「かーっ、うめー!」
パトリック・コーラサワーはナプキンで口を拭うと、満足げに息を吐いた。
「やっぱり働いた後はカレーだな!」
「働いたのか?」
「働いただろ!」
「そうか、働いたのか」
「何が言いたいんだよ、おい」
「いや、別に」
プリベンターは今、首府ブリュッセルより少し離れた山間の平地で、ビリー・カタギリより譲渡された新型MS(ミカンスーツ)のテストをしている。
そして、テスト―――すなわち模擬戦―――も一段落ついたので、パトリック・コーラサワーとデュオ・マックスウェルの漫才……ではなく、ちょっと遅めの昼食を取っていた。
「何杯でもイケるぜ」
「あまり食い過ぎるなよ、三十代」
「三十代は関係ないだろ! つうか、カレーは別腹だ!」
「どこのCMだよ」
で、どこをどうこねくりまわしたのか知らないが、何故か昼食はカレーということになった。
今回、サリィ・ポォに代わって現場責任者を務めるカトル・ラバーバ・ウィナーは、最初は弁当形式の食事を用意しようとしたのだが、発注寸前になって「こういう時はカレーだろ!」というコーラサワーの強引なサイドスピアー、いや横槍によって変更を余儀なくされてしまったのだった。
何しろ米からルーから野菜、肉に至るまであらかじめ準備されたときたら、もう許可するしかないわけで。
一応他のメンバーから反発の声もあがったが、最終的には「まあカレーなら」と落ち着いた次第。
つまり、余程の下手をうたない限り、誰が作ってもカレーは失敗しない料理、という認識だった。
「もう一杯おかわりくれ、坊っちゃん」
「まだ食べるんですか? コーラサワーさん」
「お前……あとで腹を抱えて転げまわることになっても知らんぞ」
「そうなると俺達も腹を抱えて転げまわることになるな」
コーラサワーは腹痛で、それ以外は愉快さで、と結構意地の悪い台詞を放ったのは、張五飛。
だが何だかんだで彼をはじめ、ガンダムパイロットも最低二杯はおかわりをしていたりする。
コーラサワーが言うとおりカレーはおいしかったし、何よりまだガンダムパイロットの面々は十代半ば、育ち盛りの食べ盛りなのだから。
三十代青春真っ盛りなコーラサワーがバクバク食べてるのは、まあ人生是全て食べ盛りなのであろう、きっと。
しかしこの男、中年太りとは無縁であるが、いったい普段はどのような食生活をしているのやら。
今は妻帯者だからある程度嫁のコントロールが入ってるとしても、結婚前、AEU時代から「お前、軍人にしてはスリム過ぎじゃね?」という体型である。
アニメの身体設定なんてそんなもんだ、と言ってしまえばそれまでではあるのだが。
「そもそもお前、カレー作るのに何か手伝ったか?」
「材料揃えたじゃねーか」
「それだけだろうが」
「何言ってるんだよ、材料が無けりゃ料理がそもそも作れねーじゃねーか!」
「……カレー作りをゴリ押ししたのはお前だろうに」
調理はガンダムパイロットが行い、コーラサワーは見ているだけだった。
自称「何でも出来る」だけに、全く料理が作れないということもないのだろうが、少なくとも積極的でないのは確かだった。
どこの料理部の部長であろうか。
「いやあ、カレーなんて久しぶりだなあ」
一方、新型MS(ミカンスーツ)の開発者であるビリー・カタギリは、にこやかな顔でカレーを食べていた。
彼も一人で研究所暮らしな為、手料理からはどうしても遠ざかってしまいがちである。
新型MS(ミカンスーツ)を独力でこしらえることが出来るなら、その気になれば人型メイドロボくらい簡単に作れそうなもんではある。
まぁこの時代、未だ人と同じ大きさの「アンドロイド」は作られてはいない。
公式には。
「ほれ、ポニテ博士も喜んでる。カレーにして正解だろ」
「正解か不正解か、って話じゃない気もするが」
屋外でカレー、それは確かに「美味い! テーレッテレー」の鉄板のパターンではある。
キャンプ等ではバーベキューと人気を二分、つうか団体で行けばほぼ確実にカレーになる。
飯盒でご飯を炊き、慣れない手つきでニンジンやジャガイモの皮を剥き、火を点けるのに手間取り、大きな鍋の底に焦げを作り……嗚呼、美しき(?)青春の形。
「さあ、メシを食ったらまたやるぞ!」
「何を」
「何を、じゃねーだろ! 模擬戦だよ、模擬戦!」
「やらないっての」
「何で!」
「最初からそういうプログラムだろ、何聞いてたんだよ」
デュオは呆れた様子で肩をすくめ、スプーンを皿に投げるように置いた。
紙の皿だったから音は立たなかったが、陶器の皿ならさぞかし乾いた音が鳴っていたであろう。
「嫌だね、俺はやりたいんだよ!」
「無茶言うな」
「やりたいったらやりたいんだ!」
「子供かよ……」
これが三十代、元軍のエースパイロットの姿だろうか。
ガンダムパイロット達は一様に溜め息をついた。
ああいう大人にはなるまい、その天然色の見本が目の前にいる現状に、いささかの憂鬱さも覚えたりするのだった。
もちろん、その腕前は皆一定は評価している。
今までのプリベンターのメンバーとしての結果、軍時代の評価、そして先程の模擬戦と、やはり「デキる」パイロットであるのは、十分にわかっている。
能力の高い者が人格者とは限らない、むしろそうでないことが多いこの世界であるが、コーラサワー程顕著な例も珍しいかもしれない。
◆ ◆ ◆
「ふう、ごちそうさまでした」
「お皿をお下げしてもよろしいですか? 姫様」
「ええ、どうもありがとう。カレーライスなんて、久しぶりに食べました」
さて、所変わってアザディスタン特殊自治区。
その代表を務める、マリナ・イスマイールもまた、昼食にカレーを食べていた。
「あのう、姫様……お味の方は」
「とてもおいしかったわ」
「ありがとうございます。実はうちの息子が作ったもので……」
「あら、では今度厨房に入った新しいコックというのは」
「はい、私の実子です」
「まあ、もうそんなに大きくなったのね」
アザディスタンは今でこそレアメタルの採掘により、一定の収入があるが、かつては化石燃料の枯渇とともに、国の経済は凋落の一途を辿り、中東の貧困国の代名詞のように言われたこともあった。
「そう……あんなに可愛らしかった男の子も、もう……」
「時が流れるのは早いものです」
「何ともったいな……いえ、そうですね、光陰矢の如し、とはよく言ったものね」
マリナと彼女のメイド―――マリナが少女の頃より身の回りの面倒を見てくれていた―――は、流れ去った時に思いを馳せ、無意識のうちに、陽光差し込む窓に視線を移した。
アザディスタン王家の姫であるマリナ・イスマイールも今、自治区代表として落ち着いた日々を送っている。
かつて第一皇女として太陽光発電の電力供給権確保を求めて世界中を飛び回っていた時は、どうにも空回り気味で頼りない、といった印象しかなかった彼女だが、自治区代表となってからは、完全ではないものの短期間で国内の経済を回復させるなどの功績を上げたことからして、実は結構な商才を秘めていたようである。
「姫様、外線が入っております」
「外線?」
メイドが去った後、今度は別の女性が執務室の中に入ってきた。
マリナとそう変わらない年齢のように見える彼女は、マリナの謂わば副官のような立場に就いている者である。
かつてのシーリン・バフティヤールの役職に近いであろう。
「誰かしら」
「バフティヤール様です」
「シーリンから!?」
そして、急に入った外部からの連絡とは、まさにそのシーリンからのものだった。
シーリンは現在、マリナの元を離れ、反省府組織カタロンに身を置いている。
過去の行いを全力で反省することで、未来への教訓にする。
いったいどういうところなんだかわからないが、とにもかくにも立派に政府の中央にある公的な組織なわけで、ある意味、立場的には今はマリナより上、とは言えた。
「何かしら?」
「詳しい話は直接、ということです」
「わかりました。では、こちらに回線を……」
「すぐにお繋ぎします、姫様」
なお、マリナは未だにアザディスタンの人々から『姫様』と呼ばれている。
OZによってアザディスタンが国家として解体され、その王家としての社会的立場も失われたので、マリナの身分は『一般人』と同じなのだが、それでもアザディスタンの人々は、親しみを込めて『姫様』『マリナ姫』と呼び続けている。
彼女に近い人物で、堂々と敬称を省いて呼ぶのは、現在通信を試みてきているシーリンと、そして旧知の刹那・F・セイエイくらいであろうか。
『お久しぶりね、マリナ』
「お久しぶり、シーリン。前にお話ししてからもう一カ月以上になるかしら」
『そうね、それくらいになるかもね』
マリナ、そしてシーリンともに、それぞれに語りかける眼差しは優しい。
遠く離れていても、モニター越しであっても、二人の間には友情、そして信頼という名の紐が固く結ばれている。
「それで、シーリン……」
『マリナ、色々と話したいことがあるのだけれど』
「……ええ、わかっているわ。貴女がいきなりの時は、本当に重要だってことだから」
笑顔から真剣な表情になり、一拍の呼吸を置いて、シーリンはマリナに『用件』を話し始めた。
マリナに、アザディスタンに、そして世界に大きく関わってくる、とても大切なことを―――
◆ ◆ ◆
「美味! まさしく美味! この胃袋に流れ込むカレーに覚えるのは、まさに感動の二文字! モグモグ」
「あー、人心地ついた。このまま遭難したらどうしようかと。パクパク」
「落ち着いて食えよ……。胃がびっくりするぞ」
プリベンターのちょっと遅い昼食は、さらに遅い昼食となってまだ続いていた。
食べているのは、ガンダムパイロットではない。
ヒルデ・シュバイカーでもない(彼女は少女らしく、一杯で止めておいた。ちょっと未練があったようだが)。
そしてパトリック・コーラサワーでもない。
「センチメンタルな乙女座の私としては、運命的なものを感ぜずにはいられない!」
「サーモンがトッピングであれば完璧なんだけどな」
今朝、つうか昨夜から忽然と行方不明になってしまっていた、グラハム・“ブシドー”・エーカーと、ジョシュア・エドワーズの二人だった。
グラハムの赤き血潮が騒ぎ過ぎたが故の行方不明事件だったわけだが、とにもかくにも、ここに無事合流、と。
「炊煙が見えたからそれを目印に来てみれば……やはりこれは運命と言わざるを得ない」
「……便利な言葉だな、運命って」
「普通に昨晩過ごしていれば、問題も起こらなかったわけだからな」
下手すりゃ捜索隊を出さなきゃならない事態にまでなった可能性もあるわけで、こうして偶然でも何でも再開出来たのだから、まあ奇跡っちゃ奇跡ではある。
「やはりプリベンターは常に一心同体! 一丸というわけだ!」
「自分勝手な行動をする奴が言う台詞じゃないなあ」
「とにかく反省して下さい、いい歳の大人なんですから」
デュオのツッコミもカトルの苦言も、今のグラハムとジョシュアにはどこ吹く風。
夜通し、今の今まで山の中を迷いまくっていた二人の空腹は、そんなもん受け付けるわけもなく。
「これはジャ○カレーの甘口とエクセレン○カレーの辛口、二段○カレーのミックスだな、間違いない!」
「サーモン欲しいなー」
ちなみにコーラサワーが用意したのは単なるバー○ントの中辛である。
さらに言うとサーモンなんてどこにも無い。
「うむっ! よし、もう二杯程食べたら早速取りかかるとしよう!」
「……え?」
「え、ではない! 待ち望んだ新型機のテスト! 模擬戦にて華々しく剣を打ち重ねようではないか!」
「えー!?」
ひっくり返るカトル。
コーラサワー一人だけならまだ五飛やヒイロで抑えられるが、そこにもう一人、『やりたい君』が出現してしまった。
「お、やる気だなナルハム野郎! よし、アラスカ野も付き合え、模擬戦だ模擬戦!」
「ちょちょ、ちょっと!」
「いやあ、『カラタチ』と『紅鮭』のデータも取れるのか、願ったりだねえ」
「カタギリ博士まで!? デ、デュオ! どうにかしないと!」
「……どうにもならねーんじゃね? もう」
すっかりその気のグラハムとコーラサワー、そして止める気の全く無いビリー・カタギリ。
カトルに統率力が無いわけではないが、こうなっちゃうともう、簡単に三人を止めることなど出来はしない。
「これまでの模擬戦でも結構激しかったのに、受け取ったその日に壊すわけにはいかないんですよ、新型を」
「あー、もう『シークヮサー』と『カラタチ』は壊してもいいんじゃないか? 当面修理出来ないくらいにさ」
「そんな、デュオ!」
「そうだな、そうすれば緊急に出動があった時に、邪魔されないで済む」
「丁度いい機会というわけか」
「五飛にヒイロまで!?」
サリィ・ポォがこの場にいたら、果たしてどう収めたであろうか。
しかし、とにかく。
「カタギリ、我が盟友! 新たなる旅立ちに、心奮わされる思いだ!」
「よし、すぐやろうぜ今やろうぜ、この模擬戦二千回不敗のスペシャルエース、パトリック・コーラサワーがギッタンギタンにしてやるからよ!」
「サーモン、欲しいなー」
「データはあればある程、良いからねえ」
やたらと元気過ぎる大人たちなのであった。
プリベンターとパトリック・コーラサワーの心の旅は続く―――