深夜、メリオルはふと目が覚めた。、彼女は外の風に当ろうと甲板へと足を進めた。
外に出ると、空には下弦の月が雲一つ無い星空に浮かんでいるのが見えた。しかし、とメリオルは思う。
――嵐が来るわね。
彼女がそう感じたのは、十三年間もの間戦争に深く関わってきた者としての勘なのか。彼女にはわからない。でも一つだけわかっていたのは、たぶんカナードも自分と同じことを感じているだろうということだけだ。
メリオルは……この艦が好きだった。初めて見つけた『帰るべき場所』とも呼べる存在。ここに来てから、カナードは少しずつだが変わりつつあることも、彼女にとっては喜ばしいことだ。いつまでもこんな日が続けば良いと思っていた。
ずっと戦いに身を置いてきたメリオルにとっては、ナタルの愚痴を聞いたり"甘い洋菓子や可愛らしい電気ネズミのぬいぐるみなど、新しいことばかりで感動したものである。でもひょっとしたら、それももうすぐ終わってしまうかもしれない。
いつものことだ。良くあることだ。そう言い聞かせても、震えが止まらなくなる。仲間と呼べるのは、カナードだけだったあの頃とは違うのだ。あの頃は……カナードさえいればそれで良いと思ってた。六才までの記憶が無くたって、どれだけの同胞が死んだって、カナードさえいれば、それで……。
でも、今は――。
PHASE-16 雷鳴の闇
「……嫌な天気ね」
〝アークエンジェル〟の艦橋で、マリューはひとりごちた。天候は曇り、だが西の空にはどす黒い雨雲がうっすらと見えている。彼女が遠くの空に気を取られていると、CIC席にいたミリアリアが肩を震わして声をかけてきた。
「あの、艦長……。寒くありませんか?」
「――? いえ、空調は完璧のはずよ」
「そう……ですか……」
そう言った彼女の顔は少々青ざめているようだった。……風邪か何かだろうか? 通信シートに座っていたチャンドラが振り向く。
「艦内気圧は正常だし、温度は快適の二十四度。これも昨日と変わらないけどなあ」
だが彼女の性格上、仮病というのは考えにくい。
「この地方特有の病気とか、何かあったかしら?」
と、マリューは言ってみてから後悔した。おそらく答えはすぐに見つからないだろうし、余計な不安を煽ってしまうからだ。
――また、やってしまった……。そう思っていると、休憩中のナタルと交代して副長席についていたメリオルがさっと言った。
「この地方でかかりやすい病気は、感染性腸炎や細菌性赤痢、A型肝炎などがありますが、これらは皆衛生管理をきちんとこなしていればかかることはそう無いはずです」
周囲からほおっという関心の声が漏れた。彼女は続ける。
「コレラ菌のワクチンは、既に配布されていますし……」
「あ、あの、マラリアとかは……」
「おいカズイ……!」
おずおずと手を挙げたカズイを、サイが制した。ミリアリアが「マ、マラリアって……確か……」と震えた声でつぶやく。
「感染地域が違います。スエズ周辺では大丈夫ですよ。あれはもっと西側の、アスワンあたりまで行かないと」
もう一度、艦内に関心の声が漏れた。
「ピスティス中尉は、スエズに来たことがあるのかしら?」
ふと、疑問に思ったことを口にしてみた。メリオルが軽く笑みを浮かべる。
「ええ、ちょっとした任務で。もう十年以上昔の話ですけど」
「十年も!?」
「うっひゃあ」
「凄いですね……」
ミリアリア、カズイ、サイの子供組が驚いて声を上げたが、マリューも内心では彼らと同じであった。メリオル・ピスティス……確か年齢は十八だと聞いている。一体彼女はいつから軍に身をおいているのだろう。
少しばかり興味がわいたが、過去の詮索をされて良い気分をする者はいないことくらいはわかっていたので、マリューはなるべく驚きを表情に出さないように心掛けた。
「とにかく、皆さんの想像しているような病気だとかは、まず考えられないと思っていただいて構わないと思います。恐らくは……今までの疲れが出たのではないでしょうか? 単なる風邪とも考えられますし」
メリオルが言い終わるのを待ってから、ミリアリアが笑顔を作って言った。
「あ、あの、大丈夫です。少し寒いかなーって思っただけですから」
彼女を休ませるべきか、マリューは迷った。彼女本心としては、今すぐにでもミリアリアを休ませてあげたいのだが……。
今朝、アムロから警戒態勢を怠らない方が良い、と口頭で伝えられている。それだけでは無い、ムウからも、何時でも動けるようにとの助言があったのだ。連合切ってのエースパイロット二人が、こうまで言うのだから必ず何かある。マリューは確信していた。もうじき戦闘が始まる、と。
……何故だか今日は嫌な感じがする。カガリは夕方から押しつぶされるような気配に体を震わしていた。
マリューから、今日は一日パイロット待機室にいるように伝えられているのも関係しているのだろうか? 普段なら今頃は、フレイに付き合ってモビルスーツのシミュレーション訓練をしているか、食堂でラクスとお喋りをしているかのどちらかなのに、今日はそんな気にはなれない。……落ち着かないのだ。
ふいに、ドア付近の壁に背中を預けて何かを考え込んでいるアムロが目に入った。この男は何を考えているのかわからないが、この悪寒のようなものの答えを知ってそうな気がする。だが……どうも話しかけ辛い。彼女は苦手なのだ、こういう自分の奥底を見透かしてくるような相手は。子供扱いもしてくる。
彼から少し離れた位置のソファーでだらけたように佇むムウは、まだ話しかけやすい。それにしても……何でこんなに緊張感が無いのか、カガリには理解できない。
そして、そんなムウの隣で俳句集とやらを読んでいるのはジャンだ。バショウとかいう人の大ファンだと言うが、まあそれは良い。真面目で誠実を絵に描いたような彼と、不真面目で軽薄を絵に描いたようなムウの仲が良いのは未だに信じられない。
そしてもう一人、補充パイロットとしてこの〝スエズ基地〟からやってきたヘンリー・グレール少尉が目に止まった。〝ストライクダガー〟のパイロットを務める彼は、二十代半ばの丸い目をした男性である。元モビルアーマー乗りで、それなりの場数は踏んでいるそうだ。
まだ〝アークエンジェル〟の空気に馴染めていないようで、どこか居心地が悪そうではあるが、悪い人ではないとは感じていた。
ドアから最も遠い、一番奥のソファーには、キラ、カナード、トールという何時もの三人組がババ抜きをしている。どうも一番強いのはカナードらしい。こいつに苦手なものってあるのだろうか?
フレイは今、カガリのすぐ隣で、体を伸ばしたり、屈伸したり、軽くジャンプをしたりと、珍しく真面目になっていた。彼女の表情はいつになく引き締まっている。
エドモンド率いる六両の戦車隊は、スエズ基地の戦車隊と合流し、既に基地周辺に配置済みである。まるでこれから敵が来るのがわかっているかのような行動に、カガリは首をかしげた。
「カガリ、あんたも体くらいほぐしときなさいよ」
アキレス腱を伸ばしながら、フレイが唐突に言った。
「……敵、来るのか?」
「うん、来る」
……何の迷いも無くそう言った彼女に、カガリはああ、やっぱりか、と感じた。フレイが「何となく、だけどね」と付け足した。
そう、何となく、だ。何となく、それでいて確実に『解る』。カガリはその感覚をほんの少しだが理解できた。
ふいに、悪寒が自分の背中にまとわり着くような感覚を覚えた。アムロ、ムウ、フレイの三人の指先がぴくりと動く。そして――
〈総員第一戦闘配備! 総員第一戦闘配備!〉
警報が彼らの待機室に鳴り響いた。
「えー!? 〝フライトパック〟使えないんですかあ!?」
慌ただしくなった格納庫で、フレイの声が響き渡った。周囲の煩さに負けないようにとマードックも怒鳴り返す。
「俺だって今わかったんだよ!」
「時間はあったじゃないですかあ!」
「だから悪かったって! お偉方にあっちの方頼まれてたんだかんな!」
そう言ってグイッと親指で指示した先にあるのは、OSの入れ替えが完了した〝ストライクダガー〟だ。運用テストということで、補充要員のヘンリーと一緒に一機程積み込まれていた機体である。
「新しいパックは!?」
「まだだ!」
「――もう! 〝105ダガー〟は、エール装備で行きます!」
「すまん!」
彼女たちのやりとりを遠目で見ながら、キラは自分の〝ストライク〟に乗り込んだ。ハマナがぬっと覗き込む。
「班長は声がでけぇから聞こえたな坊主。フライトは使えねえ」
雨天の場合は、湿気やらが原因でエンジンの冷却装置に不具合がおこることが判明したそうだ。キラは呆れたが、表情には出さないよう心がける。
「はい、使い慣れたエールで行きます」
「素直で助かる。装備はどうする?」
「んと、とりあえずビームライフルで」
「了解だ」
去ろうとするハマナの逞しい背中に、キラはふと声をかけた。
「そういえば……ジェス・リブルさんでしたっけ? あの人何してるんです?」
「街の取材だとさ、ついさっき帰ってきたぜ? タイミングが良いんだか悪いんだか……」
ああ、と納得した後、キラはさっとOSを立ち上げる。通信モニターにミリアリアの顔が映りこんだ。少しばかり顔色の悪いような気がした。
「ミリィ、どうしたの?」
〈えっ? ああ、大丈夫。心配しないで〉
にこっとした彼女の顔は、いつもの通りだった。
〈レーダーに反応! 数二十七!〉
通信機のから漏れ聞こえてくるマリューの声に、キラは気を引き締めた。
〈機種特定! ――〝ジン〟十二、〝ディン〟五〝バクゥ〟三、〝ザウート〟三、〝アンノウン〟四!〉
〈アンノウン? 新型か!?〉
ナタルの声も聞こえる。少し前までなら血の気も失せるほどの大軍。しかし、とキラは思う。
――大丈夫、勝てる!
そう思わせてくれる自信が、今のキラにはあった。頼れる人たち、信頼できる仲間、そして何よりも――
〈オレは甲板に出て、新米どもの支援なんだな?〉
カナードが不機嫌そうに告げた。この作戦には、〝スエズ基地〟の〝ストライクダガー〟隊も参加することになっている。しかしその殆どがこの戦いで初陣を飾るものばかりなのでどうも頼りない。
〈そうしてくれって、上から言われてるみたい。ごめんね〉
ミリアリアの受け答えも慣れたものだ。
〈やれやれ……いざとなったら〝バスター〟でも前にでるからな〉
半ば呆れ気味の彼に、キラも内心で同情した。偉い人というのは現場のことをわかろうとしない。そんなんだからこんな命令も出すし、〝フライトパック〟の整備だってさせてくれない。
〈敵艦の数はどれくらいなんだ?〉
アムロである。
〈不明です。この天候ですが……機影からして六隻以上は――〉
〈妙だな……〉
〈妙って?〉
トールの問いに、アムロは少しばかり考えてから答えた。
〈モビルスーツと戦艦の数が合わない。陽動か、あるいは艦そのものがダミーか――艦長〉
〈何か?〉
慌てた様子でマリューがモニターに映った。充実してきた戦力に、四苦八苦しているのだろう。
〈恐らく狙いはこの艦のみに絞られている、ECMや煙幕は使わない方が良いと思うがどうか〉
〈狙いは〝アークエンジェル〟だと?〉
〈いや、ラクス・クラインだ。アイドルのようだからね〉
マリューがああ、と納得した後、〈了解しました〉と告げた。モニターの中でアムロが軽く息をつく。
〈風も出てきたようだ。敵艦は少佐に任せる〉
〈また俺一人かよ?〉
〈ケーニヒ二等兵たちに、雷雨の中を行かせる気は無い〉
〈楽になったと思ったんだけどねえ〉
〈俺とキャリー中尉も行くさ〉
〈そりゃ頼もしい〉
通信機から聞こえるムウの声は相変わらずだ。カガリがむすっと腕を組みながら舌打ちをした。
〈戦艦って言ったって何隻いるかわからないんだろ? 一人でやれるのかよ〉
〈ン? 三隻か四隻か……〉
〈三隻だな〉
〈ああ、恐らくな〉
アムロとムウがさっと答える。
〈……何故、そんなにはっきりわかるんです?〉
丸い目をぱちくりさせて、ヘンリーが首をかしげた。
〈勘、かな?〉
アムロの苦笑に、彼は〈そ、そんなもので……〉とつぶやく。
〈俺と少佐、キャリー中尉とで敵艦を叩く。パルス中尉、艦は任せた〉
〈了解だ〉
〈ヤマト少尉とアルスター少尉は〝スカイグラスパー〟との連携を怠るな〉
〈了解です、アムロさん〉
「わかりました」
アムロが軽く苦笑を零し、左肩とシールドに赤いユニコーンのエンブレムが施された〝デュエル〟をカタパルトへと進めていく。
キラもすぐにそれに続いた。
カタパルトから外へ出ると、既に戦闘は始まっていた。激しい雷雨の中、群がる〝バクゥ〟相手に、基地の〝ストライクダガー〟は手を出せないでいる。確かに初陣で〝バクゥ〟を相手にするのは辛いかもしれない……。
星一つ見えない夜は、恐ろしいと感じた。遠方では稲妻の光がちらと見え、雨が降り始めたようだ。通常ならば碌に敵の視認などできないような状況で、コーディネイターの彼らは攻めて来ることができるのだ。これは、ナチュラルからしてみれば驚異である。
暗闇でもある程度までなら見通す事のできる目と動体視力を持つコーディネイター。しかし、条件は自分だって同じのはず……!
慣れない動きで孤立してしまった一機の〝ストライクダガー〟目がけて〝バクゥ〟が奔る! キラはその敵目がけ、ビームライフルを撃ち放った。緩やかな光条が、雷雨を切り裂き〝バクゥ〟の左足を奪い去った。と同時に、キラはある違和感を覚える。
――減退率が大きい?
この降り注ぐ雨が、ビームの威力を殺しているのだ。キラは武器をこれしか持ってこなかったことに後悔した。
体勢を立て直した〝バクゥ〟が標的をこちらに定める。すぐさまシールドを構え、バーニアを吹かせようとしたが、それよりも早く、一機の〝ストライクダガー〟が放ったバズーカが〝バクゥ〟に命中し、爆発した。
「グレール少尉!」
モニターに真丸い眼をした人懐っこそうな青年が映る。
〈流石だねキラ君、この天候で良く〉
「少尉がいなかったら、危なかったかもしれません」
〈そう言ってくれると助かる〉
良い人だ。そう思った。不意に、通信から苛立ちを孕んだ声が漏れ聞こえてきた、この声は――
〈そこの〝ストライクダガー〟の人達! 邪魔だから下がっててください!〉
フレイだ。〝ダガー〟がシールドを構えながら、まとまってあたふたと動く三機編成の〝ストライクダガー〟隊に立ちはだかった。
〈お、女の子!?〉
〈邪魔だって言ったんです!〉
〝ダガー〟を制しようと一機の〝ストライクダガー〟が前へ出た。暗闇の中、キラの視力だけが捉えた〝バクゥ〟の影。彼は思わず叫んだ。
「危ない!」
一瞬早く、〝ダガー〟が動いた。〝バクゥ〟から放たれたビームキャノンを避けきれなかった〝ストライクダガー〟は爆散したが、キラは〝ストライク〟のスラスターを吹かし回避運動を取りながら牽制射撃を繰り返した。すぐさまヘンリー機が支援に入り、マシンガンを撃ち放つ。たまらず〝バクゥ〟が距離を取った。
「――フレイッ!」
〈見えてるわよ!〉
〝バクゥ〟が後退する先目がけて、〝ダガー〟がビームライフルを放つ。それは吸い込まれるように命中し、〝バクゥ〟のコクピットを貫いた。
フレイが、強くなってる……? それがキラの感じた率直な感想である。
〈――ッ? キラ、ここお願い!〉
突然〝ダガー〟がバーニアを吹かせ、後退しだした。キラは慌てて声をかける。
「ちょ、ちょっとフレイ! どこ行くの!?」
〈嫌なのが来る!〉
「な、何それ!?」
キラも〝ダガー〟を追うべきか、と考えたところで、ロックオン警報が鳴り響く。はっと見ると、既に目視できる距離にまで、四機の 〝アンノウン〟が迫っていた。〝ジン〟に良く似たトサカがあり、一つ目でもあったが、全体的なシルエットはどこと無く細身で、鋭いナイフを連想させる。
カラーリングも〝ジン〟の灰色ではなく、深緑であった。そしてその内の一機は、黄昏色に染められている。
「このカラー、『黄昏の魔弾』とかそういうの!?」
〈援護するぜ、キラ!〉
〈クズ共を下がらせろ! 砲撃の邪魔だ!〉
トールとカナードが同時に言った。未だ動けずにいる〝ストライクダガー〟達に、キラは叫んだ。
「皆さんは下がってください! ここはぼくたちが守ります!――少尉もです!」
バズーカを構え、残ろうとした〝ストライクダガー〟をキラが制した。
彼は一瞬躊躇した後、顔を上げる。
〈すまない! 埋め合わせはするつもりだ!〉
後退していく〝ストライクダガー〟達に背を向け、キラは〝アンノウン〟たちにに向きなおった。
「そうやって出てくるから……!」
〈アルスター少尉、勝手に持場を離れるな!〉
ナタルの怒鳴り声が、狭いコクピット内に響き渡る。フレイも負けじと怒鳴り返した。
「敵が来てるんでしょ!」
〈――ッ!? どこにだ!〉
「左舷の方!」
〈確認はしていない!〉
「来てるんですよ!」
そう言い捨ててから、乱暴に通信を切る。昨日から感じていた悪寒とも言える感覚、それが今、より強く感じているのはそういうことかと理解した。強いプレッシャーを放つ敵が、潜んでいるのだ。ずっと前から、牙を研ぎ澄まして、ひたすら待ち続けていた奴らが、ここに!
フレイはフットペダルを力強く踏み込む。エールストライカーの鈍重さに苛立ちを覚えたが、すぐにその感情は捨て去った。
「――カガリ、来てくれてると良いけど」
背後の〝アークエンジェル〟が少しずつ小さくなっていく。豪雨に撃たれる荒地の中に、フレイは悪寒の正体を見つけた。
姿は確認できないが、確かにそこにいる『何か』に向かって、フレイはビームを四発連射した。
撃った先からたまらず三機のモビルスーツが姿を現す。コンピュータがすぐさま機体を識別した。飛び出したデータは――
「〝ラゴゥ〟……? 黒い〝ラゴゥ〟!?」
暗闇の中の漆黒が、怪しく煌いた。
――本当に敵が現れた!?
アムロやムウが言うとおりだ。これがあの光の器となった影響……。マリューの心に、また深い罪悪感が溢れてきた。何も知らない、たったひとりの女の子を、変えてしまったような気がしたのだ。もう戻れない何かに……。
ナタルが、すかさず命令を出す。
「グレール少尉を援護に回せ!」
「〝ラゴゥ〟第一防衛ライン突破!」
トノムラも同時にが叫んだ。これでは持たない……!
「パルス中尉! ヤマト少尉を援護して!」
〈……了解だ〉
すぐさま〝バスター〟が甲板から降り立ち、バーニアを吹かして前進していく。このままでは埒があかない……。
「艦長、〝アークエンジェル〟を発進させるべきです! このままでは〝ラゴゥ〟三機に狙い撃ちにされます!」
「ナタル!? アルスター少尉が向かっているわ!」
反射的にマリューが怒鳴り返した。
「艦長は! あの娘でどうにかなるとでもお思いですか!?」
「良くやっているわよ!」
こういう甘さは、ナタルにとって不愉快なものなのであろう。彼女の目に嫌悪の色が見えるのを感じ取った。
「突破されると言ったんです!」
「あなた……!?」
「戦争をしているのです!」
ナタルがぴしゃりと言った。ナタルは、フレイを信用せず、それでも彼女が行くことを止めようとしなかった。すなわちそれは、フレイを見殺しにして逃げるということである。マリューはいらだち、反射的に声をあげた。
「〝アークエンジェル〟発進! モビルスーツ隊の盾になります!」
「艦長!? 私が言ったのはそう言う意味では――」
「わかっているわナタル。でもね、私はあの子たちに死んでほしくないの」
ノイマンが「了解!」と叫んだ後、ナタルが小さく「偽善者め……」とつぶやいたのが聞こえた。思わず、マリューは凛とした姿勢を意識して声を上げた。
「発進と同時にECM作動! 本艦を囮にして、モビルスーツ隊を終結させろ! 敵の数は決して多くないわ!」
大丈夫、きっとやれる。逃げ惑うだけのあの頃とは違うのだ。艦橋のクルーも、ぎりぎりとはいえ人数分揃っている。モビルスーツだって……。後は、皆が無事でいてくれることを祈るだけであった。
激しい雷雨の中、トールは〝エールスカイグラスパー〟の操作に悪戦苦闘していた。地球の雨がこうも機体に影響を与えるとは……。視界が悪い、風の勢いもまちまち、鳴るたびに敵の攻撃かと思う雷。
でも、条件はあっちだって同じのはず! 彼は暗闇と雷雨の中、四機の新型を捉え、座標をコンソールに打ち込んだ。
「――こちら〝スカイグラスパー〟トール! 〝ストライク〟聞こえるか!?」
彼は通信機に向けてわめくように言った。
「敵の座標と射撃データを送る!」
悪天候という条件はどちらも同じ、ならば、上空にいる〝スカイグラスパー〟からデータを送れば、キラなら即座に対応できる。
突如、雷雨の中からミサイルが発射され、トールは慌ててバルカンで撃ち落した。高速で接近する一機の機影――〝ディン〟だ!
「アムロさんたちを抜けてきたのか!」
どうやら自分も覚悟を決めなくてはならないようだ。キラの足だけは引っ張らないように……何としても、この一機だけは落とす!
トールは操縦桿をしっかりと握りしめた。
キラは送られてきた座標データをもとにして、すかさずビームを発射したが、新型の右肩を掠めただけにとどまった。
今までのとは違う、エースの動きだ。それに他人の〝目〟を借りての射撃では、このレベルの相手を捉えるまではいかない。キラは〝ストライク〟を駆り、高く飛びあがらせた。敵機の位置はトールから送られたデータでわかっている。
先ほどの新型を視界にとらえたとき、すぐさま別の新型が銃口を向けるのが見えた。キラはPS装甲を頼りに、一機に上空から加速し、ビームライフルのトリガーを絞る。ふいに、トールが声を上げた。
〈キラ、避けろ!〉
互いの銃口から、同時に光条が走る。キラははっとして機体の軌道を無理やり逸らす。〝ストライク〟から放たれたビームが敵の新型のシールドによって防がれ、『敵から放たれたビーム』が〝ストライク〟の左肩を抉った。
「ビーム兵器!?」
もしも、あの時トールが声をかけてくれなければ自分は死んでいたかもしれないという事実にぞっと身を震わせながら、ビームライフルを構えなおす。
すかさず別の二機がシールドから二本の光刃を出し、切りかかってきた。キラは慌てて後退し、距離を取る。二機の新型が追いすがるが、〝ストライク〟後方からやってきたビームに左肩を貫かれ、たまらず後退した。カナードの駆る〝バスター〟だ。
この悪天候の中、ビームサーベルの眩い光は最高の目印となったのだ。そして、それを見逃すほど彼は愚かでも優しくもない。後退していく一機の新型を庇うように、黄昏色の新型が前へ出る。おそらくこの敵は、先ほどまでの敵とは比較にならないほどの強さだろう。ならば――
〈連携で落とす!〉
「うん!」
突如、ロックオンを知らせる警報が鳴り響く。キラははっと視線を向けると、マシンガンを構えた〝ディン〟に必死に追いすがる〝スカイグラスパー〟の姿が見えた。
――トール!
キラはすかさずライフルを向け、トリガーを引き絞る。放たれたビームを難なく回避して迫る〝ディン〟に、舌打ちをしてからもう一度狙いを引き絞った。
黄昏の新型がシールドを構え、距離を詰める。
「しまった!」
懐に入られた! キラは一瞬死を覚悟した。シールドクローにサーベルに光が宿る。即座にシールドを構えようとするが、間に合わない! そこへ――
〈うおおおお!〉
トールの〝スカイグラスパー〟が猛然と突っ込み、発射したミサイルが新型左腕に着弾する。
「トール!」
一瞬、緊張にこわばったトールの顔が見えた気がした。新型が〝スカイグラスパー〟に気を取られたタイミングを逃さずキラは一機に敵の懐に入り込んで、サーベルを一閃する。しかしこれを難なく回避した新型は、ビームライフルとビームクローを同時に使用しつつ一気に距離を詰めてきた。
ビームクローの一撃を、辛うじてシールドで受け止める。体重を乗せた一撃に、〝ストライク〟のシールドが軋むのがわかった。たまらず〝ストライク〟が一歩引く。
〈キラっ!〉
尚も突っ込む〝スカイグラスパー〟目がけ、新型が飛んだ。ビームライフルの銃口を向けるのが見える。思わず、キラは叫んだ。
「やめろおぉぉっ!」
心の中で、何かが弾ける。またあの感覚が戻ってきた。〝スカイグラスパー〟に迫る新型に、キラは必至に追いすがった。強烈なGに体が軋む。宇宙《そら》で受けた傷がわずかにうずき、間に合うか、と思うと同時に新型が真横からの砲撃に弾き飛ばされた。そうだ、カナードが援護してくれる。
ぼくたちを助けてくれるんだ。キラは今、心おきなく戦うことができると確信した。
重力に引かれ落ちていく新型目がけ、キラはトリガーを引いた。頭部からバルカンがばらまかれ、新型の装甲に小さなダメージを与えていく。即座に転進し〝スカイグラスパー〟が去り際に〝ディン〟を一機落としたのを横目で捉えながら、キラはさらに〝ストライク〟を加速させた。
手に持つサーベルを思い切り振りおろす。即座に新型もビームクローを構え、互いの光刃をかわしながら、両者は激しく斬りあった。キラは相手の機体を突き飛ばし、サーベルを大きく一閃する。新型の左腕が切り離され、宙を舞った。
「ぅうおぉぉぉぉッ!」
キラは自分が獣のように呻いていることにも気づかず、ひたすらに目前の敵を追った。
生きる為に戦う。友の為に戦う。それが、キラの見つけた答え。彼の目に、もはや迷いなどは無かった。
彼のその決意とほぼ同時に、砂嵐のように見にくい通信モニターの中で、カナードの目に狂気の色が宿った。
――ナチュラルにしては、なかなかやるものだ。
ヒルダ・ハーケンが最初に感じた感想である。彼女もまた、宇宙での激戦ののち、正式なルートで地上に降下し、アスランたちとの合流を心待ちにしていた者の一人である。まさかあの少年が隊長と聞いた時は驚かされたが、才能はあると踏んでいただけに、自然と受け止めることができた。
しかし、すぐ近くでラクス・クラインを乗せた敵艦を捕捉したとの報を得、すなわち、彼女は功を焦った。同性愛者であるヒルダは、心のどこかでアスランとラクスの婚約を不愉快に思っており、彼女がここでラクスを救えれば、そういったものを帳消しにできるかもしれないという浅はかな願望があったのかもしれない。
彼らはアスラン達との合流を待つことなく、『足つき』に挑むことに決めた。
敵の新型を睨み付けつつ、ヒルダはつぶやく。
「ミラージュ・ブースターは案外持ったじゃないか」
本国から送られてきた〝ブリッツ〟用の装備――本国はこれの正式採用も考えているとか――の〝ミラージュコロイド・ブースター〟。
これは本来〝ブリッツ〟用の装備であり、自機周囲七十メートルの、味方識別信号を放つモビルスーツに同様の効果を与える、といったものなのだが、ごく短時間であれば〝ブリッツ〟以外の機体でもミラージュコロイドが使える優れものだ。
最もその効果を及ぼすことのできるのは自機のみとなってしまうので、今回はそれぞれの機体に一機ずつ装備という贅沢をしてきたのだが、使えるだけマシと思うしか無い。
〝足つき〟の目前で敵に見つかるのは誤算であったが、たかが一機なら!
ヒルダは相棒のヘルベルト、マーズに散会命令を出した。闇夜の中で漆黒に塗られた三機の〝ラゴゥ〟によるトリプル攻撃。
すかさず敵が動いた。手に持ったライフルを素早い動作で撃ち放つ。放たれたビームは雷雨を切り裂き、両肩に装着された巨大な円形の〝ミラージュコロイド・ブースター〟に着弾した。思わずヒルダは顔をしかめる。
「いきなり当ててきた!?――まさか、『メビウス』じゃないよな……」
〈だとしたら、初撃でやられてるぜ〉
〈そりゃそうだ〉
相棒二人の無駄話を聞きながら、ヒルダは正面を見据える。赤と青に塗り分けられた新型モビルスーツの目は、Xナンバーとは違うゴーグルのような形をしていた。
「顔無しのくせに!」
ヒルダはヘルベルトとマーズの〝ラゴゥ〟が敵の背後に位置したのを確認してから、背中に装備された二連装ビームキャノンを撃ち放った。一瞬早く、敵が緩やかに回避したのを見計らい、ヘルベルトの〝ラゴゥ〟が口元に咥えるように装備されたビームサーベルを煌かせ、文字通り喰いかかる。
敵はサーベルを抜き去り、光刃を交える。交差したサーベルの粒子が沸騰したように奔流し、サーベルの形を維持できなくなり、ビームの粒子が周囲に四散しその眩しさにヒルダは目を細めた。同時に襲い掛かる強い衝撃と浮遊感。
――この私を蹴りやがった!
敵は〝ラゴゥ〟の腹部に当たる部分を思い切り蹴り上げたのだ。
そのタイミングに合わせたかのように、マーズが二連装ビームキャノンで敵機を狙い撃つ。だが、ヒルダは見た。マーズが攻撃に移るよりも一瞬早く、敵は放たれるはずであろうビームの軌跡から外れビームライフルのトリガーを引き――。
「――早い!?」
敵のビームが、ヘルベルトの〝ラゴゥ〟の二連装ビームキャノンを撃ち抜いた。誘爆するキャノンを分離し、〝ラゴゥ〟が再び距離を取る。その〝ラゴゥ〟に向けて、上空からビームが降り注いだ。上空に支援戦闘機の姿が目に入る。思わずヒルダは舌打ちした。
「ヘルベルト、行けるね!」
〈当たり前だ!〉
こんなところで時間を使うわけにはいかない。ヒルダは名も知らないほどの敵にこれを使うことに遺憾を覚えたが、背に腹は代えられない。
降り注ぐビームを?い潜るヘルベルト、マーズに向けて命令を出した。
「マーズ、ヘルベルト! あの顔無しにジェットストリームアタックを仕掛ける!」
十二機もの〝ジン〟の同時攻撃を、〝デュエル〟がゆっくりと体を回転させ、まるで台風の目のようにいなした。すぐさま遠距離から〝ザウート〟の砲撃が〝デュエル〟を襲うも、危ない、と思ったときにはもう射線から消えている。
――凄い。ただその一言に尽きる。これが『メビウスの悪魔』と呼ばれた彼の実力なのか。そしてその〝デュエル〟の動きは、決してナチュラルに不可能な加速や機動では無い事を見て、ジャンは確信した。この男は間違いなくナチュラルだ、それでいながらも、ナチュラルとコーディネイターを超えた最強の兵士だと。
震える指で操縦桿を握りなおし、ジャンが叫んだ。
「大尉、〝バクゥ〟は私が抑えます」
アムロは〈頼む〉とだけ告げ、遠距離から執拗に砲撃してくる〝ザウート〟目がけてビームを放った。力強く太い光の条が尾を引きながら〝ザウート〟に迫る。辛うじて一機が逃げおおせたが、残りの二機は間に合わずに光の中へ消えていった。すかさず四機の〝バクゥ〟が〝デュエル〟を狙う。
ジャンはフットペタルを踏み込み、〝デュエル〟の前に躍り出てシールドを構える。愛機の〝ロングダガー〟がミサイルの雨に晒されたが、シールドが持ちこたえた。しかし、これ以上シールドが持たないことはジャンはわかっている 。
一瞬の思考の後、ジャンはシールドを敵に投げつけライフルを構えた。
――もはや、迷うまい!
自分の手を血で汚そう。〝アークエンジェル〟にいる子供たちの為に、少しでも多くの血を払おう。ジャンの指先がトリガーに触れた時、長距離ビームが射線を遮った。
「地上戦艦が前に出ている!?」
敵は相殺覚悟か、と思考した後、ジャンは戦艦の足を止めなければならないと思い立つ。しかし、行く手を遮るように〝バクゥ〟が距離を詰め、ジャンを苛立たせた。
敵の気配が変わったことを、フレイは直感的に感じ取ることができた。背筋に走る悪寒と同時に頭の中にまで響く白い気配が脊椎を伝わり全身に響き渡る。周囲の全てが視覚でなく心で理解できる。
また、鈴の音が聞こえ始めた。
〝ダガー〟の周囲を包囲するように散開していた黒い〝ラゴゥ〟が、隊長機の元に集まる。遠くの空で信号弾が上がったのが見えた。
――撤退するの?
ほんの一瞬の思考。その隙を見逃すまいと、〝ラゴゥ〟が一気に迫る。三機の〝ラゴゥ〟が縦一列に並び、まるでそこに一機の〝ラゴゥ〟しかいないように見せる三弾攻撃。フレイはエネルギーの切れたライフルを捨て、ビームサーベルに持ち替えた。心臓の鼓動が高鳴る。
先頭の一機が飛びかかる瞬間、フレイは思い切りフットペダルを踏み込み、〝ダガー〟を加速させる。
突如、あの鋭い感覚が背後から迫った。これは敵意では無い。何だ?
〝ダガー〟の背後から現れた一機の〝ストライクダガー〟がバズーカを構え、撃ち放った。さっと散開し、射線から消える三機の〝ラゴゥ〟。
無茶だ、と感じると同時に、一機の〝ラゴゥ〟がビームキャノンで〝ストライクダガー〟のコクピットを正確に貫いた。胴体に虚空の穴が空き、やがてゆっくりと誘爆し、炎に包まれていく。やられたのは……。
――ああ、グレールさんか……。
涙は出なかった。ただ、淡々とした事実だけが、フレイの頭の中に、まるでひとつのメロディーを聞いているかのように流れ込んでくる。
――そっか、死んだんだ……。
再び三機の〝ラゴゥ〟が折り重なり、一機の〝ラゴゥ〟となって襲いかかる。
――もう少し、話しておけば良かったな。
豪雨の中、津波のように、まずは最初の一機。
――勝てるよな?
彼の、声が聞こえた。背中に背負ったビームキャノンが粒子の光を撃ちだす。
――うん、大丈夫。
〝ダガー〟はシールドを構え、更に加速。
――すまない。
放たれた太いビームの粒子がシールドを溶かしていく。フレイはそのままシールドを捨て、〝ダガー〟が飛んだ。
――良いよ。
驚愕の色を浮かべ、こちらを見つめる〝ラゴゥ〟のモノアイを思い切り踏みつけ、二機目の〝ラゴゥ〟視界に入れる。
――何もできなかったんだ。
〝ラゴゥ〟と〝ダガー〟は同時にサーベルを奔らせた。二つのビームの粒子が交差し、粟立つように弾ける。
――戦争、だもんね。
すかさずサーベルを捨て、背中にあるアタッチメントからもう一本のビームサーベルを鞘走らせた。
――みんなを、守りたかったんだ。
光刃が〝ラゴゥ〟の首から右前脚までを斜めに斬り裂く。
――うん、わかってる。
三機目の〝ラゴゥ〟が見える直前に、フレイは〝ダガー〟の背中に装着されたエールパックを切り離し、それのみを加速させた。
――……そろそろ逝くよ。
深く腰を落とした〝ダガー〟から、エールパックだけが放たれ、三機目の〝ラゴゥ〟に衝突した。
――さよなら、グレール少尉。
――ああ、さ、よ、な、ら。
フレイは、唐突に叫んだ。
「カガリ、やれッ!」
通信機を介さずに走る言葉の波動に、カガリは反応し、トリガーを引いた。光条が、エールパックに命中し、爆発する。炎に包まれた〝ラゴゥ〟が、一瞬怯んだ。フレイはすかさず腰のアタッチメントに装着されたビームサーベルを抜く。〝ラゴゥ〟が反応する前に、右肩から真っすぐに振り下ろす。
すんでのところで致命傷を避けた〝ラゴゥ〟が、一機の〝ラゴゥ〟に守られるようにして後退していく。
フレイが追いすがろうとしたその時、最初の〝ラゴゥ〟が行く手を遮るようにして立ちはだかった。
〝ストライク〟が、自重に耐えきれず膝をついた。攻撃を、受けたのだ。一体どこから? 背後からの攻撃? 気付かなかったのか? 誰が?
トールの〝スカイグラスパー〟は補給に戻った。キラは少しずつ、記憶の糸を紡いでいく。カナードとの連携で黄昏の新型を撤退にまで追い込み、そして――ロックオン警報が鳴り、そ、れ、は、味、方、の、は、ず、の――
通信モニターに映る自分と同じ顔が、いやらしく歪んだ。
〈避けて見せると、思ったんだがな?〉
彼から発せられる殺気に、思わず唾を飲み込む。
「カ、カナード……こういう、冗談は……」
再びロックオン警報。どくんと心臓が跳ね上がる。心臓の鼓動と警報《アラート》がだけがまるでメロディーのように響くのが不安であり、恐ろしい。
「カナード……?」
彼は口元を歪めると、九十四ミリ高エネルギー収束火線ライフルのトリガーを引いた。
――直撃コース!?
とっさに〝ストライク〟のスラスターを吹かせ、距離を取る。太い光条が自機を掠めた。
「……死んでたよ……?」
必死に押し入る不安と恐怖を押し殺し、吐き出すように言った。
〈だろうなァ?〉
何かの間違いであってほしい、キラのそんな願いを、彼の狂気に満ちた笑みが消し飛ばしていく。思わずキラは叫んだ。
「どうして!? 何で!?」
〈どうして? 何で? ふっクククククッ〉
心底楽しそうに、カナードが笑った。その笑い声の何と恐ろしいことか。
〈――アッハッハッハッハッハッハッハッハッ! 本当に何も知らないんだなよあ、貴様はッ!〉
キラは、震える指で操縦桿を握りなおした。次の言葉を待つ。
〈オレの本当の名前を知っているか!? 最初に名づけられた、オレの存在を示す本当の名をッ!〉
……本当の、名前? カナード・パルスでは、ない……? 君は、一体――。
同じ顔の少年は苛立たしげに天を仰ぎ見る。
〈――……イレブン・メンデル。……わかるだろう?〉
名前が、番号……。キラは息を呑み、目の前の少年がにたりと口元をゆがめ、言った。
〈なあ? トゥエレブよ〉
ぞっと身を振るわせる。トゥエレブ……。その言葉に胸を締め付けられるような錯覚を覚えた。指の震えが止まらない、息が苦しい、ぼくは、いったい……。
〈プロジェクト・キラのキライレブン。わかりやすくて良いじゃないか! 十一番目の生存者だからイレブン! ハハハハハハッ!〉
「せ、生存者…………?」
反射的に聞き返したことを、キラは後悔した。
〈ああそうだ。オレ達の父親のユーレン・ヒビキが、この世に人の形で生み出すことができた者たちのことだよ!〉
「ぼくたちの、お父さん……」
〈まさか今さらお前がヤマト家の餓鬼だなんて思ってないよなあ?〉
〝バスター〟がゆっくりと前へ出る。思わずキラは後ずさった。
〈ユーレン・ヒビキ、ヴィア・ヒビキ。オレたちを作り出した研究者が、父と母だろうがあ!〉
「ち、違う、ぼくは――」
〈どう違う! 何が違う! オレは、貴様の失敗作として! 塵のように棄てられたナンバーイレブンなんだよォッ! だから、キラという名を手に入れた貴様を、殺しに来たッ!〉
〝アルテミス〟で見たこと、聞いたこと、あの時のガルシアの舐めるような視線。今、その全てがわかった。あの目は――
〈最初はなあ、貴様の弱さに随分と落胆したものだ〉
あの目は、コーディネイターを見る差別の視線でもなく――
〈何故貴様のようなのがと、ずっと考えていた……〉
ただの物や、兵器としての視線でも無い――
〈今、わかった! 貴様にあってオレに無いものが!〉
まるで、宝石か何かを手に取り堪能するような、厭らしい目つき。何か途方もない価値のあるものを手にした恍惚の瞳。
〈なあ、さっきのはどうやったんだ? 人が変ったよな? 何かをしたんだよな? 貴様の中で、ユーレンとヴィアが作り出した何かの機能が働いたんだよなあ!?〉
〝バスター〟の双眼《デュアルアイ》が紅く灯る。一歩、また一歩と近づいてくる。それが雷光に照らされる機体恐ろしくてたまらない。
〈いや、良いさ。簡単なことだった〉
カナードは視線を一度落とし、深く全身で呼吸を取る。
〈今の貴様を――〉
彼はゆっくりと顔をあげ、キラを睨みつける。ひしひしと彼の殺気が伝わってくる。つい先ほどまで、本当の兄のように思っていた少年の殺気が……。
〈――オレがッ!〉
〝バスター〟が長高ライフルを手に持った。キラは反射的にシールドを構える。
〈――殺せば良いだけのことだァーッ!〉
迫りくる〝バスター〟に、キラは、動けなかった。胸が苦しい、目の奥がちりちりする。
〈貴様を、生かすためだけに!〉
鬼人と化したもう一人のキラが告げる。
〈貴様という存在を完成させるためだけに!〉
――ぼくという命を作るためだけに
〈オレたちは貴様という細胞から別けられ、成長を促進され、生み出された!〉
――たくさんの、憧れていた兄という存在が
〈『ぼくの兄さん』と聞いたな?〉
ああ、そうだ、でもそれは、こんな意味で聞いたのではない。もっと、素敵な巡り会わせを……。
〈ああそうだよ、会いたかったぜ弟ォ! 貴様を殺すことだけを夢見て、オレは生きてきた! 殺してやるよキラァ!〉
――ぼくは……
「カナード、ちょっとカナード!?」
敵が撤退し始めたのを確認し、少しばかり落ち着きを取り戻した艦橋で、ミリアリアが慌てふためいて声を上げた。
「どうしたの!?」
マリューの問いに、メリオルが答えた。
「……パルス中尉が、ヤマト少尉に攻撃を加えているようです」
あまりにも淡々と言ったので、マリューは思わず自問してしまった。彼が……キラ君を、攻撃……?
「ど、どういうことだ!」
流石のナタルも驚きを隠せない様子で声を荒げている。はっとして、マリューは言った。
「パルス中尉に通信を!」
「駄目です! 向こうから切られていて……」
ミリアリアが泣きそうになりながら叫んだ。彼女は一度体を震わしたあと、震える腕で体を抱きしめ、「寒い……」と吐き捨てる。
さっとメリオルが向きなおる。
「どうなさいます、ラミアス艦長」
問われて、彼女は体を硬直させた。無意識に視線を泳がし、今だ情報の整理ができない頭で必死に思考する。何故? 何故彼が攻撃を? あんなに仲良さげにしていたのに?
ふと、メリオルはカナードと共に〝アークエンジェル〟クルーになったことを思い出した。マリューはが口を開く。
「……ピスティス少尉は、パルス中尉のことは――」
「存じません」
ぴしゃりと言い切った彼女の瞳は。どす黒い、腐ったドブ川のような色をしていた。マリューは思わず息を詰まらせた。どうする、どうする……どうすれば。
「……あ、ケーニッヒ機着艦します!」
トールの帰還を告げるカズイの声が、マリューを現実に引き戻した。
「通信をつなげ!」
ナタルが声を上げる。前面のモニターにぱっとトールの姿が映し出された。すかさず彼女が言う。
「ケーニッヒ二等兵、パルス中尉が裏切った。補給が済み次第討伐に――」
〈ちょ、ちょっと待ってください! 何言ってるんですか!?〉
彼が驚くのも、無理はない。いつも一緒にいた、仲間なのだから。
「事実を述べたまでだ!」
ナタルが有無を言わさず告げる。
「ヤマト少尉が襲われている、貴様はそれを援護し、少尉と共にパルス中尉を撃退しろ!」
もはや、艦橋には彼女の声だけが響き渡っている。パイロットシートのノイマンは、静かに指示を待っている。その隣のコパイロットシートのサイは、こちらを振り返りひたすら何かに思いを巡らしている。射撃司令官シートのパルも、こちらに視線を向けている。
通信士シートのカズイは、レーダーとマリューの顔を交互に見て、状況についていけてないようだ。CIC席のミリアリアは、まだ寒さに震えている。同じくCICに座るチャンドラとトノムラがこちらの顔をうかがっている。キャプテンシートの脇にまで来たメリオルが、何かを待つようにじっとこちらを見つめている。
ふいに、宇宙で会ったハルバートンの顔が過る。彼ならばどうするだろう、このような状況で、どのような判断を下すだろう。
答えは、とうに出ていた。
マリューは自然な動作で、すっと立ち上がる。
「〝アークエンジェル〟を前へ。〝ストライク〟と〝バスター〟に割って入ります」
周囲が息を飲む。瞬間、ナタルが激昂した。
「いい加減にしてください艦長! 貴女は――」
「全責任は私が取ります! 法廷だろうと軍法会議だろうと、どこへだろうと呼べば良い!」
「あ、貴女はいつも――!」
「これより先の行動は、私の独断により行うものとします!」
「聞けぇっ!」
「ノイマン少尉! 艦長命令です、艦を動かしなさい!」
「止せ少尉、馬鹿げている!」
ほんの少しの沈黙の後、ノイマンがふっと息をついた。
「……了解です艦長。〝アークエンジェル〟は〝ストライク〟の盾に!」
「馬鹿な……」
艦が進む。小さなGに、ナタルはゆらりと体をずらした。ふいに、チャンドラがつぶやくように言った。
「諦めましょう中尉。俺たちは、この艦に長くいすぎたようですから」
「……何がだ」
苛立ちと落胆を隠そうともせず、彼女は呟く。トノムラが口元を皮肉るように歪めた。
「ラミアス艦長のぬるま湯は、心地いいってことです」
……ぬるま湯。そうかもしれない。自分は甘い、艦長としても、軍人としても。今までそれが重荷であった。クルーたちに多大な迷惑をかけているのだと思っていた。軽蔑されているのでは、とも考えた。
「……馬鹿げてる」
ナタルが力なく吐き捨てた。そうだ、馬鹿げている。なのに、彼らはこうも自分に付き合ってくれる。それが嬉しくてたまらなかった。だから、こんなことを言ってしまうのだろう。
「ナタル、私は軍人になれなかったわ」
彼女は、何も言わなかった。ただ、力なくマリューを睨んでいるだけだ。
「ましてや艦長なんて――」
メリオルが、何かを待つようにマリューを仰ぎ見た。彼女は続ける。
「だからね、私は……当たり前のように生活して、当たり前のように生きてる、一人の人間として、艦を動かします。私は、普通の女ですから」
たとえ銃殺刑になったとしても、彼らだけは護ろう。マリューはそう、心に誓った。
口に当たる部分にビームの刃を光らせ、黒い〝ラゴゥ〟が迫る。フレイは慌てて回避するも、敵機はそのままビームキャノンを放ちつつ突撃してきた。すかさずバルカンで牽制しつつ切りかかる。光刃と光刃が交差し、互いのビームの粒子を粟立ち、そのまま〝ラゴゥ〟と激突した。
〈――女の意地ってのがあるんだよ、ナチュラル!〉
接触回線から聞こえてきた声に、フレイははっとして声を上げた。
「女の意地って言った!?」
通信先で、相手の女パイロットが息を呑む。
〈小娘!?〉
「な、何よ、おばさん!」
〈おば――!?〉
怯んだ〝ラゴゥ〟の頭部に左ストレートをお見舞いしつつ、フレイは目の前のビームキャノン目がけバルカン砲をばら撒いた。やがてそれは蜂の巣のようにぼろぼろとなり、〝ラゴゥ〟が慌ててパージしたところで爆発した。
〈やってくれるじゃないか糞餓鬼!〉
苛立ちを孕んだ敵の声に、フレイはカッとなって反論する。
「アハッ、若さが羨ましいんだ、おばさぁん!」
〈は、た、ち、だあ!〉
〝ラゴゥ〟のサーベルに再び光刃が灯る。これは不味いと、フレイは一気にスラスターを吹かせ、敵の頭部を目掛け思い切り足を蹴り上げだ。
「はたちはァ!」
〈蹴ったな糞餓鬼!〉
そしてすかさずサーベルに光刃を出し、思い切り投げつけた。
「――おばさんだあー!」
まるで手裏剣のようになったビームサーベルが、〝ラゴゥ〟の左肩を切り裂いた。更にもう一本のサーベルで追い討ちをかけようとしたところで、遥か後方から鋭い悪意を感じ、ウッと動きを止める。その隙に〝ラゴゥ〟は身を翻し、闇の中へと消えていった。
「何、今の……」
ほんの一瞬、キラとカナード二人の心を、フレイは垣間見た。〝ダガー〟の双眼《デュアルアイ》が力強く灯る。
「あの子達……!?」
わけもわからず、フレイは悪意の方角目掛け〝ダガー〟を加速させた。
豪雨はさらに酷くなる。威嚇射撃を繰り返しながら撤退していくモビルスーツ隊を見送りながら、アムロは奇妙な感覚を覚えた。
――誰かが……呼んでいる?
「ムウ、何か感じないか?」
〈……あん? 嫌な感じはするが〉
〈例の、空間認識能力ですか?〉
ジャンがちらりとこちらの顔色をうかがう。
「そんなんじゃないよ。ただ、なんとなくさ」
〈……先に戻るぜ〉
転進していく〝スカイグラスパー〟に 「頼む」と言ってから。アムロは口の中で「人殺しばかり上手くなって……」とつぶやいた。
雨が横なぎに吹き荒れる荒野で、キラは必死に〝ストライク〟の操縦桿を握った。〝バスター〟から放たれる射撃は正確無比、油断したらやられる! カナードの力は、キラが一番わかっているつもりだった。これからも、ずっと一緒にいれると思ってた、そうしようと思っていたのに!
〈アッハッハッハッ! 楽しいなあ弟ォ? オレのスピードについてこれるようになったじゃないか!〉
高エネルギーライフルの光条を必死に避けつつ、キラはライフルを構える。
――撃てない! ぼくには……。
〈ほぉらどうした! オレは隙を作ってやったのに撃たないのはオレを馬鹿にしている証拠だろうがーッ!〉
「違う、ぼくは――」
〈死ねよ兄弟!〉
〝バスター〟の両肩にあるカバーがぱっと開く。そこから放たれた六発のミサイルが〝ストライク〟に迫る。
キラはシールドを正面に構え、フットペダルを思い切り踏み込んだ。
「距離を詰めれば! 〝バスター〟なら!」
エールストライカーのバーニアに再び火が灯る。ミサイルの群れに、バルカンで牽制射撃をしつつ〝バスター〟に向かう。四発のミサイルの迎撃に成功し、二発がシールドに着弾した。衝撃と爆発の閃光に目を瞑りながらも、爆煙を抜けた先に〝バスター〟を捉える。
すかさずボロボロになったシールドを捨て、ビームサーベルを抜き、斬りかかる!
〈〝バスター〟をやるには――〉
反身を逸らし、サーベルを紙一重で回避した〝バスター〟が、左手で手刀を作った。
〈それしかないだろうが!〉
〝ストライク〟の加速を逆手に取り、〝バスター〟の突きがサーベルを握った右腕を捉えた。その衝撃に負け、サーベルが弾き飛ばされる。
「――まだだ!」
キラは左手で残った最後のビームサーベルを抜き去った。
〈――だろうな!〉
〝バスター〟はそのままの勢いで右手を地面に立て、回転の勢いを利用し、右足で〝ストライク〟の左腕を蹴り飛ばす。
「――それでも!」
すかさず両腰アーマーに収納された折り畳み式対装甲ナイフ――アーマーシュナイダーを両手に――
〈甘いと、言った!〉
アーマーシュナイダーを右手に取ったと同時に、〝バスター〟が重力を無理やりバーニアで捩じ伏せ、力任せに突っ込んできた。
「うわっ!」
眼前一杯に広がる〝バスター〟の双眼《デュアルアイ》に、キラは怯んだ。機体にかかるGに顔をゆがめながら、必死に機体のバランスを取る。はっと気付くと、左手に持つべき武器が無い。もしやと思い、ゆっくりと立ち上がる〝バスター〟に目をやる。その手に握られているものを見て、キラは思わず息を呑んだ。
挑発的に立つ〝バスター〟が、右手に持ったアーマーシュナイダーをひらひらと見せびらかす。
〈ふっふふ。良い動きをするじゃあないか〉
――やられた!
〈楽しもう、兄弟。オレとお前の、宿命付けられた殺しあいだ!〉
キラは思わず激昂した。
「そんなこと、ぼくは望んでない!」
〈親父が望んだことだろう!〉
雷雨を切り裂き、カガリの〝スカイグラスパー〟が空を駆ける。胸を刺すようなどす黒い感覚はより強くなる。
――キラ、カナード。
心の中でつぶやき、彼女は星一つ見えない嵐の空を見据える。時折光る雷光に、目を細めながらようやく〝アークエンジェル〟の通信範囲内に戻ってきた彼女は、すかさず通信機に向かって叫んだ。
「カガリ・ユラだ! 状況を!」
ぱっとモニターに青ざめた様子のミリアリアが映る。
〈カガリさん! カナードを、カナードを止めて!〉
やはり、と思った彼女は唇をかんだ。仲間だと思っていた。友だと思っていた。だが、それよりも明確な、鋭い『何か』を彼に感じていた。その正体が、これかとカガリは頭でなく心で理解することができた。
「……戦ってるんだな」
ミリアリアが無言で頷く。
「止めてみせるさ」
カガリはひとりごとのようにつぶやいた。
突如、一隻のピートリー級戦艦がスケイルモーターを吹かせ、艦体前面に装備された単装砲とVLSをばら撒きつつ、猛然とこちらに向かってくる。ジャンが慌てた様子で言う。
〈大尉! 敵艦が――〉
「撃ち落とすぞ!」
〈ですが、あの勢いは殺せません!〉
彼の反論を聞きながら、アムロはライフルでビームの雨を降らせる。放たれた粒子の粒は吸い込まれるように、正確に艦正面と側面に装備された単装砲、連装広角砲を撃ち抜く。
「中尉もやれ! 〝アークエンジェル〟まで距離もある、受け止めてでも止める!」
〈――ハッ!〉
すかさず白い〝ロングダガー〟がバズーカに持ちかえ、敵艦の側面に回り込み、トリガーを引いた。弾頭が白い尾をなびかせながら、一発が艦橋に命中し、融爆した。小さな爆発を起こしながら、尚も進み続ける敵に舌打ちをしながら、アムロはエネルギーの尽きたビームライフルを腰に据え、二丁の三五○ミリレールバズーカ〝ゲイボルグ〟を両手に構え、撃ち放つ。数発のバズーカが、エンジンやVLS発射口に着弾し、赤い炎を燃え上がらせる。しかし――
「――まだ来る!?」
アムロはもう一度舌打ちしてから、シールドを背に戻し、迫る陸上艦の前で仁王立ちした。このまま艦が進めば、街にも大きな被害が出る。それだけは何としても阻止しなくてはならない。
〝バスター〟が連続して繰り出すアーマーシュナイダーの突きを必死に避けながら、キラは相手の隙をなんとかして見つけようとしていた。長距離支援用の〝バスター〟でこれだけの格闘戦をしてみせるカナードの技量に薄ら寒さを覚えつつ、なんとか距離を取る。
すかさず〝バスター〟が対装甲散弾砲を撃ち放ち、無数の弾が〝ストライク〟を襲う。着弾の衝撃に顔をゆがめつつ、エネルギーの消費が激しいことに冷や汗をかいた。
相手の呼吸が伝わってくる、弾の軌道も読める、だが、キラの反応速度に〝ストライク〟がついてこない。
おそらく、カナードはそのことに気づいている。だから、あえて距離を取らせたり、詰めさせたりする戦い方を取っているのだろう。そして、キラはそれを抗う術を持っていない。
〈ほぉ~らあ! 反撃しないと死んじゃうぞおっ!〉
狂ったように〝バスター〟が散弾を撃ち放つ。その時、エネルギー切れを告げるアラームと共に、〝ストライク〟のフェイズシフトが落ちる。モニターに映るカナードの顔が醜く歪んだ。キラは思わず歯を食いしばった。
「人間の――」
〝バスター〟がバーニアを吹かせ、一気に距離を詰める。
――信じていたのに……。
〈キラ・ヒビキィ!〉
――よくも!
キラは再び操縦桿を握りしめた。心が割れそうに痛い、今まで築いてきたものが、音を立てて崩れ落ちるのを感じる。
「カナードォォッ!」
溢れ出る怒りと憎しみ。やり場の無い殺意が胸を締め付ける。
〈さあ、勝負だ!〉
エールの翼で風に乗り、キラは思い切り〝ストライク〟を滑空させた。〝バスター〟が喜々としてアーマーシュナイダーを構える。こらえきれず、彼は大粒の涙をこぼした。
――よくも、よくも! よくもぼくの兄さんを、ユーレン・ヒビキ!
顔も知らぬ本当の父に、キラはこらえきれぬ憎しみを抱いた。憧れていた兄を、ぼくを、こうも作ってくれたな! 兄さんはこんなにも辛い思いをして生きてきたのに、ぼくにだけこんなものを……! 人の命を犠牲にして、人を生み出すなど……!!
「人間のやることじゃあ無いんだ、そういうことは!」
〈オレ達化け物が言うことでもなかろう!〉
「――ッ! そうさ! だから、これで終わりにしよう! カナード!」
〝バスター〟が大地を蹴り、飛んだ。
〈オレが勝って終わりだ!〉
キラは、覚悟を決めた。
今日は良い日だ。長かった、本当に長かった地獄のような日々。女も、赤ん坊も、子供も、老人も、命乞いをする者も、何であろうと殺してきた。来る日も来る日も実験実験。飽きた研究員どもは、世界各地の激戦地に彼を駆りだした。中東、南米と数々の内戦に、ゲリラとして参加した。
勿論どこにいても位置を知られる首輪付きだ。レバノンでマシンガン一丁で戦車と戦わされもした。七歳の頃だ。アフガニスタンでは、ナイフで一本でプロの傭兵と殺し合いをさせられた、八歳の時だ。
そうだとも、九歳の時も十歳の時も十一歳の時も! オレはずっと人殺しをしてきたのだ! そうしなくてはならなかったから、そうせねば殺されていたから! そう、全てはこいつがいたからだ。このどうしようも無く情けない完成型キラ、キラ・トゥエレブがいたからだ! それももう終わる。オレが終わらせる!
〈……兄さん〉
キラが小さくつぶやいた。迫る〝ストライク〟。その手にはアーマーシュナイダーがしっかりと握られている。カナードは右手に持たせたアーマーシュナイダーを、真上から迫る〝ストライク〟に思い切り突き立てた。
――さあ、どうするキラ・ヒビキ! この状況をお前ならどう打開する!
この瞬間が、まるでスローモーションのように感じられた。コクピットにゆっくりとアーマーシュナイダーの切っ先が当たる。
――さあ、見せてみろスーパーコーディネイター!
〈キラ・ヤマトは――〉
ふいに、キラが口を開いた。
〈――みんなを幸せにしたいんだ〉
ゆっくりと、ゆっくりと、〝ストライク〟のコクピットにアーマーシュナイダーが食い込んでいく。カナードは思わず怒鳴り声を上げた。
「それがどうした!?」
〈君が、今日から『本物』のキラ・ヤマトだよ……。だから、みんなを――〉
脳裏に過ぎったのは、拾った子犬のように自分にまとわりつく憎むべき宿敵の顔。ようやく手に入れたぬくもりから逃れまいと、カナードにべったりだったキラの――
カナードははっとして〝バスター〟に逆噴射をかけた。違う、違うんだ。オレが望んでいるのは、こんな決着では――。
どうしてお前はそうなんだ。なんでもっと、オレの嫌いなやつになってくれなかったんだ。お前は……。
既に雑音しか聞こえない通信機から、呻くようなキラの声が聞こえてきた。
〈――生きて……み、ん、な、を……〉
「そうじゃないだろぉ!?」
何も知らないキラ、愚かなキラ。でもそれは――。
アーマーシュナイダーが折れた。〝ストライク〟が力を失い、死んだようにゆっくりと倒れこむ。カナードはそれを茫然と見ているだけだった。
「キラーっ!」
崩れ落ちる〝ストライク〟、立ち尽くす〝バスター〟。ようやく視認できたところで、カガリは絶叫した。間に合わなかった、救えなかった……!
「カナード、カナード・パルス!」
ややあって、雑音混じりの通信機から小さい声が聞こえる。
〈オレは……こいつを倒して……こいつに、なるんだ……〉
「お前、何言って――」
〈だってそうだろう!? ナンバーイレブンは、いつか本物のキラにならないと、オレは何のために作られたのかわからなくなっちまう! トゥエレブを倒して、オレが、このオレが!〉
カガリは小さく「馬鹿野郎……!」と呻いた。すぐに〝スカイグラスパー〟を着地させ、コクピットから飛び降りる。彼女は仰向けに倒れ、死んだように眠る〝ストライク〟に走った。
コクピット外壁にある緊急脱出装置を作動させる。コクピットハッチが弾け飛び、カガリは内部をのぞき見た。
「うっ……」
夥しい機材の破片が、胸や足、腕に突き刺さっている。キラは死んだように動かない。彼から流れ出た血がシートに溜まり、海のようになっている。カガリは慎重にキラを抱き抱え、ゆっくりと外へ出た。死なせない、死なせたくない。もうアフメドの時のような思いは沢山だ!
〝バスター〟が静かに近づき、コクピットハッチからカナードが降りてくる。カガリはそれを見ようともせず、備えつきの救急パックを開け、中から止血剤と包帯を取り出した。
「何でこんなことした」
カガリは泣き叫びたい気持ちを必死に抑えながら、キラの機材の破片に塗れたパイロットスーツにナイフで慎重に切れ目を入れていく。
「……オレたちの、親父が――」
「そういうこと言ってんじゃない!」
何を馬鹿なことを! そう感じながら、パイロットスーツを切れ目から少しずつ、剥がすように取り除いていく。一枚取るごとに、べったりと血糊が糸を引く。思わず、目を背けた。
「こいつは、お前のことが大好きだったんだろう!?」
インナーシャツに、ナイフをあてがった。血と泥でごっちゃに染まり、元の色がなんであったかなどはわからない。ゆっくりと、慎重に切り裂いていく。その間にも、キラの体からは血が流れ出る。カナードがそっと視線を逸らした。
モビルスーツの機動音が近づいてきた。〝ダガー〟が乱暴に着地し、そのまましゃがみこみ、フレイが慌ただしくコクピットから飛び出す。彼女は走りながら乱暴にヘルメットを脱ぎ棄て――目には大粒の涙を浮かべて――カナードの頬を思い切り叩いた。
そのままよろけ、〝バスター〟の足に手をついた。フレイが乱暴に彼の胸倉をつかみ上げる。
「あんた何してんのよ! あの子がどれだけ――」
「フレイ、後にしろ!」
「だって!」
「後だってできる! 早く来るんだよ!」
一度びくっと震えてから、フレイはしぶしぶとカガリのそばにまでやってきた。彼女は思わず「あっ」という声を漏らす。
「うそ……この子助かるの?」
「助ける、手伝え」
彼女はキラの血にまみれたカガリ手を見て、一瞬はっとした表情を浮かべたが、すぐに戻りキラの側にしゃがんだ。緊迫した声色でフレイが言う。
「何をすれば良いの」
「止血が間に合わない、とにかく今は包帯を巻いてくれ、圧迫して止めるくらいしか……」
「そんなんで間に合うの?」
……間に合うはずがない。
「専門的なことは〝アークエンジェル〟で治療しないと……」
しかし、今艦は遥か後方だ。間に合うはずが――
「カガリ!」
ふと、フレイが声をあげた。釣られてカガリが彼女の視線の先を見る。そこにはしずしずと近づく〝アークエンジェル〟の姿が見えた。
――助かるかもしれない。一筋の希望が、カガリの心に湧きあがる。
「カガリ、この子息してない!」
フレイが泣きそうになりながら叫んだ。
「運ぶぞ、急げ!」
カガリがそう叫んだとほぼ同時に、〝スカイグラスパー〟が慌しく着陸し、ムウが「来い!」と声を荒げた。
「頼む!」
キラを乗せると、〝スカイグラスパー〟はすぐに離陸し〝アークエンジェル〟格納庫へと向かう。それを視線で追いながら、カガリも自分の〝スカイグラスパー〟に飛び乗った。
……わからなかった。憎んで憎んで、それでも憎み足りない相手が、なぜあんな行動を取ったのか。今のカナードにわかるはずもなかった。何故こんなにも嫌な気分にならねばならないのかも。
一度フレイが近づき、何かを言いかけたが、すぐに視線をそらして〝ダガー〟に乗り込んだ。
冷たい雨が頬を伝う。……伝うのは雨だけだろうか?
今までの人生はなんだったのだろう。失敗作と言われ続け、ゴミのように扱われたあの日々は。こんなことの為に、オレは存在していたのか? キラ・ヤマトには勝った。結局オレは『本物』になれたのか?
――否、なれてはいない。何故ならそう作られたから。失敗作として生み出されてしまったから。なら、オレはどうすればいい。
しずしずと近づいてくる〝アークエンジェル〟を、彼は力なく見上げた。……帰ろうか?……どこに? 〝アークエンジェル〟に? 何故? 帰る必要があるのか? そもそも『帰る』ということ自体がおかしいのではないのか? いつからここが帰る場所になったのだ?
彼の答えの出ない思考とは裏腹に、着陸した〝アークエンジェル〟に向かった。何かをしようなどとは思わない、ただ、自然と足が運んだのだ。
彼が格納庫に降り立つと、今まさに人工呼吸器をつけられたキラが担架に乗せられ運ばれるところだった。医療班の一人が言う。
「心肺停止から五分が立っている、急いでくれ」
現在の医学をもってしても、心肺停止から五分後の救命率は三十パーセントを下回る。それは、ナチュラルもコーディネイターも関係の無い平等な死の確率。キラが運ばれるのを見送っていた集団の中から、服と手を血で汚したラクスが大粒の涙を浮かべ、つかつかと歩いてきた。
なんだ思う前に、彼女の平手打ちがカナードの頬に飛んだ。
……今日はよく殴られる日だ。
「キラ様は! 貴方の事が大好きでいらしたのにッ!」
知ってるよ、さっき聞いた。
「『今日は一緒にシミュレーションをした』だとか、『艦隊戦を教えてもらった』だとか、あんなに、幸せそうに――」
こらえきれず、彼女が大粒の涙をぽろぽろとこぼした。ラクスが続ける。
「本当の兄弟のように、思っていらしたのに!――貴方はッ!」
………………。
カナードは、思わずつぶやいた。
「オレは……」
「貴方の過去に何があったのかはわかりません! 知りたくもありません! でもっ! 彼をこんなにする理由が、本当にあったのですか!?」
なおも激昂するラクスに、さっとムウが手をかざす。彼女はきっと彼を見据えたが、やがて悔しそうに視線を逸らした。
「……カナード・パルス、お前の処分が決定するまで独房に入ってもらう」
彼の背後にいた兵士たちがさっと銃を構える。カナードはふっと笑い、両手を差し出した。ここで彼らを殺すのは容易い。でも、今は……そんな気分になれなかった。
両手にガチャリと手錠が嵌められる。
降り注ぐ豪雨は、まだ止みそうになかった。
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