TPOK_01話

Last-modified: 2009-06-11 (木) 21:57:54

レジェンドの狙撃を巧みにかわして飛ぶグフを、どこか現実味のない思いで見ていた。
しかし、視界に映る現実がどうであれ、シンはデスティニーにライフルを撃たせていた。
それもグフは上手くすり抜ける。
こちらはまだ機体に慣れていないとはいえ、性能差で圧倒的に劣りながら大したものだった。

 

アスラン。
衝突はあった。
それでも、認める思いの方が強い。
だから、今、引き金にかける指が重いのだろうか?

 

レイの言葉、アスランの言葉。
どちらが正しい。
何が正しい。
どちらの言葉にも、シンを強く揺さぶる何かがあった。分らない。判断ができない。
徐々に、冷静さが失われていく中で、吹っ切れた。シンはマユの声を、ステラの瞳を思い出す。
どうか、あんな不幸を生まないで。
そう願うのに、どうして裏切る。どうして逃げ出す。
もう迷わない。

 

グフからの抵抗らしい抵抗はあった。欠片も脅威はなかった。そもそも、デスティニーとその性能が違うのだ。
気づけば、グフを貫いていた。
雨のなか、雷光のなか、海へと落ちていくその姿はいやにゆっくりに見えた。
貫いた。殺した。アスランとメイリンを。

 

荒い息と気分の悪くなるような熱気は収まらず、ただシンはしっかりと自覚する。二人を殺した。
爆発の光が、眩い。多種多様な色が混じるその光の中で、蒼い煌めきが特に強くシンの目に入ってくる。
輝きに目を奪われながら、取り返しのつかない事をした自分を擁護する思いと懺悔の思いが浮かんでは消えていく。
殺した。殺したんだ。
これが夢幻であればいいのに。純白で視界がいっぱいになっていく。
すれ違う蒼い煌めきを遠い心地で見届けながら、シンの意識は途切れている。

 

 

「うおおおおおお!!」

 

黒い影の突撃を、かろうじてイザークはかわした。
放り出した身を片手で跳ね上げ、もう片方の手で銃を引き抜く動作は堂に入ったものだ。
なんら躊躇なくトリガー。黒い影へと弾丸が撃ち込まれたが、まるで効果が見られない。咆哮と共にまた突っ込んでくる。

 

敵意や害意が実体化したかのようだ。
なんなのだ、と思わざるを得ない。気づけばここにいて、こうやって襲われているのだ。
自室で部下たちの報告に目を通している時分だった。眼を覚ませば、どこ知らない街の中である。
眠った記憶もない、何か変な事をした記憶もない。真っ白い視界の中、青い色の煌めきとすれ違った気はする。

 

「のぅわ!?」

 

鍛え上げた肉体をフルに活用して、また黒い影の突撃をよけた。
今はとにもかくにも身の安全だ。ここがどこだ、とかはその後である。
そしてだんだんと、分ってくる。この黒い影、凶暴なようだが大した事はない。愚直と言うか、ただ強いだけだ。
ただ強いなんてものは、イザークの生きてきた世界では通用しない。
とはいえ、銃が通用しない以上、こちらからあの黒い影をどうこうも出来ないようだ。

 

理不尽な混乱に我を忘れるような場面で、イザークは実に冷静だった。
的確に逃走経路を見出し、それぞれへ走った場合の想定をいくつも頭の中に描く。
いけるかどうかのきわどさに汗を流しながら、イザークは覚悟をする。

 

「!!」

 

その瞬間だ。背後に強大な波動を感じて二の足を踏んだ。
驚きに染まって背後を見れば、桃色の閃光が天へ昇ってゆく。壮大な力を感じて気圧されながら、イザークはしまった、と己のうかつに気付く。
黒い影への注意が散漫になってしまっている。次の瞬間に、自分が黒い影にずたずたにされる幻覚を見ながら構えれば、

 

「…!?」

 

黒い影も、おののきひるんでいる。
桃色の閃光から、人影。少女だ。その手には、杖。

 

「なん…だと…!?」
「ふぇ!? ふぇええ!? 嘘ぉ! なんなのぉ…これ」
「…?」

 

そして、当の少女はと言えば、自分で自分の姿を見て驚いている。
さらにはあれだけ大仰な輝きを放ちながら後ずさり。

 

「ふぇえ…こ、これなにぃ!?」

 

錯乱状態なのだろうか。手の中の杖やスカートを挙動不審に眺めては、混乱した様子だ。
黒い影が、咆哮を上げた。まるでいきり立っているようだ。高く高くに飛び跳ねて、少女へと襲いかかる。

 

「あ、逃げろ!」
「来ます!」

 

黒い影へと上昇中、下降中を問わずに的確に射撃を命中させるイザークだが、やはり効果がない。
さらには、最後の弾は外している。それも、

 

「フェ、フェレットが喋った!?」

 

少女の傍らの小動物が口走ったからに他ならない。黒い影と少女の衝突。
いや、防いでいる。突きだす杖より生まれる、桃色の障壁が鮮やかに夜の闇に輝いた。
黒い影がはじき飛ばされ、爆ぜた。辺り構わず散乱するその黒い欠片は、塀に電柱に道路にと突き刺さる。

 

「う、うおお!?」

 

電柱がへし折れてイザークへと倒れてくる。少女とフェレットの所まで転がれば余裕もなくわめいた。

 

「おい、あれはなんだ!? いったいどういう事だ!」
「わ、わたしにも分からないんです…!」
「後で詳しくお話します! 今は封印を!」

 

またフェレットが喋った。頭が痛くなってくる気分だが、イザークの戦場での勘が警告を得た。
まだあの黒い影は危険だ。それに気づいたのと黒い影の欠片が集合し始めるのはほぼ同時だった。

 

「良く分からないけど…どうすれば?」
「さっき見たいに攻撃や防御みたいな基本魔法は心に願うだけで発動しますが、より大きな力を必要とする魔法には呪文が必要なんです」
「呪文…?」
「心を澄ませて、心の中にあなたの呪文が浮かぶはずです」

 

少女が目を閉じる。言われたとおり、心を澄ませているのだろう。
逃げるんだ、とイザークが肩をつかもうとして、ひるんだ。こんな状況下で、驚くほど少女の精神は静かだ。
戦場に置いて、もはや理想としか言えぬような境地。
さっき少女はあの黒い影を止めた。ならば、何とかするためにこれは必要なプロセスなのでは?

 

「お、おい! あいつをなんとかできるんだろうな!」
「できるはずです! ……すみません、無関係のあなたまで巻き込んでしまって…」
「来るぞ!」

 

すかっかり元の姿に戻った黒い影が、その赤い双眸でこちらを睨んでいる。
突っ込んできた。高くへと飛べば、触手のような細い影がいくつも襲いかかってくる。

 

「うお!?」

 

咄嗟に顔を庇うイザークの隣、少女が杖を突き出した。また、桃色の障壁。

 

「リリカル! マジカル!」
「封印すべきは忌まわしき器! ジュエルシード!」
「ジュエルシード、封印!」

 

杖の各所が開き、翼が広がる。
幾重もの桃色の光線が走り、黒い影を捕まえ、貫く。やがて、黒い影はほどけるように四散した。
もう復活の兆しは見受けられない。黒い影がいたそこには、蒼い煌めき。

 

「あ」
「これがジュエルシードです。レイジングハートで触れて」

 

言われるまま、少女が杖を差し出せば蒼い宝石がひとりでに浮かび上がり杖へ溶けて消えた。
そして、少女も眩い輝きに包まれれば、衣類がまるで違ったものになってしまう。杖もない。

 

「あ、あれ…終わったの…」
「はい、あなたのおかげで…有難う…」
「ちょっと、大丈夫!? ねぇ!」

 

そこでフェレットが倒れ伏す。駆け寄る少女の手の中で、息をしているのは見て取れた、
気絶しているだけ、だろう。呆然と立ち尽くすイザークの耳に、サイレンの音が飛び込んだ。
少女も過敏に反応し、周囲を見渡し頬がひきつる。倒れた電柱、穴だらけの道。

 

「も、もしかしたら、わたしたち、ここにいると大変あれなのでは…」

 

素早くフェレットを抱え、上目づかいにイザークを見上げてくる。
イザークも、ヤバイ、という念がふつふつと沸いてくる音である。

 

「と、とりあえず…ごめんなさぁ~い!」
「あ、待て! 待ってくれ!」

 

そして一目散に逃げ出す少女を追い、イザークも駆けた。

 

 

その日、すずかはとても穏やかなティータイムを満喫していた。
ファリンと一緒に作った焼き菓子は、いつもよりも美味しく感じる。
図書館から借り受けた本を頼りに、猫でも食べられる仕様にしては、家に散らばる可愛い猫たちにも振舞った。
自分たちの作品を頬張る猫たちを眺め、嬉しい気持ちでいっぱいだ。なんとも幸福な時間。

 

そんな時間となれば、唐突に壊されるのが世の常である。
突如、庭の方に巨大な轟音が響き渡る。隕石でも落ちてきたかのようなその衝撃は、三階建ての月村邸にも揺さぶりを与えてきた。
びっくりする猫たちを優しく撫で、驚いて立ち上がろうとしてすっころびそうになったファリンを支えてすずかが怪訝な顔になっていく。

 

「なんだろう…」
「わ、わたし見てきます」

 

タイミングの悪い事に、忍はまだ学校でノエルも帰ってきていない。家にいるのはすずかとファリンの二人きりだ。
騒ぎたてる猫たちを、宥めながらすずかとファリンが庭の深い方まで調べに行けば、

 

「…? 何だろう、これ」

 

数多に散らばる金属片が見受けられた。綺麗に手入れされた森の情緒が崩されるその光景。
しかも、それが奥へ行けば奥へ行くほどに顕著になっていく。
ふと、その金属片がだんだんと大きくなっていくのにすずかは気付いた。
いや大きくなっているのではない。これは、何か巨大な建造物のパーツだ。
それが、奥ほどに四散していない状態なのだ。

 

「飛行機が落ちてきたのかな…」

 

おっかなびっくり呟くファリンにすずかが首を振る。そして、落ちてきたのであろう何かの中心までたどり着いた二人が息をのむ。
顔が、こちらを向いていた。

 

「ひッ…!?」
「な、何これ……ロボット…?」

 

人型のロボットの、胸部から上が転がっているのだ。双眼型サブカメラがまるで二人を見つめてくる心地になってくる。
それではここまでの道中転がっていたものはこのロボットのパーツか?
この中心地では、一層、元の形に近しい状態のパーツが残っている。
あそこで転がっている金属塊なんて、見ただけで砲身だと分かった。
つまりこのロボットは、兵器だったのだろうか。不安げなファリンと一緒に、もう少しだけ近づいた。
興味深げにそっくり胸部より下がないロボットを眺めているすずかが、かすかに動くものを視界に捉える。

 

「人!」

 

パイロットスーツに身を包む、男だ。
倒れ伏し、ヘルメットらしいものをしていて顔は分からない。

 

「大丈夫ですか!?」

 

何度かの呼び声に応じて、男が身をよじる。
緩慢な動作だが、起きるその姿にすずかもファリンも安堵を零す。そして、男が暴れ出した。

 

「うおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああ!!」
「きゃっ!」
「わわわ!?」

 

まるで苦しみにのたうちまわるようだった。断末魔じみたその絶叫は耳に痛い。
すずかもファリンも、まるで目に入っていないよう。

 

「お、落ちつていください! 落ちついて!」
「がああああ!! ぐおおおおおおおおおおおおおおおあああ!!」
「ファリン!」
「はい! スミマセン、ちょっと我慢してくださいね!」

 

おぼつかない足取りで、半狂乱になって腕を振り回す男へファリンが飛びかかる。
乱暴だが取り押さえるしかないようだ。ファリンが力を込めるとなれば、可哀そうだが少し痛い思いもするだろう。
背後から羽交い絞めにしてながら「落ちついて」とファリンが何度も繰り返す。しかし、

 

「あああああああああ!!」
「きゃ!?」

 

ファリンが振りほどかれる。信じられない、といった面持ちですずかがそれを見ていたが、振りほどかれたファリンも男の力に驚いている。
そこでようやく、すずかもファリンも男が?普通じゃない?という事を認識するのだった。
狂ったように暴れる精神状態の事ではない。ファリンを振りほどくとなれば、これはもう普通の人間ではない、と言う事だ。
逃げるように、男が走り出す。それを二人は追った。やはりその走力も並ではない。一瞬、本気を出していいものかとすずかは考える。

 

「待って!」
「ファリン、電力はあとどのくらい残ってる?」
「3時間ほどです…」

 

ファリンが全力を出せば、取り押さえられるがそれで動けなくなるだろう。どうするかの判断を迷いながら追いかけていると、男が唐突に倒れた。
倒れながら、苦しんでいる。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

明らかに大丈夫ではない。転げまわりながら、死にそうなほどの苦しみ方をしているのだ。
もう絶叫もない。このまま苦しみに暴れる元気がなくなれば、そのまま死に至るのが目に見えた。
男は転げまわりながら、前に進んだ。森を抜けようと、前に、前に。

 

男が掴んだ。

 

「あ、あの、あの…」
「あれ…?」

 

動かない。男がもう、ぴくりとも動かないのだ。死んだ、とゾッとする思いがよぎるが体は動いている。
眠っているだけのようだ。
事態が分からず、二人ともが混乱する中で、男の手に掴まれた蒼色が穏やかに煌めいた。

 

 

家族で山中を避難路としたのは覚えいている。そして、携帯を落とした事も。
兄がそれを拾いに行ってくれた。そこまでだ。
いや、まだ覚えている事がある。光ったのだ。携帯を取りに、少しだけ下った兄を眺めている最中、光ったのだ。
真っ白い光。視界全部が埋め尽くされて、蒼色い輝きを見た。
まるですれ違うように流れるその青い色を左手を伸ばして、掴んだのも覚えている。

 

「……ここ、どこ…? お母さん…? お父さん…! ……お兄ちゃん!」

 

つまり、自分が立っていたのはオーブの山中だったはずだ。
それがすっかり静かな公園になっている。戦争の音も聞こえない、妙に日常的な喧騒しか聞こえない。
まだ高かったはずの日は、すでに海に落ちようとしているのも見えた。
まるでそれは、時間が飛んでしまったようだ。これは、夢だろうかとマユは思った。

 

「あれ…?」

 

そして、手の中を見る。蒼い宝石があった。知らない物だ。ただ、不思議な輝きをマユは美しいと思う。
両手で握りしめると、あったかい。もうそれを放しては、いけない物のように感じる。

 

どさ、と何かが落ちてきたような音を聞いたのはすぐだった。
見やれば、さっきまでいなかった男が倒れていた。パイロットスーツ。ヘルメット。軍人だろうか。

 

「大丈夫ですか!?」

 

慌てて声をかけるが、揺すっていいものかとマユが触れるのは躊躇する。
連合とオーブで、あれだけ激しい戦いだったのだ。下手に動かして悪化してしまうかもしれない。
それでも声をかけ続けると、身をよじった。

 

「ぐ!! ぐああ! がああ!! があああああああ!!」
「え!? きゃ、きゃ!」

 

唐突に起きあがれば、異常な悲鳴を上げながら暴れ出す。
とっさに身を庇って尻もちをつくマユに目もくれず、倒れては起きて、倒れては起きてただ苦しみ抜いた。

 

「あ、あなた大丈夫!? お医者さん……誰か! 誰かいませんか!!」

 

ざっと、周囲を見る。背の高い建物の近場の公園といった所だが自分たちだけだ。
ただ人の気配はいっぱいある。戦争はどうなったのだろう、という疑念を今は抑え込んで走った。
すぐに目に着いたのは、何かを探すように辺りを見渡す金髪の女性だ。
肩で息をしながら、マユが車椅子を押す方の女性へ駆けよれば、その女は信じられないものでも見るような目でマユを見てくる。

 

「あ、あの! 救急車を! 大変なんです!」
「あなたね! この魔力の出所は」
「ま、魔力? それより男の人がすごく苦しんでるんです! お願いですから病院に連絡を…」
「これね」

 

双方が双方、怪訝な表情になる。どうやら、どちらにも主張したい事があるようだ。
咄嗟に女がマユの手を取った。握り締められた、蒼い宝石が強引に奪われる。
右腕に、激痛が走る。

 

「な、なんて強力な…!? あなたこれをどこで…」
「返して!!」

 

自分でも驚くほど大きな声だった。我を忘れて蒼い宝石を奪い返し、マユは震えた。
駄目だ。これは絶対に、手放してはいけない。訳の分からぬ恐怖に襲われながら、マユはそれだけは理解した。
おそらく、手放せば何かを失う。間違いなく、失う。

 

「それは拾った物かしら?」
「そ、う…です……あ、違う! そんな事より、あそこで男の人が…!」

 

マユがハッとなって公園の方を指させば、パイロットスーツの男がこちらへ近づいて来ている。
やはり倒れたり起きたりを繰り返し、死にそうなほどの悲鳴が断続的に響く。
素人が見ても危険な状態だ。女が駆けた。

 

「大丈夫? もう大丈夫よ、大丈夫」
「お前…!! お前ぇえ!!」

 

震える腕を振り回して、錯乱状態で狂ったように暴れる男を女が抱きしめる。
暴れる素振りを見せたが、ふと、マユは女から新緑の光が溢れるのを見た気がした。
がくりと、糸が切れた人形のように男が崩れ落ちかけ、女はいっそうそれを強く抱きしめた。眠ったようだ。

 

「おーいシャマル、どないしたん!」

 

振り返れば、車椅子の少女が一生懸命こっちに来ようと尽力していた。
男をおんぶしながら、女が車椅子の少女に合流すればマユを鋭い視線で射抜いてくる。

 

「あなたについてですけども…」
「あ、あのその前に一ついいですか?」

 

車椅子の少女が不思議そうな顔しているのと同じぐらい不思議そうな顔をしながら、マユはこれだけ言った。

 

「あの、ここどこですか?」

 

 

いわく、自縛霊が出る。
そんな廃ビルに、好奇心で近づく以外の者はそういなかった。
しかしクロト以上の理由でここに来た者などいまい。なにせ、気づけばいたのだから。
第二次ヤキンドゥーエの最終決戦、デュエルとバスターの二機にやられたところで意識が真っ白い光に塗りつぶされた。
その光の中、蒼い色とすれ違いざまに掴んだのは微かな記憶だが思い出せる。
そして、気づけば薄暗いそこにいた。手の中には蒼い宝石。
特に何をするでもなく、クロトはずっとその青い宝石を見つめながら過ごす。
宇宙にいたとか、戦争はどうなったとか、どうでもよかった。蒼い宝石をただ眺めているだけで、それでよかった。

 

 

大きな津波があったというのに、もう穏やかな浜となっている。
一度だけの大波だったのだろう。何か沖合で大きな物でも落ちたかのような。
さく、さく、と小気味よく砂を踏む音と潮の音が心地よい。これから自分の成すべき事を考えながらのフェイトの散策である。

 

「…あれ」

 

ふと目にとまった色は赤。とても目立つのは海から這い上がろうとしているからだ。
海水浴には寒い季節、しかも赤い衣服を着用してなんて、どう考えてもおかしい。

 

「大丈夫ですか?」
「こ、ここは…?」
「遠見市です。怪我はありませんか?」

 

衰弱したその少年は、寒さに身を震わせながら真っ赤な瞳で見つめてくる。
船から落ちた漂流者だろうか、そう思いながら少年に手を貸して立たせたやる。
肉体的な疲労などではなく、どこか心に痛みを持っているような虚ろな気配で少年が呟いた。

 

「トオミシ…?」
「はい」
「それは……ジブラルタル基地からどのくらいの距離なんだ?」
「基地?」
「そう、そうだよ! ザフトの! 日付も変わってる!? ど、どうなってるんだ!?」

 

挙動不審にあたりへ視線を巡らせる少年の言う事は、この世界の人間ではないフェイトでもおかしいと分かる。
いや、この世界の人間ではないからこそ、そのおかしさを一層理解できたのかもしれない。
嫌な予感がよぎる。

 

「落ちついて。まず、名前は言える?」

 

今にも走り出して周辺の確認をしようとする少年へと、フェイトがなだめる口調になる。
困惑と不安が混じる深紅の瞳がじっとフェイトを見つめてきた。深い、紅いの双眸。

 

「シン……シン・アスカ」