08_種を蒔く人after_第03話-3

Last-modified: 2013-12-23 (月) 16:47:17

「ホテルに行っていたのよ、シン君と」
 アマダ家に爆弾を投下したのはカズミだった。どことなく疲れた表情で意味ありげな
溜め息を付いたカズミの姿を目の当たりにして、シローは思わず飲んでいたビールを
吹き出してしまった。
 ――今、何て言った?カズミが、ホテル?シン坊と一緒に?
 激しく咳き込んでいるシローを尻目にカズミはやだぁ、パパったらなどと言いながら
布巾でビールを拭いている。箸が転がっただけでも笑う年頃だからだろうか、クスクスと
笑いつつ目尻には涙を浮かべていた。
 シローは悲しかった。手塩に掛けて育ててきた娘が恥じらいもせずにホテルに行った
などと親の前であっさり白状したのだ。シローもアイナもそのような教育は施していない。
 アイナが台所でシン坊の為に夜食を作っていたのは幸いだった。娘の爆弾発言を
聞かずに済んだのだから。もしその場に居合わせていたら卒倒してしまっただろう。
「はい、パパ。これで顔を拭いてね」
 カズミはシローにティッシュを差し出すとシローの背中を優しくさすり始めた。
「パパも年なんだからお酒は程々にしてね。イツカだってまだ小さいんだし、無茶は
しないでよ。シン君が帰って来て嬉しいのは分かるけど」
 親の心子知らず。シローの心境など全く気にせずにカズミはシローに注意する。
 こういった優しさはアイナ譲りなのだろうが、今のシローには逆効果だった。
「カズ、座りなさい。父ちゃんと話をしよう」
 呼吸を整えつつシローはカズミに座るよう促した。シローの口調から何かを察したのか、
カズミは素直に従った。真摯にシローを見つめる瞳は色こそシローと同じではあるが
長い睫毛や形の良い瞼はアイナ譲りだった。
「さっき父ちゃんになんて言ったかもう一度言ってみなさい」
若干怒りを含んだシローの語調に首を傾げつつカズミは口を開いた。
「父ちゃんも年だからって奴?だって私心配なんだもの。あれ以来パパのお酒の量が
増えたでしょう。私、嫌よ。パパには私の子供を抱いて欲しいわ」
 シローは勢い良くテーブルを叩いた。子供だと?だからホテルに行ったのか?臆面も
無くそのような事を言ってのける娘の姿にシローは思わず歯を食いしばった。
「カズ、その前だ。さあ、なんて言ったか答えなさい!」
シローの口調に押されたのか、やや間を置いてカズミは俯きつつ渋々と口を開いた。
「シン君と、ホテルに行ってました」

 シローはカズミの言葉を聞き深々と溜め息を付いた。やはり聞き間違えではなかったのだ。
「でもね、パパ。私は反対したのよ。シン君がホテルに行きたいって言うから、だから……」
「流されてホイホイ着いて行ったって訳か」
 シローは言い訳など聞きたくはなかった。カズミはシローの眼光に押されたのか
押し黙ったまま何も言葉を発せずにシローをじっと見つめていた。
「お前はまだ子供だが、して良い事と悪い事の分別位は分かっている筈だ。シン坊が
いくらホテルに行きたいと行っても反対すべきだったろう」
「私だってその位分かっている。でも、でも、私の気持ちも分かって欲しいわ」
「カズ、言い訳は聞きたくない。お前は自分のした事の意味を分かっているのか?」
 不意にカズミは立ち上がり厳しい表情でシローを見下ろした。
「パパの馬鹿!私だってその位分かっているわよ。でも、仕方ないじゃない。
それに、私悪い事なんてしてないから。反省しなきゃいけない事、してないから」
 売り言葉に買い言葉。シローも立ち上がった。だが義足のせいかバランスを崩し
倒れそうになった。カズミは素早くシローの脇へと駆け寄り支えた。 こういう時はやはりカズミだ。口論をしていたとしてもそれが無かったかのように
フォローしてくれる。優しさは嬉しかったがそれ以上にカズミの言い訳する様が悔しかった――悲しかった。

「あらあら、なに言い争いをしているの?せっかくシンちゃんが帰って来たんじゃない。
そろそろシンちゃんもお風呂から上がるだろうし仲直りなさいね」
 アイナがお盆を手にしてリビングに入って来た。上には一人用の土鍋とレンゲが二膳分載っている。
「シンちゃんはプラントからの長旅で疲れているだろうから鮭茶漬けにしてみたわ。
カズミもそれで良いわよね?」
 アイナの作る鮭茶漬けはあられの替わりにこんがりと焼いた鮭の皮をこんがりと焼いた
物が入っている。シローの好物だ。
「母ちゃん、俺の分は?」
「私と一緒に食べましょ。私、ちょっとでいいから」
 流石はアイナ。今にも修羅場となりそうなアマダ家の雰囲気を一瞬にして変えてしまった。だが。
「母ちゃん、カズから聞いたか?シンちゃんとホテルに行ったって」
 シローの言葉にアイナはキャラキャラと笑い始めた。
「聞いたわよ?断られるに当たり前じゃない。夜遅くにホテルに行ったって部屋がとれる筈無いじゃない」

 

 ぽかんと口を開けるシローを尻目にアイナは言葉を続けた。
「あなた、おかしいと思わない?シンちゃんが泊まるホテルを探していたらこんなに
遅くなったんですって。予約もしていないのに探すのも無謀だけれど、空いている部屋が
エグゼクティブスイートだけだったから諦めたって言うのも子供らしいわね。第一
子供だけでいきなりホテルに行ってもフロントで家出の子扱いされるのがオチよ。
カズミもね、その位気を回さないと駄目よ。直ぐに家に向かっていたらイツカも起きて
いたんだから。まあ、イツカを起こしたくはないから明日シンちゃんに紹介しましょう」
 シローは全てを悟った。全て自分が間違っていたのだと。
 カズミの視線が突き刺さるのが心に染みて痛かった。

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