A3 ◆m9w7pLzbjk 氏_機動戦士ガンダムSEED DESTINY+A3 _#4

Last-modified: 2011-02-06 (日) 23:44:10

#4 有料って…この守銭奴!

 

 オーブ近海から出発した、プラント連合合同軍事演習は、赤道直下のインド洋に指しかかろうとしていた。
 オーブの象徴とも言える巨大空母タケミカヅチの甲板には、
メサイヤ戦後完全改修を行われた赤いウイングユニットが特徴的なデスティニーⅡと
格闘戦に秀でた赤い装甲のインフィニットジャスティス、
そして、白い装甲と総計十二門のドラグーンが搭載されたバーティカル・フリーダムが
直立不動の状態で大海原を見渡すように制止し、その周りを計七機のF型装備の105ダガーが並び、
眼下で繰り広げられている対人訓練を見下ろしていた。

 

「どうした若人…もうしまいかの」
「まだ…まだあ!」

 

 人を食ったようなしわがれた声と獣のような咆哮が甲板に響く。
見れば皺だらけの人民服に身を纏い豊かな顎髭を蓄えた老人が、甲板で膝を付くシンをせせら笑っている。
老人の見た目は、か弱く貧相な印象が拭えないが、低くしゃがれているが巨大な鉄芯が入ったような
野太い声色はシンの耳朶を強く穿った。
 老人の纏う気は鉛のように重く鋼鉄のように頑強で、ただ単純に前に出ただけでは、
先ほどのように返り討ちに会うの目に見えている。

 

「なんじゃ…やっぱりお終いかいの」

 

 攻め手を封じられ、攻めあぐねているシンに老人は深い溜息を吐く。
 挑発されている直感したシンは老人に好戦的な視線を向け怒気を滾らせた。

 

「まだ、行ける!」
「まっ…負けん気だけは及第点じゃがな。お前さんとザラの子倅以外は、全員伸びておるぞ」

 

 老人の言う通りタケミカヅチの甲板の上には、屈強な男達がピクピクと情けない擬音を上げ昏倒している。
その様子はまさに死屍累々と言った有様で、連合でも生え抜きの海兵達と
遺伝子調整を受けたコーディネーターの中でも更に秀でたザフト兵が仰向けに倒れている様子は、
まさに、指揮官達から見れば悪夢その物だ。
モビルスーツに乗れば無敵を誇るキラ・ヤマトも、老人から顎と鳩尾に景気の良い一発を貰い、
完全に気を失っていた。

 

「勇む蛮勇は好ましい。しかしてこの彼我戦力差。どのようにして埋めるつもりじゃ赤目の童」

 

 老人と自分自身の戦闘能力の差など、この半年で嫌と言う程刻み付けられた。
モビルスーツに乗れば地球圏で五指に入る腕前を持つシンだったが、
徒手空拳での戦闘では、老人の前では赤子に等しい存在だ。
シンは、僅か数ヶ月の訓練でナイフを用いた模擬戦で指導教官を圧倒した経歴を持つが、
そんな輝かしいキャリアも老人の前では紙切れ以下になり下がってしまう。
象と蟻以上の実力差が二人の間に悠然と立ち塞がっているのだ。

 

(目の前で消えるとかあり得ないだろ…)

 

 心の中で毒づくが、目の前で起こっている珍現象は間違い無く"現実"なのだ。

 

「クソ!」

 

 自棄になったわけでは無いが、大した考えも無く老人に突撃する。
内功によって練られた気が全身を駆け抜け両足に蓄積された内勁が爆発する。
身を低くし、踏み込んだ脚力が爆発的な加速を生み、一拍の間を置き手刀を振るった。
五メートルの間合いを一呼吸の間で詰め寄り、抜き身の刀のように鋭い軌跡を描き老人の首元に肉薄する。

 

「当て気が多すぎる。しかも、雑じゃ」

 

 老人は、シンの手刀を溜息混じりに避けると、文字通り目の前から消失する。
はっと、気が付けば、老人はシンの後ろで退屈そうに鼻をほじっていた。
「っ!」

 

 寒気が背中を駆け抜け、振り向く事無く反射的に距離を取る。
詰めた間合いは五メートル。しかし、逃げるようにして広げた間合いは十メートル以上。
明らかに老人に臆した結果にシンは屈辱に顔を歪め、深く、更に鋭く構えを直す。

 

「…怪物め」
「阿呆め。相手を罵る暇があれば、勝つ方法を思考し体現せんか。考えるよりも感じろとは誤用じゃぞ。
 感じる前に考え、考えるように感じるのが武の気質じゃ。
 反射と思考の融合を持って初めて武の出立点となる…まぁ童は考える頭を持っとりゃせんがの」

 

 カラカラと笑う老人を前にシンの額に怒りの四つ角がダース単位で浮かび上がる。
相手を怒らせ思考と行動を制限する。
体力と膂力で劣る者が強者に立ち向かう常套手段だが、老人の場合はひん曲がり多項式のように
湾曲している地の性格故だろう。
だが、性格が歪みきり人格破綻した爺さんであろうとも老人は強かった。
こちらの攻撃は全く当たる気配を見せないのに、老人の攻撃は面白いよう命中する。
訓練開始時には都合二十人居たコンクルーダーズ隊員で気を失わず立っているのは、
最早シンとアスランの二人だけ。
慄然とした戦力差に悪い意味の笑いが止まらない。
老人の攻撃が命中し続けるのは、視覚の誘導や思考の間隙を突く歩法の類では無い。
そんな小細工を使わずとも、彼は"常人"では見る事も出来ない超高速で動く事が可能なのだ。
完全にコーディネーターの限界を超え、いや、既に人間の限界を超えた動きだった。

 

 老人の名前は李舜生。
プラント最高評議会議長となったラクス・クラインと大西洋連合総司令官が
ある日ふらっと連れて来たのが李舜生だ。
詳細不明、正体不明、年齢不詳の武仙と呼ばれる怪しさ炸裂の老人にシンは、
最初こそ懐疑的な視線を送ったが、数時間後には認識を強制的に改めさせられた。
プラントと連合が合同で人材を出資した、特殊平和維持軍コンクルーダーズの
特別顧問になった経緯もまた不明だ。
 後で知った事だが、李は、裏社会では黒の死神として名の通った人物で有名な老人だそうだ。
しかし、その性格は本気でねじ曲がり、裏の専門家としての矜持よりも自分が面白い方に興味が向く
偏屈な老人としても有名だった。
 だが、本人の性格は歪でも、身に深く刻みこまれた武術と知識は一騎当千の一言に尽きた。
 一国の軍隊を一晩で壊滅させただの、タオルに気を通しストライクダガーの足を裂断しただの、
嘘か本当か論じるのも馬鹿らしい逸話も実際に手を合わせれば本当の事であると実感出来る。
 そして、シンは、李が噂通りの"怪物"である事をこの半年で嫌と言う程味わって来た。

 

「そろそろ飽いた。本日の締めといかんかの。老体に海原の陽は毒じゃ」

 

 李の纏った気が重苦しい鉄の感触から炎のように熱く激しい物へ変質する。
重積層合金製の甲板は太陽光の照り返しが激しく、
立っているだけで全身から汗が噴き出し体力を消耗する。
海原が流れてくる生温い海風が、ジトリと湿った背中に酷く不快だったが、
それ以上に李の放出する重圧にシンの下腹が締め付けられるように痛んだ。

 

「弦を使っていいなら、俺だって」
「まだ、そんな事言っておるか童が。弦を使う。拳を使う。その程度のこと関係無いわ。
 童がワシに敵わんのはお前が弱いからじゃ。
 全身の遺伝子を弄っても、こんな老人一人倒せない程度に脆弱じゃからじゃの。
 ほれ、まだ、意識が"弦"に向かっておる。そんなに気になるんなら、さっさと使え」
 シンの意識の中ポケットの中に"弦"に向いた瞬間、老人から感じる重圧が膨れ上がるのを知覚する。
襲歩(ギャロップ)だと気が付いた時には、老人の姿はシンの視界から"消失"し、
背中にロケット砲が直撃したような衝撃を受ける。
シンは、文字通り野球ボールのように甲板を跳ね、デスティニーⅡの足に激突し漸く動きを止めた。

 

 
「言わ…せて…おけば」

 

 気絶しそうな痛みに耐え、身体に鞭打ち何とか立ちあがる。
口の中を切ったのか鉄臭い香りが鼻腔の奥に滞留し、撹拌された胃液が喉奥から競り上がってくる。
鼻腔の奥に熱を感じ、ヌルリとした感触の鼻血を拭い落とし、
揺れる視界と裏腹に冷え切った瞳と煮えたぎるような怒気に促され、シンは、乱暴に"鼻血"を拭った。
モビルスーツの装甲に全身を強く打ち付け、圧倒的とも言える実力差を前に萎える所か、
益々戦意を高めている。
李は、シンの様子に満足気に頷き好々爺の如く表情を崩すが、纏った気は更に大きく膨れ上がらせていた。

 

「わしの発剄を受けて、気を失わんとはな…童は生来の外家かと思っておったが、
 内家の素質もあるのでは無いのか。
 しかし、まだまだじゃ未熟よの。もうちっと内功を練っておれば、
 この老いぼれの発剄など物の数ではあるまい。
 先輩であるザラの小倅を見習ってはどうじゃ?赤目」
「さっきからベラベラと…喋りすぎなんですよ、あんたは」
「シン、よさないか!冷静になるんだ。相手が挑発してる事くらい分かっているはずだ。
 今は距離を取って体力を回復させるんだ!」

 

 荒れるシンに、痛む肩を抑え荒い息を吐きアスランが大声で告げる。
だが、頭に血が昇ったシンに、アスランの助言が届くわけも無かく、
むしろ、日頃から苦手意識が先に出る"隊長"の正論に、益々神経を昂ぶらせ今にも飛び出さん勢いだ。

 

「隊長は黙ってて下さい。このクソ爺さん。こっちが黙ってれば、いけしゃあしゃあと。
 今すぐその口を黙らせてやるんだ!」
「おおう、構わん構わん。切にやれ。なんなら弦を使っても構わんぞ。
 やはり、弦を使うならば?法を会得し十五雷正法まで行くのが王道よの。
 中途半端に内功を覚えるのも酷やも知れん。四爆までなら無料で教えてやるぞ。
 そっから先は有料じゃが」

 

 紫水晶で出来た李の左目がシンを小馬鹿にするように不気味に蠢く。
「有料って…この守銭奴!」
「格安で教えてやるわ。!門外不出。桃源郷の符術を無料で教えるわけなかろうが。
 もうちっと考えんかの。ほれ、早ようこい」
「そんなに弦を使わせたいのかよ!なら、やってやるさ、後悔するなよ、クソ爺さん!」
「シン、無手の相手に弦を使うな!やり過ぎだぞ」
「ザラの小倅は黙っておれ。未熟な心で撃つ未熟な技など、物の数では無いわ。
 だから、女に手を出す事も出来んのじゃ、まさに心の身体もサクランボよな」

 

 李から浴びせられた嘲笑と童貞の一言でシンの堪忍袋の緒が完全に切れた。
日頃から完膚無きまでにボコボコにされるのは、シンの功夫が足りない物として、
罵声も嘲笑も甘んじて受ける。
しかし、シンがルナマリアに"手"を出さないのを笑われるのは捨て置けない。
別にシン・アスカがゲイと言うわけではない。
むしろ、年齢相応に性欲もある。
だが、幾ら目の前にニンジンがぶら下がっていても、絶対に手を出さなければならない道理は無い。
出せないからこそ悩み苦しみ、恋人との微妙な距離感が掴めず悩み、表現出来ない鬱屈した感情を
抱え込む様子を見透かされたような気がして完全にキレてしまっていた。

 

「あんたは一体なんなんだ!」
「お前さん、そればっかりじゃの…」

 

 罵声と裂帛の気合と共にシンの指から三本の銀光が放たれる。
総延長50メートルのタングステン製の弦が空気を鳴動させ、まるで、生き物のように甲板を撃ち跳ね、
前後左右から縦横無尽に跳ねまわり李に襲いかかった。
全方位から迫る銀光を李は涼しい顔のまま嘆息し、まるで、未来が見えているかのように鮮やかな避け、
霞みのように姿を消失させる。
目標を失った弦は甲板の装甲を細切れに切り裂き、互いに絡まり合い動きを停止させた。

 

「未受過訓練的年輕男子。作出認真反省」
「ガッ…」

 

 "人類"離れした李の震脚でモビルスーツの行軍でも傷一つ付かない甲板の装甲が歪み
爆音が大気に木霊する。
李の掌打がシンの鳩尾へと深々と突き刺さり、衝撃が全身を伝い内臓を押し上げ、背中を突き抜ける。

 

「あ…」

 

 神経が痛みを訴える前に脳が信号を拒絶しシンの意識を強制的に遮断させる。
打ち込まれた気によって心臓が爆音を上げながら脈動し、反比例するように瞳が光彩を失って行く。
シンは、人形のように力無く四肢を投げ出し、師でも有り敵でも有る李に不本意だが身体を預けてしまった。

 

「まっ…ワシに言わせれば、コーディネーターもナチュラルの大差の無い存在じゃがの。
 ほんの少し遺伝子を弄くり、容姿や活剄を向上させた程度の存在に何を恐れる必要があるんじゃか。
 先達が培った数千年にも及ぶ研鑽の前には、たかが百年にも満たぬの歴史など泡沫の如き。
 外気を鍛え、内功を練り、日頃の修練を欠かさなければ、出発点の違いなど瑣末の出来事よ。
 持たぬ物が持てる物を羨み嫉妬するのは構わん。
 それが強きが弱きを搾取する自然の摂理。弱者の特権、強者の被るべき業じゃ。
 力で劣るならば力を鍛え、知恵で劣るなら鞭撻を忘れるな。
 敵の短所にこちらの長所で打ち勝っても心に闇を募らせるだけじゃ。
 弱者が知恵を絞るなど山岳の香良洲と知れよ小童共。長所に長所で打ち勝ってこそ初めて人は報われる。
 相手を超え、傅かせ、屈服させ、完膚なきまでに打ち倒すこそが人生の艶と言う物よ。
 つまらん事を言っとる暇があれば研鑽を積み、敵を打倒する術を摸索せい。
 スペック差を覆す事がこの世の楽しみでは無いか!」

 

 確かに李の言う事も一理ある。
所詮言い繕っても人生は何処まで行っても勝負事の連続だ。
膂力が勝る相手に速度で勝負を打ち倒す。
よくある比喩だが、膂力で勝負する点に置いては敗北していると同義である。
どんな方法で勝利しようが勝利は勝利である。
しかし、人間は不器用な物で、ふとした瞬間に敗北の記憶を思い出す。
速度では勝ったが膂力で負けた。
心に積もった闇はいつか限界を超え、人を奈落の底へと誘う篝火となる。
努力、才能、運。
人生にはあらゆる要素が複雑に絡まり勝敗決する要素となるが、勝敗の根幹は基本性能の差がこそが
単純な優劣を決める要素だ。
強い者が勝ち弱い者が負ける。
どんな言い訳をしようとも、負けた人間が弱く、勝った人間が強い。
いかなる困難や不確定要素も己の身一つで打倒するだけの力を身につけ
「見苦しい言い訳をしている暇があれば、時間を無駄にせず切磋琢磨せよ」と、
李は言っているだけなのだが、言い方が非常に極端で偏屈な物言いは付き合いが短いと
なかなか理解する事が難しい。

 

 
「あの…李師父」
「なんじゃい、ザラの小倅」
「非常に有りがたいお話なのですが。私以外皆気を失っています。
 出来れば目が覚めた時に言って頂ければ…助かるのですが」
 

 

 黒板を背に上機嫌で抗議を始めた李にアスランが、表情を引きつらせ注進する。 
 李は微苦笑を浮かべながら、アスランへ向け"シン"を放り投げた。

 
 
 
 

「…今見る夢か…これ?」

 

 苦いような楽しかったような過去の記憶を夢見たシンは微苦笑を浮かべ、
座り込んだベンチから目を覚ました。
初夏の日差しが爽やかに指し込む昼下がり。
繁華街から程近い小さな公園で惰眠から目覚めたシンは、ぼんやりと周囲を見回した。

 

「静かだよな」

 海が近いせいか潮の香りが微かに鼻腔を擽る。
遠方を見れば小高い山が連なり、ここが山と海に囲まれた土地である事を強く意識させられ、
シンは自分が地球に降り立った事を実感した。
沿線から聞こえてくる快速電車の音と年若い母子の笑い声が、戦争の苦い記憶をを一時とは言え
忘れさせてくれたが、ここにはシンを知る者は一人もおらず、心を縛る柵も何一つ無かった。
しかし、意外にも心に積もったのは解放感では無く、小さな寂しさだった。
オフィス街から切り取られた一角には日々の喧騒は届かない。 
吸い込まれれば戻ってこれないと思わせる宇宙の暗さも、
翼を失えば死が明示される大空の冷たさもここには無い。
もう、戦わないと言う脅迫にも似た義務感に身を預けながらシンは再び目を閉じる。

 

 
「自由って言うのも…暇だよな」
「ふざけないで!由香里を離しなさいよ!」

 

 平和を噛みしめるのでは無く、持て余すように感じる黄昏れるシンに少女の怒声が届く。
 東アジア共和国日本自治区"神戸"
 ここからシン・アスカの運命は加速して行くこととなる。

 
 
 

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