A.C.S.E_第04話

Last-modified: 2008-12-23 (火) 23:49:40

 八神はやては内心の緊張を悟られぬよう注意しつつ、一人の少年と向き合っていた。
 直接会うのは少年がこの世界へ流れ着いたその日以来である。
 今の少年――シン・アスカに初めて会った時僅かに見せた弱々しさは微塵も無く、また初陣で見せたあの猛々しさが欠片も無かった。この世界での数ヶ月がシンにどんな影響を与えたのかは解らないが、何らかの変化が起こっている事は窺い知れる。
「はじめまして、八神はやて部隊長殿。シン・アスカ三等陸士、本日ただいまより機動六課へ出向となりました。これからよろしくお願い致します」
 平坦な声。合成音声に近い印象を受ける、酷く無機質な声。
(……はじめまして?)
 シンの様子ではなく『言葉』に対し、八神はやては困惑する。
 だって一回会っているのだ。
 そもそもシンがこの世界に来て初めてコンタクトを取ったのは八神はやての筈である。普通、そんな相手を忘れないと思う。最初は冗談かと思ったが、その思考は即座に破棄した。眼前の相手は冗談を言う様な”状態”ではない。
「……何か?」
 返答もなく、自分をガン見しているはやてを不審に思ったのだろう。
 シンが口を開いてはやてへと問いかける。
「う、うん。よろしく…………………………もしかしてやけど、覚えてへん?」
 はやてのその言葉にシンは僅かに首を傾げ、

 

「どこかでお会いしましたでしょうか?」

 

 心当たりがまるで無いという風に返答した。

 

///

 

 そこは陽の届かぬ地面の底。人口の灯りでのみ仄かに照らされる場所。

 

 狭くはない。むしろ広いというべきスペース。だがそこは無数の機器によって埋め尽くされ、酷い圧迫感すら感じさせる。小型の計測機器から大型の作業用機械まで、無数の機材がそこには溢れかえっていた。
 薄暗く、油の臭いが充満するその場所に、不釣り合いな雰囲気を持つ少年が一人居た。
 顔の造りは美形の類。髪の色は金色。艶やかな輝きに女性と見紛う長さの金髪は、ポニーテールに結ばれている。
 少年の名前をレイ・ザ・バレルという。
『コードDの現状はどうなっていますか?』
 響くのは女性の声。これもまたこの空間には場違いな存在だった。
 ウインドウに表示された女性が言葉を発する。
「未だ何の反応も示しておりません。現在も調査を継続中であります、騎士カリム」
 少年がカリムと言う名前の女性に返答する。
『それはベルカの地に古くから伝わる貴重な遺産です。くれぐれも慎重な扱いを』
「は。心得ております」
 レイが返答するのとほぼ同時。新たな通信用のウィンドウが出現する。
『そうすぐにどうにかなる代物でもあるまい。引き続き調査を頼むよ』
 それは女性(カリム)の声でもなく、少年(レイ)の声でもない第三者の声。ウインドウに表示された白髪の老人が穏やかな口調で告げた。
「了解しました。ロラン提督」
 老人の名前はロラン・ヘクトル。シン・アスカとレイ・ザ・バレルが所属する特殊技術管理部の最高責任者である。特別に広く名前が知られている訳ではなく、表舞台に出ることも少ない。反面、豊富な資産と人脈で時空管理局の内部に”深く”精通している。影のように静かに、慎ましく、ゆっくりと。しかし確実に持つ権力を高めてこの地位まで登り詰めた経歴を持つ人間である。
『ああ、騎士カリム。今回はすまなかったね、六課の人員に口出しをしてしまって』
『いえ……シン・アスカの力はこれからの六課に必要なものです。それに最終的な判断をしたのは私ではなく、あの子ですから』
『八神はやて二等陸佐だったね。噂は聞いているよ、随分と優秀だと』
『ええ。とても優秀な子です――私は公務がありますので、それでは』
 その言葉を最後にカリムを映し出していたウインドウが消失する。
 最後までカリムはその表情を緩めることは無かった。彼女は決して敵意の類は見せなかったが、”ロラン・ヘクトル”と”特技”を警戒している事が窺えた。
「よろしかったのですか。例の件を騎士カリムに報告しなくても」
 MSウェポンを使用するシン・アスカを保有する特技は、ガジェットに対する任務に駆り出されることが非常に多い――それはシンの能力が対ガジェット戦に向いていることもあるが、対ガジェット戦におけるシンの有用性を上層部に示すデモンストレーションの意味も持っていた。故に特技はガジェットとの交戦率が異常に高い。
 管理局に広く認知されているガジェットⅠ型の他にも、新型と思われる航空型のⅡ型、大型のⅢ型ともすでに遭遇、交戦している。その情報は既に六課の後ろ盾である”教会”の騎士カリムへ提供されているが、管理局にはまだ提供されていない。
 理由は簡単。管理局の上層まで上がった情報が、六課をはじめとする陸士部隊へと下りてくるよりも、教会から六課へと手渡される方が”速い”からだ。
 しかし今レイが言っているのは、既に提供されたⅡ型、Ⅲ型についてではない。シンが一度だけ遭遇した、正体不明の”多脚型”――このままいけばⅣ型と呼称されることになるタイプについてである。
『ああ、構わないよ。アレはそうそう出てくるものではない。シンが出会ってしまったのは完全な偶然だからね。要らぬ不安を与える必要もないだろう』
「了解」
 何故貴方にそんな事がわかるのか、という当然の疑問は口にされない。レイ・ザ・バレルはその老人の”手駒”だから。与えられた命令に疑問も不安も抱かず確実に遂行する。かつてギルバート・デュランダルに仕えていた時のように、これからもそうしていく。それがレイ・ザ・バレルに与えられた役目。

 

 表面上は。

 

「コードDはいかがいたしましょう」
 カリムから”調査”という命令を与えられているにも関わらず、レイはロランへと指示を仰ぐ。教会とは友好関係にあるが、協力関係には無い。
『そのまま保管してくれたまえ。あれは相応の設備が揃うまで下手な刺激は与えない方がいい』
「了解」
 その言葉を最後にロランを映し出していたウインドウが消える。
 一人その場に残ったレイは、表情一つ変えることなくその空間の中央へと歩き出した。
 歩いてくるレイの姿に気付いたのか、作業台の上で工具を自在に操っていた男がひょっこりと顔を出す。
「あ、どうなりましたか。お偉いさん方との会議は?」
「滞りなく。今まで通り、”修理”を続行してください」
 瞬時のよどみなく躊躇いなく、レイは作業服の男性にそう言った。
 時空管理局の命令は”解体封印”。
 聖王教会の命令は”調査”。
 提督の命令は”保管”。
「りょうかいーす。てことは今まで通りに手足バラしたまんまで直すんですか?」
「ええ。万が一を考えて」
「ははっ、万が一てそんな。MSが勝手に動き出したりする訳でもなし」
 作業服の男はおかしそうに笑いながら、作業を続行するため機械の中へと再度潜り込む。
 この秘匿施設では、現在一機のMSが修復中だ。腕と脚は取り外され、それぞれ胴体から離れた場所の作業台に固定されている。修理を初めて数か月。資材は乏しく、ワンオフ機故の整備性の悪さからその進行は芳しくない。とはいえ欠損した部品は人外の力によってその多くが一度復元されている。スクラップ同然だった墜落時に比べれば直る見込みは十分にある。
 ほんの少しずつだが、鋼の体躯はかつての姿を取り戻しつつあった。

 

 ――レイの眼前にはヒトを模った鋼の断片がある。

 

 比較的損傷の少なかった頭部、胴体、そして背負った巨大な翼で構成されるその断片を、レイは黙って見上げる。動力が入っておらず、システムも立ち上がっていないその存在が動き出すことはない。光の灯らぬ双眸をレイはただ見つめていた。
 これは危険な決断だ。
 特技はその性質上他の組織と繋がりが薄く、提督は責任者という名の後ろ盾。そして特技の中枢たるこの施設を任され、今まで動かしてきたのはレイ。これらの事実が危ういバランスの元に成り立ち、レイの決断は辛うじて隠されている。
「…………」
 使えるかどうかわからない。使う時が来るのかもわからない。それでもレイには不思議と確信があった。そう遠くない何時か、あいつがこれを必要とする時が来る。
 だから、

 

 ――一鋼の双眸に碧が灯る。けれどもそれは直ぐに消えた。

 

 それは未だ眠りの中に。
 目覚めの刻は、まだ遠い。

 

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///
「――――チッ」
 右手のビームライフルを無照準で出鱈目に乱射しながら、シンは小さく舌打ちをした。
 当てる為の射撃でなく、相手をその場に縫いとめる為の射撃。しかし所詮は小手先の技。剣の将には通用しない。
 振り抜かれる長剣がビームを次々と打ち落とす。対人戦においてはビーム兵器には威力制限がかかるが、それでも並の魔導師の防御能力を完全に破壊する威力はある。
 だというのに。
 相手の武器の形、魔力の質、技の特性。それらの要素からシンは中距離での射撃戦に持ち込もうと試みる。だがシンの思惑の悉くが、炎の魔剣に切り崩される。
 シンと相対するのは炎の魔剣レヴァンティンを持つ騎士。
 名をシグナムという。
「どうした――そんなものか」
 ビームの雨を避け、逸らし、切り崩したシグナムがシンに肉薄する。
 そして斬撃。
「、ッ!」
 炎を纏ったレヴァンティンが振り抜かれる。対してシンは迎え撃つようにシールドを炎を纏った刃へかざす。
(しくじったっ……!)
 インパクトの瞬間、シンは自身の判断を後悔した。相手の攻撃に対して”防御”という選択肢をとったことに対してである。
「はああぁッ!!」
 裂帛の気合とともに振り抜かれるは炎の魔剣。
 強烈なインパクトはシンの身体に強烈な衝撃を与え、その体を容易く浮かした。
 ――即座に次の行動へ。シンは各部のスラスターを駆使し、あえて盛大に吹っ飛んだ。
このまま飛んで距離を稼ぎ、あくまでも中距離射撃戦に持ち込もうとする。
 当然シグナムはその思惑を見抜いている。追撃しようとした騎士に、ビームが飛ぶ。
 シンの本体は宙に浮いて体勢を崩しているが、その右腕だけが精密に稼働してシグナムに狙いを付けている。縫い付けるのではなく、迎え撃つ射撃。近距離ということもあってか、シグナムは追撃を避けて迎撃に専念する。
 MSウェポンは極めて特殊な概念を持つ。実際に稼働するのはシンの肉体だが、それを操作するのはMSの理である。つまるところ脳内で行われたMSの操縦がシンの肉体へ動作として反映されるというのが一番近い。
 だからこそこのような無理がきく。
 センサが敵を認識し、ロックされている限り、肉眼で敵が見えていなくとも精密射撃が可能となる。
 だけどシンが出来たのはそこまで。
 敵を縫い付ける事と距離を稼ぐ事の二つだけ。それらに尽力していたシンは、ろくな受け身も取れぬまま地面に落ちた。叩きつけられ、粉塵を撒き散らしながら地を滑る。
(くそっ……何食わぬ顔で叩き落としやがって……!)
 地に伏せていたのは僅かな時間。シンは即座に各部のスラスターの光を瞬かせながら体勢を立て直し、改めてライフルをシグナムへ向ける。
 MSウェポンはシンの皮膚を装甲と化す。地面に相当な勢いで叩きつけられた身体は土で汚れてはいたが、傷の類は皆無だった。しかし落下の衝撃はシンの意識に混濁を、体に鈍痛を。そして魔剣の一撃は左腕に痺れをもたらしている。
 一合打ち合っただけでこの有様。
(勝てないな。これは)
 純然たる事実として。ただの現実としてシンはそれを受け入れる。
 ばちんと音を立てて、左腕とシールドの接続が解除される。シールドが地に落ちると同時にシンは左手でサーベルを抜き放つ。
 その動作と並行して、右腕のライフルをリアアーマーに増設されたジョイントにマウント。右手にも抜き放ったサーベルを持つ。
 両手に光刃を握ったシンを見て、シグナムは少しだけ眉をひそめた。シンは明らかにシグナムに対して”近距離での格闘戦”を挑もうとしている。
 最初シンはシグナムに対して中距離での射撃戦を仕掛けようとしていた。それはおそらくベストな判断であり、だからこそシグナムもさせまいと距離を詰めた。
 故にシンの判断は愚行に見える。わざわざ相手の得意なレンジで挑もうというのだから。
 ――これは実戦か?
 否。ただの模擬戦だ。
 ――負けたら死ぬか?
 否。気絶か怪我程度で済む。
 ――強敵と当たったことを嘆くか?
 否。
 これは”経験”を得る絶好の機会だ。
「おおおおおおおぉ――!!」
 犬歯と闘気を剥き出しにして、シンが吠える。ボッとシンの背中で青い光が膨れ上がり、最大出力のスラスターがシンの身体に圧倒的な加速を与える。
 迎撃に振られた魔剣に左の光刃を叩きつける。押し切れるとは思わない。過負荷に耐えきれずサーベルの発振器が潰れるのが目に見えている。
 直に叩きつけるのでなく、その威力を剣ごと逸らす。そして空いた胴を右で斬る。
 それがシンの考えだった。
「舐めるな――!!」
 一閃。シンの思考を砕く一撃が振り抜かれる。シンの左手がサーベルを取り落とし、脇腹に魔剣がめり込んだ。
「が、あッ!?」
 肺から空気が絞り出され、意識が漂白されそうになる。それでも脳の片隅でシンは自身の”操縦”を継続する。
 決死の覚悟で振り抜かれたサーベルは、しかし僅かに身体を逸らしただけで避けられる。シンの身体は再び中を舞い、墜落して叩きつけられた。
「ごほっ、ごっ……げほっ……!」
 シンの”人間の部分”が与えられたダメージに反応する。だがシンの”MSの部分”は何事もなかったように動作する。咳きこみながらも青光に弾かれて立ち上がり、再度シグナムに突進する。
 激突する瞬間にシンは身を精一杯屈め、地面を滑るような機動を取った。そこで先程取り落としたサーベルを拾い上げて光刃を起動させる。
 再度二刀流となったシンは二本のサーベルを交差させた。そのまま突き上げられたビームサーベルとレヴァンティンが激突する。莫大な熱量を持つ刃同士がぶつかりあい火花を散らす。拮抗はわずかな間。対人戦であるが故に出力制限のかかったビームサーベルと、魔力によりその威力を向上させる余地を残したレヴァンティン。
 どちらが押し勝つか、非常に明確だった。
 シグナムが怒号と共に剣を押し込み、シンはされるがままに押し込まれ――なかった。
(……ッ!?)
 ぐるん、とシンの身体が回転する。
 MSウェポンはMSの特性を可能な限り再現する。シンが今行ったのは、スラスターの向きと威力を調整しての機動。
 シンの右足が、シグナムの”手”を狙って跳ね上がる。武器でなく、手。武器を握る、手。力押しでは勝ち目がないと学んだシンが導き出した、次の一手。それは”武器”というアドバンテージを奪う事。武器の略奪を狙った奇襲がシグナムへと放たれる。
(かわされた!?)
 だが、シグナムは弾けるように跳ね上がったその蹴りを、後ろに下がって回避した。シンの一手はシグナムの手とレヴァンティンをわずかに掠めた程度で空振りに終わる。
 無理な機動をしたシンと、強引に避けたシグナム。互いに次の一手を出すのに若干時間が必要だった。ほんの少しだけの静寂が周囲を満たす。
 シンは奇襲の一撃の余波を受けて宙に浮いている。無事な着地は到底不可能。再度せめぎ合いが起こったら、もう奇襲は通用しない。奇襲は初見だからこそ意味がある。
 体勢を立て直すのは同時。しかし足場に差がある。地の上にて十分に踏み込みを得たシグナムと、あくまで体勢が戻っただけで宙に居るシン。追撃に叩きこまれた魔剣にシンが対抗する術はない。
 故に本来の結果は直撃である。

 

 ――シグナムの視界の隅を光がちらついた。

 

 それは明後日の方向へ飛んでいくビームサーベル。
 足を跳ね上げたシンはそのまま宙で一回転する最中に右手のサーベルを投げ棄て、ライフルへと持ちかえている。
 追撃と叩きこまれたレヴァンティンの刃とライフルの銃口が激突する。
 正確にはインパクトの瞬間に発射されたビーム。熱の塊と魔力の炎を纏った刃が激突し、二人の間で光が爆発した。
(……最高だ)
 シグナムがビームを弾き飛ばす間に、シンは大きく後退する。
 とっておきの奇襲はいとも容易く回避され、威力的にも現状最強の切り札に等しい零距離のビームを弾き飛ばされた。それでもシンはライフルを向け、サーベルを振りかぶり、スラスターの光を爆発させて。再びシグナムへと突進する。
 かつてここまで苦戦した相手は居なかった。シンが今相対している女性は、ガジェットや犯罪者の魔導師とは比べ物にならない”強さ”をもっている。

 

 それが、無性に嬉しかった。

 

///
「おおう。ボロ雑巾が居る」
 格納庫の片隅でノートパソコンを操作していたシンに声をかけたのは、ヴァイス・グランセニック。六課に所属するヘリパイロットである。
 六課においてMSの整備は格納庫横の大型作業用車両で行われていた。その事もあってかシンは格納庫に出入りする機会が多く、必然ヘリのパイロットであるヴァイスと顔を合わせる機会も多くなっていた。
「……ほっといてください」
 シンは視線をモニタに固定したまま固い声で返答した。
 シグナムとの模擬戦はシンの敗北という結果に終わった。装甲のおかげで直接的な外傷は無いが、ダメージは確実に蓄積されている。現在シンの身体はあちこちに湿布が貼られ、ほぼ全身に軟膏が塗りたくられている。更に本来黒い戦闘服が泥と埃で汚れに汚れて灰色に見える有様である。ヴァイスの言う”ボロ雑巾”はその辺りを指していた。
「しかしまあ手酷くやられたもんだな」
「まあ当然の結果でしょう。相手は近接格闘戦のエキスパートですよ」
 溜息とともにシンが言葉を吐き出した。その溜息は馴れ馴れしい態度で接してくるヴァイスへ向けられたもので、自身の敗北に向けられてはいない。シンはあくまで負けた事を何事もない事実として認識していた。
「……思ったより悔しそうじゃねえな。てっきり滅茶苦茶悔しがってるのかと」
 ほらこんな感じでー、と何処からか取り出したハンカチを噛み締めながらキーッと奇声を上げるヴァイス。シンは軽い頭痛を覚えながら頬をひきつらせた。
「アンタは人をどういう風に見てるんですか……まあ、悔しくないって言えば嘘になりますけどね。シュランゲフォルムくらいは使わせたかったんですけど……」
 そこでヴァイスとのコミュニケーションは打ち切られる。シンは再度手元の端末へと意識を向けた。表示されているのは主にシグナムのみ。それは先刻までの模擬戦を”シンの視点”で記録した映像である。
「これは使える……これは使えない。これは……MSじゃ無理だな。ウェポン時なら使えそうだけど。これは要らない。これは――欲しいけど無理だな」
 ブツブツと呟きながら、シンは猛然とキーボードを叩き続ける。
「何やってんだ?」
 シンのリアクションが無いせいか、それとも単に芸に飽きたのか。ハンカチを放り捨てたヴァイスがシンの手元の端末を覗き込みながら問いかける。
「動きを盗んでるんです」
「へぇ」
「使える……これは……要らない……ウェポン限定……」
「………………」
 シンの呟きと共にキーボードが弾かる。それに呼応して画面の中ではデータが目まぐるしく表示と消滅と変更を繰り返して明滅する。
「――あのさぁ。普通こういう時ってもう少し説明してくれたりするもんじゃねえの?」
「面倒だから嫌です」
「今度飯奢るぜ」
「モビルスーツってのはですね」
「陥落速いな、オイ!」
「ああもう、うるさいなぁ。聞きたいのか聞きたくないのかどっちなんですかアンタは」
 忌々しげに顔をしかめながらシンが吐き捨てる。
「お前さぁ……もうちょい愛想良くできないのかね?」
「善処します」
 何も知らない人間が見たら、この二人を仲が良いとは思わないだろう。
 けれどもそれは正しくない。
 本来のシンの他者との関係の多くは”無関心”である。必要最低限の事のみ話し、聞く。
 接触する人間に対して全く興味を持とうとしない。それが今現在のシン・アスカの基本スタンス。だから例え険悪な空気でも、シンが何らかの”感情”を示している時点でヴァイスは十分に特別といえた。
「もういいです、勝手に説明しますからね。ちゃんと飯は奢ってくださいよ」
「へーへー。わかったわかった」
「モビルスーツってのは、プログラムされた動きは確実精密に実現するんです。反面、入力されてない動作を実現しようとしたら酷く手間がかかる。つまり事前に動作をパターンとして用意しておくのが堅実なやり方なんですよ」
「それと模擬戦での姐さんのデータがどう結び付くんだ?」
「どうせ入力するなら”達人”の動きの方がいいでしょう? だからさっきの模擬戦でのシグナム副隊長の動きから使用可能な動作や欲しい動作をモーションパターンとして解析変換してたんですよ」
「ははーん、じゃあ闇雲に突っ込んでたのはアレか。少しでも姐さんの動きのバリエーションを引き出すためだな?」
「ま、そういうことです。結果ボロクソに負けましたけどね」
 動作を多く収集する理由として、MSでの装甲干渉や可動範囲の問題、またシンの身体の限界という点から使えない動作が多い等がある。だがそれは言う必要がないと判断し、シンは会話をそこで切り上げた。
「おっと。もうこんな時間か」
 ヴァイスの言葉でシンが時計を見ると、時刻はちょうど昼休みを指している。シンは今までの作業を保存し、端末の電源を落として脇に押しのけた。
「じゃあ飯いくか。奢りは次の休日でいいか?」
「構いません。一応言っとくと――――食べ放題じゃないと破産させる自信があります」
 犬歯を剥き出しにして仄暗い表情でニタァと獰猛な笑みを浮かべるシンに対し、今度はヴァイスが頬を引き攣らせた。
「お前、結構ケモノじみてるよな……」

 

///
「あのバカにそんな器用な真似できるわけねーだろ」

 

 呆れたように言の葉を吐き出したのは赤毛の少女だ。長い赤毛は三つ編みにされ、つり上がった大きな瞳からは強い意志の光が発せられている。
 その身体の未発達具合からして、少女というよりも『女の子』と形容した方が正しい様に思われる。しかし少女が身に纏っているのは機動六課の制服であり、彼女はその制服を着るに値する能力を持つ騎士なのだ。
 容姿に釣り合わぬ実力を持ち、分隊の副隊長すら務めるその少女。
 名前をヴィータという。
「あのバカは本来バカな癖に賢いフリしてるからあんな風に根暗に見えんだよ。何かあったら直ぐ剥がれ落ちてバカの地が出てくるようなやつに企み事なんかできねーって」
「……そ、そうか」
 シグナムは軽く困惑していた。鉄槌の騎士の口が悪いのは今に始まったことではないが、これは少々度が過ぎている。
 事の発端はシグナムがヴィータに相談を持ちかけた事にある。シグナムは今朝の模擬戦におけるシン・アスカの狂気じみた行動に”疑惑”を抱いていた。
 信用できるのか、と。
 故に、シグナムは部隊の中でシン・アスカといくらか交流経験があるヴィータへとその旨を相談したのである。といってもヴィータも前線で数回共闘したことがある程度のものなのだが。それでも一回会っただけの自分よりは詳しいだろうという判断したのだ。何せシン・アスカはシグナムと会っていた事を完全に忘却していたのだし。
 まあそれはまだいい。
 二人は遭遇はしたがロクに言葉を交わした訳ではないのだから。それでも気遣いを受けたはやてすらもシンが完全に忘却しているという事実は――憤慨よりも、違和感の方が強い。これらの事も含め、シグナムはシン・アスカに疑惑の念を抱いている。
 しかしながら。シンの人格についての話題になった途端、ヴィータの可愛らしい口からは罵詈雑言が次々と吐き出される。おまけに纏う空気まで何やらピリピリしてきている。
「何かあったのか?」
「……べつに」
 一転。表情が沈み、明らかに声のトーンが落ちる。どう考えても何かあるのだが、どうやら話すつもりはないらしい。会話はそこで途切れ、二人は黙々と通路を歩く。目的地は食堂。そもそも二人は昼食を取りに向かう途中で合流したのだから。
 その食堂の入口に到達したところでヴィータがぽつりと呟いた。
「おー。噂をすればなんとやらってな」
 シグナムもヴィータが見ている方向へと視線を向ける。その先では件のシン・アスカとヴァイスが向かい合って食事中だった。
「んでお前結局どっちの隊に入るんだっけ?」
「まだ決まってません。だからしばらくは仮称でストレンジ1ですね、コールサイン」
「うわ味気ねえ」
「どうでもいいですよ。やる事は変わりません」
「………………あとさぁ。お前それ何とかならねえ?」
「何がですか?」
「いや……食欲失せるんだが、正直……」
 赤かった。
 それがヴァイスの視線を思わず追ったシグナムの思ったコトガラである。別にシンの瞳のことではない。それはシンが自身の手前に置いた定食の事だ。主に食べ物に”ある程度の辛さ”を加える為にテーブルに備え付けられている調味料。シンはそれをこれでもかと――まさしく狂ったような量を昼食に投下していた。故に、赤。元が何色だったのかわからないほど赤で埋め尽くされた定食のなれの果て。
 正直、シグナムも引いた。そしてヴァイスの言葉に深々と同意していた。
 そんな精神衛生上でタイヘンよろしくないモノを、シンは平気な顔で食べ続けている。
どうやらヴァイスの抗議など知った事ではないらしい。
「……足りねえ」
 赤追加。
 さらに増加しただと!? と心中だけで驚愕の声を上げるシグナム。当然シンはそんな傍らの心の声などお構いなしに、更に赤色が増した昼食を黙々と食べ続けている。
「相変わらずバカな味覚してやがんな」
 いつの間にか、というかシグナムが引いて我を忘れている間であろうが、シンとヴァイスが座る席まで移動したヴィータがシンを見下ろしながら呆れたように言う。
 おー、副隊長チースと片手をあげたヴァイスにヴィータは同じように片手をあげて挨拶を返す。シンは――何か思案するように上を見たあと、急に立ち上がった。
 そのままふんぞり返るヴィータなんぞまるで見えてないように素通りし、シグナムの方へ歩き出す。
「シグナム副隊長。今朝はお付き合いありがとうございました。またお願いします」
「あ、ああ。それは構わないが……」
「しかし噂通りの強さですね。それで更にリミッターかけてるんでしょう?」
「そうだが……」
 いや、あれ。放っておいていいのか、アレ。何かプルプルしだしてるぞ――と目線だけでシンの意識をヴィータへと誘導しようとするが、シンは気付く様子がまるで無い。ここまでくると気付いているのにあえて無視しているようにすら思えてくる……というか実はそうなのだろうか。
「…………よう。相変わらずバカな味覚してやがんなこのバカ野郎」
 肩をいからせながらズカズカと歩き、ヴィータはシンの前に回り込む。そこから二言ほど付け加えて先程の焼き直しを行った。
「ああ。居たんですか、ヴィータ副隊長。申し訳ありません。小さすぎて気が付きませんでした」
「――――ッ!!」
 非常に不快感を煽る笑顔を浮かべたシンが、その身長差を誇示するかのようにヴィータを見下ろしながら吐き捨てた。瞬間、ヴィータのこめかみ辺りでビキィとなにやら不穏な音が鳴る。
 おかしい。笑顔とは相手に敵意を伝える為の手段ではなかった筈だが、とシグナムが心中だけで困惑した。口に出そうかとも思ったが雰囲気的に口をはさめそうになかった。
「ところで、シン。六課には慣れたか――?」
「ええー、ヴィータ副隊長。おかげさまで――」
 満面の笑みで言葉を交わす二人。上半分を見れば、小さな上司と少年部下の微笑ましい交流に見えるのだが、下半分が酷かった。その足元で繰り広げられているのは泥沼の抗争。
互いの足を踏みつけようと撃ち出される二人の靴が、ガッガッと音をたててぶつかり合っている。
「みーっちりっ鍛えてっ! やっからっ! ちゃんと付いてっ、こいよッ!!」
「ははー、副隊長もっ! 俺如きにっ! 追い抜かれないでっ! くださいねッ!!」
 より激しくガスガスガスッ! と繰り広げられるとても程度の低い攻防戦。上半分を取り繕うのもそろそろ限界である。というかもう取り繕えていない。
「姐さん姐さん」
 こそこそとシグナムの隣に出現したヴァイスが、内緒話の形態をとる。
「何スかあれ」
「いや、私に聞かれても、正直、困る。こっちも驚いている最中だ」
「何かあったんすかねえ?」
「さあな。任務で数回共闘した程度の付き合いしか無い筈だが……」
 ギリギリとシンの足を踏みつけるヴィータ。一方シンは額に脂汗を浮かべつつも、ヴィータの頭から自分の頭までどれだけ差があるのか手で示し、勝ち誇った顔をしている。
 とてもみっともなかった。
「……子供の」
「……喧嘩っすねえ」
 傍観者の二人は、溜息と共に呟いた。

 

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