目まぐるしく変わる宇宙《そら》に一つの輝きが生まれると、それが絶命の輝きなのだと知り、ラクスはぎゅっと唇を噛み締めた。
馬鹿な事をしているという自覚はある。絶対に怒られる。無事に帰れたら、ぐーで殴られる。
それでも、ラクスは、その自分の馬鹿な部分を肯定した。だって、そうしなければ自分ではないから。誰かが帰ってこなかったら、何もしなかった自分を許せなくなるから。
唯一の嬉しい誤算が、このモビルスーツ〝セイバー〟に、ハロを補助AIとして機能させるための台座がシートの後部に設置されていた事だ。
〝ミネルバ〟にいた時、確かアスラン用に作られたモビルスーツがもう一機あったという話を耳にしていた。
彼は〝ジャスティス〟にハロ専用のシートを増設していたから、同じ理由でこの機体も……。
思わず口元が緩み、自分が笑っていると自覚した時、背後に増設された補助シートに座る、自分よりも更に幼い少女がひょいと顔を覗かせた。
「……黙って出てきちゃったけど、良かったんです……?」
子供用のスーツに身を包んだ彼女は、まるでマスコット人形のように愛らしかったが、ぎゅうと抱きしめたい衝動を抑えラクスは正面のモニターから視界を反らさずに返す、
「まさか。帰ったら一緒に怒られましょう」
「ええー! どうしてー!? 何でマユが怒られないといけないの!」
「まあ。軍隊には軍規というものがございますのよ? わたくしたちは、それを破っているのですから」
「だ、だって、良いって言っ――」
「言ってません」
「うう……」
その少女、マユ・アスカはしゅんと小さくなり、頭を抱えた。
「お兄ちゃんに会いたかっただけなのに……」
「わたくしもそう。フレイに会いたいだけ」
「会いに行くって言ったから、付いて来ただけなのにー! さっきお兄ちゃん通りすぎたしいー!! もうーー!」
シートの後ろでじたばたする少女を無視して、ラクスはコンソールを操作し現在地を表示させた。
別に、こういう状況を予測していなかったわけではない。フレイの訓練に付き合う形で、〝ガンバレル〟適正を検査する形で、ラクスはいくらかのモビルスーツ訓練を受けていた。
後は、勘と気合である。
少しばかり操作を間違いよくわからないボタンを押した気がするが、ややあって現在の位置がモニターの端に表示されたが、そういえば読み方の勉強していない事を思い出し、それを消した。
さて、どうするか……。
「ハロ、現在地がわかりますか?」
補助AI、という事を思い出し、ラクスは駄目もとでピンクのペットロボに声をかける。すると――
〈ワカル・ワカル〉
甲高い電子音が人の言葉で答え、ラクスは何故だか少し得意げになった。
「フレイがどこいるかわかりますか?」
〈ワカル・ワカル〉
「まあ凄い! そこに行きましょう!」
〈リョウカイ・リョウカイ〉
すぐに機体が反転し、加速する。ぐぐぐとGが体にかかり、ある種の高揚感を覚えながら、周囲の星の移動が早くなっていくモニターに釘付けになった。
「……この小さいの凄いんですね」
マユが背後から疑わしげな視線を向けると、ラクスはまた得意げになる。
「んふ、でございましょ?」
「誰が作ったんです?」
「勿論アス――」
〈アムロ・アムロ〉
「あら? あらあら?」
そう……だっけ? いやいやそんな事は無い、確かにこの子はアスランが……
「ああ、そうでした。一度壊されたっ」
「ふーん。〝ナイチンゲール〟と仲良いもんね、ハロは」
「仲が良い? フレイのあの子と?」
「うん。大体いつも一緒にいるよ、ハロ」
「へぇぇぇ……」
そういえば確かに仕事中、ハロを見かける事が少ない。
んん、〝アークエンジェル〟にいた頃もそうだったような……?
その時、けたたましく警報《アラート》が鳴り響いた。
慌ててモニターに目をやり、下方に四機の〝グフ〟と激戦を繰り広げる三機の〝ドムトルーパー〟を見つけ、ラクスは思わず目を細めた。
……加勢すべきか?
「た、戦ってるよ、助けないと!」
マユの悲鳴にも似た懇願は、彼女が限りなく善に近い存在なのだと知らしめている。
「ハロ、助けなさい!」
〈マカセロ・マカセロ〉
思い切りフットペダルを踏み込み、〝セイバー〟が一気に加速する。
まだ敵はこちらに気づいていない。今なら――!
〝グフ〟がMMI‐五五八〝テンペスト〟ビームソードで一機の〝ドム〟の腕を切り裂き、援護に入ったもう一機の〝ドム〟がその〝グフ〟のコクピットをMA‐X八四八HD強化型ビームサーベルで正確に貫いた。
片腕を失った〝ドム〟が後退しようとした時、誘爆に巻き込まれ視界を奪われた〝ドム〟目掛け、〝グフ〟がビームソードを振りかぶる!
「撃ちます!」
〝グフ〟の機動の先を目掛け、ラクスはビームライフルのトリガーを引いた。
それは、一切の迷いも慈悲も無い正確な射撃。
自分でも聞いた事の無いほど低くドスの聞いた声を出した驚きつつ、緩やかな尾を引いたビームの粒子が〝グフ〟の頭部からコクピットまでを正確に貫通し、ラクスは生まれて初めて、自分の意思を持って人を殺した。
突然の援軍に慌てふためいた残りの〝グフ〟を〝ドム〟が撃墜し終え、隊長機と思わしき機体からの通信を受けたとき、ラクスは奇跡というものを信じたくなった。
〈そこの連合の識別信号! それはザフトのモビルスーツだ! 〝アークエンジェル〟の者か!?〉
どこか高圧的な、男勝りで芯の通った女性の声。
思わず、ラクスはその〝ドム〟に〝セイバー〟を取り付かせた。
「何やってんだヒルダ!」
援護のモビルスーツがやって来たと思ったら、それはザフトが連合に譲渡した〝セイバー〟であった事は驚くべき事であろうが、それ以上にその援軍の奇行がマーズを警戒させた。
〈おい俺の心配は無しなのかよ〉
と片腕を失ったヘルベルト機から通信が入るが、マーズは無視して捲し立てる。
「そこのモビルスーツ、ヒルダから離れろ!」
咄嗟に大型バズーカ砲ギガランチャーをヒルダ機に取り付く〝セイバー〟に向けたが、実際こんな高威力のビームバズーカを撃てばヒルダ事撃墜してしまう事に成りかねない為、あくまでポーズである。
が、ヒルダの〝ドム〟は〝セイバー〟に抱きつかれた格好のまま、大丈夫だと言わんばかりにマニュピレーターでマーズの行動を制した。
「なら返事くらいしろ!」
〈左腕を失った。モビルスーツの方だが〉
蚊帳の外に置かれて不満そうなヘルベルトがぼやきながら周囲を警戒する。ここはまだ敵地のど真ん中なのだ。どう考えてもそんな所で個人通信らしいものをしてるヒルダが悪い。
「聞いてんのかヒルダァー! 返事! しろ!!」
すると――
〈うるさい黙りな!!〉
「は!?」
〈おいおい……〉
何故かこちらが怒られた。
あまりの事に固まり、流石にヘルベルトも呆れ顔だ。
いやいやいや、敵地のど真ん中だろうが、しかも時間制限ありの決戦だろうが、〝ユニウス・セブン〟落ちたらやばいんだろうが、地球的にも俺らの体裁的にも。
それを、それをぉお!? 黙れだああ!?
理不尽な物言いに、ブチブチと頭の血管が切れていくような錯覚を覚え、我慢の限界が来たマーズは大声で怒鳴るために息を大きく吸い込む。
〈アッハッハッハッハ!〉
突然ヒルダが快活に笑い出し、マーズは腹のうちに溜め込んだ怒りと空気を情けなくぶふうと吐き洩らした。
そういえばラクス・クラインが死んでからヒルダの笑い声を聞いたのは初めてだななどと考えていると、そのままのテンションでヒルダが快活に言った。
〈ヘルベルト、マーズッ!〉
「お、おう?」
〈どうした?〉
まるでこれからあのジェットコースターに乗ろうと言い出すのではと疑いたくなるほど明るく弾んだ様子に、思わずマーズは引いた。
ヘルベルトも同じようで、怪訝な様子になる。
だが、彼女の告げた言葉は、マーズが予測とは全く異なる、想像を絶するものであった。
〈すまない、私はザフトを捨てる!〉
「は!?」
〈おいおい……〉
〈ザラのボウヤには適当に言っておいてくれ! じゃあな、後は任せたよ!〉
「はあ!?」
〈行くのかよ……〉
わけもわからずにいると、ヒルダ機の〝ドム〟が〝セイバー〟を背負い(つーか〝セイバー〟の方が機動性良いだろうが)そのまま加速し、星屑の戦場へと消えていった。
「そこのダニもどき、こっちに来い!」
隊列に加わった〝レジェンド〟に通信を入れると、頭部カメラがこちらを捉えた。彼が何かを言うよりも早く、〝ガーティ・ルー〟が〝アカツキ〟の後方より発進し、艦砲射撃を加えながら敵陣へと向かい行く。
〈すまない、助かる〉
「いや、謝る」
〈――何がだ?〉
通信先の青年が無機質に言うと、シンは軽くため息を吐いた。
「〝ミノフスキー粒子〟っての、薄くなってるみたいでさ……。ほんの少しだけど、聞こえた、さっきの――ていうか、〝アカツキ〟が勝手にさ……」
誰に似たのか、いらない事を勝手にする疑似AIにシンは苦笑する。
つまり、この〝アカツキ〟だけだろうが、聞こえていたのだ。彼のちょっとしたカッコイイ台詞を。
年頃の少年として、それほど恥ずかしい事は無い。
短い沈黙の後、〈気にするな。俺は気にしてい無い〉と答え、その様子がおかしくてシンは思わず噴出した。
〈今度は何だ?〉
「悪い、なんかおかしくてさ。ナチュラルなのにザフトなんだろ? 僕だって、コーディネイターなのに連合やってて――」
〈気にしてい無いと、言った〉
「ああ、わかった」
〝ガーティ・ルー〟の甲板に降り立つと、同じようにして〝カオス〟、〝ガイア〟、〝アビス〟が続き、ややあって〝レジェンド〟が降り立った。
〈レイ・ザ・バレルだ〉
「シン・アスカ」
互いに、短く言う。それだけで、十分であった。
〈聞いて、フレイ。制御室までのルートをそっちに転送するから――〉
〝ユニウス・セブン〟の岸壁に叩きつけられた〝ゴンドワナ〟に取り付いたフレイは、既に脱出を始めている部隊らを避けるようにしてモビルスーツデッキに〝ウィンダム〟を滑り込ませた。
キラたちとは通信が繋がらない。フレイは今、孤立してしまっていた。
「でも、核が仕掛けられてるって、本当なの……?」
〈うん。艦に核を大量に積み込んで、そのまま地球で爆発させる計画みたい。アズラエルさんからの情報だから、確かだと思う!〉
送られてきたデータからルートを参照し、まず最初に向かうべき道をモニターに表示させ、、モニターの端に拡大させる。
小さな扉が開かれている。
がらんと空いた通路はまるで死を誘う闇のように恐ろしく、たまらず足が竦んだ。
「そ、外から撃っちゃうとか、駄目かな?」
〈無茶言わないの。〝ゴンドワナ〟が何メートルあると思ってるのよ!〉
――く。
だが、迷っている時間は無い。怯えている暇は無い。
わたしも、戦わないと……。
〈急いで、フレイ! 私もこのままナビを続けるから!〉
今は、ミリアリアの声だけが頼りだった。
〝ユニウス・セブン〟が灼熱していく。既に阻止限界点は突破していた。
「隕石が、落ちる!?」
苦渋のままつぶやくと、ふいに淡いグリーンの輝きを放ちながらすべり行く〝ナイチンゲール〟を見、カナードは目を疑った。
「アルスター! 何をするつもりだ!」
慌てて追うと、すぐにトールの〝ソードカラミティ〟が続く。
〈上、〝ガーティ・ルー〟!〉
「前に出てきたのか!?」
〝レジェンド〟を中心にして陣形を組みながら、〝アカツキ〟、〝ガイア〟、〝カオス〟、〝アビス〟が作業中の〝メテオブレイカー〟支援に入る。
同時に〝ガーティ・ルー〟が〝ゴッドフリート〟で岸壁を砲撃するが、僅かに岩がかけただけでしかない。
やや遅れて〝オルテュギア〟が、残存しているドレイク級〝ブルック〟、〝ウィリアム〟、ネルソン級〝ロバート〟と共に〝ガーティ・ルー〟を取り囲むようにして陣形を組むと、数機の〝ダガー〟隊が警戒に当たる。
それとほぼ同時に、遠雷のごとく陽電子の嵐が岸壁に降り注ぎ、三隻の〝アークエンジェル〟級と〝ミネルバ〟の姿を確認した。
一斉にモビルスーツ隊が飛び立ち、その中にはムウ達の〝エグザス〟や〝カラミティ〟の姿もある。
「メテオブレイカーはどれだけ残っているんだ……?」
核は無い。まさか、自力でこれを砕けとでも言うわけじゃあ無いよな……。
〈カナード、〝ナイチンゲール〟を見失った!〉
次から次へと、全く――!。
あの女があの年であそこまで戦えるのは凄い事だと思う。それもナチュラルの、禄に訓練も詰んでいない一般人がだ。
しかし、だからこそと言うべきか、彼女は概ね兵士に求められる判断力というものが欠如している。
全よりも個を優先してしまう傾向がある。
〈キラのやつ、無事だと良いけど……〉
友人の一言が、カナードをより一層不安にさせた。
どいつもこいつも――!
被弾した背部〝ミラージュコロイド〟発生装置を切捨て、幾つものエラーを告げる警報《アラート》が鳴り響く〝デスティニー〟のコクピットで、ラウはその時が迫っている事を肌でヒシヒシと感じていた。
所詮、人は独りだ。あの少年とも相容れる事の無かった己と言う小さな器を卑下し、ラウは孤独のまま成す事に集中した。
アッシュ・グレイが牙を剥いたのも、アムロ・レイが立ちはだかるのも想定のうちだ。
その時が来るまで、〝デスティニー〟と、〝ユニウス・セブン〟と、フレイ、レイが生きていればそれで良いのだから。
後は、〝サイコフレーム〟が引き寄せられるがまま、機体を力の中心へと運べば――
既に周囲の景色は灼熱に染まっており、作戦が瀬戸際の状況になっているのだと言う事はラクスでもわかった。
〈ほ、本当に良いんですか!?〉
ヒルダが困惑した様子で言うと、ラクスは〝セイバー〟を負ぶさってくれている彼女の〝ドム〟の頭部をマニュピレーターでごつんと拳骨した。
「当たり前です!」
〈しかし、危険です!〉
「危険なのは百も承知です! フレイが怖がっているのがわからないのですか!」
全く! これだから大人の女は!
ラクスが憤慨すると、後ろからマユが呆れ顔で覗き込み、
「わからないと思うなぁ……」
と口を挟んだ。
「見えた、大きなお船!」
岸壁に沈むゴンドワナ級〝ゴンドワナ〟。無論、ラクスは全くの勘で行動しているわけではない。
ハロが、〝ウィンダム〟位置を正確に把握しているからこその行動だ。
ただ、フレイが怖がっているというのは全くの勘である。
ちらとモニターの端に、〝ガーティ・ルー〟及び〝アークエンジェル〟艦隊が目視できる距離にまで来ている事を確認しつつも、〝ゴンドワナ〟のモビルスーツデッキに滑り込み、すぐに鎮座させられた〝ウィンダム〟を見つけラクスはぱあと表情を綻ばせる。
「いた、フレイ! フレイ・アルスターさんはお元気で!」
「中に人いないと思うよ……」
「んもう!」
きっと降りて内部に進入して行ったのだろう。
だが、何故――?
ラクスは迷う事無く〝セイバー〟を〝ウィンダム〟の横に付け、背中越しのマユがパイロットスーツをきちんと着ている事を確認してからコクピットハッチを開けた。
「え、えっ。あの、ええ、どうするんですか……」
途端に不安げになったマユを一瞥し、ラクスはにっこりと微笑んだ。
「この機体は貴女にさしあげます」
「はあ!? ええ、ちょ、ちょっと待って!」
「ハロ、後は頼みます!」
〈リョウカイ・リョウカイ〉
さっと身を翻しコクピットを後にする。
「は、薄情者ぉー!」
〝セイバー〟のコクピットハッチが閉まる直前、マユの非難の声が聞こえたが、どうでも良いのだの精神でラクスはそのまま〝ウィンダム〟のコクピットハッチ目掛け飛んだ。
〝ウィンダム〟の特徴的なゴーグルと、その奥に光る双眼《デュアルアイ》がラクスを捉えると、マニュピレーターがゆらりと動き丁寧な仕草でラクスの体をキャッチした。
相変わらず凄いAIだ、と感心しながら、ラクスは〝ウィンダム〟の瞳を見上げ言う。
「ラクス・クラインです! コクピットを開けて下さい!」
機械相手にこれで通じるのが凄い所で、〝ウィンダム〟のコクピットハッチがゆっくりと開かれ、ラクスは直ぐに飛び入る。
やはり、誰もいない。
もぬけの殻だ。
とはいえ、流石にここから勘だけでフレイの足取りを追うのは至難の業だ。
どうしたものか……。
「フレイがどこに行ったか、わかりますか?」
だが、こんな質問にも正確に答えるのがこの〝ウィンダム〟の凄さであり、セレーネが得意げになるのも理解できる。
彼女が向かった場所と、その時の通信記録が再生され、ラクスは耳を傾けた。
〈ど、どうすれば良いの?〉
もう何年も会ってないような気までするフレイの声だ。彼女は誰かと話しているようだ。
〈――わかった、何とかやってみる!〉
…………?
彼女は、誰と話しているのだ……?
〈うん、教えて!〉
間違いなく、彼女は誰かと話している。
だが、その相手の声が、『無い』。
〈でも、核が仕掛けられてるって本当なの?〉
どくん、どくんと心臓の鼓動が早くなる。どうしようも無いほど恐ろしく、背筋が凍りつく。
何かが、おかしい。
フレイは誰と話しているの。
どこに連れて行かれようとしているの……!
たまらなくなって〝ウィンダム〟から飛び出そうとした時、激しい振動が〝ゴンドワナ〟のモビルスーツデッキを襲い、バランスを崩したラクスはそのままリニアシートに倒れこんだ。
〝ハイペリオン〟のコクピットは既に灼熱に染まっていた。
「メテオブレイカーは!」
〈健在みたいだ! でも、一基だけじゃあ……!〉
トールの言葉は悲痛の色が混じっており、それは作戦失敗の可能性を色濃くしていた。
「〝ナイチンゲール〟はどこへ行ったんだ――〝デスティニー〟!?」
〝ユニウス・セブン〟上空で〝デスティニー〟が朽ちた翼を広げる。
迎撃を、と思考した瞬間であった。
ビカッとオーロラのような光が広がり、地球からも同じくして輝きの粒が舞い上がりそれらが〝デスティニー〟に集まっていく。
「――なんだ……? うわっ」
〝デスティニー〟の翼が意思を持ったようにして羽ばたき、淡いグリーンの翼が〝ユニウス・セブン〟を包み込む。
光の膜のようなものが、〝ユニウス・セブン〟をぐらりと持ち上げる。その膜はやがて巨大な人の形のなり、数百メートルの〝デスティニー〟の姿を形作った。
「モビルスーツが、巨大になって見える……?」
アズラエルが思わずつぶやくと、同時にメリオルが
「原因不明の熱源、感知!」
と驚愕した様子で告げる。
その輝きを、原因を、アズラエルは知っていた。
〝デスティニー〟の輝く翼は更に巨大になり広がり、地球圏全域にまで広がっていった。その輝きの一つがレイを覆い、周囲のモビルスーツにもそれは及んでいた。
体にまとわりつく、悪寒が消えたような気がした。老いていく虫唾が走るようなあの感覚が――。
〈ああ、そうか、そうなんだ……〉
おもむろにステラが言った。
〈この光は、みんなにごめんなさいって言ってるんだ〉
ゴンドワナ級の内部を一人進む。
ミリアリアの指示は恐ろしく正確であり、みるみるうちに奥へ、奥へと進んでいく。
細長い通路をまっすぐ進み、突き当りを左に向かう。誰とも出会わない。
二つ目の角を右に進み、更に奥へ。
〈時間が無いわ、急いで!〉
ミリアリアが言う。
「次は!?」
〈そのまままっすぐ!〉
〝ユニウス・セブン〟を粉砕する為のメテオブレイカーは全て破壊されたとミリアリアが言っていた。ならばせめて、この艦に搭載されている爆発させて少しでも被害を――
脱出する時間はあるはずだ。ここまで来た道は全て覚えている。だから、たとえこの後ミリアリアと通信が途絶しても――
〈もうすぐよ、フレイ!〉
無重力の床を飛び、フレイは最後の扉を開けた。
ふいに、誰かが笑う。
くすくすと、それは幼子の声。
誰だろうこんなところで、と思った時、フレイは唐突に沸きあがった黒い思念に躯体を束縛された。
その気体のような思念は、真綿のようにしてフレイを掴み、ぎりぎりと締め上げていく。
肋骨ごと肺が抑え込まれると残っていた酸素が吐き出され、パイロットスーツのバイザーを汚す。
思考が止まる。言葉が浮かばない。何が起こったのかすらもわからず、呆然としたまま目の前にたたずむ巨大な赤い影に釘付けになった。同じようにして、その血塗れの巨神が特徴的な複眼《コンパウンドアイ》をぎらつかせフレイを見据える。
巨神が巨大な手を伸ばすと、今度こそフレイは、人形のように鷲づかみにされた。
幼子が笑う。くすくすと、嘲るように。
同じようにして、通信越しのミリアリアが笑う。
「――な、なんで……」
やっとの思いで声を絞り出すと、巨神の胸部に当たるコクピットハッチがせり上がった。
〈ふ、ふふ……うふふ……馬鹿な子〉
友人の声が、少しずつ、知らない女の声に変わっていく。
ぎりぎりと体が締め付けられていく。このまま、握りつぶされてしまうかもしれない。
何も、考えれなかった。助けを呼ぶ、誰を? どうやって? 誰か……。
巨神の中に座る女の幻影がにたりと口元をゆがめ、フレイの意識と心はその闇に飲まれ、消失した。
閃光が、走った。
不時着した〝ゴンドワナ〟が割れると同時に輝いた無数の白き輝きが、〝デスティニー〟を貫き、淡いオーロラの輝きを撥ね退けていく。
その輝きの一つが、〝ガーティ・ルー〟の左舷エンジンを貫いた。
「面舵! 急速離脱!」
ナタルが慌てて指示をだす。
敵の、攻撃!? これだけの力を持った敵が、まだいた!?
ドォォンという轟音が艦橋《ブリッジ》スピーカーから鳴り響き、〝ガーティ・ルー〟の直ぐ真横を眼下の〝ユニウス・セブン〟よりも強大な光の渦が過ぎ去り、激しい振動が〝ガーティ・ルー〟を襲った。
「左舷エンジン被弾、出力が上がりません!」
それでもメリオルが計器に食らいつき、悲鳴にも似た声で報告してみせたのは賞賛に値するだろう。
状況を把握せねば……。
ナタルは混乱しかけた頭を無理やり冷静に引き戻し、直ぐに向き直る。
だが、告げられた報はある種の絶望を告げるものであった。
「後方の艦隊との通信、途絶しました!」
通信士のカズイが慌てて言う。
ぞくり、と薄ら寒いものが背筋をかけ、ナタルは固まった。
通信、途絶……。今の光の、後に。それは、つまり……。
「このまま地球に! 降下シークエンスを!」
はっとして皆がアズラエルに向き直る。
「〝ガーティ・ルー〟の〝ミノフスキークラフト〟は、〝ミノフスキーバリア〟にもなります!」
出力が上がらない。離脱は不可能、残された手は――。彼の提案に、ナタルは乗るしかなかった。
「左舷エンジン切り離せ! 本艦はこれより降下シークエンスに入る!」
だが慌しくなり始めたクルーたちに紛れ、メリオルは一人蒼白していた。
もう一度激しい振動が艦を遅い、左舷エンジンの誘爆が始まっているのだとすぐに理解した。
「メリオル、エンジンを切り離せ! このままではこちらも持たない!」
言われたメリオルは珍しく……本当に珍しく、狼狽しているようだった。
彼女が蒼白した表情のまま、おもむろに口を開く。
「ナタ、動かない……!」
どこかで聞いた華やかな声が、くすくすと嘲笑ったような気がした。
光が走ると、終結しつつあった連合艦隊が消失し、ややあってからいくつもの巨大な火球があがった。
〝アークエンジェル〟、〝ヴァーチャー〟は辛うじてその光から逃れたようだが、〝パワー〟は光の余波が直撃し、航行を失い爆煙を上げながら地球の重力に飲まれつつあった。
炎が引火し、後部エンジンが爆発する。
「総員退鑑だ! 急げ!――閣下!」
灼熱に染まる艦橋で、ホフマンが立ち上がる。彼の老いた視線が、貴方は死ぬべきではないと告げていた。
艦橋《ブリッジ》の窓から見える〝ゴンドワナ〟からずるりと滑り落ちた、上半身だけの赤い巨神の複眼《コンパウンドアイ》が一点、ハルバートンを見据えている気がした。
しかし――
慌てて避難を始めるクルー達を無視して、ただ、ハルバートンは思索していた。
これではまるで、『ヤツ』の思惑通りではないか。ラウ・ル・クルーゼも、そしてその協力者も、我々の意思も、何もかもが、この時の為の布石でしか無かったというのか……!?
そんなはずはない。我々は個々の自我によって行動してきたはずだ。それが正義か悪かの問題はあるにしろ、そうそう人の意識が……。
人の、意思――。
自我《イド》。
少しずつ、少しずつ、絡まった糸が解かれていくように、ハルバートンは真実に近づきつつあった。
〝サイコフレーム〟は、人を変えた。
フレイ・アルスターは奇跡を見せ、ラクス・クラインという少女の心に変革をもたらした。物理的な力すらも発し、命の輝きを見せてくれた。
心の、変革。人の、意思――。
無意識という名の、意思。変革。それは、他者の心の、侵略。
「そうか、『ヤツ』は――ッ!」
巨神の中心にいる赤毛の少女がケタケタと狂喜に笑った。
少女が腕を振り上げた時、再び放たれた光の剣が〝パワー〟とハルバートンの老いた体を一瞬で蒸発させ、その意思と知識は巨神を構成する灰から生まれた装甲、関節、部品に吸収された。
エメラルドグリーンをした『足つき』が閃光の嵐に呑まれ一瞬で消滅した様を垣間見たレイは、同時に鳴り響く『その存在』を称える歌声に心をかき乱された。
一○○○メートルを超えるほど巨大なはずのゴンドワナ級の装甲を、まるで卵の殻のようにして破り、それは姿を現した。
ゴンドワナ級からずるりと滑り落ち、それの下半身が無い事に気づく。
その様子から上半身だけの赤子の姿を連想し、一層不気味さを増した血塗れの巨神。
ふいに、もう一つの違和感に気づく。
縮尺が間違っているのだろうかと錯覚してしまうほど、その上半身だけの巨神は巨大に見えた。
あまりにも不自然な光景。
〝ゴンドワナ〟から現れたはずの巨神の姿が、どうして〝ゴンドワナ〟よりも巨大に見えるのだろうか――。
ありとあらゆる光の粒が、巨神の中心に集まっていく。
それは、命の灯火か。
あの巨神は人の思いを喰らっているのか。
巨神が巨大になっていくのと反比例するように、急速に〝デスティニー〟の姿が元の大きさにまで縮まり、そのまま岸壁に激突し動かなった。
「ラウ――!」
思わず、レイは名を呼んだ。
あの時、ラウは撃つのを躊躇ってくれた。彼の中で、俺はまだいなくなっていない。まだ、家族なんだ……!
ふと、誰かが、レイの頬を優しく撫でた。
その誰かは、柔らかな香りと薔薇の様な赤毛を風になびかせ、悲しげに俯き、言った。
『……ごめん』
と。
ざあと少女のイメージが引き戻されていく先に、赤い巨神の中心に生気を失ったフレイのイメージを垣間見、レイは全てを理解した。
ラウの愛、激情。人の意思。思惑。
全ては、この瞬間の為の、犠牲でしかなかったと言う事を。
闇に意識を沈められながら、ほんのすこし残った自我の中、フレイは刻を見ていた。遥か未来、遥か過去、戦い続ける人の歴史を。それは地球から旅立っていった人類たちも同じ事で、決して終わらぬ争いに明け暮れ続けるだけの……。
ああ、これは、この機体が見ているものなのか。だから、それをどうにかしようと……? 戦争をなくすために、何度も何度も繰り返して……?
ぞわりと闇が這い、フレイの意識を貪って行く。
思い出の中で、わたしは、彼は、彼女は、それは、産声をあげた。
誰かが言った。
これは画期的なシステムだと。
誰かが言った、人が人に優しくあるためにと。
人の意思。
それを、ほんの少しだけ、誰かに伝える。
人の心の片隅に、優しさという暖かな気持ちを分け与える。
心を伝えるシステム。
希望を、夢を、愛を、そう願って作られた、可能性という存在。
……誤算が、あった。
希望が強すぎた。夢が大きすぎた。愛が重すぎた。
ありとあらゆる善意を伝えるべく、その強大な理想を体現するための意思の力が必要だった。
ゼロを一には出来ない。
一を十にする為には、莫大なエネルギーが必要だ。
目覚めると同時に、それは呼吸を行った。
一息吸うと、その宇宙《そら》にいた全ての命が死に絶え、その存在と混ざり、わずかな善意が我欲で塗り潰され、生誕した。
意思伝達のシステム。
だが、その為にはまず、伝えるべき意思が必要だ。
何を伝えるべきか。
それを知る前に、全ての親を喰らってしまった。
存在意義を失ってしまった。
意思を、知らねばならない。
もっと、たくさんの意思を。
この身に宿さねばならない。
雑多を取り込みすぎ、人の業の塊りとなったそれは、それでも当初の命令を実行し続ける。
ありとあらゆる意思を、生命の波動を、心の輝きを欲している。
それは、力だ。
ありとあらゆるものを凌駕する、因果律すらも自在に操れるほどの、圧倒する力。
……もう、わたしは駄目かもしれない……。
父と母、友人、一切の思い出が駆け巡り、最後にフレイは見た。
今から数えて十番目の星座の世界、その星で、赤き巨神が完全に消滅させられるその姿を。
それは、わたしが、彼が、彼女が、それがかつて見てしまった、決して変えられぬ『運命』。
意識の死滅とほぼ同時に、フレイは確信した。
知ってしまった未来を、変えようと、無駄な足掻きを続けている。
お前はただ、自分が生き延びたい、だ、け……。
〈〝ギガンティス〟って言ったか、あの赤いやつ!〉
カナードの問答を無視して、レイは〝ゴンドワナ〟から脱出した一隻のシャトルをモニターの端に捉えた。拡大すると、一機のモビルスーツがそのシャトルを守るように、あるいは決して逃がさないように一定の距離を保っているのが見えた。
――何だ……?
「青い、〝M1アストレイ〟に見える……?」
だが、〝M1アストレイ〟にしては随分と重武装だ。
キイイインと耳鳴りが強くなると、再び巨神が律動し、正面で両の腕を交差させた。
〈来るぞ!〉
カナードが緊迫した様子で言ったのとほぼ同時に、血塗れの巨神の全身からゆうに一○○○を越える光の槍が放たれ、ありとあらゆる物体を貪った。
触手のように伸びる光の槍が〝ジャスティス〟を捉えようとした時、一機のモビルスーツが割って入る。
〈アスラン、逃げて――!〉
未だに声変わりのしていない、少女のような少年の声。
次の瞬間、その黒くずんぐりとした巨体は〝ジャスティス〟を跳ね除ける。
数十もの光が包み込み、捕食されたとしか表現のしようのない残虐な光の応酬により、〝ドム〟と少年は消滅した。アスランには声を上げることさえできなかった。
〈ニコル―――ッ!〉
イザークの絶叫が、やけに鮮明に耳に響いた。
上方で光の槍に貫かれた〝ミネルバ〟が、爆煙を上げる。
圧倒的な力、恐怖、怒り、悔恨の情、ありとあらゆる感情がアスランを渦巻き、逆に冷静にさせてしまったのは恐ろしい事だ。
……データには、あの巨大な人型のモビルスーツは、ユーラシア連合が秘密裏に開発した拠点防衛用モビルスーツ〝ギガンティス〟とある。
ザフトでも独自に調べた結果、それ以外の情報を得れなかった。
――『違う』。
あれは、そういう理屈では無い。
ただ漠然と、アスランはその『何か』を『違う』と確信した。
青い〝ガナーザク〟が慌てて、援護に入る。
〈ニ、ニコル・アマルフィはどうなったんですか!! ねえ、脱出は――!〉
〈落ち着け!! 陣形を組みなおすのだ!〉
ミハイルがいつに無く緊張した様子で声を荒げた。
〈〝ミネルバ〟――!? 脱出した……!?〉
ディアッカも困惑している。
はっと視界をやると、〝ミネルバ〟から退艦したクルーを乗せた救命艇が飛び立って行く。
ノイズに混じって、通信機から〝ミネルバ〟通信士のアビーが悲痛な声を漏らす。
〈アデス艦長が一人で残るって、それで……わ、わたし……!!〉
あれが、敵の――ラウ・ル・クルーゼの切り札だったのだろうか。
わからない。本当にあれは人が御せるものなのかすらも……。
〝ユニウス・セブン〟が砕けると同時に、山のような瓦礫と放たれた光の槍が再び宇宙《そら》を埋め尽くし、先ほどの〝パワー〟と同じく〝アークエンジェル〟の巨体を光の槍が貫こうとした時、誘爆を繰り返しながら、〝ミネルバ〟がその先に割って入った。
「〝ミネルバ〟が盾になってくれています! 艦長!」
トノムラが悲痛な叫びを上げる。
既に景色は灼熱に染まっていた。
砲撃を一身に受ける〝ミネルバ〟も同じく、装甲を待機との摩擦で赤く焼かれながらも、宇宙用ミサイル〝ナイトハルト〟、二連装高エネルギー収束火線砲XM四七〝トリスタン〟を巨大モビルスーツに向けて撃ち放つ。
――ハルバートン提督は、もういない。たった今、死んだ……死んでしまった……。
マリュー・ラミアスは、一瞬判断を迷った。
退くか、どうするか。
あれは、何か得体のしれない不気味さを醸し出している。
しかし、クルーの命を――。
閣下、貴方なら、どう判断を下したのでしょうか。私には、到底……。
ふいに、スラスターを全開にし、たった一機で巨神に立ち向かっていく〝デュエル〟の姿が視界に映る。
ざわりとマリューの中で何かが沸きあがる。
「残存している全部隊に告げる! こちらはマリュー・ラミアス少佐である!」
気が付けば、自分でも驚くほど大きな声を出し、全宙域に向けて宣言していた。
眼前を飛翔するあの白いモビルスーツを見よ。あらゆる絶望に立ち向かう、人の総意が真に器に注がれたものだ。あの姿こそが、後世に語り継がれるべき神話の王の姿ではないか。
「〝オルテュギア〟、〝ブルック〟、〝ウィリアム〟、〝ロバート〟は〝ガーティ・ルー〟と共に攻撃を仕掛けよ! 〝ヴァーチャー〟と本艦で〝デュエル〟を支援する!」
それは、彼女の一世一代の賭けだった。若造の戯言が、ハルバートン提督の代役となるはずもない。
だが、その足りない若さと経験を、今まで歩んできた道が、出会いが補った。
〈こちらは〝オルテュギア〟艦長のジェラード・ガルシア少将だ! 貴艦の指示に従う! これよりユーラシア艦隊は、赤いモビルスーツ、〝ギガンティス〟に攻撃を仕掛ける!〉
同時に、盾となってくれていた〝ミネルバ〟の装甲が灼熱で膨れ上がり、巨大な火柱を上げる。
「全戦力を集中させよ! あれを地球に落としてはならない!」
燃え上がり散っていく〝ミネルバ〟に向けて、敬礼をする事は出来なかった。
それは、彼らが作ってくれたこのわずかな時間を無駄にする事になってしまうから。
だからせめて、心の内では、彼らの冥福を祈り、感謝の言葉を捧げよう。
ぎゅうと唇を噛み締め前を見据えた視界の端で、気分屋のジブリールがぼろぼろと大粒の涙を零しながらザフト艦の〝ミネルバ〟に下手な敬礼を大仰にしているのが、ほんの少しだけ救いであった。
全身から無数のビームの雨を降らしつつ、〝ギガンティス〟が隕石と共に地球へと進路をとる。同時に量の腕におびただしい光が集まり始める。それは絶望の光であり、今度こそ星そのものを破壊してしまうのではないかと思わせるほどに強大な力を予感させた。
〝ギガンティス〟の全身から放たれた光の矢がいくつもの友軍機を貫いていく。
ふいに、フレイの〝ウィンダム〟が吹き乱れる瓦礫を回避しながら、〝ストライク〟に飛びついた。
「その機体、誰が――」
〈あの赤い大きなものに、フレイが乗っています――!〉
「ラ、ラクス・クライン!?」
〈助けないといけません! ですから、わたくしも――キャアッ〉
光の矢が左肩を抉られた〝ウィンダム〟はそのままコントロールを失い、〝ガーティ・ルー〟の甲板に不時着した。
大慌てで一機の〝ドム〟が〝セイバー〟の手を引いてやってきて〝ウィンダム〟の盾となり、舞い散る瓦礫に向けてビームバズーカを撃ち放った。
〈キラ・ヤマト、フレイを助けなさい!〉
ラクスが理不尽に声を荒げた。
〈お願いです、フレイを――キスでも何でもして差し上げますから、彼女を助けて!!〉
それは、懇願に近かった。言い終えてからぼろぼろと大粒の涙を零したラクスは、それがどれほど困難な事なのか気づいている。
ひょっとしたら、決して叶わない願いなのかもしれないということも。もうフレイは、駄目なのかもしれないという事も――。
……〝デュエル〟が、戦っている。
〝アークエンジェル〟、〝ヴァーチャー〟が陣形を組み、搭載モビルスーツが一斉に攻撃を仕掛ける。
そこには、ムウやオルガ、スウェンといったかつて出会った仲間達の姿もある。いつも何か戦線に参加していたジャンク屋達もいる。傭兵の部隊もいる。
〝ギガンティス〟はすぐさま反応した。複眼《コンパウンドアイ》が蒼い光を放つと、全身から放たれた光の矢が捻じ曲がり、意思を持ったようにしてその全てが〝デュエル〟へと狙いを定める。
あの人はまだ、あきらめてはいない。
それだけで、キラは十分だった。
いつだって彼はあきらめず、立ち向かい、キラたちを救ってくれた。
それが、強さなんだ。
強さとは、恐怖に屈しない、絶望に負けない信念。あらゆる理不尽に対して、それでも、と言い続ける心。
ぎゅっと操縦桿を握りなおす。
ぼくは今、〝ガンダム〟のパイロットなんだ……!
フットペダルを思い切り踏み込むと、マードック達が強化した〝ストライク〟のスラスターが煌き、爆発的な加速力で宇宙《そら》を舞った。
すぐに〝ハイペリオン〟、〝ソードカラミティ〟が追従する。
〈やれるのか、キラ!?〉
「わからない、でも……!」
〈さっきの聞こえてた! フレイなんだろ!? 何とかしないと!〉
〝ギガンティス〟首がこちらに向く。
――攻撃が来る!
再び光の矢が放たれる。
その大半が〝デュエル〟を追ったものの、それでも半数、ゆうに五○○を超える数の〝ビームドラグーン〟と呼ぶべき誘導追跡型ビームが、ついに僚機の〝フォビドゥン〟のコクピットに直撃した。
「――シャニ!?」
炎に包まれた機体を目にして、オルガは驚きの声を上げた。
別に、何とも思わないと思っていた。仲間の誰かが死んでも、俺は冷静だろうと確信していた。
人はそうそう変わるもんじゃあねえ。たった数ヶ月、餓鬼どもに生活を引っ掻き回された所で、俺は変わらない。
だが、もうアイツのイヤホンから漏れる五月蝿い雑音に悩まされる事は無いんだろうなと思った時、アイツに貸してあった本は、自分で取りに行かないといけないと思った時、言い様の無い怒りが胸の内に湧き上がったのを自覚していた。
「ふ、ざ、け、やがってぇ……!!」
一度も勝てなかったあの白いモビルスーツが、赤い巨神に懸命に立ち向かう。だが、光の嵐に行く手を阻まれ近づけないでいる。
それは神業であった。全てのビームを、〝デュエル〟は紙一重で回避しきっているのだ。
くく、とオルガは自嘲気味に口元をゆがめていた。
一度くらい、俺に勝たせてくれたって良かったろうが――!
そう心の中で怒鳴ったとき、オルガは自然と〝カラミティ〟の足元で土台となっていた〝レイダー〟を蹴り飛ばしていた。
次の瞬間、光の矢が〝カラミティ〟とオルガの胴体を真っ二つに切り裂いた。
――次だ。
次の一撃で、全ては決まる。
だが、彼らにその一撃を凌ぐ術は無いだろう。
ラウは薄暗くなった〝デスティニー〟のコクピットで、ぜえと息を吐いた。呼吸が苦しい。肺に近い骨が骨折し、呼吸を阻害しているのかもしれない。
ばちん、と音を立て、モニターに光が灯る。
そこには、地獄のような光景が映し出されていた。
無数の粒子の雨を〝デュエル〟が掻い潜り懸命に距離をつめる。その一撃一撃が、恐らく戦艦の主砲並みか、それ以上の威力だろう。一粒のビームの雨は、掠めるだけでもその部位そのものを消失させるほどの破壊力があり、〝デュエル〟は既に左足を腿から抉られている。
同じくして立ち向かう〝ストライク〟の真正面をかばうようにして〝ナイチンゲール〟が躍り出た。
シールドを構え、これから起こる衝撃に備えている。
だが、無駄だろうとラウは知っていた。あれは星さえも破壊する悪意そのものなのだから。
私は、負けたのだ――。
私の行動そのものが、『ヤツ』にとっては予定調和だったのかもしれない。
私が覗き見たと思っていた未来は、『ヤツ』によって見せられただけの未来。
結局、人は人以上の何かには抗えず、弱肉強食の世と同じくして喰われる定めだったのだ。
――ふいに、誰かが泣いているような気がした。
これは、子供の声だ。
誰だ?
私はこの泣き声を知っている……?
『パパ……』
少女は涙の声で、確かにそう言った。
おもむろに視界をやる。
赤い巨神の中心。
物言わぬ屍となった、我が子の姿。
それは絶望である。
だが、彼女の胸元がきらと輝くと、そこに可能性を垣間見た。
『サイコ・フレーム』。
人の意思を集める金属。
魂の器。
心の器。
人の、心――。
気が付けば、ラウは再び操縦桿を握り、フットペダルを踏み込んでいた。
結局、私のした事は多くの人を不幸にしただけだった。我が子を救おうとした感情すらも、利用され、食い物にされた。
それでも、それでも……私のこの心だけは、思い通りにはさせない……!
操り人形となったフレイの口元がにたりと歪むと、〝ギガンティス〟は両腕を振りかぶった。
再び〝デスティニー〟に光が溢れ、爆発的な速度でオーロラのレールを舞った。
あっと言う間に〝ストライク〟に追いつき、〝デスティニー〟は少年達の盾となる。
それは、ラウに残された命の最後のともし火。
フレイの骸が、言った。
〝イデオンソード〟、と。
それはあまりにも強大な、力。
直径三○○○メートルを超える光の塊が、〝デスティニー〟と〝ストライク〟、そして背後の地球に向けて放たれたのだ。
瞬間、脳裏に過ぎったのはかつての日々。
最初の怒り。
――こんなことが許されるはずが無い!
冷たくなった彼女を抱き抱え、ラウは慟哭した。
これらすべてを引き起こした元凶を――死を撒き散らす憎むべき敵。
敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵、敵!
どれほどの誇り高い正義があろうと、どれだけ気高い大義があろうと、彼女を殺して良い理由などありはしない、決して無い!
罪だと? 産みだしたものに、罪があると?
何もせず、知らず、のうのうと暮らす愚民に罪が無いというのか!?
否! 断じて否!
無知もまた、罪だ! 知らなかったからといって許されはしない!
憎しみがまた憎しみを生み、増幅され、循環する。
人はもともと、そういう存在だ。異なるものを排斥し、欲望のままに他者を虐げ、大義名分さえととのえば手段を選ばない――。
兵器が悪なのか? それともボタンを押す指が?
循環の末やがて魂が腐り、禁忌に手を出した……。
人は生まれながらに悪しき存在。存在そのものが、罪。
そうとも、遅かれ早かれこんな憎しみだけが広がって、世界を覆いつくすのだ。
世界は滅ぶ、滅ぶべくして。
だがもしも、まだ世界が滅びぬというのなら。
この私が、滅ぼしてやろう!!
終わらぬ死の螺旋へ、私が導いてやろう!
代価はこの命!
安いものだ、私の命など!
それで、世界の命を買えるのだから……!
憎悪に歪む視界が、己の老いて行く指を映し出す。老いた指が誰かを刺し殺す。老いた指が、別の誰かを撃ち殺す。
どれほどの命を奪っただろう。
老いた指が、次の標的を探し始める。
さあ次は誰だ。お前か、君か、貴様か!
殺してやる、この手で、この私が――
ふいに、その老いた手を誰かの手が優しく握った。
『良いよ――』
赤毛の少女が言った。
『許してあげる……』
翼が、広がる。それは〝デスティニー〟に残された命の輝き。
命を、搾り出す。残された全てを。己に宿った、命さえも。
眼前に白き闇の輝きが広がる。
あの少年に、これは掃えまい。
〝ストライク〟は、〝ガンダム〟では無いのだから――。
闇が激突し、〝デスティニー〟に衝撃が走る。わずかに残された命のともし火が『サイコ・フレーム』を介して確かな力場となり、強大な力の奔流を弾き返していく。
だが、命の力は足らなかった。衰えることの知らない白き輝きは更に勢いを増し、〝デスティニー〟の命の輝きを蝕んでいく。
命を、振り絞る。
じわりじわりとラウの指先が枯れ細っていく。
「――そう言って……」
ラウはぼろぼろと大粒の涙をこぼし、あの時の彼女に向けて想いを馳せた。
命を絞りきり、ラウの顔は既に老人のようになっていた。髪の毛がはらと抜け落ち、ラウはたまらなくなって叫んだ。
「そう言って、哀れんでくれた……!」
〝デスティニー〟の翼が盾となり、地球へと降り注ぐ強大な輝きを包み込む。
ラウの意識も、命も、そこまでだった。
ビームの粒子に呑まれ消滅していく〝デスティニー〟に向けて、キラは声にならない叫びをあげた。
あの人は、道を間違ったかもしれない。歪んでしまったかもしれない。それでも、ぼくを今、助けてくれた……。あの人は、助けてくれたんだ……!
だが、その死を嘆く暇も余裕も無く、〝デスティニー〟の命を使った翼の盾も破り〝ギガンティス〟の光の剣が延びる。
〝スターゲイザー〟が分離し前に出、粒子の奔流を掻き分ける。キラは見た。〝スターゲイザー〟の正面に、褐色の少女がキラたちを守るようにして身を挺しているのを。それでも白き闇を抑えきれず、〝スターゲイザー〟の白金の機体はそのまま光に飲まれ爆散した。
すぐさま〝ナイチンゲール〟がキラたちの行く手を守るべく躍り出た。溢れ出した淡い輝きが光の剣を撥ね退け、〝ナイチンゲール〟の装甲が徐々にひしゃげていき、ついに誘爆を起こし、〝ナイチンゲール〟粉々に砕け散った。
同時に、光の剣が消失する。
命の輝きが、光の本流に打ち勝ったのだ。
わずかに苛立った様子を見せた〝ギガンティス〟は、再び量の腕に圧倒的な力を宿し、二撃目の準備に入る。
その力は、正に無限に等しい。
〝デュエル〟を追いすがっていた粒子の雨の何粒かがわずか軌道を変え、キラたちに狙いを定める。
〝ハイペリオン〟がモノフェーズ光波防御シールド〝アルミューレ・リュミエール〟を全開にし、〝ソードカラミティ〟が十五・七八メートル対艦刀〝シュベルトゲベール〟を真正面に構える。光の雨がモノフェーズ光波防御シールド〝アルミューレ・リュミエール〟を容易く抉り取り、四肢を抉っていく。既に〝ギガンティス〟は眼前に迫っていた。
ぐらりと景色が揺らぎ、何も無い空間が割れると〝リジェネレイト〟が再び姿を現し、その巨体で襲い来る。
だが、ここで『運命』に争おうとしているのはキラ達だけではない。
〝リジェネレイト〟の懐に潜り込んだ、両肩が不自然に競り上がった〝M1アストレイ〟に似たモビルスーツが、特徴的な日本刀で〝リジェネレイト〟に斬りかかり、二機は縺れ合うようにして転がり落ちていく。
〝ギガンティス〟の巨大な腕がぬらりと動き、〝ストライク〟を鷲づかみにしようとしたその時、真横から灼熱に染まった黒い影が体当たりを仕掛けた。
腕の軌道が僅かに反れ、辛うじて捕縛を回避した〝ストライク〟の装甲と〝ギガンティス〟前腕部装甲が乱暴に擦れ火花が散る。
視界の端で、そのまま誘爆していく黒い影――〝レイダー〟の姿を捉えた。
ひょっとしたら、一生の友人になれたかもしれないのに……。
もう、彼と二人でゲームをする事はできない
それでも、キラは正面を見据え続けた。
そのまま三機のモビルスーツは加速し続け、〝ギガンティス〟胸部に思い切り〝シュベルトゲベール〟を突き立てた。〝デスティニー〟の放った光の残り火が〝ストライク〟を包み込む。その輝きに導かれるように、〝ギガンティス〟のコクピットが僅かに開く。キラはすぐにコクピットハッチを開け、手を伸ばした。
――フレイ!
言葉にはならなかった。だが、彼女の胸元のお守りが輝きを増すと、彼女は瞳に生気を取り戻し、キラの元に手を伸ばす――。
光に導かれ、彼女が、あと少しで、彼女の手を――
わずかに指先が触れたその瞬間、彼女の背後にどす黒い闇が浮かび上がり、それは人の形となってフレイの細い足首を乱暴に掴んだ。恐怖に涙を浮かべたフレイの唇が、助けて、と言葉を綴った。
彼女の手が遠ざかる。闇に彼女が引き込まれていく。
その時、キラの背後から、何かが飛びたった。その赤い鳥のような何かはすぐに光となり、彗星のように煌くと、彼女の背後の闇を祓った。
キラの肩越しから、知らない少女の手が伸びる。顔までは見えない。そのか細い褐色の指は彼女の手を手繰ると、優しい仕草でキラの手元に引き寄せた。
確かに感じたフレイの感触。命の温もり。キラはそのまま力任せにフレイを引き寄せ、最愛の人を抱きかかえる。耳元で少女が震え、涙交じりの息を吐く。
キラが操作するよりも早く、〝ソードカラミティ〟に抱き抱えられた三機のモビルスーツは〝デスティニー〟の残り火が敷いたレールを滑り、淡いオーロラの膜に包まれた〝ガーティ・ルー〟へと導かれていく。
キラは見た。
〝ギガンティス〟の女が、血走った目でキラたちをにらみつけているのを。それは、憎悪の眼差しか。
それが、決定的な隙となる。
女がはっと気づき、仰ぎ見たその先――。
それは、やってきた。
疾風のごとく。
閃光のごとく。
左腕と左足を失った白亜の巨人が、肩のユニコーンのエンブレムを煌かせ、ビームサーベルを構え、〝ギガンティス〟の上方から一気に躍り出る!
雑音の混じる通信で、白亜の巨人が〝ギガンティス〟に向け、言い放った。
〈遅い!〉
と。
〝デュエル〟が突き立てたビームサーベルは、そのまま〝ギガンティス〟を頭部から一直線に両断し、巨神の体は真っ二つに割れた。
割れた巨神の巨体に溜め込まれたいた光の粒が漏れると、それは止まる事の無い湧き水のように吹き上がった。
キラには、それが開放された命のともし火なのでは無いかと思えていた。
同時に〝デュエル〟は機体の限界を向かえ、そのまま爆煙を上げながら白き流星として地球の大気圏へと落ち、輝き、やがて消滅した。
(完)
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