第三話 嬉しい事 悲しい事
サンタの本棚の片隅に一冊の本がある。何度も読まれたのだろう、手垢で汚れていてボロボロだった。
サンタは落ち込んだ時にこの本を読む事にしている。サンタが生まれるよりも、父ちゃんや母ちゃんが生まれるよりも遥か昔に書かれた本――サンタに残されたジローの形見だ。
サンタは学習机に座ってノートに鉛筆を走らせていた。
書き出しには「ジロー兄ちゃんへ」と書かれている。サンタは日記を書く事を日課にしているのだが、ジローの出征以来アンネのようにジロー宛の形式で書いている。
今日はやっぱり平凡な一日だった。学校に行ってスイミングに行って――ただそれだけ。
でもちょっとした事がいくつも重なって退屈はしなかった。
朝の漢字の書き取りテストで満点が取れたのはとっても嬉しかった。いつもは90点ばかりだからね。
算数ではつるかめ算が難しい。今日も出来なかった。カズ姉に教えて貰おう。
そうそう、スイミング帰りにユウスケ君に会った。名も無き兵士達の墓に行くんだって言ってた。
家に帰るとヨツバはテレビの漫画を見ていた。忍者物で毎日やってる奴だ。
主人公の眼鏡と結婚したいらしいけど、お前はユウスケ君と結婚するんじゃなかったのか?
イツカは相変わらず泣いている。その度に僕が抱っこしているから、イツカは僕に一番懐いている。
イツカは父ちゃんに慣れてあげればいいのに。いないいないばあをしただけで泣き出すなんてあんまりだ。
とまあ、こんな感じ。
じゃ、お休みなさい。
日記を書き終えるとサンタは椅子の背もたれに寄りかかり大きく伸びをした。
今日も一杯勉強をした。学校の宿題をやって、算数と国語のドリルをやって、進研ゼミの課題をやって。
サンタが時計を見ると九時半を回っていた。隣の部屋からはヨツバの鼾が聞こえてくる。
学校の成績はあがったけれど、サンタが志望校に受かるにはまだ少し足りない。
特に算数。もう少し頑張ろうかと教科書を取り出そうとした時だった。
「サンタ、ちょっと降りてきて」
階下から母ちゃんの声が聞こえた。サンタは日記帳を閉じ欠伸を噛み殺してアイナの元へと向かった。
階段を降りた所でサンタはカズミとはちあわせた。
「お帰り、カズ姉。今日は遅かったね」
「サンタ。アンタもお説教?勘弁してよ。って言うか、門限は過ぎて無いわよ――じゃ無くて客間のに行ってパパを手伝って」
カズミの勢いに押され、サンタはいそいそと客間に向かった。 客間では父ちゃんが布団と悪戦苦闘していた。シーツに皺が寄っているし、なによりマットレスを敷いて無かった。
「父ちゃん、それじゃ駄目だよ」
サンタは押し入れからマットレスを取り出し布団を敷き直した。 父ちゃんと一緒にシーツをピッチリと敷き、枕を置いてから薄目の羽毛布団をセットした。
「こんな感じでいいかな。父ちゃんは布団を上手に敷く練習をした方が良いよ。」
「こう見えても父ちゃんは昔はシーツを整えるのは巧かったんだぞ」
父ちゃんはサンタの言葉を聞き後頭部に手を当てて無造作に掻き上げた。
サンタの訝しむ視線に気付いていないのか、父ちゃんはサンタの背中を勢い良く叩いてリビングへと促した。
父ちゃんは都合が悪くなると誤魔化して笑ったり、こう言う風に照れ隠しで背中やら頭を叩いて来る。
嫌だなとは思う事はあるけれど、サンタはそんな父ちゃんが好きなのだ。
サンタが私立のJr.ハイを受験しようとした時も頑張れといって頭を撫でてくれた。
「父ちゃん、こんな時間にお客さん?」
「――ん、まあそんな所だな。会ったらサンタもビックリするぞ」
父ちゃんはニヤニヤと笑うだけで誰が来たのかは教えてくれなかった。
――まあ、いいけどね。すぐに判る事だし。
サンタは勢い良くリビングのドアを開けた。