運命のカケラ_28話

Last-modified: 2011-03-21 (月) 01:28:09

 無駄な会話のない、統制された喧騒とも言うべき物音が満ちる戦艦アースラの艦橋。中央部に位置する艦長席で、鮮やかな緑色の髪を高く結った女性――リンディは無言で両手を組み合わせ、報告を待っていた。

 

「回収A班、B班に引継ぎ完了」
「はい、よろしい。そのまま続行」

 

 艦橋にオペレータの声が響き、リンディはそれに了承の声を返す。今のところ、事故現場の調査は順調だ。痕跡となるものは潮流で大部分が流されてしまったものの、それなりに大きな残骸や漂流物が残っていたのは僥倖だった。
 艦長席の正面に位置する巨大なモニタには、うねうねと色彩の変化を繰り返す奇妙な空間とそこに浮かぶいくつかの残骸、そしてその間を動き回る大小の――比較物がはっきりしないが、小さな方は2メートルもなく、大きなほうでもせいぜい10メートルほどであることをリンディは知っている――いくつかの影を映し出していた。
 物理構造的な限界を容易に越えうる魔力という力を持ち、それを自在に操る魔法という技術を専門にしている管理局所属の魔導師であっても、通常次元から外れた、いわば世界の隙間であるこの空間――次元空間――では活動することそれ自体に非常な困難を伴う。更に言えば、魔法を扱える人材は常に需要過多・供給過少だ。便利だからといって、あちらでもこちらでも魔導師を使うわけにもいかない。
 否応なしに魔法を使わない技術の必要性は存在するわけだ。
 今現在メインモニタの向こうで動き回るその影も、そういった技術の産物の一つである。
 いかにも作業用といった風情の箱型をした本体に、いくつかの先端形状を持つ機械腕。側面に突き出ているヒレ状の推進機関を揺らすそのボディは鎧というには大きいが、船というにも小さい。次元間航行を可能とするタイプの船には必ず搭載されている『船外活動殻』は、魔力を人工的に蓄積・励起し、機械的な動力と組み合わせることで次元空間での活動を可能とした作業用機械だ。
 その身ひとつで障壁を貼り、呼吸用のボンベくらいしか目だった装備がない魔導師と比べて、その動きはあまりにも固く重い。
 だが、仕方ないのだ。アースラ乗員の大半は魔導師ではなく、それは管理局のどの部署でも……いや、管理局の行政圏ならば組織を問わず、どこでも同じようなものである。
『魔法』を扱う素養の持ち主は少数派であり、そして素養の発生する原因・過程、いずれも今日に至っても――ここまで魔力というエネルギーが世界に浸透している時代になっても、不明なままだ。モラルという無形の盾をすら乗り越える需要に押されて人造魔導師計画というものも存在はしていたが、結局大した成果を挙げられずに消滅してしまった。
 出来なければ世の中が回らない類の仕事を実際に出来る存在が少ないのならば、出来ないものがどうにかして出来るようにするしかあるまい。
 この艦の主動力である魔力励起炉をはじめとする魔力とそれ以外のエネルギーとのハイブリッド技術や代替技術は、そうして発展してきた。その結晶が、作業殻に代表される魔導師以外の魔力活用技術だ。
 それでも、あの作業殻のオペレータの心境はいかばかりか。
 言うまでもなく、最新の機械というものは個人で運用し切れるものではない。製造からメンテナンスしかり操作しかり、専門の教育を受け、経験を積んだ人材やよく整備された機材がいくつも、何人も関わってようやく満足に機能を発揮する。
 そうした努力を背景にしてようやく、魔導師がほとんど個人の力で、当たり前のように――もちろん魔法を操る事にも大きなリスクや人並み以上の努力は必要だが、それでも『苦労の総和』を考えれば差は歴然――同じような結果を出してくるのだ。頭脳労働のようなものなら魔法のアドバンテージはないと言ってもいいだろうが、逆にこういった直接作業では差が顕著に出てしまう。
 魔導師とそれ以外の関係というのは、管理側からすれば、種族間・民族間の問題と同等以上に頭が痛い課題だった。更に魔導師のほうにも極端な個人への依存――致命的なレベルで代わりが効かない――という根本的な問題がある。
 そんな問題を抱えて、長ければ半年以上も閉鎖した空間を維持しなければならないのだ。管理局の艦長職達が軒並み頭髪の問題を抱えたり心因性の習慣病をわずらっているように思えるのも気のせいではないかも知れない。
 幸いにも自分や自分の息子は『持てる側』だったが、そうでなかったとしたら――
 そんな管理職の悩みを、オペレータの声が遮った。

 

「艦長、回収A班の作業記録上がりました。転送します」
「ありがとう」

 

 笑顔で礼を言うと、リンディは艦長席のコンソールを撫でた。上下にずらずらずらずらと伸びるウィンドウを指でなぞり、スクロールさせていくうちにその表情が少しずつ険しくなっていく。

 

「……ふむ?」

 

 眉をひそめて鼻息を吐くと、リンディは胸元についている板に軽く触れた。水晶を叩いたような音がして、空間ウィンドウが顔のやや下に現れる。
 1秒そこそこで通信を始めとした艦内コミュニケーションソフトの画面が立ち上がると、リンディは空間観測課の主任を呼び出した。
 音声通話のみの表示ウィンドウが開いた瞬間、受け手であるはずの向こう側から言葉が押し出されてきた。

 

『ああ艦長、空間歪曲の解析結果なら――』

 

 またか、と思いつつもリンディはひとまず投げつけられる言葉に耳を傾ける。的外れであればその時に割り込めばいい、と少々横着な発想だった。もちろん規律の面で言えばよろしくはない。上意下達が基本だ。
 技能的には優秀なのだが、どうも会話にしろ何にしろ主導権を握りたがる。更に口調自体もせっかちなのがこの主任の欠点だった。

 

『――もう少々お待ちください。現在シミュレートと比較中でして――』
「時間としては?」
『15分ほど』

 

 時間と結果と情報を、脳の中でまとめて天秤にかける。左人差し指で二度顎のラインを叩くと同時、リンディは決断を下した。

 

「……わかりました。一番可能性の高いケースについて、チームで資料をまとめておいてください」
『他はよろしいのですね?』
「ええ」
『了解』

 

 断定的な返答に同じく疑問を欠片も含まない了解の声を残して、男性の声は途切れた。閉じていくウィンドウをそのままに、リンディは艦長用コンソールで立ち上げていたウィンドウに目を落とす。
 そこに示された解析レポート、それに浮遊物を調査していた船外活動班長の報告書には、共通の内容――時間の余裕がないことを示す同一の内容が、同意異句で示されていた。
 即ち。

 

 <平常の潮流とは異なる現象、恐らく人為的な現象による構造物破壊・次元の歪曲跡を確認>

 

 つまりその『人』の種類によっては、直ちに最悪の状況が起きてもおかしくはないのだ。

 

――あの時、留まって調査していれば良かったかしらね?

 

 艦長となって、何度目かももはや覚えていない後悔が頭をもたげる。
 そしてそれを軽く頭を振って追い払うのも、同じくらい繰り返してきた行動だった。後悔などしても仕方ない。あの時の情報、今の情報。その時その時の手持ちのカードで判断を下し、勝負していくしかないのだ。
 とん、と操作盤を指先で叩いて気持ちを切り替え、喉奥を開く。

 

「回収班に通達、作業はあと3時間で切り上げ。それと、作戦部の各チーフに30分後に戦略モニタ室へ集合するよう伝えてください。今後の行動計画を立てましょう」

 

 凛と響いた声に、オペレータ達が口々に了解、と返した。

 

 真っ白な球状であったり、緑色に長く伸びる線であったり。周囲を花火のように美しい光が踊りまわる。それらのほぼ全て――威力の大きなものは全て、フィールドに弾かれる程度の小さなものはたまに――は、なのはが座るヒトガタの頭上、翼の横、股下や腕の外といった上下左右あらゆる方向を通り抜けて暗い深遠へと消えていく。
 時折飛来するミサイルの噴射光や、光線に反応するフィールドの光に目をくらまされながら、なのははじっとヒトガタの肩辺り、装甲のへこみに座っていた。
 上へ向いた後1秒もせず反転して下へ、その次にはきりもみ運動を交えて。激しく動く視界に反して、その激しく動くヒトガタに腰掛けているなのは自身は高Gに首を振られることも尻が浮くこともない。そのような慣性を感じないとは言わないが、目に見える運動量とは雲泥の差があった。
 ばぎん、と正面から響き分かれて流れる金属音。
 両手で振り下ろされた刀が、飛来した銀色の戦闘機を真正面から断ち割った。きれいに視界の中央で分かれていく断面が滑り過ぎて行った先は、相変わらずの光の乱舞が戻ってくる。背後に流れていった残骸は爆発したのか、それとも大量の光弾やミサイルのどれかに衝突するか。いずれにせよ、すぐに粉々になってしまうだろう。
 簡単そうにやっているが、事は飛び回る鳥を刀でたたき切るようなものだ。古の剣豪が修練の末に果たしたという逸話の如き行為を至極あっさりと繰り返すその性能は、やはり周囲の兵器達とは一線を画している。

 

『…………!!』

 

 翼を持つヒトガタ――シンの姿のひとつが唸り声を上げ、また一段階加速した。視界は中央に向かって引き寄せられ、空間に浮かぶ星の光が長く伸びて線になっていく。
 途中、太い線が見えた瞬間にばぎんと破砕音がした――と思ったら、右の方向を何か――恐らく戦闘機の残骸――がくるくると通り過ぎていった。何があったかといえば、おそらく轢き逃げという奴だろう。
 ぐるん、と縦に回る視界。斧のように振り下ろされるヒトガタの角ばった踵。ぐっと押さえつけられる感触に続いて広がったのは、黒く広い地面、のように見える『船』の船体だった。
 ばぎん、と火花。ヒトガタが屈みこみながら真下に刃を突き立て、長大な刃があっという間に黒い装甲に潜り込む。更にそこからごりごりと音を立てて無理やりに振り切り、根元を支点に刃渡りを全て使った斬撃は、黒い『船』の船体をまたひとつ、装甲ごと切り裂いた。魚のような胴体の左右に突き出した肉厚の翼、その根元に当たる接続部に深い傷を負った『船』は、慣性に耐え切れず自壊を始める。

 

GI-OOOOOO...

 

 悲鳴のような金属の軋み――もしくはコエ――を挙げる『船』。その上に立った状態で見える他の『船』達が、遠ざかり始めた。正常な航行機能を失ったせいで、ヒトガタが足場にしているこの『船』が群れから外れ始めているのだ。
 その音だけで様子を把握したのだろう。小さな切れ目がどんどんと前後に裂けていく『船』を一顧だにせず、ヒトガタは再び脚をたわめて『船』を足場に跳び上がった。背後は翼に遮られて見えないが、もう10隻程は同じようにして破壊したはずだ。
 進路をわずかに傾け、手当たりしだいと言ってもいい勢いで黒い『船』を破壊しながら飛ぶ先にいるのは、艦隊の最奥に鎮座する巨大な白い『船』だ。
 他の『船』を航空機とするならば、それは空母――いや、小規模な基地そのものか。それほどのサイズ差があった。艦首と思しきあたりで揺れる櫂状の部品ひとつが、黒い『船』数隻分に匹敵する。
 群れを構成する無数の個体、それらのどれよりも大きく、強く、賢い、群れの全てをを統率する巨大な長――そんな想像に眉をしかめたなのはは、ふと気づいてその巨大な船体の一点を見上げた。
 船底の一箇所でばりばりと火花を散らしながら、球状の光が青白く膨れ上がっていく。
 サイズ比からして、ヒトガタどころか黒い『船』を飲み込んであまりある位の直径はある。当たればただでは済まないだろう――が、準備しているのが見え見えにも程がある。その兆候をヒトガタが見逃すはずもなく、轟音と共に放たれた光線はその速度にも関わらずあっさりと回避された。射線上にいた戦闘機達や黒い『船』を数隻消し飛ばしながらも、最大の目標であるヒトガタを見失った光線はあっという間に黒い空間に消えていく。
 それを見届けたヒトガタが白い『船』へと向き直った時、なのははふと気になって闇を見上げた。
 細めた視界に、ざらついた認識が割り込んでは弾き出されていく。ノイズだらけの中に見覚えのある翼――なのはと共にいる、このヒトガタの翼だ。それを遠くから見つめている――とその遥か後方へ飛んでいく意識の線を見つけて、なのはは眉をひそめた。
 いけない。何がとは言えないが、いけない。

 

「駄目」

 

 ぺちん、と腰掛けている装甲を叩く。両断したミサイルの爆発音にも関わらず声が聞こえたのか装甲に触れたのがわかったのか、ヒトガタが小さく顔を傾けた。血色の左瞳がなのはに向けられ、無言の問いが投げかけられる。

 

「ここ、駄目! 避けて!」

 

 ヒトガタの血色の瞳が微かにちらついた。なのはの言葉を反芻するように軽く首をかしげたに見えた、その瞬間。

 

「――来た!!」
『!』

 

 なのはがそう口にした瞬間か、それともその直前か。素早く身を翻したヒトガタが強烈な光に照らされた。目がくらむと同時に襲ってきた衝撃に、なのはは小さく声を漏らす。
 明らかに物理的なレベルの力を持つ光の束は、だが芯からは外れていたらしい。ヒトガタのフィールドを焼き裂かれて膝付近の装甲を砕かれながらも、ヒトガタ本体となのははその直撃からは逃れることができていた。
 ぴりぴりと静電気のような感覚が全身を走る。初めてヒトガタのフィールドが貫かれた事に驚きながらも、なのはは存外冷静だった。

 

「まだ、来るよ」

 

 はたして予言通り、一度視界から消え去った光が再び戻ってくる。微妙に角度を変えてやってきたとはいえ、もはや奇襲とはなり得ずあっさり回避。あらかじめそうなるよう準備がされていたのだろうそれは数度繰り返され、そしていずれもヒトガタを捉えることはなかった。

 

――たぶん、反射。

 

 ヒトガタの顔を振り仰ぐと、わかっているというように小さな頷きが返された。その認識を半分飲み込みかけてはたと気づき、なのはは小さく息を呑む。

 

「――っ」

 

 簡単な仕草。しかし、初めての仕草。心があるのか、それとも残された機能に従っているだけなのかすら定かではなかったヒトガタが、初めて『自分に対して、はっきりとやり取りを返してきた』事を意識したからだ。

 

――ああ、もう。

 

 心が躍る。まだ自分に残されたものがある、そう思うだけで、どうしようもなく胸が浮き上がりそうになってしまう。
 そして、同時に。

 

――私なんか、こんなことをされても……ううん、こんなことしてもらったら、なおさら。

 

 しくりと、高揚の裏で痺れるような痛みが胸を刺す。
 頭をもたげるのは先ほど、ヒトガタの差し出した手に触れた時と同じ疑問だ。非があるのは自分。託された資格を裏切ったのは自分。その自分が――
 我知らず襟元を握る。胸骨の奥に隙間が開くような、そしてその隙間に心臓が引っ張られるような。そんな妙に心引かれる痛みを忘れられない。
 そして、それを欲しがりはまり込みたがる欲望が頭から離れない。甘くも美味でもないはずのその感覚が、何故か欲しくてたまらない。いけないことだと誰に言われたわけでもない、いや誰にも言われないからこそ、自分の中でソレが大きくなっていくのを止められなかった。

 

『――!!』

 

 腹を震わせる低い咆哮に、また内側に潜り込みかけていた意識を引き戻された。いつの間にか包囲網は抜けていた。遮るものがなくなり広くなった空間をまっすぐに切り裂いて、ヒトガタは飛ぶ。その手に持つただ一つの武器――刀の切っ先がついと跳ね、ヒトガタが両手で刀を腰だめに構えた。
 彼我の距離――そもそも刀一振りで挑むこと自体がおかしいサイズ差だが――に、なのはは首をかしげた。黒い船の群れを抜けたとはいえ、未だ白い船にはだいぶ距離もあるし戦闘機達も飛び交っているのだが。
 そんな疑問をよそに突き出された切っ先で、激しい火花と衝撃音が散った。白い船の周囲には、不可視の障壁があったのだ。バリアジャケットと同じく選択性を持つのだろう、戦闘機達はそんなものがないように自在に出入りして攻撃をしかけてきていた。見た目にも無色透明では気づかないのも当然だが、よくよく見れば戦闘機が境界と思しき場所を通るたび、空間と戦闘機の周囲、両方が薄く光っているように見える。
 気づかなかっただけで、戦闘機も白い巨船も、恐らく黒い船にも障壁はあったのだろう。
 今現在火花を散らしている白い巨船の障壁の強度は、反応する間すら与えられなかった黒い船や戦闘機の障壁と比べれば、はるかに上と言えるだろう。

 

「でも」

 

 それでも、ヒトガタの刀を阻むには至らない。ビニールのように無理やりに引き伸ばされた障壁はちらちらと光ると、限界を越えた瞬間に弾力性を失ってばらけ砕けた。
 途端、ヒトガタの翼が打撃音に似た咆哮を上げる。蹴り飛ばされるように再び高速で動き出した視界についていこうと、なのはは目を細めた。
 巨船の障壁を突破する前の速度から更に輪をかけた勢いで突進するヒトガタに対して、戦闘機達だけでなく巨船そのものからもミサイルや光が殺到する。だがヒトガタが本気で加速する際にはフィールドは更に強化され、積極的な干渉まで起こすらしい。飛来するミサイルや威力の低そうな光弾はことごとく弾かれ光線は歪められて、戦闘機達は近づいただけで砕け、あるいは徐々にひしゃげた挙句火花に包まれて爆発する。
 届きもしない攻撃や近づいただけで機能を失って流れていく戦闘機達を一顧だにすることなく、ヒトガタは真っ直ぐに白い巨船を目指して突き進む。
 既に視界は端から端まで巨船に占領され、その表面、複雑に分割された装甲や砲台のような構造物などがようやくはっきりと見えてきた。
 巨大な物体の常として遠くから見るとのっぺりと感じていたが、近くではそうではない。それどころか結構な凹凸があるようだ。いびつな分割線が走る最外装、ところどころに開いた隙間から覗く多層構造は、どこか不恰好なウェハースのようだった。
 船体から真横に突き出す櫂状の部品――もちろんその『部品』ひとつで黒い船一隻より大きいのだが――の一つに、ヒトガタは激突するような勢いで着地した。
 滑らかに身体をたわめて衝撃を殺すヒトガタの肩で、なのは自身も不可視の膜に柔らかく押さえつけられるような、緩められた慣性力を感じる。至近距離から見る白い巨船の装甲は、金属というよりも殻とか甲羅とかいったほうが近い質感をしていた。
 母船であるというのに遠慮なく降り注ぐ戦闘機からの光線を意に介さずフィールドで弾きつつ、ヒトガタが起き上がりながら大上段に刀を振り上げる。

 

『…………!!』

 

 頂点で一瞬停滞した刀は掻き消えるような速度で振り下ろされた。
 がぎん、と轟音。砕かれた装甲の欠片が舞い上がってなのは達を通り過ぎ、虚空へ消えていった。
 ずどん、と踏み出す一歩。どがん、と踏み切る二歩。ばりばりと装甲をかきわけて、ヒトガタは刀を突き立てたまま翼を開き、飛び、加速をはじめて加速し続けた。
 轟音を引きずって、船体の表面――いくらヒトガタの持つ刀が大きいとはいえ、小さな島と人間程のサイズ差からすれば表面を裂く、というか溝をつけるのがせいぜいだ――に切り跡が伸びていく。
 この部品を破壊するにも深さが足りないようにしか見えないが、ヒトガタ――シンはどうするつもりなのだろう。
 なのはの疑問への答えは、すぐに訪れた。刀の軌跡が部品の外周をほぼ一周したところで、ヒトガタが右足裏を巨船の船体に叩き付ける。火花を上げてスライドしながら刀を右の逆手に持ち替え、代わりのように半身になって左拳を振り上げた。
 ごりん、と巨船の装甲と装甲の間、細くできた隙間に左足を押し付けて止まったヒトガタが上半身を折り、真下に向かって挑みかかるような体勢で中腰にかがむ。
 姿勢を安定させる為なのだろうわずかな身じろぎの後、ヒトガタの背中にある赤い翼がおもむろに開いて唸りを上げだした。空に向けられた翼はごく薄い光を発しながら徐々に歪みを纏い、まるで地面――巨船の部品に向かって推進しているようだ。
 その腕と手に装着されていた鱗状の手甲も硬質な音を立ててスライドし、前に向かって収束するようにポジションを変える。手甲の中に動力源でも内蔵されているのか、鈍い振動音と共に赤い光が装甲の隙間を走り始めた。
 見る間に膨らんでいくのは魔力……ではない。似てはいるが、別の力。魔力になり切らないような、『魔力というには足りない』ような力。まだ知らない、教えてもらっていない力だ。
 翼と手甲、二つは共鳴しているかのように、どんどんとその『力』を高めていく。

 

「……お?」

 

 翼から伸びる歪みは刻一刻、幅と長さを増していった。歪みの近くを通った光線が不自然に曲がり、中に誘い込まれて蛍のような燐光と化す。ミサイルは見えない手に掴まれたように停止し、推進剤を使い切った途端に抵抗しきれず飲み込まれて爆発する。そういった色とりどりの光や爆光が、黒々とした空間に溶け込んでしまいそうな揺らめきの輪郭を部分的に浮かび上がらせていた。
 高く掲げられた拳がぎしりと軋み、ヒトガタの赤い瞳が強く輝いて――

 

「――!!」

 

 轟く無色の衝撃。
 ヒトガタのボディを伝わる振動と圧力に、ぶわりとなのはの前髪が広がった。
 拳が激突した点から、まるで水面が波打つかのごとく白い船体がぐにゃりと『波紋を広げていく』。ヒトガタの体重など遥かに越えるであろうその一撃の反動を受け止め、翼は大きくたわみながらヒトガタの身体をその場に留めていた。
 周囲に裂け目をつけられた上で、強烈な打撃を受けた櫂状の部品がどうなるか。
 叩きつけられた威力からすれば当然というべきなのかそれともそんな破壊力を生み出したヒトガタの性能に驚くべきなのか、どちらにせよ結果は速やかに現れた。
 ごく短く、そして無数の、致命的な破壊の音。黒い艦隊を破壊していた時の、いわば自壊による破壊とは次元が違う。
 続いて聞こえてきたのは、至極単純な打撃により至極単純な破壊が起きたという、その結果をこの上なく認識させる低い軋みだった。かえって静けさや落ち着きすら感じさせるのは、先ほどの一撃で『壊れる部分が全て壊れた』せいなのだろうか。
 支えを失った向こう側の地面――ヒトガタがへし折った根元部分とは逆側、櫂の先端部分――が浮き上がるように脱落していく中、ヒトガタは再び飛び上がる。ある程度浮いたところでくるりと向きを変えて巨船へと正対するヒトガタの肩で、なのはは背後を振り返った。
 ふくらんだ葉のような曲線で出来ている先端部分と、巨船と細くつながっていた部分がばらばらに折れてどこかへ流されていく。いや、流れているのは自分たちであって、脱落した部品達は取り残されているだけなのか。
 こぉん、と翼が虚空を打つ。ばらけた部品を背にして巨船の船体へと突撃するヒトガタの肩の上で、なのはは羨ましさともどかしさの混じった、言葉にできない感情を転がしていた。
 ここがどこなのか。
 この艦隊は一体何なのか。
 シンはどこを目指しているのか。
 それらの疑問は解けないが、ただひとつだけ明らかな事がある。シンの『強さ』だ。

 

――ほんとは、こんな事できるはずなんだ。

 

 そう、圧倒的な力。あの金髪の少女など問題にならないような、『自分との力の差』を嫌でも実感する。この力があれば、彼女と対等に話をすることなど容易いだろう。
 どうしてシンはこの力を出してくれないのか、という理不尽な疑問は沸くが、その疑問は抱くと同時に既に解決してしまった。
 『魔法は心の力によって顕れる』。それが答えだ。
 心が弱いから。
 何故なのはがシンの力を振るえなかったのかといえば……何故シンが力を十全に発揮できないかといえば、そのせいだ。なのは自身の心が弱いから、力が足りないからシンの性能を引き出すことができない。
 そこまでは、あの花畑で何度も考えた。だが今は、そこで終わってはいけないとも思う。自分が望んでシンに助けてもらったのだから、力を振るえるように『ならなければいけない』。問題はそこからだ。そこからどうすれば――

 

――力、使えるようになるのかな? ……ううん、ならなきゃ駄目、だよ、ね。

 

 再び拳の一撃。大穴の開く船体。煙と共に舞い散る装甲の欠片の間をヒトガタと共にすり抜けながら、なのはは頬を撫でた。

 

 ほとんど真っ暗闇と言ってもいいだろう、深夜の山道。うねうねと続く崖沿いの道路を、一台のワゴン車が下っていく。
 暗い車内で控えめに流しているラジオの音楽も聴き続けているうちに飽きを覚え始め、助手席の妻も後部座席の子供達も当然眠っていて、話し相手にはなってくれそうもない。
 右手は切り立ったというよりむしろ抉れた崖に落石防止用の金属ネットが張られており、左手はダム湖へ落ちる急斜面。ほとんど水平になって伸びる木々が枝を広げてはいるが、ワゴン車の落下に耐えられるほどの強度は期待できない。
 二重になったガードレール、つまりは『落ちたら死ぬ』場所であろうが、延々続く同じような山道の運転はなかなかに辛いものだ。これがマニュアルであったなら、ギアの操作もあってもう少しは気もまぎれたのだろうか。カーブを曲がるたびに下がり、直線のたびに上昇する速度メーターがまるで催眠術師の振り子のようだ。

 

「……ふぁ……あ」

 

 ハンドルとブレーキ、そしてアクセル。操作する部分が少ないのは楽だが、今はそれがいささか退屈だ。子供が生まれた事を期に買い換えたこのワゴンがオートマチックであったことを若干後悔しつつ、ワゴン車を運転する男性はあくびをかみ殺した。
 隣県との境にあるこの山地を越えれば、毎年家族で行っているキャンプ場まですぐだ。行楽シーズンの渋滞を避けるために今年は深夜に出発しようと提案したのは自分だが、それは少々失敗だったかも知れない。すやすやと眠っていられる家族には快適な旅を提供できている自信はあるのだが。
 妻の寝顔を横目で確認した男性は、ふと妻の向こう――サイドミラーに妙な光が映りこんでいるのに気づいた。
 血のように赤い、平たい光。
 単純に表現するならそんなような物体が、サイドミラーやバックミラーにちらちらと写っては消え、また写る。

 

――走り屋、って言う奴かね?

 

 暗闇な上に曲がりくねった道の為に『それ』そのものは見えないが、光は異常なほどのスムーズさで走り抜けているように見えた。この分ではすぐにこちらに追いついてくるだろう。
 夜間、一般車の途切れた時間を見計らって、山道を命知らずの速度で駆け下りる。そんな連中が存在することは、男性も話に聞く程度は知っていた。
 ここがそんな連中のコースになっているとしたら、事故の危険性は跳ね上がる。向こうも一般車が走っていないかを確認くらいはするだろうが、何事も完璧ではない。

 

――おいおい、もしかして……

 

 現に今も見えている赤い光は、まるで狂気に侵されているかのような速度で追走してきている。自動車一台分の障害物――このワゴン車が道路にいれば、まず間違いなく追突なり何なりを起こすだろう。向こうにこちらの存在を知らせる術は……思いつかない。
 男性は焦りつつも、道の向こうへ目を凝らした。こういった山道には、故障で減速ができなくなった自動車の為に退避領域が作られているはずだ。
 大抵はカーブにあるそれは直線状に元の道から分岐した形になっており、いくつも盛られた砂の山に突っ込ませ、安全に停止する事ができるようになっているのだ。
 そうでなくとも、もう少し下ればダムがある。周辺には公園や駐車場といった、自動車を留める場所もあるはずだ。
 静かに、冷たい汗が髪の間に少しずつにじむ。
 距離は……どんどん縮まっているようだ。つい先ほど越えたカーブを、光はするすると通り抜けてきている。カーブで減速する様子すらなく、ここまで来ると自動車などではないようにも思えた。
 家族を起こしてシートベルトをつけさせるべきだろうか? いや、この状況で説明してパニックを起こさない保障はない。妻はともかく、もしも子供達が強引に運転席や助手席へ入り込もうとしたら、それこそ予想もしたくない事態になってしまう。

 

「…………!」

 

 そんな焦燥感にずっと背中を炙られていた男性には、ぎりぎりの速度で走った末にようやく開けた視界――開けた道と、ダムへの分岐点――が鮮烈な安心感を伴って見えた。
 かなり近づいてきた赤い光はバックミラーに何度も写り、人魂にでも追われているような状況だった。
 即座にブレーキを踏み、ハンドルを切って車体を寄せる。
 咳き込むように速度を落とす加速度に、妻が眠ったままで小さく呻いた。

 

「ふう」

 

 軽く額を拭い、いくつかもと来た方向、ほんの少し前に自分が通ってきたカーブから赤い光が飛び出して、またすぐに次のカーブに入ったのを確認する。走っている、というか心理的に追われている最中は気づかなかったが、自動車のヘッドライトにしてはやけに暗い。
 光源を直視したときによく見える、長く伸びる虹のような光枝はまったく見ることができない。こうして眺めても、暗闇の中で赤い光の皿が尾を引くだけだ。まるで絵の具で描かれてでもいるような、奇妙な光だった。
 300メートル程まで近づいても何の音も聞こえず、光はそのまま滑るように坂を駆け下りてくる。

 

――もしかして、変なものだったり――

 

 近づいてくる光の正体に、期待3分の1、恐れ3分の2程を交えて男性は目を凝らし。

 

「…………はぁ!?」

 

 『それ』を見た瞬間、男性の顎がかくんと落ちた。
 切り取られたように境目のくっきりとした赤い光をまとい、空恐ろしい程の速度で窓の外を通り過ぎていったのは――

 

「子供ぉ……!?」

 

 ――直立不動で道路を滑走する、パジャマ姿の女の子だった。

 

 前触れもなく起き上がった意識が最初に認識したのは、身体が動かないということだった。
 身体の感覚はあるようでないようで、奇妙に薄い。声も出せず、目も動かない。呼吸もできない――いや、『呼吸する部分が自分の身体に存在しない』。視界には何かの機械のような、巨大な殻の中のような、奇妙に生物的な部分と機械的な部分の混じった空間が映り、すぐ目の前、広間の中心のような位置に黄金色の光球を捉えている。
 そんな身体が、勝手に動いて首を振り向けた。

 

――まぶしいね。

 

 振り向けた先で、見覚えのある顔――白い服を着ていた少女が正面を見たまま言葉を漏らした。奇妙なほど近くから声が聞こえる上に、少女の姿そのものも見えづらい。自分の肩程度の距離しかない場所に、これまたやけに小さな少女の顔があるのだ。
 身体の認識、少女の見え方。どちらも奇妙だ。
 困惑するまま、自分の手が勝手に動いて眼前の光球――黄金色の光を掴み寄せる。そこでようやく自分の身体がはっきり視界に入り、フェイトはぎょっとした。

 

――!?!?

 

 黄金色の光を包んでいるのは、黒く尖った鋼の手。そこから、灰色をした四角い腕が続いて視界からはみ出している。

 

――……!

 

 一瞬フェイトは混乱かけたが、すぐに似たような事があったことを思い出した。
 いつだったかは忘れてしまったが、アルフの記憶が夢という形で流れ込んできたことがあったのだ。
 本当にそういった類の接続なのかは判別がつかないものの、もしこれが脈絡なく脳が見る幻でないのなら、あの黒い狼というか黒い粘液の塊――シンの精神が見ている景色なのかも知れない。
 掴み寄せた光を、『身体』は少女のほうへと近寄せた。

 

――え、これ触るの?

 

 そう不安そうに言う少女に、『身体』は頷いてみせる。少女はしばらく迷っていたようだったが、意を決して目を閉じ、光球へ向かって手を伸ばした。

 

――ひゃ……!

 

 少女が触れた途端に黄金色の光は弾け、無数の泡飛沫となって周囲を包む。それらには全て異なる映像が、異なる音が、異なる存在が異なる法則が事象が映し出されていく。
 探索型魔法の制御を失敗した時のような、膨大な量の情報。それら全てを強制的に認識させられ、フェイトは声にならない悲鳴を上げた。情報の渦は容易に認識の限界を越えて叩き込まれ、それに晒されたフェイトの意識は反射的に逃げ出す事を選択した。徐々に意識そのものが単純な一色の光に塗りつぶされていく。

 

――――!! ……! ??

 

 じりじりと何かが唸る中、聞き覚えがないはずなのに『聞いた記憶がある』声が聞こえてくる。

 

――Seint! 奴らはもう『変化』*;Capat!? いまさら何を‘@%&――

 

 声は左右からでたらめに聞こえてくる上、ところどころわけのわからない発音が混じっていた。気難しい天秤のように、聞き取れたかと思えばまた理解できない音に戻ってしまう。結果的に、理解できる部分はせいぜい半分ほどだった。

 

――Миссいですよ。どちらにせよVia.]!でください。

 

 それでも、少しずつ天秤は均衡を手に入れていく。外れ、戻り、また外れ。そのサイクルが少しずつ小さく、緩くなっていく。

 

――何故だ。君は何故、そこまで? 世界が終わ……и、Esseなるんだぞ? 全てが消え去るんだぞ?

 

――そうは言われても……ああ、そうだ。意地、ですかね。

 

――非論理的だ。奴らにはもう勝てん。

 

――非論理的で結構! 論理で詰めた連中の末路は『ああ』なったんですから! фантом болкаの起動処理終了、自立駆動開始確認、外部接続のソケット破棄を確認……! これでよし。さあ『シン・アスカ』、聞いてるんだろう? ここで出来ることはここまでだ。もう準備は済んでる、起きて――

 

 シン・アスカ。シン。その名前は、確か――

 

――いつかあのクソ共を残らずぶっ飛ばせ!

 

<――Verificati conexiunile...Com■・*;:...了。ソケット第4層、セキュリティレベル3の不正な接続を検知。カット……処理、実行>

 

 突然降ってきた無表情な『声』と共にばちん、と光――白い闇――が弾けて、フェイトの意識は落下した。

 

「…………ん」

 

 がさり、と鳴るシーツ。薄く開いた目に映るのはここしばらくで見慣れた、吹き抜けの高い天井。くるくると回る天井扇の影がくっきりと浮かんでいるということは、照明をつけるような時間帯ということか。

 

「ぅふ……くぁ」

 

 口元に手を当てながら、あくびを一つ。
 フェイト・テスタロッサの目覚めは、身体にずっしりとのしかかる疲労感とともにやってきた。

 
 
 

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