「長旅ご苦労、月艦隊は諸君らを歓迎する」
「ありがとうございます」
ナタルはハルバートン提督と固い握手を交した時、感涙にむせびたくなる思いに駆られたがぐっと堪えた。
そんなナタルを察してか、ハルバートンはナタルの肩に手を置き、その功績を称えた。
月艦隊との接触を迎え、ブリッジでは喜色の満ちた空気が流れていた。
ザフト軍に怯えながらの行軍も今日で終焉を告げるのだ。
「報告書に目を通した。……その、コーディネイターのパイロットは何処に?」
「……MSデッキかと」
ハルバートンの言葉に答えながらも、ナタルは視線をそらした。
キラの処分はどうなるのだろうか。軍に協力したからといって、彼はコーディネイターである。
軍というのは生優しいものではないのは重々承知していた。
「そうか。では、私はシャア少佐のもとに行く。暫くしたら、今後の指示を出すから、旅の疲れを癒してくれたまえ」
ハルバートンは身を翻し、ブリッジを後にしようとした。
――キラを弁護すべきか、いや、上層部に目を付けられでもしたら――
様々な思索が錯綜する中でも、時間は待ってはくれない。
「……あのっ!」
力強い声が響いた。
――答えは艦長職を引き受けたときから決まっているではないか――
「何か?」
「……彼の、キラ・ヤマトの処分ですが、彼はこの艦のために十分働きました!ですから……」
「わかっておる。悪いようにはしない」
ハルバートンはナタルを一瞥すると、そのまま去っていった。
ハルバートンを信用するしかないと思うと同時に、がっくりと肩を落とした。
少年一人の命すら満足に守ってやれず、他人の採択を待つしかないという無力感にうちひしがれていたのだ。
「……何が艦長だ」
その言葉は誰の耳にも入ることなく、ブリッジの空間に吸い込まれていった。
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その頃、キラはストライクの最後の調整をしていた。
文字通り死ぬような体験しかしなかったコックピットだが、いざ離れるとなると寂しいものだと感傷に浸っていた。
「OSはまだまだ改善の余地があるなぁ」
急ごしらえで組んだプログラムの見直しを今更しても、まったく利己的では無いが、
これが役立ってアークエンジェルの生存確率が高まるなら悪くはないとキラは指を動かし続けた。
「なぁ、キラ」
「……どうしたの?」
ハッチの側で漂っていたトールが只ならぬ表情で話を切り出したのだ。
作業を続けながら聞く話ではないとキラは察し、キーボードを脇に退けた。
「俺さ、ここに残ろうと思うんだ」
「ええっ!?」
予想だにせぬトールの決意に、キラは目を見開いた。
そして、『何故、どうして』といった疑問詞が次から次へと頭をよぎった。
「俺たちが降りたらフラガ大尉しかパイロット居ないからさ……。
もしアークエンジェルが墜ちたら責任感じそうで……」
言われてみれば、シャアは負傷し、デュエルは大破。
さらにジンは副座式で、フラガだけで乗りこなすことはおのずと不可能である。
けど、補充人員が来るんじゃない?」
「いや、きっと今はどこも人手不足だから、当てに出来ねぇよ。
……戦争でいっぱい死んじまったからな」
「……そうだよね」
「まあ、サイたちがどうするか分かんないけど……お前は降りろよ?」
「……」
トールが意味することは容易に理解できた。コーディネイターであるキラは所詮は外様。
もし残ったとして、キラの運命に保証はないのだ。
――でも、それでいいの?――
何度も自分に問掛けた。
――死ぬときは一緒だって言ったじゃないか――
「……僕も、残るよ」
「……本気かよ?」
――今度は僕の番だ――
「死ぬときは一緒だよ」
キラは精一杯の笑顔でトールに答えた。
トールは仲間を裏切るという汚名からの逃げ道を作ってくれたのかもしれないが、キラはそれを良しとしなかった。
『死ぬときは一緒だ』と反芻する――
困難に立ち向かう勇気が体中に沸き上がり、キラは拳を握り締めた。
そこには、もう、現実から逃避していた少年の姿は存在しなかった。
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星の鼓動が聞こえた。一瞬にして散っていく運命だと知りながらも駆けて行くその姿は尊敬に値する。
そんなことを考えながら、シャアが独りで医務室のベッドに横たわっていたときだった。
「失礼。シャア少佐、名誉の負傷、悼み入る所存でございます」
「……それはどうも」
見知らぬ老紳士、それも自分より階級が上位の軍人が礼儀正しい挨拶をすることにシャアは眉をひそめた。
「色々と武勇伝をお聞きしたいところですが、それはまたの機会にして……。
アズラエル氏からの手紙を預かっています」
「……!!」
アルテミス以来、心の角に引っ掛かっていた名前が老紳士、ハルバートン提督から発せられるとは思ってもみなかったシャアは面喰らった。
どんな内容だろうか、シャアは手紙を受けとると、恐る恐る封を切った。
『やぁ、元気かい?君がこの手紙を見ているなら、月艦隊と合流しているころだろう』
語り口からして、アズラエルという男とはずいぶん親しい間柄であったのだろうと推測できる。
『最近は軍への積極的な介入も多くなって、仕事にてんてこまいしているよ。
前置きはこのくらいにして、兼ねてから推進してきた『ブーステッドマン』の計画が実行に移されてしまったんだ。
君は反対していたけど、僕の力をもってしても抑えきれなかったよ。
みんな、敗戦続きで焦ってるみたいだ。本当に申し訳ない。
ただ、権利はこちらが押さえたから、君にテストをお願いしたいんだ。
人の命がかかっている、いや、人の命をもてあそぶことだからこそ君にお願いしたい。
……最も信頼できる人にね。では、アラスカで君を待っているよ。
蒼き正常な世界があらんことを。
――ムルタ・アズラエル』
アズラエルという男が、軍を掌握している様相が容易に読み取れることから、とんでもない男と面識があるものだと溜め息をついた。
こちらでも世界は自分を放っておいてはくれないのだ。
「ところで、少佐の機体は大破したということだそうですが」
「……ええ。未熟さ故に」
「ご冗談を。よろしければこちらで何か見繕いましょうか?」
「いえ、まだ実戦に戻るのは時間がかかりそうですから、復帰したときに……」
『第一種戦闘配備発令!繰り返す、第一種戦闘配備発令!』
「忌々しい……!
……私はメネラオスに戻ります。手紙、確かにお渡し致した!」
慌ただしく去って行くハルバートン――シャアは敬礼をもって彼を見送った。
「……そういえば、キラ君たちはどうするのだろうか……?」
ふとよぎる疑念。
「……寝てはいられんな」
痛む体のそこら中が軋んだが、シャアは構わず軍服に袖を通して引きずるようにブリッジへ足を進めた。
――どちらにせよ、私には彼等を護る責任がある――
その一心ゆえの行動だった。