A3 ◆m9w7pLzbjk 氏_機動戦士ガンダムSEED DESTINY+A3 _#1

Last-modified: 2011-01-23 (日) 16:55:01
 

機動戦士ガンダムSEED DESTINY+A3
#1選択

 
 

「これはどう言うおつもりですか…シン」
「見たままだと思います」

 

 間接照明が効き落ち着いた雰囲気と言えば聞こえは良いが、ラクス・クラインの執務室は
質素を通り越し殺風景で薄暗い場所だった。
空調が効いているにも関わらず執務室の乾燥した空気が、ザフトのトップガンの証である赤い軍服の上から
肌を直接撫で上げているような気がして落ち着かず、
最高権力の目の前に立つ緊張や過去の遺恨を差し引いても、シンは彼女の前で話す事が苦手だった。

「除隊願いですか。シン、貴方は一体何を考えておいでですの?」
「考えた末の行動だと思ってます」
 左足を肩幅まで開き、背中で組んだ両手を腰辺りに下し、休めの姿勢のまま、
微動だにせずラクスを正面から見つめている。
 暗がりの中でシンの表情は、ラクスからは見えない。
しかし、下手な字で書かれた形式無視の除隊願いが、彼の決意の大きさを物語っているような気がした。

 

 シン・アスカは、所謂ギルバード・デュランダル派と呼ばれる兵士だった。
公式、非公式問わず大戦中多大な戦果を上げシンを含め、戦後彼らは非常に微妙な立場へと
追いやられる寸前だった。
しかし、ラクスは、そんな彼らを、大した罪にも問わず、新生ザフトへ、
ほぼ戦前と変わらぬ地位を用意し向かい入れた。
それらのラクスの行動をプラント、地球圏の人々は、聖母の慈悲や歌姫の慈愛と好ましく受け止めていたが、
内情は地球圏全土を巻き込む大戦で疲弊したザフトに四の五の言う余裕は無く、
人材流出を防ぐ意味合いの方が強かった。

「本当に殿方の考える事は、いつも決まって私の想像の斜め上を行きますのね」

 手元の端末から一時手を離し、憂いを含んだ瞳で執務室の片隅に目を配る。
そして、何か重苦しい感情を吐き出すように、視線をシンに向け直し、机の上の除隊届けを手にとった。
ラクスのシンを見つめる視線こそ厳しく鋭い物だったが、しかし、まるで、それは、
出来の悪い弟を宥める姉や母親のような穏穏やかな雰囲気を含んでさえいた。

「議長は俺の"力"だけが必要なんでしょ」

 シンは、バツが悪そうな様子でラクスから視線を切り、不機嫌な口調のまま、
つい思っている事を口にしてしまう。

「あまり、つまらない事を言っていますと、本当に怒りますわよ、シン」

 今までの諌めるような視線では無く、怒気さえも含んだ鋭い視線だった。

血が昇って火照った感情を冷やせば、残っているのはラクスに対しても自分自身に対しても
見当違いでお門違いな考え方だけだった。

 

 戦争の勝者、敗者を別としてシン・アスカはザフトの軍人だ。
ザフトの理想を胸に、力無き人々を悪意ある者達から守るザフトの剣だ。 
だが、逆の言い方をすれば、ザフト市民の税金で養われ、お給料を貰い、その対価として
市民を守る仕事に就いていると言っても別段間違っては居ない。
軍人に職業意識とは妙な感じもするが、シン・アスカはザフトから給料を貰っているサラリーマンだ。
業務内容である市民を守り、力を振るう事は当たり前の事で、例え気に入らない、受け入れ難い事があっても
不貞腐れて職務放棄とも取れる言葉を言ってのけてしまうのは、非常に情けない行為だ
それが最悪の場合、人の生死に関わる物ならば、尚更個人の"愚痴"は後回しにしなければならない。
 プラントに絞れば、シンは当の昔に成人を迎えている。
にも関わらず、言うべき事と言う必要の無い事、我慢が効かず、義務と権利をはき違えて暴走する癖は
未だに現役で、あまりに幼すぎる自分にシンは、無言で目を閉じる事しか出来ずに居る。
戦い続ける事を"望んで"今の地位に就いたシンが言って良い台詞では無かった。

 

 
「力が有ろうと無かろうと貴方は貴方のはずです、シン」
「分かってます。でも、」

 

「俺はもう」と言いかけて、シンは口を噤んだ。口腔まで競り上がった、
表現出来ない苦い感情を嚥下するのは想像以上に骨が折れた。
 信じた親友も導き手も、何が何だか分からないまま姿を消し、
気が付けば自分は月面から伸びる桜色の光に無意識に涙を流していた。
平和に対する思いも、力を振るう意義も、戦争と言う身体が沸騰するような悪い夢から覚めてしまえば
漠然とした願いの残滓が残っているだけだ。
強い気持ちも滾るような怒りも、今は見る影も無く也を潜め、大事な物が抜け落ち、
鉛のように押せば潰れてしまうような生温い虚脱感と今まで殺めた人の命の重さが
手と肩に重く圧し掛かり腹腔を絶え間なく痛め付ている。

「ならば何故でしょうか、シン」
「それは」

 ラクスは、いつも多くを語らない。静かに相手の瞳を見つめ、慎重に言葉を選び、
頬笑みを浮かべ接して来る。
見つめられれば、心の奥底まで見透かされそうになる異常に澄んだ瞳は、
心底を丸裸にされる恐怖を覚える反面、彼女の前では自分を偽らなくても良い安堵感も同時に覚える。
 人の意思ほど"拙く"適当"な代物は無い。
ラクス・クラインを多角的に見つめれば魔女にも聖女にも見えるだろう。
だが、ラクスの一番深い部分にある感情は慈愛や親愛だ。
時には奇異に映る行動も、全て彼女は誰かを想ってこその行動でもある。
それを人がどう感じ、どう受け取るかは別としてだが。

 

「何故と言っては見ましたが、既に心が決まっているのなら…
 殿方の決意を止められる程、私は強い女ではありません」

 自嘲とも後悔とも取れない弱々しい言葉を漏らし、ラクスは端末をパタンと閉じた。
 機動兵器に乗り戦場を駆け戦うシンとは、また別の意味で疲れているのだろう。
 いつ淹れて貰ったのか冷めきった紅茶を喉奥に流し込み、ラクスは、目頭を抑え深く嘆息する。
 
「すいません。でも、俺」
「謝らないで下さいな」
 
 仕事を効率的に行おうとすれば、使っている道具は重要だ。
ラクスが使っている事務具は、アスクルで買ったようなステンレス製の机と
長時間座っていれば背中が痛くなるような安っぽい代物で、疲れが溜まらないはずがない。
執務室のインテリアも拘ろうと思えば拘れるはずで、もっと高価で身体に負担の少ない家具は数多くある。
戦後直後とは言え、一時に比べると世界の混乱も随分落ち着いた。
世界中で戦火の火種は燻ぶり予断を許さぬ状況では有るものの、議長たる立場の人間が
執務室の体裁を整える時間と余裕くらいはある。
自分で考えるのが面倒であるならば、総務か広報の人間に依頼すれば諸手を上げて率先して
コーディネートしてくれるだろうし、今もその瞬間を虎視眈々と狙っていると聞く。
過剰な贅沢は下品だが、ザフト最高責任者ともなれば、ある意味のハッタリも必要だ。
国のトップが貧乏臭い風貌では諸々の品格にも関わる。
だが、決して彼女は、周囲の厚意を頑なに拒否し続けている。
その中で唯一の贅沢なのか、それとも彼女の趣味なのか、
妙に大きな水槽の中には一匹の大きな熱帯魚が静かに泳いでいた。

 

 シンは、一度だけラクスに「エライ人なのに何故贅沢をしないのか」と
僅かな悪意と皮肉を含み問いただした事がある。
帰って来た答えは、乾いた笑みと『なんとなく…ですわ』の一言だった。
シンは、それからラクスに皮肉を言うのを止めた。
彼女とキラ・ヤマトには言いたい事が山程ある。死ぬまで恨み毎を言い続ける自信だってある。
だが、「なんとなく」と渇いた笑みを零したラクスを見た瞬間、
シンは、自分の中で何かが抜け落ちて行くのを自覚した。
恨みも悲しみも不条理も全てが無へ流れ去った訳では無かったが、ラクス達に感じる
身を焦がすような憎しみは、いつの間にか消えていた。

 

「やはり、止められませんのね。
 わざわざ、アスランとキラがオーブに行っている時を選んで来ているのですもの。当然ですわね」
「一応"隊長"には除隊の事は伝えています」
「あら、意外でしたわ」
「俺だって不真面目ですけど、ザフトの軍人の端くれです。
 上官に最低限の礼儀はあります。許可も無く勝手に消えたりしません」
「貴方が不真面目なら、世の殿方、特にキラなど超不真面目で通ってしまいますわよ」
「議長。俺は真剣に」
「分かっていますわ。それで、アスランは何と言っていましたか?」
 
 幾分か空気が柔らかくなり、苦虫をすり潰したような表情のシンをラクスは苦笑しながら先を促した。

「このご時世に職を失う事がどうとか、これからどうするのとかどうとか、
 力がどうとうか、艦橋で三時間くらい説教されました。その上、除隊届けを破り捨てられました。
 普通預かるとか付き返すとか流れだと思いますし、言いだした俺に原因があるのは分かってますけど、
 説教するなら時と場所くらい選んで欲しかったです」
 
 人の入れ替えも多く、ブリッジクルーが何人も居るミネルバ改修型の艦橋で三時間の説教は、
普通の羞恥心の持ち主ならば顔からチリソースが噴き出るほど恥ずかしいだろう。
人目も憚らない過去の自分を思い返せば、シンも人の事を言え無かったが、
人前でこれからの進路の事で説教されれば、幾らなんでも恥ずかしい。
 
「それが、アスランたるアスランの所以ですわ、シン」
「隊長の性格には、もう慣れました。
 それに、上司が受け入れてくれないから、その上司の上司に願い出たんです」
「そうですわね、彼はキラ以上に純粋です。そして、貴方と同じ位熱血漢なのですから、
 拗らせると纏まる物も纏まらなくなりますわね…
 方向性と意思が重なれば、貴方とアスランほど相性の良い人間もいないでしょうに」
「議長…話しが逸れてます」
「でも、肝心の事が抜けていますわね、シン。それは、女から見れば殿方の狡いところですわ」
「議長、話が逸れて」
「アスランはともかくとして、ルナマリアさんは、どうなさるおつもりですか?
 彼女は貴方の恋人なのでしょう」
「俺はザフトを抜けるだけです。ルナとは今まで通りに」
「私は嘘は悪い事では無いと思います。嘘によって人が救われる事もあるでしょう。
 不器用な人間にとって拙い嘘は美徳です。
 ですが、脈略の無い嘘は本人も他人も不幸にしかしません。
 嘘の使い所は間違ってはいけませんよ、シン・アスカ」

 

 ラクスの、責めるのでは無く諭すなような静かな口調にシンの心は萎縮し撹拌され
胸を掻き毟りたい衝動にかられた。
声を荒立てなかったのは僥倖だった。
シンは、ラクスにザフトを除隊すると告げただけにも関わらず、
シンが最も避けておきたかった事を何の遠慮も容赦なく踏み抜かれた。
降り積もった新雪を最初に踏みしめるる何とも言えぬ快感。
そして、雪が溶け切った後の汚れきったアスファルトのような不快な情景。 
心の奥底に仕舞い込み二度と外へ出す事を望まぬと誓った決意を暴かれる感触は、
正直に言って不快だった。

 

 だが、シンは恋人であるルナマリアに何の真意も告げず、去ろうとしている。
シンは、ルナマリアの笑顔に何度も救われた。
あれだけ縋って慰めて貰いながら何一つ返さぬまま、彼女の元を去ろうとする自分は、
恐らく最低の人間なのだろう。
 

 

「駄目ですよ、それ。俺とルナと一緒に居るとルナが駄目になりますから」
「だから、一人で行くと?」
「もう準備は出来てます。除隊届けが受理されれば、俺は直にプラントから消えます」
「意固地ですのね」
「本当の事…言っただけです。ルナは俺なんか勿体無い女の子です」
「真剣に言っていますの?」
「俺はいつだって真剣です。俺が居るとルナの未来が濁ります」

 

 ラクスは「もうこれ以上の説得は無理だ」と心の奥で溜息をついた。
ルナマリアがシンを好いているのは周知の事実だ。ラクスは、彼女と言葉を交わした事は少ないが、
ほんの僅かな期間触れ合っただけで、ルナマリアがシンに愛情を注いでいるのは十二分に理解出来た。
それ程分かりやすい好意を目の前にしているにも関わらず、目の前の男は
「それは駄目だ」と頑なに拒絶している。
女の自分からして見れば、何が不満なのかトコトンまで追求してみたくなる衝動に駆られるが、
女が男の感情の機微が本当の意味で理解出来ぬように、
男は女の情熱が本当の意味で理解出来無いのだろう。
男女の色恋沙汰は厄介だ。
他人がどうこう言った所で本人の決意が固ければ、どんな的確な助言も意味を為さない。
結局は当人同士の気持ちが大事との結論に落ち着き、なるようになるしか無いのだ。

 

「除隊手続きはこちらでしておきます。理由も深くは聞きません。
 ザフト側からも貴方の行動に特に制約を設けるような事は致しません。
 ですが、シン、貴方は"元"フェイスです。
 貴方のお立場の事、重々承知してこれからの人生を生きて下さいませ」
「俺の勝手な願いを聞いてくれて、感謝します」
「退職金も今まで使っていた口座に月末には振り込んでおきます。
 金額はこれから計算されますが、暫く生活に困る事は無い金額が振り込まるでしょう。
 これは貴方がこれまでプラントに尽してくれた正当な対価です。
 無碍にしないようにお願いします。
 加えれば貴方は除隊扱いですが、即座に復隊出来るように貴方の席も部屋も空けておきますし、
 デスティニーⅡの生体登録もそのままにしておきます」
「議長…俺はもうザフトには」
「そうですね…きっと、私では貴方の決意を変える事は出来ないのでしょう。
 出来るのはきっと、ルナマリアさんだけ。でも、そんな彼女を貴方は拒絶している。
 ですから、貴方が勝手な判断でプラントを去ると言うなら、
 私も勝手な判断で貴方の今後の処遇を決めているだけです。
 勝手と勝手ならば等式は成り立つはずですわ、シン」

 

 シンの"最後"の精一杯の嫌みもラクスは苦笑しながら受け流す。
シンは、もう何を言っても無駄だろうと、ラクスの厚意を素直に受け取る事にした。
ラクスの言葉を信じるならば、ザフトはシンの行動に制限を設けないと言う。
除隊が受理されなければ、逃亡生活も覚悟していただけにこれは非常に有難い申し出だった。
行動に制限と設けない事が、何処まで本当か分からないが、初動はこちらの方が圧倒的に早い。
プラントと関係が薄い国を行けば、当分は大丈夫だろう。

 

「思ってたよりも無茶苦茶だったんですね、議長は」
「褒め言葉として受け取っておきますわ」

 

 一度覚悟を決めてしまえば、男よりも女の方が行動が早い。
ラクスはもう一度端末を開き、関係者へシンの除隊申請を通達し始める。

 

「それともう一つありました」

 

 机の引き出しから、スマートフォンを取り出し作業を止める事無く操作する。
ピンと無骨な着信音が鳴り、シンのスマートフォンに一通のメールが着信された。

 

「空メールで申し訳ありませんが、私のプライベートアドレスです。
 何か困った事があればここにメールをするように心がけて下さい」
「いいんですか?」
「構いませんわ」

 

 ラクスのプライベートアドレスと言えば、政界軍閥問わず、関係者まで
喉から手が出る程欲しいデータのはずだ。
それをこれからプラントを出奔しようとする人間に気前良く渡してしまうなど正気の沙汰では無いが、
危機管理意識と"身内"を天秤にかけれると"身内"に針が傾いてしまう。
それがラクス・クラインと言う人間なのだろう。  
メールをシンに送ったラクスは、もうこれ以上は話す事は無いとばかり、黙々と執務を再開させる。
シンも"もう"これ以上は言葉は無いと、ラクスに深々と頭を下げ、踵を返して執務室を後にする。
執務室独特の乾いた空気をもう感じる事は無い事に奇妙な感慨を覚えていると、
もう一度だけラクスから声をかけられた。

 

「シン、私は貴方が敵なる事が無いように願っています」
「それは有りえませんよ、議長」

 

 モビルスーツに乗って再び戦う。
それだけはこれからのシン・アスカの人生に置いて「絶対に無い」とシンは言い切った。

 

 戦う事が無ければ、敵になる可能性も無い。
 自分の言葉から感じる妙に底冷えのする雰囲気にシン本人も驚いた。

 

「失礼します。御厚意感謝します。議長」
「ご機嫌よう、シン・アスカ。今後の人生に幸ある事を…」

 

 ラクスの視線を背中に感じながらも、一度も振り返る事無く執務室を後にする。

 
 
 

 連合ロゴス派主導で行われたアーモリー・ワンのザフト新型機強奪事件からロゴスの滅亡、
そして、当時のザフト最高責任者のギルバード・デュランダルの乱心と呼ばれた戦争が終わってから、
実に一年半の時が過ぎ去っていた。

 
 

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