」
「あぁ。ま、多分そう永い時間は持ちそうにないんだけど」
「…………どういう意味だよ?」
「言葉通りさ」
 驚愕から戸惑いへ移ったシンの雰囲気に、ヒルダはきりきりと左手を震わせながら持ち上げる。
 指が差したのは、額だった。
 克明に浮かんだ章印。
 それを注視したところ、その中央に緑色のナニカが蠢いている。
 芽。
「腑甲斐無い話だが、コイツに体の主導権を取られちまった。次に寝ちまえば、もう二度と起きれないだろうよ」
 自嘲するヒルダ。
 全身が軽く震えているのは、“芽”の暴れようとする意思と彼女の押さえ込もうとする意志が拮抗しているせいなのだろう。
「取り出す事は出来ないのか!?」
「無理だね。人間で言やぁ脳味噌を鷲掴みにされてるようなモンさ、下手に取ろうとすりゃ道連れにされる」
「…………じゃあアンタは、このまま操り人形みたいにされて、獣みたいに暴れた揚げ句に朽ちるしかないんだ、と?」
「なっちまったモンは仕方ない。キリ付けるためにも、さっさと終わるだけだよ」
「そんな、そんなのっ!」
「ま、その終わりに少しでも満足が得られりゃ…………そう、そうなりゃ、御の字さね」
 捨て鉢とも思える物言いに慟哭しかけたシンへ、ヒルダは微笑んだ。
 儚げな姿、女傑と称して然るべき彼女には似合わぬ。
「どうして、こんな…………」
「この身が弱かっただけの事さ。弱肉強食は世の理だよ」
「弱肉強食って、アンタ、このまま終わる気か! ラクスさんに申し訳ないとか思わないのか!?」

 

 言ってしまってから、シンは後悔した。
 ヒルダが、泣いている。
 眼帯に染みる程、涙を流している。
「申し訳ないさ。ああ、申し訳ないよ。自分が腑甲斐無いせいで、あのお方に余計な思いを抱かせるかもしれないってんだ…………申し訳なさすぎて、臓腑が千切れる!!」
 ほろほろと泣きながら、暴れだしそうな体を必死に押さえ、シン以上に慟哭する銅狼。
 その姿は、恐ろしきホムンクルスでもSPでもない。
 追い詰められてしまった、ただの女だ。
 ――ギリィッ。
 脳に音が反響するくらい、強く噛み締めた奥歯。
 彼女をそうさせたモノに対する怒りが、少年の心で一気に灼けた。
 激情。
 握りしめた紅剣も、その心に呼応し燃える。
「うっ…………ぐ、うぅぅぅuuuRRRRAAAAAAAAA!!」
 涙のせいで意識が切れたか、ヒルダが再び狂獣のそれへと変わってしまった。
 先程以上に苛烈な速度で突撃してきた銅狼を、シンは無言で迎える。
 残された左腕の爪が、交錯の瞬間に少年の頬を軽く削いだ。
 それだけ。
 続け様に二度三度と飛び掛かるも、最早先端さえ掠めもしない。
 見切られた、“芽”の意志はやっと理解する。
 振り向かせた体。
 その瞳孔が捉えたのは、シンの首輪に奔る緑色の光輝だった。
<<Change Blast・Silhouette>>
 首輪に繋がれていた羽根代わりの外殻が外れ、紅剣の鍔回りに噛み付く。
 そして更に新たなパーツを吐き出し、握り柄を延長。
 数秒と掛からず変形を為し、完成された姿は正しく三叉鉾。
 びょうと一閃風を斬り、シンは己の身長を盛大に上回る長さの鉾を両手で構えた。
 切先が狙うは、ヒルダの額。
 シンの武装錬金の特性は衝撃操作。その中でもブラストシルエットは、衝撃の在り方を直接操る事に一番長けた形態である。
 相手がいるのは、ホムンクルスの脳にして心臓たる章印が刻まれた額。
 章印に傷を付けず、“芽”だけを駆逐する。
 やってみせると誓った以上、やってやれない事は無い!
「聞こえてるかどうか分らないけど、言っとく。避けるなよ」
 告げ、掌に力を込める。
 相手が憎きホムンクルスの一種である事など、今のシンにはどうでも良い事であった。
 この“芽”が、そうしたモノが、気に食わない。
 深緑の鉾に絡み纏わる、不可視の衝撃。

 

 恐れたか、“芽”に従い離れようとする脚を、何かがその場へ縫い付ける。
 それこそ、ヒルダの意志。
 硬直した体で無理矢理笑みを作った彼女の姿に、脳裏で何かが割れた。
「一撃だ…………一撃で、済ませる!」
 応えるように吼え、シンは一気に地を蹴り抜く。
 必要な衝撃の性質と指向性と強度を一瞬で見定め、鉾へ入力。
 穂先と額が一気に距離を縮め、激突し。
 突き出した腕。
 その刃が抉ったのは、表層ほんの数ミリだけであった。
 だが、それで充分。
 大仰な素振りで緑鉾を血払いし、シンは指を一度高らかに鳴らす。
 ――ピッ!
 破裂音に似た振動が耳朶を叩いた瞬間。

 

 その額が、内側より、爆ぜた。

 

 放物線を描き、内側に潜んでいた毒々しい“芽”が吹き飛ばされる。
 今し方僅かだけ抉り入れた穂先には、ヒルダに潜り込んだ異物だけを選定し排除するよう指向性を付けた衝撃が込められていたのだ。
 べしゃりと芝に落ち、未練がましげに繊毛をくゆらせる“芽”。
 赤黒く濡れたその鋼へ緑鉾を突き付け、シンは容赦なく砕き潰した。
 ぐら、解放されたヒルダがよろける。
「くぅっ………………」
「と、危ねっ」
 地面へ前のめりに倒れかけた体を抱き止め、安堵の溜息。
「…………助けられちまったねぇ、色々」
「大丈夫か? いや、腕落とした俺が言う義理じゃないかもしれないけど」
「いや、こっちも本気で命取りに行ってたんだ。お互い生きてるだけで御の字だよ」
「あー…………そう言うんじゃ、それで違いないって事にするか」
 ふ、どちらとも無く鼻を鳴らして笑う。
「戻ろう。ラクスさんを助けなきゃだ…………アイツ、許すもんか」
「何か言ったかい?」
「なんでもないさ」
 左腕の方に回って肩を支え、シンはヒルダを連れ立ちラクスの元へ向かいだした。
 轟、瞳の奥の怒りが憎悪に歪む。

 
 

 きりり、張り詰めた空気。
 向かい合った二人の少女、その瞳には全く違うものが映っている。
 茨に束縛された娘、ラクス。
 茨で束縛させた娘、ミーア。
「アンタ………………なんなの?」
「単純に言えば、人にもホムンクルスにも成りきれない中途半端な存在です」
 再びの問いに、ラクスも今度は答えた。
「いつから、そうなってるわけ?」
「物心付いた時には、既に」
 ぎしり、ミーアの心に錠が落ちる。

 

「人、食べた事は?」
「ありません。今までも、そしてこれからも」
 ぎしり、錠がもう一つ。
 瞳をどろどろに澱ませ、ミーアは唇を軽く舐めた。
 喉と同じく、心と同じく、乾き切っていた。
「…………人を喰わないホムンクルスなんて、有り得ない」
「不可能ではありませんわ。ただ、恐ろしい程に強烈な餓えを耐える覚悟が要ります」
「はっ! そういう風に出来る自分はすごぉいって事?」
「まさか」
 挑発的な言葉に、しかしラクスは寂しげな目をするのみ。
 ぎしり、それでまた錠が。
「褒められた事ではありません。私は、人を手に掛けたく無い」
「それは、偽善? それとも意気地が無いだけ?」
「…………意気地が無いとは、言い得て妙ですね」
 くす、目の佇まいは変えず、しかし僅かにラクスが相好を崩す。
「怖いのは確かです、誰かの未来を私が閉ざしてしまうのが」
「そうしなきゃ生きられないのがホムンクルスでしょ? てか、人間だって他の生き物喰うじゃない。それとコレと、どこがどう違うのよ」
 その質問は、錬金の戦士とホムンクルスとの間で幾度も繰り替えされたやり取り。
 ある者は種族の優劣を訴え、ある者は倫理の問題を訴え、ある者は栄養の事情を訴え、ある者は思考の是非を訴え。
 どれにも一定の正しさがあり、そしてそれ故に誰かが反発する。
 なればこその問いに、ラクスは至極あっさりと答えた。
「心の持ち様です」
 余りにもシンプル且つ明確な答えに、逆に吹っかけた方のミーアが目を剥く。
「…………あ、アンタ、言うに事欠いて、ソレ?」
「心を侮ってはなりませんわ。自分の捉え方ひとつで、同じ出来事でもプラスマイナスを変えてしまうのですから」
 呆れ声のミーアにそう返し、微笑。
 それでまた、ささくれ立った心がぎしぎし罅入る。
 険を込めた言葉の一つでもくれてやろうかとし、しかしアクアマリンの瞳に混じった色を悟って、思わず閉口した。
「私は、人間が好きなのです。この世界に生きる、全ての人間が…………最初からそう意義付けをされた存在故に」
「意義付け、された?」
「そこから先は、私が話すべきだろう」
 突然聞えた第三者の声。
 ラクスを包む茨の後ろ方から、影が二つ近づいてくる。
 隈が酷い黒服の男と、彼に肩を借りた男。
「隠してきた積もりであったが…………知っていたのだな」
「自分の事ですもの、わかりますわ」
 寂しげなラクスの言葉に、現れた男もまた哀しい目を向けた。
 シーゲル・クライン。
 警戒心も露に睨み付けるミーアへ、彼は粛々と語る。

 

「幼い折、ラクスは生命を落としかねぬ程の大怪我を負ってな。当時の医療技術では助かる見込みはなかった…………現在の最先端医療でも、あれは助けられるまい」
 言い、黒服ことヨップから肩を外して己の足で立った。
 コーディネーターは、そもそもが強い種である事を目指し造られたモノ。故にプラントの医療や製薬に関する技術は、地球のそれより未発達だと言わざるを得なかった。
 普通では助からぬ、とあらば?
「自分の娘を、自分の手で、ホムンクルスにしたって事?」
「ラクスに限らず、プラント内でのコーディネーター生成技術の一部には、極秘ながら錬金術が用いられているのだ。
 その一部を私の権限の元、独断で治療に使った。錬金術の行使を管理する組織にも隠して」
「はっはーん、それでこーなってちゃ世話ないわね。で、アンタは恨んでないわけ?」
「全ては、お父様が私を案じて下さったが故の事であり結果です。感謝こそすれ、責める道理などありませんわ」
「…………あー、違和感の理由が分かった。偽善者? 違うわね、アンタはただブッ壊れてるだけよ」
「否定はしませんわ。壊れなければ、耐え切れなかった」
 つい、ミーアが眉を持ち上げた。
 たった今聞こえた台詞、それは紛う事なく弱音というモノではあるまいか?
「施した処置は、見ての通り命を繋ぎ止めはした。だが不完全な状態での施術が仇となったか、植え付けたホムンクルスの因子が強く出てしまい…………
 容態が落ち着いた時、ラクスはホムンクルスの能力を中途半端に有した存在となってしまっていた」
 懺悔するように、シーゲル。
 そう、その“中途半端な能力”こそが。
「………………声?」
「その通り」
 肯定。
 すとんとミーアの心に理解が落ちる。
 成る程、ホムンクルスとしての異能が声に集中していれば、昔日の熱狂/信奉も起きようものだ。
 あの人気は、あの歌は、彼女生来のものから紡ぎ出されたワケではないのか。
 乾いた笑い声が零れた。
 そんなモノを私は憎んだのか。
 化物を化物と知らず、化物を更に貶めようと画策し、揚げ句の果てにはその化物と同じ、いやさソレ以下の化物になってしまった。
 膝から力が抜ける。
 考えてみれば、ホムンクルスとなってから今まで一度も人を喰らった事がない向こうに比べ、自分はホムンクルスとなった直後の空腹すら耐えられなかった。
 当たり前だ。本能に根差した“空腹”を耐える事など、ヒトでは不可能であろう。
 ラクス・クラインは、ヒトに在らず。
 そんな事に今更気付くとは、なんと不様か。

 

「…………バカみたい」
 しゅる、ラクスの体から茨が外された。
 地面にへたり込んだまま顔を俯かせ、だらりと手を重力に従わせるミーア。
 先程までの憎悪に根差した覇気が、ない。
「さんざっぱら憎み倒して、無関係の人間巻き込みまくって、その結果がコレ? あは、完ッ璧に道化じゃない」
「無事か、ラクスさんっ!」
 そこにシンとヒルダが連れ立って戻ってきた。
 二人ともぼろぼろで、ヒルダに至っては片腕がない。
「ヒルダさん、その腕っ!」
「申し訳ありません、思いっきりヘマしました。落とし前先に付けさせてもらったって事で、ひとつ」
「…………生きていて下さって、良かった」
「はっ」
 跪くヒルダを抱き、ラクスは静かに安堵の息を吐く。
 その傍らで、シンが緑鉾を片手にミーアへ歩み寄っていった。
 シーゲルは止めない。
 全く話に付いていけず蚊屋の外へ置かれたヨップは、ただおろおろと経過を見守るしかなく。
「終わりだな」
「ええ、お終いね」
「覚悟は良いか?」
「ヤるなら早くしてよ。焦らされるのは趣味じゃないから」
「……お前、本当に死にたいのか?」
「どうでもいいわ」
「………………そうかよ」
 俯いたまま本当にどうでも良さそうな顔で呟くミーア。
 その姿にシンは、躊躇せず鉾を突き出す。
 ――ズガッ!
 堅いモノを抉る音。
 鉾先が埋まっているのは、地面であった。
 呻くように、声。
「どうしたの? 早くしなさいよ、」
「自殺のダシに俺を使うな」
「え」
「確かにホムンクルスは憎いさ。あぁ憎いよ。けど、こんなヘコんだ女相手に刃物ぶっ刺せる度胸は俺にゃ無くてね」
 言い、シンはしゃがみ込んでミーアと目を合わせる。
 昏く澱んだアメジストと、激情に燃えるピジョンブラッド。
「殺しなんかしない。お前は生きろ。生きて、苦しんで、悔いろ」
「………………酷い男。年下のクセに」

 

 それには答えず、核鉄を心臓へ戻すシン。
 決着がついた、そう思った。
 次の、瞬間。

 

「やれやれ。所詮は混ざりモノですか、もう少しお仕事をしてくれるかと期待したのですが」

 

 慇懃で、傲岸で、不躾で、癇に触る男の声。
 思わず皆して周囲に首を巡らすも、新たに現れた影はない。
 どこからか響いて来る声は、更に言を列ねる。
「どうも、皆さん始めまして。私はそこのバラ人間にホムンクルスの胎児を提供しました、ブルーコスモスの一員にございます」
「ブルーコスモス…………反コーディネーター団体!」
「ええその通り。本日は宇宙の砂時計を我々から奪い去ったシーゲル・クラインに報復を差し上げようと思ったのですが、当方からの使者が存外に使えぬようで…………」
 ぴくり、ミーアが眉を跳ね上げる。
「アタシを、利用、したの?」
「復讐をお望みになられたのは貴方にございましょう。ですので、代わりにその力をこちらで若干使用させて頂きます。お代は結構」
「何処だ、何処に隠れてる!」
「さて。私はただのメッセンジャー、姿なき無礼はお許しを…………ま、宇宙の化物に払って差し上げる礼儀は生憎と持ち合わせておりませんが」
 けらけらと何処からか嘲笑う声。
 丁寧に聞こえる言葉は、その実わざと慇懃に語る事でこちらを逆に愚弄する意図が潜んでいたのだ。
「何を、する気だ」
「少しばかり、掃除を」
 シーゲルの威圧にさらりと返し、声は聞こえなくなった。
 ぞろり、辺りに散らばっていた鋼の草が、ミーアの支配下から離れ屋敷の方へ集い始める。
 集う。
 糾う。
 あれよあれよと言う間に、ソレはクライン邸の屋根を突き破った。
 鉄色の花弁。
 のたうつ茨。
 無数の大葉。
 何十メートルも離れていながら姿が確認出来る程に巨大な、ソレは――――
「…………薔薇」

 

 夜に、地獄の烈華が咲く。

 

                           第14話 了

 
 
 


後書き
 新年にこそならぬもののメリークリスマスを盛大に通り越し、第14話投稿。
 御免なさい。年内で原作のパピヨン編終わらすなんてバカ言いましたが、終わりませんでしたちくしょー。あと1話で終わらせます、終わらせてみせますともッ!
 なっちゃいけない恒例ですが、遅くなって誠に申し訳ありませんでした。長い間の保守、有り難うございます。それではまた次回に、ギギー。