レイの家は住宅地にある大きい家だった。プラントに移民してきた人々は子供を改良できる資金をもった金持ちか、地球に居づらくなったコーディネイターが大半だ。
祖父母が資産家のナチュラルの場合、豪邸に住んでいるものも珍しくない。
レイに対するイメージからすると少々小さいくらいの邸宅だった。
「良く来てくれたね。レイが友達を家に招くのは珍しい、是非ゆっくりとくつろいでもらいたい。
と言っても、私が目の前では逆に緊張させてしまうかな?」
レイの言ったとおり、彼の養父は帰宅していた……
彼の養父は暖かく出迎えてくれたが、顔を見てシンは固まった。
表札のギルバート・デュランダルを見逃したのは痛恨事としか例えようが無い。
レイ・ザ・バレルの父親なんだから、苗字はバレルであるべきだとシンは内心怒った。
「きょ、今日は突然のほ、ほうもぬ」
「シン落ち着け。取って食べたりはしない」
驚くのは当然だ、友人宅に国家で一番偉い人がいたら引く。
心象を損ねるとザフトでの未来すら断たれるかもかもしれない。
シンは生まれて最高の緊張感に石化していた。
……プラント随一のオカルトコレクターが議長でいいのだろうか、プラントの議員選出方法は問題があるのではないだろうか、待てよオーブだって養子ありの世襲制だ、オーブよりはましか。
くるくると回る思考。思い返せば妙に愉しげだったレイの笑顔、俺をハメたなレイ。
高まる憎悪、この恨み必ず晴らしてやる。
シンは目の前にある理不尽を受け入れようと努力した。
議長が手ずから淹れてくれた、素人でも分かる薫り高い紅茶をご馳走になり、雑談を交わしたシンはようやくガチガチの緊張状態からそこそこの緊張へ移行できた。
「おかしな本を手に入れてしまったんです。見たこともない字で気味が悪くて。
しかも血で書き綴ってある、およそまっとうな人間が書いたとは思えません」
議長の視線がキラリと光る。
「読んだのかね、内容を理解できたかな」
「いえ、不気味すぎて流し読みでやめました」
ますます興味深そうに見つめてくる議長、ますます萎縮するシン。
「──君はとても賢明だ。
君のように思慮深く、理性的な人間が、危険を察知できる人間が、力ある魔導書を得たのは、正直、信じられない思いだ」
「魔導書?」
「そう魔導書だ」
弁舌が1.3倍に早くなっていく、怪しげなオーラを漂わせ始める議長。
目を合わせてくれない友人。
「それは世界の裏側、人が触れえざる、触れるべきではない、禁断の知識を記した書物。
様々な伝承、様々な伝説、実在する神話、闇よりなお昏き場所に棲む狂喜。
人を、世界を狂わせる知識という名の、恐怖を写した書物。
持つものに超常の力を与え、正気と命を削る、異界の論理の顕現。
それこそが魔導書。
人類を観測する、絶対なる存在を知らしめる書だ」
「は、はあ、力とはいったい」
「それこそ千差万別だ、所有者の属性や位階、書に綴られる神性によって大きく変わるだろう。ダイバーに水に関する書を持たせれば、水を自在に操る。といった具合にね」
「そんなに凄い力なんでしょうか」
「……今でこそヒトはそれなりの武器や兵器を得た。しかし魔導書に拠ってもたらされる力は一線を画すものだ。もしかすると、生身でモビルスーツを粉砕できるような力とて発揮できるかもしれない。そして書がもたらす力は物理的なものに留まらない。
人はモノを破壊する力や、兵器から肉体を守る盾は創れても、・・・・心を守る鎧は未だに創り出せないからね」
「そんなとてつもない力が……」
「待ちたまえ。
そういった力は決して万能でもなければ、ヒトを幸せに出来る力でもない。
ヒトの生きる場所にこそ、ヒトの幸せはある。
闇の届かない、陽のあたる場所にこそ、人を生かす力がある。
書の力を利用する前に、少し考えたほうがいい。
安易な考えで魔導書に手を出せば、自分も、周りも、世界すらも。
すべてを捻じ曲げ、死すらも生ぬるい、狂気の底に落としてしまうかもしれない。
私は、君が魔導書の力に溺れることを危惧しているのだよ」
「ギル。そんな話をして、魔導書を何度せしめたか数え切れないんだが」
呆れた目でレイが茶々を入れた。
「彼は純粋」
デュランダル家のペットである、インコのスンも茶々を入れた。
「せしめたなどと、酷い誤解だ。私は魔導書に拠って起きる惨劇を、未然に防ごうとしているに過ぎない。決して邪な収集欲などではないよ」
微笑みかける議長、胡散臭い、放つカリスマに匹敵する嘘臭さだった。
「あのレイ、えっと」
「シン、躊躇うのも無理はない。だがオカルトに関してはギルの右に出るものはいない。
幸いなことにな……
ともかく危険なものにしろ、そうでないにしろ、判別する必要はある。
件の書を出してもらえないか」
迷ったのは数秒、どうせそれが目的で来たのだと腹を決め、シンは書を手に持っている感触を想起する。
前には少女の姿をイメージして失敗したが、本の形式だとすんなり出てくることを、体験を通してシンは知っていた。
目を瞑り、架空の本の触感を連想すると、空気に血臭が満ち、血濡れの空気はシンの手に集まり、凝固、平べったい立方体に変化、血濡れの紙束となり、紙面を濡らしていた血が脈動し、文字らしく終結する。数秒で深紅だった紙面は、血文字と白い部位に変容した。
目を開けると、架空の触感は実在する本の触感へと変貌し、あの本がシンの手に納まっていた。
感嘆の声をあげる議長。
「素晴らしい、紛れもなく魔導書だ。
レイ、インスタントカメラを持ってきてくれ、私たちは多少の耐性があるとはいえ、危険が少ないに越したことはない。カメラで写したものを私たちは読もう。
ああシン君はそのまま読んでも大丈夫だろう、仮にも契約者だ。読んだだけで正気を無くすようなことはありえないよ。先ほど言ったように、力に溺れなければ、だが──」
議長が言い終えた瞬間、インコがまるで鷹のような声で、一声啼いた。
続く
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