武装運命_第17話

Last-modified: 2008-06-18 (水) 00:53:46

「――――と言う訳で、今日からこのクラスで共に学ぶ事となったステラ・ルーシェ君だ」
「ステラ・ルーシェです。コンゴトモヨロシク」

 

 担任のトダカ先生に続いてそう言い、金髪のほやっとした少女が頭を下げる。
 それを、ルナマリアは大口開けて呆然と迎えた。
 昨夜いそいそと己の荷物を纏めて出て行ってしまった時は何なのかと思ったが、よもやこういう事だとは。
 ふと周りを見ると、同じく彼女を知る連中が皆して唖然としている様が目に入る。
 ただ一人、シンだけは困ったような苦笑を浮かべていた。
 知ってたな。
 何処かハブにされたような気持ちになり、口を尖らせるルナマリア。尤も気付いた者はいないが。
 一方、トダカと一緒に教壇に立っているステラはと言うと、

 

(…………これが、がっこー)

 

 ひっそり感動など覚えていたりする。
 何せ彼女、勉強こそ戦団やラボで受けてはいたが、出自が出自故に生まれてこの方一度も教育機関に通った事がないのである。
 ステラの脳裏にあるのは夢いっぱいの学園生活だけだ。
 戦士としての任務云々を脇に置いてしまっても、今ばかりはお天道様とて許しをくれるだろう。

 

「次の授業は歴史だったな。よし、この時間は彼女と親交を深めると良い」

 

 自分の担当する教科が次に控えている事を把握していたトダカは、ひとつ頷いて教壇から降りた。
 瞬間、クラス内のどよめきが一気に度合いを増す。
 余り五月蝿くするなよと釘を刺すトダカの声も、転入生という言葉が持つ魅力の前には抑止力たり得ないようだ。
 春は出会いの季節というが、基本的に学徒の顔ぶれなどそうそう変わりはしない。
 特に同じ学年の面子はそれが顕著である。順当にいけば3年を一緒の学び舎で過ごすわけで、大体1年も経てばクラスメイトに新しい刺激などを感じる方が稀だ。
 そこへ新風を吹き込むのが、外部からの来訪者。
 転入生とは異邦人。
 転入生とは異文化。
 そう――――転入生とは、浪漫なのである!
 失敬。
 っつーわけで、最初に切り出したのはクラスの賑やかしことヨウランだった。

 

「そんじゃ早速行ってみよう! 色々聞いちゃえ、転入生はステラっちゃあああん! いえーいドンドンパフパフ…………そこ、あからさまにヒくな」
「頑張った、君は頑張ったよ、ヨウラン」
「うーるっせ哀れむ眼で見んな首を振るな肩叩くなヴィーノ! 話進めんぞ!?」
「では、まずは差し障りない所で誕生日を聞かせてもらおう」
「ん。6月6日のふたご座だよ」
「あっレイてめ抜け駆k「どこに住んでるのー?」
「今日から寮でお世話になるの」
「す、すすすスリーサイズとか教えt「自重!!」うわらばッ!?」
「その制服、前の学校のヤツ?」
「うん。ここの服はまだちゃんと見てない」
「あーそだそだ、自己紹介じゃ定番の趣味とか特技ある?」
「しゅみ? 踊るの好きだよ」
「時にルーシェさん! 後学のため、君が好みなタイプを聞かせてもらおうッ!」
「うぇ!? このみ…………やさしいひとがいいな」
「結婚してください!!」
「それはヤ」

 
 

 とまあ、そんなこんなでつつがなく自己紹介は終了。
 ちなみに彼女が言った誕生日、これは正式なものでなく便宜上決められただけである事をここに記す。
 して、現在放課後。
 寮への帰路をシン、ルナマリア、ステラの三人は歩いていた。

 

「学校ってすごいねー」
「むしろこう急に転入できたステラが凄いわよ…………戦団、だっけ? そこってこーゆーとこもフォローするのね」
「昨日のうちにちゃんと説明できなくて悪かったな、ルナ」
「別に良いわよー」

 

 言葉とは裏腹にやや頬を膨らすルナマリアに、シンは朝と同じく困った苦笑を浮かべる。
 今日シンが見せている表情は、大体がこれだ。
 それ以上に、ここ数日のシンの様子はおかしすぎる。
 意を決し、ルナマリアは足を止め彼ついに訊いた。

 

「シン。あんた、最近変じゃない?」
「あぁ、まぁちょっとな」
「昨日言われた事、考えてる?」

 

 ステラの踏み込んだ問いに、表情から笑みが抜ける。
 残るのは苦悩。

 

「昨日って、何かあったの?」
「あぁ。戦団の人から、本格的に戦士やらないかって誘われたんだ」
「戦士……それ、もしかして、あんなバケモノとまた戦うって事じゃない!?」
「だから、迷ってるんだよ」
「この国に、危険なホムンクルス達がいる。だからステラもまだここにいる。戦うため」
「…………そんな」

 

 昨日のシンと同じく、ルナマリアもまた教えられた事実に体を震わせた。
 彼女は今まで3度ホムンクルスに襲われている。明確に危機を覚えたのは鉄蝿の群れに襲われた時ぐらいだが、それとて背筋が凍るほど恐怖を覚えたのだ。
 と、そこで思い至る。
 シンが戦士になるという事は、その恐怖に自分から飛び込むのと同義語では――――?

 

「死ぬ気!?」
「飛躍しすぎだって言えないのが何だな」

 

 ルナマリアの叫びを、シンはただ苦笑という形で受け止める。
 しかし、それを彼女は受け流されたと感じたらしい。

 

「折角平和に戻って自分からそんなとこに首突っ込むなんて、馬鹿よアンタ」
「馬鹿、か。否定できないのが辛いとこだ」
「本気で考えてんの!?」

 

 遂に怒声が響く。
 シンとて木石漢ではない、その怒声に何が篭められているかもわかる。
 ルナマリアは今、シン・アスカを案じるがためにこうして怒りすらしてくれているのだ。
 だが。

 

「言われるまでもない、俺だって馬鹿だって思うさ。
 けど、ここには力があるんだ。奴らと戦うための力が」
「違うよシン! それはシンのいのちだから、シンが生きるためのものだから、無理してシンが戦う必要なんか「俺は!」

 

 ステラの悲鳴を遮る声。
 シンも考えている。
 考え、そして迷っている。
 戦うかどうかではなく。
 ――――戦いに挑む、その心構えを。

 

「…………俺は、正直、ホムンクルスが憎い。今こうやって戦おうとするのも、それに引き摺られてるせいなんじゃないかと思う」

 

 左手を胸に重ねて瞑目するシン。
 眉間に深々と刻まれた小さな皺が、それだけの苦悩を示す。
 復讐を求め戦士になった者も、戦団には数多存在する。
 肉親、親友、恋人、大切な人を奪われた恨み憎しみはそう簡単に癒せるものではない。その悪感情の矛先が戦いに向く事は、人間の精神構造上決しておかしくなどないのだ。
 そこへ至る善悪是非については、この場で問わない。
 誰かが奪えば、誰かが怒る。
 ――――その負の連鎖を断ち切れぬからこそ、人は愚かしく、人らしいといえるのかも知れぬが。

 

「迷ってるのは、そんな気持ちで戦って意味があるのかって」
「…………戦うのは決定事項なわけ?」

 

 最終確認然としたルナマリアの問いに、こくり一つ頷くシン。
 はぁ、溜息が少女二人の口から同時に漏れた。
 三対六本の止まっていた足が一斉に動き出し、道を踏み出す。
 天は、夕闇。

 
 

 ラクスの目覚めは、おおよそ最悪といって良い気分だった。
 意識が覚醒した所は、指一本一本の先端までを包み込む粘性が高い液体。一体何の冗談だと言いたくもなろう。
 液体は透過性が酷く悪いせいで目を開けても何も見えない。
 口を開こうとし、しかしそれが喉奥をこの粘液に明け渡す事に他ならぬと勘付いてすぐさま閉口する。
 だが、それでまた別の事実に思い至った。
 この中で呼吸が出来ているのは、一体何を介してのものか?
 思わず鼻を軽く啜れば、液体が盛大に進入してくる。
 成る程と納得。全身の穴という穴へ、この液体はとっくに入り込んでいるのだ。

 

「あら、目ぇ覚めた?」

 

 と、いきなり粘液が震え声という音情報を伝えてきた。
 その直後、濃緑に濁っていた液体が一気に透過性を跳ね上げ、真透明と言えるまでに色合いを失う。
 未だ視界が霞むのは、単純に自分の眼球が適合していないせいか。

 

「…………ここ、は」
「ん、こっちの声も聞こえると。だーいぶ回復しちゃったみたいねぇ」

 

 次第に鮮明になっていく視界、映るのは灰色の小瀑布。
 それが髪の毛であると理解できた頃には、ラクスは声の主が誰であるかも分かっていた。
 何せ、韻律はともかく声質が自分のそれとほぼ同じなのだ。
 間違えるものか。

 

「あなた、は…………ミーアさん?」

 

 呟くような確認と同時に、視界が健常を取り戻す。
 そして見たのは、顔。
 声と同様、自身とほぼ全くといって良いほどに差異が無い、鏡合わせの様な顔だった。

 

「え――――」
「あはは、やっぱ驚いた! 当然よね、アタシも驚いたし」
「それ、その顔は、一体?」
「整形よ整形。いやでもアタシがしてくれって頼んだんじゃないわよ? 第一頼まれたってこんな顔になりたくないし」

 

 作り物じみた印象が元の持ち主以上に濃厚な美しい顔立ちを嘲笑の形に歪め、声の主ことミーアは鼻を鳴らす。
 その体を覆うのは、背に銀糸で薔薇を縫い込んだゴシック調のブラウスとベルトを無駄にあしらった漆黒のレザーボトム。
 流石に裸体のままではいないようだ。残念。
 肩を竦め、彼女は頼まれてもいないのに説明を始めた。
 ミーア・キャンベルが拘束されていた施設は、ラクス達のいた施設より一日早く潰されていたそうだ。
 目的は戦力確保および不安要素の撃滅。己らに迎合すればよし、さもなくば待つのは鏖殺だ。
 しかしてその施設内の連中はほぼ全員が襲撃者の下へ下り、ミーアただ一人がそれを良しとせず逃走したわけである。
 逃げた理由は、連中がブルーコスモスの者だと割れたからだ。一度己を切り捨てた組織に改めて振れる尻尾なぞミーアは持ち合わせていない。
 が、そのせいで部隊の総統者に目を付けられ、差し向けられたのは核鉄持ちの人型ホムンクルス部隊。
 そんな連中を相手にした状況下でなお生き永らえただけでも凄まじいのだが、まぁ、結局は敢え無く捕まってしまった。
 で、ミーアを捕らえた部隊総統者が次に出した指示は――――
  この女の顔をラクス・クラインにしろ
 呆然と話を聞く液体の中の歌姫に、薔薇姫は怒りのせいか髪の毛を紅蓮へ染め出す。

 

「バカだって思うでしょ? 思うわよね? 思わなかったら馬鹿よ莫迦!!」
「な、何故そのような事を…………」
「知らないわよ! 大方この声がアンタに似てたせいじゃないの!?」

 

 生え際から毛先まで真っ赤に染まりきった髪をざっくりと掻き上げ、ミーアは苛々と吼えた。
 万一ラクスが捕まらなかった際の替え玉にしようとしたんだろう、というのが彼女の見解である。
 尤も、当のミーア自体に脱走されるとは彼らも想定していなかったらしい。何ともお粗末に過ぎる話だ。
 第一素直に話したところでミーアがそれに協力するわけもない。
 ナチュラルが誇れるのは精々整形とキムチとロッテワールドくらいだもんねぇ、どうでも良さそうにミーアは件の連中の行動をそう評価した。
 険しい顔のままラクスが収まっている液体入り円筒の前に立ちコンソールを操作。
 ゴシュゥゥゥ、鈍い音を立て液体が目減りしていく。
 顔が水面から出た瞬間、ラクスの脳に一気に息苦しさが押し寄せた。
 反射的にミーアへ背を向け噎せ込めば、喉から鼻から耳からあの液体が溢れ出してくる。

 

「引き摺られてるわねー。ホムンクルスなんだから呼吸しなくっても生きられるわよ?」
「げほっ、ぇほっ…………そ、うなのでぅえふ、か?」

 

 苦しさ全開なラクスの様子に何を感じたか、ミーアは再びコンソールを操作し円筒を上昇させ彼女に歩み寄った。
 したい事は別にあったが、まぁ良い。
 思い、布一枚さえまとわぬ真っ白なその背をさする。

 

「あ…………ありがとう、ございます」

 

 ミーアがその礼に返したのは、鼻を鳴らす事だけ。
 ただ、本当に僅かながら、そこには以前ほどの棘が無いようにラクスは感じた。
 冷たい、しかし少しだけ温度を感じさせる手が背中を這う。
 しばらくそうしていたが、ラクスの調子が落ち着いたのを見計らいミーアは掌をどけた。
 液体の残滓が一瞬糸のアーチを作り、堕ちる。
 ぺっと大きめのタオルを一枚投げ渡して、ミーアは一言。

 

「アンタの事待ってるヤツが居るから、落ち着いたんなら行ってやったら?」
「行く、とは…………どちらまで行けば?」
「そこにドアあんでしょ。その先に居るっつってたわよ」
「はぁ、わかりました」
 いまいち納得しきっていない様子ながら、ぐるりとタオルを体に巻き付けるラクス。

 

 濡れた足が一歩を踏み出し、のっぺりした床を踏む。
 冷たい感触。
 明かりの薄い空間はやけに広く、風が吹き込んだわけでもないのに寒気を感じさせた。
 無数のコードが壁面に沿って這い回る姿は、無機物から成っているにも拘らず何処か生命的な印象を受ける。
 それが、気持ち悪い。
 ふと振り向いてみたところ、ミーアは先程の場所に立ったまま懐から何かを取り出した。

 

「ミーアさん?」
「アタシこれから出掛けるから。それと一個忠告」
「……なんでしょうか」
「信用し過ぎないほうが良いわよ」
「え」

 

 何を、誰を、そういう所の一切を言わず、ミーアは口を閉じる。
 改めて問い直せる空気は作っていない。
 訝しげな顔で留まったラクスを、携帯電話を持つ方とは逆の手でしっしっと追い払い、何処ぞへ連絡を取り始めるミーア。
 その取り付く島も無い様子に、ラクスは溜息ひとつ吐いて再び歩き出した。
 うねるコードの間隙を縫い進んでいくと、言われた通りドアがひとつ。
 シリンダーを捻り開け一歩踏み出してみれば、今度は螺旋を描く階段のお出迎え。
 起き抜けでこの仕打ち、色々思わなくも無いが気を取り直して上る。
 幸い段数はそこまで多くなく、無心で二分近く足を動かしていたら天辺まで辿りついていた。
 が、そこにまたしても立ち塞がるドア。
 僅かに覚えた疲れを押し殺し、ぐっと鉄扉を開くと――――

 

  巨大なフラスコ その中で揺れる 下半身と右腕の消失した ヒルダ

 

 一瞬、意識が飛んだ。
 なんだこれは。
 理解が追いつかない。
 浮つく思考が、とにかくあのフラスコから彼女を助け出せと叫ぶ。
 抗う旨もなし。
 ぐっと白魚のような指を握り締め、立ちはだかる壁に一気呵成の突きを叩き込もうと一歩踏み出し。

 

「お待ちください」
「ひゃっ!?」

 

 突然、背後から声を掛けられた。
 なかば飛び上がるほど驚き、拳をそちらへ差し向け警戒を露にするラクス。
 声の主は、それに対しすまなさそうな調子で謝罪する。

 

「あぁ、すいません。驚かせてしまいましたね」
「び、ビックリしました…………」
「どうも人の様子を伺うのが苦手でして、重ね重ね申し訳ない」

 

 床を踏む音と共にラクスの前に現れたのは、一人の男。
 色素の薄い肌に総じて後ろへ流された黒髪、双眸は静かに閉ざされている。
 丈が長い修道服を纏い、手には杖一本。
 盲。
 その棘を持たない存在感に、ラクスは息を呑んだ。

 

「こ、ここは一体?」
「研究施設です。尤も、既に破棄された場所を勝手に借りているだけなのですが」
「研究、施設」

 

 鸚鵡返しに繰り返すラクス。
 状況が状況故、彼女はその発言が法を犯している事の証左であると気づかない。
 要するに不法侵入やら何やらである。

 

「あの女性を収めているフラスコは、ホムンクルスを修復するためのもの。
 型は違いますが、貴方も先程まで修復を受けていたのです」

 

 軽い傷だったのですぐ直ったのでしょう、微笑を絶やさぬまま男は顔をフラスコに向ける。
 フラスコの入口に幾本ものコードが突き刺さり、栓を貫いてヒルダの体に刺さり絡まっていた。

 

「…………ヒルダさん」
「数日あれば目を覚ますと思いますが、彼女の傷は深い。元の体に戻るには、恐らく数ヶ月単位の休息が必要になる」

 

 その言葉に、ラクスは愕然と目を見開く。
 それ程に酷い傷をヒルダが負っていながら、同じ場に居合わせたラクスは今こうして大した傷もなく立っていられる。
 なれば、彼女が主人に代わりあの暴火を一身に受けた結果。
 ガクンとラクスの膝から力が抜ける。
 もし、今さっきフラスコへ突き出した拳が止まっていなかったら、自分はこの手でヒルダに――――
 背筋に氷柱を突き込まれたかのような悪寒。
 自らを掻き抱いて小さく震える少女の肩に、男は軽く手を乗せた。

 

「まだ貴女も万全でない筈、もう少し休まれた方が良いでしょう」

 

 しかし、反応はない。
 困ったように顎へ手を当てた後、男がぽつりと呟く。

 

「…………取り敢えず、自己紹介がまだでしたね。私はマルキオ、この小さな島で孤児と共に生きております」

 

 孤児という言葉にラクスは顔を上げた。
 深い響きを持つ声で、男、マルキオが深々と頭を下げる。

 

 歌姫は、導師と、出遭ってしまった。

 
 

 結局その後は一言も口を聞かぬまま、辿り着いた寮。
 すると、庭先に人が集っているのが見えた。
 何事かと3人で行ってみれば、生徒達の他に人影がひとつ確認できる。
 それがどうも、シンには見覚えがあった。
 訝しみながら近寄ると、向こうもこちらに気が付いたようで、高らかにズパッと手を掲げてきた。
 人垣を謝辞と共に割りながら接近する者、拍子に橙の前髪が揺れる。

 

「よっ!」
「あ、どうも…………じゃなくて、ヴェステンフルスさん何でここに!?」

 

 人影は案の定、戦士長ハイネ・ヴェステンフルスその人であった。
 シンだけでなくステラも呆然としている辺り、彼女もこの話を聞いては居なかったようだ。
 全く、人を驚かせるのが好きな男である。
 またも悪戯っぽい表情を浮かべつつ、微妙に不満そうな声で彼はからからと笑う。

 

「ハイネって呼べハイネって。それと今日から俺ここの管理人やるんで、そこんとこよろしく」
「は!? マリアさんはどーしたんすか!」
「産休に入ったって話聞いたけど、違うのか? その穴埋めに来たんだぜ俺は」
「…………あー、そう言えば先月の暮れあたりにそんな感じの話があったようななかったような」
「しっかりしろよ少年っ」

 

 言われてみれば確かに、先任の管理人マリア・ベルネスは以前産休を取ると言っていた。
 べしーんとシンの背を叩き、豪放磊落な態度で大笑いするハイネ。
 先日と違って装飾性の薄い作業用のつなぎを身に付けている彼だが、それすらスタイリッシュに見えるのは何故だろうか。
 と、そこに今まで黙っていたステラがやっと噛んできた。

 

「戦士長」
「OKOK。皆まで言うな、ココで話す事じゃない。管理人室に行くぜ? あとハイネな」
「うぇ…………了解、ハイネ」

 

 呼称に満足そうな頷きを一度返し、ハイネは颯爽と寮へ足を向ける。
 その後を急ぎ付き従うシンとステラ。
 またしても一人だけハブにされたルナマリアは、一瞬愕然とした表情をするもすぐさま3人を追う。
 例え危険に身を投ずる事になろうと、これ以上蚊帳の外扱いは嫌だった。
 当然シンはそれを止めようとするのだが、先の事もありルナマリアの方が聞く耳を持ってくれない。
 加えて、ストッパーである筈のステラとハイネは彼女を手招きしている。
 暗澹たる溜息を吐き、シンはゆっくり歩調を遅め最後尾に付く。
 今の気分のまま、彼らと並び立ちたくなかった。
 が、歩みが止まらない以上その足が目的地に近づいていくのもまた必然。
 そんなに時間も掛からず、4人は管理人室へ到着する。
 引き戸を開けて少年達を室内に招きいれ、ハイネは内側から鍵を閉めた。
 四畳半に靴を並べるスペースだけをプラスした、決して広々空間とはいえない部屋。
 真緑の黒板と幾つか詰まれたダンボール箱が新しさを、壁に貼り付けられたままの年間行事予定がそれまでの歴を感じさせる。
 ぽつねんと中央に卓袱台。

 

「引っ越したばっかで、生活に要る品は出せてなくてな。ジュースで良いか?」

 

 言いながら段ボール箱に貼ったガムテープを破り、3本缶ジュースを取り出すハイネ。全部リンゴ味だった。

 

「あ、ありがとうございます」
「これも食っていいヤツだな。ユニウス市特産バタークッキー」

 

 座り込みながら次に取り出したのは、一枚一枚個包装になったクッキーの山。
 それをガッと木皿に空け、ハイネは早速一枚引っ掴み口へ運ぶ。

 

「お前らも遠慮しないで食ってくれよ。むしろ減らないと困るんだ」

 

 笑いながら二枚目を貪り始める青年の姿に、3人は一様に溜息を吐いた。
 どうも振る舞いが威厳に欠ける男だ。
 まあ何時までもだんまりのままでは何だし、そう思いシンはクッキーに手を伸ばす。
 釣られて少女二人もクッキーを取りもそもそ食み出した。
 そのまましばらくの間、部屋内は焼き菓子が消費される何処か機械的なリズムの音に満たされる。
 皿からおよそ10枚程のクッキーが消えた頃、ようやくハイネが口を開いた。

 

「さて…………落ち着いたとこでアレだが、お前らに残念な報告をしなきゃならない」
「へ?」
「残念な報告、ですか?」
「ああ。ラボでお前さん方二人と別れた後な、本部から連絡があったんだ」

 

 一度言葉を切り、ハイネは顔を切り替える。
 矢を番え引き絞られた弓のごとく、その双眸は鋭い。
 これが戦士の顔なのか、シンは先の威厳に欠けるという印象を棄てた。
 ただ目の前に居るだけで気圧される、そんな雰囲気の源泉が怒りであると感付いた時、既にハイネは続きを喋りだしていた。

 

「昨日か一昨日かかね、戦団の所有する施設がホムンクルスに襲撃された」
「!」

 

 何、と問い返す事は出来なかった。

 

「やられたのはアカツキ島とカグヤ島の収容施設、それに重罪を犯したホムンクルスのための隔離牢獄。
 前者にゃラクス・クラインが、後者にゃミーア・キャンベルが居た」
「居た、って」
「過去形…………今は居ない?」
「そうだ」

 

 硬い顔のままハイネは肯定する。
 ぐしゃ、握られていたクッキーの包装袋が音を立てた。
 一番に潰されたのは隔離牢獄である。襲撃者はその牢獄に収容されていた者を傘下に入れ、戦力を一気に増強してしまっていた。
 続いて狙われたのはカグヤ、こちらへ手を出した目的は新参の能力確認と思われる。
 カグヤに収容されていたホムンクルスは皆数が多くない上、戦いに向く力も性格も有してはいなかった。それがために不要と断じられたのだろう、確認部隊が辿り着いた時、施設は更地もかくやと言わんばかりに磨り潰されていた。
 そして、最後はアカツキ収容施設。

 

「ここがヤられた理由は単純、ラクス・クラインの身柄らしい。
 まぁ監察官が機転を利かせて逃がしたようだから、追討部隊に引っ掛かってない限りは逃げ遂せてるだろうな」

 

 この時点で、ハイネは嘘を吐いた。
 カグヤと違いそれなりに形骸を保っていたアカツキは、監視映像を記録した媒体が幾つか生きていた。
 そのログを漁ったハイネが見付けたのは、襲撃者に紛れて忍び込む一匹のホムンクルス。
 ――――薔薇娘、ミーア・キャンベル。
 別地点のログには、彼女がラクスとその忠臣ヒルダを抱えて出口へ向かう姿が残されている。
 尤も、その後何処へ行ったのかまでは流石に分からぬわけであるが。

 

「そういう訳で、俺達の任務は現在二つ。ラクス・クライン達の確保と、襲撃者共の撃滅だ」
「撃滅…………」
「この任務、殆どが戦闘になる。当然怪我だってするだろうし、下手すりゃ死んでもおかしかーない」

 

 極論言や何だってそーなる可能性はあるんだけどな、目を瞑り言うハイネ。
 ぱちり、その翠色の瞳が露になった。
 敵は割れている。
 元々地球連合軍の宇宙要塞に発生したホムンクルスのコミュニティ、対外的名称を『堕月之女神(アルテミス)』。
 元連合軍人にしてアルテミスの元司令、そして『堕月之女神』の総統――『不死身』を冠したホムンクルス、ジェラード・ガルシア。
 それが何故この国に根付いてしまったかは知らぬ。知らぬが、彼奴等へすべき事に変わりは無い。

 

「本来なら、この任務には4人であたる予定だった。戦士・ステラと俺、それに先行して調べ事をやって貰ってた2人とでな」
「本来なら?」
「予定だった?」
「…………2人とも、施設の襲撃が起こった後から連絡が取れない」

 

 ルナマリアとシンの疑問符に返ってきたのは非常な現実。
 今の言葉は、暗に、任務へ取り掛かっていた2人が既に命亡き者であるかもしれぬと臭わせているのだ。

 

「代わりの人員がこっちへ向かってるって話だが、そいつ含めてもまだ3人。今なんか2人っか居ねぇ、パーペキ定員割れだよ」

 

 生え際を案じたくなる橙の頭髪をがしがし掻き毟り、ハイネは舌打ちする。
 このまま『堕月之女神』と事を構えるには、戦力が余りにも心許ない。
 けれども。
 ――び、もそっもそっ
 八つ当たり気味にクッキーを引っ掴み、封切ってがぶり。
 シンを無理矢理戦士に仕立て上げようという心胆が透けて見える話の流れにしてしまった事を、彼はかなり後悔していた。
 先日の事もある、十中八九シンは自分を戦士にしてくれと言うだろう。
 それは良い。シンがそう言いそう望むなら、ハイネとしてもそのようにしてやる。
 が、ハイネの経験上、場の空気に流され戦士になった者で長生き出来た奴を碌に見たことが無いのだ。
 当然そこには彼が引き込んだ者も居るし、偶然そういう事態に出くわしてしまった者や、先祖が錬金の戦士であったため済し崩し的にその後を継いだ者も居る。
 しかして、そのまま確固たる志を持てなかった者の殆どが、志半ばに散ってしまった。
 それを考えると、今ここで返事を聞くのはやめた方が良いかもしれない。
 いや。
 良いかもしれないで無く、やめねばならぬ。

 

「シン」
「はい」

 

 気持ち気色ばみ、きゅっと拳を握るシン。
 恐らく今までの流れから、残りのもう一人の戦士として力を貸して欲しいとかそんな感じの事を言われるかもしれないと内心ドキドキしてるのだろう。
 ハイネは、心の中で謝った。
 すまん。自分で思わせ振りな事をしておきながら…………それを、裏切る。

 

「昨日はああ言ったが、もう一日考えた方が良い。つか考えろ」
「勿論っ――――え?」
「いや、うん、まぁ盛り上げすぎた事は謝る。ただな、こーいう話の流れでこっち入って大成したヤツに俺会った例が無いんだわ」
「む、無責任な……」
「返す言葉ものぅございます」

 

 深々と頭を下げるハイネ。
 思わず呆れた声を出したルナマリアは、ふと隣に座るシンがヤケに静かなのに気付いた。

 

「どうしたのよシン、黙り込んdぅわ」

 

 そちらへ向いてみると、そこには呆然の表情だけを浮かべ硬直したシンが。

 

「「あーあー」」
「ちょっ、メンタル弱すぎんぞ少年!? あの日の剛毅さは何処行ったぁ!」

 

 ルナマリアとステラが揃って揶揄の響きを込めたコールをハイネに投げ、受けた方の戦士長も盛大に動揺しながらシンを揺さぶる。
 掴まれた肩ががっくんがっくん前後する。
 先程までの緊張を彼岸に跳ね飛ばしてしまった混沌に、しかし横槍を入れられる者なぞここには居やしない。

 

 ――Trrrr Trrrr

 

 訂正。ここには居ないが、外には居た。
 全員動きを止め音源を捜すと、音は部屋に据え付けてある電話からのようだ。
 一同、ばつが悪そうにえっちら立ち上がった戦士長(笑)をガン見。
 意識的にその視線を無視し、このタイミングで掛けてきてくれた相手へ感謝しつつ、ハイネは受話器を取る。

 

「はいもしもし、ジンム学園学生寮です…………あ、はい、ええ」

 

 後ろを向き話し始めたハイネ、既に戦士としての気配は無い。

 

「え? あ、居ますよここに。今代わりますんで少し待って下さい」

 一言二言言葉を交わし、ハイネは子機を取ってシンへひょいと手渡した。

「へ、俺?」
「友達っつってたぜ? それも女の子、結構良い声してた」

 女の子、の部分でルナマリアがギッと眦を吊り上げる。
 余計な注釈入れやがって、シンは折角上がりかけたハイネの心象を一気に叩き落した。
 まぁそれはそれ、早く電話に出る事にする。

 

「はいもしもし」
「あら、結構元気そう? これならアタシが葉っぱ掛ける必要は無かったかしら」
「!!」

 

 通話先、その声には聞き覚えがあった。
 無い筈が無かった。
 問うべき事が多すぎ、シンの舌を鈍磨させる。

 

「あ、う、お、お前!?」
「んふ。聞きたい事があり過ぎて、逆に詰まっちゃってる感じねぇ」
「う、うるさい! 何でここの電話番号知ってんだよ!?」
「アタシ元々そこの生徒よ。第一アンタ、アタシに一回あの人の居場所聞き来てるじゃない」
「そ、そう言えば」

 

 案外あっさりと種をばらされ、シンは肩を落とした。
 くす、受話器の向こうで笑い声。

 

「ま、それは良いとして。明日辺り会わない?」
「……………………は?」
「どうせ色々聞きたいんでしょ、明日話したげるわ~」
「明日ぁ!? ちょ、ま」
「じゃねっ」

 

 一方的に告げ、電話を切る相手。
 あぁ、その奔放さこそが“らしい”と言えなくもないのだが。
 受話器を元の位置に戻し、シンは溜息を零した。
 振り向くと、先のハイネ以上に強い視線で皆から見られている。

 

「……どちらさん?」
「えと、ミーア・キャンベルでしたけど…………あ゛」

 

 代表して聞いたハイネは、その答えにぺしんと頭を打つ。

 

「…………明日、俺も同行すっから」
「お願いします」

 

 力なく頭を下げるシンに、同情の声が掛かる筈も無かった。

 

                           第17話 了

 
 

 

 

後書き
 前話の後書きを盛大に裏切ってまぁ本当にもう御免なさいと全身大地に沈めつつ17話投稿。
 皆様を毎度毎度お待たせしてしまい、大変申し訳有りません。どうも日常や独自解釈の絡む場所では筆の進みが遅くなるようで、更に字の文と会話のバランスに悩んだ日にはもう酷い事に。すいません吊ってきます。
 兎に角、今後も精一杯頑張らせていただきます。どうぞお暇が御座いましたら、お付き合いいただければ幸いです。ギギー。