A3 ◆m9w7pLzbjk 氏_機動戦士ガンダムSEED DESTINY+A3 _#2

Last-modified: 2011-01-26 (水) 02:47:49
 

#2 誰の為の言い訳なのでしょうか

 
 

 除隊届が受理され私室へ戻ったシンは、あまり多く無い私物を纏め初め始めた。
艦隊暮らしが常のパイロットに取って、基地自室の私物は驚く程少ない。
急な命令がかかれば、トランク一つで戦艦に乗り込ま無くてはならず、私物を増やす暇も無い為だ。
また、一年の殆どを戦艦で過ごす彼らにとって、基地はホテルのような物で、
本当に安らげる空間は母艦の私室なのが常識だった。
 尤もシンの場合は、母艦も基地の風景もほぼ変わらず殺風景を通り越し、首輪でも付けて居ないと、
その内何処かへふらりと消えて無くなるのでは無いかと思う程私物を持たない少年だった。

 

 
「これで最後か」

 

 アスランはオーブ近海でのザフト、オーブ軍、大西洋連合と合同軍事演習の真っ最中だ。
過密スケジュールの演習でこちらの動きが悟られる心配は万に一つも無い。
そして、ルナマリアもミネルバで月周回軌道の巡回警備任務に就き、次に会えるのは一週間以上後になる。
 これ以上、シンを止める人間はザフトにおらず、家族をオーブで失い天涯孤独のシンには、
行動を思い止まる家族も居ない。
止める人間が居ないと分かっていても、なるべく出発は急いだ方が良いと部屋に戻るなり、
超特急で荷物を纏めてみると、二十分もしない内に小さななトランク一つに荷物が纏まってしまった。
 去年の冬の賞与で買った新型の端末と映像メディアと数冊の文庫、数着の私服。
自分自身、私物が無い人間だと思っていたが、まさか、全てが小さなトランク一つで収まるとは
夢にも思っていなかった。

 

「俺って結構寂しい奴だったんだ」

 

 一年以上住んでいたはずなのに、物が一向に増えた様子の無い部屋はある意味異常なのだろう。
シンは、何故か無性に虚しくなり、ハンガーのかけたザフトの制服の皺をもう一度伸ばし始める。
細かい皺を前に無性にアイロンをかけたい気分に駆られたが、
もっと悲しい気分になりそうで、顔を引きつらせ断念した。

 

「そっか制服…」

 

 現実逃避も結構だが、制服をどう返却すれば良いのか聞くのを忘れていた。
私物は良いがザフトからの支給品である、拳銃や制服をどうしようか困ってしまう。
このまま置いておいても良いが、紛失騒ぎでも起きればラクス達に迷惑がかかる。
立つ鳥後を濁さずと言うが、今更戻ってどうしましょうかと聞くのも恥ずかしい。
総務に聞くべきか迷ったが、シンは、机の上のスマートフォンが目に止まった。

 

「早速使うのか…」

 

果たしてこんな事で使って良い物から迷ったが、迷って時間を無駄に使うようりは
建設的だと覚悟を決め、ラクスにメールを送った。

 

『承知しました。
 後で係の者に取りに行かせます、
 支給品は部屋の保管庫に入れて置いて下さいまし。
 出発の前にもう一度メールを送って下れされば、
 保管庫と部屋は外部からロックします』

 

 一分もしない内に返信が届き、「もしかして、監視カメラでも有るのか」と周囲を探ってみるが、
今から出て行く人間が何を気にしているのかと深い溜息をつく。
出発の前から異常に疲れた気がする。
だが、これからは、ザフトやプラントの加護を受けず生きて行かなければならないのだ。
この程度の事でへこたれていては先が思いやられる。

 

「さてと…行こう」 

 

 トランクとショルダーバックを抱え、部屋を後にしようとするが、
シンは、ドアの前でもう一度立ち止まった。
視線の先には、机の上に立てられたフォトスタンドが寂しそうに佇んでいる。
アカデミー時代に撮った写真が一枚、
任務途中のディオキアで撮った写真が一枚、
そして、終戦時に互いの無事を喜びあって撮った物が一枚。

 

 最初の二枚には、金色の髪が印象的で笑み一つ零さない寡黙な少年が映っている。
 レイ・ザ・バレル。
出会いこそ最悪な第一印象だったが、切磋琢磨し幾つもの死線を潜る内に親友と呼べる存在になった少年。
しかし、彼の姿は三枚目の写真には映っていない。
 そして、三枚目の写真に映ってこそ居るが、ヴィーノもヨウランもいつの間にか
シンの前から居なくなってしまった。
戦争の混乱や命のやり取りに嫌気が指したのか、ヨウランは戦後ザフトを除隊し民間企業に再就職した。
ヴィーノもヨウランの選択に戸惑っていたようだが、ヨウランを追うように地球の親戚を頼って
プラントから地球へと移住した。
 ルナマリアの妹であるメイリンは、オーブでアスランを助けると言ってオーブに移り住んだ。
 シンが友達と呼び、友達と呼んだ人はシンの周りから、もう誰ひとり居なくなってしまった。
悲しく無いと言えば嘘になる。
しかし、友達だからと言って彼らの未来を縛る権利はシンは持っていなかった。
 だが、シンの周りから次々に人が居なくなっても、
ルナマリアだけは常にシンの隣に寄り添うように支えてくれた。
そして、そんな彼女にシンは別れを告げる事無く、黙って消えようとしている。

 

「感傷だよな、きっと」

 

 戦争の思い出を"これから"に持って行くつもりは無かったが、
友達との思い出を捨て去るつもりは無かった。
しかし、どうしても、持って行く気にもならず、出発を前に置いて行くつもりだった。
だが、いざプラントから出て行こうとすると、楽しかった日々が鈍い痛みと共に心を騒ぎ立たせ、
苦さと甘さが合わさった疼きが全身を縛った。
 これが今生の別離では無い。
この長い人生の中で同じく位長い時間をかけるも知れないけど、いつか、きっと
あの日のように皆で笑い合える日がきっと訪れる。
現実はいつも嫌な真実を付きつける。しかし、現実がどうあれ、少なくともシンは、そう信じていたかった。

 

 そして、シンが持って行くべきか最も迷ったのは四枚目のフォトスタンドだった。
まるで、他の三枚から隠すのようにうつ伏せに置かれたフォトスタンドには、
シンとルナマリアの二人が映っている。
アカデミー時代から行き付けの色気も何も無い、地元のショッピングセンターで撮った写真には
微笑を浮かべる二人が写っている。
写真を撮った理由は忘れた。確か記念とかそんな感じの他愛も無い理由だ。
終戦直後に二人で撮った思い出の記憶。
だが、写真には、互いの無事を心から喜び合う表情でも、もう戦わなくて良い安堵感でも無い
儚く脆い崩れそうな微笑み"だけ"が写り込んでいる。
それがファインダー越しとは言え、恋人と一緒に写る写真の表情では無い事くらい、
朴念仁のシンにも分かっていた。

 

「だから、駄目なんだよ、それじゃ…」
項垂れベットに腰かけたまま、脳裏に浮かんだ、ルナマリアの頬笑みを消し去るように頭を振るう。

 

 戦争によって刻まれた心の傷は、大なり小なり誰しもに彫り込まれてしまった。
感情や理性がどのような"言い訳"を考えても戦争を忌避し、関わりたく無い心の動きを消せるはずがない。
実際の当事者にしか理解出来ない、表現出来ない生々しい感情は、言葉では
「もう気にしていない」と強がっても、心の奥底では全く別の感情が渦巻き当事者を苛み続けるのが常だ。
 人の感情は"0"か"1"かで表現されるデジタル信号では無い。
最新の物理理論でも機械工学でも紐解けない複雑怪奇な信号が積み重なって創造される感情が
人の持つ心の動きだ。
 むしろ、友達で互いの繋がりが強いからこそ、当時の記憶をより鮮明に思いだしてしまい、
恐怖や怒りが病魔のように犯して行く。
 繋がりが強すぎるからこそ、相手を蝕み傷つける氷の棘。
そして、凍った心を癒し溶かしてくれるのは"時間"でしかない。
長い長い時間をかけて、永久凍土がゆっくりと溶けて行くように人の悲しみは消えて行く。
 いつか、シンも戦争の傷を受け入れ、前に進んで歩んで行くだろう。
 そして、その隣にはきっとルナマリアが居てくれる。
 自分の人生を犠牲にして、シン・アスカに支えてくれるだろう。
 それが、シンは耐えられなかった。
 いつまでも過去の事に縛られ、何一つ自分で決める事も出来ない情けない男にルナマリアは、
微笑浮かべ微笑んでくれる。
 なのに、ルナマリアに何一つ本気で向き合えない自分に、シンは真剣に嫌気が指し、
そして、別離を決意した。
 最低と罵られても罵声を浴びせかけられても良い。
 ただ、ルナマリアがこんな最低な自分の為に輝かしい未来を犠牲にする事などシンには耐えられず、
一緒に泥沼に沈む未来などもっと耐えられなかった。
 ラクスが聞けば恐らく張り手打ちをお見舞いされたであろう話しだったが、
幸か不幸かシンの苦悩はラクスに届く事は無かった。

 

「じゃあさ…行くよ」

 

 誰に告げる訳でも無く、私室のドアをゆっくりと閉め、ラクスに出発を告げるメールを打つ。
 程無くラクスからの返信を確認したシンは、私室の施錠を確認し、人目を避けるように歩き出した。
 これからの事も何一つ決めていない行く宛ての無い旅立ち。
 立てかけた写真を全部持って来てしまったのは、感傷以外何でも無かった。

 
 
 

「本当に不器用な人…」

 

 
 シンからのメールを確認するとラクスは深い溜息を付いた。
 こうなるであろう事は、シンがラクスの直属の部下となったあの日から
漠然としてではあるが予感はあった。
 終戦直後、オーブの慰霊碑前でラクスは、シンと再会している。
その時は、特に違和感を覚えなかったが、ラクスはシンとプラントで再会した時、
己の内に芽生えた違和感の正体に気が付いた。
燃えるような赤い瞳こそ健在だったが、瞳からは弱々しい光しか感じ取る事が出来ず
傷つき、心折れ、悲嘆にくれた身では、これからの苛烈な戦いに付いて行けないと。
そう感じさせるだけの弱々しさがシンからは溢れていた。

 

「私です聞こえていますか?」
『何でしょうか議長』

 

 秘書室への内線を鳴らすと2コール以内に彼女の副官が返事をする。
今から彼女に命令すれば、シンはザフト軍、つまり帰る場所を失ってしまう。
プラントの市民番号こそ残っているが、ザフト軍こそ彼の帰る故郷であり、
本人が望んだ事とは言え、オーブの事を含め彼の帰る場所を消してしまう行為にラクスは二の足を踏んだ。
 オーブでの出来事は真偽の程は定かでは無い。
乱戦状況の戦場で確約された証拠も無い。
あるのは当事者であるシン・アスカの証言と状況証拠のみ。
だが、ラクスの想い人が、"シンの帰るべき場所"が消えてしまった現場に居たのは紛れも無い事実なのだ。
 ラクスはもう一度深い溜息を付き、執務室の乾いた空気を吸い込み瞑目する。
次に目を開けた時には、表情こそ憂いを含んだ物だったが、
口から洩れた声は凛としたプラント最高評議会議長ラクス・クラインの物だった。

 

「シン・アスカのザフトでの登録と行動履歴を現時刻を持って抹消して下さい。
 以後の処理は通達した通りの内容です。処理後は通達文章を物理的に破棄。
 護衛の方々はケース37を想定して任務続行をお願いします。
 以後の判断は議長である私が預かります」

 

 ラクスの声に、副官も何かを感じ取ったのだろう。
 僅かな迷いの後、軍人の表情を取り戻した副官は平静に努めた。

 

『宜しいのですか、議長。
 言いたくはありませんが、彼ほどの技量の持ち主がプラントを出奔したとなれば、
 ロゴス残党を含め、連合、非合法組織や世界に仇為さんとする者達が接触を図るでしょう。
 最悪プラントや世界に弓引く存在になりにでもすれば、議長の進退も危うくなりますが』
「構いません。以後の責任は全て私が持ちます。
 二度繰り返します。シン・アスカの件は私が責任を持って預かりますと関係各省に通達をお願いします」
『承知しました。シン・アスカのザフトでの認証コードを現時刻を持って破棄します。
 これより彼は、只の人間"シン・アスカ"に戻りました。彼の未来に幸運のワインを3ダースほど』
「急な割り込みにお手数おかけしました。感謝します」
『勿体無いお言葉です、議長』

 

 副官はいつもと変わらぬ声色で内線電話を置いた。
ラクスは、内線が切れると同時に席を立ち、水槽にもたれかかった。
水槽には一匹の魚が泳いでいる。
照明が当たった鱗が桃色に強く発光し、羽衣のように大きく伸びた背びれが水面を大きく揺らす。
次いで、ラクスの迷いを見透かすように、赤黒い瞳の下の複眼が彼女をギョロリと盗み見た。
発光する桃色の鱗も大きく伸びたニビ色の背びれも凡そ自然界には存在しない色調だ。
S2インフルエンザの再来を恐れたプラント医療関係者が、臨床実験の為だけに
彼の遺伝子情報を弄りし、彼をコーディネートした。
その行動に他意は無い。
ウイルスとワクチンの関係はイタチゴッコだ。
薬学ノウハウが地球に比べ劣っているプラントならば、未知の病気に備えるのは当たり前の事だ。
彼が生み出されてしまった事に他意は無い。

 

「相変わらず可愛くありませんのね」
 機嫌が良さそうに水槽を泳ぐ"同居人"をラクスは不機嫌そうに見つめる。
新薬配合の為品種改良され、破棄される寸前だった"彼"をラクスは技術部から無理を言って引き取った。
担当者に言わせれば、彼には五歳児程の知能があるらしい。
姿は魚だが自我も感情も持ち合わせた極めて高度な知能を持ち合わせた存在だが、
水をかけたり、糞を飛ばしたり、ラクスをからかうように悪戯には、出生は気の毒だが、
はっきり言ってムカついている。

 

「同居人が、これだけ悩んでいるのに、貴方は素知らぬ顔で悠々自適なニート生活ですの?
 本当…世の殿方が貴方のような殿方なら、もう少し女は楽になるでしょうに」
「聞いていますの」と水槽を不機嫌そうに鳴らすと、同居人は、抗議するとばかり水面を尾びれで鳴らした。
「貴方に言っても仕方ないのかも知れませんが…たまには愚痴くらいお聞きなさいな」
桃色の不思議物体は、愚痴聞きもごめんだとばかり、水草が生い茂った水槽奥の
自分の寝所に戻ってしまった。
後に残されたラクスは、エアーポンプ水槽に背中を預け、何も無い執務室の天井を眺めた。
「祇園の鐘鳴る紫部の社や、さりとて我、落城の従なりて…ですわね。聞いていますか?
 後悔は先に立たない。全ては後の祭り…と言う意味らしいですわ。
 本当、この唄は誰に向けての言い訳なのでしょうね」

 

 当たり前の話だが、魚は何も答えてくれなかった。

 
 

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