運命のカケラ_11話

Last-modified: 2008-07-28 (月) 02:22:26

 守らなければならないもの。守れなかったもの。まるで失った大事なものが今だけ手元に戻ってきたような錯覚を感じて、シンはいかんなと頭を振った。
 

 

 
 黒い瞳が横目で見上げるのは少し擦りむいた頬、その奥には未だ青のまま変わらない車道側の信号機。
 何台目かの自動車が二人の前を通り過ぎたタイミングを見計らって、黒い瞳の持ち主――淡い髪の色をした女の子は口を開いた。

 

「今日も、すごかったね」
「いや、そんな事ないよ。ほら、うちはディフェンスがいいからね」

 

 言われたのは翠屋JFCのゴールキーパー。率直な賞賛に謙遜しながらも、横顔ににじむのは隠し切れない嬉しさ。そんなわずかな表情の変化も理解できるくらい、彼女は隣の男の子を見続けてきていた。

 

「でも、かっこよかった」

 

 つながれた言葉に、今度こそ男の子は表情を繕えなくなって目を逸らした。空笑いをしながらカバンを持っていない右手がうろうろと宙を泳ぎ、ふと何かを思い出したようにポケットの中へ潜り込む。

 

「あ、はは……そうだ」
「?」

 

 ポケットの中で握られた手はきょとんとした顔に向かって突き出され、ゆっくりと開かれた。途端、抑えられていた光が溢れるように視界に飛び込んできた輝きに、女の子は感嘆の声を漏らした。

 

「わあ」

 

 子供の手のひらにも納まる程度の、透き通った小さな青い石。傷もなく艶やかに太陽を反射するその輝きにしばし見とれる。
 石からその手の元、少年の顔へ。移した視線の問いかけに男の子が頷く。
 
「ただの石だと思うんだけどね。綺麗だったから」

 

 はい、ともう一度差し出された少年の手のひらに、頷いて嬉しそうに手を伸ばす少女。かすかに触れた互いの肌の感触に、二人は同時に頬を染め――

 

 突然青い石から溢れた光が、二人を飲み込んだ。
 
 

 

「!?」

 いきなり走ったその感触に、なのはは枕に押し付けていた顔を跳ね上げた。

 

「なのは!」
「うん!」

 

 ベッドの下で呼ぶシンに頷き返し、首元のレイジングハートを掴み出した。ベッドから飛び降り、パジャマのままで階段を駆け下りる一歩ごとに目が覚めていく。
 今までにない程強いジュエルシードの波動は、なのはの小さな胸を不安で満たして余りあるものだった。
 
 

 

「うわ、うわわぁ……!」
「きゃああ!」

 

 満たされる光と道路が割れる轟音の中を突き抜けて二人に巻きつくのは、『木』だった。まるで意思があるかのようにのたくる太い枝がお互いにすがりつくように抱き合う二人を持ち上げ、伸び上がるままに高空まで連れ去る。
 何が起きているのか。これからどうなるのか。手のひらの中で脈打つ青い『コレ』は一体何なのか。
 何もわからないまま、男の子と女の子の意識は白い闇に包まれ沈んで行った。
 

 

 
 どたどたと風呂場の天井ごしに上から横へ、つまり2階から階段を駆け下りていく足音を耳にした士郎はざぱり、と手を挙げて頭上のタオルを乗せなおした。
 古傷に覆われた表面からじわじわと芯まで温まる身体の心地よさに浸りながらも、澄ました耳はそう重くはないなのはの足音に隠れたかすかと言っていい足音、つまりシンの足音すらも捉えていた。

 

「ふぅん?……どうしたなのは、一緒に入るかー?」
「ごめんお父さん、また今度! ちょっとおでかけしてきまーす!」

 

 足音と同じく慌てた声は、士郎の呼び声にもまったく速度を落とすことなく1階の廊下を通過していく。数秒後、再び静かになった風呂場で士郎はかくりと首を落とした。

 

「そ、か……いってらっしゃい」

 

――昔はお父さんお父さんって言ってて。頭も洗ってやってたのになあ。
 
 

 

「う、わ……」
「人間を取り込みやがった……! 最悪から3番目だな。くそっ、フォース……いや、どれだけ魔力が……ああくそ、走るぞ!」

 

 玄関で既にバリアジャケットのセットアップを終え、同じように馬具のような鐙と鞍、更には手綱を装着した大型の狼形態に変化したシンに飛び乗ったなのは、その方向を見るなり絶句した。
 巨大な、巨大すぎる木。色とりどりの住宅街の更に向こう、商用ビルの立ち並ぶ海鳴市の中央区画の方向に、そのビル達を遥かに超える太さと高さを持った巨木が何本もそびえ立っていた。
 だん、とシンが強く踏み切って飛び上がる。そのまま住宅街の屋根を飛び移っていくシンから振り落とされないよう、鐙を踏みしめシンの首元から伸びる手綱に体重をかけて身体を安定させたなのはは、もう一度巨木の方を振り返って眉をひそめた。

 

「あんな所、人がいっぱい……? なに、あれ?」

 

 幹でビルを押しのけ、枝で貫いて突き立つ巨木。見失うはずもないその巨大な姿が、時々妙に『見づらくなる』のだ。見えているはずなのに目の焦点がずれてしまうような、それも後ろの景色まで透けてしまうような、不自然極まりない見え方は、圧倒的な質量であるはずのソレが本当に存在しているのかすらあやふやになっていく感じさえ受ける。

 

「拒絶されてる、のか? なら、助けられる!」
「って、何!? ちょ、シン君! ぁ痛っ」

 

 それを見たシンの動きが急激に荒くなり、なのはは激しくなった上下動にたまりかねて叫んだ。状況から何からまったく説明がないのだ、助けられる、と言ってもなんとなくでしか理解しようがない。

 

「ああ。まずアレだ。ジュエルシードが人間の精神に反応して暴走を始めてる」
「そ、れはっ。わか……るっ!」
 
 大きく飛んだ瞬間、シンの足元で鳴る乾いた音。振り返った視界に写るのは舞い散る瓦の欠片。背中側に広がるのは商店街と住宅街と青い空、前に戻した視界を占拠するのは――立ち並ぶビルとその数倍はあるであろう何本もの太すぎる幹、そしてビル街の空を覆う生い茂った枝葉。
 ぶん、と巨木が振動して向こう側のビルが透けて見える。この距離まで近づけば見間違えようもない。確かに不規則なタイミングで『消えている』のだ。

 

「見たら判るだろうけど、人間の精神に反応したジュエルシードは……凄い事になる、みたいだな。流石にここまでだと思わなかった」
「3番目、って?」
「最悪が連鎖反応して次元崩壊、次が単独反応して次元震、その次……と思ってたんだけど、な」

 

 甘く見てたな、と喉を震わせてシンが唸る。実際のデータを手に入れる機会がなかったとは言え予測はできたはず、という事だろう。

 

「あ」

 

 ふと思い出す。輪郭のない違和感。翠屋で感じた感覚。もしかしてそれはまだ発動していないジュエルシードの鼓動だったのではないか?

 

「……ごめん。多分私、気づいてた」
「ん――あ? あぁ。気づかなかったって言うなら俺も同罪さ」
「こんな事になる前に止められたかも知れないのに」

 

 気のせいとなのは自身が判断したせいで、今のこの被害が出てしまっている。シンのセンサーに引っかからなかったから仕方ないといっても、気づいていたはずなのは事実だ。
 うつむいたなのはに、シンが少しスピードを緩めて気遣わしげな声をかける。

 

「なのは」
「うん。大丈夫。大丈夫だから」
「……そ、か」

 

 
 つんとしてきた鼻の根元を押さえ、なのはは小さく呟く。自分に言い聞かせるようなその呟きもシンはきちんと聞き取ったらしく、頷いたきり口を閉じた。しばしの沈黙の後、なのはは大きく息を吐いて顔を上げた。

 

「急ご。封印すれば周りの人も――」

 

 口ごもる。砕かれた道路、傾いたビル。巨木の根元にタイミング悪く突っ込んだ自動車が煙を上げていた。

 

「――周りの人も、助けられるようになるんだよね?」
「ああ。暴走したジュエルシードに取り込まれるのを、多分きっかけになった人間そのものが拒絶して抵抗してる。だからまだ『あやふや』なんだ、あの木。状況が安定すれば消防だって警察だって救助を……よし、範囲内だな」

 

 言ってシンは魔法陣を展開した。小ぶりな円がシンの前に開き、以前も見た空間ディスプレイが開いて何かの波形を表示し始める。恐らく探索目的であろうその魔法を並列進行させながらも、シンの移動速度は落ちる様子を見せなかった。

 

「これだけデカいと中心が……くそ、干渉がきつい」
「私も」
[Area Search]
「ああ。って、その数――」

 

 手綱を握っていた両手の片方を離し、腰の後ろへ。短縮状態だったレイジングハートを取り出し、大きく水平円を描いて振ると、その軌跡をなぞるように桜色の光で構成された魔法陣が現れた。ぽつぽつと陣から浮き出し、高速で走るシンとその上のなのはとの相対位置を保って待機する無数の光の玉――サーチャーになのははささやき掛ける。

 

「リリカル、マジカル。行って。探して、災厄の根源を」

 

 植物の種が弾けるようにサーチャーが上昇し、放物線を描いて巨木の各所へと飛んでいった。魔力で構成された新たな感覚器はその性能の全てをもって情報を集め、ユーザーに送り込む。視覚、聴覚、魔力感覚。常時の数倍どころではない濁流のような情報がなのはの脳に押し込まれては処理されていく。のたくる枝。怪我人。押しつぶされた机の前でへたり込んでいる女性。壁にもぐりこむ根。ぎしぎしと軋む幹……全て同時。高精度で広範囲、しかも途切れずに送られてくる情報はあっという間になのはの処理能力を超え、破棄されずにどんどん詰め込まれてくる情報は脳を膨らませ、眼球を押し出して内圧で意識を押しつぶそうとしてくる。

 

「……ぐ、ぅぷ」
「うお!? っと」

 

 溢れる情報が口元に押し出されてきたかのような吐き気を感じて、目を閉じていたなのはの上半身がぐらり、と揺れた。
 流れた重心をシンがすくい上げ、はっと気づいたなのはは頭を振って手綱とレイジングハートを握りなおす。鼻の奥が鉄臭い。まだぐるぐると目の奥が回転しているようで、なのはは何度か瞬きした。

 

「ご、ごめん」
「ログを――ああ。『まともに見た』のか」

 

 サーチャーによって収集される感覚情報の量は凄まじい。余程能力が高いか脳の構造自体が適応してでもいない限り、その情報全てをまともに意識下で処理しようとすればオーバーフローを起こすのは当然ともいえた。

 

「全部を見るんじゃない。見たいものを『型』にして、それにハマるデータだけ拾うんだ」
「ん……うん。できる。じゃあ、もう一回」
「鼻にティッシュでも詰めるか?」
「いらない! エリアサーチ、開始!」

 

 くだらない冗談に対する反発に押されるように、プログラムの改変は意外なほどスムーズに進む。情報を受け取る直前段階での、条件によるフィルタリングの追加。デバイス内に保存された部分ではなく意識入力部分での改造、それも勘で組んだ命令だが、それでも流れ込む情報の負荷は一気に軽くなった。
 シンは受動的に。なのはは能動的に。互いに真逆のアプローチで探索魔法を走らせながら、鏡のようなガラスに覆われたビルの外壁を垂直に駆け上る。
 とん、とシンの黒い足が屋上に着いた時、一人と一頭は異口同音に呟いた。

 

『見つけた!』

 

 藍色と血色、二組の視線が向く先はイビツな幹が絡まりあった、数百メートル先の場所。光の繭のようなものに包まれながら、抱き合うジャージ姿の男の子と女の子。

 

――やっぱり、だ。

 

 そのジャージが見覚えのあるものである事を確認し、レイジングハートを握る手に力が入る。
 思ったとおり、感じたとおり。翠屋でなのはが感じた不思議な感覚は、ジュエルシードのものだったという事だ。
 襟元で汗ばんだ手のひらを擦り、手綱を握りなおす。

 

「シン君、助けられる……んだよ、ね?」
「今度は混ざってない。大丈夫だ」

 

 後悔もしている。どうしてあそこで押し切らなかったのか、自分の判断のまずさに泣きたくもなる。けれど今それを言ったところでどうにもならない。更に言えば、ジュエルシードに取り込まれかけている二人、また周囲で被害を受けている人びとを助けられるのは魔法という力を持つ自分たちだけだ。
 自分にはその力がある、導いてくれる存在もいる、ならば。

 

「やるしかないもんね。どうする?」
「俺が近づいて切り落とす。切り落としたらなのはが封印、落ちるガキは俺が回収。簡単だろ?」
「この距離から封印?」
「時間が惜しい。できるよ、な?」
「――うん。任せて」

 

 自分の考えがシンと重なっていた事に、少しだけ心が浮き上がる。
 なのはが軽く笑って背中から降りると、シンがおもむろにソードシルエットを装着した。鞍とは干渉しないようバックパックはより後ろへ、エクスカリバーの保持部だけは長く伸びてアーム状に。以前から何度か調整をした結果、とりあえず振ることはできる形、ということだった。

 

「始めるぞ」

 

 ぼん、と噴射音。ソードシルエットに備えられた小型のスラスターから青白い噴射光をひきずってシンが一直線に巨木の一角、二人の子供のもとを目指していく。
 目を閉じる。まぶたの裏に焼きついた噴射光を眺めながら、レイジングハートを両手で掴んで深呼吸を二つ。篭った感情の熱を吐き出し、冷静さを吸い込んで精神を集中する。身体中で開いていた感覚が閉じていき、代わりに前方への感覚が深く深く伸びていく。

 

「レイジングハート、いくよ」
[Shooting Mode,Setup]

 

 自分の『感覚』がシンを追い越して抱き合う二人に近づいていく感触の中で、なのははふわふわと浮くような声でささやいた。
 意思を込めた声に、レイジングハートの外装は速やかに応える。がこ、と桃色の柄尻が伸びた。シーリングモードと同じような3枚の光翼が現れ、孤月のようだった先端の金色の部品はU字の左右バランスを崩したような、段差のある平行線を描く。
 より遠くへ。なのはが命じたその一言は指向性を強めた形態としてレイジングハートの再構成を成した。
 要求をクリアするその的確さにシンの一部、デバイスとしての性格を感じながら、なのはは全長が伸びたレイジングハートをしっかりと両手で構えた。赤い宝玉と金色のU字でできた先端部でシンの背中を追い、巨木に狙いをつける。
 ぶん、と桜色の光で編まれた輪が現れる。見えない銃身を保持するかのようにゆっくりと回転するそれは、なのはの足元に展開されたものと同じく徐々にその速度を上げていった。
 

 

 
「行ける、行ける、まだ行ける……よし!」

 

 二人の子供を守るように包む光の繭が一切の浸食に耐え続けているのを見ながら、シンはひたすら同じ事を呟いていた。
 ソードシルエットのアームを展開し、『記録』に残る大地の名を持つMSの如くエクスカリバーを左右に展開。シルエットの推力に加え空中に発生させた魔力の足場を蹴る力も利用して、可能な限りの加速を行う。
 シルエットが吐き出し続ける青白い噴射光と一歩ごとに砕け散る魔力の足場の赤い光を撒き散らしながら、シンは一直線に光の繭に迫り――

 

「でぇい!」

 

 激突せんばかりの速度で繭を掠めたシンから伸びるエクスカリバーが、巨木と繭の境界面に食い込んだ。
 
 

 

 
「――行って!」

 

 その言葉を文字通りの引き金にして、レイジングハートから強烈な光が奔った。空気を押しのける太い音が響き、反動を受け止めるなのはの足元、魔法陣から白いエネルギーの残滓が吹き上がる。
 規模こそブラストシルエットのケルベロスには劣るものの、速度だけならば負けてはいない桜色の光流が宙を駆け、シンが切り落とした繭から弾き出されたジュエルシードを直撃した。
 動力以外ほぼデバイス任せのケルベロスとは違い、なのはが自分で走らせた魔法はより直接的になのはの意思を反映できる。
 空中を走り、ジュエルシードを押し流し、なお直進して巨木の幹をも抉り通す桜色の光流はまさに、一方向に絞られたなのはの精神そのままだった。

 

『……こっちは確保した! いいぞ!』

 

 繭とジュエルシードを分離され、空中に投げ出された男の子と女の子を鎖のように伸ばしたバインドで引っ張り上げたシンの『声』がなのはの頭に響いた。
 魔力とは元来、人の精神に大気中の魔力素が反応して生み出されるエネルギーである。
 人の自我――『他と自分を分ける境界』の上に立つものを基にしている為か、ある人物の発生した魔力は他人の魔力とは同種のエネルギーでありながら混ざり合わずに反発し、侵食しあうという独特の性質を持っていた。
 そしてそのエネルギーあたりの作用の強さ、言うなれば魔力の質は術者が発する精神の強さに強く影響される。まったく同じ変換効率やプログラム効率、出力の持ち主がぶつかれば、根性のあるほうが勝つということだ。
 道路を砕きビルを容易に貫き押しのけていたはずの巨木が、物理的なエネルギー量では比較にならないほど劣るであろう、なのはの発する直径30cmほどの光流にいとも簡単に貫かれる原因が、つまりはそれら二つの要素が複合した結果だった。
 ジュエルシードの発する魔力量は凄まじい。一度発動すれば、今のような事態――巨大な質量を限定的ながら出現させることすらできる。だがその発動の引き金であり魔力の根幹、精神エネルギーの持ち主である人間に拒絶され、シンによって更に切り離された状態ではいかに巨大な魔力で構成された存在といえど、たやすく崩れ去るハリボテに等しい。
 シャープに絞り込まれたなのはの『意思』にいとも簡単に外殻を吹き散らされるのは道理と言えた。
 レイジングハートの後部を握った左手首を捻り、なのはは砲撃の『質』を切り替える。吹き飛ばすソレから、包み込み鎮めるソレへ。リアルタイムに組み替えられていくプログラムに従って、桜色の光は途切れることなくその作用だけを速やかに変化させた。

 

「リリカルマジカル。ジュエルシード、シリアル10! 封印!」
 
 

 

「……だいぶ、壊れちゃったね」
「ああ」

 

 ビルの縁に腰掛け、脚をぶらぶら揺らしながらバリアジャケット姿のままのなのはが口にした言葉。ごく短いそれが、今シンとなのはが目にしている光景をこの上なく表していた。
 傾いた日に照らされ、長い影を引きずりながらジュエルシードに取り込まれかけていた二人が住宅街の方へ歩いていく。足をくじいた男の子を支える女の子が、重みによろけながらも笑顔を見せていた。
 目を逆方向、海側へ転じれば、あちこちを無残に破壊されたビル街が視界に入ってくる。
 担架で運び出される怪我人や、応急的に立ち入り禁止を示す虎縞模様のロープが張られた道路の亀裂。被害をもたらした巨木は影も形もなく消え去ったが、巨木が成した事、刻まれた傷跡は白昼夢でも集団幻覚でもない明確な事実だ。
 そして、なのはとシンがその被害を防げなかったことも。

 

「後手に回った割には上手く行ったよ。後は警察と消防、その他もろもろにお任せだ」
「でも、これじゃあ……ね、シン君。本当に全力全開だったのかな? 私たち」

 

 こちらへ顔を向けたなのはの言いたいことはわかる。シンは細く長く息を吐くと、首を傾げてなのはに視線を合わせた。子犬状態とは違い、今はなのはの方が見上げる格好になる。完璧に近い砲撃を放って見せた時の高揚は微塵も残っていない。夕日を映しこんだ藍色の瞳は、滲み出す湿っぽい感情に揺れていた。

 

「ん、じゃあ。この前全力でやっちゃったんで被害はちょっと少なめにできたけど力尽きました。今回は何もできませーん……の方が良かったか?」
「それは」
「それに。俺の言うこと、聞けって最初に言ったろ?」
「……う」

 

 相手が何か反論する前に言葉を重ねる。きちんと話を聞く『いい子』には特に有効な丸め込み方だ。言っている事が間違っているとは思わないが、さりとてこんな子供に意見を押し付けるのは論理とはまた別のところで気が引ける。

 

「代わりは、いないんだ。俺たちは俺たちだけだけど、ジュエルシードは一つ残ってたって次元震を起こせる」
「…………」
「な?」

 

 ぶー。膨らむ頬。わがままな仕種とは対照的に潤んだ瞳。
 なのはは頭が良い。シンの意図もきちんと読み取ったからこそ、感情的な反論をせずに下に視線を戻したのだろう。表情は繕えていないが。
 露骨に態度に表れている不満に恐ろしく――数えられるだけでも数百年どころではない――以前の自分がかりそめの上司にとっていた態度を思い出してこっそり苦笑する。まあ、なのははあの時の自分と違っていわゆるクソガキではないのは唯一にして大きな違いではある。
 シンは頭の上に突き出した耳を何かを探すようにくるりと動かすと、なのはと同じように眼下に視線をやった。
 『切り替えた』感覚に響くのは、独特のノイズが混じる会話音声。信号変換に関しては既に学習済みだ。周波数を何度か切り替え、目的の周波数を見つけて聞き入り、ふむとシンは頷いた。

 

「重軽傷合わせて22名、死者なし。休日でオフィスビル街、さらに昼飯時。だいぶ運が良かった、ってところだな」
「……え、あ? そう、なんだ」

 

 虚を突かれた顔で何度かまばたきをしていたなのはが、安堵の色を顔に浮かべて大きく息を吐いた。怪我人はいるものの、なにより死人が出なかった事。シンにとってもそれは喜ぶべき事だ。
 こくこくと頷いたなのはが、力の篭った視線をシンに向けてくる。

 

「シン君。私、もっと頑張る。もっともっと守れるように。悲しいことが、起きないように」
「あー……」

 

 その言葉にシンは目を伏せる。初めての失敗にも負けず、更に決意を固める強い意志。それそのものには文句のつけようがない。
 だが。その望みは永遠に満たされない、ほとんど呪いのようなものだ。有り体に言えば、人が掴める望みではない。そう遠くない時期、もしかしたら今この瞬間にも、なのははその事を実体験として知るはずだ。

 

――まったく。お気楽お子様は何も考えてないんだろうけどな。大人は大変だってのに。
 
 

 

 ……だが、今は。今はまだ、希望に満ちた主と共に『守る』為に戦える。誰の賞賛も感謝もいらない。ただその為にいられれば、シンは自分の存在意義を満たせる。
 守ることはまた別の独善。守る為に戦えれば、武器としての機能を発揮できるならば、それでいい。例え一つの場所で守れずに感情――バグ――が涙を流そうが、シンの知性――本来存在するシステム――は行為を行う事以外、もっと言えば結果には何の影響も受けない。
 自らを省みない英雄とは違う、戦闘機械というヒトデナシ。感情はそれを嫌悪しても、確固として存在する原理はどうあっても消えそうになかった。

 

「……ああ。強くなってもらうさ。こんな――」

 

 ぐるりとまわす視線。夕日の中に浮かび、近づいて来る夜に沈みかける壊れた街。
 強くなってもらう。少しでもなのはの望みが満たされるように。
 強くなってもらう。少しでも『耐えられる』ように。
 強くなってもらう。少しでも、戦ってもらえるように。

 

「――こんな事に、したくないもんな」

 

 挫折に負けないよう精神を強くするには、長い長い時間がかかる。だが目の前に戦場が迫っている今、そんな時間はない。
 少しでも強くなれば、もっと多くを守れる。だが鍛錬を重ねて強くなり、どんなに多くを守れたところで、その裏に守れないものは必ず存在する。
 破壊されたその日から復興を始めている街を一通り眺めて口にした言葉は、やけに空々しかった。
 
 
 

 

「またか!」

 

 高さにしてわずか3ミリメートルの追加。しかしその3ミリメートルがたまらなく癇に障る。上乗せされた『高さ』に耐え切れなくなって両拳で机を叩いた途端、狭いオフィスで資料の城壁に挑みかかっていた同僚達――20前な者から相当大きな子供がいる者まで、年齢層は幅広い――がびくりと肩を震わせた。
 クロノの眼前も例外ではなく、目の前を左から右まで覆う白い積層された紙でできた壁。広くはないデスクは本来存在する電子インターフェイスが見えなくなるほど大量の書類に埋もれ、実はどこになにがあるかなどわかりはしない。
 ロストロギア捜索は、言うまでもなく大変な作業だ。100を越える確認済み世界を行き交う合法非合法の物品の流れの中から、たった一つの代物を探し出すのがどれだけ困難なことか。
 その困難な作業を成し遂げるためには、管理世界それぞれ『現地』の協力が不可欠だ。だと言うのに、だと言うのに!

 

「これで134個目……なんで毎度毎度! 全部が全部! ペーパーメディアなんだ!?」

 

 各管理世界からもたらされた次元航行船の発着記録。手続き自体は非常にスムーズに行った。請求する、送られてくる。それだけだ。だがその送られてきた資料が魔法で情報圧縮されたものでもなく電子メディアでもなく、まるで示し合わせたかのように全て紙媒体ともなれば、最近ある事情聴取対象のせいでイライラしがちなクロノでなくとも呪いの言葉を吐きたくなる。

 

「うるさいよ、クロノ・ハラオウン。そんなにストレスが溜まってるなら休暇でもとればいいんじゃない?」

 

 ドアを開ける音と共に耳に滑り込んだ幼い癖に落ち着いた声に、据わった目で事務室の出入り口を見やる。緑色のケープのような独特の服装をした10歳ほどの少年が、どこかバカにしたような視線をクロノに向けていた。

 

「何の用だい、ユーノ・スクライア? 民間人はあんまりいて良い場所じゃないんだけどな、ここは」

 

 ぎりぎりと上下の顎を左右に擦り合わせる隙間から漏れた剣呑な声に、ユーノが笑った。見るもの全てに不快感を与えるような半月の笑い。
 すたすたと机の間を抜け、こめかみ辺りの圧力を急上昇させるクロノの前に立ったユーノは、ぺらりと一枚の書類を突きつけた。
 目に飛び込むのは、自分の所属する船、今は定期検査でドック入りしている『船』の艦長にして提督でもある母親のサイン。そのすぐ下には見たことのない、だがスクライアという部分だけは知った名前と一緒な誰かのサイン。
 嫌々上方向にスライドした視界に入ってくる文面。それを読み、目を擦ってもう一度読み返し、クロノ・ハラオウンは濃いクマが浮かんだ顔を盛大にしかめた。業務委託契約。嘱託魔導師。アースラへ配属。本気か母さん。というか正気か母さん。

 

「…………ハァ?」
「ユーノ・スクライア。管理局とスクライア一族との契約に従って、アースラの今回の任務……ロストロギア捜索に協力します、というわけで。ま、今後ともよろしく」