『平和・安寧の無為に耐えきれる者こそが、最終的な勝者に成り得る』
……という言葉がある。
原因は何であれ、事件や戦争、異変といったものは全て人間が起こすものであり、それを実際にやるのも、また見るのも大好きだったりする。
歴史を振り返ってみればわかるように、至るところに戦争、革命、大事件の繰り返し。
平和と安寧の時代の方が少ないくらいである。
何も無い日々、というのは現実にはまず、有り得ない。
大なり小なり、自分の身にも、そして他者の身にも、事件というものは日常的に起こり得る。
もちろん、日常的というからには、運命に大きく関わるものはほとんどない。
大抵は、短ければ数分、長くても一カ月程度で解決するものばかりだ。
そして、それで済む状態を、平和であり、また安寧であると言うわけだ。
ただ、対岸の火事とはよく言ったもので、遠く離れた異国の地では、
民族・宗教・主義その他諸々を理由に、血が流されているわけだが。
平和や安寧は退屈という御供を引き連れており、その退屈と上手く付き合うことが出来れば、自分が事件の中心人物にならずに済むし、また被害者にならずに済む。
過激で悲惨なことが起こらず、またそれを求めない心を持てるようになれば、人生というものは穏やかに過ごせるようになる。
それが、「耐えきった勝者の姿」というわけだ。
ここで難しいのは、「なら怠けてしまえば、ずっと平和じゃないか」と思ってしまうのは大間違い、というところである。
それは「耐えている」のではなく、「流されている」のであり、その行きつく先は「遭難」しかない。
大河に浮かんだ葉っぱと同じで、いずれは大海に出て、呑まれて底に沈むだけだ。
それは、日常を生きていることにはならない。
耐えるというのは、流れに「乗りつつも」「流されない」ことなのだ。
◆ ◆ ◆
「どこから調べるかはもう決まっているわ」
プリベンターの現場リーダー、サリィ・ポォは胸を反らして言った。
別に意図してその仕草をしたわけではない。
彼女が作戦を説明する時の、癖のようなものだ。
「イオリア・シュヘンベルグの研究所、そこしかないわ」
サリィは皆を、プリベンターのメンバー一同を見回した。
誰一人として、異議を唱える者はいない。
当然であろう、皆がサリィと同じ考えなのだから。
……いや、若干一名、わかってないというか、あんまり深く考えてない者がいるが、ま、それは別に良いだろう。
毎度のことである。
そう、毎度の。
「彼の研究所は、市街に一つ。そして市外に一つ」
サリィは手元のノートパソコンを操作した。
薄暗い部屋の中、アザディスタンの首都(という呼び方はもう適切ではないが)の地図が、スクリーン上に鮮やかに映し出される。
ここはアザディスタンの旧首都にある、とあるホテルの一室。
プリベンターのメンバーはここに集って、今後の「方策」を練っているところである。
「市街のものは、建物はもう現存せず。かつての紛争の際に……」
「木端微塵というわけか」
ここで口を挟んだのは、ヒイロ・ユイだった。
彼の言葉に、サリィは首を縦に振る。
「その通り。だけど、かなり前から研究所の建物は、別の目的で使われていたようね」
「別の目的?」
そう呟いて小首を傾げたのは、トロワ・バートンである。
「マイスター運送を設立後、イオリアはここを引き払ったわ」
「その後は、いくつかの民間会社が所有していたようだな」
張五飛が手に持ったレポートを捲りながら、サリィの言葉を継いだ。
「今はまったく別の建物がある。ここは正直、捜査の対象にはならないわね」
「そうだな。ってか、地図を見るとそこは公園になってるじゃないか。調べようがない」
やれやれ、といった風に肩をすくめてみせたのは、デュオ・マックスウェルである。
「地下には水道管やらガス管やらが設置されていて、何かが埋まっている、ということもなさそうよ」
「ならば、調べるところは自ずと限られるな。と言うより、一つしかない」
腕を組み、背を壁に預けながら、グラハム・エーカーは言った。
椅子が空いているのに、この男は腰を下ろそうとはしない。
集団の輪から変に外れている辺り、彼の「ポジション取り」の心理が垣間見える。
なお、今日は仮面は無しで、ブシドーモードではない。
「だから最初に言ったでしょ、どこを調べるかはもう決まっているって」
サリィは再び、ノートパソコンを操作した。
スクリーンからアザディスタン首都の地図が消え、また別の地図が浮かび上がる。
「ここはどこなの?」
ヒルデ・シュバイカーが緑茶をすすりつつ、サリィに質問する。
「アザディスタン首都から、北東に約70㎞。砂と岩の大地で、付近には建物も疎ら」
「何かまた、不便そうなところですぅ」
ミレイナ・ヴァスティが眉を顰める。
その手には、今日すでに三枚目の胡麻煎餅が握られている。
「イオリアのもう一つの研究所。表向きはどうあれ、どうやらこちらの方が彼の『主宅』だったようね」
「建物は?」
「データを見ると、もう無いわね。100年程前に資材置き場として整地されたみたい」
「成る程ね」
サリィの言葉に、ほぼ全員が頷いた。
整地されているということは、地上に何ら手がかりはない。
だが、しかし。
「地下か、こっちの方の」
「おまけに、すぐ側にはむき出しの岩山があるわ。洞窟付きのね」
「そこは手つかず?」
「一度、どこかの国の学術探検隊が入ったことがあるようね。他にレアメタルの調査隊も。だけど、何も発見されなかった」
「怪しいな」
「怪しいですね」
「そこに、イオリア・シュヘンベルグの『遺産』があるわけか」
「まだわからない。だが、最低でもその一欠片程度なら見つかるかもしれん」
「そういうこと。さ、ここから先は移動しながら説明するわ」
サリィはノートパソコンの電源を落とした。
ほぼ同時に、ヒルデが部屋の灯りを点ける。
「連中は待たないんだな?」
ヒイロがサリィに尋ねた。
「連中」というのは、マイスター運送の面々、人類革新重工のソーマ・ピーリスとアンドレイ・スミルノフ、
JNN通信の絹江・クロスロード、そして在野の天才科学者ビリー・カタギリのことである。
「彼らには後から来てもらうわよ。何があるかわからないんだから、いきなり同行はさせられないわ」
「まあ、そうだな」
デュオが小さく笑いながら、サリィに同意した。
彼女の言葉の裏が、彼には十分わかっている。
つまり、同行させたくない理由があるのだ。
「おい、行くぞ」
「……んが」
「行くってば」
「んが、あ」
「行くから起きろって言ってるんだよ!」
「ふんが! あいて! な、何しやがる、いきなりドツくとはどういう料簡だ!」
「お前こそミーティングの最中に堂々と寝るとはどういう料簡だ!」
デュオは、すぐ横で船を漕いでいた男を思いっきりぶっ叩き起こした。
それが誰かは、説明はいるまい。
「模擬戦二千回不敗、AEUの元スペシャルエース、パトリック・コーラサワー様を殴るとはこの、ぐがぅ!」
さらに背後から五飛が背中を蹴り飛ばす。
「お前、何を、はげヴぁ!」
そして、何時取り出したのやら、前につんのめったコーラサワーの顔面に、フライパンを差し出す。
「……それくらいにしときなさい。ここで怪我されて使い物にならなくなったらどうするの」
「そっちの方が今後楽にならないか?」
「トドメさしといた方がいいですぅ」
「お、お、お前らなあ……」
フライパンの裏にしたたかにぶつけた鼻をさすりつつ、コーラサワーは涙目でデュオ達を睨みつけた。
あんまり勇ましくない。
つうか、マヌケすぎて全然怖くない。
「これから下手すりゃドンパチ始まるかもしれないってのに、ぐうすかと寝るかね普通」
「どこまでも変わらん奴だ」
「バカなんだよ」
最後の言葉はジョシュア・エドワーズのものであるが、グラハムの陰にかくれてこっそりと言っている辺り、コーラサワーの反撃を幾らか警戒している模様である。
「ミーティングで寝るくらいなんだってんだ、俺は今までも数知れず会議で居眠りしてきたが、それで不始末を起こしたことはないぞ!」
「そう思ってるのはお前だけだろ」
「周りが不始末を消してくれたに違いないな」
容赦のないツッコミを。デュオと五飛はコーラサワーに浴びせた。
恐ろしいのは、この二つのツッコミがツッコミじゃない、つまりほぼ事実に近いということである。
「居眠りしてなかったのは、多分嫁さんが上司だった時だけだな」
「何でわかるんだよ」
「わかるよ!」
「いいから早くしなさい、貴方達!」
ぐりり、とサリィの眉間にシワが寄る。
「やっぱりもう一回ドツいたらどうですぅ?」
「昔から今までずっと変わらんのだな、こいつは」
「平時であっても、戦時であっても、ね」
コーラサワーはコーラサワー、わかっていることだが、もうどうしようもない。
「おいおい、褒めるなよ、あんまり」
「褒めてねーよ!」
苦笑するしかない皆なのであった。
……さて、無為という言葉には、「何もしない、自然のまま」という意味の他に、もう一つ意味を持つ。
それは、「因果の関係から離れ、絶対変化しない永遠の真理」という。
プリベンターとパトリック・コーラサワーの心の無為は続く―――