運命のカケラ_27話

Last-modified: 2009-09-22 (火) 12:11:51

 その場に満ちるのは轟音と振動。この小さな世界が崩れていく、かろうじて繕われていた表面が引き剥がされ粉々になっていく兆候。
 ますます強まる振動の中、やがておずおずと伸ばされた細い腕が、鋼の指先にそっと触れた。
 
 

 

 
 
「……うわ」

 

 もはや音も揺れも区別がつかないほどになった空間の中で、なのはを掌に載せたヒトガタはゆっくりと起き上がった。ここに乗れ、というように肩の前に持ち上げられる。
 おっかなびっくり乗り移ったなのはが装甲の凹みに腰を落ち着けると、それを確認するようにヒトガタの巨大な頭がわずかに傾いた。ちらりとこちらを向いた血色の眼光は、今は少し柔らかい――ような、気がする。
 薄く光る粒子がヒトガタの装甲から湧き出し、みるみるうちに球形になってなのはを包み込む。途端に遠くなった轟音に振り返ると、ざらついたスクリーンのような粒子の壁向こうで、ヒトガタの背中にある翼が機械的な動きで開くのが見えた。
 最初に一番外側の大きな部分が開き、その下に隠れていた尖った小翼が動きを確かめるように細かく回転した。やがてきっちりと整列した小翼の周囲、そして開いた大翼の周囲ので空間そのものが発光しながら奇妙に歪み始める。
 ごぐん、という軋んだ浮遊感と共に、尻をつけているヒトガタの肩越しに小さく伝わってきていた振動が一瞬やんだ。
 微妙に視点が高くなり、そのお陰で花畑だった場所の周囲に広がる『何か』の形がおぼろげに見えてきた、そう思った瞬間。

 

「……!」

 

 どん、と加速度。軽く頭を押さえつけられた程度の衝撃になのはが目をぱちくりさせた、そのまさしく一瞬の間に周囲の景色は一変していた。

 

「う、わぁ――」

 

――凄い、広い。

 

 どこまでも、本当にどこまでも広がる純粋な黒と、あちこちに浮かぶ色とりどりの球体やテーブル状の岩塊。青に複雑な白い模様が混じっているもの、発光しているもの、赤や茶色の縞模様が幾重にも重なっているものと、奇妙にはっきりとした輪郭の岩群の色は様々だ。
 本で見た宇宙の景色そのままの壮大な光景に、なのはは思わず息を吐いた。
 だがそのため息は、すぐにその色を変えることになる。

 

「……あぁ」

 

 振り返った先、ヒトガタの翼越しに見えた光景の『色』を見て、なのははやっぱり、と肩を落とした。
 緑色に燃え落ちる空間とぐずぐずに溶けて崩れ石塔のようになっていく地面のカケラが、今でも厳然として存在していたからだ。ヒトガタとなのははちょうど『無事な』部分と『壊れた』部分の境界にいる形だった。
 よくよくその周囲に目を凝らせば漆黒が少しずつ侵され、ぐねぐねと気味悪く蠢く崩れた空間がその面積を広げていることがわかる。

 

「ねえシン君、どこに……って」

 

 思わずシンにいつも聞いていたようにどうするのかを聞こうとして、なのはは苦笑して首を振った。見るからに言葉を持たなさそうな外見なのに話しかけてしまったのは……やはりこれが『シン』だという確信があるからなのだろうか。

 

――どうしたらいいんだろう、私。

 

 光壁越しだからだろうかそれともここ自体『本物ではない』からか、とりあえず息苦しさは感じない。
 ヒトガタ――シンはどこかを目指しているように、『明るい』方向へと一直線に飛んでいる。赤い光を纏っていた刀は、今は透き通った濁り色というか薄青く色のついた水晶のような、透明度を保ったまま不思議な色合いをした地肌を晒していた。
 シンはずっとあの刀を振るっていたのだろう。何なのかすらもわからない相手に、たった一人で。恐らくなのはが花畑の夢を見始めた時から、シンは花畑で安心しきっていたなのはが見えなかった、いや、見ようともしていなかった場所でなのはを守って戦ってくれていたのだ。
 もはや主などではなくなったなのはが友人相手にすら我を失っていたりした時にも、自分の状態に塞ぎこむだけだった時も、ずっと。

 

「シン君って、ずっと――」

 

 呟きながら見回してみれば、シンの全身には目立たない程度ながら無数に細かい傷が刻まれている。その無数の傷と飛ぶ寸前に見えていた、花畑の周囲に転がるおびただしい数の骸を結びつけて考えるのは、難しいことではなかった。。
 そして、その想像もつかない戦いは――紛れもなく『高町なのはの為』なのだ。
 その時は知らなかった、ということも出来る。しかし今度はそうではない。他の誰でもない、なのは自身がシンに助けを求めたからだ。
 自分に、そんな価値などないというのに。
 なのに、自分は助けを求めてしまった。

 

「――ずっと、ずっと」

 

 最後まで言葉をつなぐことも出来ず、くしゃりと前髪を掴んだなのはは目を閉じた。適当にパレットにぶちまけた挙句乱暴にかき混ぜた絵の具のように考えはまとまらず、秒単位で感情が裏返る。
 弱い自分が情けなくなり、助けてもらっておいてそれを後悔している自分に怒りを覚え、色々な意味で強いシンがうらやましくなり、自分をこんな状況に引き込んだシンが憎たらしくなり。心配ばかりかけている家族に申し訳なくて、しかし家族が頼りにならないことに怒りを覚える。
 がり、と頭皮を引っかいた痛みに我に返ったなのはは、慌てて手を離した。
 気を取り直して周囲を見回す。ここがどんな世界かを知っていなければならないだろうし、他にやれることがなかったからだ。
 太陽は――二つ。さほど離れていない為、見方によってはピーナツを横にしたような形の一つの光にも見える。
 シンの作る光壁の中にいるからあてにはならないだろうが、宇宙を連想させる景色の割に気温は熱いとも寒いともいえない微妙なところ。気分で半そででも長袖でも、服さえ持っていればどちらでもいられそうだった。

 

「?――……」

 

 ふと思いついて、なのはは目を閉じて周囲の空間に意識を投げかけた。周囲に自分を広げるイメージで空間にある魔力素を取り込み、自分の中で練り上げて指先へ――
 すぐに指先へと光が集まり、小さな光球となったそれは自転を始める。だが、それ以上の事は起こらない。集中しても集中しても光を集めるのが精一杯という相変わらずの状況に、なのはは肩を落とした。
 あの日シンに出会った事で降って沸いたように得た力は、手に入れた時と同じように唐突に消えてしまった。というよりも、元々なのは自身が手に入れた力というわけではなかったのだ。
 たまたま、シンの主となるだけの素質がなのはにあった。選ばれたことだって成り行き、めぐり合わせの結果だ。ただの偶然であって、自分で切り開いた道などではない。
 結局、一時の夢のような話だったのだ。借り物の力は借り物らしく一瞬で消え去り、高町なのはは高町なのは以外の何者でもなく、ただの子供でしかなかった。

 

――そう、思ってたんだけどな。

 

 消えたと思った力の端っこをちらつかされたようで、妙な方向に未練が戻ってきてしまった。そんな風に思えて仕方ない。
 なのはしか今は頼れない、とシンは言っていた。なら、今はどうなのだろう。目的はわからないが、あの金髪の少女と赤い狼は確かにジュエルシードを集めていた。彼らがいれば、自分がいなくともジュエルシードの脅威は防げるのではないか。
 それ以前にシンは言っていたではないか。『もう無理に戦わなくともいい、魔力の供給はなんとかなる』と。
 オブラートに包んではいるが、シンにとっても自分などもはやいてもいなくてもいいということだ。むしろ足手まといなのだろう――『あんなこと』をしてシンの邪魔をしてしまうくらいなのだから。
 自分はもはや、シンの主としては不合格の立場だ。自分で招いた結果入院するハメになって、心の中の世界でわけのわからない化け物に食い殺される――そんな状況で助けを求めたところで、鼻で笑われても仕方がない。むしろ、そちらの方が自然に思える。
 それなのに、『このシン』は助けてくれた。守ってくれていた。大勢の人々を守るためならば、自分が『自分達』に入れ替わられたほうが、シンという、レイジングハートという『魔法の機械』にとっては間違いなく良いことのはずなのに。
 それが、わからない。

 

「……どうして、かなぁ」

 

 シンの肩に座ったまま膝を抱え込んで考え込むなのはには、今のシンがどうなっているのかという基本的な疑問を浮かべるだけの余裕はまだなかった。
 そんななのはの耳に、何故か――宇宙のような空気がないようにしか思えない場所にも関わらず――低い振動音が飛び込んできた。
 低く低く、そしてどんどん大きくなる音。地響きのように腹の底まで響く唸りがシンとなのはを包み込む。
 なんだろう、と瞬きしたなのはは、なんとなく自分の周囲が暗くなっている気がした。何かの比喩ではなく、光量が少ないという意味でだ。この空間で光を遮るものなどほとんどなかったはずだが、何故か微妙に暗い。どこかに壁でもあればこうなるのだろうか?
 ごぉんごぉんとますますうるさくなる轟音の発生源と影の元を辿ってなのはは首を上向け、恒星があるはずの方向――真上を見た。無表情な藍色の瞳に無機質な形の影が映りこみ、『それ』が光を遮っているのだ、と理解する。直方体にヒレのようなものが何枚も左右に突き出した、そんな構造の物体がいつの間にか二人の頭上を進んでいた。
 船、だろうか。空気感がなくどこまでもはっきり見えるせいで、酷く大きさが掴みづらい。ばらばらと小さな影をばら撒くその箱状の物体が段々近づいているのだろう、視界の中でどんどんと大きくなってくるが――視界を塞ぐような大きさになっても、まだ近づいてくる。
 ついに全体像を見ることもできなくなり、想像していたよりはるかに巨大なその船から小さく――その船が大きすぎるからこそ比較して小さく見えるだけだ――飛び出してくる無数の影が何であるかは、細かく見えずともわかる。わかってしまう。
 一旦は散らばった無数の細長い影がぐるりと群れの向きを変え、シンとなのはへと向かってくる。粘土の塊を一方向に引っ張ったような本体に分厚い腕か翼のようなものがついたそれらが統制のとれた動きで併走したままに距離を保った包囲隊形をとると、一斉にその翼を開く。

 

「――だよ、ね」

 

 呼応したようにシンも顔を上げ、尖った形の両目と右手の刀が再び鋭い輝きを放ち出した。背中の両翼も同じように輝きを強め、歪みと光の粒子を大量に吹き出し始める。まるで硬い何かを叩いたようなこぉんという音が響いて、力を溜めるように光でできた翼が大きくたわんだ。

 

「……――」

 

 やはり、シンは戦うのだ。
 自分が助けを求めたから。差し出された手に、触れたから。
 かくりと首を下ろしたなのはが浮かべた表情はまるで人生を諦めた老人のようで、砂漠にオアシスを見つけた旅人のようで、そして何よりも、道に迷って泣き出す寸前の子供の顔そのものだった。
 
 

 
 

「――駄目ですね。全然。観測できません」

 

 片手を振りながらそう言って、魔力波探査機のオペレーターはシートの背もたれに体重を預けた。青みがかった短髪が明るい印象を与える彼女の操作卓を囲むようにリンディとクロノ、ついでにクロノの背後には寝ぼけ眼でゆらゆらしているユーノが立っている。
 オペレーターが現在の表示を縮小して10分ほど前の記録を投影式ディスプレイのウィンドウに写し出した。横軸に時間経過、縦軸に空間を伝わる魔力波の強さが示されるグラフの下3分の1ほどを上下していた線が、一点だけ上限を振り切っている。
 そう、上限だ。常時警戒用に使われている汎用タイプとは違って高精度用や大出力対応の専用探査機はオペレーターが『起こして』やらねばならない為、そちらのデータを得ることはできなかった。
 勿論汎用タイプは極端な数値には対応できない故に『汎用』なのだが、それでも個人や数人程度の小集団が魔法を使ったところで、魔力波の探知レンジを振り切ったりなどはしない。
 それがあっさりと振り切られた。探しているモノ――ジュエルシードの関与を疑うにはそれだけで十分だ、しかし。

 

「正直、これは……うーん」

 

 ぽり、と頬をかいたオペレーターは再び手を閃かせた。空間に投影されたサブコンソール、その脇に大量に並んだ平行四辺形のアイコンを撫でると、凄まじい速さで種々雑多なログが吐き出される。ソフトウェア、ハードウェア両面に備わっている自己診断システムの検査結果は、いずれもシステムが正常であることを示していた。

 

「機器は正常ですけど瞬間値、それも再現しないっていうのは」
「……ノイズ、と考えるべき?」
「で、す、ね。私の意見としてはそうです」

 

 リンディの問いに答えながら何度か踊った指が最後にウィンドウを閉じ、オペレーターは振り向いた。この場の責任者たるリンディに判断を任せる、というように視線を向ける。
 腕を組んで黙考している母親を見あげていたクロノがふと瞬きをして斜め後ろ、ユーノが立っている方向へ視線を移した。

 

「――ふが」

 

 片足どころか首まで夢の世界に突っ込んでいそうな少年のだらしなさに、びきりとクロノの頭皮がひきつった。
 乱暴に肩を掴んで引き寄せると、その勢いでがくんとユーノの首が仰け反る。

 

「起きろ、スクライア! 君はどう思うんだ、当事者だろう!?」
「んぁー? あー……」
「……っ!!」
「あおおっおっおおおっ!?」
「あら、クロノったらもう」

 

 前へ後ろへ前へ後ろへ、半端に前に戻ったと思った瞬間にワンテンポ速く肩を引き寄せられてまた後ろへ。クロノに高速で揺さぶられて歪んだ半円軌道を往復するユーノの金色の頭頂部を、リンディはほほえましげに頬に手を当てて見守った。
 ユーノの首間接への負担を想像しているのであろうひきつった顔を見せるオペレーターとは対照的に、明るい緑色の髪に縁取られたその表情は穏やかな慈愛に満ちている。

 

「ふふ。いつもむすっとした顔してたのに」

 

 実際、リンディには色々な意味で『嬉しい』ことなのだ。何かにつけて背伸びをしがちで、四角四面な態度ばかりとろうとする息子が自分の前でこんな行動に出ることが。
 勿論公人として言えば叱責されるべき態度ではあるが、今は誰かの目があるわけでもない。多少のじゃれあい程度なら許容するのが社会通念上も普通だし、文句を言われるものでもない。言ってみれば、実質この船は管理世界所属である以前にリンディ・ハラオウンの統治下にある、とまで表現できる。管理局独立艦隊所属艦の艦長――提督という役職が持たされる権限と責任は、そういっても過言ではない程のものであった。
 そう言っている間にユーノがクロノの手を振り払った。眠気よりも揺さぶりのせいだろう、2、3度頭を振って目を瞬かせたユーノはどんな言動より行動より、何より真っ先にクロノの顎を右拳で打ち上げた。

 

「楽しそうねえ」
「いや、ねえって言われてもこれは……」

 

 こんな状況に見えても一応クロノが加減はしているのか、体格的に少々差がある二人はそれなりに拮抗した状態でぎりぎりと襟を絞りあっている。たっぷり分単位で襟をつかみ合っていてもどちらも顔色が悪くなる様子もないあたり、手加減はクロノだけがしているわけでもないようだった。

 

「人が真面目にやっているというのに君という奴は……!」
「そもそもそこ専門家がいるのにさ、素人に探知波について意見聞いてるって時点でねェ……!」

 

 笑顔は本来威嚇のための表情である、という原初の動物的事実を体現する子供二人とそれを見守る母親という珍妙な光景に、オペレーターは顔をそらしてため息をついた。

 

「さて、と。これについては、可能性として覚えておきます。今回は予定通り『事故』現場へ向かいましょう……予測発信座標は第97管理外世界、で良かったのかしら?」
「あ、はい! 第97管理外世界――」

 

 微笑みから一転して艦長の顔になったリンディに聞き返され、オペレーターは慌ててコンソールを叩いた。
 ばらばらと表示されては流れていくデータベースの情報に目を通し、軽く頷く。
 無数の文字が流れる横では、海面と陸地がこれまた無数の色――統治機関の領域で塗り分けられて示された惑星の立体映像が表示されていた。

 

「――現地名、『地球』です」

 

「あ、おばさま」

 

 あわただしく人が――白衣を翻す医師や看護師はともかくどうみても事務系な者や、中には制服姿の警官すら混じっている――行き交う病院のロビーで、待合用の長椅子にじっと並んで座る女の子二人は別の意味で浮いていた。ぺこり、と頭を下げるすずかに手を振って歩み寄り、うなだれたままのもう一人、アリサに視線を向ける。

 

「ありがとう。あなた達は怪我、ないかしら?」
「あ、はい。大丈夫です。アリサちゃんが最初に……私は、直接は見てなくて」
「そう、わかったわ――お家には?」
「もうすぐ、迎えが」

 

 そう、と頷いて、桃子は長椅子の前、うなだれるアリサの正面にしゃがみこんだ。

 

「アリサちゃん」
「……ぁ」

 

 今気づいた、というように――実際そうなのだろう、アリサは桃子の声に驚いたように目を見開き、慌てて顔を上げた。
 肩に手を置いて、桃子は安心させるように微笑んでみせる。自分の顔もあまり元気がない自覚はあるが、アリサの表情はその比ではない。入院していたなのはにまで元気を与えようとしていたような、あの強気な振る舞いの少女のものだとはにわかに信じられないほど焦燥していた。

 

――ひどい顔、してるわね。

 

 しかしなのはが突然消えてしまった、という知らせだけでは一体何があったのかはわからない。こんな状態のアリサの心を更に不安定にさせやしないだろうか、と一瞬考えたが、結局は桃子の『母親』の部分が勝った。

 

「なのはは、どうしたの?」
「――なのは、は……わかりません。わかりませんけど、でも」
「でも?」
「でも、変だったんです。いきなり入れ墨みたいに全身が赤く光って、壁に穴、開けて。あんなの」

 

 アリサの見開かれた瞳は桃子へ向いているが、桃子を見てはいない。くりくりとした碧眼には困惑と、それ以上に怯えの色が濃く浮かんでいた。

 

「あんなの、まるでバケ……っ!!」

 

 ひくり、と何かを飲み込むように動く細い喉。
 揺れる瞳のままで、アリサはたどたどしく言葉を絞り出した。

 

「……人間じゃ、ない、みたいでした」

 

 アリサが何をいいかけてやめたのか、桃子はあえて問いただすことはしなかった。人間ではないもの。人間の理解を越えた何か。なのはがそうとしか言えない様子を見せて、姿を消してしまった。常識的に考えれば信じられない話だが、アリサが嘘をついている様子はない。そして病院からの連絡にもあったとおり、実際になのはの病室の壁は粉砕されているらしい――行きかう警察官はそのせいだ。なら、信じるしかない。

 

「……そう。そう、なのね」

 

 しかし、信じたところで何ができるというのだろう? なのはの居場所もわからず、そもそも何があったかすらわからないこの状況で。
 頭の片隅で士郎が重傷を負った時のことをなぞりながら、桃子はアリサたちに気づかれないように小さくため息を吐いた。

 

『――どうです? 隊長。結構教えられた通りに動けてると思ってるんですけど』

 

 数秒の光の乱舞の後再び静まり返ったコクピットの中に、ノイズ交じりの通信音声が割りこんだ。
 知っている、よく知っている声。自分の部下であった時となんら変わる様子の無い、ともすれば女性のようにすら聞こえる優しげな声。
 ……ルナマリアたちのほうは、うまくやっているだろうか。

 

「ああ。二人タイミングを合わせるなんてよくやるな」
『へっへ。練習したンすよ?』
「……だったらさっさと攻撃してこいスッタコ。無駄な事やってるうちに酸素も推進剤も無くなるって教えただろうが。胡桃なみの小せぇ脳みそ耳から落としたんなら代わりに鉛弾ぶち込んでやろうかボケが」

 

 少々地を出した返答にうひぃ、と妙な悲鳴を上げたもうひとつの声も、当然よく知っている。

 

『隊長。ひとつ、お聞きしていいですか』
『あ、じゃあ俺からも聞いたりしちゃって』

 

 真剣な声音にも、どこか茶化した響きを残した合いの手にも、シンは答えない。片手を忙しなく動かしてセンサーを切替えながら、レーダーの利かない中で可能な限りの『物体の位置』を頭に叩き込んでいく。一目見ただけで物体の配置を記憶し、さらにそれら一度認識した物体全てに対して同時にベクトル計算まで行ってしまうようなかつての仲間――レイ・ザ・バレルのような隔絶した空間認識能力を持たないシンは、可能な時に可能な限り空間のイメージを作っておく癖をつけていた。

 

『どうして……ラクス・クラインに従っているんです? 『負け犬』なんて言われてる事、まさか知らないわけじゃないでしょう?』
「――」

 

 視線が、指が、データが踊るたびにシンの中で、広大な宙域の隅々までイメージが形作られていく。ベクトル合成は『間』を見るのがコツだ、というのがレイの言葉だった。クラインに敗れてレイはいなくなっても、その言葉は確かにシンの中に力として残っている。そして――クラインの為の力に、なっている。

 

『前はクライン派と戦っていたんでしょ? 隊長達は――』
『――戦ったンだから、大切なモンがあったはずです。それこそ命をかけて戦うくらいに大切な。それを、なんで捨てたりなんてしたンすか?』

 

――捨てたつもりはないんだけどな。

 

 そう言ったところで信じないだろう。捨てたのでもなんでもなく、気がついたら大切なものが消えていた、などということは。
 とん、と最後のキーを叩き、シンはメインモニターに視線を戻した。うつむき加減の顔に表情は浮かばず、その血色の瞳は光を際限なく吸い込むような平板な色合いになっている。人間が浮かべるものにしては虚ろに過ぎる表情で、シンは操縦桿を握り締めた。
 『飛べる軌道』は大体認識した。なら後は『どこを選ぶか』を実際目にすればいい。

 

「……別に、頭なんて誰でも良かったんだよ」

 

 ペダルを踏む力に応えて、機体――インパルスの背中に装備されたソードシルエットのスラスターが青白い噴射炎を吐き出した。現ZAFTの機体の中でもトップクラスの加速力が生み出すGにぎりぎりと身体全体を押さえつけられながらも、シンは独り言のように呟き続ける。

 

「ラクス・クラインでも、議長でも、まして連合だろうがプラントだろうがオーブだろうが構いやしない。たまたま戦争が一応終わって、その時に一番上にいた奴がたまたまラクス・クラインだったってだけだ」

 

 『思い出しそうになって』、舌打ち一つ。今の自分には関係ない。自分が今気にしなければいけないのは失われた数々の命のことより未来――そして未来のための今の戦い、だ。自分の役目は『明日を与える』ことなのだから。
 そう考え続けても意識を掠める金色の髪の毛と栗色の髪の毛の幻が消えないのが、とてつもなく不快だった。
 がつん、と大きめのデブリを蹴り、更にその先でもデブリを蹴って強引に機体の向きを変えていく。二人の機体は――思ったとおり、表に出てこない。こちらの狙いを見定めるまで出てこないつもりだろう。

 

「もう一度大きな戦争を起こしたり、エイプリルフールクライシスとかブレイク・ザ・ワールドみたいな真似をするよりはそれを邪魔したい。それだけさ」

 

 ぼん、と前方に振り向けた足の裏でスラスターの炎が灯る。かなりの速度で宙を滑っていたインパルスは漂うデブリの直前でぐいと減速すると、細かく全身のスラスターを吹かしながら鳥が降り立つように素早く静かに立った。少しずつ下がっていくシルエットの温度計をちらりと眺め、シンはビームライフル全盛の今では珍しい、実体弾タイプの突撃銃をインパルスの腰から右手に握らせた。がしゃこと銃身の下に固定されているグレネードランチャーをコッキングし、狙いをつける。
 ――軌道変更用爆発ペレットのパターン入力。信管を時限式に。撃発時間セット、2秒。

 

「俺は俺の手の届く事をやるだけ……地球全てを変えるだとかなんだとか、そんなご立派な思想なんて俺は持ってねえんだよ。ラクス・クラインやお前らとは違う」

 

 トリガー。軽い反動と共に飛び出した地味なグレネード弾は、薄く伸びる発射煙で螺旋を描きながら飛び出した。今のシンにはそんなものも、更にはその煙が全方向に拡散して消えていく様子さえ『見ることができる』。自分の周囲で何がどう動いているかが手に取るように、圧倒的な精度で知覚できるのだ。次世代への進化を運命付けられただか何だかと誰かが言っていた気がするが、シンにとってこの力はただの力でしかない。次世代とか進化とかどうとか、『どんな力か』など、どうでもいいのだ。
 虚空へ飛んでいくと思われたグレネードの脇で小さな炎が灯り、かくりとその軌道が変わった。ちょうど大きなデブリの横を抜けていく軌道だったグレネード弾はデブリの裏へと飛び込み、シンから見えない位置に入った瞬間――

 

『ぬぁ!?』

 

 向こう側で起きた爆発でデブリ――焼け焦げた戦艦の一部が千切れるように吹き飛ばされ、粉々になった破片が四方八方に飛び散った。それらに混じって飛び出したスラスターの噴射光を見つけ、シンは顔を動かさずに視線と突撃銃の銃口をそちらに向ける。再度トリガー。
 走った火線に行き足をくじかれ、慌てて方向を変えて逃げていくグフの様子は無様、と言いたいところだがそうでもない。不意打ちだった初弾の直撃を避けたうえでこちらからきちんと遠ざかる方向に、しかも一切足を止めずに逃げていったのだ。判断の速さも操縦技術も優秀と言っていい。
 自分が訓練してやったのだからわかってはいたが、やはり容易く墜ちてはくれなさそうだ。最も、そのとおりだからといって持久戦に持ち込むつもりも、まして負けるつもりもないのだが。
 残弾は十分。エネルギーも十分。NJのせいで『視界』が利かないのは向こうも同じ。
 最大の不利は2対1ということだが――その程度、なんということはない。

 

「――来いよ。お前らが正しいって言うんなら、俺に勝てるはずだろ?」

 

 いつか口にしたのと似た空々しい台詞が、自分の鼓膜とヘルメットのスピーカーを震わせる。傲然とデブリに立つインパルスの両目が、太陽光を鋭く反射した。