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Last-modified: 2012-09-23 (日) 01:18:08

 医務室のベッドの上で全身を包帯で覆われ、無数に伸びた管につながれている少年がいた。今も眠り続けている彼こそが、数時間前まで〝ストライク〟に乗っていたキラ・ヤマトだ。
 キラは、ややあってからうっすらと目を開いた。ぼうっとした頭で周囲を見渡す。ここはどこなのだろうか。
 虚ろな目のまま体を起こそうとしたキラだったが、全身に伝わるチューブや点滴を見て、驚きもせずに脱力した。そんな彼の横のベッドから不機嫌そうな声がきこえてくる。

 

 「もう目が覚めたか。流石は……と言っておこうか」

 

 この声は、カナードの声だ。声に出して彼の名を呼ぼうとしたが、麻酔が残っている所為かそれは適わないようだ。身体の重さを残したまま周囲に眼をやると、同じように包帯だらけになったアムロが眠っていた。

 

 「ああ、そいつは当分目が覚めないだろうな」

 

 嫌みったらしく言うカナードに、キラは不思議な安心感を覚えた。もう一つのベッドは空になっている。しかし、人がいた形跡もある。

 

 「『エンディミオンの鷹』は少し前に出ていった。打撲と、肋骨にヒビ。一番軽傷だ」

 

 良かった、とキラは思った。そしてカナードの容態を知るべく、ところどころに包帯を巻かれた彼を虚ろな目で見つめた。彼の傷はどうなのだろう。

 

 「……教えてやらん」

 

 カナードは不機嫌そうに鼻をならして睨みつけた。
 今度こそ、キラは心底安心した。アムロも、ムウも。カナードも無事だったのだ。ここは恐らく〝アークエンジェル〟の医務室だろう。それならば、トールもサイも、ミリアリアも、カズイもみんな無事のはずだ。当然フレイも――。
 そこまで考えてから、キラは目を見開いた。フレイ――。そうだ、ぼくは……。キラの目に光りが戻ってくる。

 

 「おい、なにをしている」

 

 カナードは突然立ち上がろうとしたキラに、驚いて目をやった。

 

 「う……あ、……あ…………っ!」

 

 フレイが……! ぼくは、フレイのお父さんを!
 声にならない唸り声をあげるキラのベッドをカナードは包帯を巻いていない左足で蹴りつけた。ガタンッと音を上げてベッドが揺れたが、キラは気にもせずに、起き上がろうと必死にもがき続けた。

 

 「あの生意気な小娘のところに行こうというのなら、止めておけ。貴様が行ったところでどうにもならん」

 

 ――でも、ぼくはフレイと約束をしてしまった。『大丈夫』だと、言ってしまった。
 キラに後悔と悔しさの入り混じった感情が襲い掛かる
 必死に起き上がろうとするキラにカナードは今度こそ盛大なため息をついて立ち上がった。彼も相当無理をしているのか、一瞬苦痛に顔をゆがめたが、すぐにいつもの挑発的な面持ちに戻った。無言でキラについている機材を剥がしていく彼に、キラはお礼を言おうとしたがその前に声がかかる。

 

 「――貴様はこのオレに借りを作ったことを、死ぬ直前まで後悔しろ」

 

 相変わらず不機嫌そうに顔を顰めていうカナードに、キラは心のそこから感謝した。無理をした所為で、既に腹部からは血がにじんでいる。彼は兄のような友の肩に担がれるようにして、医務室を後にした。

 
 

PHASE-7 フレイの選択

 
 

 地球連合第八艦隊、数十にものぼる戦艦、駆逐艦に囲まれるようにして、中心に二つの艦が隣接して航行している。旗艦〝メネラオス〟と〝アークエンジェル〟である。
 その光景はまさに壮観であり、それら全てを枠に収めようとするならば、玩具の船のように小さくなるまで離れなければならないだろう。

 

 「しっかし、いいんですかね? 〝メネラオス〟の横っ面なんかにつけて」

 

 〝アークエンジェル〟の艦橋で、ノイマンが冗談交じりの懸念を口にする。

 

 「ハルバートン提督が艦をよくご覧になりたいんでしょ。自らこちらへおいでになるということだし」

 

 マリューは医務室で意識不明となっているキラたちの事のことを考え申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、無理やり笑みを作りながら言った。普通はこちらが呼びつけられる立場だ。 
だがハルバートンはきっと、自分が力を注ぎ込んだこの艦に乗り込みたくて、今もうずうずしている違いない。彼こそが、これからの戦況を左右する兵器として、誰よりも強硬にこの〝アークエンジェル〟とXナンバーの開発計画を後押しした、マリューからすると直属の上司とも言える人物だ。
 現在〝アークエンジェル〟の艦橋には、サイやミリアリアといった少年兵たちは一人もいない。みなそれぞれ部屋に戻り、自分達のことをしているだろう。いや、フレイのところにいるのかもしれない。それともキラの眠っている医務室だろうか……。ふと思い立ったマリューは、「ちょっとお願い」と言い終えてブリッジを出た。
 「艦長」
 あとからナタルの声が追ってくる。二人はエレベータにそろって乗り込んだ。扉が閉まると、ナタルが切り出す。

 

 「〝ストライク〟のこと、どうなさるおつもりですか?」
 「『どう』とは?」

 

 わからずにマリューが聞き返すと、じれったげにナタルは言う。

 

 「あの性能だからこそ――コーディネイターが乗ったからこそ、あのモビルスーツはまともに戦う事ができたということは、すでにこの艦の誰もがわかっていることです!」

 

 彼女の意思を悟り、マリューは硬質な目で相手を見やった。ナタルはそんな彼女の目を見返し、尋ねた。

 

 「……彼も、艦を降ろすのですか?」

 

 はじめはコーディネイターに機密を触らせることさえ嫌がったくせに、と、マリューはつい考えてしまう。割り切りがいいのは立派なことだが、割り切りが過ぎるのではないか。

 

 マリューは答えた。

 

 「――あなたの言いたいことはわかるわ、ナタル。でも、キラ君は軍の人間ではないわ。幸いこの艦にはもう一人……パルス特務兵が乗っている。彼になら――」
 「〝ストライク〟は大西洋連邦の兵器です! ユーラシアの兵士になど!」
 「力があるからといって、彼を強制的に徴兵する事はできない。そうでしょう?」

 

 〝アルテミス〟につくまでは、ユーラシアだとか大西洋だとか、そんな事を微塵も気にしなかった彼女に少しばかり苛立ってマリューが問い返すと、ナタルは黙った。だがその目には不満げな色がまだ残っていた。

 
 

 キラはカナードの肩を借りて、一歩一歩、歩むごとに体を走り回る痛みに耐えながら、ゆっくりと居住区へ向かう。通路の向こうから、すすり泣くような声が聞こえてきて、二人は足を止めた。

 

 「――いやよ……なんで、なんでパパが……! どうして……パパ……」
 「フレイさま……」

 

 落ち込んだ様子のラクスの声も聞こえる。二人はそこに向かって歩き出した。転がったドリンクのパッケージが挟まり、自動ドアが際限なく開閉を続けている。
 部屋の中には、父が死んでからずっと泣き続けているフレイと、寄り添うラクスがいた。膝を抱えて、うつむいているフレイの姿が、ドアが開くたび点滅するように視界に入る。

 

 「わたくしは……、すべての人を幸せにできると言われて育ってきました。わたくしは……その資格があるって……」
 「……出てってよ」
 「わたくしは……あなたの――」
 「――出てってよ!」

 

 フレイだけでなく、ラクスも泣いているようだった。彼女の拒絶に、打ちひしがれ視線を落とすラクスの様子が目に入る。キラたちが部屋の前に差し掛かると、通路の奥からトールとミリアリアがやってきたのが見えた。

 

 「お、おい! 大丈夫なのかよ!?」
 「足元、血が……」

 

 彼らの心配げな視線がキラにはありがたかった。キラは二人に微笑むと、自分の傷が開き足を通じて床に血が流れてることも忘れて部屋に入った。
 フレイは衣服を乱し、髪もくしゃくしゃの、普段の彼女から想像もできない姿で、膝を抱えて泣きじゃくっていた。

 

 (――パパの船……)

 

 キラは、守れなかった。
 フレイがこちらに気づく。彼女は一瞬驚いた顔をしてからギッと睨んだ。

 

 「――うそつきッ!」

 

 その目の凄さに、キラはおのれの守れなかった命の重さを痛感する。それから彼女は、今まで溜めたものを吐き出すかのように金切り声を上げた。。

 

 「『大丈夫』って言ったじゃない! 『みんな行くから大丈夫』って……! なんでパパの船を守ってくれなかったの!? なんであいつらをやっつけてくれなかったのよぉぉっ!」
 「フレイさまっ! それは――!」
 「――うるさいっ! うるさい、うるさい、うるさいっ! あんただってあいつらの仲間じゃない! コーディネイターじゃないっ!……パパを…………帰してよ……」

 

 コーディネイターとナチュラル。それは、奪うものと奪われるものたち、強者と弱者――今の彼女が、この世界の縮図なのかもしれない。それでも、とキラは思う。こんな悲しいことが起こっては、いけない。こんな悲劇を繰り返してはならないのだ、と。
ラクスがぎゅっと唇をつむぎ、フレイのか細い肩に触れると、フレイはまるで汚いものを見るかのようにして彼女をにらみ、その手を乱暴に振り払う。
 カナードは無言のまま、キラを泣きじゃくる少女に投げ捨てるようにして降ろした。
 フレイはぎょっとしてキラを抱きとめるが、すぐに見下ろすように立っているカナードを睨みつける。

 

 「……なにすんのよ……!」

 

 カナードは彼女の視線を無視して、入り口のそばまで戻り壁を背にして腕を組んだ。
 後は、お前次第だ。そう彼が言ったような気がした。
 だが、キラは思う。彼女になんて声をかけてやれる。恐らくは、彼女にとって最も重い命。言葉が浮かばない、ただ会えば、なんとかなるかもしれないと思っていたキラの希望は、あまりにも甘く、幼稚な願望でしかなかったのだ。
 それでも、キラは謝りたかった。ごめんと、ただ一言でも――しかし、声が、でない。体がわずかに痺れ、躯体の間隔が薄れていくのは、ここへ来るまでの間に血を流しすぎたからかもしれない。
 それでも、彼は言うのだ。ただのうめき声としてしか発せられなかったとしても。

 

 「――……………ん……」

 

 フレイは気に食わなそうに目を逸らした、

 

 「さ、さわんないでよ……。あんたなに言って――」

 

 少女の嫌悪と困惑の視線がキラに刺さる。これが、ナチュラルがコーディネイターに向ける眼差しか。では、その逆は、どうなのか。コーディネイターは、ナチュラルをどう見ていたか――きっと、同じようなものなのだろう、とキラは思っていた。
だから、こんな殺し合いをしてしまうんだ。人を人と思わず、別の生命体だという認識が、人の命を虫けらにする。
 フレイの父は、君に罪は無いと言ってくれた。その意図をキラは知らない。だが、その言葉にとても暖かいものを覚えたのは、紛れも無い事実である。
しかし……否、だからこそと言うべきか、そう言ってくれた彼を守れなかった罪の意識は大きい。フレイに兄弟はいないと知っている。母も既にいないと。たった一人残された、唯一の心の拠りどころだったのだろう。それを――。

 
 

 「――……め……ん……」
 覆いかぶせるように捨てられた傷だらけの少年が、懸命に何かを訴えかける。フレイには、彼の意図は読み取れない。一人っ子のフレイは、メイドや執事に囲まれながらも、心のうちには常に孤独があった。父は家を留守にしがちだったから、稀にしか一緒に食事をとれないし、会話をすることも少なかった。
もちろん二人の時間が合えば、ずっと一緒にいたし、好きなものも何でも買ってくれた。どこに行ったとか、何をしたとか、フレイの話したいことや伝えたいことも全部聞いてくれた。そんな、父だったのに……。
 少女の喉下まで、山ほどの怨み節がこみ上げる。敵、コーディネイター、約束してくれたのに、わたしに嘘をついた裏切り者の……。
 だが、少年の血にまみれた身体が、涙にぬれるその顔が、フレイの考えるそれをわずかに否定する。そこまで言ってはいけないと。フレイは、確かに見ていたから。あの時、彼がその身を投げ出して父を守ろうとしたのを。その結果いるのが、今目の前にいる少年の姿なのだということを、知っている。もう二度と、父と子で生活することは出来ないのかと思い立ち、少女が絶望したとき、少年が言った。

 

 「……ご……め……ん……」

 

 それは、きっと世界で一番重い『ごめん』。しかし、それがなんだというのだ。わたしは、父親を失ったというのに……。幼い頃に母を失い、ずっと一緒だと、今はそうでなくてもいつかは父の元に帰り、仕事も落ち着き、また家族をやれるとそう信じていたのに……。ラクスが、うつむいたままぎゅっとこぶしを握る。少し離れた場所から不機嫌そうな声が聞こえた。

 

 「コクピット機材の破片による切創と刺傷、内蔵にも抉りこんでいるそうだ。肋骨とあばらもやられたと聞いた。後は全身打撲だ。コーディネイターってのは素晴らしいな、これでも生きてる。流石は化け物だ。あれから半日とたっていないのに、ここにこうしている」

 

 カナードはそう言って楽しそうに笑った。化け物――。目の前にいる、この少年が……?
 そこへ、やってきたマリューが目を見開き声を荒げた。

 

 「あ、あなたたち……何をやってるの!」

 

 はっと息を呑むマリューの視線が、キラの体から流れ出るおびただしい量の血に止まる。

 

 「ここまでだな。戻るぞ、おい」

 

 カナードがやれやれと言うが、キラはそれに従わず、動かぬ体で、うわごとのようにごめん、と繰り返す。彼は冷めた視線でキラに近寄り首の後ろに手刀をお見舞いした。少年の目がわずかに虚ろい、彼は意識を失った。

 

 「パルス特務兵、何てことを!」
 「化け物だからな」

 

 驚愕して声をあげるマリューに向かって、カナードはにいっと意地の悪い笑みを浮かべた。

 

 「キラ君を医務室へ運ぶわっ! 手伝って!――彼はいつ死んでもおかしくないほどの重体だったのよ?」

 

 慌ててキラを運ぶトールたちをよそに、マリューはそう言ってからカナードをきつく睨む。しかしそれに応じた様子もなく、彼は背中をむき手をひらひらさせて言った。

 

 「それでも死なないのがオレたちだ。いっそここで殺しておいたほうが今後のためかもしれないな?」

 

 マリューは言葉を失った。つまらなそうに鼻を鳴らして医務室へ向かうカナードを、彼女は何も言えずに目を伏せ、キラを追うように部屋を後にした。
 ラクスが力なく言う。

 

 「……あの、フレイさま――」
 「……出てって」

 

 一人に、なりたかった。一人で泣きたかった。もう、誰かの胸で泣いたりできないのだから、フレイは一人になるしか無いのだ。
 ラクスは短い沈黙の後、ぺこりとお辞儀をして、キラたちの後を追った。
 誰もいなくなった部屋で、フレイはふと、キラの血で汚れた自分の手をみて、びくっと体を震わせる。生暖かく、手を握り、開く。大量の血は、何かの体液と混ざり生々しく糸を引いた。

 

 「…………何よ」

 

 血の色は、赤かった。

 
 

 「生き残ったのはこれだけなのか……」

 

 〝ヴェサリウス〟の格納庫に降り立ったアスランは、沈痛な面持ちで独り言のようにつぶやいた。

 

 「総勢三十機のモビルスーツを、か……」

 

 ふうっとため息をついてやってきたイザークに、アスランは目をやった。赤いノーマルスーツに身を包んでいるので表情はわからないが、相変わらずなのだろうと思って少し安堵して声をかける。

 

 「ようイザーク。傷はもう良いのか?」

 

 「うん?」と言ってヘルメットを脱いだイザークの顔を見て、アスランは驚愕した。今まであった神経質そうな美しい容姿に、痛々しく包帯が巻かれていたのだ。だがそんな様子を気にも留めずに、イザークは苦笑する。

 

 「モビルスーツ三十機相手にあそこまで戦うようなのを相手にしたんだ。今となっては、そんなヤツ相手にしてよくこれだけですんだと思う」

 

 疲れたように会話をする二人のところに、ディアッカとラスティ、ニコルも手を振りながらやってきた。

 

 「何とか無事のようだな。これも〝バスター〟のおかげかな?」

 

 いつものように軽口を叩いて見せたディアッカに、アスランは安心したように笑いかける。

 

 「とてもじゃないが、肯定する気にはなれないな」
 「ま、ま、生きてることはすばらしいってね。逃げ回ってりゃ死なないんだなこれが」

 

 自慢げに語るラスティにアスランは苦笑しながらイザークを見た。

 

 「逃げたのか?」
 「ん? ふっ。さあな」

 

 イザークも苦笑で返す。ニコルはそれをみて、楽しそうに笑みをこぼした。

 

 「でも、良かったです。たくさんの人が帰らなかったけど……僕はみんなが無事で」

 

 みながやれやれとため息をついたが、概ね同意のようだった。そこへ、収容された青い〝シグー〟から、赤いノーマルスーツを着た女性パイロットが降りてきた。

 

 「先輩! イザーク先輩っ!」

 

 アスランは、ああ、と思い出し、自分の仲間達に彼女を紹介した。

 

 「彼女は……シホ・ハーネンフースだ。クルーゼ隊に所属して、一緒に『足つき』を追うことになった。アカデミーでも何度か会ったこともあるだろうし、みんなは知ってるよな?」
 「もっちろんだぜ! 可愛い子は大歓迎だ」
 「いよっしゃあ! うちの隊は女ッ気が少なくて困ってたんだ。よろしく頼むぜ」
 「お久しぶりです、シホさん」

 

 ディアッカ、ラスティ、ニコルが歓迎するなか、一人物思いにふけっているイザークにアスランは声をかけた。

 

 「どうした、イザーク」

 
 

 「――いや……誰だ?」

 

 一瞬場の空気が凍り、シホから暗い雰囲気のようなものが発せられる。どうやら本気で落ち込んでいるようだ。周囲の状況にニコルがあたふたと慌てていると、更に四人のパイロットがやってきて、声をかけてきた。

 

 「やれやれ、あれだけいて落としきれんとはな……。今頃私は、プラントで笑いの種だろう」

 

 そうは言ったものの、落ち込んだようなそぶりは一切見せない仮面の男、ラウ・ル・クルーゼがやれやれと言った。

 

 「脱出できたパイロットもいますが、モビルスーツは使い物にならなくなってしまったものばかりです。先が思いやられますなあ」

 

 ミゲルも相当疲労したようだ。彼は肩の筋肉をほぐしながら、苦笑した。

 

 「初任早々壊滅か。やれやれだ」

 

 同じく苦笑して見せたのは、『ドクター』の異名を持つエースパイロットのミハイルだった。三人のエースパイロットに囲まれて居心地を悪そうにしていた少年パイロットが緊張したようすでヘルメットを取った。

 

 「あ、あの……初めまして。クルーゼ隊に配属されたアイザック・マウと申します。先の戦いでは――」

 

 どぎまぎと言った自分達と大して変わらない年齢のパイロットを見て、アスランは苦笑で答えた。

 

 「そう緊張しないでくれ。君はこれが初陣だったんだろう? よろしく頼む」

 

 「はいっ!」と嬉しそうに答えたアイザックを横目で見ながら、イザークはラウに質問した。

 

 「クルーゼ隊長。あのハイネ・ヴェステンフルスやヒルダ・ハーケンも来ていたと聞きました。彼らは……?」
 「彼らは自分達の母艦に戻り、傷を癒しているよ。モビルスーツが小破ですんだというのは、流石と褒めるべきかな」

 

 ザフトに名の知れるエースの彼らですら、それなのだ。他の兵士たちでは太刀打ちすることすらできなかっただろう。撃墜されたほとんどが〝エフ〟を相手にしていたものだったと聞いて、アスランは苦い顔をした。

 

 「――ですが、隊長はあれを落としになった……?」
 「辛うじて、な。だがそれは莫大な代償を払ったうえに、完全な形で落としたとはいえない状態だ。案の定、やつの気配は消えていない」

 

 気配……? とアスランは疑問に思ったが、口に出すのは止めにした。彼らも疲れているのだ。

 

 「『足つき』は第八艦隊と合流し、我々もこんな状態だ。補給があるまでしばらくかかるだろう、君たちは休むといい。それもパイロットの仕事だ」
 「―――ハッ!」

 

 アスランたちはラウを敬礼して、居住区へ向かっていった。

 
 

 「大尉、〝エフ〟はもう使い物になりませんぜっ!」

 

 回収されたぼろぼろの〝エフ〟のコクピットから顔を出し、マードックがムウに向けて声を荒げる。

 

 「おいおい、そんなに損傷が酷かったのか?」

 

 ムウが納得いかないようすで聞き返すが、マードックは難しそうに頭をかいたのを見て、違う理由なのかと顔をしかめる。

 

 「いえね、何つったら良いか……。妙なんですわ。回線がショートしちゃってるというかなんというか。〝ガンバレル〟関連のシステムが完全にいかれちまってましてね」

 

 目を見開いて驚くムウの横で、モーガンが嬉しそうに笑った。

 

 「そいつは良い。おいフラガ、アムロとかいうやつは『本物』かもしれんぞ」
 「笑い事じゃねえだろ、犬のおっさん」

 

 しかめっつらのムウにおっさん呼ばわりされたことを気にも留めず、モーガンは楽しそうに笑い続けた。訳のわからない顔をしているマードックが彼に声をかける。

 

 「それは――笑い事なんですかね?」
 「うん? そうだな、笑わずにはいられんことだ」

 

 そう言ってくくくっと笑みを浮かべたモーガンに向かって、ムウがやれやれと肩をすぼめた。

 

 「世界ってのは広いよなあ。いや……宇宙、か?」

 

 しみじみと言うムウに、マードックは頭をひねるばかりだった。モーガンが苦笑して声をかける。

 

 「データは取れたんだろう? 整備班長どの」
 「ええ、無事です。まだ忙しくてデータ自体は確認してないんですがね」

 

 それを聞いて、そうかそうかと頷いたモーガンは、格納庫を後にしようとする。それをムウが呼び止める

 

 「おい、どこに行くんだ?」
 「ちょっと野暮用でな」

 

 そう言って出て行こうとするモーガンは、思い出したように顔をあげ、したり顔で振り向いた。

 

 「……そうか。お前はあの時気を失ってたんだったな――。惜しい事をしたぞ、フラガ」

 

 「はぁ?」と訳のわからない顔をしているムウを尻目に、モーガンは今度こそ格納庫を後にした。

 
 

 居住区へ向かう途中、アスランは仲間達を呼び止めた。イザークが振り向いて言う。

 

 「――話がある? なんだやぶからぼうに」
 「……言おうか迷ってたことなんだが。いや、違うな。気持ちの整理ができていなかっただけなんだと思う。自分が見たものを、嘘だと思いたかっただけなのかもしれない」

 

 まだ隊長であるラウにも報告できなかった事だ。未だに信じられないし……信じたくも無い。とアスランは顔を顰めた。

 

 「だから何だ? さっさと用件を言え」

 

 アスランを中心にイザーク、ディアッカ、ラスティ、ニコルが囲み、少し距離を置いてシホ、ミゲル、ミハイル、アイザックが足を止めて聞いている。半ば投げやり気味に、アスランが口を開いた。

 

 「……『足つき』に、ラクスがいた」
 「――ッ!?」

 

 一同が驚愕に包まれる中、彼は続ける。

 

 「……すまない。俺は『足つき』を落とせたはずだったんだ。だが――」

 

 目の前によぎってくるあの時の光景。赤毛の少女に寄り添いながら、恐怖に満ちたような顔でこちらを見つめているラクスの表情が……。

 

 「銃口を向けた先にラクスの姿を見たとき……手が震えて何もできなかった」
 「おいおいマジかよアスラン!? 何でラクス・クラインが!?」

 

 驚いて声をあげるディアッカの後ろで、ミハイルが顎に手を当てながら述べる。

 

 「ふむ……〝ユニウス・セブン〟まで行ってみなければなんとも言えんが。ラクス嬢の乗った船、〝シルバーウィンド〟は『足つき』に撃墜されたか――」

 

 だとしたら、それは許しがたい事だ。そんな外道の乗る艦に、ラクスが囚われているのだとしたら……。そして、キラも利用されていることにもなるだろう。ミハイルが続ける。

 

 「もしくは、何者かに撃墜されて脱出したところを発見され、救助されたか」

 

 それならば――少なくとも、前者よりかは幾分かマシではある。だがどちらにしても、ラクスが囚われていることには変わりは無いのだ。アスランは拳を握りしめ、離れ離れになってしまった婚約者へと思いを馳せた。どうか、無事であってほしい――。と。
 そんな彼の様子に気づいたのか、ミゲルが励ますように声をかけた。

 

 「だがどちらにしてもだ、アスラン。ラクス・クラインは生きていた。――ならば、取り返せば良いだけのことだ」
 「そ、そんなに簡単な問題なのでしょうか?」

 

 シホが怪訝顔でたずねるが、ミハイルは表情を変えずに言った。

 

 「あの世とやらに行ってしまえば、どんなに優れた医者だろうが救うことはできない。だが、そこに生きて存在しているのなら。それがどれだけ困難な道のりだろうと、手を伸ばせば救う事ができる」

 

 それは医者として活躍してきた彼だからこその発想だろうか? ミハイルの表情は相変わらずだ。アスランは彼の仕草からその思惑を読み取ろうとしたが、できなかった。そのままの表情で彼が続ける。

 

 「そして、彼女は生きている。これに何の不満があるのかね?」

 

 思わずアスランははっとして顔を上げた。――そうだ、まだラクスは生きている。そして自分の助けを求めている……!
 アスランに心の中からは、既に絶望や悲観といった感情は消えつつあった。そしてそれとは別の、強い何かが芽生えてくる。ミハイルが微笑を浮かべて言う。

 

 「良い表情だ。私はまだ仕事があるので、失礼する」
 「お休みにならないのですか?」

 

 ニコルは驚いて引き止めるが、彼はからかうような口調で言った。

 

 「私は医者だ。ここには先の戦いで負傷したものも大勢乗っている」

 

 そう言って行ってしまう彼を見つめながら、ミゲルもそれに続いた。

 

 「今回は流石に答えたな……。俺は休ませてもらう。お前らもさっさと休めよ?」

 

 ミゲルが後ろで今にも倒れそうなアイザックに目をやった。

 

 「――ほれ、行くぞアイザック。倒れるならベッドの上にしておけ」

 

 声をかけられて、慌てて彼についていったアイザックの背中を見て、自分達もと動き出したところで、ラスティが口を開いた。彼の表情はどことなくあきれ気味だ。

 

 「……まだあるだろ?」
 「どうしたラスティ。つまらんことならば怒るぞ」

 

 さらりと言ったイザークを無視して、彼は続ける。

 

 「まだ何か言おうとしてたことがあるんじゃないのかってさ。っていうか、〝ヘリオポリス〟からずっとそんな調子だったぜ?」

 

 おちゃらけて言ったラスティの言葉に、アスランはぎょっとして振り向く。イザークたちも釣られてアスランの顔を見つめてきた。

 

 「いや、俺は……」
 「なんっつーか色々あったけどさあ、俺たちはここまで戦って生き残れて……。戦友って思ってくれても良いと思うんだけどねえ」

 

 明るい調子で言うラスティに、アスランはうっと顔を落とす。正直、これを話すのは気が引けた、だが――。彼らにならと、いつの間にかそう思えるようになっていた。アスランは意を決して語りだした。

 

 「――ニコルには、話したことあったかな。月で知り合った親友のことなんだが」
 「えーと、確か……キラ、くん……でしたっけ?」

 

 ニコルが記憶を探るように眉を顰め言った。

 

 「ああ、そのキラだ。そいつと〝ヘリオポリス〟で再会してね」
 「〝ヘリオポリス〟ねえ……。あーあ、あんなとこに行かなければ、俺は今頃グゥレイトな戦火を上げて後方で楽してたかもしれないのに」

 

 腕を頭の後ろで交差して壁に寄りかかったままディアッカが愚痴る。アスランはそれに苦笑した。

 

 「ははは、そうだな」

 

 そうだ。あんなところに行かなければ、こんなに辛い思いをする必要もなかったし。ラクスとだって……。

 

 「……最初は……見間違いかと思ったんだ。でもその後の戦いで、もう一度そいつと再会してしまって……」
 「その後の?――どういうことだ」

 

 顔を顰め聞き返して来たイザークに、アスランは投げやり気味に答えた。

 

 「どうもこうも……そういうことさ。あいつは〝ストライク〟に乗っていた」

 

 イザークたちの間にざわめきが走った。

 

 「で、では……。アスラン先輩は昔の友達と戦ってたということなんですか!?」

 

 驚いて聞き返したシホに、アスランはそうだ、というように頷いて見せる。イザークが激昂した。

 

 「貴様ァッ! どうしてそんなことを黙っていた!?」

 

 そのまま胸倉を掴んできた彼に目をやりつつ、アスランは、怒るのも当然だろうなと思いながら答えた。

 

 「きっかけが……なかったんだ。言うのが怖かった。みんなに話す勇気も……なかったんだ」

 

 一瞬、イザークが目を細めるのが見えた。自分は馬鹿にされただろうか? 軽蔑されただろうか? もはやアスランにはどうでも良い事だった。もうやることはわかっているのだから――。

 

 「だが……もう迷わない。俺は奴らの手からラクスを必ず取り戻す……!」

 

 これは自分の甘さが招いた結果だ。自分がさっさと〝ストライク〟を落としていれば、ラクスは捕まらずに済んだし、これだけの損害を出すこともなかったのだ。あの時自分がモタモタしていた所為で……。なんとかキラを連合からこちら側へ呼び込もうとしていた所為で……。
 ふと、ラスティがにやにや笑みを浮かべながらアスランの胸を軽く小突いてきた。

 

 「――『俺』じゃなくて、『俺たち』、だろ?」

 

 その言葉の意味にはっとして、アスランは聞き返した。

 

 「……良いのか?」

 

 他の仲間達にも目をやるが、その誰もが決意に満ちた目をしていたのを見て、アスランは胸が熱くなるのを感じた。

 

 「ラクスさんは僕らのアイドルですし、アスランの未来のお嫁さんですもんね! 僕だって頑張ります!」

 

 ニコルが笑顔で答えた。彼の横で、ディアッカがいつものようにへらへらと笑う。

 

 「あー、そうなんだよなぁ。ラクス・クラインはアスランの嫁さんになるんだよなぁ……。俺にも可愛い子、できないかなあ」
 「――ま、そういうことだぜアスラン? なーんかムカつくけど」

 

 そういえばラスティはラクスのファンだった。と思い出し、アスランは苦笑した。

 

 「私は〝ヘリオポリス〟での戦闘は詳しく知りませんが……。でも、先輩たちのお役に立ってみせます!」

 

 キリッとシホが言う。本当に真面目な子だ。

 

 「貴様には借りがある。それを、というつもりは無いが……。力くらいは貸そう」

 

 相変わらずプライドが高い男だ。だが、今ではそれが頼りがいのあるように聞こえてくる。アスランは一瞬、あれは俺の借りだと言いそうになるが、ぐっとこらえる。彼らの目を見つめてから、彼は深く頭を下げた。

 

 「みんな……すまない」

 

 俺には、こんなに頼もしい仲間達がいる。それは素晴らしいことだ、とアスランは思う。そして必ずラクスを助け出す――と、そう心に誓ったのだった。

 
 

 すー、すー、という寝息が聞こえてくる静かな医務室にある男がやってきた。金髪の髭を蓄えた男――モーガン・ジュバリエだ。扉を開けて入ってきた彼を、ベッドの上でメリオルに包帯を替えてもらっていたカナードが警戒して話しかける。

 

 「……なんのようだ?」
 「おっと、起こしてしまったかな? これは失礼をした。俺はモーガン・シュバリエだ」
 「そんなことは聞いていない。オレは何の用かと言ったんだ。答えろ」

 

 カナードは思い切り殺気を送ったが、どうやらモーガンは応えていないようだ。慣れている、と言ったほうが正しいのかもしれない。彼が続ける。

 

 「君はカナード・パルス君だろう?」

 

 ひょうひょうと言うモーガンにカナード苛立った。彼はやれやれと肩をすぼめるとカナードのベッドの先へと向かって歩き出す。その先には――。

 

 「キラ・ヤマトには手を出すな。コイツはオレの――」

 

 そこから先を言う前に、モーガンがさっと口を挟んだ。

 

 「できれば君のことも頼むと言われたが――」

 

 そう言ってからカナードの側で訝しげな表情を浮かべていたメリオルに目をやり、にんまりと笑みを浮かべた。

 

 「大丈夫そうだ。美人を侍らせている余裕もあるようだしな」

 

 カナードは、しみじみと言ったモーガンに苛立ち殴りかかりそうになるのを必死に抑えながら睨みつけた。だがまったく相手にされていないようで――というよりも、完全に子ども扱いされているようで気に入らない。傷ついた身体ではどうすることもできないし、うまい皮肉も思い浮かばないので、思い切り舌打ちをしてから大げさに音を立てて横になってやった。激痛が走ったが、それを表情に出すのは気に食わないので我慢した。
 モーガンはその様子に少し呆れた顔をしたが、すぐに表情を引き締め歩き出す。
 やがて足音が止まり――。そこから先は、キラのベッドのカーテンが邪魔をして良く見えない。寝ていても自分の邪魔をするのかと苛立ったが、今はそれよりも別の考えが頭をよぎった。たしか、あそこには――。

 

 「よう、驚いたぜ? いきなりだったもんだからな」

 

 いったい何を言っているのだろうか。メリオルもカナードと同じように、訳のわからないといった表情でモーガンの背を見つめている。

 

 「これは貸しにしておくぞ?――さて、と。右のポケットだったな」

 

 尚も話し続けるモーガンの顔はこちらからでは確認できない。やがてごそごそ何かを探す音を出し――ハンガーにかけられている地球連合の制服が揺れているのが見えた。あれは……アムロ・レイが着ていたものだ。間違いない。まさかもう目が覚めたのだろうか? いや、そんなはずは無いだろう。彼もまた重症だったのだから。ナチュラルがこんなに早く目覚めるなどと……。
 カナードの思考をよそに、彼の会話は淡々と進んでいく。

 

 「これか……。確かに面白いものだな。こんなものがあるとはな……」

 

 そう言いながら何かを手に持ち食い入るように見つめている。カナードは目を凝らしてみたが、ちょうどモーガンの背が影になって良く見えない。ほんの一瞬、きらりと光る銀色の物体が見えたが、本当に一瞬だったために形までは判別できなかった。

 

 「さっさと目を覚ましてくれよ? できれば軌道上につくころにはってのを、俺個人としては所望するな。子供のお守りは疲れそうだ」

 

 そう言いながら彼は取り出した物を自分のポケットに仕舞い込み、軽く息をついた。

 

 「それと、いつかフラガのやつも混ぜて話をしよう。人の未来ってのを、俺にも見せてほしい」

 

 これは……独り言なのだろうか? だとしたら怪しすぎる男だろうが、そんな男が『月下の狂犬』などと言われるような名パイロットになれるはずもない、とカナードは思う。

 

 「それじゃあな、また来るぜアムロ」

 

 出口へと向かうモーガンがカナードの前を通り過ぎようとしたので、声をかけることにした。

 

 「おい、貴様……」

 

 だが言いかける前に、またモーガンが笑いを混ぜながら口を挟んだ。 

 

 「はっはっは、じゃあな坊主。俺もユーラシア出身でね、元気になったら酒でも飲もう」
 「……オレはまだユーラシア所属だ。酒も飲めん。あれは脳細胞を破壊する」

 

 図々しい男だ、と思いながらモーガンをにらみ付けた、しかしやっぱり相手にされていない。彼は「そりゃ残念だ。ではミルクでもおごるよ」と言って部屋を後にした。
 彼が出て行ったのをを確認してから、メリオルふうっとため息をついたのを見て、カナードはふと声をかけた。

 

 「なぜ一言も喋らなかった」

 

 彼女が何か言ってくれれば、もう少しあの男に嫌味をいう事もできたかもしれないのに。そう考えながら咎めるようにメリオルを軽く睨みつける。
 彼女は少しだけ唇を尖らせ、つぶやくようにこう告げた。

 

 「お髭がある人、苦手なんです」

 

 カナードは呆れるしかなかった。

 
 

 第八艦隊と合流できたというのに、まるで灯が消えたように静まり返った居住区の一角を、モーガンは少しばかり残念そうな顔を浮かべて歩いていた。やがて、目的の部屋の前まで来ると立ち止まり、軽く息をつく。彼は扉を開いた。

 

 「――やれやれ、酷いもんだな。年頃のレディがそんな様子じゃあいかんぞ?」

 

 ベッドの上で膝を抱えてうつむいている赤髪の少女を見てから、目線を床へと落とす。

 

 「これは――血か」

 

 だがモーガンにはその理由を知る事ができた。あの少年のことを、『彼』から聞いていたから――。

 

 「……たしかに、あの坊主ならやりそうなことか」

 

 少女はぴくりともせずに顔を伏したままだ。モーガンはため息をついてから、彼女のとなりに座った。

 

 「君は……、フレイ、でよかったんだよな? アムロ・レイからプレゼントがあるそうだ」

 

 アムロ、という単語を聞いてようやく顔をあげたフレイが、少しだけ驚いたように聞き返した。

 

 「アムロさんと……知り合いなんですか?」

 

 知り合い、と聞かれてモーガンは可笑しくなってしまった。たしかに知り合いといえば知り合いになるのだろうが――まだ一度たりとして口を聞いたことがない。それに自分でもこの感覚がよくわからなくなるときもあるのだから。
 二週間ほど前、モーガンは突然頭痛に襲われた。丁度〝ヘリオポリス〟で襲撃があった日だ。その時医療兵に体の不調を訴えたのだが、どういうわけだかそれが〝ガンバレル〟の適性テストへと変わってしまったのだ。同じように頭痛を訴えていたデュエイン・ハルバートンの計らいだというが、不思議な縁というのを確かにあの時感じたのだ。
 そこからのハルバートンは早かった。モーガンを第八艦隊へと編入させ、〝メビウス・ゼロ〟まで調達してきたのだから。
 なぜ自分にこのような力があるのかなどわからない。ムウ・ラ・フラガとは何度か飲んだこともあるし、空間認識能力のことを聞いたりもしたのだが……。自分に、そのようなものが備わっているとは、わからなかったのだ。地球でザフトのモビルスーツと戦っている時、相手からの殺気を感じることができた。時折意思のようなものすらも感じ取れることもあった。だが、それは空間認識能力とは違うと感じたのだ。そんなものは、一流のスポーツ選手だのなんだの、そういったものたちが持っている力なのだが、自分の力は明らかに常軌を逸しているのだから。もしも、ムウがこのことをちゃんと教えてくれていれば、もっと早くに自分の力のことを知る事ができたのだが――。
 そこまで思考をめぐらしてから、ふと側にいた少女が「……あの」と言ったのに気づき、モーガンははっとして我に返った。いつの間にか物思いにふけっていたようだ。
 最近になって考え事が多くなってしまったことに内心ため息をつきつつ、彼はフレイに向き直って言った。

 

 「そうだな……。たぶん良い友人になれたと思うし、なれると思うってところだな」

 

 モーガンには確信があった。
 一人納得しているモーガンを、フレイは訳のわからないといった様子で見つめている。彼はポケットの中からT字状の銀色をした金属片を彼女に渡した。フレイは訝しげな表情で、渡された金属片を手に取る。

 

 「……これ、なんです?」
 「『お守り』だそうだ」

 

 彼女は不思議そうな顔で手渡された『お守り』を見つめていたが、しばらくするとその金属片から淡い光りが漏れ始め、フレイは目を見開いて驚いた。

 

 「――な、なに、これ……」

 

 その光の粒に暖かいものを感じつつ、モーガンは口を開いた。

 

 「彼の言葉をそのまま言う。『僕たちは人間だから、何かを失って傷つくこともあるし、人を憎む事もある。でもそれと同じように人を憎まないことだってできるはずだ。そして、大切な人に想いを残す事だってできる。すまない、僕は君の大切な人を救う事ができなかった。だけど、恨むのなら僕だけにしてほしい。彼らを許してあげて欲しい』だと、さ」

 

 ……おかしな男だ。どこか捻くれたようなところもあれば、海のように広い心を見せてくれる。その奥にある、深い闇も――。
 じっと光を見つめている少女の様子に気づき、優しく声をかけた。

 

 「なあお嬢さん、人は美しいな。誰かのために戦うことができて――」

 

 優しい笑みを浮かべながら、彼はフレイの頭をそっと撫でた。

 

 「誰かの為に、泣く事ができる」

 

 フレイははっと顔をあげぬれた頬に触れた。金属片から溢れてくる光りは、少女を優しく包む込んでいる。フレイはそれを胸に抱きしめ、もう一度涙を流した。

 

 「……会いたいよ……パパぁ……」

 

 その時、扉を開く音がした。モーガンはそちらに目をやると、食事トレーを持った、桃色の髪をした可愛らしい少女が悲しげに立っていた。

 

 「あの、フレイさま。お食事をお持ちしたのですが……」

 

 ああそうかとモーガンは思い出し、言った。

 

 「そういえば言っていたな――」

 

 面白い子が、もう一人いると。
 ラクスがきょとんとした顔でモーガンを見つめる。モーガンは軽くため息をついて、彼女に向き直った。

 

 「俺はモーガン・シュバリエ。『月下の狂犬』って言ったほうがわかりやすいかな?」

 

 驚いて目を開くラクスに、モーガンは楽しそうに笑いかけた。

 

 「食事はそこに置いといてやってくれ、俺はすぐに戻る」

 

 側にあるデスクを視線で指し、彼はフレイに優しく促した。

 

 「手を洗って来い。血に染まって真っ赤だ」

 

 無言のままフレイは持っていた金属片をポケットにしまって、ゆっくりとバスルームの方へ向かっていった。それを見ていたラクスは、食事をテーブルに置きながら不思議そうにつぶやく。

 

 「あの、『月下の狂犬』さまの噂は聞いております。大変お強い方ですとか……。ですが、その……わたくしはコーディネイターです――」
 「ん? ああ、そうだな。だが俺は良いものを見させてもらったよ。だから君の事は気にしない事にした」

 

 きょとんとした顔でラクスは首をかしげる。

 

 「良い、もの?」

 

 「ああそうだ」と機嫌よく言ったモーガンは、手を洗って戻ってきたフレイに近づき、彼女の手を取った。そしてそのままラクスのところまで来て、フレイの手を握らせる。びくっとしてから互いに目を合わせ、気まずげに顔を逸らした二人の少女を見て、モーガンは優しく笑みをこぼす。

 

 「――『可能性』を、俺は見た。ひょっとしたら、ただの幻だったのかもしれない。でもな……その幻を現実にするのは、俺たち人間なんだ」

 

 今ならそう言える。はっきりと思い描く事ができるのだ。それはモーガンにとって幸せな事だ。人の革新、人類の未来。モーガンは、刻を見たのだから。
 しばらく黙っていた少女たちだったが、ようやくラクスが悲しそうに口を開いた。

 

 「あの……。ごめんなさい、わたくし、何もできなくて……」
 「……なんで……あんたが謝るのよ……」

 

 目を逸らしたまま悔しそうな表情のままフレイは手をはらい、ベッドに戻っていく。彼女はそのまま顔を伏せ、消え入りそうな声で言った。

 

 「……ごめん」

 

 きょとんとしていたラクスだったが、やがてその意味がわかったのか嬉しそうに笑みをこぼした。

 

 「んじゃ、俺は戻るぜ。頼まれごとは終わったんでな」

 

 まったく。柄ではないというのに。四十八の男に、子供の喧嘩の仲裁をさせるとは、アムロというやつは全く良い度胸をしている。青臭いまねを、とモーガンは思うのだ。
 そこまで考えてから、モーガンはふと別のことに思い立つ。この宙域に到着する直前に言われた頼み事はもう済んだ。しかし、あの時見えた『彼』の記憶は、何とも面白いものだったのだ。知らない人型の巨人、モビルスーツが、知らない宇宙《そら》で戦い続ける。それでも、と彼は言い続け、人の革新を信じ続けている。
 だがそれは今の自分では知る事のできないものだろう。『一年戦争』などという名前は、聞いたことが無いのだから。
 いつか『彼』が目を覚ましたらムウとハルバートンを誘って問い詰めてやろう。無理やり酒をたっぷりと飲ませて、全部聞き出してやろう。そう思い立ったモーガンの表情は、いつもの不敵な面構えに戻っていた。

 
 

 「いや、〝ヘリオポリス〟崩壊の報せを受けたときは、もう駄目かと思ったよ! それが、まさかここで諸君と会えるとは……」

 

 大声で話しながら連絡船から降りてきた長身の将校は、きさくな様子でマリューたちの前へ歩みだした。年齢を感じさせない引き締まった体つき、ふさふさした黄褐色の口髭をたくわえ、制帽の下の目は悪戯っぽく輝いている。
 彼こそがハルバートン提督、月に駐留する第八艦隊の司令官だ。マリューをはじめとするクルーたちが、いっせいに敬礼した。

 

 「ありがとうございます、閣下。まさかこの宙域まで駆けつけてくださるとは」

 

 マリューが嬉しそうに挨拶する。ハルバートンは敬礼を返した。

 

 「ナタル。バジルールであります」
 「第七機動艦隊所属、ムウ・ラ・フラガであります」
 「おお、君がいてくれて幸いだった」

 

 ハルバートンがねぎらうと、ムウは苦笑した。

 

 「いえ、さして役にも立ちませんで」

 

 提督たちは士官たちとの挨拶がすむと、今度は後ろの方で整列しているトールたちに目を向けた。

 

 「ああ、彼らがそうかね」

 

 自分達とは関係のない人、と思っていたトールたちは、ハルバートンがまっすぐ自分達の方へやってくるのを見て、あわてて背筋を伸ばした。

 

 「はい、操艦を手伝ってくれた〝ヘリオポリス〟の学生たちです」

 

 マリューがどこか誇らしげに紹介してくれるのを、彼らはくすぐったい気持ちで聞いた。彼ら一人一人を見つめるハルバートンの目は優しかった。

 

 「きみたちのご家族の消息も確認してきたぞ。みなさんご無事だ」

 

 みなの顔がぱっと明るくなる。なにより嬉しいご褒美だった。
 ふと、一人顔を伏している少女に目が止まり、ハルバートンの表情が曇った。

 

 「アルスター事務次官のことは……残念なことをした。彼のような人物を失うことになろうとは」

 

 何も言わずに顔を背けたままのフレイを見て、少し寂しそうな表情をしてからハルバートンは少年たちを見直した。

 

 「――とんでもない状況の中、よく頑張ってくれた。私からも礼を言う。……あとでゆっくり話をしたいものだな」

 

 そういい終えてから、ハルバートンは「さて」、と言ってトール達の列に交じっていたもう一人の少女を見据えた。少女がビクっと体を震わせると、その横にいたフレイが庇うように前へ出る。

 

 「そう敵対するような目をむけんでほしいな? なに、取って食いなんかせんよ。悪いようにもするつもりもない」

 

 その後、悪戯っ子のような笑みを浮かべ、「わたしが保証しよう」と付け足した。
 提督、と聞くととても偉くて怖い――そしてナタルの三百倍くらいは堅苦しい人じゃないかというイメージがあっただけに、実物をみたトールたちは意外な印象を受けた。だが、この人のためにマリューが働いているのだと思うと、なんだか納得できる。
 ハルバートンは、マリューたちと共に去って行った。奥から「こちらです、提督。所要があり、先に乗艦させてもらいました」という声が聞こえてきた。この声は、たしかもう一機の〝メビウス・ゼロ〟に乗っていた士官だ。少年たちは、これから難しい話をするのだろうと思ってから、ふわっと緊張を解いた。

 
 

 「補給部隊との合流、完了しました。これより搬入作業に入ります」

 

 アデスが報告すると、ラウは念を押した。

 

 「発見されていないな」
 「艦隊とはだいぶ距離があります。この位置なら大丈夫でしょう」

 

 ラウは顎に手をやり、小さく息をついた。

 

 「月本部へ向かうものと思っていたが……やつら、『足つき』をそのまま地球へ降ろすつもりとはな……」

 

 集結したのちの針路から推測した結論だった。アデスが確認するように言う。

 

 「目標はアラスカですか」

 

 アラスカは地球連合の最重要拠点だ。おそらく〝アークエンジェル〟は大気圏突入後、まっすぐに最高司令部のあるユーコン・デルタを目指すと思われた。そこへ入り込まれてしまったら、もはや容易に手出しできない。

 

 「なんとかこちらの庭にいるうちに沈めたいものだが……どうかな」
 「〝ツィーグラー〟に〝ジン〟が六機。こちらにも〝イージス〟を含めて六機。〝ガモフ〟も〝バスター〟と〝ブリッツ〟は出られます。〝デュエル〟はもうじき改修が完了するとのことで、作戦には間に合うと思います。ハイネ・ヴェステンフルスの隊も、補給を終えて意気込んでいるようです」
 「ああ、まさかラクス・クラインが『足つき』に回収されていたとはな……」

 

 アデスが数え上げる戦力と相手のそれとを、頭の中で秤にかけ、しばらく考え込んだのち、ラウはふっと底冷えのする笑みを漏らした。

 

 「知将ハルバートンか……そろそろ退場してもらおうか……」

 
 

 「しかしまあ、この艦一つと〝G〟一機のために、〝ヘリオポリス〟を崩壊させ、〝アルテミス〟までも壊滅させるとはな……」

 

 いきなり苦々しい口調でホフマン大佐が言った。ハルバートンの副官である。マリューは返す言葉もなく、姿勢を正してただまっすぐに前を見ていた。
 この会談には〝アークエンジェル〟の艦長室が選ばれた。ハルバートンがデスクにつき、脇には小柄で小太りなホフマンが控え、反対側にはモーガンがリラックスしたようすで立っている。 マリューとナタル、ムウがその前に規律している。ハルバートンがむっつりと擁護の言葉を口にした。

 

 「だが、彼女らが〝ストライク〟とこの艦だけでも守ったことは、いずれ必ず我ら地球軍の利となる」

 

 ホフマンが冷ややかに切り返す。

 

 「アラスカは、そうは思っていないようですが?」
 「ふん! やつらに宇宙での戦いの何がわかる!」

 

 ハルバートンが侮るように鼻を鳴らす。マリューは内心眉をひそめた。司令官と副官の間に漂うこの雰囲気はなんなのだろう。

 

 「――ラミアス大尉は私の意志を理解してくれていたのだ。問題にせねばならぬことは、何もない!」

 

 ハルバートンはきっぱりと言い切り、あたたかい目でマリューを見た。彼女は罪悪感と緊張が一気に緩むのを感じる。これまでの苦難が、一瞬にして報われたような気がした。

 

 「では、あのコーディネイターの子供の件は? ラクス・クラインの件は? これらも不問ですかな」

 

 ホフマンがなおも含むところのある調子で言う。すると、横にいたモーガンが決然と口をひらいた。

 

 「キラ・ヤマトは友人たちを守りたい――ただその一心で〝ストライク〟に乗っていたようです。自分の同胞たちと戦わねばならなくなったことに苦しんでいましたが、どうやら我々を選んでくれたようですな。カナード・パルスはもともとユーラシア所属の特務兵なのですが……どうやら連中には別の思惑もあったようです。悪い人物だとは思いませんでした。そしてラクス・クラインは優しい子です、寛大な処置を期待しています」

 

 淡々と告げるモーガンに、マリューは内心驚きを隠せなかった。なぜ彼がそのようなことを知っているのだろう? 自分は一言も話していないのに……。
 ふと、モーガンと視線があう。マリューははっとして付け加えた。

 

 「……誠実で優しい子たちばかりですです。彼らの信頼に応えるべきだと、私は考えます」
 「しかし、このまま解放するには……」
 「僭越ではありますが、私はホフマン大佐と同じ考えです!」

 

 マリューも、そしてムウも、不意打ちをくらったように彼女を見やった。ナタルは彼らを見もしない。

 

 「――〝G〟の機密を知り尽くした彼を、このまま解放するなど……」
 「ふん、すでにザフトに四機渡っているのだ。今さら機密もない」

 

 それが口実に過ぎないことを、ハルバートンがあっさり指摘した。ナタルは一瞬動揺したが、「しかし!」と言葉を継ぐ。

 

 「今の状況でコーディネイターの力は貴重です! できればこのままわが軍の力とすべきです!」
 「だが、ラミアス大尉の話によれば、本人にその意思はないそうだが?」
 「彼の両親はナチュラルで、〝ヘリオポリス〟崩壊後に脱出し、今では地球にいます。彼らを我々が保護することができるのでは……」

 

 あくまで淡々と話し続けるナタルに、マリューは戦慄さえ覚えた。彼女の提案はつまり、キラの両親を人質に取って、キラに戦いを無理強いするというものだ。
 たぶんナタルは、軍という組織に馴染みすぎているというだけの人間なのだろう、と、マリューは思う。ある意味彼女は純粋なのだ。任務に忠実に、勝利を得るため必要と思われることなら――軍則の範囲内で――手段を選ばず行ない、それに疑問をさし挟んだりしない。だから、誰もが心の中で一度は考え、考えた事にすら嫌悪感や後ろめたさをおぼえるようなことを、ためらいなく口に出し、あるいは行動に移してしまう。
 それにしても……年端もいかない少年から両親を取り上げ、その命を盾に「同胞を殺せ」と強制する――そのために彼が命を落とすかもしれない戦場へ送り込むことなどと――考えただけでマリューの肌が粟立った。
 だがナタルの言葉は、ハルバートンの拳が激しくデスクを打った音で中断した。彼は一喝した。

 
 

 「ふざけたことを言うな! そんな兵がなんの役に立つ!」

 

 さいぜんからの気さくな物腰と、うって変わったような厳しい声と顔つきだった。凍りつくような目で射すくめられ、さすがのナタルも縮み上がった。

 

 「も、申し訳ありません!」

 

 慌てて引き下がる彼女のようす見てを、ホフマンが呆れたようにため息をついた。

 

 「私は彼に『協力』を促して欲しいと言ったのだ」

 

 ナタルが「で、でしたら!」と声を上げるも、もう一度深いため息をつき、彼が続けた。

 

 「それは『強制』だよ、バジルール少尉」

 

 ホフマンが言い終わると、ハルバートンが立ち上がった。

 

 「過去のことはもういい。問題はこれからだ……」

 

 また少しトーンの違う厳粛な声に、マリューは思わず上官の表情をうかがった。彼は沈痛な面持ちで告げる。

 

 「このあと、〝アークエンジェル〟は現状の人員編成のまま、降りてもらう」

 

 マリューたちは息を止めた。

 

 「どうにもならん。補充要員を乗せた先遣隊は沈んだ。今の我々にはもう、貴艦に割ける人員はないのだ。二名のザフト兵はこちらで引き取ることができるが、ラクス・クラインまではそうもいかんしな」

 

 副官のホフマンが事務的に補足した。ハルバートンはしばし沈んだ顔でマリューたちを見つめていたが、ふとその目に猛々しい光りをやどす。

 

 「だが! 〝ヘリオポリス〟が崩壊し、すべてのデータが失われた今、〝アークエンジェル〟と〝G〟はなんとしてもアラスカへ送らねばならん!」
 「し、しかし、我々は……」

 

 マリューは反論しようとした。ここまでやって来れたのはまったくの僥倖だ。この艦と〝ストライク〟の重要性は理解しているが、理解しているからこそ、実戦経験のない彼女らには、荷が重過ぎる大任としか思えない。

 

 「なに、軌道離脱ポイントまでは我々が護衛する。君はそこからまっすぐ本部へ降下すればいいだけのことだ」

 

 ホフマンはあっさり言うが、そんな簡単なものだろうか。だが、彼女はハルバートンの顔を見て、反論を思いとどまった。

 

 「――〝G〟の開発を軌道に乗せねばならん」

 

 彼はまっすぐにマリューの目を見据えて言った。

 

 「ザフトは次々と新しい機体を投入してくるというのに、馬鹿な連中は、利権がらみで役にも立たんことばかりに予算をつぎ込んでおる! やつらは戦場でどれほどの兵が死んでいるか、数字でしかしらん!」

 

 ハルバートンの憤りが、マリューの胸にも伝わる。 ザフトのモビルスーツに、ほとんど抵抗する事もできずに落とされていった戦艦やモビルアーマーの最期がよみがえり、彼女はきっと頭をもたげた。

 

 「わかりました」

 

 彼女は決意を込めて、敬礼した。

 

 「――閣下のお心、しかとアラスカへ届けます!」

 

 すると横でムウも敬礼した。

 

 「アーマー乗りの生き残りとしては、お断りできませんな」

 

 いつもどおりのどこかひねくれた言いように、マリューは微笑みそうになった。
 ハルバートンは深い目で二人を見つめ、頭を垂れた。

 

 「たのむ……!」

 
 

 「……除隊許可証?」

 

 差し出された書類を見て、トールは狐につままれたような表情になる。自分達は軍人でもないのに『除隊』とは、どういうことだろう。書類を配っていたナタルが、「彼はまだ目をさまさないのか?」といらいらした調子で彼らを見回す。

 

 「……まあいい、あとで渡してやれ」

 

 彼女はトールにキラの分の許可証を渡した後、すぐ側にいたラクスを見て不機嫌そうに後ろへさがった。彼女の横にいた小太りの大佐――たしかハルバートン提督の副官だった――が、不審そうな彼らに向かって説明する。

 

 「たとえ非常事態であっても、民間人が戦闘行為を行えば、それは犯罪となる。それを回避するための処置として、日付を遡り、諸君がそれ以前に志願兵として入隊した事にしたのだ。――なくすなよ」

 

 ややこしいことだ、とトールは思った。まあ、どんな形にされようと、降りられるなら一緒だ。それに何日かだけとはいえ、軍人だったというのは、ある意味面白いことかもしれない。

 

 「なお、軍務中に知り得た情報は、たとえ除隊後とはいえ……」

 

 説明を続けていた大佐に向かって、遠慮がちに「あの……」と声をかけた者があった。フレイだった。ナタルが不審げな表情を浮かべて言う。

 

 「何だ?」

 

 フレイはうつむきかげんで前へ出て、ふいに心を決めたように顔を上げた。

 

 「わたし、これいりません」

 

 みなが同時に「えええっ!」と声を上げた。サイまで驚いた顔をしているということは、彼も聞かされていなかったのだろう。ナタルは眉をひそめた。

 

 「なにを馬鹿な」
 「この子は……ラクスはそのままアラスカに連れてかれるんですよね? だったらわたしも行こうかなーって……。理由はそれだけです」

 

 ナタルが呆れて口をあんぐりと開けた。その横でホフマンが深いため息をついた。

 

 「そうか……、君がアルスター事務次官の子か」
 「パパを知ってるんですか?」

 

 フレイが聞き返すと、もう一度ホフマンはため息をついた。

 

 「優秀な人間だが変わっていてね。先遣隊についていくと行ったときも、『娘がいる』という理由だけで無理やりついていったのだから……無論、同盟国の安否、視察など建前は多量に使ったがね」

 

 その時の様子を思い出したのか、彼は苦い顔をしてため息をついた。

 

 「親子というのは、こういうところも似るのだな」

 

 感激したラクスがフレイの手を握りしめて「あの、わたくし……」と何かを言おうとしたが、それよりも早く「……うっさい」と小突かれてあうっと身を引いた。

 

 「気が向いただけよ……。――あっ、それにアムロさんだっているんだから」

 

 気恥ずかしそうに言うフレイを見て、トールの心も決まった。彼がびりびりと書類を破り捨てると、ミリアリアが目を開く、ふうっと息をついて、トールは言った。

 

 「〝アークエンジェル〟、人手不足だしなぁ。俺が降りたあと落とされちゃったら、なんかやっぱ嫌だし」

 

 すると「トールが残るんなら、私も」と、ミリアリアも許可書を破り、「フレイだけ置いていくなんてできないもんな」と、サイが続いた。

 

 「みんな残るってのに、俺だけじゃな」

 

 そう言って許可証を破り捨てたカズイたちを、信じられないような表情でナタルは見ていた。ホフマンはその様子を見て、ここに来て何度目かのため息ををこぼしてから言った。

 

 「やれやれ、意思は固いようだが――君達のご両親に何と言えばいいのか。また悩みの種が増えてしまった」

 

 そう言って部屋を後にするホフマンに続くように、ナタルは慌てて後を追った。

 

 部屋を出て、ホフマンに追いついてからナタルは怪訝そうな顔をしていた。ホフマンが「どうしたね?」とたずねると、彼女は戸惑うように述べた。

 

 「い、いえ……。まさか彼らがあのような行動に出るとは思いませんでした」

 

 ホフマンは「私もだ」と返したあと、表情を変えずに言う。

 

 「だが、嬉しい誤算でもある。あの〝ストライク〟のパイロットも、自主的に残ってくれるかもしれないのだからな」

 

 そこまで聞いて、ナタルは先ほどの自分の発言を思い出し、思った。これとさっきのと、何がどう違うのだろうか……、と。

 

 「――どうだねバジルール少尉。こちらの方が少し気分が良いだろう? 打算的ではあるが、ね」

 

 「は?」とわけのわからない顔をしてしまったナタルに、ホフマンは苦笑した。

 

 「言っていることは同じ事だが、その中に含まれている意味は全く違うものだ。それを学びたまえよ」

 

 だが、その彼の言葉も、ナタルにはまだ理解する事ができず、「はあ……」と曖昧に答えるだけだった。
 それからの航海は静かなものだった。これだけの艦隊に攻撃をしかけてくるものなど無く、久々に静かな時間が〝アークエンジェル〟の中に流れた。その艦の中で、あるものは物思いにふけり、あるものは未来を見据え、あるものは戦いの傷を癒やし、それぞれの時間を過ごしたのだった。

 
 

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