CCA-Seed_98 ◆TSElPlu4zM氏_第35話

Last-modified: 2008-06-28 (土) 11:44:56

 目の前に広がる灼熱の砂の大地。
 艦長席に座るマリューは眉間に皺を寄せ、展開するザフト軍を睨んでいた。少なくとも彼女の表情からは、余裕と言う物は見受ける事が出来ない。
 戦場を突き進むアークエンジェルは、左舷側から前方に展開する多数のザフト軍を相手に善戦しているものの、圧倒的戦力差から圧され気味の戦いを強いられていた。
 その状況を打開する一撃必殺の兵器・ローエングリンが発射を待ちわびるように、アークエンジェルの両前脚に当たるカタパルトデッキ下から砲身を覗かせていたが、左舷側遠方に配置されたザフト軍モビルスーツ、ザウートの砲撃を喰らい、彼女たちを横殴りの衝撃が襲った。

 

「……っ。……被害は!?」

 

 体勢を立て直したマリューが顔を歪めて叫んだ。ブリッジ要員に怪我は無い事に安堵したが、すぐに外に視線を投げると見る見るうちに顔から血の気が失せて行った。
 直撃を喰らったであろう左舷カタパルトデッキからは黒煙と炎が見え、切り札であるローエングリンの二番砲塔が跡形無く吹き飛んでいた。

 

「なんてこと……」
「な、なんてこった……。二番ローエングリン大破! 二番カタパルトデッキも使用不能です!」

 

 呆然とマリューが呟き、チャンドラが髪を掻き毟りながら被害を報告を上げた。
 クルー達は顔を青ざめさせたが戦場はそんな暇すら与える事は無い。次々と繰り出される砲撃に白い船体が激しく揺れる。

 

「……っ! 破損箇所へのエネルギー供給をカットしろ! 整備兵と格納庫の被害状況は?」
「あっ、はい! 格納庫は分かりませんが、ロッカールームに移動していた整備兵は全員無事です。ノーマルスーツを着るように指示を出したのが幸いしました」
「手の空いている者を使って、各所の消火作業を急がせろ! お前達、攻撃の手を緩めるなっ!」

 

 声を掛けられたトノムラが慌てて応えると、ナタルは眉を吊り上げて声を張り上げた。
 その声に応じるように、アークエンジェルの兵器が唸りを上げ、弾とミサイル、ビームを吐き出して行く。

 

「残ったローエングリンは使えるの?」
「使用可能ですが、まだ射線上にスカイグラスパー両機とストライクがいます! 待ってください!」
「早く離脱するように言って!」

 

 火器管制をしているパルがマリューの問いに答えると、彼女は怒鳴りながら指示を飛ばした。

 

「アンチビーム爆雷、再度発射します!」
「全弾薬の残量、六五パーセント切りました!」
「……消耗が早すぎる」

 

 サイ、ミリアリアから報告を受けたナタルは、早すぎる弾薬の消費に思わず顔を顰めた。
 高々三十分強の戦闘とは言え、開戦当初から火器をフル回転させている。特にイーゲルシュテルンやミサイルは迎撃の為にほぼ休み無く発射され、弾薬の消費量は軽く通常の三、四倍を越えていた。だが、それだけの弾薬を持ってしても圧倒的な数の差を覆せないのが現実だった。
 ストライク、スカイグラスパーが移動を開始した事で手薄になった正面から火線が走った。

 

「正面より熱源接近!」
『来るぞっ!』

 

 チャンドラの報告に甲板上での迎撃に戻ったアムロの声が被る。

 

「くそっ! 当たって堪るかよ!」

 

 ノイマンは歯をを食いしばり、舵を思い切り右へと切った。それとともにアークエンジェルは大きく船体を傾けて砲撃を辛くも回避した。
 その間、甲板上のνガンダムは、傾いた船体から跳び上がりながら左舷遠方のザウートへ攻撃。船体が元に戻るとすぐに着地しすると右膝を着き、左膝頭と左腕でアグニを固定。コンマ数秒の後に砲口から光が走った。

 

「νガンダム、射程範囲内にいる左舷のザウートを撃破しました! 残りのザウートは全てレンジ外です」
「アムロ大尉はストライク、スカイグラスパーの援護を。ウォンバットは左舷と正面へ振り分けて発射しろ。足らないようならスレッジハマーと対空榴散弾頭ミサイルを使え」

 

 声を上擦らせながらカズイが報告すると、ナタルは一度頷いてから指示を飛ばした。
 アムロの攻撃にしてもザウートを落としただけで、敵の数その物を大きく減らした訳では無い。狙撃して来る敵機がレンジ内から消えただけで、未だ焼け石に水である事には変わりはなかった。
 しかも、ローエングリンを発射しようとした事で陣形が崩れ、挙げ句、目に見える形でアークエンジェルがダメージを負ってしまった為に、ザフト軍を勢い付かせてしまっていた。これ以上、押し込まれれば事実上、突破は不可能になる。

 

「まずいわね……」

 

 戦況をモニターで確認したマリューは呟いた。
 とにかく突破するなりしなければ次は無い。撃墜されればそれで終わりなのだ。

 

「ストライクとスカイグラスパーの離脱を急がせて! ローエングリンは現状維持よ。ただし、チャージはまだしないで。やられたら大事になるわ」

 

 再度一発逆転を狙いマリューは指示を出すとサブモニターへと目をやり、敵将アンドリュー・バルトフェルドの示した地図に目を向けた。
 マリューの頭の中では最悪の想定を踏まえ、もう一つのルートへ切り替える考えが湧き始めていた。

 
 

 ストライクが左手に持つバスター用三五〇mmガンランチャーが散弾を吐き出し、三機のジン・オーカーの装甲に無数の穴を開ける。そして――爆散。
 続くように右肩のコンボウェポンポッドの一二〇mm対艦バルカン砲、三五〇mmガンランチャーが稼働し、次々と敵モビルスーツを撃破して行く。

 

「このままじゃアークエンジェルが……」

 

 ストライクを操るキラの顔からは、苦戦しながらも何とかしなければと言う焦りがにじみ出ていた。
 それも、アークエンジェルのローエングリン二番砲口を破壊された事で、発射の為に移動した距離、行動が全てが無駄になり後退を余儀なくされたが、これ以上は退がれば戦線の維持は不可能となる。
 ましてや、この広い戦場全てをカバーするのは不可能だ。せめて敵を近付けさせないようにするだけで、最早、手一杯となっていた。
 そのストライクの上空を行くムウは、ジン・オーカーを捉えると操縦桿を倒してトリガーを押し込む。スカイグラスパー一号機に取り付けられたアグニが火を噴き、他の機体をも巻き込んで二、三機をまとめて消し飛ばした。

 

「……トールのバカはどこに行きやがった?」

 

 すぐにムウは機首を上げて機体をロールさせながらも辺りを見回したが、敵はその暇すら与えない。

 

「――っ!? ちっぃ!」

 

 襲い掛かる銃撃をムウは操縦桿を引き込み、スカイグラスパーを上昇させて辛くも攻撃を回避。そして、すぐにストライクのフォローに向かった。

 

『――各機、しゃ――り待避せよ! 確認で――だい、ローエング――を発射す――』
「アークエンジェルはまだローエングリンを撃つつもりか!? キラ、早く待避しろ!」

 

 アークエンジェルからの通信回線を聞き取ったムウは、一度、後ろを振り返り母艦を確認してからキラに声を掛けた。

 

「えっ!? ど、どうしてですか!?」
「聞いてなかったのか? アークエンジェルは残り一門でローエングリンを撃つつもりだ。さっきの指示は生きてるんだよ」
「……ほ、本当だ。急がないと! 移動開始します!」

 

 ムウの言葉を確かめるようにキラはアークエンジェルへ目をやると、ローエングリン一番砲口を確認。すぐにストライクを射線から回避させるようにスロットルを開け、左舷側へと移動を移動を始めた。

 
 

 その頃、スカイグラスパー二号機は――。

 

「……よしっ!」

 

 襲い掛かってきた敵航空機が、スカイグラスパー二号機の後方で爆発。カガリは小さく握り拳を作った。

 

「はぁ……」
「もう少しだ。がんばれ」

 

 何とか敵機を退けた事でトールが息を吐くと、カガリは勇気付けるように声を掛けた。
 このまま行けばすぐに到達出来る距離に、見覚えのあるレセップスが艦砲射撃と対艦ミサイルでアークエンジェルを攻撃しているのが見えた。

 

「性懲りも無く、バカスカ撃ちやがって!」
「ブリッジを狙う! 撃ち落とされるなよ!」
「こんな所で死んで堪るかよ! 行くぞ!」
「ああ! 絶対に落としてやる!」

 

 息巻く二人はお互いの意志を確かめ合うと、トールは巨大な船体を目指してスカイグラスパー二号機を加速させる。
 若き鷹が無謀とも言える戦いを仕掛けようとしていた。

 
 

 無数の点がコンソールモニター上をうごめいていた。
 大多数は敵軍のマーカーで染められているが、その中、味方機である二つの点が一定の範囲表示から離れて行く。

 

「ストライク及びフラガ機、射線上からの待避確認!」
「レセップスからの砲撃、来ます!」

 

 コンソールモニターを食い入るように見詰めていたトノムラが声を張り上げるが、それと時を同じくしてチャンドラが砲撃を知らせた。

 

「回避してっ!」
「当たって堪るかよ!」
「対艦ミサイル、多数接近!」
「イーゲルシュテルンで撃ち落とせ!」

 

 アークエンジェルを次々をザフト軍の攻撃が襲い掛かる中、マリュー、ナタルが指示を出して対応して行くが、正面から接近するミサイル群の数が予想を上回る。

 

「大尉!」
『分かっている!』

 

 険しい顔つきのマリューが甲板上のνガンダムへ向かって叫ぶと、ブリッジにはアムロの声が響き渡った。
 弾丸をはき続けるイーゲルシュテルンにνガンダムの砲撃が加わり、ミサイルは瞬く間にその数こそ減らして行く。
 しかし、イーゲルシュテルンでは落とすにしても範囲が限定される為に、近距離で撃墜したミサイルの爆発そのものは殺し切れず、幾度かの衝撃がアークエンジェルを襲った。
 やがて揺れが治まるとマリューは顔を顰めて苛立ち気味の声を上げる。

 

「ローエングリン発射まだなの?」
「待ってください。現在、ケーニヒ機がレセップス付近で戦闘中です。撃てば巻き込む事になります」
「早く待避させて!」
「呼びかけているんですが、Nジャマーとジャミングの影響で聞こえてないのかもしれません」
「……こんな時に! 良いから呼び続けて! あうっ!」

 

 トノムラとのやり取りをしていたマリューは、イーゲルシュテルンが辛くも撃ち落としたミサイルの爆発に再び体を揺らした。

 

「……っ! 艦長。犠牲は致し方ありません。早急にローエングリンを発射すべきです」

 

 業を煮やしたナタルがインカムを通して捲し立てるような口調でマリューに告げる。すると、それを聞いたミリアリアが、慌てて席を立って物凄い剣幕で詰め寄った。

 

「待ってください! トールが戦ってるんですよ! 何で味方に撃たれなくちゃいけないんですか!?」
「このままではケーニヒ少尉の無断出撃の為にアークエンジェルが撃ち落とされる事になる。仕方あるまい。持ち場に戻れ」
「違います! 無断出撃だって、あのレジスタンスのカガリって子の所為じゃないですか! トールの所為じゃ無いわ!」

 

 必死に反論するミリアリアだが、ナタルは取り合おうともしない。
 こうしている間にもアークエンジェルは突破する為に、敵陣との距離を詰め始めている。そうなれば、それだけ被弾率も上がって行くのは必然。一刻でも早く前方をこじ開けなければ、撃沈は時間の問題だった。
 その中、淡々と少年が――サイがナタルに声を掛けた。

 

「ウォンバット装填完了。発射しますけど、良いですか?」
「任せる。続けて発射しろ!」
「了解。発射します」

 

 ナタルの了承を得たサイは、モニターの光を眼鏡に反射させながらスイッチを押し込む。
 しかし、その冷淡なサイの態度は、ミリアリアの怒りに火を着ける事となる。

 

「……サイ。どうして平然としてられるのよ! トールが死んじゃうかもしんないのに!」
「トールだけじゃない。キラだって戦ってるんだ。やらなきゃ俺らだって同じだろう。だから……ザフト軍は倒さなきゃ駄目なんだよ!」

 

 サイは目線をモニターから動かす事無く、何故か言葉尻だけを強めて言葉を返して来た。まるでその言いようは、憎しみを向けているようにも見えた。

 

「……あんた、トールの友達でしょう! なんでそんな風に言えるのよ!」
「文句を言ってる暇があるなら、今はザフト軍を一人でも多く倒しなよ」
「……なによ……それ……」
「アークエンジェルが落ちたらトールやキラは帰る場所が無くなるんだぞ。そうなったらザフト軍に殺されるに決まってるだろう」

 

 友達だと思っていたサイの言いようにミリアリアは目を見開くが、彼の言う事はあながち間違いではなかった。
 幾つかの戦場で一部のザフト軍兵士達が、投降した地球軍兵士に対して虐殺を行っているのは間違いない事実なのだが、生存者がいない以上、そこは死人に口なしと言う事なのだろう。
 その事を踏まえれば、アークエンジェルが撃沈されれば、キラやトールはおろか味方と言う味方は殺される危険性はかなり高い。

 

「ウォンバット、正面モビルスーツ群に発射します。……ミリアリア。戦う気が無いなら出て行った方が良いよ」
「そんな……」
「ミリアリアがそんな事言ってる間にもトールは死ぬかもしれないだろう。出来ないなら俺が一人でも多く倒すからさ。ミリアリアは部屋に戻りなよ」
「……そんな言い方……ないじゃない。酷いよ……」

 

 あくまでも淡々と応えるサイの言葉に、ミリアリアは立ち尽くしたまま、悔しそうに涙を滲ませた。
 そうして二人の間に亀裂が生じた間も戦況は動き続け、最前線とアークエンジェルとの距離が詰まり始め、益々被弾率が上がり始めた。
 レジスタンスとの連絡役をしていたキサカは地図が映るモニターへ目を向けながらも、カガリのしでかした事で問われるであろう罪の回避と、彼女をどう生きて帰還させるかを考えていた。
 ――本国に迷惑を掛ける事になるが……仕方ないか。
 キサカは苦慮しながらも、カガリの身を守る為にマリューの元へと歩み寄った。

 

「……ラミアス少佐。耳を貸してもらいたい」
「何です。こんな時に」

 

 振り返ったマリューが不審な顔を向けると、キサカは彼女の耳元で囁いた。

 

「カガリを助け出し罪を不問にしてもらえるのならば、艦の補給と修理は無償で行わせてもらう」
「えっ!? だけど、それは……。そんな事で軍を動かそうと思うなんて――きゃあっ!」
「……っ。大丈夫か?」
「ええ」

 

 話の腰を折るかのように激しい揺れがブリッジを襲ったが、キサカはその程度で折れる事はなかった。

 

「ラミアス少佐。これはあくまでも取引だ」
「取引って……保証も無いのに聞ける訳が無いでしょう! それにアークエンジェルはモルゲンレーテ製の戦艦なのよ。いくら組織が大きいと言っても、完全な修理なんてレジスタンスには不可能よ」
「……我々の組織はモルゲンレーテにも通じている。勿論、多少の融通も利かす事も可能だ」
「だから彼女はヘリオポリスでキラ君に助けられた。……あなた達は一体何者なんですか?」
「素性を証す事は出来ないが、約束は必ず守る」
「ヘリオポリス、モルゲンレーテ、オーブ……ウズミ・ナラ・アスハ……。アークエンジェル、GATシリーズ……開発協力……。サハクですか?」

 

 マリューはキサカの言葉を聞くと、口元に手を当てて呟き問い返した。
 沈黙。そして――。
 首を軽く振ったキサカが再び口を開く。

 

「カガリの罪と救出。それと引き替えに、艦の補給と修理は無償で行わせてもらう。上手く行けば、ストライクの修理もモルゲンレーテに頼んでみる。それでも駄目か?」
「だから罪を不問にした上に、この状況下で助けろと? ……拘束も可能なんですよ?」
「既にサイーブから組織に連絡が行っている。拘束するのならば、我々の組織も連合と事を構えなくてはならなくなる。私としてもそのような状況は避けたい。そちらもプラントと戦争状態の中、余計な敵を増やしたく無いはず。
 ……私はカガリを。そちらはケーニヒ少尉とモビルアーマーを失わなくて済む。この艦の現状と今後を考慮すれば悪く無い話だ」

 

 厳しい視線を向けるマリューに、キサカは平然と言ってのけた。
 確かにキサカの言う事が事実であるならば、艦をあずかるマリューに取って願っても無い事だが、この戦況で絶対など有り得ない。

 

「この状況下では助けると言っても保証なんてできませんし、もし、彼女が死んだ場合は?」
「無論、致し方ない事だろうが……最低限、補給だけは必ず保証する」
「……このままでは仕方ないわね」

 

 マリューは吐き捨てるように呟き、これをきっかけに頭に浮かんでいたもう一つのルートへの変更を決断した。

 

「ナタル、後退信号を上げて。針路を南に変更。トゥルカナ湖へ向かうわ」
「艦長!? どうしてですか?」
「このまま戦闘を続けても、突破は無理よ。南に行くにしても高地沿いならアフリカ戦線の戦力も少ないはずよ。それに南アフリカ領内に入ってしまえば、ザフト軍との遭遇率はぐっと下がるわ」

 

 明らかにこれ以上戦っても不利な戦況を覆す事は出来ない。それなら、もう一つのルートに賭けると言う事だった。
 だが、ナタルはここまで戦いながらも。と言う思いからか、マリューの判断に異議があるのか渋い顔を見せる。

 

「しかし……」
「お願い。私達は生き残って、ジョシュアまでたどり着かなければならないの」
「……分かりました」

 

 渋っていたナタルではあったが、この時ばかりはマリューの言葉に頷く以外はなかった。

 

「艦の針路を南へ! 後退信号を上げろ! 転進後は後方の守りを厚くするのを忘れるな!」
「フラガ少佐にケーニヒ少尉を連れて戻るように伝えて。ストライクはアークエンジェルの守りに着かせなさい」

 

 事が決まれば彼女たちの動きは早い。ナタルとマリューが声を張り上げ、次々と指示を出して行く。
 一言で言えば、――「負け」が確定したと言う事だ。だが、彼等に意義のある敗走とする為にはザフト軍の追っ手を振り切らなければならなかった。
 また再び、戦場が動き始める。

 
 

 アークエンジェルの船体がわずかに跳ねると、艦首が少しずつ南へと向いて行く。
 甲板上で敵機へと攻撃を繰り返すνガンダムのコックピットで、アムロはトリガーを押し込みながらもナタルの声に耳を傾けていた。

 

『以上の理由からトゥルカナ湖へ向かう為に針路を南に変更します』
「この戦況では仕方ないだろう。……了解した」

 

 明らかに戦況は不利な上、これ以上続ければ撃墜は時間の問題と言う事もあって、アムロもナタルの言葉に頷く他なかった。
 運の良い事にザフト軍が南下しながらの進軍だった為、北から東にかけて展開。南側には一切展開しておらず、逃げるアークエンジェルにはまさに好都合だった。
 だが、逃げる前にやる事がある。その事をナタルが口にする。

 

『まずはストライクとスカイグラスパーを後退さなければなりません』
「俺がストライクとスカイグラスパーの援護をする。ナタルはキラ達が後退出来るようにミサイルを。その後は追撃して来る敵への牽制を兼ねて、各方向にミサイルを撃ち込め。それからトールはどうするつもりだ?」
『一応、フラガ少佐に救出をしてもらう予定ですが……最悪は切り捨てるしかないでしょう』

 

 無断出撃をしたトールの事をアムロが問うと、ナタルは言葉を選びながらも最後ははっきりとした口調で答えた。
 この状況下で救出が無理であるならば、誰であろうと切り捨てなければ全員が死ぬ事になりかねない。良くも悪くも彼等は軍人なのだ。

 

「分かった。敵機への牽制を頼む。ストライクに余裕があるようなら、キラには殿を務めさせてくれ」
『了解しました』

 

 頷いたアムロはナタルに指示を出すと、後部甲板上へと移動しながら砲撃を繰り返した。
 その頃、前線上空を飛ぶムウはアークエンジェルの動きの変化に機敏に反応していた。

 

「……アークエンジェルが向きを変えてるだと!?」

 

 一瞬、ムウは目を細め、何故アークエンジェルが動きを変えたのかを思考したが、答えが出る前に、白い船体から赤く光る後退信号が打ち上げられた。

 

「えっ!? ……後退?」
「……一体どうなってんだ? ……だが、この状況なら仕方ないか。キラ、後退するぞ。遅れるな」

 

 煌々と輝く後退信号を見たキラが呆然と呟くと、ムウは表情を険しくしながらも戦況から納得する。
 戦線離脱の為にスカイグラスパーは機首を上げ、ストライクは火器を駆使して敵機との距離を空けようと後方にブーストを掛ける。
 そこへ、トノムラの声で新たな指示が出された。

 

『こちらアークエ――ル! 各機に通達。全機後退せ――。これより――は南へ転進する。ストライクは本艦の――て殿を務めろ。フラガ機はケーニヒ機を救出――帰還。ただ――ケーニヒ機が撃墜され――はその限りでは無い』
「無茶言いやがって!」

 

 この状況で新人であるトールを助けに行けと言うのはかなり厳しく、ムウは思わず吐き捨てた。だが、そう言いながらも元から見捨てる気は無かったようで、レーダーに目を向けた。
 レーダーには無数の点が確認出来たが、敵側からのジャミングがあるのか距離がある場所は、かなり曖昧な状態で二号機を確認出来ない。
 その間にもストライクはバックブーストを繰り返し、敵機を引き離しに掛かっていたが肝心な時にトラブルに見舞われ、思わず言葉を漏らした。

 

「こんな時に!」
「どうした!?」
「弾切れです! 右肩の武器は全部無くなりました!」

 

 ムウが聞き返すと、キラは左手に持つガンランチャーで応戦しながら答えた。
 少なくとも、今のストライクからは弾幕を張れるだけの武器が消えた事になる。後退するにしても数を相手にしなければならず、更に苦しくなったと言える。
 トールを助けに行かなければならないムウは、ストライク一機で逃げながら戦うのは無理があると判断。すぐにスカイグラスパーを切り返すとストライクへと向けた。

 

「キラ。換装するぞ」
「こんな状態じゃ無理ですよ!」
「エールの方のエネルギーが切れた訳じゃないだろう! 無理でもやるんだよっ!」
「……分かりました。お願いします」
「行くぞ」

 

 ムウの声と共に、キラはスカイグラスパーの位置を確認すると、ストライクを敵モビルスーツ群に背を向けて走らせた。そして――。
 ストライクが高く舞い上がり、右肩のコンボウェポンポッドが砂の大地へと落下して行く。

 

「ストライク、頼むからもって!」

 

 キラは祈るように叫んだ。
 ザフト軍モビルスーツからすれば、跳躍したストライクは良い的でしかなく、容赦無く弾丸が撃ち込まれ、エネルギーゲージが瞬く間に減って行く。
 その瞬間、ムウは閃いたようにアムロの気配を感じ取った。

 

「アムロか!? 来るぞ、キラ!」

 

 向きを変えつつあるアークエンジェル甲板上からビームが走り、敵モビルスーツ群の一部を薙ぎ払い、続けてミサイルが襲い掛かった。

 

「アムロさんとアークエンジェル!?」

 

 キラの背後でザフト軍モビルスーツが、砂を巻き上げながら次々と爆散して行った。
 ストライクの右肩に新たなコンボウェポンポッドが装備され、アグニは砂の大地に突き刺さるように着地した。
 すぐにキラは左肩から九四mm高エネルギー収束火線ライフルを引き抜き、三五〇mmガンランチャーと接続。対装甲散弾砲をストライクの右手に持たせると、砂に突き刺さったアグニを左手で構え、敵モビルスーツ群へと向けた。
 ストライクは新たにパックを装備した事でエネルギーゲージの半分以上を回復。ビーム兵器を使うには十分な量だ。

 

「これならやれる。そこを退けっ!」

 

 キラは珍しく荒々しい口調で躊躇い無くトリガーを押し込むと、両腕に抱えた対装甲散弾砲とアグニが火を噴き、攻撃は瞬く間に複数の敵をまとめて葬り去った。
 今の攻撃で流石に恐怖が芽生えたのか、敵の動きに戸惑いが感じられた。それが証拠に、ストライクが一歩踏み出すと、ジンオーカーやバクゥは気迫に圧されたように後退った。
 だが、今となってはそれも無意味であり、優先するべきは撤退なのだ。

 

「キラ、後退しろ」
「でも、トールを助けないと」
「お前は戻れ。あのバカは俺が助ける。アークエンジェルを守れ」
「だけど!」

 

 ムウの言葉に抗うようにキラは食らい付いた。
 確かに通信での指示は、ストライクはアークエンジェルを守り、殿を務めなければならない。それは命令であり、余程の事が無い限り兵士として遵守しなければならない絶対条件なのだ。

 

「これは命令だ。早く行け。トールは必ず連れて帰る。アークエンジェルを頼んだぞ」
「……分かりました。アークエンジェルで待ってます」

 

 気迫のこもった口調でムウが言うと、その言葉の意味にキラは唇を噛むと頷く以外に選択肢は無かった。
 再びストライクが後退を始めると、スカイグラスパーは一気に上昇して行く。その上昇する機体の中で、ムウは勘が冴えたように何かを感じ取っていた。

 

「――トール!? 向こうか!?」

 

 クルーゼの時のほどハッキリはしないが、確かにトールの気配。不思議ではあるが何かを感じ、ムウは思わず目を向けた。
 その視線の先には、豆粒のような大きさのスカイグラスパー二号機とレセップス。

 

「あのバカが深追いしやがって! 落ちるんじゃねえぞ!」

 

 顔を険しくたムウは、操縦桿倒してスロットルを最大まで開放。一気に機体を加速させて行ったのだった。

 
 

 目の前のレセップスに一撃を喰らわそうと、スカイグラスパー二号機が襲い掛かろうとしていた。
 しかし、それを阻むようにレセップスから撃ち出される砲弾が、トールの目では捉えきれないほどの速度で横を通り過ぎて行く。

 

「くそっ! 迂闊に近づけねえ」
「あきらめるな! もう少しだ。頑張れ!」

 

 吐き捨てるトールに、カガリは砲塔式キャノン砲を操りながら叱咤したが、次の瞬間、機体が揺れ、アラームが鳴り響いた。

 

「ちっぃ! シールドに当たった!?」

 

 トールはわずかにコンソールモニターへと目を向けて被弾箇所を確認。装着していたエールストライカーパックのシールドに敵弾が当たったのを理解した。
 もし、これがこれがシールドではなく、機体その物に直撃していたら、今頃は機体ごと二人は爆炎に飲み込まれ、命を散らしていたはずだ。しかしながら、少なからず二人に幸いしたのは、当たった箇所がシールドであった事と、弾が機銃レベルであった事だった。
 しかし、ここは戦場。早々、攻撃が止む事は無い。案の定、レセップスから迎撃ミサイルが撃ち出された。

 

「迎撃ミサイル!? 上昇するぞ!」
「分かった! 撃ち落としてやる!」
「そんなの簡単に落とせる訳無いだろっ!」

 

 無茶な事を言うカガリに、トールは文句を言いながら慌てて操縦桿を引き込み、スロットルを最大まで開放した。
 スカイグラスパーは加速しながら一気に天を目指して上昇し始める。

 

「ぐぅぅぁ……」
「うぅぅ……」

 

 急激な上昇による加速度が二人を襲う。トールとカガリは歯を食い縛り上昇を続けた。
 やがて頂点に上り詰めたスカイグラスパーは、限界が来たように空中で静止。トールは息を吸い込みながら後部モニターに目をやり、ミサイルの来るタイミングを測った。

 

「すぅぅ……」

 

 実機訓練を始めた際にもムウが同じ技を使い、肝を冷やした事を憶えてる。しかも、バルトフェルド隊との演習時、スカイグラスパーに乗ったキラに対してムウが同じ技で撃退していた。
 トールはこの技は二度経験しているが、同じ様に出来る自信は無い。だが、今の自分に出来る事と言えばこれくらいしか思い浮かばなかった。
 背後からミサイルが接近する――。
 トールは機首を真下に向けるようにして操縦桿を倒し込み、ペダルをニュートラルに戻した。その瞬間、ミサイルが跳ねたように見えた。

 

「――今だっ!」

 

 機首が真下に向き掛けた所で、トールは一気にペダルを踏み込むと、接続されたエールストライカーパックのノズルに再び青白い火が点った。
 間一髪、ミサイルは先ほどまでスカイグラスパーが静止したいたであろう場所を通過。そして爆発する。
 その間にもスカイグラスパーは、真下に見えるレセップスに向かって、無謀とも言える加速を始めていた。

 

「うわぁぁぁ!」
「くぅぅ……! 叫んでないで狙えよ!」
「……わっ、分かった」

 

 慌ててカガリはコンソールを叩くと、スカイグラスパーに装備されている火器の全てを作動させてトリガーに指を掛けた。

 

「くっ……! 当たれーっ!」

 

 カガリの叫び声と共に、砲塔式大型キャノン砲、中口径キャノン砲、二〇ミリ機関砲、そしてエールストライカーパックの五七mm高エネルギービームライフルが火を噴いた。
 乱射される火器達――。そのうち一発がレセップスの艦橋を真上から貫くと、ブリッジのガラスが吹き飛び、爆発とともに火の手が上がったが、二人の目の前にも砂の大地が迫って来ていた。

 

「だぁぁぁぁー! 間に合えぇぇーっ!」
「いやぁぁぁー!」

 

 トールは歯を食い縛りながら操縦桿を目一杯引き込むと、後部シートではカガリが女性らしい悲鳴を上げる。
 最早――と思われたが、スカイグラスパー二号機は寸での所では砂を巻き上げながら、機首を空へと向けて急上昇して行った。

 

「はぁはぁ……」
「た……助かったぁ……」

 

 流石に生きた心地がしなかった二人は脱力したようにシートに体を預けた。
 しかしながら、戦闘は終了の時を迎えてはおらず、突然の警告音の後に、激しい振動が二人を襲う。

 

「うわっ!?」
「きゃぁ!」
『――馬鹿野郎っ! 早くエールパックを切り離せっ!』

 

 二人が悲鳴を上げると、コックピットにムウの怒鳴り声が響き渡った。

 

「えっ!?」
『死にたいのか! 早くしろっ!』
「は、はいっ!」

 

 ムウの怒声にトールは訳も分からず、慌ててコンソールパネルを叩き、エールストライカーパックを切り離した。
 スカイグラスパー二号機からは被弾したエールストライカーパック一式が分離され、砂の大地に向かって落下して行く。そのわずか数秒後にエールストライカーパックは爆発と共に砂の上に飛び散った。
 その光景にトールとカガリは思わず身を振るわせる。ほんの少しでも分離が遅れていれば、機体ごと吹き飛んでいただろう。

 

『ボケッとすんな! 戦場なんだぞ! 早くアークエンジェルに戻れ!』
「りょ、了解しました!」

 

 今の出来事で萎縮した為に動きが疎かになったのか、ムウが再び怒鳴り声を浴びせると、トールは慌てて操縦桿を握り直し、機体をアークエンジェルへと向けた。
 二機のスカイグラスパーは戦線を離脱し、南へと向かう母艦を目指して高度を上げたのだった。

 
 

 約三十分後――。
 全速力で戦域を離脱したアークエンジェルは、痛々しい傷を残したままでアフリカ南方のトゥルカナ湖目指して航行している最中だ。
 十分ほど前までは追撃する敵機もいたのだが、各パイロット達の活躍とアークエンジェルの火器をフルに生かし、振り切る事に成功。しかし、その為に予想以上の弾薬を消費する事になった。
 だが、それだけでは止まらず、大破したローエングリンとカタパルトデッキの問題も残っていた。
 既に二番ローエングリンは応急修理すら不可能。二番カタパルトデッキもほぼ同様で、カタパルトが作動せず、挙句装甲が一部捲れ上がっている為に、下手にエアロックを開く訳にはいかない状態だ。
 兎にも角にも高々一回の戦闘ではあったが、熾烈を極めた事と実質的な敗戦に各員の精神的消耗も激しく、不安の残る船旅となっていた。
 そして、整備兵達が忙しなく動く格納庫――。
 真っ先に帰還したスカイグラスパー二号機のコックピットから、トールとカガリが姿を現した。

 

「やったな、おいっ!」
「ああ……」

 

 機体を降りるや否やカガリは嬉しそうに、疲れの見えるトールの頭を抱えるようにして無邪気な顔を見せた。
 本来、アークエンジェルの目的は敵陣を突破し、紅海に出る事であったが、カガリに取っては亡くなった仲間の敵討ちの為の手段でしかなかった。最も、倒した敵が砂漠の虎で無いのが残念ではあったが、目的が達成出来ただけに喜びも一入のようだ。
 その二人の元に、かなり不機嫌な顔をしたムウがやって来た。

 

「喜んでるとこを悪いんだが、トール。誰の命令で出撃した?」
「それは……」

 

 トールはカガリを引き剥がすと、ムウの問いに口ごもった。

 

「誰からも命令を受けて無いんだから、言える訳無いのは当たり前か……。ったく――」

 

 立ち尽くすトールから視線を外したムウは、髪を掻き毟りながら呟き、

 

「――ふざけんなっ!」

 

 格納庫に響き渡るほどの怒鳴り声を轟かせて、トールの頬に拳を叩き込んだ。
 殴られたトールは吹き飛ぶように倒れ込んだ。隣にいたカガリは驚きのあまり呆然としたが、すぐにトールにか駆け寄り、ムウを睨み付けた。
 そのムウの行動に驚いたのはトールとカガリばかりではなく、ストライクを降りて来たキラも同様だった。

 

「――トール!?」
「キラ。止めるな」
「でも!」

 

 トールの元に駆け寄ろうとした所をアムロが止められ、キラは思わず声を上げるが、

 

「軍人である以上、キラにも理由は分かるだろう」

 

 アムロの淡々とした言葉にキラは唇を噛んだ。
 確かに理由はどうあれ、トールが無断出撃してしまった事実に変わりは無い。しかも、ローエングリンを発射する好機さえ潰し、目的である敵陣突破の芽を摘んでしまったのだ。軍隊である以上、これは許される事ではなく誰も庇う事など出来る訳がない。
 だがそんな中、カガリだけはトールを庇うようにムウの前に立ちはだかった。

 

「こいつは戦ってレセップスを落としたんだぞ! 何も殴る事は無いだろう!」
「ガキは引っ込んでろっ!」

 

 ムウは自分を睨み付ける少女を一喝して力任せに退かすと、床に尻を着けたままのトールに厳しい目を向けた。

 

「おい、立て。もう一発だ」
「……はい。済みませんでした」

 

 頷いたトールは脚に来ているのか、ダウン寸前のボクサーのように立ち上がった。

 

「やめろっ! あれは私が勝手に動かしたから……。だからこいつに責任は無い! 殴るなら私を殴れ!」

 

 一度は退かされたカガリではあったが、無理やり二人の間に割って入り、再びムウの前に立ちはだかった。
 自分を庇おうとするカガリの行為にトールは驚きを見せるが、ムウは彼女の言葉をきっかけに、更に顔を険しくした。

 

「また操縦持って行かれたのか?」
「……はい」
「演習の時にも言ったはずだ。あの時は仕方ないとしても、今度はレジスタンスのお嬢ちゃんだ。お前、ズブの素人に操縦持って行かれて、やる気あんのか? やる気が無いなら止めちまえ!」

 

 間に立つカガリを無視してムウが怒鳴ると、トールは、

 

「あります! ……今回の事は全部、俺の責任です。本当に申し訳ありませんでした!」

 

 と言って、腹の底から思い切り声を出しながら目一杯頭を下げた。
 だが、カガリがきっかけだったとは言え、正規パイロットとなったトールが、コントロールを奪われた上に遵守すべき事も守れず、挙句に味方に迷惑を掛けて作戦を失敗させた事には変わりは無い。
 少なくともコントロールを奪い返した時点でアークエンジェルに戻っていれば、ここまでにはなってなかったはずなのだ。

 

「歯、食い縛れ。それから、お前。邪魔だ、退け」

 

 ムウは表情を変える事無く、トールとカガリに冷淡な口調で告げた。

 

「だから、あれは――」
「――退けって! あれは俺の責任なんだから、お前は退けよ」

 

 間に立つカガリは尚も反論しようとした所で、トールがそれを遮るように彼女の肩を掴んで言った。

 

「だけど……お前」
「頼むから退いてくれ」
「……私の所為で……本当に……済まない……」

 

 カガリはトールを見つめ、悔しそうな表情を浮かべた。そして、肩を落として小さく謝ると後ろにさがった。
 するとトールは一歩前へ出て四肢と奥歯に力を込め、いつでも殴られる体勢を取った。

 

「……良い覚悟だがな、お前がレセップスを落としに掛かってた所為でローエングリンが撃てなかったんだ。状況把握も出来ない上に射線まで塞ぎやがって!」

 

 少しだけ息を吐いたムウは、鬼の形相でトールの頬に一撃を叩き込んだ。
 再び倒れこんだトールの元にカガリが駆け寄る。トールの口元からは血が薄く滲み、腫れているのが一目で理解出来た。
 だが、殴った事だけ全てが済む訳では無い。ここは軍艦であり、トールは軍人なのだから。

 

「少しの間、営倉にでも入っていろ。済まないが、このバカを連れてってぶち込んどいてくれ」

 

 ムウは出払っている警備兵の代わりに手隙の整備兵に声を掛け、トールを営倉に入れるように指示を出した。
 事情を知る整備兵達はトールに同情的な目を向けつつも、作戦その物を失敗させてしまった事もあって、複雑な表情を浮かべている。それだけに元の原因を作ったカガリに向ける視線は、やはり好意的では無いようだ。

 

「どうしてあいつが……何もそこまでしなくても良いじゃないか。お前達、同じ仲間なんだろう? なんであんな――」
「――黙れっ! 好き勝手やりやがって! お前がどこの誰だか知らないが、保護者に感謝するんだな。本当なら捕まえて銃殺にしてる所だ。それから、許可の無い者は立ち入り禁止だ。こいつを格納庫から摘み出せ!」

 

 カガリはトールの処分の事でムウを親の敵のように睨み付けながら抗議するが、ムウはトールを殴った時以上に険しい顔を見せて怒鳴り、叩き出すように言った。
 近くにいた整備兵達は頷くとカガリを取り囲み、格納庫の扉の外へと連行して行った。
 本当ならばムウ自身の手でカガリの事を殴り倒したい所ではあったが、スカイグラスパーから降りる前にトールの事を問い質した所、マリューからキサカとの密約を聞かされ、それ故に罰は罰としても、トール一人だけを責める結果になったのが気に食わなかった。
 だが、アークエンジェルの状況を考慮すれば、背に腹は変えられずマリューが受け入れると判断した以上はどうしようも無いのが実情だ。

 

「……全く、何なんだよあのガキは」

 

 ムウは苛ついた様子で髪を掻き毟って溜息を吐くと、背後からアムロが彼の肩に手を掛けた。

 

「アムロか。……悪い。見苦しい所見せちまった」
「いや。俺も一応、マリューから話は聞いてはいるが……。軍人としてムウは間違ってはいない」
「ああ。分かってる。実際、トールの奴は違反やっちまったんだからな……。ただ、人としてはな……」

 

 複雑そうな顔を見せるアムロの言葉に、ムウも仕方ないと言う感じで疲れた表情を見せながら呟いた。
 勿論、「人としては」と言う意味は代償の為に部下の懲罰原因を作った人間を野放しにしておかなければならない事だった。
 そこへ事情を聞かされていないキラがやって来て尋ねた。

 

「あの……。トールは……どうなるんですか? それにあのレジスタンスの子が原因なんですよね?」
「少しの間入ってもらうが、人手が足らないからな。頃合いを見て再教育する。罰に関してはトールも一応、軍人だからな。やっちまった以上は受けさせる以外は無いんだ」
「……あの子は何も無しなんですか?」
「一応、もう決まってるだけどな。協力関係とは言え、また同じ事されたんじゃ堪らないからな。……マリューに相談するつもりだ」
「……分かりました」

 

 それまで眉を寄せていたキラではあったが、ムウの返答に一応の納得を見せた。
 曖昧ではあるが、話の決着が着いた三人は引き上げようと歩き出した。そこへ、インカムを付けたマードックが大きな声で三人を呼び止める。

 

「待ってください! 大尉さんと坊主は引き続き、待機してくれって連絡が。フラガ少佐はブリッジへ行ってください」
「了解した」

 

 マードックに対してアムロが頷いて応えると、珍しくムウが申し訳なさそうな顔を見せた。

 

「疲れてるのに済まない」
「まだ追撃があるだろうからな。仕方が無いさ」
「結局の所、落ちはしなかったが……」
「始めから数が違い過ぎた。だが、俺達はまだ生きている」
「……そうだな。まだ俺達は生きているんだからな。……それじゃ、ブリッジ行ってくるわ」

 

 確かにアムロの言う通り、無茶を通り越した戦いを生き抜き、まだここにいるのだ。ムウは少し笑顔を見せると、後ろ手を上げてブリッジへと向かって歩いて行った。
 その姿を見送るキラは、何とも言い難い顔で言った。

 

「雰囲気、重いですね……」
「……今は仕方が無いさ」

 

 敗走の事もあってアムロは軽く頷いた。
 まだ離れて二日も経っていないと言うのに、キラはラクスがいた頃が少しだけ懐かしく思えた。

 
 

 プラント本国の某コロニーに住むホーク家――。
 姉、ルナマリアと妹のメイリンはリビングのソファに腰を下ろし、テーブルに載せられた大量の菓子をボリボリパリパリと音を発てて食べながら、テレビへと目を向けてた。
 テレビの中には淡いピンク色の髪をしたアイドル――ラクス・クラインの姿。

 

『いいえ。そのような事はありません。アークエンジェルの方々は、とても良い方ばかりでしたわ』

 

 画面の中のアイドルはニコニコと記者の質問に答えて行った。
 ハッキリ言って地球軍に捕まっていたと言うのに、どうしてこんなに明るくしていられるのかと、二人は頭の上に?マークを点滅している。
 眉間に人差し指を当てたルナマリアが、目を細めながら意味が分からないと言わんばかりの表情を作った。

 

「……ラクス・クラインの言ってる事、信じられないわね」
「でも、ラクス様は民間人なんだし、地球軍だって……」
「じゃあ、そのラクス・クラインが乗ってた船を沈めたのは、どこの船?」
「……地球軍」

 

 姉の問いに答えたメイリンは、動物の絵柄が描かれたチョコ菓子を口の中に放り込むと、思わず腕組みをして考え込んだ。でも答えは出ない。
 その間にカメラはラクスの両隣に座る人物を映し出した。
 左側に婚約者のアスラン・ザラ。右側には救出交渉を行ったアンドリュー・バルトフェルドが座っていた。
 ルナマリアは袋に入った小分けの醤油煎餅を取り、軽く拳で叩いて一口サイズにしてから袋を開封。口の中に入れられた煎餅は、ボリボリボリと小気味良い音を発て砕かれて行く。そして紅茶を一口含んだ後に言った。

 

「どう見てもおかしいでしょう。ラクス・クラインを残して全員死んでるのよ。あんな目に遭ったのに、なんで地球軍の肩を持つような事を言えるのか、私には信じられないわ。まあ、遺族は怒り心頭でしょうね」
「でも、ラクス様が嘘吐くと思えないよ。同じ地球軍でも……違うのかな?」
「そんなの分かんないわよ。でも、アスラン・ザラの様子からして、何かあったとしか思えないわ」

 

 メイリンが首を傾げると、ルナマリアはアイドルの婚約者を見ながらまた煎餅を口に放り込んだ。ボリボリボリ。
 食べてた菓子が無くなったメイリンが、テーブルの端に置いてある黄色い色に白いハトの描かれた手提げ状の箱を指して言った。

 

「お姉ちゃん、サブレ取って」
「もう、自分で取りなさいよ」
「ありがとう」

 

 ルナマリアはブツクサ言いながらも箱ごと手渡すと、妹は中身を取り出し、ハトさんの頭から被りついた。サクサク。
 そうしている間にも、気が付けば記者の質問はラクスの婚約者へと向かっていた。

 

『……無事で良かったと安心しています』

 

 今まで口を開く事が無かったアスランが、あまり芳しくない様子で問いに答えている。
 ハトさん尾っぽまで食べつくしたメイリンは、オレンジジュースをストローで啜ると不思議そうな顔で画面を眺めた。

 

「やっぱり、何かあったのかな……?」
「でなければ、あんな顔をしてないでしょ。……メイリン。水羊羹取って」
「何が良いの?」
「抹茶」
「……はーい」

 

 妹は姉の注文通り、緑色した背の低い円柱を手渡した。
 テレビではアンドリュー・バルトフェルドが記者の質問に答えていた。

 

『地球軍側も素直に応じてくれましたから、そこまでの苦労はありませんでしたが……。いやー、実際戦いましたが彼等は手強いですよ。……私としても、また戦場で戦いたい相手です』

 

 バルトフェルドは相手がどのような敵なのかを質問されているようだった。
 金属の蓋を開けたルナマリアはプラスチックのスプーンを手にすると、プルプルした緑色の物体をすくって口の中へと含んだ。モゴモゴモゴ……ゴックン。

 

「アンドリュー・バルトフェルドかぁ……。活躍したし、凄い出世するんだろうなぁ」
「ラクス様助けたんだもん。出世するんじゃないの」

 

 ルナマリアの言葉にメイリンが頷いた。
 すると、姉のアホ毛が一瞬、跳ねるように動いた。どうやら何か思いついたらしい。

 

「将来、指揮官ってのも悪くないわね。私もザフトに就職しようかなぁ」
「……」

 

 姉のらしくない夢見がちな言葉に、妹は思わずこめかみを押さえて目を細めた。
 ――お姉ちゃん、軍人なんて向かないし無理だよ無理。無理。無理。無理。
 妹の心の中ではそんな言葉が繰り返された。
 だが、そんな妹の心中など気付く事なく、そのリアクションのみに姉は頬を膨らます。

 

「……何よ?」
「あのね、お姉ちゃん。……軍隊じゃ、そんなスカートはけないし、お洒落な服も無いんだよ。お洒落出来ないの我慢出来る?」
「もしかしたら規則が変わるかもしれないし、そんなの分かんないわよ」
「軍隊だもん、あり得ないよ。それにお姉ちゃんが指揮官じゃあ……」

 

 普段はもっと強気なルナマリアだが、将来について悩むお年頃の為か、今日は少しナイーヴ。少し不貞腐れながら食べかけの水羊羹をテーブルに置いて、紅茶を啜って妹を睨んだ。

 

「何よ……」
「ううん。なんでもなーい」
「……なんかムッカつくわねぇーっ!」

 

 プチンと切れる音がした後に――いきなりスパーンと良い音が響いた。

 

「あっ痛っ!?」

 

 突然の痛みにメイリンは頭を押さえて見上げると、そこには……。
 スリッパを武器に凶暴化した――姉の姿。
 見る見るうちにメイリンの瞳は潤み、口がへの字を書き始めた。

 

「うぅぅぅ……うわぁぁぁーん。お母さーん! またお姉ちゃんがまた殴ったぁぁぁ」

 

 妹、メイリンは泣きながらリビングを飛び出すと、母のいる部屋へと走って行く。

 

「こうなったら、やったろうじゃない! ミニスカ穿いたモビルスーツ乗りの指揮官、目指してやるわよ!」

 

 一方、リビングに一人残った姉、ルナマリアは拳を握りしめ、将来への決意を叫んでいたのだった。
 まあ、兎にも角にもホーク家は今日も安泰なようだ。