CCA-Seed_◆ygwcelWgUJa8氏_15

Last-modified: 2012-10-24 (水) 08:42:47

 一体ぼくは何をしてるんだろう。
 一人アークエンジェルの通路を駆けるキラは泣きそうになるのを我慢して走り続ける。
 ことの始まりはこうだ――。
 キラはあの時、航海中の〝アークエンジェル〟でいつものようにカナード、トール、サイ、カズイと一緒に食事をしていた。ラクス特製のロールキャベツはとても美味しいのだ。そのとき、敵の襲撃があったのだが、これは大した問題ではなかった。
それどころか、キラは攻めてきた十二機の〝ジン〟に同情さえしていた。
艦に搭載されている機体全てが発進し、アムロの〝デュエル〟、ジャンの〝ロングダガー〟、ムウの〝スカイグラスパー〟、エドモンドの〝リニアガン・タンク〟が後方でキラたちに命令を出し、様々な戦略の実験をし始めたあの戦いがキラの脳裏によみがえる。
 モビルスーツ隊の指揮をカナードに任せてみたり、モビルスーツと戦車隊の連携をやってみたり。あれはどう見ても演習のようであった。
 〝ジン〟十二機――本来ならそれは絶望的な戦力である。連合主力のモビルアーマー〝メビウス〟との戦力比は、五対一から三対一とされ、〝ジン〟が十二機ともあれば、単純計算で〝メビウス〟が六十機ほどいてようやく互角の戦力となれるのだ。
 しかし、その常識は〝アークエンジェル〟には通用しなかった。
 キラの〝ストライク〟。カナードの〝バスター〟。フレイの〝ダガー〟。ジャンの〝ロングダガー〟。アムロの〝デュエル〟。そしてムウ、カガリ、トールの〝スカイグラスパー〟に、エドモンドの指揮する六両の〝リニアガン・タンク〟。
 双方の戦闘は、まるで野生動物の親が子に狩を教えるかのようだった……。
 事実、艦橋で〝ジン〟の数を聞いて蒼白としていたナタルも、口を開けてぽかんとしてしまうほど戦闘であったのだ。
 問題はそこからだった。キラは食べた後すぐに運動した所為か、横っ腹が痛くなってしまったのだ。たったそれだけのことだ。それだけですむはずだったのだ。
それはつまり、脾臓《ひぞう》と呼ばれる血液の貯蔵庫が、食後胃や腸に集まっていた血液を脚や腕へと移動させるため余計に働かなくてはならず、その時の脾臓の普段よりも激しい運動により、痛みが生じるというものである。もちろんキラはそんなことは知らず、ただ苦悶の表情を浮かべるだけである。
 
 「やれやれ、お前さん……運動とかあまり得意じゃないだろ」
 「ン、まあ当然だろう。彼は民間人だし……理工系の学生だったみたいだからな」
 
 確かあの時ムウとアムロはへばっているキラの横でこんな会話をしていた。そして――。
 
 「よし、良い機会だし俺がいっぱしのパイロットに鍛え上げてやる!」
 「こうやってできるのも今の内かもしれないな。頼んだ」
 
 全て、キラを無視して決められたことである。
 ついでにカナードにトール、カガリとフレイも走りこみをする羽目になったのだが、四人は自分を置いてさっさと先に行ってしまった。トールとは一緒に走ろうと約束していたのに……。
 
 そういえば月のマラソン大会でも、アスランとした共に走る約束を全力で破られたことを思い出し、キラはまた盛大に落ち込んだ。
 予想外だったのはフレイだ。カレッジのテニスサークルでそれなりに強かったという話は聞いたことあるが、まさか自分よりも体力があったとは……。「私に走りこみなんてさせる罰よ!」と言われて拳骨を食らった後頭部が少し痛い。
 カガリの趣味は筋トレだと聞いていたのでまあ納得できなくは無いが、やはり女の子に負けるのは流石に悔しい。もう見えないほど遠くに行かれてしまっている。
 ――結局はそういうことなのだ。コーディネイターは強い、というのは確かにそうだろう。だがそれは骨が頑丈になりやすかったり、内蔵が丈夫だったり、動体視力が優れていたり、という中身の部分にあるのだ。
必要に応じてつく筋肉はナチュラルと同じように訓練をしなければつかない。それでも、コーディネーターと全く同じ訓練をしたナチュラルとでは流石にコーディネイターに部があるが……。ちなみにキラの趣味はハッキングである。
一日中パソコンの前でキーボードを叩いてたり、ゲームをやったり漫画を読んだり、そんな生活ばっかりしてきたのだ。バトル兄貴3というのはお気に入りの格闘ゲームだが、そういうのは正直言って強い。でもアスランには勝てなかった。
プログラムを組むのだってかなり早い。アスランや先生から、大雑把過ぎると言われたが、早いは正義なのだ、たぶん。
 そうこうしているうちにムウが設定した走りこみルートの中間地点までたどり着くことができた。場所は……なぜか艦橋だ。汗だくのキラに気づいたマリューが声をかけてきた。
 
 「あら、お疲れ様キラ君」
 「遅い! 何をやっていた!」
 
 ナタルが怒鳴り声をあげた。隣でメリオルが「まあまあ」とたしなめている。どうして自分が怒られなければならないのだろう。彼女は続ける。
 
 「他の四名はとっくに通過していったぞ! こんなことではこの先も――」
 
 アムロが軽く咳払いをした。彼が呆れた口調で言う。
 
 「だとしたら、この時間もタイムロスになるな」
 
 言いながら彼はキラにスポーツドリンクの入ったボトルを手渡す。
 
 「あ、ありがとうございます……」
 
 冷えたボトルとは裏腹に、キラの心には暖かいものが溢れてくる。どうやら艦橋にいる皆が走りこみのことを知っているようだ。きっとムウの作戦としては、アムロとナタルで飴と鞭のようなものをやってもらおうとでも考えているのだろう。古典的だが正直効いた。奥の席から、ミリアリア、サイ、カズイが軽く身を乗り出して手を振る。
 
 「頑張ってね、キラ」
 「後半分だ。頑張れよ」
 「そのうち良い事あるよ。たぶん」
 
 好きに言ってくれるが、それでもこういうのはありがたい。
 艦橋を後にして走り続けていると、今度は楽しそうに談話しているマードックとラクスに出会った。妙な組み合わせだ、とキラは思った。
 
 「お、頑張ってるな坊主」
 「ご苦労様ですわ、キラ様」
 
 マードックが頭をかきながら言い、横でラクスがぺこりと頭を下げた。彼女が続ける。
 
 「わたくし、ムウ様から走りこみで疲れた皆さま用の食事を作らせていただくことになりまして……今日は整備班の皆様にオムライスを作ってあげることができないのですとお話をしていたところですの」
 
 相変わらずふわふわと喋るラクスに、キラは「はあ……」とあいづちを打った。ここで説明されても、正直こまる。
 
 「あっ! でも皆様の為にお食事を作ってるというのは内緒にしてくださいね? ムウ様からも、こういうのは全部終わってから伝えるのが良いと言われてまして……」
 「お、おい嬢ちゃん……」
 
 呆れ顔のマードックの言葉に、ラクスは「あら?」と首をかしげた。しばらく考え込んでいた彼女だが、やがて、しまったと言わんばかりに驚いた表情をしてから、申し訳無さそうにキラに目をやる。
 
 「あの、このことはご内密に……」
 
 上目遣いがなかなか可愛い。そう考えながらも、キラは疲れの所為で「う、うん……」としか返事ができない。ラクスの顔がぱあっと明るくなった。
 
 「ありがとございますわ、キラ様! わたくしは応援していますわ~」
 
 ふりふりと手を振る彼女の声を後にし、キラは今度こそゴール地点である格納庫を目指した。
 
 「おっそーい! あんた何やってんのよ」
 「ふん、愚図め」
 
 ふらふらになりながらゴールに到着すると、まずはフレイとカナードが出迎えてくれた。口ではそう言ってるがたぶん彼らなりの愛情表現なのだ。そう思わないとやっていけない。
 
 「大丈夫かキラ?」
 「よっ。悪かったな置いてっちゃって」
 
 カガリとトールが苦笑しながら言った。既に彼らは寛ぎムードであり、簡単にストレッチをしたりゆったりと雑談をしたりしていたようだ。
 
 「三分オーバーだ」
 
 ムウが憮然として言った。キラはがっくりと項垂れながら、深く息をつきながら言った。
 
 「と……とりあえず、今日はもう休んで良いですか?」
 
 ぜいぜいと吐く息も荒い。頭が朦朧としている。走り込みがこんなに辛いものだとは思わなかった。と、幼い頃からマラソン大会が終わるたびにそう思っている気がする。
 
 「何言ってんだ? まだウォーミングアップ終わったばかりだぞ。これからが本番だろうが。じっくりとしごいてやるからな」
 「そんなあ~」
 
 キラはその場でガクっとへたり込んでしまった。腕を組んで言うムウは憮然とした態度を崩さない。フレイが足を百八十度開き、そのまま体を前へ倒しながら言った。
 
 「これくらいミリアリアだって毎日やってたわよ?」
 「ふん、クズめ」
 
 カナードが鼻で笑った。相変わらず無駄に突っかかってくる。
 
 「べ、別に良いじゃないか……」
 
 言いながらキラは唇を尖らせた。しかし、まさかミリアリアまで自分よりも体力があったとは。……フレイくらいはキラよりも体力が無かったりして、二人で一緒に走りながら……とかそんなのを期待していたのだが、完全に甘かったようだ。
 ムウが凛として声を上げる。
 
 「ようし、まずは軽く腕立て百回だ! あ、女子は五十回な」
 「ひゃ、百回も!?」
 
 その回数の多さにキラは悲鳴を上げた。他の仲間達もみな不満があるようだ。だが――。
 
 「なんだ、楽勝じゃない」
 「おいおい、私たちを馬鹿にしてんのか?」
 「少なすぎるな」
 「ま、これくらいはなあ」
 
 ……そんな馬鹿な。普段から運動をしていた人間とは、こうも違うものなのだろうか。キラは信じられない気持ちで彼らに目をやった。
 
 「馬っ鹿もーん、口答え禁止だあ! 特になんだキラ、お前だけ泣き言言っちゃって! お兄さん悲しいぞ!」
 
 どこからともなく取り出した竹刀をバシンと床に叩きつけながら言うムウはどことなく楽しそうだ。
 ともあれ、この軽い筋トレ――キラにとって地獄のトレーニングは、スエズ基地に到着するまで延々と続けられたのだった。
 
 
 
 
 PHASE-15 果てしなき時の中で
 
 
 
 
 スエズ基地に入港した〝アークエンジェル〟の艦橋で、マリューたちは目を見張った。
 スエズ基地――それは、スエズ運河にある地球連合軍の基地であり、中東地域における最大の拠点である。しかし――。
 
 「スエズ攻防戦での被害がこうもはっきり残っているとは……」
 
 ナタルが苦渋に満ちた様子で言った。
 C.E.70、五月三十日――約十ヶ月ほど前、スエズ基地の西方にある地、エル・アラメインにて、地球連合軍とザフト地上軍が激突した。ザフトは、〝ザウート〟を中心とした戦力を地中海沿岸より上陸。 そこで待ち構えていたユーラシア連邦の大戦車軍団と交戦。
〝リニアガン・タンク〟の圧倒的物量と機動性を活かし〝ザウート〟部隊を翻弄し後一歩で勝利というところまで追い詰めたのだが、そこに現れた『砂漠の虎』と、陸戦用MS〝バクゥ〟の活躍により大敗してしまう。
そして、その大敗した〝リニアガン・タンク〟部隊の指揮官こそが、その戦闘でMSの必要性を認識し、訴え続けた結果大西洋連合へと厄介払いをされた『月下の狂犬』ことモーガン・シュバリエ、その人である。
 この基地は、戦闘の後も、隙を見ては挨拶程度のミサイル攻撃が繰り返され、それが続けられてきたのだ。
 マリューは流石に十ヶ月も立てば復興を遂げていると思っていたのだが……。
 
 「……最前線の基地、か」
 
 キャプテンシートの横で腕を組みながらアムロがつぶやいた。操舵席につくノイマンがやれやれと首を振って答える。
 
 「歓迎はしてくれてそうですけどね。少なくとも、戦力だけは」
 「〝アルテミス〟のようなことが無いだけマシだと思いません?」
 「おいおい、君がそれを言うのかい?」
 
 軽く笑みをこぼして言うメリオルに、チャンドラが苦笑して答えた。彼女は続ける。
 
 「ええ。あの少将、嫌いですから」
 
 マリューの脳裏にあの禿げ上がった嫌味たらしい顔をしたあの少将の顔がよぎる。確かに、と思い彼女は苦笑した。あれは嫌われる人間の顔だろう。
 〝アークエンジェル〟の船体が固定され、基地の司令官が乗り込んでくるのが見えた。どうやらまだしばらくは安心して休むことはできなさそうだ。マリューは重くなってきた胃を右手で押さえつつ小さくため息をついた。
 
 
 
 食堂で忙しそうに働く少女の姿があった。白いエプロンに三角巾というお決まりの服装。桃色の髪を左右に揺らしながら少女は今日も楽しそうに働いている。
 料理長であるムラタは彼女の働きぶりにはとても感謝していた。少女が可愛らしく微笑むたびに、疲れた顔をした整備班や戦車隊の兵士達、ブリッジクルーまでもが幸せそうな顔になり食事を取るのだ。
 今日も席には多くのクルーが座り、談話をしながら食事を取っている。
 ピークの時間が過ぎ去った事もあり厨房には少しばかりの落ちつきが取り戻されていた。ふと、ムラタはあることにひらめき、減ってきたキャベツの千切りを継ぎ足している少女に声をかける。
 
 「ラクスさん。そろそろ休暇を取ってみては?」
 「まあ、休暇ですか?」
 
 ラクスがふわりと首をかしげた。
 
 「君は良くやってくれているよ。艦も半舷休息に入ったようだし……後は私がやっておくから、少し休みなさい」
 
 優しい口調で言ったムラタだったが、ラクスの表情は冴えない。
 
 「ですが、わたくしはみなさんの為に働きたいのです」
 「それは……」
 
 ムラタは言葉に詰った。なんて良い子なのだろう、まだ若いというのにこれほどまで熱心に働き、意欲もあるとは……。だからこそ彼は余計に譲れなくなった。
 
 「なら、友達を誘って遊びに行ってみたらどうだい? 上陸許可は――まあ君なら大丈夫だろう。あの元気の良い娘たちと一緒に気晴らしをしておいで」
 
 元気の良い娘たちとは主にカガリのことである。そして彼女をからかいながらフレイがやってきて、最後にミリアリアが呆れながら続くというのがいつものパターンだ。そのメンバーにラクスが交じることで更に騒がしくなる事は言うまでもないだろう。
 
 「……ですが」
 「今回ばかりはしっかりと休んでもらうよ。私だって大人らしいところを見せたいしね」
 
 そう言ってからムラタは「さあ」と促した。しばらく躊躇していたが、ラクスはペコリとお辞儀をしてからロッカールームへ向かってふわふわと歩き出す。その足取りは軽やかだ。
 ムラタはキャベツの続きを切りながら、彼女のいなくなった厨房にちらりと目をやった。小奇麗に洗われた鍋やお皿が綺麗に並ぶその場所はちょっぴり寂しげだが、少女の優しげな雰囲気が残されている所為か暖かさも感じる。
 そこへ威勢よく声を上げながら金髪の少女がやってきて、カウンターに身を乗り出した。
 
 「おーいラクス! 遊びに行くぞっ!……ってあれ? ラクスは?」
 「今日も元気ですねえ」
 
 苦笑して言うムラタにカガリは思い切り胸を張った。
 
 「まあな! 私はいつでも元気だ!」
 
 彼女もまた、ラクスとは別の意味でここの名物となっている。誰よりも食事を美味しそうに食べ、誰よりも沢山食べるその姿は見ていて楽しい。作る側としてはああいうふうに食べてもらえると嬉しいのだ。
 
 「で、ラクスは?」
 
 彼女がそのままの表情で首だけ横にかしげた。すると――。
 
 「はい~」
 
 ラクスがふわふわと駆け足でやってきた。カガリの顔にぱっと笑みがこぼれる。
 
 「よし、行くぞ!」
 「まあ、どこへでしょう?」
 「外だ! 上陸許可が降りたからな! ミリアリアはもう待ってるぞ」
 
 エッヘンと言うカガリに、ラクスがふわりと首をかしげた。
 
 「ではフレイさんも?」
 「いや、あいつは来ない」
 
 ラクスの表情が目に見えて曇った。
 
 「まあ……なぜでしょう? 何かあったのでしょうか……」
 「んー、なんか新型のテストだとか、機能のテストだとかごちゃごちゃ言ってたなぁ」
 「テスト……?」
 
 きょとんとして、ラクスがふわっと首をかしげた。
 
 「ああ。入港してすぐに〝ダガー〟ごと呼び出されて行っちゃったよ。ま、いないもんは仕方が無いからフレイ抜きで遊びに行く事にしたんだ」
 「そうでしたか……。では、お土産を買っていきましょうね!」
 
 ふわりと微笑んだラクスに、カガリは「ああ!」と返し、ドアへ向かって走り出した。
 
 「あの、服はどうしましょうか? 流石にこのままでは不味いと思うのですが……」
 「私が〝ヘリオポリス〟に行ったときのがあるから、それ着れば良いさ! 帽子もあるから変装もバッチリだ! たぶん!――ほら、置いてくぞ~!」
 
 さっさと言ってしまうカガリを、ラクスが慌てて追いかけた。そんな二人のやりとりを見ていたムラタに、食器を戻しにきたエドモンドが気さくな笑みを浮かべて声をかける。
 
 「やれやれ、何だかんだ言ってもお子様だな」
 「ええ。ですが……良い子たちです」
 「……そうだな」
 
 あいづちを打つエドモンドの表情は優しい。
 どうかこの平穏が、少しでも長く続きますように――。ムラタは心の中でラクス達のことを想い、祈った。
 
 
 
 スエズ基地の格納庫に呼ばれたフレイは、なんだか良くわからない偉そうな人たちの話を聞きながら、ちらと遠目でカナードとキラを見やった。二人はOSの移植作業をしているようだ。
整備ベッドに寝かせられている二十四機の――それはグレイの四肢、胸部はダークブルーと赤のツートン、ヘルメットを被ったような頭部をした、フレイの〝ダガー〟に良く似たモビルスーツ――。GAT‐○一〝ストライク・ダガー〟である。
既に量産体制に入っていたこれらのモビルスーツは、OSの完成を待つばかりだったのだ。そしてその完成されたOSは、〝アークエンジェル〟の〝ダガー〟の中にある。そのため、急遽アラスカ行きを変更し、いち早くこのスエズ基地でOSのデータを吸出し、本国へ送信するという計画が立てられたのだ。
 彼女の横で、アムロとムウが研究者たちと難しそうな会話をしている。
 凄まじい速さでキーボードを叩いているキラに、すぐ横のカナードが声をかける。
 
 「おい、間違えてるぞ」
 「ええ!? ど、どこ……?」
 
 フレイが耳だけを傾け、ヘアバンドのような黒い装置のようなものを頭につけてかちゃかちゃと弄る。これが脳波交信なんとかの何からしい。フレイは研究員の話を聞いてなかった。
 
 「イオンポンプ。分子構造が違う。少しは頭をつかえマヌケめ」
 
 相変わらず一言多いが、キラはなんだか楽しげだ。
 
 「でもさ、新しく書き換えちゃったほうが早くなると思うんだけど……」
 「――貸せッ!」
 
 問答無用でカナードはコンソールを引っ手繰った。そのまま彼は凄まじい速さでキーボードを叩き出す。
 
 「あ、そうだ。新しい量子サブルーチンを構築しといたんだけどどうかな?」
 「……どれだ」
 
 カナードが眉を顰めて聞いた。キラが「これだよ」って指すと、彼の眉間の皺は一層濃くなった。
 
 「……どう……かな?」
 
 しばらく手を止めて、不機嫌そうに顔をゆがめていたが、やがて短く舌打ちをしてからカナードはこう言った。
 
 「……悪くは……ない」
 
 最近わかってきたのだが、カナードがキラに対して言う「悪くは無い」は最上級の褒め言葉らしい。そしてキラはその言葉で子犬のように喜ぶ。馬鹿じゃないのこいつら、とフレイは勝手に思った。
 
 「横転時のプログラムが足らないな……」
 「うーん、そっかあ……」
 「それと――ああもう何だこれは! 適当すぎるだろう!?」
 
 申し訳無さそうに頭をかいて笑みを浮かべるキラの横で、カナードがいらいらしながらキーボードを叩いている。
 
 「あ、待って。メタ運動野パラメータはもう少し簡略化しちゃって良いんじゃないかな?」
 「む……まあ、悪くはない」
 
 横目でその様子を捉えながら、フレイはやれやれと苦笑した。
 キラはいつもカナードと一緒にいる。その気持ちが、フレイにはなんとなくわかった。あの子はきっと寂しいんだ。友達と戦ってる、と聞いたときは、彼に少しばかり同情したものだが、その心の穴を、自分と同じ顔をしたカナードで埋めようとしているのだろう。
 
 わたしは、どうなんだろう……。パパのいない寂しさを、誰かが埋めてくれるのかな……。
 サイは、フレイといると辛そうな顔をする。その理由が彼女にはわからず、フレイは少しばかりサイと距離を取っていた。だからフレイは知らない。サイの本当の心を。彼はフレイ以上に、フレイの心を理解していることを。
それこそがサイという少年の優しさであり、聡明さであり、愚鈍さでもあった。他者を理解することと、自己を知ることは必ずしも両立できるものではない。それが誤解となり、わずかなわだかまりを生じさせる。
 研究員の説明が終わると、フレイは不安を隠すように元気よく「わかりました」と嘘をつき、その場を離れた。
 とりあえず、あの子らで遊ぼう。
 
 「ちょっとあんた達ー。わたしの〝ダガー〟壊してないでしょうね?」
 「あ、フレイ――」
 「壊れるわけが無いだろう。このオレが組んでいるんだからな」
 「大層な自信ねえ」
 
 相変わらずの様子だが、カガリとは違ってちゃんとやってることはやってるのでその点は信用できた。
 
 「――あ、そうだ。これわたしの〝ダガー〟に入れといて」
 
 フレイが一枚のディスクをカナードに差し出した。
 
 「……何かのデータか?」
 「そ。〝エフ〟のデータなんだけど、〝ダガー〟には入ってなかったんだって。〝ダガー〟のシステムはここの技術者の人に聞いても良くわからないみたい」
 
 それがどういう意味なのか、フレイは知らない。ただ、ムウとアムロは二人でとても深刻そうな顔をしていたことだけは覚えている。
 
 「入れるとどうなるんだ?」
 「この脳波交信装置? だっけ、それで遠隔操作できるんだってさ。まだ実験段階のものを使わせて、このわたしにモルモットになれって言うのよ?」
 
 カチャかチャと頭に付けられたヘアバンドのような脳波なんとかを弄りつつフレイは不満も隠さずに言った。
 カナードがデータを吸出しそれを凄まじい速さで打ち込んでいく。最後のキーが押されると、少しはなれた位置で起動状態にあった〝ダガー〟のバイザーの奥にある双眼《デュアルアイ》が赤く輝いた。
 
 「それじゃ、あの子のとこに行くわね」
 「あの子?」
 「〝ダガー〟よ」
 
 なぜかキラは落ち込んだようにしょんぼりと縮こまっていた。
 
 
 
 「ちょ、ちょっとあんたたちなんでここにいるのよ?」
 
 基地を探検していたはずがいつの間にか迷子になっていたカガリたちの背中に、聞きなれた声がかかった。ラクスがふわっと振り向き、ぱあっと笑みを浮かべた。
 
 「まあ、フレイさん!」
 「ふう、なんとかなりそうね」
 「よ、ようフレイ! 迎えに来てやったぞ!」
 
 軽く息をついたミリアリアの隣で、カガリだけは表情を引きつらせていた。最近カガリは妙にフレイをライバル視している。シミュレーションで勝てなくなってきたという愚痴も聞いたことがある。戦闘経験は彼女の方が多いはずなのに、ど素人フレイに負けつつあるのだ、そりゃ悔しいだろう。
 
 「素直に迷子だったって言えば良いのに……」
 
 ため息交じりのミリアリアの言葉に、カガリはうっと目を反らした。
 
 「いや……それはだな……。ほ、ほら! 探検!」
 「――をしようとして迷子になってしまったのです。わたくし、どうしようかと思いました」
 
 ラクスが悲しげにつぶやいた。フレイが心底呆れた顔をしている。
 カガリがはっと顔をあげ、拳を握りしめながら言った。
 
 「そうだ! 敵を欺くには味方からってよく言うだろ!」
 「敵って誰よ……」
 「そ、それは……」
 
 もう一度深くため息をついたミリアリアが、やれやれと続けた。
 
 「あーあ、こんなのが私達の国のお姫様だなんて、信じられないなあ」
 「えーと……だ、大丈夫ですわ。……たぶん」
 「お前らなあ!」
 
 憤慨したカガリが怒鳴り声をあげた。
 
 「……あれ?」
 
 彼女はそのまま表情だけを変え、首をかしげた。カガリの顔に少しずつ驚愕の色が浮かび始める。
 
 「…………あ、あれ?」
 「あらあら?」
 「カガリさんどしたの?」
 
 カガリに釣られてラクスとミリアリアも同じように首を傾げだした。
 
 「お、お前ら……」
 「なんでしょう?」
 「どしたの?」
 
 ラクスとミリアリアが同時に首をかしげた。
 
 「それ、誰に聞いた……?」
 「それって何?」
 「私が……その……オーブの……えーと……」
 「ウズミ・ナラ・アスハ様のご息女であるということですか?」
 「そうっそれ!」
 
 ああそうかと納得したミリアリアは、慌てて指で×を作っているフレイを無視して言った。
 
 「フレイ」
 「ですわ」
 
 カガリは信じられないといった表情でフレイを見やる。
 
 「い、言うなよぉ! 言わないでくれよそういうの!」
 「つ、ついよ! うっかり! 間違えたの!」
 「まあ、やはり口止めをされていたのですね」
 
 ラクスがふわふわと一人納得しているのを無視してカガリは続けた。
 
 「約束しただろ! 黙ってるってさあ!」
 「べ……別に良いじゃない、減るもんじゃないんだしさ!」
 「減る!」
 「何がよ!」
 「威厳とか!」
 「無いじゃん!」
 「な、なんだとぉ!」
 「は? 何? 文句あんの? 一国の王女なら、そーいうの許す度量見せてみなさいよ!」
 
 あまりな言い草にカガリは「ぐっ」と押し黙った。
 
 「まあ、逆ギレですわ!」
 「あのねえ……」
 
 ラクスが相変わらず幸せそうに感激している。隣で呆れていたミリアリアが軽く息をついた。
 
 「でもフレイ。今回はあなたが悪いわよ?」
 「えー、だってぇ」
 
 「だってもヘチマも無いの。約束破ったんだからダーメ」
 
 ミリアリアがぴしゃりと言った。フレイは口を尖らせて何かを言っているが、良く聞き取れなかった。
 まったく、こういう時に場をまとめさせられるのはいつも私なんだから、とミリアリアは内心呆れたが、悪い気はしていない。
 出会った頃は本当に我侭で、まるで世界が自分を中心に回っていると信じ込んでいたようなフレイも、ふわふわと何を考えているのかわからないラクスも、最近は本当に良くなってきている。
 カガリはまだ落ち込んでいる。
 
 「大丈夫よカガリさん。私もラクスさんも、誰にも言わないから」
 「ほ、ほんとか!?」
 「もちろんですわ! わたくし、口は堅い方なのです」
 「フレイと違ってね」
 「わ、悪かったわよ……。ああもううっさいわね! いつまでもウジウジしてんじゃないわよ!」
 
 照れを隠すためか足取りも早くツカツカ歩いていくフレイの背中に、カガリがつぶやいた。
 
 「覚えてろよフレイ、絶っ対にギャフンと言わしてやるからな!」
 「だから古いって……」
 
 ミリアリアは苦笑してから、相変わらず幸せそうなラクスに「とりあえず、フレイについてこっか」と言って歩き出した。
 「はいっ」と笑みをこぼしたラクスは、やっぱり幸せそうだった。
 フレイの後を追って歩いていくと、広い格納庫に出た。見た事の無いモビルスーツの中に見慣れた機体を見つけ、フレイは歩き出した。ミリアリアたちもそれに続くと、〝ダガー〟の整備ベッドの下で何やら研究員らしき男女が計器を睨んでいるのが目に入ってきた。
腰まで伸びた黒髪をした妙齢の女性がこちらに気づき、声をかけてきた。
 
 「始めまして。D.S.S.D技術開発センターのセレーネ・マグリフです」
 
 その隣にいた金髪を短く切りそろえた色白の――自分と同い年かもしれない――少年もこちらに気づき、口元を緩めた。
 
 「同じく、ソル・リューネ・ランジェです」
 
 フレイがさっと敬礼した。
 
 「アークエンジェル隊所属、フレイ・アルスター少尉です」
 「お待ちしておりました。――そちらの方達は?」
 
 さっと帽子を深く被りなおしたラクスを隠すようにミリアリアが半歩前へ出た。
 
 「お、同じくミリアリア・ハウ二等兵です」
 「えと、わたく――えー……ラ、ラ……」
 
 セレーネがふと首を傾げた。カガリはフレイに詰め寄って「少尉って何だよ!?」と小声で言っている。
 繰り返すようだが、ラクス・クラインはザフトの議長、シーゲル・クラインの娘である。こんなとこにいることがばれるわけにはいかないのだ、すっかり忘れてしまっていたが……。ラクスは帽子の鍔を持ち、深く被り直してからつぶやくように言った。
 
 「ら、ラスティ・マッケンジーです、わ……。給仕兵、ですの、だ……だぜ」
 
 顔を真っ赤にしているラクスをまじまじと見つめたソルが、声を上げた。
 
 「ラスティ? 男の名前なのに……あれ? セ、セレーネ、この人もしかして……」
 
 ……ばれた。当たりまえといえば当たり前だが。
 
 「……構わないわ、今は〝ダガー〟に集中しましょ」
 「ええ!? だ、だってこの人ラク――」
 「今は面倒を起こしたくないの。あの子を完成させるためには、まずこの子のシステムを解析しなきゃ」
 「だ、だって!」
 「アルスター少尉、始めてよろしいですね?」
 
 ソルを無視して、セレーネが言った。そこへ――
 ラクスが「あ、あの……」とおずおずと手を挙げた。それを遮るかのように、セレーネが口を挟んだ。
 
 「私達は軍人じゃないわ。だから、貴女がここにいることは知らないし、見てもいません。これで満足?」
 「……あ、はい」
 
 口調は優しいが随分と気の強そうな女性だ。凛としてるというかなんというか。
 
 「ではアルスター少尉、コクピットへ。あなた達は邪魔にならない所にいてください」
 
 ラクスに全く興味無しといった様子で、セレーネは着々と計器を弄り何かを撃ち込んでいく。ソルがそっと近寄り、ラクスに耳打ちした。
 
 「後でサイン、貰って良い?」
 「はいっ」
 
 そう言ったラクスの顔はどことなく嬉しそうだった。
 
 
 
 コクピットシートに座ったフレイは、いつも以上に〝ダガー〟との一体感を感じたが、すぐにヘアバンドのようにつけている脳波交信装置のものだと思い当たり、気を引き締めた。果たしてこの機能が自分に使えるのかどうか、まだ何もわかっていないのだから。
 何も映っていないスクリーンに、ぱっとセレーネの姿が現れた。
 
 〈少尉、こちらの作業は完了しました〉
 
 フレイは「わかりました」と言ってから慣れた手つきで〝ダガー〟を起動していった。
 
 〈凄いわ……この短期間でこれだけの――ソル!〉
 
 なんだか良くわからない機材のコンソールを指で弾いているセレーネの隣にやってきたソルもまた、彼女と同じように目を見開いて驚いている。
 
 〈ほんとだ……こんなに反応値が高いなんて!〉
 
 彼女達が驚いているのは、〝ダガー〟に積まれていたという人工知能のことだろう。聞いた話では、コクピットシートの後ろにぎっしりと詰っている鉄でできた脳みそのような機材がそれのようだ。
今でもその脳みそはフレイの座るシートの後ろにたっぷりと詰っている。この気色悪いのが学習型人工知能だと聞かされたときは驚かされた。
 
 〈少尉、脳波交信装置では、理論上操縦桿やペダルを使わずにモビルスーツを動かすことができるとされています、やれますか?〉
 
 まだ興奮も冷めぬと言った様子でセレーネが声を上げた。
 脳波制御の簡単なコツやイメージの仕方などは、先ほどアムロとムウから学んでいる。フレイは頭の中に〝ダガー〟のイメージを強く描き、自分自身から発せられるわずかな心の流れをモビルスーツの血液と見立て――
 〝ダガー〟がわたしでわたしが〝ダガー〟。あなたとわたしは一つの存在。わたしが思えばあなたが動く。それは当然。だってわたしだもの。
 フレイはすっと目を開き、前を見据えた。十七メートル下でセレーネとソルが食い入るように計器を見つめている。赤と緑のパルスが画面の天井を指し続けている。
 ――まずは指を動かそう。
 〝ダガー〟の指がぴくりと反応し、ゆっくりと拳を作り上げる。
 
 〈ソル、記録は!?〉
 〈ばっちしだ!〉
 〈機体のロックを外して!――少尉、歩いてみてください!〉
 
 フレイは言われたまま、ゆっくりと、それでいて彼女達を踏まないように注意して一歩足を踏み出した。
 
 〈そのまま外へ!〉
 
 セレーネが声を荒げた。
 セレーネ・マグリフ――彼女には目標がある。そしてその目標以外には目もくれない。だからラクスに興味が無かったのだろう。ソル・リューネ・ランジェは、彼女を実の姉のように慕っている。彼はあのエドモンドの甥で――。いや、そんなことはどうでも良い。
今唐突にわかってしまった彼らの家庭事情や性格も、なぜわかってしまったのかも興味が無かった。今フレイが見つめてるのは遥か遠くに広がる無限の宇宙《そら》。青く広がる宇宙を目掛け、一歩足を踏み出してみる。
大地を踏みしめる感触と、わずかな風の匂い。鳥の声。まだここは宇宙《そら》ではない。もう一歩、また一歩。しかし宇宙《そら》には届かない。手を伸ばせばつかめてしまいそうな位置にあるのに届かない。
ならば、せめて闇に広がる星たちを見つめてみたい。どんなものなのか覗いてみたい。フレイは目を凝らした。闇の奥で光が走る。声も聞こえる。
 フレイは、耳をすました。
 
 『では……こ……出会……』
 
 雑音に邪魔されて上手く聞き取れないが、どこかで聞いたことのあるような、若い少年の声だ。フレイは何故か強い苛立ちを覚えたがぐっとこらえた。声はまだ続いているのだ。
 
 『……そう……と思う……れも運命……』
 
 雑音が酷くなる。この胸を駆け巡る苛立ちはいったい? 頭が割れそうに痛い、鼓膜が破れそうだ。
 
 『……なぜ……運命……酷すぎ……る……』
 
 頭痛は更に酷くなる。もう止めて、誰か助けて。お願いだから止めて、お願いだから。
 
 『……認め……だ……ラ……』
 
 やめ、て……。誰か……や、め、て。
 
 『でも………に…………て』
 
 や、め、て……。や、め、ろ……。や、め……
 
 『……人……宿命…………』
 
 や、つ、と、の――
 戯、言、は――
 や、め、ろ!
 ――ララァ!
 雑音が、消えた。目の前に広がるのは漆黒の宇宙、そして光の剣を手に持ち襲い掛かるのは〝ストライク〟に似た白き魔人。
 フレイはビーム砲となった指で白い巨人の首を握りしめた。目の前にいる巨人が、叫ぶ。
 
 『い、今、ララァが言った! ニュータイプは殺しあう道具ではないって!』
 
 戦場では強力な武器になる。やむを得んことだ!
 
 『貴様だって……ニュータイプだろうに!』
 
 黙れ! 私が何も感じていないと思うのか!? ララァが死んだことを素直に受け止められていると思うのか!? 彼女は私の母になってくれるかもしれなかった女性だというのに、それを、貴様は!
 
 殺したのだ! さあ殺せ! 憎しみを忘れる事のできない人類など、滅んでしまえば良い! そして私がまたゼロからやり直そう! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! お前がほんの少し力を入れるだけで、やつの首をへし折る事ができる! 父を殺した敵が憎いだろう! その感情の赴くままに動け!
 
 そうよ、わたしのパパを殺した敵なんて死んでしまえば良い。コーディネイターなんて消えてしまえば良い。キラも、カナードも、みんな綺麗なお星様にしてやる。ラクスだって……。ラク……ス……。
 
 ――今、君は、それをおかしいことだと感じた。その気持ちこそが、君の本当の心だ。
 
 さあ殺せ! 殺してしまえ!
 
 君の優しさを、私にも見せてくれ。
 
 殺すのだ! お前のパパもそれを望んでいる! そうだろう!
 
 君の心が、美しくあることを。
 
 何を躊躇う必要がある! この世界はもう駄目だ! だが私がいれば違う! 何度でも、何度でも、何度でもやり直すことができる!
 
 世界を作るのは、君のような子供達だ。迷うことは無い、仲間を、友人を信じてやれ。私には……それができなかった。人は過去には戻れない、そして過去に囚われたままでは、死者の魂に心を引かれ……私のような結末になってしまう。
 
 敵を殺せ! 傷つけることしかできない人類など、星にしてしまえば良い! 私の名を呼べば、星を裂き銀河を砕くことすらも可能になる!
 
 君は、生きるんだ。君がそれを望むのなら、及ばずながら力を貸そう。
 
 『さあ、どうする?』
 
 フレイははっとして目を開けた。
 〝アークエンジェル〟の医務室の壁。騒がしい周囲の物音と悲鳴にも似た声。目の前には顔を真っ青にしたラクス、彼女の首には――
 
 
 
 「フレイ、何やってんだよ!」
 「ラクスさんが死んじゃうわよ、フレイってば!」
 
 力いっぱい絞められているラクスの首。彼女は苦しそうに声をひねり出した。
 
 「フレ……イ……さ……ん」
 
 心臓の鼓動が早くなる。今、ほんの少し指に力を入れるだけでラクスの首はへし折れるだろう。そんなことはしたくない、したくないはずなのに……そうしたくてたまらない衝動に駆られている。指がラクスの首から離れない、離したくても……。
 
 「カ、カガリ、助けて……」
 「助けてって、何言ってんだよ!?」
 「指が離れない!」
 
 カガリが驚いて一歩後ずさった。すぐさま医務室のドアが開き、キラが入ってきた。
 
 「フレイ!? 何やって――」
 「どけ!」
 
 カナードがキラを押しのけ、フレイに体でぶつかった。指がラクスの首からするりとすべり、フレイは思い切り尻餅をついた。
 がたっと崩れ落ちたラクスを支えるカガリとミリアリアの様子に、フレイは安堵した。
 
 「貴様、自分が何をしているかわかっているのか!」
 
 カナードが緊迫した声で言った。
 
 「わ、わからない……」
 「ふざけるな! オレは――」
 「ふざけてなんかいないわよ! わたし、ラクスに何したの……? 何でここにいるの? わたしなにしてたの!? ねえ!」
 
 
 
 どうもおかしい彼女の様子に、キラは眉をひそめた。
 何だかんだ言っても、フレイとラクスの仲が良いことは誰もが知っている。それにミリアリアとカガリが加わり、『この艦も華やかになったもんだ』とマードックがもらしていたのもついこの前聞いたばかりだ。
 
 「……貴様は、どこまで覚えているんだ?」
 
 カナードが片方の眉を不機嫌そうに吊り上げ、言った。
 
 「ど、どこまでって……」
 
 しどろもどろになってフレイが言う。
 キラの後ろからトールがすっと出てきて、座り込んでいるラクスを助け起こした。フレイが続ける。
 
 「〝ダガー〟に乗って――」
 
 彼女は視線を逸らし、うつむいた。
 
 「後は、わからない……」
 「……わからない?」
 
 もう一度目の端を細めた後、カナードは無言で医務室を後にした。
 キラは震えているフレイをなんとかしようと、なるべく優しい声色を意識して彼女に声をかけた。
 
 「……アムロさんたちは、原因を調べてるんだ」
 
 フレイは顔をあげ、形の良い唇で「……原因?」とつぶやく。
 
 「フレイ、さ。丸一日眠ってたんだよ。〝ダガー〟のテスト中に突然なんだって。詳しい事は教えてくれなかったけど、負担がかかりすぎたんじゃないかってマードックさんは言ってた」
 
 ――でも……負担とはいったい? ただのモビルスーツのテストにどれほどの負担があるのだろう? 丸一日も眠ってしまうようなことが?
 ラクスがふんわりと、フレイに声をかけた。
 
 「わたくしは大丈夫ですから。そんな顔をしないでください、フレイさん」
 
 そういう彼女の顔は優しい。
 フレイは辛そうに視線を反らす。ラクスはくすりと笑い、彼女の顔を覗き込んだ。
 
 「大丈夫ですっ。ね?」
 
 ……自分では気づかないのだろう。彼女の首は内出血を起こして赤くなっている。
 
 「……ごめん」
 
 フレイが弱々しくつぶやいた。
 
 
 
 キラは自室に戻り、シャワーを浴びてベッドにばたんと横たわった。その反動で、ベッドの上に放っていた一冊の本がわずかに跳ね、キラの視界に止まる。
 アムロがバナディーヤの街で買った本だ。何やら、親しい友人が書いた本と似ていたそうだが、中身はまるっきり違ったようで、それが彼が落胆した原因だったようだ。
 結局、キラは興味も無かったがそれを借り、案の定ちらと目次を流し見しただけでそこから続きを読んでいない。
 『巨人たちの黄昏』と書かれたその本をおもむろに手を取り、ぱらぱらとページをめくる。
 どうやらそれは、一部の地方に伝わる、とある童話の解説書のようなものであり、著者の名前はかすれていて読めない(恐らくこれがアムロが間違って買った原因だろう)
 解説文には、ファーストコーディネイターのジョージ・グレンと共に木星へ行ったことがあると書かれていたが、興味は無かった。
 一章は、哀の章、もしくは始まりの章などと書かれてあり、キラは心の中でどっちだよと突っ込んだ。更に、戦士の章という意見もあるなどと付け足されていれば、キラはこの本の信憑性を疑うばかりである。
 他に、大地の章やら光の章などと、さして珍しくもなんとも無い名をつけられたいくつもの目次を見れば、キラはまたそこで興味が失せ、パタンと本を閉じた。
 しかし……とキラは思う。
 こんなことをしていて良いのだろうか? 少しずつだが、何かがずれてきているような気がする。フレイが、モビルスーツに乗っている。そのテストで彼女は倒れて……。ぼくだって本当は戦いたくなんて無いのに、人殺しなんてしたくないのに……。でも――。
 でも、カナードは戦っている。戦いこそが自分の存在意義だと言い切っている。彼は何故あそこにいたんだろう? ぼくの母さん――カリダ・ヤマトならこのことを知っているのだろうか? 彼とぼくとの関係を。。
 ……本当は知るのが、怖い。
 きっと想像してるような素敵な事ではないはずだから。思わず顔を背けたくなるような、汚い何かが絡んでいそうな気がするから……。
 ただのナチュラル同士ならば、奇跡だとかですませれるかもしれない。でも、キラと彼は違う。遺伝子を弄り生み出された、コーディネイターという種なのだ。きっと、何か、ある。
 服の上から、おもむろにキラは自分の右肩から斜めに抉るようにしてつけられた傷をなでた。それは、宇宙《そら》の戦いで、フレイの父を守れなかった時に負ったものである。完治はしておらず、時折うずくのが不快であり、同時に自分の無力さを幾度と無く知らしめる。
 なんだかわからないことだらけだ。宇宙で見たあの光の粒のこともわからなければ、偶然とは言え、あのフレイが『虎』とアスランを打ち負かせた事もわからない。
 
 
 
 アスラン……彼のことを思い浮かべると、胸が痛む。彼は元気でやっているだろうか。あんなに仲良くしてきた……兄弟同然とも言える関係だったアスランとは、互いに命を奪い合う存在になってしまった。もう、あの頃には戻れないのだろうか……。
 ――あの頃……、そう、まだ平和の中にあった、何もかもが眩しいあの頃。
 
 『二八○Eに接続するのは五二九Gだって言ったろ!』
 
 懐かしい声が、頭の中に響いてきた。
 
 『ほら! ちゃんと図面見て!』
 
 少しだけ幼い、十三歳のアスランが眉間に皺を寄せながらため息をついた。
 
 『わからないよう……こんなの……』
 
 キラも負けじと反論する。
 
 『わからないわけないだろう? キラはわかるくせにちゃんとやらないだけ!』
 
 今日、キラは学校の課題で最も嫌いなマイクロユニット製作を、学年トップのアスランに手伝ってもらっている。
 アスランはこういう細かい事が得意だ……。きっと好きなんだろう、こういうの。
 ふいに、こんこん、というノックの後、キラの部屋の扉が開いた。
 
 『キラ~、アスラン君も食事にしましょう』
 
 肩まで伸びた艶やかで、少しウェーブした黒髪の優しそうな女性は、母のカリダ・ヤマトだ。よく食事中にテレビを見て、怒られたっけ。
 アスランも母さんも、テレビの良さをわかっていないんだ。
 そういえば、アスランは母さんの作るロールキャベツが大好きだっけ……。そしてそれに使われるキャベツは、アスランのお母さんがプラントの農場コロニー――たしかユニウス・セブンって言ったっけ――から作って届けてくれたものだから、感慨深い。
 ――そうだ。オーブに戻ったら、カナードと一緒に母さんのロールキャベツを食べよう。いや、カナードだけじゃない。トールも、サイも、ミリアリアもカズイも……フレイたちも誘って、みんなで一緒にご飯を食べよう。それはきっと幸せなことだと、思う。
 そうだ、そうしよう。みんなで……一緒……に……。
 キラの部屋から聞こえてくるのは静かな寝息だけであった。
 
 
 
 下士官用の大部屋から、少尉となったフレイはいくつかの荷物をまとめ、新しい自分の部屋へと足を進めた。
 一人用の個室だと聞いている。ま、ラクスやカガリには悪いけど、わたしは先にこっちでゆっくりとさせてもらおう、などと考えながら割り当てられた自分の部屋の前にまで来て、扉を開けた。
 その中で、いるはずのない少女が「これでよし!」とにこやかに告げ、自分の荷物を降ろしたラクスが桃色の髪をなびかせてにっこりと微笑んだ。
 フレイは何ともいえない顔になり思わず目の前の現実から目をそらした。
 
 「あ、今日からわたくしもここで寝ますね」
 
 と告げられるも、フレイはまだ無言のまま頭をかかえるしかできない。
 そのままラクスはたった一つのベッドにひょいと寝転ぶ。
 
 「まあ、こっちの方がやわらかい!」
 「あのさあ!」
 
 思わず声を荒げた。
 
 「はい?」
 「ここわたしの部屋!」
 「ああ、大丈夫です、わたくしもオーブのことわざを勉強しています! 親しい友達に送る言葉だとか!」
 「はあ?」
 
 わけもわからず顔をしかめると、ラクスはにっこりと笑みを浮かべ、ぐっと親指を突き上げ言った。
 
 「『お前のものは俺のもの!』」
 「殴るわよあんた」
 
 ぐっと拳を握り脅しても、ラクスはぷいとそっぽを向き、「わたくしのフレイさんはそんなことしません」などと言ったので拳骨で頭をごつんと殴った。
 
 「何するんですかぁ!!」
 
 ラクスが憤慨してじたばたする。
 
 「ベッドどうすんのよ!? 一つしかないのに!」
 「大丈夫です、わたくしは気にしません!」
 「はあ!?」
 
 もちろんこの後フレイはマリューに思い切り抗議した。どうして大して広くも無い一つのベッドを二人でわざわざ……。
 が、結果何故か新しく割り当てられることになったのは、確かに士官室であったが、相部屋であり、フレイはまた頭を抱えた。
 ラクスは相変わらずご機嫌であり、小言の一つでも言ってやろうかと思ったが、わずかに紫色になった首――フレイの握り締めた痕――が視界に入り、言葉を紡いだ。
 ラクスは、フレイにあそこまでされても、こうしてついてくる。その理由は、なんとなくわかっていた。
 自分のベッドの感覚をふかふかと楽しんでいるラクスに、フレイはそっと言った。
 
 「ミリアリアのこと、そんなに嫌い?」
 
 びくりと少女が固まる。ああ、やっぱりこの子は……。
 
 「一人だけ家族いて、幸せそうにしてるのが気に入らないんでしょ」
 
 なるべく優しい声色を意識して言うと、ラクスはぎゅっと口を紡いでフレイを見据える。フレイは続けた。
 
 「わたしもさ、ミリアリアのこと良いなあって思う時あるもの」
 
 そのままフレイはベッドに仰向けになり、白い天井を見つめた。ミリアリアには、家族がいる。フレイには誰もいない。ラクスも母がいない。カガリもそうだ、母は幼い頃に死んだと言っていた。
 ラクス・クラインという少女は、ミリアリアに嫉妬していたのだろう。妬みや嫉妬が、時を重ね嫌悪へと変わる、それだけのことだ。
 フレイはそうではない。彼女はミリアリアとはそれなりに付き合いが長いのだから。でもたぶん、ラクスにとって彼女は、その他の一人でしかなく、それが自分よりも恵まれた状況にいて――。
 ラクスが視線をそらしわずかにうつむく。
 
 「あんたが良いなら、別にそれでも良いけどさ」
 
 フレイはもう気づいている。彼女が心の底から笑顔を振りまいていることなど無いことを。いや、ひょっとしたらフレイといる時だけは本当の笑顔だったのかもしれないが、自惚れかもしれないと思いその考えは捨てた。
 ふいにラクスが立ち上がり、フレイのそばまでやってきて、そのまま同じベッドにちょこんと横になった。
 
 「……今日はここで寝ます」
 
 小さくうめき、彼女がうずくまる。
 慰めて欲しいのはこっちだって同じなのに……という思考は、彼女の首の痕による負い目から言い出せなかった。
 
 「フレイ」
 
 おもむろに彼女が言った。
 
 「ん?」
 
 短い沈黙。やがて、ラクスはくすりと微笑し、続けた。
 
 「首、痛いです」
 「ん、ごめんね」
 
 ほんの少し、救われた気がした。
 
 
 
 ……こんな夜は嫌になる。
 部屋で横になっていたカナードは、薄暗い天井を仰ぎ見た。
 今日、外は熱帯夜だ。が、そんなことは問題ではない。〝アークエンジェル〟の空調はムカつくほど完璧だ。これまで過ごしてきた環境とはかけ離れている。しかし――。
 こんな夜は、昔の事を思い出す……。
 オレは四歳の時まで、どこだかよくわからない孤児院で育てられてきた。その頃の記憶も曖昧だ。その頃から持っていた、指輪が通されたネックレスを、どこかでなくしてしまったが……もはやどうでも良いことだ。
 ある日、オレは売られた。信じてきた者が、何を思ってそうしたのかなどは覚えていないが、どうでも良い。そいつらはこのオレを、研究所のヤツらに売った。その事実だけで、オレは充分だ。
 白衣を着た糞ジジイ共が言う。
 
 『ほう、これがメンデルで作られた実験体ですか』
 
 コイツは散々オレを痛めつけた男だ。いつか殺す。
 
 『しかしどうやって生き延びたのか』
 
 この禿ジジイは、もう殺してある。あの時は最高だった……。
 
 『失敗作として破棄されるのを、助手の一人が情けをかけて逃がしたのです』
 
 この糞アマはまだ殺してない。必ず殺す。オレを逃がした助手とかいうのも、見つけ出して殺してやる。逃してくれと誰が頼んだ? 生かしてくれと誰が頼んだ? 必ず、殺してやる。
 八歳になっても、オレのやる事は変わらなかった。
 一日中、素っ裸でおかしなコードを括り付けられ、反吐吐くまで走らされたり、人を殺したり……熊と格闘させられた事もあった。頭のネジが数本飛んだ研究員どもは本気勝てるとでも思ったのか? 当然オレは死に掛けた。
 そんな時、決まって言う台詞がある。
 
 『こんな失敗作ではなく、本物のサンプルさえあれば!』
 
 自分の低脳さを棚に上げて良く言うカス共だ。
 オレは度々、昔から持っていたネックレスを握りしめ、いつか自由になれると強く想った。そういえば、胃の中に物を隠す事を思いついたのは、それをヤツらに取られないようにするためだっけ。
 あるとき、オレに転機が訪れた。あれは確か……十三歳の時だ。
 地球の……場所はどこだったか。砂漠だったのは覚えている。
 禿頭の研究員は、オレを完全にモルモットとしてしか見ていなかった。そんなマヌケだからこそのミスなんだろう。ヤツはこともあろうに、オレの拘束具を外し、その研究所――今となっては何を研究していたのかなどわからないが――の連中に、『完璧な戦闘用コーディネイターの兵士』として、提示しようとしたのだ。
なんとも愚かなことだろう。ヤツはオレのことを従順で物分りのいい人形だとでも思っていたのだろうか。いや、そんな事はどうでも良いのだ。
 そこから先は簡単なことだった。
 その禿頭の首をヘシ折り、置いてあったボールペンで所内の連中を皆殺しにしてやった。……ああ、そういえば一人見逃してやった奴がいたが……。
 このときだったかもしれない。オレがあのネックレスを無くしてしまったのは……。あれは今どこにあるのだろう。そもそも、あれは一体誰が……。
 いつの間にか、カナードの不快感は消え去っていた。
 
 
 
 「……〝レセップス〟、なんだよな……」
 
 午前四時、眠たげな目を擦りながらもキビキビと荷物をまとめて格納庫へやってきたアスランは、眠気も吹っ飛ぶ衝撃に身を包まれていた。
 繰り返すようだが、〝レセップス〟はあの『砂漠の虎』が駆る地上部隊の旗艦であり、レセップス級戦艦のネームシップでもあるのだ。そんなものをあんな軽いノリで、自分のような若造に……。
 既に人員の補充はまだのようだ。〝レセップス〟は静かに佇んでいるだけだ。
 アスランは〝レセップス〟、ザラ隊というプレッシャーに身を震わしつつ、まずは自分の部屋へと足を進めた。
 当然ながら、道中誰とも会うことなく、自分の部屋につくことができた。扉を開け、中を確認する。
 まず、アスランは部屋の広さに驚いた。いや、今まで何度か〝ヴェサリウス〟で隊長室には行った事がある。しかしいざ自分がそこに住むとなると……こうも感じ方が変わるものなのか。いかにも高そうな皮のソファーに広いデスク。大き目のベッドに……なんでかわからんがコーヒーポッドまである。
側に木でできた虎の置物がちょこんと置いてある。首には可愛らしくピンクのリボンが巻かれてあり、『砂漠の虎から騎士団へ』と綴られていた。
 なるほど、これでようやく合点が言った。このソファーやら何やらはバルトフェルドからの贈り物なのだろう。なぜ自分達にここまでしてくれるのかはわからないが、感謝せねばなるまい。
 
 「おお、良いなぁソファー」
 
 すぐ背後から気だるげな声が聞こえてきた。アスランは軽くため息をついてから言う。
 
 「相変わらず朝は弱いな、ラスティ」
 
 半開きの目にだらけた軍服、こんなにもだらしない友人は彼くらいしかいない。寝ぼけ眼で、彼が何かに気づき言った。
 
 「お前コーヒーつくんの?」
 「バルトフェルド隊長からの贈り物さ。作っては見るが……」
 
 やれやれと返した後、アスランはラスティを連れ、艦橋へと向かった。
 やれ砂っぽいだの、やれ寝苦しいだの、無駄口は多いがラスティはれっきとしたエースなのだ。そう思わないとやっていけない。
 艦橋まであと少しの所で、ラスティが突然駆け出す。アスランは何事かと声をかけようとしたが、その前にラスティが言った。
 
 「へっへー! いっちばーん!」
 ……本当にコイツは。
 
 苦笑をこぼしながら、アスランも半ば釣られ気味に小走りとなる。
 
 「おい待てよラスティ!」
 
 赤毛の友人が扉の前へと差し掛かる。
 
 「んん! 残念だったなアスラン! ザラ隊の旗艦〝レセップス〟艦橋の一番乗りはあ! このラスティ・マッケンジーさまだああんっ!」
 
 この無駄に高いテンションはどこから来るのだろう。先ほどまであんなに眠たそうだったのに。
 
 「――げっ!?」
 
 艦橋へ勢い良く飛び込んだ彼の言葉が止まった。不信に思い、後ろから覗き込んでみると……。
 
 「相変わらずだな、ラスティ・マッケンジー」
 
 寸分の乱れもない軍服、生真面目そうな目に口元を覆う綺麗に切りそろえられた髭。手元には懐中時計。この男性は――
 
 「ゼ、ゼ、ゼ……ゼルマンのおっさん!?」
 
 口元をひくひくさせながらラスティが敬礼した。そういえば、何事も調子よくこなす彼が最も苦手としていたのが、このゼルマン艦長だった。
 
 「ゼルマン艦長……怪我は宜しいのですか?」
 
 あの時、ボロボロの〝ガモフ〟を見て、誰もが生存を絶望視していた。しかし、ゼルマンは生きていたのだ。あの時の声が教えてくれた通りに……。
 ゼルマンは黙って包帯で固定された左足を軽く浮かせた。そしてキッと姿勢を正し――ただでさえ良い姿勢なのだが――敬礼する。
 
 「私のような者をもう一度使っていただき、ありがとうございます。ザラ隊長」
 
 ……敬語だ。しばらく呆気に取られていたアスランだったが、横でラスティが肘で小突いたのに気づきはっとする。
 
 「えぇ?! は、はい! ザラ隊のアスランです! よろしく……」
 「……落ち着けってアスラン」
 
 ザラ隊の戦力は、着実に整っていくのだった。
 
 
 
 〝アークエンジェル〟の格納庫で、カガリはフレイと一緒にシミュレーション訓練をすることになった。相手は……〝ダガー〟に搭載された人工知能だ。まだ赤ん坊同然なので動きは大したこと無いらしいのだが、ヒヨッコの二人には丁度いい相手、だそうだ。
 
 「ちぇっ、アムロ・レイは私をヒヨッコ扱いしてさぁ」
 
 カガリはアムロが無性に気に食わない。出会いが出会いなので仕方ないことではあるが、同じ理由でカナードのこともあまり好きではない。
 
 〈何よ、わたしにだって勝てないくせに〉
 
 〝ストライク〟のコクピットで漏らしたカガリのボヤキに、モニターに映ったフレイが反応した。
 
 「べ、別に良いだろ! 私だってモビルスーツがあれば……」
 〈言い訳すんのあんた? なっさけない〉
 「う、うるさいな!」
 〈ほら、さっさとこっちに繋いでよ、始まんないじゃない〉
 「ぐっ……今やるところだ!」
 
 本当に口が煩い友人だ……。カガリは心の中で悪態をつきながらも、急遽つけられた人工知能との通信モニター――と言っても、小さな画面に文字が出る程度のものだが――のスイッチを入れる。101010とわけのわからない文字列がずらーっと並んでいき、やがて暗転した。
 
 「あれ? これで――」
 〈良いのよ。聞いてなかったの?〉
 「聞いてたよ! 知ってるって! 言ってみただけだ!」
 
 全く、本当に……。
 カガリがいらいらしながら待っていると、やがて前面のスクリーンが点灯し、格納庫の壁が映し出される。
 
 「で、どうするんだ?」
 
 カガリが不機嫌さを隠そうとせずに言った。だいたいフレイはなんだってんだ、私の方が一才も年上だし戦いの経験だって長いのに……。最近めっきり勝てなくなった。特にここ数日は一度も……。
 そんなことを考えていると、シートの左隣についた小型モニターに文字が映し出されていく、内容は……。
 
 『おはようございます、アルスター少尉、ユラ二等兵。ご命令を』
 
 噂に聞く人口知能だ。名前すら決まっていないこんなのと訓練をするはめになるとは。
 
 〈えーと……模擬戦プログラム実行、レベル1、と〉
 「挨拶とかしなくていいのか? この……なんだ、〝ダガー〟に」
 〈良いのよ、ただの定型文らしいし〉
 「そうなのか?」
 〈そ。人格なんて全然できてないんだってさ〉
 
 なるほどねぇ、と一人納得したカガリだったが、同時に落胆もしていた。昔見た……ライオンだとか新幹線が変形するアニメみたいにモビルスーツと会話ができると思ったのだが……。現実はそう甘くないようだ、残念。
 
 『了解。模擬戦闘プログラム起動』
 
 ご丁寧に小型モニターに羅列されていくこの文章も、どっかの誰かが入力したものを表示してるだけなのだろう。カガリは軽くため息をついた。
 
 ちなみに、これの開発者であるセレーネ・マグリフとソル・リューネ・ランジェは、未だに先日のマシン暴走の原因を探すべく奮闘中だ。碌に睡眠を取ってないとか言っていた。まぁ自業自得だ、私の友達にあんなことさせてしまったのだから。
フレイ自身も彼女のことをあまり快く思っていないようで――これは単純に性格の相性の問題だろうが――やれ私を馬鹿にしてるだとか、見下されてる気がするだとかそんな愚痴を聞かされる。はたから見てればそんな様子は全く無いのだが、なんとも思い込みというのは恐ろしいものだ。
 そうこうしているうちに、格納庫が映っていたモニターの映像が、晴天の荒野へと変わる。目の前に現れたのは一機の〝ジン〟だ。
 
 「お? こいつを倒すんだな?」
 
 小型モニターには『ミッションスタート』の文字が浮かび上がっている。
 
 〈そうよ、レベル1ってくらいだから相当楽だと思うけどね〉
 「へへっ楽勝だろ! 私一人でやってやる!」
 
 意気込んで〝ストライク〟を前進させる。〈ちょ、ちょっと!〉と慌てた声が飛んできたが、無視してトリガーを引いた。
 
 モニターの中で放たれたビームは緩やかな尾を引き、吸い込まれるように〝ジン〟の胴体に命中した。一拍置いて、小さな爆発を起こし、やがてそれが腕や腰に誘爆していき、〝ジン〟は文字通り木っ端微塵となってしまう。
 
 「どうだ!」
 〈……レベル1、ね〉
 
 フレイの呆れた声が聞こえたが、もはや負け惜しみだろう。たぶんそうに違いない。きっとそうだ。ちなみに小型モニターには『たいへんよくできました ◎』などと書かれている。なんだか凄く舐められている気がするが……まぁこれが機械の限界なのだろう。
 その後も、カガリとフレイは着々とミッションを進めて行き、レベル2のバクゥ(動かなかった)も、レベル3の〝シグー〟(攻撃してこなかった)も、最高レベルの〝イージス〟(何もしてこなかった)も楽に倒す事ができた。
 
 「どうだ! これが私の実力だぞ!」
 〈……あぁそう〉
 
 フレイめ、どうやら私の実力に言葉も無いらしい。流石私、凄いぞ私。
 
 〈ちょっとーっ、こんなんならアムロさんの言うとおり普通に模擬戦やってりゃ良かったじゃないー〉
 
 唇を尖らせ、フレイが言った。通信モニターの先にいる彼女が、自分の小型モニターを小突きながら続ける。
 
 〈このポンコツ、全然役に立たない〉
 
 小型モニターには、『ご命令を』の文字が映し出されている。
 
 「なぁフレイ、私もなんか命令して良いか?」
 
 ふと、とあることを思ったカガリはつぶやくように聞いた。
 
 〈良いけど、何するの?〉
 「〝ストライク〟と〝ダガー〟にはさ、アムロ・レイの〝デュエル〟と戦闘経験あったよな?」
 〈んー? ああ、クレタ島?〉
 「そうっ。コイツに不満なら、そっちとやってみたらどうだ?」
 〈そうねえ、そうしよっか。――でもわたし、設定とかのやり方わかんないんだけど〉
 「任せろ!」
 
 そんなの簡単だ。私にかかればこんなものはちょちょいの……
 
 〈何やってんの?〉
 「んっふっふっふ~。実はな、さるルートからアムロ・レイの戦闘データを入手してあるのだ!」
 
 カガリはモニターに映るフレイに、手のひらサイズのデータディスクを見せびらかした。〝ストライク〟と〝ダガー〟に記録されたデータと、これをあわせればきっとかなり……ええと、いい感じのシミュレーションができる、はずだ、たぶん。
 ……とは言っても、マリュー達には無断で拝借したデータだ。このデータがあれば、オーブで開発中のモビルスーツも、少しはマシになるだろう。
 
 〈うそ、それ本当!?〉
 「もっちろんだ! 凄いだろう!」
 
 ああ見えて、キサカは意外とはしっこい。この戦闘データ以外にも、〝ストライク〟や〝バスター〟の実戦データもばっちりと手に入れているのだから。ちなみに最新型の〝ダガー〟については現在調査中である。『必ずや手に入れてみせます、カガリ様』と意気込んでいたキサカの上腕二等筋は今でも鮮明に思い出すことができる。
 
 〈……キサカさん?〉
 「うっ……」
 
 ……鋭い。
 
 〈あー……ねぇカガリ。それ艦長に言ったら〉
 「さ、さぁデータ入れるぞ! 楽しいシミュレーションだ!」
 
 しまった。またやってしまった……。
 
 〈ふーん?〉
 「………………」
 〈………………〉
 「……貸し、一つで」
 〈ん、りょーかい〉
 
 大失態だった。
 半ば意気消沈しつつも、カガリはデータディスクを〝ストライク〟の端末に挿入する。……読み込みが遅い。しばらくカタカタという独特の機械音だけがコクピットに響いた。
 
 「あれー? まだかなぁ。入れるだけで良いって言ってたのに……」
 
 そのとたん、ぷしゅぅうとおかしな音を立てて映っていた映像全てが消えた。完全なブラックアウトしたコクピットに、カガリは驚いて声を上げた。
 
 「うわわ、なんだっ」
 〈あ、あんた何やったの!?〉
 「ち、違うぞ! 私は知らん!」
 
 〝ダガー〟も同じ状況のようで、フレイも困惑しているようだ。しかし、通信は聞こえているしフレイの様子もモニターにきちんと表示されている。これはいったい……? ひょっとして噂に聞く殺人ウィルスというやつだろうか? いやしかし、それの情報元は何と言ってもムウ・ラ・フラガなのだから信用には足らない。
となると……。カガリはふと、思い当ったことをそのまま口にした。
 
 「なんか、ファミコンみたいだな」
 〈……ファミ――なにそれ? ロリコンの友達?〉
 「違う違う。昔さ、秘密基地で拾ったんだ。太古のゲーム機らしいぞ、なんとかドーってのが出した……、それ、すぐに止まるんだ」
 
 懐かしいあの日々。太った髭の親父の冒険物語みたいのをみんなで遊んだのだが、途中で突然止まって、音がプーと鳴り響いた時は大笑いしたものだ。今になっては何が面白いのかはわからないが、あの頃はそれだけで面白かった。
 ふいにフレイがつぶやいた。
 
 〈あぁそう、わたしの家で見つけたのね……〉
 「うっ……」
 
 ……し、しまった。慌てて口元を押さえたが後の祭りだ。フレイは座った目つきでこちらをじっと睨んでいる。
 
 「……二つ目で」
 〈……ん〉
 
 そうこうしていると、再びモニターに映像が映し出された。場所は――先ほどと何ら変わりのない荒野だ。しかし――
 
 「あれ、何だ……?」
 〈〝ジン〟みたいなものに見えるけど……〉
 
 確かに〝ジン〟に酷似しているが、細部は別物だ、右肩にはシールドのようなものを装備し、左肩には棘の突いたスパイクガード、脚部には動力パイプがはみ出しているし、頭は〝ジン〟よりも丸みを帯びていて、角飾りまでついている。
それに、何よりも色が違う。灰色の〝ジン〟とは全く違うイメージを感じるのはそれが原因だろう。
ピンクに近い赤色、それが目の前に映し出される〝ジン〟のカラーだった。
 
 
 
 『特別ミッション・レベル1』
 
 小型モニターにはそう映し出されている。
 
 〈どうするの?〉
 「もっちろん! やるに決まってるだろ!」
 
 と意気込むも、フレイはいまいち乗り気では無いようで、というかカガリのやったことを信用してないようで思わずむっと顔をしかめる。
 
 「なんだよ、やらないのかよ?」
 「えー」
 
 すると、再び小型モニターに文字列が浮かび上がった。
 
 『怖気づいたかね?』
 〈あ、こいつ生意気っ〉
 
 なんだか先ほどの無機質な〝ダガー〟とは、雰囲気が変わった気がした。おかしな表現かもしれないが……まるで『人が変わった』ような。
 フレイの顔が意地悪く歪む。
 
 〈ふーん? やってみる? 少しだけ〉
 「あ、ああ」
 
 まぁいいさ、どうせ誰かの悪戯だろう。カガリはさして気にもとめず、目の前に映し出されるミッションスタートの文字を睨みつけた。その文字はすぐに消え、正面に佇む赤い〝ジン〟のモノアイに火が点り、ゆったりとバズーカを構える。
 カガリがふっと息をつく。
 
 「よーし、またコテンパンに――」
 
 その瞬間、ピーッという警報《アラート》とともに、モニターの端に『撃墜』の文字が浮かび上がる。
 
 「あ、あれ?」
 〈カガリ!――コイツ……!〉
 
 胴体部――つまりコクピットへの直撃だった。衝撃やGの伝わらないシミュレーションでは認識する事すらできない自機の撃破。カガリは信じられない気持ちで、既に視界から消えた赤い〝ジン〟を探す。
 
 「あの赤いの、何したんだ!?」
 〈ちょ、ちょっと待ってよ!〉
 
 上ずったフレイの声の先に、赤い〝ジン〟に翻弄される〝ダガー〟の姿があった。幾度と無くショットガンを放つも、全て紙一重で回避されていく。通常の〝ジン〟では考えられないほど機敏な動き、圧倒的なスピード、まるでアムロ・レイのような――。
 やがて、弾を撃ちつくした〝ダガー〟に〝ジン〟がゆらりと近づき、腰からハンドアックスを取り出しコクピットを切り裂いた。
 彼女達のシミュレーションは、そこまでだった。
 
 
 
 全身汗だくのフレイは、パイロットスーツのヘルメットを乱暴に脱ぎ去り、額の汗を拭っている。
 
 〈何……こいつ……〉
 
 あまりの強さに何もいえないでいるカガリは、ふとモニターに眼をやった。そこには――『三十点。実戦経験があまりに足りていない』、と……。
 
 〈ああむっかつく! 何よこいつ! 偉そうにして!〉
 
 フレイはそのまま額に皺を寄せ、イライラと腕を組む。やがてふっと息をつき、首を振りながら片手を挙げた。
 
 〈やめよ、やーめ。わたし帰る〉
 「おい!? 良いのかよ!」
 〈だってこんなのに勝てる訳無いじゃない。どーせ質の悪いいたずらよ、もうやーめた〉
 「あのなぁ……」
 
 なんという根性無しだろう……。カガリは友人の態度にあきれ返りながらも、確かに今の自分じゃあ勝てそうにないだろうと流石にわかっていた。悔しいことこの上ないが。
 
 〈ほら、帰るわよカガリ〉
 「私もか!?」
 〈……何? 何か文句あんの?〉
 「うっ……」
 
 ……機嫌の悪いフレイだ。こういう時こいつに口答えするのは得策じゃないのはよく知っている。口では敵わないのだから。
 「……わかったよ」
 
 呆れ返りながらコクピットを後にしたカガリだったが、やはり疑問に残るのはあの動きの変わりようだった。
 
 (最初の時とは別人のような動きだったけど……)
 「ほーら、さっさと来る!」
 「わかったよ!」
 
 とりあえず今はフレイを苛立たせないようにしようと思い、先ほどの疑問は記憶の隅においやることにした。
 しかし、本当の悲劇はこの後だったのだ。
 休む暇もなくキーボードを打ち込み、吐き出されるデータと睨みっこしているセレーネに、今回の模擬戦の報告に行ったのだが……。
 
 「ああ、アルスター少尉。どうでした結果は?」
 「どうもこうも、あんなのに勝てるわけないじゃないですか!」
 
 イライラと腕を組み足踏みをするフレイに負けないほどに、セレーネは真っ黒いくまのできた目をまん丸に開いた。
 
 「……負けたんですか?」
 
 しまった、とカガリは直感的に理解した。恐らくフレイはこう思っているはずだ。嘲られている、と。そんなことは無い、ただ寝不足で少し言葉が足りてないだけだろうに……。
 
 「ええそうですよ、負けました! だったらなんだってんですか」
 
 カガリの不安が的中したかのように一層苛立ちを見せながら、フレイは更に顔に皺を寄せる。
 
 「……いえ、そうですか」
 
 そう言ってから、セレーネは少しばかり落胆した様子で軽く微笑んだ。
 
 「ご苦労様でした少尉。私たちは仕事がありますので」
 
 奥で休む暇なくキーボードを弄ってるソルを尻目に、カガリたちは部屋を後にした。フレイは更に機嫌を損ねたようで、もはや近寄りがたいオーラをびんびんに発している。黙って歩いていれば誰もが振り向く可愛らしい容姿も、もはや眼を合わせようとする者などいないほどに険しい顔つきになっている。
 
 「ま、まぁこういう日だって――」
 「……あ?」
 「あ、いや、ええと――」
 
 ああ、きっとこいつの中ではあの赤い〝ジン〟の強さは何かの悪戯か何かで確定してて、セレーネにからかわれてるのか試されてるのかとか、そんなことを思ってるんだろう。
そんなわけ無いだろうに……彼女の様子からして、おそらく本当に赤い〝ジン〟のことは知らないようだったし、決してフレイが弱いわけではない。
 もう誰でも良いから助けてくれ……。この際キラでも良いから……。そんな願いも空しく、フレイはカガリをギッと睨みつけた。
 
 「……ああそう、良いわ、わかった――カガリ来なさい」
 「ど、どこにだ?」
 「シミュレーションに決まってるでしょ!? あんた馬鹿なの!? ねぇ、馬鹿なのあんたは!?」
 「おう……すまん」
 
 誰か助けてくれ……。フレイの怒り具合は過去最高だ……。せめてラクスがいればフレイを叱り飛ばしてくれるのに。
 あ、そうそう、実はラクスって怒ると怖いんだぞ。食べ物を粗末にしたり、誰かの悪口言ってるとな、本気で怒るんだ。眼の色が違うというかなんというか、とにかくおっかないんだあ。
 
 「さっさと来る!」
 
 そんなカガリのつたない現実逃避も、フレイの苛立ちたっぷりの怒声にかき消された。
 その後、日が落ち月が昇りきってもひたすら赤い〝ジン〟相手に戦いを挑み、コテンパンにされ、その度に『どうしたかね?』だとか『そろそろ休んだほうが良いのではないか?』とか『君達も懲りないな』とかフレイの神経を逆なでするようなことばかり言う〝ダガー〟のことを、カガリは本気でぶち壊してやろうかと思ったのであった。
 
 
 
 数日後――
 小鳥たちの美しいさえずり、少しばかり肌寒くも優しい微風、降りそそぐ陽射し、俗に言う爽やかな朝――にも関わらず、ここに気分最悪の少女が一人いた。〝アークエンジェル〟の広めの食堂の入り口から入って右の奥、食事の時は決まってここに座る少女グループの内の一人、フレイ・アルスターである。
 
 「結局! 昨日も一昨日もその前も! 一回も勝てなかったわ!」
 
 飲み干したオレンジジュースの紙コップを乱暴にテーブルに叩きつけ、昨日のことを思い出す。なーにが『少し加減しても構わないのだが』だ! あの時ラクスがこめかみに青筋を浮かべた笑顔で食事の誘いに来なければ――一緒に昼食を食べようという約束をすっぽかしたこっちに原因はあるのだが――あの人をなめ腐った態度の人工知能を完膚なきまでにベコベコにしてやってたのに……!
 とはいえ、昨日のシミュレーションを終えたのは深夜の二時だ。それでも、あの生意気腐った機械なんかに負けたくは無いという気持ちが先行し、体の疲労などとうに忘れてしまっている。これがアドレナリンとかいうやつの作用なのだろうと勝手に納得していたが、そんなことは彼女にとって些細なことだった。
 たっぷりとバターの塗られたトースト、ベーコン、スクランブルエッグ、ラクス特性ドレッシングのかかったプチトマトとレタスのサラダをぺろりと平らげ、デザートのフルーツを胃に流し込み、すぐさまフレイは立ち上がった。
 
 「行くわよ、カガリ」
 
 すぐ隣で生卵をかけた牛丼を食べていたカガリが驚いて顔を上げた。
 
 「ええ!? 私まだ食べて――」
 「さっさと食べる!」
 
 遅い、本当に遅い。一刻も早くあの遠慮なしの機械を泣かせてやりたいのに!
 しかしそこは食べるのが大好きなカガリ、流石に食いすがる。
 
 「お前なぁ、いい加減に――」
 「何? 文句あんの? このわたしに? あんたが?」
 「い、いや……」
 
 カガリはぎこちない仕草で視線をそらす。丁度良い、この子で鬱憤晴らしでも……そう思った矢先であった。
 
 「文句なら、ありますわ」
 
 フレイの背中に凛とした声がかかった。
 
 「な、何よ……」
 
 真っ白な割烹着、頭には三角巾を巻いた厨房の料理人独特のスタイルでラクスがキッ睨みつけてきた。この眼は……どうも苦手だ。フレイは思わず視線を逸らす。
 
 
 「良いですかフレイ。食とは――お聞きなさい! 食とは、文化なのです」
 
 また始まった……ラクスの無駄に無駄に無駄に長い説教が……。
 
 「食文化とは、その民族の根源にあるものであり、その土地の気候風土にあった食べ物があります。ですがそれは良いのです! 宜しいですかフレイ、今日という日は今にしか訪れないものなのです! だというのに貴女は、
貴女自身の勝手な都合でカガリさんの今日という日を蔑ろにさせ、生命を保つために不可欠な食という行為そのものを邪魔しようとしているのです!」
 「……だって」
 「だってではございません!」
 
 ぴしゃりとラクス言う。
 
 「一体何故!? 彼女が何をしたというのです! いいえ何もしていません! ならば今っ! この瞬間! 貴女は悪であるとわたくしは断言いたします!」
 
 大げさに振舞う今日のラクスは一段と怖い。というか先日の約束すっぽかし以来、ずっとこの調子だ。もっとも、ラクスの昼食を夜食にしてしまったのはフレイ自身なのだが……。一応言っておくが、夕食では無く夜食である。女の子にとってその時間帯の食事は致命的だ。
ラクスが言うには、コーディネイターでもちゃんと太るらしい。というよりも、人としての機能が優れたコーディネイターの方が、より食べ物の吸収率が高いので太りやすいんだとか。本当かどうかはわからないが。
 と、そこまで考えたところで周囲の視線に気づく。味噌ラーメンを啜りながらこちらを横目で見つめるブライアン伍長、アップルジュースを飲みながらチラチラと盗み見てくるパル伍長に……朝からマカロニグラタンを食べるトノムラ伍長もいる。
 少しばかり気恥ずかしくなったフレイは慌てて声をあげた。
 
 「ああもうわかったわよ! わたしが悪かったわよ! カガリが食べ終わるまで待ってます! これで良いんでしょ!?」
 「あなたの態度が気に入りません!」
 「はぁ? あんた何言ってんの!?」
 「ま、待てって! ほら、私もう食べ終わったから!」
 
 珍しく燃え上がる二人の間に、カガリが慌てて割って入った。
 
 「いやー、美味かったぞラクス! ほらフレイ、行くんだよな!」
 
 しばし空中で視線を交差しあうフレイとラクスだったが、桃色の髪をふわりと左右に振り、「カガリさんがそうおっしゃるのでしたら……」というのでフレイも緊張を解いた。
 
 「……ふんだ、何よ」
 
 そのつぶやきを聞いたラクスが、呆れてため息をつき、苦笑する。
 
 「……はぁ。そんなにお強い方なのですか?」
 「強い。それとムカつく」
 
 本当に腹の立つ相手だ。そう思いながら唇を尖らせているフレイに、ラクスはもう一度深くため息をついてから言った。
 
 「お昼ご飯は、わたくしが持っていきますから」
 「えっ? 良いの?」
 「ええ。ですから頑張ってくださいましね。それと、ほどほどに」
 
 ラクスの心遣いが、素直にありがたいと思った。フレイはすっと上着の裾を直す。
 
 「そっか……。ん、ありがとラクス」
 
 小走りで格納庫に向かおうとする彼女の背中から、カガリとラクスの「すまないな」「いえ」という会話が聞こえたが、振り向かずに格納庫へと向かった。今日こそは、勝とう!
 
 
 
 断崖絶壁からすべり降りてくる赤い〝ジン〟。その右手には敵を熱で切り裂くヒートホークという名の斧がしっかりと握られている。カガリは慌ててビームライフルで応戦するも、放たれたビームは空しく無限の青空へ、もしくは荒野の岩肌へ命中し、景色を汚すだけでしかない。
 
 「速いな……行ったぞフレイ!」
 〈わかってる!〉
 
 既に射撃武器無しというハンデを貰っているのだ、負けるわけにはいかない! カガリは〝ストライク〟のバーニアを全開で吹かせ、〝ダガー〟へと向かう〝ジン〟を追った。
 動力パイプのはみ出た特徴的な背中に向かって何度もライフルを撃つが、まるで背中に眼でもついてるかのように的確に避けていく。
 
 「こいつはぁ!」
 
 こんなことができるなんて! 手の内全てを見透かされてるような感覚だ……。
 
 〈――見えた!〉
 
 カガリからも確認できた、〝ジン〟の更に奥、断崖絶壁の岩肌の上でビームライフルを構える〝ダガー〟の姿が。
 
 「挟み撃ちにできる!」
 〈やるわ!〉
 「任せろ!」
 
 今度こそ……! 気合を込めなおし、ビームライフルを構える。狙いは――赤い〝ジン〟の行く先、まずは足場を崩す!
 
 〈当ったれえ!〉
 「これなら!」
 
 〝ストライク〟と〝ダガー〟が同時に放つビームの雨に晒されながらも、赤い〝ジン〟は舞うようにそれらを掻い潜り、〝ダガー〟に迫る。
 
 「これで避けるのかよぉ!」
 
 〈反則じゃない……!――でもっ〉
 
 ヒートホークを振りかぶり、切りかからんとする〝ジン〟を目掛け、〝ダガー〟は隠し持っていたショットガンを撃ち放つ!
 これにはたまらず〝ジン〟がバーニアを吹かせ後退する。だがその先には――
 
 「貰ったァ!」
 
 カガリの駆る〝ストライク〟が、待っていたといわんばかりにビームサーベルを抜き、〝ジン〟の無防備な背中を一刀両断と切りかかる。
 
 〈やっちゃえ!〉
 
 フレイの声援が心地よく聞こえる。カガリは間違いなく確信した、勝てる! と。
 〝ジン〟がこちらを捉えたがもう遅い、今から回避運動を取ったのであれば、例えアムロ・レイだろうと――
 しかし、ズシンッと鈍い音と共に弾かれたのは〝ストライク〟の方であった。〝ジン〟は最初から回避などする気はなかった。後退する勢いを殺さずそのまま攻撃へと転換した、それは見事な回し蹴りであった。
 
 「け、蹴られたぁ!?」
 〈カガリ、前!〉
 
 目前に迫る〝ジン〟。カガリは慌ててサーベルを振り下ろそうとしたが、それよりも早く緩やかな動きで〝ジン〟のヒートホークがサーベルを持つ右手を切り落とし、返す刃でコクピットを切りつけられてしまった。これでカガリは撃墜扱いとなる。
 
 「嘘だろ……」
 
 赤い鬼のような〝ジン〟の前で呆然としていると、その奥から崩れ落ちる岩壁を意図もせず、〝ダガー〟がサーベルを抜き迫る!
 
 〈カガリを……カガリを殺ったな!〉
 
 どうやら完全にヒートアップしてしまったらしいフレイが、怒りの形相で叫んだ。その時、カガリは確かに見た。フレイがうっすらと涙を浮かべているのを。
 
 「お、おいフレイ……」
 〈友達だったのに!〉
 
 しかし、とカガリは思う。フレイは気づいているのだろうか? この数日で、自分達がとてつもない速さで強くなっていることを。特にフレイの成長の速さには恐ろしいものを感じる。性能も特性もほぼ同じモビルスーツに乗っているからこそわかる自分との違い。
時折背筋が寒くなるほどの反応のよさ。訓練でムウやアムロと対峙した時の感覚に似ているあの悪寒を、フレイにも感じ始めているのだ。『砂漠の虎』にも、『黄昏の魔弾』にもない、全身の毛が逆立つようなプレッシャーを……。
 だが、そのプレッシャーを感じることができるようになることそのものが、最も重要な事柄であることをカガリはまだ知らない。
 
 〈あんた何かにぃ!〉
 
 信じられないことに、〝ジン〟の繰り出す横なぎの一撃を〝ダガー〟が素早くしゃがむんで回避し、反撃に出たようだ。カガリの耳にはどこか遠くから鳴る鈴の音のような音が聞こえている。
 ビームサーベルの真横からの攻撃をバックステップで回避した〝ジン〟が、再び加速をかけ〝ダガー〟に切りかかる。負けじと〝ダガー〟がバーニアを吹かせ、ヒートホークが振られるよりも早く〝ジン〟とガッチリ絡み合った。互いの頭部が激しくぶつかり、金属同士がこすれ火花が飛び散る。
 終始にらみ合っていた二機だったが、その終わりは突然訪れた。ふっと〝ジン〟が力を抜き、〝ダガー〟が前のめりに転びそうになったところをヒートホークで横なぎにしたのだ。
 
 〈……かはっ……はぁっ……あ、あれ?〉
 
 生きているのが信じられないといった表情で、全身で呼吸を取りながらフレイは周囲を見回した。まったく、コイツは……。カガリは意地っ張りな友人を可愛く思いながら声をかけた。
 
 「よっ、大丈夫か?」
 〈あれ?……あ、そっか〉
 
 まだ息も荒いフレイだったが、シュミレーションであったことに安心したのかそのままシートに体をぐったりと預けた。
 
 〈あぁもう……何かわたし馬鹿みたい〉
 「あっはっは。でも、惜しかったよな」
 〈手加減されてたけどね〉
 
 フレイは天を仰ぎ見てからもう一度軽く息をつき、苦笑した。
 
 〈お腹空いたね〉
 「そうだなぁ」
 
 時計を見れば、もう午後三時を刺している。これではオヤツと昼飯が一緒になってしまうではないか。そういえばラクスが食事を持ってきてくれると言っていたが……? ふと視線を外部モニターに向けると、艦内通路から小さな台車を押してやってくるラクスの姿が見えた。
 
 〈ラクスだ〉
 
 フレイも見つけたようだ。カガリは固くなった肩の筋肉を軽く解しながら言う。
 
 「飯にしよう、腹ぺこだよもう」
 
 フレイの〈そうね〉という相槌を聞きながら、カガリはコクピットを開けた。外の空気の冷たさに少しばかり驚きつつ、シートからゆっくりと立ち上がった。
 〝ストライク〟から降り立つと、もうすでにフレイがいつものようにラクスと談笑を始めている。
 
 「こんな時間にお昼ご飯~?」
 
 
 「わ、わたくしにも都合というものが……」
 「ふふっ言ってみただけよ。調理場の仕事ってそういうのだもんね」
 
 悪戯っ子のように笑うフレイに、ラクスが「まぁっ」と小さく声をあげた。相変わらずの二人の様子に半ばあきれつつ、カガリも声をかける。
 
 「よっラクス。お疲れさん」
 「カガリさんも、ですわね」
 
 ラクスはくすりと笑みを零したあと、カガリ達を軽く見渡し言った。
 
 「その御様子ですと……シミュレーションは――」
 「んーん、負けたわ」
 「ま、まぁ……」
 
 あっさりと言うフレイを意外そうに見つめるラクスの表情がどことなく面白いように感じた。フレイが続ける。
 
 「なんかさ、やっぱり上には上がいるのよね」
 「それはそうですが……フレイならもっとギャアギャアと喚き散らすのかと思いましたわ」
 「……悪かったわね、いつも喚き散らしてて」
 
 フレイは口元をピクピクさせながら言ったが、ラクスはそれを全く意図もせずにふわふわとしているだけだ。なんだか最近ラクスは平気でフレイに毒を吐く。ひょっとして仲悪いのか? とか思ったが決してそういうわけではなく、カガリは首をかしげるばかりだ。しかし――
 
 「飯、何だ?」
 
 みんなと話しているのは楽しいが、やっぱり空腹には勝てない。カガリはたまらず声をかけた。ラクスはにっこりと笑ってから、押してきた台車に被せられた白い布をさっとあける。そこには――
 
 「サンドウィッチを作ってみましたの。お口に合えば良いのですが……」
 
 三角形に切られたおなじみの形のそれは、タマゴサラダやハム、トマトとレタスなどが挟まった豊富な種類のサンドウィッチだった。カガリはニッと笑みを浮かべながら、さっと一番手元に近い位置にあるハムサンドを手に取り口に運ぶ。口の中に広がるマスタードの味が、疲れた体にはたまらなかった。
 
 
 
 「おい、いい加減起きろ」
 
 苛立ちを孕んだ男の声が、キラをまどろみの中から引き戻した。パソコンやらキーボードやら資料やらが乱雑じたデスクから重たい頭を持ち上げ……そういえば何をしていたんだったか……。眠たげな眼を軽くこすった後、長いこと座っていた所為か、痛くなったお尻を軽く摩った。
 ようやく状況を理解できてきた脳を少しずつ回転させながら、キラは自分の肩を軽く解しているカナードに声をかけた。
 
 「あ、おはようカナード」
 「……死ね」
 「んんー、何だよう、ぼく何かしたっけ?」
 
 周囲を見渡す。パソコンの液晶モニターを挟んだ正面には、両目の間を軽く指で押さえているアムロとその右隣に紙コップに入ったコーヒーを啜るジャン、左隣にはパイプ椅子の背もたれに思い切り寄りかかり真上を向いてだらしなく手を垂らしているムウの姿が飛び込んできた。
 ここまで来れば、キラもようやく状況が飲み込めてきた。そうだ、ぼくたちは――
 
 「まったく、殆どオレとアムロ・レイとジャン・キャリーの三人でOSの書き換えを済ませたんだぞ」
 
 フレイが目を覚ましてから早四日、お見舞いに行きたいキラの気持ちなどは一切無視され、ひたすらOSの書き換え作業をさせられていたのを思い出した。しかも、ほぼ徹夜だったことは言うまでもない。本当に大変な作業だったのだ。
初日こそ、キラとカナードの二人で事足りたものの、基地司令官の要請でアムロとムウの反応速度をベースにしたOSを入れることになってからがさぁ大変。今までのOSを全部書き直したんじゃないかというほどの時間と労力を費やす羽目になったのだ。
増援のジャンも加え、キラ、カナード、アムロ、ムゥ、ジャンの五人でひたすら書き換え、修正作業に費やしたのだが……。まず最初にムウがダウンした。デスクワークは苦手なのだそうだが、開始五時間で弱音を吐かれては流石に迷惑だった。
そして次にダウンしたのは……ほかでもない、キラだった。それでも、三日間は頑張ったのだから……と心の中で言い訳してみても、あるのは罪悪感だけであったのだが。
 キラは申し訳なさで胸をいっぱいにしながら、チラっとアムロの顔をのぞき見る。うっすらと見える隈をつけた彼の眼と視線が合ってしまい、思わず口ごもった。
 
 「あ、あの……」
 「いや、良いさ」
 
 言われてから余計に罪悪感が溢れてきた。キラは慌ててカナードに向きなおる。
 
 「今どこまで進んだの? 手伝うよ」
 「……終わったところだ」
 「えっ……」
 「暢気なものだよ貴様は」
 
 ……なんだか居た堪れなくなってしまったキラであった。
 
 「僕はこれを基地司令部に届けてくる。キャリー中尉はみんなを連れて艦で休んでいてくれ」
 
 ジャンが軽く瞬きをしてから、繭を顰める。
 
 「はっ……よろしいのですか?」
 「渡してくるだけさ」
 
 苦笑をもらしたアムロが、データディスクをチラつかせる。彼はそのまま手に持ったボードでムウの頭を軽くはたいてから部屋を後にした。ムウが「んおっ朝か……?」とつぶやいたが、それに答えようとした者はいなかった。
 
 
 
 「あれ? あんたたちどこ行ってたの?」
 
 〝アークエンジェル〟に戻って、一番最初に声をかけて来てくれたのは、素晴らしいことにあのフレイ・アルスターだった。とにかく空腹で、軽く何かを胃に入れようと食堂へやってきたのだが、彼女の薔薇のような髪をこうして直に見る事ができた事が、OSを組んだご褒美では、という気さえしてくる。
彼女の隣には、暇そうに頬杖を突いているカガリがいたが、特に気にすることでは無かった。
 
 「モ、モビルスーツのOSをね、修正してたんだ」
 
 うん、大丈夫。そんなに緊張してない、自然に話せた……と思う。
 彼女は「ふーん」と答えた後、キラたちの背後にいるムウとジャンに気づいて軽く敬礼をした。
 
 「よう、嬢ちゃん。良いねえ女子供は暇そうで」
 「ちゃんと訓練してましたよ」
 
 ムウの軽口にフレイが唇を尖らせた。カガリがそれに続く。
 
 「そうだぞ。あんたこそ、サボったりしてたんじゃないのか?」
 
 その通りだった。ムウが大げさに笑い飛ばす。
 
 「はっはっは、まっさかあ!」
 
 ……大人はずるいと思った瞬間であった。そんなキラの背中で、ジャンが軽く咳ばらいをした。
 
 「あー、すまないが何か食べれるものは無いかな? ここ二、三日碌なものを食べていなくてだね」
 
 すると、厨房の奥からふわりとラクスがやってきて、そのままふわふわとジャンに近づき、彼の顔にズイっと自分の顔を近づけ、マジマジと凝視した。ジャンは困惑してぱちくりと瞬きを繰り返す。
 
 「ラ、ラクス・クライン?」
 「んん! お疲れのようですわ。ですが、これからお休みになるというのでしたら、お粥にしておいた方が宜しいかと」
 「え、ええ。ではそれを」
 「キラ様もカナード様もフラガ様も、よろしいでしょうか?」
 
 天使の様なほほえみに、キラは少しばかり見惚れた。
 
 「うん……それで……」
 「オレは食えればそれで良い、さっさと出せ」
 「粥か……何か久しぶりだな」
 
 キラ達の反応に満足したように、「ではっ!」と言って彼女は厨房へと戻って行った。
 ラクス・クラインも……可愛いなぁ……。などと見とれていたら、さっとキラの視界をフレイの子猫のような顔が遮った。
 
 「あんたも疲れてるんだ?」
 
 その言葉に何の意図があるのかわからず、キラの心臓は高鳴った。だがすぐにフレイは視線をもとに戻し、溜息をつく。
 
 「模擬戦は無理かあ」
 「模擬戦……?」
 
 思わず聞き返してしまったことに少し後悔した。きっとこれは減点ポイントだ。いや、よくわからないけどトールがそんなこと言ってたような言わなかったような。
 
 「そ、模擬戦」
 
 特に気を害した様子も無く彼女は言った。
 
 「少し試したいことがあったんだけどさ。まあ良いわ、ヘトヘトになってるあんたに勝っても意味無いし」
 
 悪戯っ子のように浮かべた笑みが、過去最高に可愛かった。そんなキラの気持ちに水を刺すかのようにカナードの声がかかる。
 
 「貴様程度に負けるとは思わんがな」
 
 すかさずカガリがやる気無さげに言う。
 
 「そんな顔で言われても怖くないぞお」
 
 ぐっと押し黙るカナード。確かに今のカナードはいつものような覇気が無いように見える。眼の下には深い隈が絵に書いたようにはっきりと見えているし、瞬きの回数も多めだ。
 
 「徹夜したんだ?」
 
 珍しく優しい声色で、フレイが言った。
 
 「……やることが山積みでな」
 「そっか。偉い偉い」
 
 にこっと笑みをこぼしながら、フレイは彼の頭をぽんぽんと撫でた。物凄く迷惑そうな顔をしていたカナードだったが、キラには羨ましくてたまらなかった。
 
 
 
 太陽が完全に昇りきった正午、一つの艦が発進準備を進めていた。ザラ隊の旗艦〝レセップス〟である。既に物資の搬入作業は終了し、もはや命令を待つのみという状況の中、アスランは〝レセップス〟の隊長室、という今まで想像したことも無い空間の中で萎縮しきっていた。
 本当に自分のような者に隊長が務まるのか? ミゲルも、ミハイルもいるのに? アスランは今、親の七光というのがこうも重いものなのかとヒシヒシと感じ取った。父親が国防委員長、そしてプラント議長の娘にしてトップアイドル、ラクス・クラインの婚約者。
その肩書がこれほどまで重いと感じたことがあっただろうか?……敵は強大だ。今自分が委縮してしまうほどの艦〝レセップス〟、しかし……それでも敗北の予感を感じずにはいられないほど強大な敵。果たしてもう一度勝つことができるのだろうか……あの〝白い悪魔〟に……。
 ――『砂漠の虎』ことアンドリュー・バルトフェルドが敗れて以来、〝メビウスの悪魔〟という二つ名が〝白い悪魔〟へと変わった。軍がいくら情報規制をしても、人から人へ話は広まり、もはや生きる伝説と化しているのだ。
名も碌に知らないナチュラルの男が、ただのモビルアーマーで〝ジン〟を蹴散らし、更には地上の王者の名を欲し いままにしてきた〝バクゥ〟をも屠ったのである。その事実はいくつかの尾ひれをつけながらも、ザフト全土に広まりつつある。
ザフトは、その資源の少なさもあり、少しでも早く決着をつけなくてはならないのだというのに、ここに来ての士気の低下は大事に触る。だからこそ、アスラン達はその不安の芽を刈り取らねばならないのだ。
ラクス・クラインが連合の艦に囚われたというのも、士気の低下に一役買っているのは言うまでも無い。少なくともアスランは、〝アークエンジェル〟の撃沈、アムロ・レイの討伐、ラクス・クラインの救出の内どれか一つは確実にこなさなくてはならない。
しかし、その一つでもこなすということは、必ず『白い悪魔』と対峙しなければならないことを意味しているため、今やザラ隊は本国からも注目の的なのだ。
 ――勝たねばならない、何としても!
 出発の時間が近づいてきた。アスランは意を決して立ち上がり、隊長室を後にするのだった。
 
 
 
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