運命のカケラ_22話

Last-modified: 2009-03-14 (土) 21:53:31

――だめ。やだ。おかしくなっちゃう。わたしが、かわっちゃう。わたしが、わたしが――

 

<やだ。やだよぅ>

 

――助けて。

 

 なのはの澄んだ藍色の瞳。苦痛と混乱に焦点を失って今はただ虚ろに天を見上げるその底に、どろりとした赤が灯った。
 
 

 

 手足、身体、そして頭。触手の突き刺さった場所から、徐々に赤い光がなのはの体内を浸食していく。幾何学的な直線――電子回路のようにも見える濁った光は、やがてなのはの中で絡まりあって像を結び出した。大半は理解できない何かの光景、音、香りや味やそれら全てと異なるナニカだが――フラッシュのように時折『記憶』が瞬いては消えていく。

 

――死にたくない。死にたくない。死にたくな――

 

 とりつかれたように続く呟き声が、乾いた炸裂音とはじける水音を最後に聞こえなくなる。握っていた拳銃を下ろし、『自分』は……違う。『わたし』じゃない。
 弾けた粒子は巨大な蛇のようにうねり散らばり固まって、炎と石となって巨大な円を描く。

 

「ん、くぁ」

 

 消える手の感触。指先から身体が解かれていく、その端から更に様々なものが流れ込んでくる。
 口を塞ぎ、喉まで蹂躙していた触手は既に消え――いや、既に『なのはと同じもの』になっていた。

 

――もう、駄目なの? この人。僕があそこで迷ってたから――

 

 そう言って涙がこぼれそうな目を向ける主へ、横たわる人物が死に向かっていることを冷たく告げる。楽にしてやれ、と言葉をつなげようとして、ふと気になった。
 この行動は、『俺』の意思によるものなのか? あくまで主の意思によるものなのか?
 違う。これも『ワタシ』じゃない。
 螺旋や曲線、波打った光や転がる球体がなのはの中を通り抜けていく。

 

「あ、ぁ」

 

 明確な境界を意識させる蹂躙、外側から飲み込む圧倒的な体積。その『強さ』はまったく緩まる気配がないのに、今はもう『コレ』に圧迫感を感じない。むしろ最初からこうであったような、こうでなければいけないような。

 

――俺は、俺はこんな国にしたくて戦ったんじゃねえんだよ……!

 

 操縦席で背を丸め、両手を付いて慟哭する主はセンサーが発した接近物体――追っ手の知らせにも動こうとしなかった。
 『神像』の単なるエネルギー源としてしか使われていない自分には、何の言葉をかけることもできない。仲間を失い、おびただしい流血の末ようやく使命を果たした矢先に『帰る場所』から拒絶された主の痛みは、想像するだに辛いものだ。
 『俺』は主がどんなに辛い戦いをしてきたか、すぐ近くで……違う。『私』はそんなもの、見てない。これは私の記憶じゃない。
 無数の声の中、立ち昇る一筋の流れ。まるで天空に上っていくようなそれを構成しているのは淡く緑色に光る、ごくごく小さな光球。

 

「あ、くぅ……」

 

――私の、私の記憶。

 

 必死に記憶のカケラを集める心が、びくりと動きを止めた。無意識にすがりついた深く、強い記憶。だがそれは決して明るい記憶ではない。
 一人で起きて、一人で学校へ行って、一人で眠る、誰もいない家。父は生死の境をさまよい、母も兄も姉も皆父の穴を埋めることで手一杯だ。
 仕方のないことだとわかっていても、何が変わるわけでもない。
 嫌だ。こんな世界は嫌だ。自分が消えてなくなりそうな、消えてなくなっても誰も気づいてくれないのではないかと思える狭い、狭い世界。
 一人は嫌だ。
 なら今のコレを――シンを受け入れれば、一人ではなくなるのだろうか。
 飛び散りかけた意識はふとそんなことを思ったが、本能的な恐怖がそれをすぐに上回る。
 今まさに自分を押しつぶし、取り込もうとしているあまりにも巨大な精神――コレに飲み込まれるのが、怖い。自分の根幹――記憶にすがりつこうにも、それを強く意識すれば否応なく蘇るであろう痛みが怖い。
 そんな葛藤を一顧だにせず、なのはの内側は徐々に触手と同じ色に染められて――いや、周囲と同じ血色の空間に『なっていく』。
 血色となのはの色が同じ色になってしまえば、もはやそこにいるのは『血色の空間の中にいるなのは』ではなく『血色の空間』だけだ。そうなれば内側外側の区別、自分とそれ以外を区別する術は何もなくなり――消えることになる。

 

――だれ、か。

 

 巨大な存在に飲み込まれようとしている幼い精神が、助けを求めて紡ぎだした細い『声』。
 弱弱しい波紋は一度だけ血の色に満ちた空間を震わせ、やがてかすれて消えていった。

 

『……………………あぁ、クソッタレ』

 
 
 

「こちら黒。各班、準備は?」
『緑、いつでも』
『青、同じく。頼むぜぇ学者君よ』
「はいはーい。じゃあ、行こうか。ほらほら早く」
「……やれやれ。本当にその格好で行くのか、君は」

 
 

「失礼します」
「あ、はい?」

 

 事務室で机に向かっていた男は、やけに若い、むしろ幼い声に疑問を覚えつつ振り向いた。
 視界に入ったのは受け付けカウンターから覗く黒い髪の毛とその隣に見え隠れする……布?
 振り返った姿勢から首を戻し、周囲をぐるりと見渡す。途端に丸くなる同僚達の背中。その見事な反応とタイミングは背中や側頭部に目でもついているかのようだ。机やプリントアウトを凝視し始める同僚達にこの野郎、と念話で吐き捨てて立ち上がる。反応した奴が負け、とでも言わんばかりのこの『会社』の慣習だが、不思議と誰も出て行かないということはなかった。
 本業ではないとはいえ、おろそかにはできない。なんといってもここは『運送会社』なのだ。付け加えれば『船』が損傷したお陰で経費もかさみ、少しでも金が欲しい時期である。魔法技術があまりメジャーでないこの世界では、元々ちょっとしたパーツを手配するにも手間と時間と金がかかるのだ。それなりに重要な部分のパーツとなればなおさらである。

 

「お荷物でしょ……う、か?」

 

 自分の半分に届くかどうかという年齢であろう幼い客にも礼儀正しく接しようとしてカウンターに向かった男は、一瞬口ごもった。
 声から受ける印象どおり、黒髪の方はまだ背も伸びきっていない少年だった。そちらは問題ないのだが、男が口ごもった理由はそちらではない。問題はもう一方、クリーム色をした布のほうだ。
 人なのは、間違いないだろう。シルエットからすれば、隣の黒髪の少年と同い年くらいだとも考えられる。ずっぽりとクリーム色のコートのようなものを被って頭から脛までを隠し、大きすぎる立て襟が顔を完全に隠しているのも、まあ子供が無理やり大人用のものを使っているならあり得る。

 

「いえ、少々お聞きしたいこ――どうかしました?」
「あ、いや」

 

 コートの襟から漏れ聞こえてくる、ふぅふぅという荒い呼吸音。はっきりしないが何事かの呟きも混じっている。
 がさごそという衣擦れの音。ちょうど下腹部辺りでテント型に立ち上がったり戻ったりしているコートの布地。
 そんなものを前にして平静でいられる程男は『こういうもの』に慣れておらず、コートの人物を見つめた事自体が後ろめたくなって気まずげに目をそらした。

 

「まあ、こっちは気にしないでください。で」
「……!!」

 
 

 そんな怪しげな人物を気にするなの一言で済ませてしまった黒髪の少年にも困惑した男だが、その少年がひょいと取り出した物体を見て一瞬で表情をこわばらせた。
 鎖に繋がれ、ペンダント状になった金色のメダリオン。光学スクリーン機能を持つそれは見る角度の微妙な変化をそのまま様々な色の光沢として見せてくれる。
 いくつもの世界から集めた希少鉱物の性質を利用しており、技術的にも素材的にも偽造するには割に合わなさ過ぎるそのメダリオンは管理局所属の証――紋様からすれば捜査権限を持つ者の証だ。いわゆる『管理世界』の住人は、その捜査活動には協力する義務がある。何故なら管理局は、『管理世界の安全かつ公平な交流を、現地組織と連携して実現する』ために存在するからだ。

 

「管理局独立艦隊73番艦所属、クロノ・ハラオウンです。この会社に許可領域外営業及び禁止物品取扱いの疑いがある為、これより捜査活動を行います。どうかご協力ください」

 

 張りのある声がそう宣言した途端、波紋のように社員達に緊張が広がっていく。
 書類、ブツの始末、逃げようとする『部長』を牽制する『社長』、捜査官の数や貸ドックに係留している船の状態などと言った雑多な内容が念話で飛び交い、ついにはいっそ始末してもと物騒なことを誰かが『口走った』瞬間。

 

「――レストリクト・ロック」
「なっ!?」

 

 ぼそりと告げられたコマンドワード、そして瞬時に展開された光輪がその場の『社員』全員をがんじがらめに縛りつけた。

 

「って、おい――」
「念話の内容より抵抗の意思を確認! 各班、突入開始!」

 

 何故か慌てた様子で振り返る黒髪の少年とこちらはそもそも展開についていけていない男、そしてオフィス内の『社員』達の無数の視線を受けながら、コートの人物は重い布地を脱ぎ捨てる。

 

「……その服、スクライアか!?」
「あ、覚えてるんだ」

 

 緑色を多く配した模様、小さめのケープといったスクライア一族特有の衣装をコートの下から現した子供が、寝癖のようになった金髪をかき回したその途端。正面入り口をはじめとしたオフィスの扉や窓が一斉に弾け、スクライア一族の子供――ユーノ・スクライアの細い髪は風圧によってぶわりと広がった。

 

「突入! 突入!」

 

 散乱したガラスや扉の破片を頑丈な靴底で踏み砕きながら、全身を暗い色のプロテクターで覆った男達が綺麗に二人の少年を避けてなだれ込んでくる。プロテクターの肩や胸に刻まれている文字はシンプルな一単語だ。
 統治機関によって定められた特定の場合のみ他者の自由を制限する権限を与えられた、治安維持集団。すなわち『警察』。
 魔道師がほとんどいない世界であっても管理世界条約――管理局の方針には従わなければいけないため、警察側にも『非殺傷制圧』という前提は存在する。質量兵器の存在さえなければ個人の戦闘能力的には圧倒的に魔道師が有利であり、故に魔道師の多い『社員』達にとって逃げること自体は難しいことではない。
 ただし、今回は違う。なんといってもその場の全員がレストリクトロック――準備時間が恐ろしく長い上に効果時間も短いが、その分強力な拘束魔法でぎっちり縛り上げられているからだ。
 あっという間に『社員』達は屈強な肉体のプロテクター集団に取り囲まれ、容易には破壊できない特殊素材製の拘束具で縛り上げられていく。

 

「う、うわぁぁぁああっ!!」

 

 裏返った叫びと共にばしん、と空気が弾け、もう何度目かという沈黙がオフィス内に舞い降りた。
 凍った空気の中で動きを止めずにいたのは、光輪に縛られたまま荒く息をつく『社員』の一人と、その前で顔面を殴りつけられたように海老ぞりに仰け反る警官の一人の合計二人。
 その間、ちょうど二人の中間地点でパラパラと宙に溶けていく薄紫色の光は『社員』の魔力光だ。
 レストリクトロックは強力な拘束魔法ではあるが、いくら強力な拘束術式でも『魔法である』以上、極端なことをいえば魔力素への干渉力の力比べでしかない。個々の技量や状況次第では完全に発動したレストリクトロックの干渉下でも、ごく簡単なプログラムや強引な魔力干渉で魔法を使うこと自体は可能だ。
 とはいってもそんな状態で一般的な魔道師が発動できる魔法は、せいぜい素人の腰の入っていないパンチ程度の衝撃波を放つくらいであり――鍛え上げた人間には、さして効くものでもない。それこそ仰け反らせるのがせいぜいといった風に。
 1秒、2秒、3秒。弾力的な動きで仰け反りから立ち直り前傾姿勢になった警官は、動作の勢いで垂れた鼻血をべろりと舐め上げると嬉々として宣言した。

 

「――抵抗確にぃんっ! 制圧開始ぃぃ!」

 

 雄雄しく轟いた警官達の雄たけびと共に、打撃と悲鳴が織り成す暴力的なリズムが始まりを告げた。

 
 

 教育上よろしくない効果音の満ちた空間にあっても涼しい顔をしてぶちまけられた書類を漁るユーノ・スクライアに、クロノはいささか呆れて声をかけた。

 

「勝手に行動してもらいたくないんだが」
「手っ取り早い手段をとっただけだよ」

 

――手っ取り早い?

 

 その言葉に違和感を感じる。ユーノが突入を勝手に指示した際に発した言葉、『抵抗の意思を念話から確認』。ポピュラーなだけに最も暴露対策が進んでいる技術の一つである念話を外から解析するという行為は、熟練したアルゴリズムを持つ魔道師でもそう簡単にはいかないはずなのだが、まさか。

 

「ユーノ・スクライア。念話を拾ったって言うのは――」
「ああ、あれ嘘。暗号化されてるし、そんなにすぐ解析できるわけないじゃん」
「……」

 

 しれっと言い切る微笑み顔に、もはや何を言う気力もない。いや、ユーノ自身『何が何でも』と言っていたのだ。これくらいはやるだろうとは思っていた。いたのだが。
 視線をそらすついでに部屋の中を見回すと、異常にテンションの上がった警官達が拳と警棒を突き上げて雄たけびを上げていた。普段手を出せない、出すにしても不利のつく相手を一方的にボコボコにできる機会が訪れたのだから大層爽快なのだろう。その様はなんというか、言っては悪いが大きな獲物を仕留めて喜ぶ狩猟民族のようだった。
 そこまで考えて、魔道師とそれ以外の局員同士の軋轢を思い起こして改めて憂鬱になり――ユーノが先ほどまでとは違う視線を向けてきていることに気づいた。

 

「いい加減時間かかりすぎてる。何がどこで起きるかわからないよ、今」
「……被害を抑える為に、か」

 

 目的のために手段を選ばない。大事の前の小事。言い方はいくつかあるが、どれも微妙に合わない気がする。わかってやっている、のは確かだろうが。

 

「そういうこと。前にも言ったでしょ? それがスクライアとしての僕のお仕事だからね」
「管理世界の法よりもスクライアの役目、か。ダブルスタンダードって言葉、知っているか?」
「TPOなら良く知ってるよ? こっちは管理外世界にも行かなきゃいけないときだってあるんだし。ほら、手伝ってよクロノ・ハラオウン。とりあえず荷物の記録、探さなきゃ」

 

 そのまま書類探しに没入し始めるユーノを数秒見つめ、クロノはやがて深いため息をついた。学者バカには法治という概念から教えてやらねばならないというのが、なかなかに疲労感を煽る事実だったからだ。

 
 
 

「どう? バルディッシュ」

 

 月の光が降り注ぐ森の上空。数分前と変わらず宙に浮いているフェイトは、数分前とは似ても似つかない眼下の様子に行動を決めあぐねていた。
 バルディッシュを構えたまま見下ろす先には巨大な、それこそ直径数十メートルはある赤黒い半球体。ちょうどテーブルに落ちた水の雫が丸く形を保っているような具合で、油のような重たい光沢を持った『何か』が滞留していた。

 

<Can't analyze>
「……駄目か」

 

 バルディッシュの告げるエラーメッセージにため息をついて、球体から距離をとる。どういう原理なのか、赤黒い球体の表面は電磁波から魔力感知まで、バルディッシュの放つ分析用干渉波を何もかも吸い込んでしまう。
 見えるくせに反応がないという不気味な存在。内部構造はおろか、表面が何なのか、どういう状態――固体なのか液体なのか、はたまた気体――になっているかすらわからなかった。
 自分の目の前で、デバイスから吹き出した黒い液体に包まれてあの球体に引き込まれていった白い少女。それに白い少女の使い魔と戦っていたアルフの話を考え合わせれば、これはあの黒い狼の姿をした使い魔の成れの果てなのだろう――何故主を引き込んでいったのか、という部分がわからないが。
 そんな事を考えていると、見慣れた赤色の髪の毛が視界の隅に入ったり出たりとちょこちょこ動いていることに気づいた。

 

<触っちゃ駄目だよ、アルフ>
<!! わ、わかってるって>

 

 ばつが悪そうに上昇してくるアルフの姿にくすりと笑うと、フェイトは構えていたバルディッシュを下ろす。気が付けば、空で冷えた光を放っている月が大分高い位置に動いていた。

 

「とりあえず……今回は、もう行こう?」
「え? でも、いいのかいアレ」

 

 アルフが指差すのは球体、言っているのはその中身である白い少女たちが持っているはずのジュエルシードの事だろう。ジュエルシードを集めるのが目的なのだから、確かにフェイトとしてもそれは心残りであるが。

 

「最初の目的のジュエルシードは手に入れたし、これは――」

 

 もう一度、夜闇の中でも一際暗い色をした球体を見下ろす。その佇まいはやはり異様で、見ていると不安感を煽られる。ずっと注視していると周囲の魔力素ごと動いているような、しかしそんなこともないような。空の下にいるはずなのに、何かの腹の中に飲み込まれているような。
 そう、まるでこのあたり全てが巨大な――イキモノになってしまったかのようだ。

 

「――下手に手を出さないほうが、多分いい」

 
 
 

 世界には、理がある。物が上から下に落ちるように、熱が高いほうから低いほうに伝わるように。
 それらよりはずっと流動的だが『社会』という小さな世界にもまた、理がある。時には一日で変わってしまうような理だが、それでも――不適格な存在を弾き出す程度には、強固な理が。

 
 

『――教えてくれよ、ラクス・クライン終身議長殿』

 

 艦船、モビルスーツ、航宙機を問わず宙域にいる全ての者の鼓膜を振るわせる低い声と共に、エクスカリバーの切っ先がゆっくりとエターナルの艦体を引っかいた。左上方にはインフィニットジャスティス、右上方にはストライクフリーダム。当代最強と言われる2機のモビルスーツに狙われているというのに、シン・アスカが操るインパルスの動作にはいささかの焦りも緊張も見られなかった。
 半端に握ったエクスカリバーを突きつけるでもなく、まるで子供の遊びのように桃色の艦体に2つの刀身を滑らせているだけだというのに――その姿は、誰の介入も許さないと雄弁に告げていた。
 わずかでも誰かが間に入ろうとするそぶりを見せれば、シンは最高の存在――スーパーコーディネーターの操るストライクフリーダムが間合いを詰めて四肢を切り裂くよりも、そしてスーパーコーディネーターと並び『女神の双剣』、その一振りと称される男が操るインフィニットジャスティスがそのブレイドのついた脚でインパルスの機体をけり飛ばすよりも速く、エターナルの艦橋にエクスカリバーを突き刺すだろう。
 それこそ、『必要ならば一片の躊躇も容赦もなく』。

 

『失ったものは戻らない。真理だよな。けど、それで全てがなかったことになるわけじゃあない。それで、だ。アンタはどうする? ルナや……みんなだけ置き去りにした挙句、あんたが命令した艦隊の一斉射撃でみんなを消し飛ばしやがったことを、どう始末をつけてくれる?』
『違う! それはラクスがやったことじゃ――』
『黙っててくれよ、キラ・ヤマト。今はアンタに聞いてるんじゃないんだからさ』

 

 横から飛び込んできた必死な声に、シンは心底うんざりしてインパルスの首を向けた。自分を狙うのに最も向いている武装であろうドラグーン、長剣の切っ先のようなそれが青と白の機体の周囲に停滞して動く気配がないことだけを確認し、視線を再びエクスカリバーの先端、更にその下へと向ける。
 通信ウィンドウの中央に座して動かなかった桃色の髪が、ふわりと動いた。天の女神とまで呼ばれたその美貌が笑顔を形作る。動揺も焦りも後悔も見られない、あまりにいつもどおりの笑顔を。

 

『今回のことは、連絡の不行き届きが原因でした。とても悲しいことだと、わたくしは思っています。こんなことは起きてはならないのですから』
「ああ、悲しいな」

 

――だったら、何故その起きてはならないことが起きたんだろうな?

 

『しかし、わたくし達はここで止まるわけにはいかないのはお分かりでしょう? 何と戦わなければいけないのか、それは難しいことですけれど。しかし、目の前に危機が迫っているのです』
「ああ、難しいな」

 

――で、水に流せってか?

 

『あなたは今のままで良いのですか? こうして一時の怒りをもって互いに剣を向け合って、それで満足するのですか?』
「さあ、わからないな」
『シン! 俺達は未来の為に戦う、そう言ったはずだろう!』

 

――ああ、アスラン。あんたは相変わらず未来のことしか見てないんだな。だから居場所と仲間、それに恩義って奴に頓着がないわけか。

 

『シン、もうこんな事故は起こさせない。僕らや『騎士団』の人たちが、きっとザフトを変えるから』
『わたくし達が戦わなければいけないのは、未来を殺すものなのです。このような悲しいことが起きないように、皆が共に手を取り合わなければなりません』
「ああ、どうすりゃそうなるんだろうな」

 

――なあキラ・ヤマト。あんたの恋人の議長様が艦隊司令でその船のクルーが全員――メイリンも、なんだよな――騎士団だってこと、忘れてるのか?

 
 

 キラ・ヤマトにしろアスラン・ザラにしろ、彼らの声にはどこまでも正義感しか存在しない。異常にシンプルだとも言える。それこそ、シンと同じ人間とは思えないほどに。
 だからこそ彼らはシンを疑うこともなく、こんな場所まで無防備に近づくことが出来たとも言えるが――次元が違う問題だ。考える必要もない。
 だが、この世界において正しいのは彼らなのである。彼らは『正義』なのだ。世界の何者であろうとも、どんな意見があろうとも、彼らの意見と違えばそれはすべからく悪となる。
 何故なら、正義に反対するものは悪だから。それ以外にありえないから。
 この世界では誰もが前を見る。それが正しいから。
 この世界では誰もが後ろを振り返らない。未来を見続けることが正しい行いだから。
 この世界では誰もが自分が立っている場所、足元を確かめない。
 そうすることが、『正しい者達が示した正しい行い』だから。

 

『シン・アスカ。未来を閉じさせてはなりません。わたくしたちはまだ、それを選べるので――』
「……ああ、そうか」

 

――もう、いいや。

 

 ラクスの言葉が終わるのを待たずシンは操縦桿を引き、インパルスはエクスカリバーを振り上げた。
 視界の内外、全ての存在が一瞬で緊張する感覚を心地よく受け止めながら、平板な声でそうか、と繰り返す。

 

「わかったよ、議長。結局、アンタに従って戦うしかないんだ。それをわかれ、ってんだろ?」

 

 振り上げられた対艦刀は淀みなくインパルスの背中、ソードシルエットのジョイントに戻される。
 開いたままの通信ウィンドウの中で、プラントのあちこちに貼られているポスターそっくりの笑顔が微笑んだ。

 

『わかっていただけましたか?』
「ああ。ついでに頼みがある。今度からこういう時は、俺を先頭にしてくれ」
『――いいでしょう。次からは、先鋒をあなたにお任せします』
「…………感謝します、議長殿」

 

 ウィンドウいっぱいに張り付いている桃色の笑顔から視線を外し、シンは数秒間目を閉じた。そのままペダルを踏み込み、インパルスの両足を静かに踏み切らせる。
 エターナルの艦体からゆっくりと機体の両足が離れたその瞬間に全方位から鳴り響き始めたロックオンアラートを、シンは唇をゆがめただけで聞き流した。どうせそうなることはわかっていたし、それが結局脅しに過ぎないこともわかっていたからだ。
 シンがラクス・クラインに命じられた任務を果たすまでは、『彼ら』は決して引き金を引かない。引けない。彼らの主であるラクス・クラインの意向を害することなどできはしないのだ。

 

「ったく。なんで俺は」

 

 ごつ、とシートにヘルメットの後頭部をぶつける。

 

「人間なんだろうな」

 

――人には、余計なものが多すぎる。

 

 別世界での再会などという無意味なものを死に際に願った『元』部下の声と姿がちらついて、シンは苛立たしげに息を吐き出した。
 やや上を向いた格好で薄く開いた血色の瞳は極度の集中状態――どこまでも光を吸い込む、虚ろな色をしたままだった。

 
 
 

 腹の中まで揺れるような地響きが響いた瞬間、士郎と恭也は椅子を蹴立てて立ち上がった。恭也はよろけた忍を支えながらガラステーブル上のコップに目を走らせて地面が揺れていない事を確認し、士郎は窓際に歩み寄る。
 カーテンの端をめくって外の様子を確かめる――夜空の一部、音の聞こえた方向の空が奇妙に暗すぎるような気がした。

 

「父さん」
「ああ、みんな怪我は?」
「ぅあっとっとと……はいっ、私達は大丈夫です。あ、桃子さん――」
「あなた! なのはが、なのはがいないの!」

 

 ちょうど立ち上がりかけていたファリンがわたわたとしている以外はごく平静な室内の様子に顔を緩めかけた士郎だったが、桃子の悲鳴じみた声に目を見開いた。
 声のした方向、隣室との境へ視線を向けると、桃子がよろめくように士郎に抱きついてきた。

 

「……他の子達は?」
「なのはだけなの。なのはだけ、いないのよ」

 

 士郎の腕を掴む桃子の肩を抱き止めながら、士郎は数秒考え込んだ。子供が出て行くのを察知できなかった自分の鈍さに腹は立つが、今はとりあえず行動だ。自分から出て行ったなら、行き先は限られるだろう。ただ妙な気まぐれで外にふらふら出て行ったとすれば。

 

「恭也、外を探そう。月村さん達は――」
「桃子さんと一緒に、中を探してみます」
「ああ、すまないが頼むよ」

 

 隣の部屋から寝ぼけたアリサとすずかの声、そして寝かしつけようとしているノエルの声が漏れてくる。子供たちで示し合わせての夜遊び、というわけではなさそうだ。ただのトイレなら笑い話で済むのだが。
 急ごうとすればするほどひっかかる浴衣の袖に辟易しながらも上着を羽織ろうとしていた士郎は、ふと耳に違和感を感じて動きを止めた。何かが詰まったような、いや。

 

「父さん?」

 

 耳に手を当てて動きを止めた士郎の前で、不思議そうな顔をした恭也が振り返る。そちらに立てた掌を差し出して制し、士郎はごくごく細い『それ』を手繰るように耳に神経を集中させた。

 

――ぉん。

 
 

「声、いや」

 

 何故か耳元と言っていいほど近く、しかしやけに小さく。聞き覚えのある音、というか声。人のものではない、それでも家の中で何度も聞いていた覚えのある。

 

「シン、か?」

 

――!!

 

 そう呟いた瞬間にはっきりと耳元で響いた吼え声に、士郎は驚いて『聞こえてきた方向』を振り返った。今度は恭也や他の面々にも聞こえたのか、一様に困惑した顔で天井を見上げたり周囲を見回したりしている。

 

「……行こうか」
「ぁ、ああ、いけるよ。じゃあ……忍」
「うん。気をつけてね、恭也」

 

 玄関に行く時間も惜しいとばかりに、大窓から外へ出る。靴は用意しておいたもの――『昔』からの習慣が、今はありがたい――を履いていた。
 おん、とまた響いたシンの『声』は、まるで士郎達に方向を指示するように一定の間隔を置いて耳に届いてくる。これはどういう原理なのか、いやそれ以前に本当にシンの声なのかは、今はどうでもいい。こういうときには直感も大事なものだと、経験から士郎は考えていた。
 気が急いていく。本当にこの方向でいいのかとまた疑問が沸くが、頭から押しのける。正体不明の『声』の代わりに、少しずつ変わってきている空気の感覚がこの先に何かある、と示していた。
 足首が葉に擦れて浅く切れるが、そんなものは無視すればいい。とにかく、早く。
 ぬるま湯のような奇妙な温度のある空気が、どこからか響いてくる低い音が、『何かが抜け落ちたような空気』が、どんどんと二人の足を速めさせる。
 不意にまだまだ先まで続いていると思っていた森が途切れ、士郎と恭也は急停止した。

 

「――――これは」
「何だ、これ……?」

 

 森は続いていた。ただし、荒地のような空き地のような場所を挟んださらに先の話だ。
 足元を見下ろす。何かに削られたように地肌が抉り返されている。そこにあったであろう樹木は根を残して消えていた――まるでクレーターだ。
 頭上を見上げる。暗い。いや、黒い。森がまだまだ続いているように見えたのは、これが上からの光を遮っていたからか。目を凝らすと、煙のような雲のような何かがやけに低い位置で渦を巻いているのが見えた。

 

「――なのは!」
「恭也! まだ……ええい!」

 

 様子を確認する士郎の隣で、恭也が走り出した。勢いのままに斜面を滑り降りる恭也を追って、士郎もクレーターの淵から足を踏み出す。
 そこだけ円形に、何かに守られたかのように原型を残している地面の中央。服ごと全身に水を被ったように濡れ、ぐったりと倒れているのは、紛れもなくなのはだった。