武装運命_第22話

Last-modified: 2009-03-11 (水) 13:08:08

 知る者少なな激戦から一夜明け、昇った太陽が頂点からゆるゆると落ちる昼間過ぎ。
 午睡を通り越し、今は帰りのホームルームである。
 春のうららの何とやら、春眠暁を覚えず、温やかな陽気をして呑気な心持になるのも無理なからぬ話であった。

 

 が。
 ――グォゴゴゴゴゴ、プシュルルルル、グォゴゴガガガ、んがっぐ、プシュゥゥゥ。
 この、地底より出で来たがごとき鳴動は何事か。
 クラス中が渋ったい顔をしているにも関わらず、彼は意に介した風も無く机へべったり張り付いていた。
 というか、介するための意がこの教室に無い。
 要するに深い眠りへ落ちている。
 錬金の戦士見習いシン・アスカ、昨晩の猛特訓が崇り凄まじい筋肉痛&疲労でノックダウン中だった。
 先の鳴動はこいつの鼾である。
 まぁ、それにしたところで、尋常じゃないのは誰の眼にも明らかなのだが。

 

「…………アスカは一体どうしたんだ? 朝からこんな調子だが」

 

 教員用日誌をぱたむと閉ざし、担任のトダカは呆れと心配が混じった言葉を零した。
 他の教員の話では、今日の授業はほぼ全て現在と同じ様子であったらしい。

 

「なんか、昨日の夜あたりから寮管と一緒して色々してるみたいですけど。起こします?」
「ふむ、この後は月例会があったな。ウィンザー、頼めるか?」
「あ、はい。起きなかったら引き摺ってってもいいですよね」
「…………程々にしておけよ」

 

 消極的肯定とも取れるトダカの台詞に、艶めくアッシュブロンドの髪を弄りながら、少女は涼やかな雰囲気を崩さず微笑んだ。
 アビー・ウィンザー。プラント出身のコーディネーターが大半を占めるこのクラスを纏める学級委員である。
 ちなみにシンも学級委員ではあるのだが、これは各生徒が委員会を決める折に迂闊にも居眠りぶっこいたせいで押し付けられたのだ。
 閑話休題。
 帰りの号令も済んで、生徒達が三々五々にばらけていく。
 そんな中でも机に突っ伏しっぱなし(号令では寝たまま立ちやがったが)のシンに、アビーが人の合間をすり抜け近寄る。

 

「ほら、起きましょーよぅ」
「くかー、んごっ…………ぷひゅるるる」

 

 聞く耳も意識もなし。ゆさゆさ肩を揺すってみるが、返ってきたのは気のない寝息。
 むふぅ、アビーは唇に指を当て考えた。
 月例会の開始までにそれ程猶予がある訳ではない、さっさと起きて貰わねば。
 すすっとシンの後ろに立ち、髪が引っ掛かった耳元へ口を寄せ。

 

「………… ふ っ ♪ 」

 

 ――ぞわわわわッ!!
 全身総毛立ち。

 

「うわっはァ!? ななななななななんだよぉぉ」
「おはようございます。月例会行きましょ」

 

 慌てて跳ね起きたシンにぶつからぬよう身を引き、アビーは嫣然と微笑んだ。
 予想外の起こされ方に茹りかけた頭が、月例会の句で冷える。
 途端にドッと押し寄せてきた疲れを避ける術は、生憎シンの知識内に存在せず。
 へなへな椅子へ落ちかけた腰を、アビーがぺちんと叩いた。

 

「シャキッとして下さいな、シャキッと。お疲れな所を悪いんですけどね」
「だったら余計疲れさすような事しないでくれと…………」
「あら、御迷惑?」
「滅茶苦茶な」

 

 げんなりした顔のシン。
 アビーには、このようにちょっとした悪戯を仕掛ける悪癖がある。それも許される人や程度をきっちり見極め、ギリギリ許されそうな線で仕掛けてくるから性質が悪い。
 やや鋭い感じの目を喜色に染め、ころころ笑いながら前髪を掻き上げるアビー。
 シンは釈然としない表情で、動きの鈍い身体に鞭打ち鞄を引っ掴んだ。
 未だに耳の奥が落ち着かないのか、耳門をぐりぐり抉りながら、のっそりと動き出す。
 教室を辞していくシンに続こうとし、そこでふとアビーは振り返った。

 

「ルナマリア、シンをお借りしますよ?」
「え、あ? あぁどーぞどーぞ、煮るなり焼くなりお好きにどーぞ」

 

 何故私に許可を取る、とでも言いたげげな目をしつつ、ルナマリアは投げ遣りにゴーサインを出す。
 その様子が可笑しかったのか、アビーは笑みを一つ濃くした。
 早く行ってしまえと手を揺するクラスメイトに追われ、楚々とシンの後を追い教室から出て行くアビー。
 むっふー、苦々しげに大きく肩で息を吐くルナマリア。
 内心思うことがないでもないが、どうもそれ以上に別の感情が邪魔をする。
 喧騒の中に流れる微妙な沈黙。
 一連の流れが落ち着いたのを見計らい、ヨウランが呟いた。

 

「シンの奴、クラス委員だったんだなぁ」
「アンタも候補には挙がってたのよ? 寝てたから丁度良いって」
「信任投票で圧倒的大差付けられて負けてたけどね」
「なん……だと…………?」

 

 今明かされる衝撃の真実。
 目を見開きカタカタ震えだした色黒の友人に呆れた視線をくれ、ルナマリアは面白くなさそうに鼻先を掻いた。
 トゲっちいなぁとは思いつつも押し黙るレイ&ヴィーノ。友達甲斐が無い奴らだ。
 とまれ、それは平和な光景。
 ほぼ元通りにやわくちゃ笑い合う友人達の姿を見ながら、思う事多々在りつつも、ステラは微笑んだ。

 
 

 して、月例会。
 早速突っ伏し寝息を立て始めたシンは、意外にも別段咎められず普通にスルーされていた。
 それも隣のアビーがしっかり仕事をしているから目溢しを受けているためなのだが。
 ぱさ、紙が擦れる音。

 

「――――と、今日は年度の初回だし、この辺でお終いにしようか」

 

 教卓に積んであった紙束を各クラスの委員に配りながら、生徒会長が粛々と会議に区切りをつけた。
 茶色い地毛の頭髪を一遍撫で、生徒会室の中をぐるりと見回す。
 年度で最初というだけあり、今回の月例会は特別短かったようである。
 自らの横に立っていた副会長を促し、起立の号令。
 足だけ引いて立ち上がったせいで、がたがた椅子を鳴らす音が幾つか零れた。
 さぁ終わりの挨拶を、と思ったところで、立ち上がった生徒の間にひとつ間隙を見つける。
 しっかり寝腐っていたシンだった。
 呆れ交じりの苦笑をふつりと浮かべ、生徒会長はアビーに声を掛けた。

 

「んー……まぁいっか。えーと、ウィンザーさん? 隣のアスカくんに明日3―Aへ来るよう言っておいてくれるかな」
「あ、はい。わかりました」
「別に怒るとかそういうのじゃないけど、取り敢えずね」

 

 くすり笑いがそこら中から漏れるが、アビーはさして気にもせずシンが座った椅子の後足を踵で蹴る。
 双腕で抱え込んでいた頭が胴ごと後ろへずれ、顔を思いっきり擦りつつすっぽ抜けた。
 がくんと下がる頭部、一気に浮き上がる意識。

 

「ぅどわはっ!?」

 

 速攻で立ち上がり首をぐるぐる周囲へ回し向け、隣で嫣然と微笑むアビーで停止。

 

「……………………」
「おはようございます、会議お終いですよ」

 

 言いたい事は色々あったが、寝起きなせいで言葉が纏まらない。
 方々から聞こえる笑い声で顔を赤くするシンの姿に再び苦笑しながら、生徒会長――キラ・ヤマトは今度こそ終わりの号令を掛けた。

 
 

 同刻、オーブ国営国際空港、第3ターミナル。
 様々な国籍、様々な衣装、様々な人種、人と人が無数に交錯する空間の中で、ハイネは椅子に腰掛け人を待っていた。
 同胞にして後輩、部下にして戦友。待ち人はそんな者。
 ちびちび飲み進めていたコーヒーはすっかり冷めてしまい、鈍った苦味を舌の上にちりちり伸ばしていく。
 ガムシロップを封切り投入。
 中途半端に手の熱が混じったコーヒーなぞ飲めたモンじゃないな、考えつつスプーンを回す。
 くるくる、くるくる。
 約束の時間から既に10分経過。
 タイムキーピングは戦士に限らず社会人の必須事項。耳にタコが出来る程、口が酸っぱくなる程、そう教え込んだ筈だが。
 焦れたハイネ、懐からPDAを抜き出し直接呼出しを吹っかけてやろうとした瞬間。

 

「お待たっせしました遅くなってすいまっせぇん!」

 

 至極忙しげな声が、やや人の空き出した間隙に響いた。
 PDAに発令中止を指示して懐へ戻し、ハイネはやっとこさ現れた人物へ冷え込んだジト目を向ける。

 

「おッせ――よ! 査定部に遅刻過多って報告送んぞ!?」
「勘弁してくださいよぉ、人の鞄置き引きしようとしたバカがいたんですって。あ、コレお土産のアプリリウス産バタークッキー、LL缶っす」
「……バタークッキー?」
「ええ」
「…………基本だな」
「基本ですとも」
「OK、バッチリだ! 丁度俺も今さっき来たばっかでよ」

 

 缶詰クッキーであっさり買収される戦士長。
 満面の笑みで受け取った一斗缶をぺすぺす叩く先輩に、渡した方の彼は慣れた様子で苦笑しながら薄金色の髪を掻いた。
 ミゲル・アイマン。
 ハイネがプラントの中央学府に通っていた頃の後輩にして、紆余曲折の果てに戦士長となったハイネが初めて受け持った部下でもある。
 公私共に最も付き合いの長い友人。それが、今のハイネとミゲルの間柄だ。
 アルミ缶を挟む形で椅子に座ったミゲル。
 疲れが僅かに滲んだ顔で背のクッション部へ身を預ける彼へ、ハイネは聞いた。

 

「プラントの様子は?」
「特にコレっつった事件事故は無いですね。あの御仁は議長が直裁抱えてるようで、緘口令出されました」
「あー、引継ぎン時に来たのお前だったもんな」

 

 ふひぃ、声にならぬ音がミゲルの口から漏れた。
 彼はここ数日で3度ほどこのオーブ~プラント間を往復している。あの御仁ことシーゲル・クラインの護送からちょっとした庶務の使いっ走りに至るまで、これ幸いにと多方面から仕事を押し付けられたのだ。
 凄まじい強行軍である。

 

「流石の俺も、ここまでドギツい連務は無かったなぁ」
「ボーナスなり手当てなり出ますかねぇ」

 

 目蓋に手を当てて項垂れるミゲル。
 ぎし、クッションと背凭れの接合部が音を立てる。
 深い溜息一つ。
 のっそり身を起こし携えていた鞄へ手を突っ込み、ミゲルは一枚のMDを取り出した。

 

 それを受け取り、物言わずPDAに差し込むハイネ。
 立ち上がったOSがディスクを読み取り、記憶容量に収められた情報を映す。
 中身は、何の変哲も無いレポート。
 頭から終わりまでをざっと斜め読みし、ハイネはさっさとレポートを表示するウィンドウを閉ざした。
 そのままでは役に立たない。
 レポートを核鉄状のアイコンにドラッグ&ドロップすると、すぐさま解読システムが起動する。
 文字列が形を崩し、組み変わり、新たな姿に――基、本来の姿に戻っていく。
 アナグラムによる暗号だ。
 戦団謹製の暗号構成プログラムが読み解いたレポートは、数秒を置き一枚の指令書と化した。
 今度は斜め読みの様な真似はせず、一字一句しっかり読み進める。

 

「…………御上は『堕月之女神』の殲滅をお望みか」

 

 面白くなさげに呟き、鼻を親指で撫でるハイネ。
 いかにも不満げだ。

 

「いい加減決着つけても良いんじゃないですかね? あの連中、今までに何度となく出された拿捕だの討伐だのを全部潜り抜けてきてんですし」
「お前ね、自分が戦列混じんないからって好き勝手言うでないよ」
「え? もう2体は倒したって話じゃないですか、ならこのままズババーンと」
「行きゃしねーっつの。階位が下の連中と幾ら戦(や)り合っても碌な意味はないの、奴らを潰すんに不可欠なのはただ一つ」
「…………トップ、『不死身のガルシア』の首すか」
「そゆ事」

 

 冷め切ったコーヒーを一気に呷って、ハイネは唾棄。
 『堕月之女神』の討伐は、プラント側1度で連合側3度の合計4度実行された。
 しかしそのどれもが、情報収集不足や不手際や横槍で司令ジェラード・ガルシアの確保を失敗している。
 多分に運もあったろうが、こちらは腐っても戦団の兵達である。それを相手取りながら都合4度も生き延びたガルシアの能力、決して甘く見る事は出来ない。
 と言うか、ガルシアの武装錬金は余りにも“逃げ”に特化していたのだ。
 闘争本能をもって形為す超鋼も、こうまで逃げる手立てにばかり使われていては形無しであろう。

 

「話聞く分だとウチら側が舐めて掛かり過ぎた印象しかないんすけど」
「実際そーだからしゃーない」

 

 あっさり言い捨てたハイネに、ミゲルの眉根が寄る。
 ぱたむ、PDAを閉じる特務隊の伊達男。

 

「ま、どっちにしろ俺らのやる事ァ変わらないさ。ホムンクルスを叩いて砕く、俺らが戦らなきゃ誰が戦る」
「ですね。そんじゃ、俺ももう一踏ん張りしますわ」
「んあ?」

 

 億劫そうに立ち上がったミゲルの背を眺め、ハイネは怪訝そうな声を漏らした。

 

「何だ、応援の戦士ってお前じゃねーの?」
「いやさ残念。俺は今回ただの運び屋でして、応援はまた別の奴なんですよ」

 

 書いてありますでしょ、そう言われて先程開いた報告書をもう一度いそいそ読み直すハイネ。
 すると確かに、下の方に小さく増援の事が記述してある。
 右へ左へ目線を踊らせるのも暫し。
 記された増員の名を見て、ハイネは頬をぴりりと引き攣らせた。

 

「………………こいつぁ、随分なヤツが来てくれる事になったもんだ。一緒に仕事すんの初めてだぜ」
「強いですよー? 俺は何度か一緒にやってるんですけど、ホムンクルス以上にバケモンじゃないかって思うくらいですもん」
「ほっほー。俺より強そうな感じかねぇそりゃ」
「ノーコメで」
「へっへ、正直なこったぃ」
「…………先輩の要請に応じた人事ですし、あんまり言うのはどーかなぁと」
「わぁってる、文句言いたいわけじゃないよ。ユウキ隊長にゃ頭が上がらんねマジで」

 

 妙に偽悪的じみた表情を浮かべたハイネに苦笑しながら、ミゲルは傍らに立てていたトラベルケースを掴んだ。
 半日ばかり小休止してからまた機上の人になる。
 そんな後輩に形ばかりの激励を投げ、ハイネも起立しコートのポケットに手を突っ込んだ。
 取り出したのは、先程ミゲルが彼へ渡したそれと同じ規格のMD。
 放り投げられたディスクを慌ててキャッチしたミゲルに、ハイネはにやりとワルい笑みを作る。

 

「こいつは?」
「今度はディオキア行きだろ? あっこの戦士長に頼まれ事されててな」
「…………ヤバい代物じゃありませんよね?」
「…………非合法じゃないのぜ」
「ホントかなぁ」
「っせーよさっさと行っちまえ!」

 

 ――バスン!
 渾身の蹴りを疲れが抜け切らぬ尻に叩き込まれ、ミゲルはぎゃあと悲鳴を上げた。

 
 

 翌日、放課後。
 シンは3年のAクラス前に佇んでいた。

 

「どうすっかな…………」

 

 ぽつねんとボヤく。
 そもそも自分が集会の途中で寝腐ったのが悪いわけで、今ぶーたれても状況は決して好転しないのだ。
 お叱りを受けるなら早々の方が後で気が楽だろう。
 黙考する事数十秒。
 ええいままよ、意を決し教室の戸に手をかけた。
 その、拍子に。

 

「生徒会長なら剣道場だよ」

 

 横合いから声。
 開けかけた手を引っ込めて一歩下がり、シンは声の方に向く。
 短く刈られた金髪、透ったアクアマリンの眼、端整で彫り深い顔立ち。
 コーディネーターの学生の中でも成績優秀とされる、結果的にプラント出の者が集まったクラスこと各年B組にのみ着用が許された、そしてシンも今現在着用している通称『赤服』。
 それと全く印象を異にする白い長詰襟は、彼が特別な待遇をもってこのジンム学園内に居る証左である。
 破顔するその者は、シンにとっても数少ない『赤服』着用以前からの親友。
 各年Aクラスに割り振られた特別選抜学生クラス所属、その中の宇宙探査方面特化カリキュラムに従事する2年Aクラスの青年。

 

「ソル!」
「如何にもっ」

 

 喜色と共に名を呼ばれ、青年――ソル・リューネ・ランジュはビシッとサムズアップしてみせた。

 

「久しぶり、帰ってきてたんだな! 宇宙(うえ)の用事は終わったのか?」
「ようやく一段落ってとこだよ。ホントは始業式までに戻るつもりだったんだけど、宇宙港でトラブルがあったらしくてね」
「それでずれ込んだのか。新聞に載ってたけど、お前も引っ掛かってたんだな」
「まぁ単位とかは確保できてたし、長めの春休み頂いてましたー」
「うわズルっけぇ」

 

 カラカラ笑い出したソルに、シンも釣られて笑う。
 ソルは『深宇宙探査開発機構:DeepSpaceSurveyandDevelopmentOrganization(D.S.S.D)』という機関に所属しており、しょっちゅう宇宙とこの国とを往復している。
 今回の件では昨年暮れから宇宙に上がっていたという話だ。

 

「で、会長に用?」
「あぁ、昨日ちょっとな…………剣道場か」
「僕も通り掛かりに入ってくのを見ただけだから、早く行かないと移動しちゃうかもよ」

 

 新事実にシンが呻いた。

 

「それじゃ急ぐか、空模様も怪しいし」
「あ、僕も行くよ。暇潰しを探してたんだ」
「お前ね」

 

 早々に教室の前から離れる2人。
 目指すは校舎の近くに建っている道場、さっさと上履きからスニーカーに履き替える。
 3年生の教室は一階にあり、近くに下駄箱も据え付けてある。靴を履き替えればすぐに外へ出れるのだ。

 

「あ」
「あーあ、降り出した」

 

 ――ぽつ、ぽつ、
 外に出てすぐ、天が濡れ始めた。
 2分と掛からぬ距離とはいえ雨曝しはゴメンだと駆け出す。
 果たして雨は一歩進むごとに強まり、剣道場に着く頃には土砂降りとなっていた。
 ぼたぼた、激しい雨垂れが樋を滑り砂利へ落ちる。
 憂鬱になりそうな雨滴撥ねる音に混じり、剣戟の音が聞こえた。
 扉越しの響きは激しくも爽やかで、道場内の者達が如何に丁々発止と遣り合っているか如実に伝えてくる。
 文武両道を地で行くジンム学園、その中でも剣道部は図抜けて名を馳せているのだ。
 とはいえ、興味ない者にはとことん縁ないのも剣道。シンとて体育の授業で時折竹刀を握る程度だ、ソルの方はいざ知らぬが。
 さて、生徒会長がこの内に居るらしいとの事だが。
 雨が止むまで乃至、生徒会長が出てくるまでここで待っている、なんてのは間抜けに過ぎる。
 ではどうするか?

 

「…………失礼しまーす」

 

 さっさと入ってしまえばいいのだ。
 入り口で一礼して道場に足を踏み入れる2人。

 

 その、瞬間。
 ――ズッダァァァン!!
 物凄い音が、シン達の耳朶を射抜いた。
 続けて何かを床に叩きつける音、更にごろごろと床を擦り転がる振動が足に伝わる。
 どうやら部員同士で練習の最中らしいのだが、知られた名の割りに然程広くない道場内に立っているのは3人ばかりであった。
 面胴を着け竹刀を構えたままの部員が1人。
 審判を務める顧問の教師。
 それと、独りだけ空気の違う青年。

 

「……あ。アスカくん、だったね、探させちゃったかな」

 

 言うまでも無く、生徒会長ことキラ・ヤマトその人である。
 部員一同からやや離れた壁に背を預けていた彼は、よっと一声出して壁から身を剥がしシン達の横に来た。
 線の細い体、如何にも良い人然とした中性的な顔立ち、やや憂いた色の宿るアメジストの瞳。
 なるほど、改めて見ると女子達が放って置かぬ佇まいだった。
 頬を掻き掻きごめんねと謝る彼に、シンは逆に恐縮した風で謝り返した。

 

「いえ、こっちこそすいませんでした…………色々と」
「色々っていうのは、昨日のも込みってわけかな」
「ハイ」
「んー……まぁ、体面的な示しも要るね。次から気を付けよう」

 

 それだけを言って、キラはいともあっさり話を終えてしまった。示しは果たして付いたのだろうか。
 呆気に取られるシンの視線を、人差指で試合場に促す。
 一辺11メートルの正方形の中央に立っているのは、前述の通りひとりだけ。
 その反対側の場外数メートル先には、竹刀を杖のように床へ突いて立ち上がろうとする人物がいたのだった。
 戦意以上のモノをギラギラと目に滾らせているその者、胴を守る防具の下に巻かれた垂れに縫い付けられた名は『Marley』。
 シンの脳裏に、いけ好かないプラントでのコーディネーターが浮かぶ。
 マーレ・ストロード。
 “プラント生まれプラント育ちのコーディネーター”至上主義を内に抱えた問題漢であり、コーディネーターではあるが地球生まれのシンは幾度となく難癖を付けられていた。
 そんな彼が何故このジンム学園に入学してしまったのか、それは杳として知れない。当人が話さぬ以上碌でもない経緯があったと邪推される。
 だが、実力だけは正しく凄腕と呼ぶに相応しく、シンも剣道の授業では何度も敗北を喫していた。
 いたのだけれど。

 

「くっそぉぉぉ…………!」
「まだ、やるか?」

 

 噛み締めた歯の間から呪詛を漏らすマーレに、相対する剣士は静かな声で問うた。
 男のものとするにはやや高いハスキーボイス。
 その剣士の構えに攻め入る隙を見出せず、シンは自分が戦っているわけでもないのに戦慄する。
 剣道はただの試合競技と思っていたが、とんだ思い違いであったらしい。

 

「あいつ一体何してんだ。会長は知ってます?」
「ん、まぁ一部始終見てたからね。ストロード君、だったかな? 彼が、今立ってる方、この剣道部の部長にケンカ売ったんだよ」
「…………しょーもない事をしてからに。てか、買う方もどうかと思うんですけど」
「あはは、それは僕に言われてもなー」

 

 曰く。
 マーレは最初部長とは別の部員――ナチュラルであったそうだ――と試合をしていたのだが、その折に抜き胴打ちが本来の打突部位から外れ、防具の無い腋辺りへ一撃加えてしまったたらしい。
 すぐに形だけでも謝罪すれば場は一応収まっただろうが、マーレはそうしなかった。相手を助け起こしもせず苦悶するのを笑って見ており、あまつさえ愚弄の言まで吐く有様だったそうだ。
 それを嗜めた部長に彼が突っ掛かってきたため、遂に部長がキレたのだという事である。
 仕方なさげに苦笑し、キラは頬をぽりぽりと掻いた。
 それは何処か親しみの篭った、この場面でするには少し違和感があるポーズ。

 

「ここの部長、根っからの負けず嫌いだから」

 

 彼が言い終えるか否かの刹那に、マーレが勢い良く部長なる剣士へ突っ掛かっていく。
 竹刀を大上段に掲げての疾駆は、シンから見ても隙だらけ。
 歩法も何もかもをかなぐり捨てた進攻に対し、部長は僅かばかり切っ先を上げた。
 腕を振り上げる事無く、狙うは一点。
 とん、剣士が踏み出す。
 シンはこの瞬間、然程多くないながらも濃密だったといえるだろう自らの戦闘経験を根拠にして、マーレの末路を読み取った。
 最速で最短の距離を抜くには、恐らく之しかない――――

 

「突きぃッ!!」
 ――ズッダァァァン!!

 

 マーレの喉元を、閃いた刃が穿つ。
 先ほど聞いたそれと全く同じ物凄い音が、再び皆の耳を揺るがした。
 左片手突き。
 単純な保持の構造から諸手突き以上に長いリーチを誇るが、片手だけで竹刀を振るう故に失敗の危険性もまた大きい技。外せば下手をすると相手の喉を壊す。
 それが、吸い込まれるように喉鎧を穿ったのだ。
 考えなしに踏み込んでいった所でカウンターそのものである突きを喰らわされ、マーレは呆気なく吹っ飛び床に強か体を打ち付ける。
 狙い澄ました一撃とはこの事を云うのだろう、シンの背を改めて怖気が滑り落ちた。

 

 直ぐに竹刀を自らの袂へ戻し、しっかと残心を取る部長。
 マーレは立ち上がろうとしたものの、再三に渡る突きのダメージが祟り遂に膝を折る。

 

「っぐ、ぐぞっだれぇぇぇぇぇ…………!」

 

 濁った呻き声を押し出すマーレに、数人の面なし剣士が駆け寄った。彼と同じ、プラント出のコーディネーターの部員だ。
 腋を抱え上げられた振動で嗚咽が漏れる。
 口の端から泡を零しながら、マーレは害意に満ちた眼で部長を睨んだ。

 

「ありえねぇ、ありえねぇだろぉがよぉ……俺が、この俺がぁ、ナチュラルなんぞにぃぃぃ」

 

 落ち着けと呼び掛ける取り巻きの声を無視し、ごぼごぼと呪詛を零すマーレ。
 ナチュラルを今まで思う存分貶し倒してきた彼にしてみれば、この状況は到底認められない事なのだろう。
 だが、喚いた所で現実は変わらぬ。
 何処か怯えるような気配すら感じる後輩を一瞥し、部長は瞑目した。
 そして一言。

 

「情けない」
「…………んだ、とぉ!?」
「聞こえなかったか、なら聞こえるまで何度でも言ってやる。情けない」

 

 ふん、鼻を鳴らす。
 余りにも不遜な言に俄然いきり立った彼らは、しかし閉ざした目をかっと見開いた部長の剣幕に思わず後退った。
 先程試合場内で起っていた時の静謐にして冷厳な姿と違う、暴火のごとき熱を持った眼。

 

「お前ら男だろ? 負けは負けで認めて、次勝つための努力をしたらどうだ」
「ぐ、ぅ、るっせんだ、よ! ナチュラル、風情が偉そう、にぃ」
「その物言いが情けない女々しい弱ッちいと言うんだよこの表六玉!!」

 

 ――ドスッパァァン!!

 

「っが!?」

 

 マーレの反抗を受け、遂に手が、もとい竹刀が出た。
 面をべしんべしん引っ叩きながら、部長は怒り心頭な様子も露に吼える。

 

「それでもお前オーブ男児か!? 恥を知れ恥をっ!」
「いや、俺たちプラント生まれでプラント育ちなんですけd」
「黙れェい!!」
「そんな無茶苦茶な!」
「何という暴論……文句を零しただけで叩き伏せられてしまった。この部長は間違いなくメスゴリラ」
「よし良い度胸だ今メスゴリラ言った奴そこに立て思っくそ突っ転がしたる」
「すいませんっしたぁ!!」

 

 思わず取り巻きが漏らした暴言を拾い聞きし、部長はそちらにギッと視線をくれた。
 ただ呆然と成り行きを見るシンとソル。
 余りにもあんまりな展開のせいで、理解が追いついていないようだ。
 だが、改めて見ると彼女はそこまで非道な事をしているわけじゃない。
 叩くのはちゃんと防具があるところだけであるし、力尽くで打ってもいないので痛みがそこまで長引かないのだ。
 一頻り言ったところで取り敢えず手を止め、部長は咳払いひとつして居住まいを正す。

 

「ストロード、そもそもの発端はお前が無闇矢鱈に仲間へ喧嘩を…………ん、喧嘩でいいな、仕掛けたのが発端だと私は見ている。異論は?」
「け、喧嘩じゃねーよ、稽古つけてやろうと思ったんだよ」
「お前の稽古は胴を打ち損じた相手にへらへら笑い掛ける事を意味するのか」
「………………そりゃぁ、よぅ」
「どうあれ、言わなきゃいけない事がある。先に謝っておくぞストロード、すまん」
「は?」
「て事で、全員集合!」
「え、あ、おい!?」

 

 慌てて止めるようなマーレの声を押し流すごとく、正座していた部員たちが各々颯爽と立ち上がり部長の近くで幾重の円を作る。
 その圧迫感に思わず閉口した反骨者を置いて、部長は口を開いた。

 

「えー、取り敢えず先程の打ち合いだけに関して、ストロードの何が悪かったかを言おう。良く聞いとけよストロード。端的に言えば、そう、他人を舐めすぎたんだな」
「………………ぐぅ」

 

「自分が馬鹿にしてる相手をわざわざ観察しようなんて、普通は思わないよな。人をよく見るって気も体も使うし。
 だけど、そういう一切合財を怠った結果がアレだ。
 最後の突きなんかは特に顕著だな。ストロードが安定した精神状態で油断無く地力をフルに使ってれば、あの一発なんか見てから返し技余裕でしたってなもんだきっと」
 目線を下にくれ、渋い顔でその言葉を聞くマーレ。外面こそ反抗的なままだが、内心ではその通りだと思っているのだ。
 深呼吸し、彼女は首を巡らせ部員一人一人に目を合わせながら続けた。

 

「ナチュラルとかコーディネーターとか、そういうので何となく心に区別や差別を付けるヤツは多いだろう。けど、それで目まで曇らせて欲しくない。
 まず、個人を見ることをして欲しい。老若男女人種に宗教、ナチュラルもコーディネーターも、全体はどうあれ個人レベルでなら認められる何かが一つくらい見つけられるんじゃないかな。
 で、その見つけた良い所を相手を尊重してあげたり、思い遣ったり、気遣ったり出来れば、その内他の奴らも平気になっていけると私は思うよ…………まぁ、私自身未熟者ですぐ頭に血が上るし、説得力は薄いか」

 

 そこは反面教師にしてくれ、と冗談めかして言いながら部長は頬を掻いた。
 部員の間から笑いが聞こえたのに僅かばかり首肯し、手を一つパンと打ち鳴らす。

 

「剣道の道は道理の道。清く正しくそして楽しく剣道がやれるよう、皆で頑張っていこう!」

 

 以上だ、そう言い括って部長は解散の句を告げた。
 最後に全員総当りで一回一分づつの稽古を行って本日の部活は終了、いつも通りに皆が動き出す。
 同じく動き出そうとした部長は、ぽつんと動かないマーレを見た。
 お互いに目が合い。

 

「…………吊るし上げやがって、ガキの頃の帰り際んHRかよ」
「悔しいか? 再戦は部活中なら幾らでも受けてやるぞ」
「へェ? なら今すぐに挑んだって構わねぇんだよな」
「無論。だが物事には順序があるし、私も剣にはそれなりに長い年季を掛けてきた――――そう簡単に、負かせられると思うな」

 

 にやり、艶やかに微笑して見せ、ぽんとマーレの背を押す。
 押されて数歩歩いた先には、竹刀を構える前の状態で待つ部員の姿。
 ナチュラルの同級生だ。
 一瞬マーレは苦々しげな顔を――目の前ではなく、部長に向け――したものの、すぐ普通の表情に戻し竹刀を構えた。
 先日まで張り付いていたナチュラルにだけ向けられる嗜虐の気配は、一応、鳴りを潜めているように見えた。
 取り敢えず動向が収まるところに収まったらしいと認識して、シンとソルの二人は安堵も露にやっと胸を撫で下ろす。
 全く持って、大変なタイミングで来てしまったものだ。
 そんな二人に、徹頭徹尾楽観的な姿勢を変えていなかったキラが笑いながら尋ねてきた。

 

「さて。ちょっとばかりの時間だけど、見学してみた気分はどうだったかな?」
「いや、凄かったですよ…………部長の突きとか、目に焼き付いて消えないです」
「て言うか今思い出したんですけど、部長さんてもしかしなくても『ジンムの紅獅子』ですよね!?」

 

 ぼんやり答えたシンに被せるように、ソルはがばりとキラへ問い返す。

 

 『ジンムの紅獅子』。
 3年前の新人地区大会で、全試合を延長なし二本先取の勝利で勝ち進んだ一人の女生徒がいた。
 東部圏大会、本島大会、最終的にはオーブ全国大会までもを制覇したその女生徒に地元広報紙が付けた二つ名こそ、『ジンムの紅獅子』なのだ。
 ナチュラルでありながら並居るコーディネーターの剣士達を打倒し尽くしたその雄姿は、伝説として今なお語り草となっている。
 ちなみにジンム学園はオーブ本島の東部区画に存在する。閑話休題。
 だが、それ以降から今までの間、件の女生徒が公式戦に姿を見せたという話はとんと聞かない。
 そもそも計算が正しければ、3年前に新人であったならば、その者はとっくに卒業しているのではなかろうか?
 矢継ぎ早に質問してくるソルへ、キラは如何に返答しようか迷い。

 

「…………取り敢えず、後でね? 本人がいないうちじゃ言い難い事情もあるし」

 

 取り繕う事を選んだ。
 事情があると言われた以上そうそう詮索するのも気が退け、ソルは不承不承口を閉ざした。
 ――パァン!
 小気味良い炸裂音を耳にしつつ、シンはただ無言で稽古を見続ける。
 正しく別格と呼ぶに相応しい剣闘を。
 今なお捉える事叶わない、一閃瞬殺の突きを。

 

 『ジンムの紅獅子』――カガリ・ユラを。

 

                           第22話 了

 
 

 

 

後書き
 22話投稿です。空恐ろしい程に長引かせてしまいました事、深く深くお詫び申し上げます。ぱねぇ。
 性格こんなだったかと煩悶しつつ、新キャラ続々登場です。
 マーレとカガリの一幕で凄まじく梃子摺りまして、こんなに遅くなってしまいました。書き直したためにおよそ数百行が消えてます。嗚呼。
 誠心誠意続きを書いておりますれば、気が向かれましたらまた続きをお待ちいただけると幸いです。ギギー。