「あっちゃ~、こりゃ良いんだか悪いんだか」
地球に流れる小さな破片の上に座りながら、黒い女は召還された偽神を眺めていた。
外見を見れば分かるが、アレは実に不完全だ。位階も、魔力も、時間も足りぬ状態で召還された不良品。
が、それでもこの世界の兵器とは比べ物にならない。アレは完全近接特化型だが、それでもユニウスを被害が出ない程度に解体することは可能だろう。
「まったく、シン君達がだらけてたせいで予想以上に被害が大きくなりそうだと思えば……これはやりすぎだよ、ティトゥス」
このままは、ちょっとマズイ。例え被害ゼロでもキッカケとしては十分だが、それでは面白くない。もっと、もっともっと、死と、恐怖と、絶望をバラ撒いてもらわないと。怨念と憎悪を煽ってくれないと。
「仕方ないなあ……やっぱり君に出張ってもらわないといけないみたいだね、これは」
女は自分の横を見る。其処に居るのは一冊の本をその中に浮かべた、不定形の血の塊。それは怪しくその身を蠢かせると、弾ける様に血飛沫となって飛び散り、本ごとその場から消える。
「ウフフフフ、それじゃ、頑張ってね~♪」
女は哂う。嘲笑う。手を振る女の乗った破片は、炎に包まれながら地球へと堕ちていった。
突如として現れた、巨大な落武者の姿をしたMS……いや、そもそもMSに分類できるのかどうかすら分からないが、ともかくシンはその姿を呆然と眺めていた。
その巨人はボロボロの姿をしていながら、圧倒的な威圧感を放っていた。巨大とかそういう問題ではなく、なんと表すべきかシンは表現に困ったが──強いて言うなら、「まるで存在してはいけないモノがそこにいる」というような感じか。
「……っ!?」
不意に、巨人の視線がこちらに向いた気がした。四角い頭部に張り付いた仮面のような顔、その仮面の奥に窪んだ双眸と視線が交差する。左目は緑色のカバーの奥に赤い光が丸く灯り、右目は亀裂が入りカバーが砕け、まるで人間のような眼球がギョロリと露出している。
だが本来恐ろしいものに見えるであろうそれに、シンは自分でも以外に思うほど恐怖を感じなかった──ロボットの視線から感じられるものでもないと思うが、その視線から敵意を僅かほどにも感じなかったのだ。
直後、巨人の背で何かが弾けるような光が円状に広がったかと思うと、巨人がその巨体とは裏腹のスピードで、こちらに向かって飛んできた。反射的に身構えるシンだが、巨人はインパルスや掴んでいるアスランのザクは勿論、レイとルナのザクも意に介さず、自分達を避けて破片へと向かっていく。
『……敵対するわけでは、ないのか?』
アスランの声に誰も明確な答えを返せない中、巨人は破片へと近づく。巨人よりもまだ四、五倍の質量は持っているであろう破片の中心近くでその動きを止め、ゆっくりと左手に握ったヒビだらけの曲刀を振り上げ……次の瞬間には、刀は音も無く振り下ろされていた。
──直後、巨大だった破片は滑らかな断面を開きながら、真っ二つに分断された。
『『『「はっ……はいーーーーーーッッ!?」』』』
全員の叫びが統一された。おそらく自分達以外の、それを見ている全員の心境だろう。断言できる。
二つに分かれた破片は片方は僅かに落下スピードを落とし、もう片方は逆に速度を上げて落下していく。巨人はスピードの上がった方へと向かい加速し、二刀を持った両腕を広げながら擦れ違う。巨人が破片へ振り向いた瞬間、破片は不揃いのサイコロステーキのようにバラバラに寸断される。
もはや声も出ない一同を尻目に、巨人は折れた刀を持った右手を前に突き出し、刀を振って印を結ぶ。
臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前──印を結び終えた巨人は両腕を突き出し、二本の刀を重ねて振り上げる。瞬間、二本の刀は光となって消え、代わりに一本の光の剣が巨人の手に掴まれていた。
光の剣が振り下ろされた直後、剣から何条もの三日月のような光刃が飛び出し、既にバラバラだった破片を更に細かく斬り裂いていく。破片は光刃に呑まれ完全に消滅するか、もしくは極々小さい破片へと解体され、地球へと落ちて行く。あの程度なら、地球に落ちる前に全て燃え尽きてしまうだろう。その落ちて行く破片を見る巨人の腕から光の剣は消え、何時の間にか二振りの曲刀が戻っていた。
誰もが、その場に居た人間全てが驚愕するしかなかった。
ミネルバの乗員もMS隊も、ファントムペインもエクステンデットもジュール隊も……その場のほぼ全員が全員、顎を地面に落とさんばかりに口をアングリと開け、その信じがたい現実を認めることを心のどこかで否定していた。ただ、そんな矮小な人間にも例外というのは居る。
プラント評議会議長ギルバート・デュランダル。彼はそのようなご立派な肩書きを持っている人間とは思えないほど子供っぽい──まるでヒーローショーを信じて見ている子供のような興奮気味の笑顔を浮かべ、その瞳を輝かせていた。その場の誰もがそれに気付く余裕を持たず、百面相しながら真横に立っていたカガリすら気付いていなかったのは実に幸いだった。もし見られていたらミネルバ内の議長の評価は数時間で逆転したことだろう。
そしてもう一人。ガーティー・ルーのゲストであるフラウィウス・ウェスパシアヌス。彼はデュランダルとは逆に困惑、そしてわずかな呆れの混じった顔で巨人──皇餓を見つめていた。おそらく彼がこの場で一番、あの巨人がどういうものか理解している。何故なら彼もまた、機械仕掛けの神を召還し得る資格を持ち、かつて召還する事が可能だった存在故に。
──だからこそ、今あれを駆る乗り手の状況も大方想像できる。それを考えて、ウェスパシアヌスは少し残念そうに、だが大半が呆れと嘲りに満ちた溜息をついた。
「がっ! かはっ……が、餓ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
皇餓が実体化した際ツヴァイダガーが分解され、再構築された皇餓のコクピット──真っ赤な風景と数多の魔術陣、そして不完全召還の影響か不完全に残ったツヴァイのパーツが浮かぶだけの異空間で、ティトゥスは膝を折りながら血を吐いた。口からだけでなく全身からもだらだらと流れるそれは、真っ赤な空間の一部となり消えていく。魔術陣から伸び、体の至る箇所に鎖のように絡まる魔術文字もまた真紅……その姿はまるで、血の鎖に捕らわれた罪人の様だ。
「愚、あぁぁぁぁぁ! ……ハァッ、ハァッ……クッ、やはりこの身体では……──っ!」
皇餓の魔導機関エンジンが、ティトゥスの魔力を吸収、増幅して皇餓全体の術式へと流す……その都度途轍もない激痛と虚脱感がティトゥスの全身を蝕んでいく。ティトゥスが意識を失いかける度、皇餓の実像もぼやけ、消えかける。
──そもそも鬼械神が鬼械神たるのは、術者の命を削る……身体への尋常ならざる負荷と魔力の搾取によって、絶対的な力を発揮するためである。仮にごくごく普通の一般人が鬼械神に乗った場合、一っ走りするだけで体中が引き千切れ、同時に魔力も枯渇しボロボロのミイラが出来上がるだろう……むしろマトモな死に様すら残るかどうか定かではない。
故に通常、鬼械神を召還出来る位階にまで至った魔術師は、その段階でもうその身体は『人間』辞めているのがほとんどである。そこまでいけば肉体の規格外化と同時に魔力総量も術式制御もそれ相応のレベルに至っている。それで初めて、鬼械神の力をある程度安全に行使できるのだ。
そして今回のティトゥスの場合──これは恐らく前代未聞の高度かつ危険かつ最悪な方法における召還だ。
今のティトゥスは魔術師だったが魔術師ではない、極めて特殊な存在だ。鬼械神の召還方法を知り、召還した経験もあるが、魔導書に記された肉体強化等、召還出来る位階に達するまでに修練しているはずの過程や成果はリセットされ、無効も同然。
その状態でティトゥスが行った召還方法は吃驚仰天……
『かつての知識と経験だけを頼みに、それまでの過程をすっ飛ばして僅かな魔力で鬼械神を召還』
……というとんでもない方法を行ったのである。
当然上手く行くはずもなく、召還された皇餓はフルスペックの半分の性能どころか、実体化すら不完全。
ティトゥスに至っては生身の身体は負荷に悲鳴を上げ、元々総量の少ない魔力を召還自体で大半消費した上に、制御も出来ぬまま残りを鬼械神に過剰搾取されていく。
このままでは数分もしない間に鬼械神の実体化は解ける……いや、その前にティトゥスの命の火が消えるのが早いか。
──だが、それがどうした。
「今更……命惜しさに引くなど言語道断!」
歯を食いしばり、ガクガクと震える足を意地と根性だけで押さえつけ、立ち上がる。もはや死は覚悟。悔いは数あれど、是非もなし。
この地球〔ホシ〕を守るために──この怠惰に蝕まれてきた命、今こそ賭けようぞ!
「はああああ……っ!」
皇餓の背で圧縮された魔力が弾け、その衝撃を推力として巨体が宇宙を駆ける。その先にあるのは二つに叩き斬ってなお皇餓より巨大な、最後の破片。これさえ砕けばもうそこまで大きな破片は残っていない。少なくとも人類滅亡などという最悪の事態は避けることが出来る筈だ。
方法は先程の手順と変わりなし──斬撃である程度細かく砕き、込めた魔力を数多の光刃として放つ渾身の一撃……奥義・飛龍で全て消し去る。不完全な皇餓といえど、その業の切れに一片も曇り無し。
魔術文字の螺旋が絡みつくティトゥスの腕が構えを取ると、皇餓もまた全く同じ構えを取る。
「……斬ぁぁぁぁぁぁん!」
破片が目前に迫り、両手の刀を同時に振り下ろす。放たれた超高速の二刀が破片へと迫り──刃が突き立つ寸前、奇妙な感触が皇餓を通じてティトゥスの手へと伝わった。
「……何、だと?」
刀は止まっていた……否、止められていた。『それ』は突然その場に現れ、何物をも斬り裂く筈の刃を受け止め、『掴んだ』のだ。
『それ』は血の色をした二本の、真っ赤な両腕。それにティトゥスは見覚えがあった。それを肯定するかのように、何処からともなく流れてきた幾つもの紅い水滴──血液が両腕へと集まり、存在していなかった箇所を構築していく。
幾千、幾万幾億幾兆京垓穣溝澗正載極恒河沙阿僧祇那由他不可思議無量大数──ユニウスセブンに未だ残る死体や、この近辺の戦闘で死んだ人間……いや、かつての戦争で死んだ全ての犠牲者を合わせても足りないのではないかと思えるほどの大量の血が、上腕を造り肩を造り胸を作り腰を造り両足を造り顔を造り──その全身を形作る。
──それはこの世界に現れた、二体目のデウス・エクス・マキナだった。
『ぐっ!こ、これは……頭が、が、ぐああああああああ!』
「っ!?レイ!?」
『それ』の出現で意識が飛びかけたシンは、突然聞こえた悲鳴になんとか正気を取り戻した。通信機の向こうから聞こえてくるのはレイの声。モニターに映る彼はヘルメット越しに頭を押さえ、首を大きく振りながらのた打ち回っている。
『ちょっとどうしちゃったのよレイ!こんな時に!』
『レイ、しっかりするんだ!』
ルナやアスランは正気を保っているらしいことに、少し安堵する。だが二人の言葉を無視してレイが答えた内容に、シンは困惑するしかなかった。
『……逃げなければ……』
「え?」
『今すぐここから逃げるぞ! ギルに、ミネルバにも連絡を! 理由は分からんが俺には分かる! 『あれ』の近くに居たら……死ぬぞ!』
異常をきたしたのは、レイだけではなかった。
「ぐおあぁっ!? お、おあああああああああ!」
「大佐!? しっかりして下さい、大佐!」
仮面で隠れた表情を手で覆いながら、ネオが叫び声を上げながら倒れ伏す。何事かと騒然となるブリッジで、リーがネオを助け起こした。
「クッ……リー、撤退だ! 急いでこの宙域から離脱する! あの三人も今すぐ呼び戻せ!」
「はっ? し、しかし……」
「ガタガタぬかすな! 『あれ』に巻き込まれて死にたくないだろう!? なら急げ!」
突然の命令に困惑するリーを、頭痛への八つ当たり混じりに怒鳴りつける。ネオ自身、なんでこんな命令を出しているのか分からない。ただ激しい頭痛の中、彼は突如現れた『あれ』に激しい恐怖を感じていた。
本能が告げている、というのだろうか。『あれ』はヤバイ、逃げなければ死んでしまう──そんな確信があった。
「宜しいですね、ウェスパシアヌス卿!」
ネオは一番文句を言いそうな人物にも語気を荒げて問うが、返事は返ってこない。当の人物が、完全に周りから意識を断絶していた故に。
(馬鹿な……馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な! ……有り得ん! 有り得ん有り得んありえん! 何故、何故こんなことが!)
またもや信じられないという表情で、ウェスパシアヌスは『それ』を見る。どれだけ凝視しても、瞬きをしても、網膜に映るのは記憶の中に焼き付いた『それ』とまったく同じ形状のモノ。
今彼の表情の大半を占めているのは、驚愕。そしてそれに混じるように歪んだ、憎悪、嫉妬、憤怒、羨望……そして、恐怖の貌。
(何故、何故この世界にまで現れる!? この世界でも私を嘲笑う気か……『獣』!)
その身に纏うは、真紅の外套。
その背に折畳まれしは、紅い悪魔の翼。
その姿はまるで赤い蝙蝠──紅い悪魔。
その貌は真紅の外套に隠され見えず──その隙間から漏れる光もまた、真紅。
『背徳の獣』が僕。最強最悪なる鬼械神の中に置いて、最も最凶たる真紅の鬼械神!
「リベル・レギスッ……いや、違う?」
突如現れた鬼械神──リベル・レギスに驚愕すると同時に、ティトゥスはそれの持つわずかな違和感に気付く。
その禍々しい形状は紛れもなくリベル・レギスそのもの。が、色が違う。確かに血のような真紅が特徴的な機体ではあったが、ここまでまじりっけ無しの紅単一色ではなかった。
そしてもう一つの違和感は、その存在感。両刀を掴んでリベル・レギスは確かに其処に在る。その場に存在するだけで恐ろしいほどの威圧感、重圧感を放ってもいる……なのに、『薄い』。何故かその存在が今にも掻き消えてしまいそうな、まるで蜃気楼を見ているかのような、奇怪な印象……『現実感の欠如』とでも言えばいいのか、そんな感覚が頭から離れない。
──しかし、長考する余裕を、目の前のリベル・レギスは与えてくれなかった。
ミシリ、と掌に伝わる嫌な感覚。リベル・レギスの掌が掴んでいる場所から、折れた刀もひび割れた刀も、崩壊を初める。グッとリベル・レギスの両手が握り拳を作ると同時に、両手の刀は柄とほんのわずかの刀身を残し、砕け散る。
「くっ……」
皇餓がわずかに後ろへ下がる。リベル・レギスはその場で大きく両手を広げ、皇餓へと更に強い威圧感──明確な殺気をぶつける。その長い爪で、今にも皇餓を引き裂かんと飛び掛ってきそうだ。
どうする? ハッキリ言って魔力に余裕など皆無、刀剣一振りを再構築する魔力すら惜しい。皇餓の『切り札』に至っては論外だ。魔力云々の前に腕一対の今の自分には扱えないどころか、今皇餓の背にそれは『存在すらしていない』!
そもそも、例え五体満足であったとしても、リベル・レギスに勝てる可能性などあるのか!?
……そこまで考えて、ティトゥスは自嘲気に唇を歪め──強く握った己と皇餓の拳が、ギシリと鳴った。
今更臆して、何とする。今己のするべきことはただ、一つ。
「覇ァァァァァァァァッッ!」
皇餓が砕けた二刀の柄を合わせ、振りかぶる。刀は消え、その両手に握られるは再び現れた光の剣。その剣に、ティトゥスは全ての魔力を──己の命全てを込める勢いで力を注ぎ込む。本来想定される以上の魔力を押し込まれた剣は強く発光し、握る掌が膨大なエネルギー量に変色を起こし始める……それでも、ティトゥスは魔力を込めるのを止めはしない。
魔力が暴発し、腕が吹き飛ぼうと構わぬ。己全てが灰燼に帰そうと構わぬ。相手がリベル・レギスであろうと、やることは何一つ変わらぬ。
「其処を……退けぇぇぇぇぇぇぇいっ!」
暴走寸前まで魔力を込めた光刃を、リベル・レギスへ──その背のユニウスセブンへと振り下ろす。今優先すべきなのはユニウスの破壊、唯一つ。それを邪魔するならば如何な存在だろうと、全て叩っ斬るのみ!
かつてない魔力を込めた必滅の一撃が、リベル・レギスへ迫る。解放されればリベル・レギスごとユニウスを消し去れるほどの魔力を込められた光刃を、リベル・レギスは右手をかざして受け止め……激しい魔力光が接触点を中心に爆ぜる。刀身から溢れ出る衝撃はユニウスにヒビを入れ、小さな破片は跡形もなく砕け散る。剣を掴んだ皇餓の両腕もその力に耐えられず、ガタガタと震え亀裂が広がっていく。
だが、リベル・レギスはその力に耐える。剣を受け止める右腕は微動だにせず、魔術陣も展開せずに皇餓全力の一撃に耐えている。時折、機体全体が波打つように揺れているように見えるのは、気のせいか?
魔力の嵐が荒れ狂う中、リベル・レギスは受け止めていた光刃をゆっくりと掴み、その手を横に薙ぎ払い──あっけないほど簡単に、光の剣をへし折った。魔力の嵐は収まり、光刃は砕けたガラス細工のように儚い光となって、皇餓の手から消えていく。
「────ッ!」
唖然とするティトゥスの視界を何かが覆った。左手で皇餓の頭部を掴んだリベル・レギスが、圧倒的な力でもってして皇餓を振り回し、ユニウスの破片へと押し付ける。外壁に深くめり込んだ皇餓を掴んだまま、右腕を皇餓に翳す。手首部分からプレート状のパーツが伸び、其処に黒い球体が5つ形成される。
ン・カイの闇。触れた物全てを逃さす呑み込む超重力の塊を、ティトゥスは頭を掴む指の隙間から睨みつけ……直後激しい痛みにコクピットでのた打ち回る。
「ぐああああああああああっ! がぶぁっ! ガアアアアアアアアアアッッ!」
皇餓の右腕が穿たれ、左肩が穿たれ、右足が穿たれ、左腿が穿たれ……最後に、脇腹を穿たれる。ティトゥスの全身に今までの比ではない激痛が駆け巡り、骨は砕け、更なる血が吹き出る。常人ならとうに発狂しているであろう状態でも、ティトゥスは鋼の意思で意識を保っていた──例えそれが拷問にも等しい苦痛が続くことだと、分かっていても。
「……ぁ、ハッ……」
それでも、為すべき事がある。四肢が動かなかろうと、この身朽ちようと、命尽きようと──拙者には今、守らねばならぬものが在るのだ──!
──だがその思いを嘲笑うかのように、冷酷な宣告がティトゥスの頭に響いた。
《──諦めたまえ。世界は今より、終末へ向かって奔り出す──もう誰にも、この流れは止められない──》
「ッ!?」
声が聞こえた。聞いたことがない、いや何処かで聞いたことがあるような声。激しい憤怒と深い絶望、そして狂気たる狂喜に満ち満ちた声……だが、違う。この声は違う。
この声は『背徳の獣』……かつての自分達の主、『大導師マスターテリオン』の声ではない!
「貴様、い、一体……何、者……」
もう言葉を紡ぐことすら困難な口で、問い詰めるティトゥス。わずかな沈黙の後、声の主は答えた。
《──I am Providence of evil──》
リベル・レギスの頭部と胴体を覆っていたシールドがずれ、わずかな隙間からその顔が覗いた。その貌は本来のリベル・レギスの顔ではなく、二本の角と二つの眼──否、頭部に三つ目の眼を持った──
「き、さま……ッは────!」
呻くティトゥスの視界を覆う、光。皇餓の頭部を掴む掌に逆三角形が浮かび、其処から迸る強大な電流の波にティトゥスと皇餓は激しく痙攣し──
《──ABRAHADABRA〔死に雷の洗礼を〕──》
直後、ティトゥスの意識は現世より断絶された。
意識を失う瞬間、ティトゥスは何かを聞いた気がした。
それは狂ったフルートの旋律にも聞こえ、
ウィップアーウィルの喚き声にも聞こえ、
忌まわしき邪神を崇める呪文にも聞こえ、
気高く謳い上げられる、生命賛歌にも聞こえ、
──やらせない、死なせはしない……我が──!
聞いた事のない、なのに聞き慣れた誰かの声に聞こえた。
雷撃を叩きつけられた皇餓がユニウスの奥深くへめり込んでいく。巨大なユニウスの破片に亀裂が走り──内部から一際大きい電撃が弾けた瞬間、その巨体は砕け飛んだ。
分かれた破片は大きく広がりながら、リベル・レギスを通り過ぎて堕ちて行く。それを眺めながら、リベル・レギスは大きく手を広げて身体を振るわせた──まるで高哂いを上げるように。
哂いながら、リベル・レギスの身体は輪郭を崩して行き……血飛沫となって、その場から跡形もなく消えた。
「……なんてこと!」
ミネルバのブリッジで、コンソールに手を叩き付けたタリアにアーサーはビクリと身を震わせた。既にタリアと同じ考えに至っているデュランダルは深刻な表情で口元を押さえ、カガリは顔面蒼白でモニターを眺めている。
色々と理解の範疇を超えている現状の中、様々な要因の連続によって『最低限の破砕』は成った。地球の破滅はこれで防がれるだろう……あくまで、破滅だけは。
「あの紅いの……最後の最後になんてことを!」
「艦長! やはりジュール隊からの回答も一緒です! 破片の拡散距離が広すぎて、全てを撃ち落すのは無理だと!」
メイリンの泣きそうな声がブリッジの絶望感を更に深める。
砕けた破片はまだかなりの大きさを持つものが多く、かなりの数は燃え尽きずに地球に落ちるというの大方の予想だ。そしてあの紅い巨人の一撃によって勢いが付いたのか、破片は大きく広がりながら地上へと落下していく。
艦砲射撃で幾つかは落とせるだろう。だが全てを落とすのは不可能……そういう結論が出たのだ。
「どれだけの被害が、どれだけの死者が出る……オーブに、いや地球に住む人々はどうなる!」
悲痛な叫びを上げるカガリに、答えを返せる人間は居ない。タリアは振るえる拳を押さえ、真一文字に引き締めた唇を開いた。
「……議長とアスハ代表は小型艇に移って下さい。ボルテールに回収するよう連絡を入れます。ミネルバはこれより、大気圏突入と平行して破片を砲撃します……お二人を付き合わせるわけにはいきません」
「ぅえええっ!?」
副長を初めとして、幾つかの驚愕の声がブリッジから上がる。確かにそれなら多少は多くの破片を破壊できる可能性もある。だが、危険も大きい。破片にぶつかれば一巻の終わりだ。確かにVIP二人を乗せたまま行うのはまずいだろう。
「……分かった。頼んだぞ、タリア」
「私は残るぞ! 我等オーブの、地球の未来がかかっていることだ! 見届けなければならない! 頼む艦長!」
デュランダルは素直にその言葉を受け入れるが、カガリは断固として拒否する。溜息を付きたくなったが問答の暇はない。タリアは頷くと何時もの凛とした佇まいを取り戻し、ブリッジに命令を響かせた。
「小型艇の離艦とMS隊の回収が終了次第、本艦は大気圏へ突入する! MS隊を急いで呼び戻して!」
「あ、ああ……」
絶望感で染められた貌で、シンはただその様を眺めていた。
争う二体の巨人。砕かれる剣を持った巨人とユニウスセブン。消え去る真紅の巨人。そして、大地に降り注ぐ流星。
『シン、どうした?命令だ、ミネルバに戻らなければ……』
『ちょっとシンどうしたの?ねえってば!』
既に冷静さを取り戻したレイや心配げなルナの声は、耳に届いていなかった。
「チクショウ……チクショウ……」
何も、出来なかった。破砕することが出来なかった。巨人が力を奮うのを見ているしか出来なかった。真紅の巨人が剣持つ巨人を蹂躙する様を──ティトゥスが葬られるのを黙って見ているしか出来なかった。そして今、地球に落ちていく破片をただ眺めることしか出来ない。
──何も変わってないじゃないか。オーブを逃げ出してプラントに行って、ザフトに入って必死で自分を鍛えても、赤服を着る資格と新型MSを手に入れても……結局俺は何も出来ない。
また、守れなかった。地球も、罪もない人も──ティトゥスすらも、見殺しにするしかできなかった。今の力なんてちっぽけなものでしかなかった。守るなんて自惚れだった。結局自分は、見ているだけ。
「……ッッ!チックショオォォォォォォォォォォォォッ!」
『……シン……』
シンは慟哭する。己の無力に、認めがたい現実に、多くの命の死に……恩人の死に。アスランは勿論、その慟哭を聞いた誰も、彼を慰めることは出来なかった。
コズミック・イラ73年10月3日、地球に落下中だったユニウスセブンはザフト軍の活躍により破砕は成功したものの、燃え尽きずに落下した十数個の破片は世界各地へ落下。地球上の各国は大小の差こそあれ、ほぼ例外なく被害を受けた。落下地点周辺への被害は勿論、海上に落下した破片の影響で起きた津波等の二次災害による被害は凄まじいもので、実に億単位の人命が失われた。歴史的建造物や都市一つが丸々消し飛んだ地域もあり、被害総額は計算しきれないほどのものだったという。
後に『ブレイク・ザ・ワールド』と呼ばれることになるこの大惨事が引き金となり、再び世界全てを巻き込んだ、かつての大戦を超える騒乱が起こることとなる。
──ここまでが公式の記録。だが、この事件には正式発表されていない、隠されたある『真実』があった。
軍の一部だけにその存在は映像とともに明かされたが、すぐに噂や口コミ、ネットを通じて一般にも流れ──『ユニウスの魔神』の映像は早々と地上、プラントの民衆にもに伝わった。だが誰一人、連合かザフトの秘密兵器ではないか等の事実無根の話を上げず、むしろその内容を疑問視する、否定する人間が多数であった。
無理もない。映像を見た人間のほとんどは、その強大すぎる力を恐れ、恐怖し、その存在を認めることを拒んだのである……だが、真実は拒みようがないということもまた、誰もが分かっている事だった。
そしてこの巨人の出現を契機として、世界はヒトの理解と限界を超えた超常的な力の存在──俗に言う『魔術』の存在を、半信半疑でありながらも認識しだすこととなる。
そして、一部の宗教家やオカルトマニア……それとこの日から極秘裏に、しかし活発に活動を開始した『とある宗教結社』の人間は、この日をこう呼んだ──
──『神が降臨した日』と──
『ミネルバが降下する?……くそっ!』
『イザーク引こうぜ、もうオレたちにゃどうしようもない……悔しいがよ』
「そうですね……」
ジュール隊の面々は堕ちて行く破片と、それを追うミネルバを見つめる。MSではこれ以上地球に近寄ると重力に引きずられる可能性がある。無念ではあるが、三人はミネルバへと敬礼することしか出来なかった。
青いザクに乗るジュール隊の紅一点にして赤服の一人、シホ・ハーネンフースはヘルメットのバイザーに覆われた顔を悔しげに歪め、唇を噛む。周りには沈着冷静と思われている彼女だが内面は結構熱く、実はすぐ感情を外に出すイザークと本質は近いものがあったりするのである。
(まだこんなに残ってるのに……もっと私がしっかりしていれば!)
故に、彼女もまた外に出さぬだけで、イザークやディアッカに劣らぬほどの悔しさを噛み締めていた。
『シホ!何してる撤収だ!』
「は、はい隊長!」
少し物思いにふける内に二人において行かれたらしい。すぐに追いかけようとして、ふと視界の端に見えた破片の一つが光ったのにシホは気付いた。
「……えっ!?」
反射的にそちらを向いたシホは目を疑う。見たことのないモノアイの重装甲MSが破片に取り付き、携えた一振りの刀で叩き斬ろうとしているのだ。
無茶だ。あの破片はもう地球に近づき過ぎている。早く離脱しないと一緒に重力に捕まり、落下前に燃え尽きるか爆散するかのどちらかだ。
「なんてことを……そこのMS!よせ!それ以上は……」
通信周波数を合わせようとコンソールに手を伸ばしたその瞬間、シホの手と表情が、固まった。彼女の目に、新たな『モノ』が飛び込んできたためである。
刀を持ったMSの傍にもう一機MSが居た。こちらは見たことがある、ジャンク屋組合が一般に貸し出している作業用MS『レイスタ』だ。それはいい。
問題は、それの背にくっ付いているモノだった。
──ドリルだった。軽くMS一機分の質量はあるんじゃないかと思えるほどの巨大なドリルが二機、レイスタの背から伸びたアームにくっ付いている……頭部もやけに四角くて丸い目と角ばった口が付いているようなデザインに変化しているが、そこはぶっちゃけどうでもいい。
二基のドリルが後方から火を噴き、急加速したレイスタが破片へと突進し……回転するドリルの先端が破片の一つに触れた瞬間、破片は粉々に砕け散った。
(は、はいーーーーーーッ!? ウソでしょ、幾ら速度と高速回転の力が加わったからってあの破壊力は……しかもあの質量であの加速力何!? 推進器と燃料何!? そもそも誰よあんな■■■■なシロモノ造ろうなんて考えた■■■■はーーーーーー!)
不条理極まる兵器の出現は、元々技術畑の人間であるシホの心理を大いにかき乱した。彼女にとって先程の巨人なんかよりよっぽど信じたくない光景である。
そしてうろたえた彼女の手がたまたま通信周波数調整用のダイヤルにぶつかり、たまたまその周波数がレイスタの通信周波とピッタリ一致した──実に不幸な事に。
『ドリル・トルネード・スイィィィィィィィング!砕くぜ砕くぜ、おっきな隕石砕きまくるぜであ~る!我輩のドリルのDADAッダーーンッ!なマグナム具合に、全国一千億の我輩のファン諸君の心はスィングスィングスィンガソン胸キュン愛ラブ(ハァト)。ブゥレイクブレイクブレイクァーウッ!と東へ西へ走って走って、必死こいて稼いだ給料は上司の競馬へと消えました。チキュウコウテイなんぞに賭けてんじゃねぞこの生ハゲがーー!』
『文句あるなら給料下げたろかああ~んっ!? ロボ~!』
ブツッ!
即座にダイヤルを一気に回して通信を断つ。視界にはまだ破壊を続ける変な『幻』が見えるが、振り向いて目を瞑って黙殺する。通夜のような沈痛な面持ちで、シホはブツブツと念仏のように呟く。
「……私は何も見なかった。私は何も聞かなかった。そう、アレは夢! 白昼夢! 混乱した脳が作った幻に幻聴!そうよシホそれでいいのそれが正しいの! よって報告する必要も思えている必要も無しッ!」
『コラ何しとるかシホーッ! 置いて帰るぞ!』
「は、は~い隊長! 今戻りま~す!」
こうして、その不条理の存在は今しばらく闇に葬られることとなる。同時に、その二人のおかげで落下する破片の20%近くが破壊されたことも、誰も知らぬ事実と相成ったのであった。
to be continued──
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