運命のカケラ_03話

Last-modified: 2008-06-15 (日) 00:08:02

「くそ……あいつ……追わない――と」

 

 追わなければいけない、だが身体に力が入らない。せめて自身の消滅は防ぐべく、穴の開いた身体の中に魔力を押しとどめる為に外殻の密度を高める指令を下したのを最後に『彼』の意識は沈んでいった。
 

 

 
「……う゛~ん」
「なのはちゃん?」

 

 昨日から通り始めた、公園の林を横切る塾への近道。
 オレンジと黒の二色に染まった道を数メートルも行かないうちに、なのはは喉を鳴らして足を止めた。
 脳裏に浮かぶのは赤と黒の光景。
 ここ数日、見る夢見る夢全て同じようで微妙に違うものだった。生い茂る茂みと立ち並ぶ木々の間をすさまじいスピードで突っ切ったり、はたまた何かを探すように夜の街を念入りに見回っていたり。それが何夜も続いている。
 最初は謎の『声』だけだったそれは、得体の知れない物体と獣が戦うという極め付けにわけのわからない展開となった昨夜では既に触覚――ぬめる液体の感触を振り払うのに随分手を洗い続けた――まで再現されていた。
 夢だからこそ妙な現実感があるのだ、というのは良く聞くが……では何故場所も状況もまったく違いながら、黒い獣が中心にある事だけが共通点という夢が続くのか。
 見回す木々が作る景色は、夢と色彩こそ違うけれど。

 

「うん……夢でね、見たような気がするの。ここ」
「夢、ですか?」
「こんな木ばっかりの場所なんてどこでもあると思うけど?嫌ぁな夢だったとか?」
「ん……んーん。ちょっと気になっただけ」

 

 アリサの問いに苦笑いでごまかしながら、二人と離れた距離を取り戻そうとして――なのはの意識に何かが触れた。

 

『追わ――と』

 

 そよ風にもかき消されそうな、小さな『声』。

 

『――危、険』
「ねえ、アリサちゃん、すずかちゃん。声、聞こえない?」
「声?」

 

 困惑する二人を置き去りにして、なのははその『声』に集中していく。
 酷く聞こえづらい音を耳の奥でようやく捉えているような、静かな場所で音を想像していると『聞こえる気がする』時に似ているような。
 今にも聞こえなくなりそうな程に弱弱しく、その癖込められているのは、もはや執念と言った方がいい程の強烈な意思。
 今まで触れた事がないアンバランスさは幼いなのはの胸に容易に違和感、そして不安感をかきたてる。

 

「――!」
「あ、ちょっとなのは!?」

 

 幼い故に、その焦燥を隠していつも通りの振る舞いができるわけもなく。
 アリサが呼ぶ声にも構わず、なのはは駆け出した。

 

「多分、こっちの方から」

 

 何故自分はこんなに急いでいるのだろう。
 何故この声が二人には聞こえないのだろう。
 何故この声はとてもとても一生懸命で、それなのに。
 ……何故、こんなに空っぽなんだろう。
 その疑問が『声』に向けたものではないような気がして、なのはは一度強く頭を振る。今気になるのは――気にするべきなのは、この『声』の出所なのだから。

 

『こんなと――れは』
 
 

 

 視界を塞ぐ木々も、道を塞ぐ茂みも、全てに跳ね返り波打つ『声』。
 ぽつりぽつりと散発的に起こる波を追うように、なのはは息を弾ませて周囲を見回した。
 振った視界に、深紅の輝きが入り込む。

 

「……あ」

 

 夢で見たのとそっくりな木々の中。夢で見たのとそっくりな、ぽっかりと開けた場所の中央で。
 以前見たものとそっくりな赤い宝玉を首にぶら下げた、しかし見覚えがあるものとは随分と姿の違う黒い獣が倒れていた。
 近くに駆け寄り、手を近づけても目を開けようともせず細い息を吐くその姿。滑らかな線を描き、濃淡の黒に覆われたその姿は変わりないとは言わないまでもよく似ている。
 だが、小さかった。なのはでも片手で抱えられそうで、滑らかというよりも柔らかそうな曲線を描いているその獣は、どう見ても生まれて間もない子供にしか見えなかった。
 片手を小さな身体の下に差込み、もう片方の手で首を支えて抱き上げる。どろり、とした感触に一瞬震えるが、幸いにもなのはの理性は獣を取り落とす前に身体の制御を持ち直してくれた。
 制服が血で汚れるが、構わずなのはは獣を抱きかかえる。だらりと力が抜け、目は閉じているが……この獣の瞳は、きっと血の色を煮詰めて固めたよりも赤いはずだ。

 

「君なんだよね?あの『声』。でも……」

 

 意識を失っている獣は答えない。
 それでも、なのはは理解した。さっきまでの『声』は、この小さな獣が発したものなのだと。

 

「もう、どうしたって言うのよ!?」
「あ、なのはちゃんそれ……動物?ええと、とりあえず病院、じゃない獣医さん!」
「待って、家に電話してみる!」

 

 追ってきたアリサとすずかはなのはの腕の中にいるものを見るなり状況を理解し、アリサが携帯電話を取り出す。
 ぐったりしたままの獣の首元で、赤い宝玉が夕日に輝いていた。
 
 

 

――いくら吹き飛ばされても、僕らはまた花を植えるよ。

 

 減った人間は、足せばいい。戦いという引き算で数が減ったなら、足し算をしてやればいい。
 『不殺』の伝説を背負った彼は、そうは考えていなかったのかも知れない。彼自身親しい人間を戦いの中で亡くしたと後で聞いた。
 なら、わかっていたのかも知れない。計算され数で表現されるニンゲンと、その死に知人が涙を流す人間とは別物だと言う事を。
 それでも、彼は。
 追いつけるものの存在しない速度で単騎吶喊してから圧倒的な戦闘能力で蹂躙する。宇宙空間で推進装置を撃ち抜き、大気圏内では飛行する機体の翼を切り飛ばし、時にはミーティアと呼ばれる大型武装プラットホームで戦艦を輪切りにして。
 予測された敵の人数と戦闘後救助できた人数との落差に眉をひそめても、自分が落としたパイロットの名を確かめようとすることはなく。
 『平和のテキ』を苛烈に攻撃しながら、決して命は奪わない理想の戦士。コズミック・イラに舞い降りた聖剣伝説。戦いを嫌いながら、平和の為にMSを駆る最高のコーディネイター。
 積み上げられていく功績。影に捨てられていく死者達。
 ひたすらに塗り重ねられる、報道という名の一方通行な情報。

 

 そこまで記憶を掘り返して、『彼』は。
 ああ、これは確かにいやな奴だなと軽く笑った。

 

 
 
「傷もだけど、随分衰弱してたわ……ずっとひとりぼっちでいて、野良犬にでも襲われたのかも」
「院長先生、ありがとうございます」
『ありがとうございます!』

 

 揃えて下げられた頭に、若い女性の獣医は安心させるようにもう大丈夫よ、と言葉を継いで診察台に目を向けた。
 3人の少女たちが持ち込んだ犬のような動物の子供は胴体に包帯を巻かれ、前足に巻かれたテープの間からは点滴剤のチューブが伸びている。

 

「先生、これって……子犬、ですよね?」
「変わった種類だけど。雑種かも知れないわね」

 

――流石にこの子達に請求するわけには行かないけど……後で親御さんに連絡してもらうしかないかな。

 

 生活がかかっているとはいえそんな事を考えてしまう自分に少しだけうんざりしつつも、寝そべる犬のような動物への興味も湧いている。そう、『犬のような動物』だ。
 少なくとも彼女が知る限り犬科の動物は収納が可能な、しかも刃物のように鋭い爪を持っていたりはしないし、メスで切り開いた皮膚が瞬間接着剤でも分泌したようにくっつき始めたりはしない。
 だが、そんな事を目の前の少女たちに告げても仕方ない。少女たちにとっては、『怪我をして死にそうになっていた犬』なのだろうし、細かい差異を告げて理解させたところで面倒が増えるだけだろう。
 それに――

 

「それに、この首輪に付いてるの。宝石かしら」

 

 そう言って獣医が獣の首元に手を伸ばした途端、それを感じ取ったように獣が小さな目を開いた。

 

「あ、起きた」

 

 アルビノでない個体には珍しい、完全な赤い瞳。もしかしたら首の宝石は、この瞳に合わせて前の飼い主か誰かが選んだのかも知れない。
 きょとんとした瞳が獣医の指先を写した。動物特有の純粋な目――と思った途端、黒い獣は目に警戒の色を浮かべて首を起き上がらせる。
 人間を好ましい相手とは思っていない。やはりずっと以前に捨てられ、それから野良生活でもしていたのだろうか。忙しなく視線が左右に走り、部屋の中や輸液の流れるチューブを見回している。

 

「――あら?」

 

 そう思ったのに、今度は警戒の色が緩んだ。まるで獣医の姿と部屋の中を見て、自分が病院に運び込まれたのだと理解したように。
 余りに人間臭いというか知性的すぎる仕草に困惑する獣医をそのままに、獣は背後――獣医の向かい側に視線を巡らせる。
 居並ぶ少女達、茶金紫の三色トリオを端から端まで首の向きが一往復し、左端でその動きが止まった。とりあえずの応急洗いであらかた落ちてはいるが、自分の血の臭いを嗅ぎ分けでもしたのだろうか?

 

「ぅ?」
「なのは、見られてる」
「う、うん。えっと……ええっと……」

 

 おっかなびっくり、と言った感じで差し出したピッグテールの少女の指を獣がぺろりと舐めると、戸惑い半分期待半分に恐怖少々だった少女の瞳が輝いた。
 一舐めしたきり頭を下ろし、寝に入ってしまった獣に触ろうかどうしようかと、手が空中を泳いでいるのが微笑ましい。

 

「しばらく安静にしておいたほうがよさそうだから、とりあえず明日まで預かっておくわ。また、様子を見に来てくれるかな?」
『はーい。お願いしますっ』

 

 塾の時間だ何だと騒ぎながら出て行く3人を診察室で見送って、獣医は眠る獣に目を向けた。特異な身体。人に慣れているというより人を理解しているかのような行動。首にぶら下げている宝石。そんな動物が怪我をしていたとなると――

 

「どこかで遺伝子改造とかされた子が逃げ出してきて、黒服の人たちが取り返しに来る……なんてのは、流石に映画の見すぎよね」

 

 バカな事を言ってる暇はないんだっけ、と自分のこめかみをつつきながら、獣医は奥へと戻っていった。
 
 

 

「では、この前やったところの応用問題から……」

 

 塾にしては珍しい黒板に、チョークが分数を書き連ねていく。階段状になった教室の中ほど、教壇に立つ講師の疑惑の頭頂部が見える位置で、3人の間を一枚のルーズリーフが往復していた。

 

<あの子、どうしよう? な>

 

 右へスライド。数秒の間を置いて戻ってきた紙面。

 

<うち犬はいっぱいいるけど、らんぼうな子もいるし。きびしいかも ア>

 

 今度は左へスライド。同程度の時間の後に戻ってきた紙面。

 

<うちにも猫がいるから す>

 

 自分の前で止まったルーズリーフに描かれている大きな犬と猫となんだかよくわからないモノの3つの絵を眺め、頬杖をつきつつなのははむぅと唸る。

 

――うちも食べ物商売だから、ペットはなぁ……。
「はい、ではこの問題を――じゃあ、29番の高町さん」
「ぇぁ、は、はい!」
「なのは、47ページの問3!」

 

 横から飛んできたアリサの小声に感謝しつつ、立ち上がりながらペンを動かす。幸いにも理数系は得意だ。間をおかずに出た答えは正しい――と信じよう。

 

「えーとえーと……42分の5です!」
「はい、正解。式の途中で答えが出たと思ってやめてしまう人がいますが……」
「やるぅ」
「ナイス」

 

 はふ、と安堵の息をつくなのはにすずかが賛辞を送り、アリサが親指を立てる。二人に笑い返すと、なのははルーズリーフに赤色で一文を書き加えた。

 

<とりあえず、帰ってみんなにきいてみる>
 
 

 

「というわけで……うちでしばらくその子犬さんを預かれないかな、って」

 

 高町家のカーテンを通した光が、近所の猫同士の熾烈な争いを照らし出す。
 カーテンの内側、家族の揃う夕食前のテーブルで、なのはは身振り手振りを交えながら士郎に子犬の保護を訴えていた。

 

「子犬、ねえ」

 

 腕を組んで難しい顔をする士郎に、なのはの眉はハの字になっていく。触れた感触が残る指先をつき合わせながらやはりアリサに頼むしかないのだろうかと思い始めた時、横から思わぬ助けが入った。

 

「そんなに大きくはないんでしょう?」

 

 家族全員が振り返った先で、トレイにクリームシチューの入った深皿を乗せ、桃子がキッチンから歩いてくる。そのまま深皿を配る桃子に頷いて、なのはは言葉を続けた。

 

「ん、うん。このくらい」

 

 肩幅程度に手を広げたなのはに柔らかい視線を向け、桃子は士郎に目配せしながら自分の椅子に腰を下ろす。

 

「しばらく預かるだけなら……かごに入れて、なのはがちゃーんとお世話できるならいいかも。恭也、美由希、どう?」

 

 士郎そっくりの腕組みポーズをとっていた恭也と、なのはの示したサイズを自分の手で再現してこっそり頬を緩めていた美由希は揃って頷いた。

 

「俺は、特に異存はないけど」
「私も!」

 

 兄と姉の同意に目を輝かせるなのはに、家族の意見をまとめるように士郎は頷いて見せた。

 

「だ、そうだよ」
「良かったわね」
「――うん!ありがとう!」
「さあ、話もまとまったし。冷めないうちに食べちゃいましょう」
『はーい』

 

 満面の笑みを浮かべるなのはにつられて、家族皆も笑顔を浮かべる。こうして少しばかりの期待感と嬉しさを混ぜ込んで、高町家の夜は更けていった。
 
 

 

 数時間後。白熱球スタンドの薄明かりが照らす自室で、なのはは携帯電話を手にしていた。

 

<アリサちゃんすずかちゃん、あの子はうちで預かれることになりました。明日、学校帰りに一緒に迎えに行こうね なのは>

 

 文面を軽く見返して送信すると、ベッドのスプリングで勢いをつけて立ち上がる。期待感に引っ張られるようにうきうきした足取りで携帯電話をホルダに載せ、振り返って――

 

『――まったく。時間もないってのに』

 

 今までにないほどはっきりと響いた『声』に、殴りつけられたようにバランスを崩す。

 

「やっぱり……あの子だ」

 

 よろけるままにベッドに顎を落としたなのはは、薄目を開けて窓の外――月を雲が覆い隠そうとしている夜空を見上げた。
 

 

 
 月明かりの差し込む動物病院の中。ケージの中で丸まっていた『彼』は、つまらなそうに顔を上げた。ようやく来たかと言いたげに窓の外を見る。
 真円の眼球。片方を潰されて一つになっているそれが、窓越しに『彼』を見つめていた。

 

「まったく。時間もないってのに、俺は――」

 

 点滴のチューブを一瞬で噛み切り、ケージの中で立ち上がる『彼』。あまりにも小さくなってしまった身体から紡ぎ出されるニンゲンの言葉は、あきらめと自嘲、押し殺しきれない怒りの交じり合った響きを持っていた。

 

「――このザマだ、ってな!」
 

 

 
 等間隔で街灯が照らす道路を、なのはは息せき切って駆けていく。
 深夜に片足を突っ込んだ時間帯。人通りもなく、強くなってきた風に電線や木々がざわついている様子は気分のいいものではないが、そんな事に気づく余裕もなくなのはは一直線に槙原動物病院――黒い子犬を運び込んだ動物病院を目指していた。
 一定のリズムで明暗を繰り返す塀や生垣の先に看板の明かりを見つけ、減速しながら覗き込む。

 

「何も……ない……っ!?」

 

 半ば確信していた『何か』がなかった事に困惑しながら敷地に足を踏み入れた途端、頭痛と勘違いしそうな『波』がなのはの周囲を跳ね回った。
 その衝撃に思わず耳を塞ぎ、目を閉じて――開けた時には、街は色を失っていた。青黒い闇に沈みながらもそれぞれの色を主張していたはずの街灯も、木々も、レンガ塀も信号機も。

 

「……あ、え?」

 

 すべてが灰色に塗りつぶされ停止した世界。思わず周囲を見回した視界の端で、何かが動いた。途端に響く、ガラスの割れる音と重い衝突音。

 

「あれは……!」

 

 動物病院の脇から俊敏に飛び出してきたのは、包帯を腹に巻いた黒い子犬だった。敷地内にあった立ち木を一飛びに駆け上ると同時、子犬と同じ、動物病院の影から巨大な物体が飛び出して立ち木に激突した。
 めりめりと倒れる木から黒く小さな影が飛び出し、なのはの前に華麗な着地を決める。
 その影が見覚えがあるものだと認識し、ついで倒れた立ち木に挟まって蠢いている何かを見るもやっぱりそれが何なのか理解できず、もう一度足元に視線を落とす。
 雄雄しく大地を踏みしめ、夕刻の子犬が謎の物体を警戒するように視線を飛ばしていた。

 

「子犬さん!?」
「あぁ!?って子供!?なんでこんなところに!」
「喋った!」

 

 口調の乱暴さ以前に子犬(らしきもの)が喋った事に、なのはは目を見開いて叫ぶ。
 その目と同じ色の、首にぶら下げた深紅の宝石を振りながら子犬らしき獣――『彼』は、なのはを見上げて声を荒げた。

 

「逃げろ!早く!」

 

 そう言って戻された視線につられて、なのはが視線を向けた先。
 ようやく立ち木を押しのけた何かが、赤い片目をこちらに向けていた。