EVAcrossOO_寝腐◆PRhLx3NK8g氏_04話

Last-modified: 2014-03-30 (日) 00:18:20
 

第四話前編「知られざる者達」

 

 黒い人影が山の影から降ってくる。その人影の正体は実際高さ10mを軽く超える巨人の跳躍。
 つま先に引っかかる木々は折れながらも、黒い巨人は停止した初号機の背中を踏みつける。
 手に持つは巨大な剣。緑色の粒子を吹き散らしながらも使徒の頭部へと突き刺していく。
 鰻を捌く為に打ち付けられた釘の様にその剣は使徒の頭に対して深々と貫通し
 蒲焼の串の様に波打って、胴体の手前の方にも切り込みを入れる。
 通常兵器に対して全く歯が立たなかった使徒の甲殻に対して
 熱したナイフでバターを切る様に融けていく。黒い巨人EVA参号機が持つ剣は
 滑らかな曲線を刀身に柄の先はケーブルがつながれており
 参号機の背中のアンビリカブルケーブルの接続部分へと伸びていた。
 光球の部分に突き刺していたナイフはそのまま刃の先から折れてしまい
 初号機は衝撃に対してもそのまま膝を突くことなく、彫刻の様に其処にたたずんでいた。

 

「遅れました!」
「言い訳と謝罪はいい! 武装の説明を”簡潔に”!」
「参号機のGNドライヴから運用した
 試作白兵兵装GNマゴロク・エクスターミネート・ソードのシリーズ1です」
「……よく噛まずに言えたな」
「名前が長い! もっと短く!」
「では、以後はGNマゴロックスで」

 

 通信から聞こえてくる女性の声に悪態をつきながらも返事を返すサーシェス。
 声の主は伊吹マヤであった。遠隔通信かそれとも移動中の所為か若干音声が乱れてはいたが
 二人の通信会話を聞いて『え、変えちゃった良いの!?』という視線に
 思わず振り替えざる終えなかった司令部の人間が約半数。
 その動作をした数名が頬を僅かに赤らめつつも作業に戻っていく。
 感嘆をもらす青葉を尻目に突き刺さったそれから逃れる様に後退する使徒。
 引き裂かれた頭はまるで先割れスプーンの様になっており
 その切り裂かれた肉の部分が時ゅくじゅくと膨張し、再生をしようとしている。
 それを待たずして、丁度初号機との間に割り込む様に着地をする参号機。
 使徒の頭部を貫通させた剣を左手で引き抜きつつも暫しの対峙。
 
「GNドライブから粒子と微振動を加えた白兵兵装です。威力は映像の通り。
 参号機のGNドライヴにより内部電源の持続時間が飛躍的に延びましたが
 この武装の展開中は以前の内部電源の持続時間と同等しか動けません。
 また、試作段階なので本来の用途であるAテ――」
「其処でストップだ! 制限時間付きの武装ねぇ。まぁ、運用すりゃ良いんだろ!」
「説明は受けている。残り2分でけりをつける」

 

 やはり省略することの出来なかった長ったらしい説明を途中で切り捨てて
 参号機パイロットの刹那は僅かに通信を返した後、初号機の手を取る。
 ぎぎっと関節が軋む音が聞こえそうに鳴っている初号機をそのまま右手で背負い込む様にして
 
 投げる。

 

 初号機は大の字をさかさまにした様な格好でそのまま使徒にぶつけられた。
 光の鞭で応戦しようとするもその質量と速度に対処することも無く、弾き飛ばされる。
 糸の切れた操り人形の様にずるりと使徒の前面から垂れ下がり、脳天から地面へと落ちる。

 

「初号機下方の緊急回避用の隔壁開放! 初号機を回収する!」
「D-5地区隔壁パージ! 初号機ケージ内で落下中!」
「よし、懸念は一個消えたな」
「救助した子とパイロット……大丈夫かなぁ?」
「んなこたぁ俺が知るか。命令違反の自己責任だ」
「……無茶をするな」
「勝てば問題ないと今は言っておくしかあるまい」

 

 中のパイロットが最早どうなっているかは想像したくないほどの粗末な扱いを気にする節も無く
 サーシェスの指示と同時に道路が割れる。頭から初号機は地下へと落下していった。
 流石にどうかと思ったのか青葉が一言口に挟みそれをアリーが無責任な発言で返す。
 浮遊する使徒にはあまり効果が無かったが、狙いは別にあった。
 丁度初号機がズレ落ちて地面へと落ちるのと入れ替わる様に
 剣をまっすぐに突き立てた参号機の突進。丁度初号機が落ちた穴の淵を蹴り上げて飛び掛り
 初号機が既に傷を付けていたコアの皹を狙い済ましたかの様な一撃で貫く。
 先ほどまでの苦戦が嘘の様なあっけない勝利に司令部は歓声を出すのも忘れ
 殆どのものが呆然としていた。冬月は今後のコトヲを思う頭が痛い様ではあるのか
 僅かに首を傾けて左右に振る。それのぼやきに返している司令の自己暗示の様な返答に
 眉間に皺を寄せて黙り込んでいる。勝利の確信は喜ばしいがそれを差し引いても
 余りある問題点が浮き彫りにはなっていた。
 
「目標の沈黙を確認。刹那君、そのまま使途の死骸を指定の場所に運んでくれ」
「了解した。GNマゴロックス発動解除」
「ふぅ……あーあー、くそ!」
「ま、負けるよりは良いと思うしか……ねぇ」
「わーってるよ! こりゃ、早めに作戦指揮官殿って奴に来てもらわねぇとダメだな。
 小娘があそこまで使えんとは……おまけに新しい武装もアレじゃぁな」
「数分で終わらせろって言うのも厳しいですしね。で、それって葛城一尉ですか?
 何とか口説き落として、再生治療に入らせたとは聞きましたが」
「いや、あれはすぐに使えそうにはないな。予備のご推薦をあたるしかねーか」

 

 光の鞭も消えて、ただの木偶になった使徒。その巨体は悠然と立ち尽くしている。
 流石に一度目の勝利とは違い、司令部の誰もが重い空気に飲まれていた。
 幸い今回はまるまる相手の姿が残っているから分析などデータは取れるだろう。
 指示通り、その巨体を担ぎ上げる様にして抱えていく参号機を最後にいったん映像は途切れた。
 眼下の問題は兎にも角にも機体運用に尽きる。戦略的思考が無いという事は辛く
 戦術的検知から見れば、対応出来るのがほぼ刹那だけと言う状況。
 それは替えの利かない少年一人に全てに委ねているのと同意義であった。
 ワンマンアーミーに賭けて良いのはフィクションの中だけの話だ。
 誰もがこの綱渡りではダメだと言う危機感の渦中にあった。
 アリーは苛立ちを隠せずに壁を蹴る。慰めの言葉すら火に油を注ぐ様で
 青葉の言い回しもおっかなびっくり気味の声色であった。
 現実は厳しい。殆ど良く解ってない今まで人類が扱った事が無いサイズの人型兵器を
 16歳やそこらの子供達を乗せて運用する。
 更に敵は此方も正体どころか形状や襲来時期すら不明な謎の未確認生命体。
 これらに対応すると言うのは発想力の問題だ。尚且つ軍事的戦略を考慮できる人材は限られる。

 

「ところで、青葉君。民間人が被害にあったって聞いたけど」
「え? ああ、同じクラスの子らしい。相田ケンスケ、沙慈・クロスロード、ルイス・ハレヴィの三名。
 まったく、避難警報はちゃんと出してたってのに。警備は何やってたんだ?」
「え? クロスロードにハレヴィ……それって」
「ぁん? サイボーグ女も知ってたみたいだがガッコでなんかあったのか?」
「ええ。ちょっと……はぁ。刹那君は大丈夫って言ってたのに」
「大抵、子供はそーいうもんだよ。報告じゃなくて願望と隠したい気持ちが強いのさ」
「自分が出来る前の予行練習させてる訳じゃねぇんだぞ? ちゃんとしとけよ」
「……っもう、他人事だと思って! まぁ、ちょっと帰ったら話してみます。
  そもそも、誰が押し付けたんだと……」

 

 通信越しに恐る恐るたずねるマヤに対して、青葉は程よい逃げ道と感じたのか
 処理の手を一旦止めて通信を返す。お互いの苛立ちを他にぶつける様は酷く醜くくみえているのは
 承知の上でもそれを吐き出さずには居られなかった。ちゃかす様な青葉の言葉に
 サーシェスも無責任な言葉が追撃を許す。行き成り来た矛先に
 場の状況があまり読めてなかったマヤはより重く受け止めてしまい、深刻さが顔に滲み出ていた。

 

―第五使徒シャムシェル襲来前日

 

 詰め寄る校舎裏での問答を傍目から見るといかにも青春ドラマの一場面の様なシーンを彷彿とさせる。
 残念ながら当人同士の会話は皆、たどたどしい英語とアラビア語、怒りで早口になってるスペイン語。
 如何見ても海外の吹き替えられた日本ドラマどころか登場人物も白肌金髪の少女、やや栗毛色の少年に
 褐色肌と黒髪でターバンを首元に巻いている少年と言う実に国際色豊かな面子で
 そもそも、此処が本当に日本だという事が疑わしい程であった。

 

「刹那君。君、ネルフって所に行ってない?」
「……質問が何を言っているか解らない」
「惚けないでよ! 沙慈はアラビア語解るんだから!」
「俺の地方とは違う言葉みたいで。君の英語もスペイン訛りが強くて聞き取り辛い」
「なんですって!」
「……いや、ルイスの英語は確かに癖が強いし」
「沙慈! どっちの味方なのよ!?」

 

 刹那が数分前にちょっと顔を貸して欲しいという有無の問答して、現場に着いた途端
 この金髪の少女ルイス・ハレヴィのマシンガンの様なスペイン語に圧倒された後
 隣に居た少し優しい雰囲気の少年沙慈・クロスロードのアラビア語通訳で話が進められていった。
 刹那は何処でその情報を聞いてきたか解らない様子で首をかしげてわからない演技をしている。
 ニュアンス的には演技力がどうのこうのというレベルではなく、そもそもお互い不慣れな共通言語で
 会話をしているのでそれが嘘どころかどういう意図なのかすらよく解らない。 
 ルイスも途中から英語に切り替え始めたのだが本人はスペイン語の基盤が強いのか
 沙慈も聞き取り辛い程の訛りが入っており、わざわざ沙慈が訳している程だ。

 

「あんな事件の直後に転校なんて怪しすぎるわ。天涯孤独なんていかにもありがちじゃない!」
「えーと、ほらこの事件のあった後引越してくるのは変だって」
「それは前に村が紛争で無くなったと。此処に着たのも日本の支援者の方の意向で」
「嘘っ! ネルフが子供を集めて実験やってるってのは沙慈の御姉さんが調べてたんだから!」
「過去形?」
「まぁ落ち着いてよ。ほら、人が見て………!?」

 

 ルイス過激な発言は一種の排他性、差別を感じられる程だった。何か余程因縁があるのだろうか。
 傍から見れば純粋に刹那が有色人種だからと言う理由だと疑いかねない程の剣幕であった。
 本来、この手のシチュエーションなら男が食って掛かり、女がそれを止める様な流れなのだろうが
 この場では全く逆であった。ルイスは手こそ出さないが酷い言いがかりを吹っ掛けまくっている。
 刹那にとって軽いカルチャーショックでもあった。何をこの女は怒り狂っているのだろう?
 疑問と疑念が耐えない中、ヒントを口に出すがそれにも疑問が付随されている。
 取り合えず、何となく発音の箸から過去の話であるのはかろうじて推察できた。
 そして、それとは全く同じ状況と時間軸において沙慈は全く別の衝撃を受けていた。
 余りの剣幕に視線をそらしていたら、ふとその視界の中に人影が見えた。
 生徒の誰かが二階の窓からその様子を眺めている。
 不味いと思ったのかルイスを止めようとするが現実はそれの斜め上をいく。

 
 

「……ええぇっ!?」
「沙慈、何? 変な声出して」
「ちょ、ルイス伏せ……うわああっ!?」

 

 沙慈の素っ頓狂な声に問い詰めていたルイスも手を止めて沙慈を見ると別の方向を眺めていた。
 沙慈が見たのは自分達の様子を見ていた女子生徒が二階の窓を開けると其処から飛び降りた。
 その時点で沙慈は軽く思考停止をする。
 その女子生徒はそのまま膝を曲げ片手をついただけで地面へと着地。
 砂煙を軽く上げた後、自分達の方へと駆け寄ってくる。片目に眼帯、更に左手は骨折しているのか 
 ギプスをつけたままだった。もうこの時点で訳がわからない。
 古今東西怪我人は大人しくしているモノだ。だが、女子生徒の行動は止まらない。
 駆け寄った後、左足を横に向けてブレーキをかけ、それを軸足に右足で後ろ回し蹴りを繰り出す。
 狙いはルイスの頭部だ。沙慈はそれに気付き、ルイスを伏せさせようと突き飛ばす。
 そして、狙いを定められていた女子生徒の足は沙慈の頭部へと打ち付けられて体を吹っ飛ばす。
 音と砂煙を立てて沙慈は地面へとたたきつけられて、真っ白な制服が茶色に汚れていく。
 ルイスはその一連の動きに口をパクパクとさせながらも事態を飲み込む事に時間を掛けていた。

 

「ちっ、外したわね。優しい彼氏さんだこと」
「お前は何をやっているんだ」
「あら。助けてやってるのに素っ気無いね」
「別に助けを求めてない」
「沙慈大丈夫!?」 
「く、首が……う、うん。大丈夫かなぁ?」

 

 悔しそうに舌打ちをする少女。沙慈もルイスもその人物は名前だけは知っていた。
 刹那が転校する数日前に怪我で長期に休んでいた同じクラスの女子生徒ヒリング・ケア。
 二人には交遊は無かったというか殆どの生徒と接点の無い彼女の登場は想定外だ。
 その彼女に対し、素朴な疑問が突っ込みと同意義に等しくなっている刹那の言葉。
 ルイスは倒れた沙慈に駆け寄って介抱をする中、三人はヒリングに視線を一斉に向ける。
 首を抑えながらも沙慈は立ち上がる。ズボンについた砂煙を払いつつも
 ルイスを落ち着かせようと少し強がってみせた。結構綺麗に入ったのかずきずきと痛みが続く。
 湿布ではすまないかも?と思いつつも向けられた視線の矛先は
 むしろ、何で疑問を思っているのか不思議そうな表情を見せている。
 
「ちょっと……えーと、ケアさん? 何なの!」
「ん? 喧嘩してたんでしょ? だから、その喧嘩買ってやってんのよ」
「「!?」」
「最初は見物してたんだけど、何時までも始まんないからさぁ。混ざった方が早いと思って。
 しっかし、ひょろいボディガードね。あの位の蹴りで膝をつくなんて」
「療養はどうした」
「登校許可は明日からなんだけど、ちょっと用事を頼まれてね。
 そしたら、面白い事になってるし、コレはもうボコりに混ざるしかないじゃない」
「そんな無茶をするから怪我の治りが遅いんだ。じっとしていろ」
「へーきへーき。足はもう治ってるし、手を使わない位が丁度良いハンデになるわ。
 リハビリやんないと勘も鈍るしね。あ、それとも心配してくれてる?」
「それは俺の役割ではない」
「……ちょっとあんたら」
「知り合いみたいだね」

 

 外国籍の人間とはいえ、人間として一般常識的を持っている沙慈とルイスにとって
 ヒリングの言葉は一瞬受け入れがたいものであった。何処の蛮族だ。
 言動に目を疑っている中、二人の驚愕をほぼ無視する形で刹那の方へと声を掛けている。
 それにつられて刹那も素らしき先ほどの穏やかな言葉の調子から
 言葉は冷淡かつ厳しい言葉遣いへと変わっていく。そんな変化を気にすることも無く
 松葉杖とギプスから介抱された足首を地面に擦らせて柔軟体操をしているヒリング。
 むしろ、飛び降りる前にやっておけと言わんばかりにジト目で睨みつける刹那。
 沙慈とルイスの視線など何処吹く風か。和気藹々?と話す様子は
 先ほどの常軌を逸した行動とのギャップも併せ持って話に入れる空気ではなかった。 
 ひそひそと会話によりコンセンサスを続けた後
 二人の温度差のある会話に意を決して割り込む。

 

「あのね、あたし達は別に喧嘩をしたい訳じゃなくてちょっと聞きたい事が」
「喧嘩じゃないの? つまんなーい」
「つまんないって、そんな。いや、そういうのじゃなくてさ」
「で、何か知らないけど、なんで教えなきゃならないのよ? 何の義務? 誰の命令?」
「いや、義務は無いけど、僕達はその」
「なら話はお終い。こんなのに一々構って時間の無駄だわ。特に豚の態度が気に入らない」
「豚!?」
「あんたの事よ、雌豚。スペイン産だからイベリコ豚かしら? 良い血統なんだっけ?
 ほら、スペイン語なら解るでしょ、イベリコ雌豚ちゃん」
「あんたねぇ……割って入って何言ってるのか解ってる?」
「あら、彼氏の前では猫被るの。豚が猫を被るって何の冗談?
 ねぇ、男の影に隠れて猫も被って中身は豚とか最悪だと思わな~い?」

 

 会話に入るルイスに明らかに鬱陶しそうにヒリングは睨み返し、わざと話を遮って不平を漏らす。
 一瞬その視線に怖気づきそうになるがそれでも引かないのを見れば
 ヒリングは挑発的な文言をわざと混ぜる。AEU圏では豚という形容は肥満を指す事よりも
 侮蔑として強いインパクトを与える。宗教認識が変わっていくとはいえ
 年頃の少女には一瞬何を言っているか解らない程の衝撃。
 それを更に煽るかの様にわざわざ言語を切り替えて追撃する。
 拳を握り締め、今にも掴みかかりそうな程、目に見えて怒りの形相を見せるルイス。
 沙慈が居なければ、もう既に乱闘が始まっていたかも知れない。
 その様子をサディスティックな快感を感じつつヒリングは楽しげに腕を組みながら嘲笑う。
 沙慈も刹那もスペイン語の習熟の関係から何を二人が話しているのはわからないが
 トコトン険悪な状態になっているのは 誰の目に見えても解る。
 刹那は手が出さない限り止めるつもりは端から無かったのだが
 沙慈はそれでもおろおろと事態の悪化に対処するべく割って入るタイミングを探していた。

 

「喧嘩売ってんの?」
「喧嘩買うって最初に言ったでしょ?」
「あ、あのケアさん? さっきから何を言って」
「何かを強請っただけで得ようとする発想は柵に囲まれた家畜の豚と一緒って言ってやっただけよ。
 あんたも彼氏ならちゃんとイベリコ雌豚の躾け位しといてくれない?」
「あ、いやその。ちょっとそれは」
「あんた、さっきから……あたし達はn」
「ピーピー鳴くな。うるさいのよ」

 

 やや、ドスの聞いた声で言葉を返すルイスにヒリングはしれっとした態度で
 ギプスをしていない方の手でくいっくいっと指を折り曲げて挑発する。
 コレは不味いと思ったのかルイスが一歩出る前に沙慈が間に入ってヒリングへと問いかける。
 少し残念そうな視線を向けながらも面倒臭そうに日本語に言語を切り替えて返すヒリングの答えた。
 沙慈もある程度の口汚い言葉を想定していたがそれでも衝撃は大きかった。
 動揺が言葉を濁している中、更に突っ掛かろうとするルイスが
 出てきたところを見計らってヒリングはルイスの顔を掴む。
 親指と人差し指が頬を掴んで少し顔を不細工にしつつも、薬指と小指が喉元に食い込ませる。
 握力は女の細腕とは思えないほどの力でそれにも驚きを隠せない。なんというか色々規格外すぎて
 さっきからルイスは驚かされっぱなしだった。

 

「豚の事情なんて興味ないの。どうしても何か知りたければ力尽くで聞き出してみたら?」
「その位にしておけ」
「えー、良い所なのに」
「……っ!」
「ルイス行こう。これじゃ話にならない」
「……沙慈!」
「喧嘩はダメだよ。刹那君も悪かったね。ケアさんもその……もうちょっと穏便にね?」

 

 喉へと食い込む痛みを受けてルイスがヒリングへと反撃をする為に
 手を伸ばそうとする前に刹那がヒリングの腕を掴む。
 ヒリングが既にルイスの腹部に蹴りを入れる準備動作を見ていたからの行動だった。
 そして、視線でそれを沙慈に促す。そのやり取りにヒリングが不平を漏らしている中
 沙慈もルイスの肩を掴んで引き離すのと同時に手を離し男同士が合間に入ってけん制をする。
 ルイスは暴言と行動に傷つけらた分を巻き返したいと視線で訴えていたが首を左右にふる。
 刹那とヒリングに苦笑いを混ぜたまま頭を下げてルイスを連れて行く。
 涙目に抗議をしたそうな顔をしたルイス。大きく口を開いて「バーk」と言いかけた瞬間
 満面の笑顔でヒリングはギプスをしていない方の手で中指を立ててルイスへと向ける。
 ソレを見てもう何かを言う気力も残っていないのかすごすごと苛立ちを隠せないまま帰っていった。

 

「あまり、感心しない。騒ぎを起こすなと言われている」
「これで学習するから良いのよ。こそこそ嗅ぎ回られても気分悪いしね。
 あっちがあれ以上何か無茶すれば諜報部が止めるし……それともお友達になりたかったの?」
「いや。そうではないが」
「ならいいじゃん。無理する事は無いのよ。私達の仕事は別にあるでしょ?」

 

 二人が見えなくなれば、殺気立っていたヒリングも棘が抜け、あっけらかんとした表情と態度で
 刹那の方へと振り向く。そのギャップに驚くことも無く、刹那は憮然とした態度でいた。
 しかし、続くヒリングの問いに僅かに考えた後の刹那の即答。
 ヒリングは目に見えて非常識だが、そもそも自分がこの国の常識に当てはめて
 正常かと問われれば間違いなく違うと言わざる終えない。
 自分の立場を考えると下手に係わり合いを持つよりはと言う判断も出来る。
 困惑したがそれが伺えない無表情のまま視線を泳がせている刹那を
 にまにまと楽しげにヒリングは見ていた。その視線をどう受け止めて良いか解らない刹那は
 顔を逸らして視線を泳がせている内にふと見知った人影が映る。
 何処から見ていたか解らないが話しかけようか迷っていた雰囲気だった。

 

「どうした、フェルト・グレイス」
「あ、あの」
「あら、五番目(フィフス)。どしたの?」
「二人とも16:30の集合時間聞いてない? 予定変更になったって」
「あー。そーいや、それで迎えにきたんだっけ? ごめんごめん」
「それを先に言え!」
「今思い出したんだから仕方ないでしょー? じゃ今靴取ってくるから」

 

 ヒリングに五番目(フィフス)と呼ばれた少女フェルト・グレイスに刹那がフルネームで尋ねると
 やや弱弱しい口調で話し掛け近寄ってくる。原因は二人の空気もあるが「なんでまだ居るの?」
 と言う事の方が強かった様で情報を確かめる様に二人に問えば、刹那は首を僅かに傾け
 ヒリングは手をぱんっと叩いていかにも今思い出したという様子をアピールする。
 その事を平謝りしながらも珍しく怒りを見せる刹那を相変らずニマニマと楽しげに観察した後
 きびすを返して上履きのまま、昇降口へと向かうヒリング。僅かにため息を吐いたまま
 ふと、なんでわざわざ人を使わせてきたのだろうという疑問。
 かといって今から追いかけて見るのも何か釈然としないというか
 また、当人の悪戯にまんまと引っかかりに行く様で躊躇われた。 

 

「何やってたの? 携帯にも出ないから怒ってたよ」
「……原因は解った。問題ない」
「そ……そう」
「俺も鞄を取ってくる」
「解った。それじゃ校門で待ってるね」

 

 フェルトの指摘にはっとした様子で携帯を見れば、マナーモードにしたままなのを忘れていた。
 既に留守電とメールが10件近く入っている。それに気付かない程自分は
 あのやり取りに、気を使っていたことに刹那は驚きを隠せず
 苦々しい顔を僅かに見せた後、自己暗示をかける様に呟く。
 フェルトもそれ以上突っ込むことは無く頷き返すがそれでも
 この一件は諜報部からの報告は上がったおり、伊吹マヤが当人に尋ねた結果
 今の様子とほぼ同じく「問題ない」との一言で終了。
 それ以上話題に上がる事は襲撃の当日までなかった。

 

次回予告
 フェルト・グレイス。EVAパイロットとして2年前の零号機起動実験後
 何の準備も無く登録された少女は未だに自分の存在意義を見出せてはいなかった。
 己の無力さは周知の上、それなのに何故自分が乗せられ続けているのか解らぬままに過ごす日々。
 閉塞する気持ちを振り払う事も出来ない彼女の日常を変える事は出来るのだろうか?

 

第四話中編「逃げ出せぬ夜」

 

次回はちょっとまったり展開でサービスサービス♪

 
 
 

第四話中編「逃げ出せぬ夜」

 

―第伍使徒襲撃の翌日、NERV直轄の病院の病室にて

 

 瞼を開ければ其処には見知らぬ天井と言いたい所だが
 現実には何度もお世話になっている施設内の病院だと
 EVA初号機パイロットフェルト・グレイスはおぼろげな意識の中で認識できた。
 目の前にはあの男が立っていた。通信越しに死ねと言わんばかりに
 罵詈雑言と命令を浴びせ掛けてきた男。普段より無精ひげが薄くなっており
 あまり着ているところを見ないびしっと決めたスーツ姿が違和感を感じさせている。
 寄りにもよって一番目を合わせたくない人物とご対面をしてしまった。

 

「”何故命令違反をした?”と聞いてくれると思っているか?」
「いいえ」
「ま、なら話は早ぇ。さっさと首にして追ん出してやる。
 命令が聞けん奴に持たせる程、手軽な玩具じゃねぇからな、アレは」
「……」
「と言いたい所だがーーーっ! お前は司令のお気に入りだからな。お咎め無しだとよ!
 全く、お役所組織は甘いこった」

 

 にこやかな怒気の孕む顔で質問される。ソレに答えれば、ふんっとつまらなそうに
 息を漏らし、顔色は怒気を通り越して、愚か者への憐れみに満ちた色合いへとなる。
 怒声を孕んだ重苦しい声にフェルトの心臓は押しつぶされそうになってしまう。
 続けられる言葉の流れからフェルトは自身の解雇が当然だと思っていた。
 それに応えるかの様にアリー・アル・サーシェスは突き放す言葉を発するがすぐに撤回される。
 フェルトはそれに目を僅かに大きくして、うつ伏せていた顔を見上げる。するとアリーの目には
 苛立ちと怒りが孕んだ侮蔑的な視線を向けられ、すぐに顔を反らす。
 苛立紛れに近くにおいてあった、空のゴミ箱が蹴り上げられる音が
 耳に飛び込んできたがそれでも向きあうことは出来なかった。

 

「何故ですか? 私はあの人と話したこともない」
「前任パイロット絡みのセンチメンタリズムとか言えば、手前もちったぁヤル気は出るか?
 あの顔で似合わねぇけど、中々繊細なんだとよ。アレで」
「あの……私はやっぱり向いてないですよ……ね」
「……あのなぁ? そーいう愚痴や弱音はサイボーグ女に言え。ただな?」

 
 

 フェルトにとって司令の碇ゲンドウと呼ばれる男との接触は殆どない。
 正式採用をされた時も簡単に面通しの様なモノがあっただけで挨拶すらなく
 サングラス越しですら自分を見ていたといえる記憶は一欠けらもなかった。
 それゆえにアリーの台詞には違和感がある。正直、本人としては自信を喪失していた。
 上手く出来ないのは解っていたが、何故自分が今この場に居られるか記憶もない。
 回収されたという記憶すら曖昧で何故か頭にコブが何個も出来ていたり
 打ち身があっちこっちに出来ていたりとろくな目にあっていない。
 なんで自分はこんなに辛い思いをして乗っているんだろう?
 疑念と諦めが支配しているのが見えたのか
 アリーはぐっとフェルトの前髪を掴み顔を覗き込む。

 

「こちとらお守りやりに中東から来てるんじゃねぇ。これでも手前が死なねぇ様に頭使ってんだ。
 査定に響くからな? そこら辺考えてちったぁ行動しな」
「……解りました」
「なら、いい。じゃ、後はサイボーグ女が迎えに来るまで適当に休んどけ。検査は異常なしだ」

 

 髪をつかまれた痛みに目を瞑り、僅かに呻き声が漏れるが
 そんな小さな音を掻き消す怒鳴り声。手を離す際わざと力を入れてベットへと押し飛ばす。
 無碍に扱う様はフェルトに何か個人的な恨みでもあると思われる様な態度。
 フェルトにはこの温情もアリーの冷酷さも理解の範疇外だ。
 理由はあるのだろうかと以前は考えても居たがそういうのは詮索するのも諦めた。
 そのまま、シーツを引き寄せる様にして蹲って泣く事も我慢して
 僅かに嗚咽を漏らす。アリーはその様子を確認した後、適当に言いつけて踵を返す。
 病室を出てドアを閉めれば、右側から刺々しい視線がアリーを襲う。

 

「わざと? まるで絵に描いた様な外道ね」
「おや、葛城一尉。これは奇遇な」
「露骨過ぎない? 病室がわざわざ隣。その上ドアが開けっぱなしでお説教なんて。
 しかも女の子扱い方を知らない訳でもないでしょーしねぇ? 何が目的?」
「ああ、失礼。病院ではお静かにという奴か。悪ぃな育ちが良くないもんでよ」
「そーいう、レベルには見えないけど?」

 

 露骨な嫌悪の視線と共にがアリーに侮蔑の言葉が浴びせかかる。
 廊下に出れば、其処には車椅子を転がしている葛城ミサトの姿があった。
 わざとらしいアリーのリアクションにじっと目を細めたまま、皮肉を織り交ぜた言葉を言う。
 車椅子の手すりに頬杖をついて、眉をぴくっと上げながらも問い詰める様な推理の羅列に
 アリーは馬耳東風と言わんばかりに惚けてみせる。かりかりと頭を掻きながらも
 斜め上を見上げている。嘘なのはバレバレだ。しかし、ミサトはそれ故にいらだつ。
 わざとやっているのが解るからだ。バレているのも計算の内。いや、バレてからが本番か。
 まんまと釣られてしまった事実が、ミサトの苛立ちを加熱させていた。

 
 

「まぁ、よかったよかった。再生治療に本腰を入れて貰える様で」
「ええ、おかげ様で郊外の景観豊かな病院から行き成り被災地直下の
 けが人の呻き声溢れる賑やかな病院に転院させてくれてありがとう」
「いえいえ、それ程でも」
「……ちっ。無精ひげといいムダに長い髪といい、忌々しい」
「昔の男と面影でも似てたか?」
「----っ!!」

 

 話題を変えればちっと舌打ちをしつつもそれに皮肉で応えるミサト。
 謙遜する態度も無く言葉尻は火に油を注げられ、全部逆手に取られている。
 フラストレーションの積もり積もったまま、冷静に対応しようと務めようとするが限界を感じ
 愚痴をもらす。それすらも聞き漏らさずに返してくる。この男の事だ。
 きっと、それらも全て知っているのだろう。兎角、ココまで人を苛立たせる事に対して
 どうしてココまでの才覚を発揮できるのかミサトには理解出来なかった。
 ていうか、純粋にムカつく。恐らく、脚が動くのなら蹴りの一発も入れていただろう。
 その歯がゆさも計算だったりしたらと考えるだけで憤死しそうで
 きりきりと軋ませる歯はエナメルを削り、奥歯を砕く勢いで顎に負担がかけている。

 

「はぁ。まったく、人使いが荒いわね。NERVは今も昔も」
「”2年間”甘くしてたツケって奴さ。使徒なんて本当に来るかどうかもわからねぇ。
 だから、あんたの予備の補充も適当に過ごされた。その内職場復帰するだろう位でな?
 参号機は動いたし、初号機もそこそこ動けるから大丈夫だろう。四号機だって間に合う筈。
 ところが意外にも早く二匹目が着てそりゃー酷い有様だったもんでね」
「まぁ見たわよ、映像は……今更嫌味?
 お望み通り復職は決めたわよ。ま、明日明後日にって訳じゃないけど」
「それは結構。結構ついでにちょっと一仕事頼みたくてねぇ。ま、サボった分の帳消しツー事で」
「……何やらせよってのよ」

 

 おまけに散々コケにして、頼ろうとするのだから始末が悪い。
 普通なら交渉決裂は必至だが相手はすでに勝てる算段をつけている。
 多分、嫌われる事すら計算なのだろう。じゃあ、その計算を利用して
 恐らく鬱憤も含めて原動力にするつもりなのはミサとにも解る。
 故にその内容がどれだけのモノか身構えざるおえなかった。

 

「女を口説くのに使えそうな男紹介して貰えないかね」
「……はぁ?」

 
 
 

―第五使徒襲撃から一週間後、とあるマンションのエレベーターフロアにて

 

 沙慈・クロスロードはやや大き目のタッパーを入れた保温パックを片手にマンションの廊下を
 同じクラスの男子相田ケンスケと共に右往左往していた。踏ん切りが付かない様子
 あれやこれやと心配する声にケンスケは大丈夫だってっと励まして一歩一歩進めさせている。
 見るかに挙動不審な彼ら二人には来る理由があった。
 先日の使徒襲撃の一件で使徒を見てしまった三人の内、二人。
 無論、あんな巨大なモノへの目撃者がゼロと言う訳では済まないのだが
 EVAを間近で見た人間と言うのは関係者以外では数少ない。
 それなりの口止め料と厳重注意と言う名の脅迫も受けている。
 3人とも快くその場では受け入れる程度の生存本能が働いてくれたのが幸いだったが
 それでも事態への影響は大きかった。

 

「ねぇ、大丈夫なの? 知らないマンション入って」
「大丈夫だから。ルイスちゃんからも塞ぎこんだままなんだろ?
ココで動かなきゃ男じゃないぞ、クロスフォード君」
「まぁ、そりゃそうだけど、ほんとにあの助けてくれたクリスさんに辿り着けるの?」
「上手くいけば、多分ね」
「多分って……」

 

 沙慈は未だに決心が付かないというよりもあまりにも計画性と希望の薄い
 公算にため息を漏らしていた。先日の一件で男子二人を救ってくれた人間。
 通信の関係からクリスと言う女性だとは解ったのだが救助された後は引き離されてしまい
 直接会う事がその後なく二人は自宅に帰されている。
 礼の一つもと思っていたのだが諜報担当の黒服の方々に
 しっかりと伝えておくと実に曖昧で期待値の低い対応をされてしまっている。
 無論、それはそれで致し方ないという事なのだろうが、同じく抜け出した
 ルイス・ハレヴィは違っていた。救助後、目立った外傷は無いという事なのだが
 学校を数日休み、戻ってからも上の空というか酷く学校が居心地が悪そうに見えた。
 それを見かねた二人の行動と言う事だったのだがそもそも、二人には訪ねる宛てすら無かった。
 あの紫色のカラーリングがなされた巨人のパイロットも解らず
 可能性があった刹那には偉く暴力的なお目付け役の存在がちらついているので
 話を聞き出す事も出来ない。そんな中、ケンスケが僅かに残された可能性を
 見出したのがこのマンションであった。

 

「えーと、こっちだったかな? 多分、合ってる筈。忘れてるなー、僕も」
「で、何処に行くの?」
「ココにさぁ、前にNERVに勤めてた人が住んでたんだよ。
 で、ずっと前に事故で怪我して入院してたんだけど」
「それドレ位前? 別の人がもう入ってるんじゃ?」
「二年前かな? いや、なんか出て行ったと思ったらまだ名義がそのままらしいんだ。
 別の人が入ってるってのは解ってるけど」
「……という事は」
「少なくとも親類、知り合い、もしくはNERVの関係者さんが住んでる筈。
 まぁ、藁をも掴むって奴だね」

 
 

 マンションのエレベーターフロアに設置された案内図を頭に思い浮かべながら
 ケンスケは記憶を手繰り寄せる様にして、沙慈にココへと向かった経緯を話す。
 おおよそ見当のつく内容ではあったがし、後回しにされた選択肢としては妥当。
 まず、相手方が違う部署ならばそもそも、名前も知らないかもしれない。
 空想、想定する内容はきわめて不利なモノしか思い当たらず、足取りも重くなっている。
 若干、目が据わっている様に見えたケンスケの表情の合点がいった。
 一人で突撃するにはあまりにも細い一本橋。確かに分の悪い賭けではある。
 けど、ソレだったら何故と不信が積もってしまう程度に沙慈もいい人ではない訳で 
 ジト目の視線でその説明に対するリアクションを示していた。

 

「なんで、もっと早く言ってくれなかったの?」
「話したらそれだけ僕に渡してルイスの所行ってだろ?」
「……ん、いや、ボクは」
「はは、僕が同じ立場だったら付きっ切りで居たいと思うからね。
 それに僕も度胸がある方じゃない。誰かとつるまないと此処まで来れないんだよ。情けない事に」

 

 ケンスケは眼鏡をくいっと軽く上げる。逆光が光るレンズ越しに沙慈の心を見透かしている様だった。
 どきっとする沙慈の視線をさまよわせる中、ケンスケはけれんみと妬みのスパイスの効いた口調で
 罪悪感を煽りつつも自らを卑下してみせる。肩をすくめてそう漏らす相手に沙慈にはこの慎重さと裏腹に
 何が彼を此処まで行動をさせるのかイマイチ理解が出来なかった。先日の一件でもそうだ。
 幾ら兵器や敵の姿を見て見たいとは言ってもわざわざ危険を冒してでも見たいものだろうか?
 ミリタリーマニアらしき事は大よそ解っており、ぼんやりとだがそれらへの好奇心が強いのは解る。
 それは命を賭けるに等しいのかと沙慈の価値観からは理解が出来なかった。
 そんな気まずい雰囲気の中、後ろでポーンっと機械音がなり、エレベーターの扉が開く。
 訝しげに僅かに眉間を寄せる少年の姿に二人は一瞬ぎょっとしていた。
 少年は両手からぶら下げている大きめのスーパーのビニール袋に
 食材やら生活用品やらが詰め込まれている。うつむきがちにエレベーターから降りると
 丁度、ケンスケと沙慈からの視線とかち合う。しばしの沈黙。
 不信感と疑心が無表情な顔から滲み出ていた。

 

「あ、セイエイ君」
「……また、俺に用ですか? 何も話すことはありません」
「クロスフォード、頼むわ」
「いや、違う違う。たまたま、此処に用があってね。そっちこそここに住んでるの?」
「……関係ありませんから。失礼します」
「そ、そぅ」
「つれないなぁ。ま、仕方ないか」
「……?」
「あ、うん。それじゃボク達も行くから。ごめんね、勘違いさせちゃって」
「いえ、では失礼します」

 

 ケンスケは早々と会話を諦めて、沙慈に託した。沙慈はやや、慌て気味に首を横に振りつつも
 手振りを交えて否定をする。当然二人の言語はアラビア語基本英語交じりなので
 日本の男子学生として平均程度の英語能力しかないケンスケにとっては内容はさっぱりだったが
 なんとなく刹那の坦々とした受け答えから察する事は出来た。
 呟くケンスケの言葉には刹那は理解の範疇に及ばなかった為
 一瞬きょとりっとした顔をして僅かに会釈をして、歩を進める。
 最初の数歩、同じ方向を進んで言うと思われる刹那と二人。刹那も同じ方向なのだろうと
 警戒感を弱める事もなく微妙に距離を取る。ケンスケと沙慈も刹那に変に警戒されない様に
 その距離のとり方に合わせて進んでいく。マンションの廊下を黙々と歩く三人。
 刹那がマヤ宅へと着くと再び軽く会釈をした後、キーをポケットから取り出してあけようとした時だった。

 

「って、えぇっ!?」
「……?」
「どしたの? 急に変な声だして」
「いや、僕達が目指してた家が此処」
「へ? って、それじゃ」
「……では」
「い、いや、その目的地が。って、えぇ? それじゃセイエイってやっぱり?」

 

 ケンスケの素っ頓狂な声に、刹那も思わず振り返る。
 刹那からすれば、行き成りの奇声に警戒感が一気に高まるが、沙慈も驚いている事から 
 想定していなかった事態だというのは伺えた。沙慈はケンスケの話を聞けば
 想像の補完により、刹那への以前の疑いがほぼ確信的になっていく事実に気付く。
 NERV関係者の家に住んでいるとなれば、その可能性がより濃くなっているだろう。
 そういって、何度も顔と部屋の玄関扉を往復させる沙慈の視線の動きに事情が飲み込めない刹那。
 口が滑っては不味いという本能だけが沈黙を貫き、足早に部屋の中へと逃げる事を選択した瞬間
 玄関扉が勝手に開き、タンクトップとハーフパンツのラフな格好の若い女性が顔を出す。

 

「刹那君、おかえりなさい。あれ、鍵は渡してた筈だけど……」
「……あ」
「え?」
「ただいま戻った」
「…………………………………………………………何、この空気?」

 

 伊吹マヤは刹那に初めてのお使いを頼んでいた。
 本来一緒に行けば良いのだが当人の日本に馴染む為の試験的な運用だった。
 無論、それを一人部屋で待つのは気が気ではない訳で
 そわそわとしていた中、玄関から声がすれば出迎える為にドアを開けた。
 ただ、それだけの動機だったのに玄関を開けば少年三人の視線がぶっ刺さってしまう。
 その重苦しい空気は思わず、疑問が口を滑らせるに至った。

 
 

―第伍使徒襲撃、三日後。高校の教室にて

 

 避難中に頭を打ったという事で数日欠席していたフェルト・グレイスが学校に登校する。
 最初の3時限までの休み時間や朝は数名の女子生徒が入れ替わり立ち代りで
 怪我の心配と非難時の愚痴を残していく。
 やれ、面倒だっただの姿が見えなかったけど、大丈夫だっただのと当たり障りの無い応答。
 誰もフェルト自身が戦っている事など知らないのだ。この学校に居る3人の生徒以外は。
 緊張の走る時間が続いていたが、来たと思えば顔を僅かに上げて視線を少し外す。
 ルイス・ハレヴィが席へと近付いた途端、フェルトの顔がこわばっていく。
 あからさまに話したくない雰囲気は出しているが逃げられないなと思っているのも事実。
 ルイスも正直積極的に話したく無い雰囲気を漂わせていたが
 一度話さなければいけないと思っているのだろう。

 

「退院おめでとう。ちょっと話を聞きたいんだけど?」
「……う、うん。その」
「話し辛いなら場所変えましょうか」
「……そうして」

 

 昼休みと言う事で二人は屋上へと向かった。放課後まで待てなかったので手弁当込みだ。
 珍しい組み合わせにクラスの数名ははてなマークを浮かべているがそんなのは些細な事柄で
 沙慈が他の生徒より少し気になった程度だった。廊下の移動中二人の会話はなく
 やや風の強い日、二人の憂鬱な気分など気にも留めない快晴の空は忌々しい程の清清しさであった。
 風で散らばっていく髪を手で抑え逃げる様にしてフェルトはベンチに座る。
 ルイスはそれと向き合う事をせず、フェンス軽く背を預けたままルイスも
 パック飲料にストローをさしている。フェルトが小さくいただきますと呟けば
 ルイスもそれに習い軽く黙祷に近い祈りを捧げた後、白身魚のフライが挟まったパンをかじる。

 

「私にもたんこぶ出来ちゃったわよ。あの後何があったかしらないけど、そっちは大丈夫?」
「う、うん。その平気。ちょっとアザも出来たけど」
「……何時からなの? 確か飛び級だったから私より若い筈だったけど」
「13歳から」
「そんな早くから?」
「私は適正が解ったのが早かったから」
「……脊が低いからとか若い内からってレベルじゃないわよね。
 アレって……何で動いてるか知らないけど……ま、聞いても解んないだろうから聞かないけど」

 

 二人には年齢さがおよそ3歳程ある。フェルトは優秀という事らしく
 ユニオンに組み込まれた日本において進められていた飛び級制度を適応された一人であった。
 刹那も含めて、年齢層がイマイチ一致していない生徒も多く、基本的に同年代のグループが出来易い。
 故にルイスとフェルトの両名はこうやって学校で話したのは初めてだったりする。
 フェルトの緊張は手に取る様に伝わり
 ルイスにとってもどう話を持っていけば良いか戸惑っており、合間の沈黙は長かった。
 誰に向けてか解らない呟きの様な言葉。トリガーの様な手摺と画面以外よく分からない
 あのコックピットはおぼろげにも覚えていた。ただ、覚えていただけで解ってはいない。 
 そして、多分説明されても半分も理解出来ないのだろうとルイスは自覚していた。

 

「なんで、乗ってるのって聞くのは野暮かな」
「私はアレを使いこなさなきゃいけないの」
「適正って奴?」
「それもある……けど」
「けど?」
「お父さんとお母さんの遺志だから。私まで負けちゃいけないから。
 アレを使いこなさないままだと、私のお父さんとお母さんの死が無駄になっちゃうから」
「……そぅ」

 

 聞くのが恐る恐るだったルイスに察してかフェルトの声は反比例して大きくなり始めた。
 何か自分の中で覚悟めいたモノが宿っているのか
 背筋を伸ばし、言い振りは一介の軍人のソレに近いものがあった。
 ルイスはその言葉を驚きを隠せないまま、視線を逸らしてストローを咥える。
 ちゅぅっと言う音にかき消されなくはっきりと耳に残るフェルトの意思表明。
 言い終えた後、おもむろに昼ごはんのサンドイッチを頬張るフェルトを見つつも
 ルイスは次の言葉を濁していた。気まずい沈黙の時間は空の爽やかさで打ち消される事もなく
 二人の食事が黙々と進んでいった。空気が悪ければ、食事もあまり美味しくない。
 そんな二人の歯がゆさを楽しんでいる様に時間だけが過ぎていく。

 

「聞きたいことはそれだけ? 後、危ないから、ああいうのは」
「解ってるわよ。私だって馬鹿じゃない」
「……そう」
「もういいわ。ごめんなさい」
「こっちこそ。黙ってなきゃいけない事、抱えさせちゃったから」
「別にグレイスさんは悪い事何もしてないし……ね?」

 

 最後に何か言いたかったのか語尾に若干の沈黙が混ざった。
 けど、それからは平凡的な労りの言葉へと摩り替わってしまい、その場は解散となる。
 その日から数日ルイス・ハレヴィは上の空だった。
 本人にとっては葛藤の日々であったが誰もその心中は解らなかった。
 本当はもっと聞きたい筈だった。もっと、問い詰めて洗いざらい話させて
 そして、自分が気が掛かりになっている事を確認したかったのだ。
 けど、ルイスにはそれが出来なかった。
 年下の少女が戦場で戦い、苦悶し、罵倒されながらも頑張っていた。
 その苦痛、苦難を目の前で見て、更に命散らす覚悟で臨み続ける事も。

 

「……なんでよ。なんでそんな必死に……頑張ってるの。
 ちゃんと理由もあるし……それじゃ……聞けないじゃない。
 聞かなきゃいけないのに……あのクラスがアレに乗る為に……集められてるって話とか
 それになんで……なんで……クラスの中で私”だけ”ママが居るのとかっ!」

 

 ルイスは家に帰れば一人部屋でそう呟き、自問自答しながら惰性の一週間程過ごす。
 言葉は思いはぐるぐると渦巻いて、沈殿して絡み付いて、身動きが取れなかった。
 苛立ちをクッションに乗せてが壁に叩き付けた後、シーツで包まって現実から自身を隔離する。
 その後、ルイス・ハレヴィは暗い雰囲気を払拭するかの様に
 沙慈を引っ張り回す何気ない日常へと戻していった。

 
 

次回予告
 相田ケンスケ。一学生である彼には託された思いがあった。
 なんとかたどり着いた藁も彼の指の間をすり抜けていってしまう現実に贖う。
 二年待ったこの機会を失う事など許せずに声をあげた。
 滑り落ちる藁を必死に手繰り寄せる先の彼に待つ未来はあるのだろうか?

 

第四話後編「超えれぬ一線」

 

思ったよりまったりじゃなかったけど、次回こそサービス♪サービス♪

 
 
 

第四話後編「超えれぬ一線」

 

―元葛城ミサト宅、現伊吹マヤが管理している部屋PM11頃にて

 

 ”何も話せなかった”

 

 伊吹マヤの思考がぐるぐると練りこまれ、脱線し、それを逃すまいと手を伸ばし
 捏ねくり回して原型を留められない廃棄物と化していた。
 今日のことで改めて学校での対応の不安要素が浮き彫りになっている。
 そういえば、彼が家で携帯電話がなったのを聞いただろうか?
 友達が出来たなどの報告を受けただろうか?
 彼が昨晩何を食べていたのかすら解らない。ゴミ箱を漁れば良いのだが
 その時点で既にダメだという意識が働いている。
 彼はスムーズに生活をしている様に見えた。食器もきちんと片付けるし
 ゴミも出してくれる。一度言えば、きちんと洗濯物の選別もしてくれたし
 柔軟剤まできちっと入れてくれるので先程のシャワー上がりのタオルは柔らかかった。
 一人で暮らしていた時よりも格段に生活は楽になっている。
 悪くなった事といえば、自分の部屋の片付けをする周期が微妙に異なり
 ちらかって見える程度であり、それは自業自得だ。

 

「はぁ」

 

 ため息がテーブルへとふきかかり微妙に湿り気を帯びていく。
 久し振りに彼と夕食を共にした。冷蔵庫の用意も無かったのでピザを頼んだ。
 美味しそう……だと思う、多分。彼に選ばせたし、好きなものを選んだと思う。
 そんな事すら確信がもてない程にマヤの思考は追い詰められていた。
 食事の時も沈黙に絶えられず、テレビをみる。ニュースで流れた
 この間の使徒襲撃の件で適当にお茶を濁しっぱなしだった。
 そんな情報を彼と共有してどうしたいんだろう?
 もっと色々話さなきゃならない事があるんじゃないだろうか?

 

「一難去ってまた一難……ん。この一難はずっとあったわね」

 

 マヤがこうまで悩みが深くなっているのは昼間にクラスメイト二人が訪ねてきた事もそうだが
 丁度、先日実戦投入が間に合った兵装の件が一段落着き
 刹那に対する思考時間が取れた事が起因する。
 今までは”生活と言ってもまず、自分達が生き残るためにどうするべきか?”
 ということで思考のほとんどが占められていたのだ。
 マヤは先日の戦闘については報告書でしか知らなかった。
 フェルトの散々な戦いっぷりに関しても無論、記載してはいたが
 十分に使徒に対抗できる武装の開発が間に合った事に意識のほとんどを持っていかれた。
 先輩もとい赤木リツコ博士の後任になってやっと果たせた成果。
 その気の緩みの中、待ち構えていたツケが今になって回ってきたのだ。
 夕食を終え、デザートを食べ、シャワーを浴び、柔らかいタオルで体を拭いても
 その懸念は当然片付く訳でもない。すっかり湯冷めもして
 ひんやりとしたテーブルと冷房に効いた気温に余熱も奪われていた。
 さっきからテーブルに移る自分の顔とにらめっこをして何分……否、何時間経つだろう。

 
 

「うん。こんなんじゃ寝付けないわね……よし、ちょっと話してみるしかない……わね」

 

 ふと、時計を見れば、夕食を終えて顔を合わせなくなってから時間がだいぶ経っている。
 刹那は既に習慣のストレッチメニューを終えて寝てしまっているだろうか?
 彼は早寝早起きをしている。朝は自分より早く起きて掃除をしたりストレッチをしていたりと
 おぞましい程に健康的な生活を送っている。例えるなら修行僧と言ったところか。
 勢い良く立ち上がるがわずか数秒でその勢いは失速し、不安に覆われて体が重くなる。
 そして、そんな重い足をひきずる様にしながらもマヤは刹那の居る部屋へと向かっていた。

 

刹那・F・セイエイを新世紀ヱヴァンゲリオンの主人公にしてみる
    第四話後編「超えれぬ一線」

 

―同日の昼間にて

 

 伊吹マヤの思考が流転する。最初は空気は重さと状況判断に硬直していたが
 状況の整理からこれはまずい事態に陥っている事ようやく理解できた。
 目の前には男子学生三人の視線が自分へと集中している。
 一人は自分の家で預かっている少年パイロット刹那・F・セイエイ。
 無論、其の事は極秘事項。二年前の事故を境に規律が厳しくなっていた。
 クリスティナ三尉のところですらきちっと守れているのにこんな訪問者が来るなんて
 ……いや、刹那に限ってそんな事はないとマヤは思い直す。
 ということは偶然だろうか? けれど、残り二人は避難警告が成されている中
 危険区域にいて、保護をされた学生三人の内二人。
 偶然にしては出来過ぎている。では、刹那が後を付けられたのか?
 いや、勘の鋭い子だからそれは無い筈。誰かにリークされた?
 まさか、他のパイロットが保護した子から?
 これは下手すれば諜報部に報告、目の前の子達は処分を受ける事になる。

 

「あ、あのぉ。初めまして。俺達セイエイ君の友達で」
「No. 彼らとは友人関係ではない」
「……あははは。えーと」
「取り敢えず中に入って? 刹那君もそういう風に言うのは」
「事実の誤認があってはいけない」
「……ま、まぁ詳しい話は中で聞くわ。どうぞ」

 

 空気を何とかしようとメガネをかけた少年、相田ケンスケの言葉に
 刹那は言い切る前にぴしゃりっと遮り否定する。
 友人と言う言葉に関しては耳に残っていたのか反射的に嘘の暴露がなされた。
 それを聞いたもう一人の気の弱そうな少年沙慈・クロスフォードは
 苦笑いを浮かべながら視線を泳がせている。
 このまま、刹那だけを入れて二人を返したら、無駄に話が広がってしまう可能性もある。
 禍根を残せば、腹を探らせる様に問題がまた発生する可能性も考えられる。
 視線をぐるっと周囲を這いずり回らせた後、うんっとわずかに頷けば、マヤは二人を招き入れる。
 少年二人は小さく”お邪魔します”と呟きつつも横目でちらりちらりと部屋を見回す。
 大きい冷蔵庫が二つある事以外は綺麗に片付いている部屋という印象だった。

 

「今、お茶をいれるわね。麦茶でいい?」
「あ、そのお構いなく」
「……俺はどうしたらいい?」
「んー、座布団じゃなくて……えーと、クッション配って取り敢えず座ってて」
「了解した」

 

 刹那は先程の発言からずっと黙ったままでマヤに指示を乞う。
 指差しも含めた簡単な指示。アラビア語も混じっているので
 ケンスケ以外は大体何を言っているか解った。
 黙って二人にクッションを手渡し、座る刹那。
 ケンスケと沙慈もそれにならってリビングのテーブルへと座る。
 空気は重かった。嘘がばれたのもあるが、何より同席した刹那は本当に
 いわれた指示をだけをこなすと一言も喋らずにお着物の様にじっとしており
 なんだか、それが楔の様に雰囲気を沈殿させ、浮き上がらせる事を許さなかった。
 しばしの静寂。麦茶をグラスへ注ぐ音とエアコンの音だけがやけに大きく聞こえる。

 

「で、二人とも一体どういう用事で? その……刹那君と一緒に来たって訳でもないだろうし」
「……あ、えーと」
「僕たちはそのこの間、避難中の時に助けて貰った人にお礼を言いたくて」
「……話が繋がらないけど?」
「その、なんだか特殊な救助チームに所属してたみたいでその後、全然逢えなくて。
 それで昔、此処に住んでた友達を預かってた人がそこに勤めてたって聞いたんで訪ねてみたら
 セイエイ君とばったりという感じで。すいません、嘘つきました」
「ま、ああいう空気だと言っちゃうのは解るから。刹那君、ちょっとペンペン持ってきて」
「了解した」

 

 マヤが人数分のグラスをお盆に乗せて持ってくる。
 二人の部外者にとってそれは救世の女神の様に感じられた。
 グラスが配られて、最初に口を開いたのは沙慈だった。
 丁寧にアラビア語も交えており、刹那にも解る様、気を使っていた。
 そのため、ひどく断片的であり、一瞬話が繋がらなかったが
 ケンスケはそれを細かく説明を加える。
 その説明を沙慈が刹那向けに説明を付け加え頭を下げ、それに沙慈も追従する。
 酷く混雑、迂回をしている会話の流れだったが住人二人にとってようやく事態が飲み込めた。
 そして、この確認はマヤにとって、とても大きい収穫でもあった。今回の訪問は偶然の産物であり
 二人が本来逢いたい相手と言うのは同僚のクリスティナ・シエラの事だと解ったし
 この場所に辿り着いたのは前の住人葛城ミサトからのルートだと言う事も解った。
 刹那は勿論、自分にも同僚のクリスやその保護しているパイロットにも落ち度はない。
 心の中でほっと胸を撫で下ろし、その場合の対処を行使する。
 幸い、事前に人が尋ねて来た場合に対しての対処法についてはミサトと打ち合わせが済んでいた。
 マヤが刹那に指示を出せば、立ち上がり冷蔵庫への方へと向かっていく。
 二人暮しには場違いな大きい冷蔵の扉を開ければ、中から何かを抱えてくる。

 

「クァークァッ! クァ?」
「……これはえーと、ペンギン?」
「だよね? テレビ以外で初めて見たかも」
「そのね。私は先輩の知り合が飼ってたこの子を部屋ごと預かってるだけだから。
 この子、ちょっとあの大きい冷蔵庫が無いと飼えなくてね。
 こんなに大きいと持ち出して一緒に預かるにも部屋が広さとか
 電気代も馬鹿にならないし。帰る時に見れば解るけど、メーターの回り方酷いのよ」
「成るほど」

 

 刹那が抱えてきたのは黒く、ずんぐりむっくりしたシルエット、くちばしがあり目元の付近には
 赤と黄色の毛が生えた偉く派手な鳥類。恐らくイワトビペンギンの一種と思われる鳥であった。
 抱えられている間、少しじたばたとしていたが沙慈と目があえば、首をかしげている。
 とりあえず、微笑で返す沙慈にそのペンペンと呼ばれたペンギンも大人しくなっていく。
 刹那はそれを抱えたままテーブル付近の自分がさっきまで座っていた場所へと戻る。
 挙動不審気味に二人を見つめるペンギンと微動だにしない刹那のギャップが酷くシュールだった。
 そんな光景を打ち消す様に事前に算段のついていた説明をマヤは口に出す。
 苦笑気味に語られる言葉。刹那は我、関せずと言う感じでペンペンを抱いたままじっとしている中
 沙慈は頷き返す中、ケンスケの表情は段々と暗く重くなっていた。

 

「あの、その人って今はどうしてます? ていうか、どういった病状で?」
「今も入院中で面会は無理ね。経過はあんまし、口外しないでって言われてるから詳しくはちょっとね。
 私は此処が職場から近いし、家賃も折半してくれるから甘えさせて貰ってるだけの立場だから」
「……そうですか」
「クロスロード。少し見ててくれ」
「え、あ、うん」
「その……何か訳ありって感じに見えるけど」

 

 口に出す決心がついたのか、やや早口気味に前のめりでマヤに確認を求める。
 その様子に沙慈もちょっとぎょっとする。マヤから既に準備されいた答えを聞けば
 それに引っ込む様に俯き、顔色も悪くなる。その様子の変化にマヤも沙慈も
 戸惑う中、じーっとグラスを見つめていたペンペンの様子を見れば
 沙慈の近くにペンペンを置いて立ち上がり、刹那は台所へと向かう。
 再び空気が気まずくなる中、マヤは一歩踏み込むことを決意する。
 残念ながらそこに大人としての余裕や慈悲はない。あくまで確認。
 これ以上、何かされない為や予防線を張るための情報収集。
 ひどく保守的な意識にやるせなさを感じるマヤだがそれすらしない訳にはいかなかった。

 

「出汁に使ってすまん、クロスフォード」
「え? あ、うん。べ、別にいいよ。僕だってその色々あったしね」
「そういう、所をつけ込んでるんだよな。すまん」
「い、いや、いいって。それより話を続けて」
「すまん。で、実は……二年間ずっと探してる奴がいるんです」
「二年前?」
「クアァークァッ?」

 

 何度も何度もケンスケは沙慈に頭を下げる。
 ケンスケは罪悪感を背負いきれる程大人でも悪い性根でも無かったようで
 涙目で頭を下げる様子にやはり、因縁を感じられた。
 向き直りケンスケが話す事情を切り出す。

 

”二年前”

 

 そのワードだけでマヤの顔は一瞬で青褪める。
 ペンペンも大きく鳴き声を上げて、其の空気を察知したのだろうか。
 沙慈の懐の違和感に忙しなく動いていたを止め、視線と頭を固定してじっと聞き入っている。
 沙慈だけはなにやら事情が解らずに其の空気についていけない様子だった。

 

「碇シンジ、綾波レイ。俺達のクラスメイトだったんですけど
 二年前に急に転校して連絡がつかなくて。
 特に碇の方はその後、共通の友達が転校しちゃって俺だけが此処に残ってる形で」
「その人に託されたって感じかな?」
「そういう事。そいつとは連絡はまだ取れるんだけど……ね。
 すいません。彼について何か知りませんか? ほんとに些細な事でも良いんです」

 

 沈黙の中、マヤの緊張度が一気に高まっている。心当たりがある。
 しかし、それは顔にすら出してはいけない最重要機密事項。
 奥歯をかみしめつつも顔に出さない様に努めている。けれど、押し黙ったままではいけない。
 しかし、何を言えば良いか……否、”何が話せるか”が解らない。
 嘘をついてしまうのは簡単だ。嘘をついて、二度と此処に彼らが来なければ良い。
 ただ、現実は厳しい。彼は刹那と同じクラスメイト。つまり、交友関係を持てば
 何度も家を訪れる可能性もある。今日だってまさか家を訪ねられるとは思わなかった。
 そう、万が一があるのが今の自分の状況だと言う事は痛いほどに解っている。
 それを込みで務めているのだとマヤは自分に言い聞かせ、重い口を開ける。

 

「ごめんなさい。その前の人からは断片的にしか知らされてないから
 詳しいことは解らない。……けど、亡くなったとは聞いてないわ」
「い、生きてるんですね!?」
「いえ……その」
「すまなかった。ペンペン、こっちだ」
「クァッ!」

 

 ペンペンも二人の名前が出てからはじっと聞き入っていたが
 ストローと缶ビールを持った刹那を見つければ、とてとてと歩み寄っていく。
 頭を軽く撫でた後、ぷしゅっと音を立てながらもプルタブを開ければ、再び大きく鳴く。
 答えを窮している中、ざっくりと話の腰を折り曲げつつも、沙慈とケンスケは視線はそっちへと向く。
 ストローを缶に挿し込めば、器用に口に加えてそれを飲み始めていた。
 刹那は暴れない様にペンペンの頭を撫でながらも其の様子をじっと見張っている。

 

「ビール? 飲ませて平気なの?」
「ああ。こいつの好物らしい」
「ふーん……そういう顔もするんだね」
「何のことだ?」
「ん、なんでもない」

 

 沙慈の声に顔を向けずに適当に答えを返す刹那。アラビア語での会話で返す。
 相変わらずケンスケは理解は出来てないのでまたマヤの方へと向き直る。
 沙慈には普段は鉄仮面をかぶったかの様な表情とは違った別の顔を垣間見た事の印象が強かった。
 物珍しさに思わず口に漏らしてしまったが、慌て前言を撤回する。
 一拍おくことが出来た事により、マヤは少し緊張感が解けたのか、落ち着いた口調で言葉を続けた。

 

「私はその本当に部屋を借りてるだけに近い関係だからね。
 ……ん、ただ例の事故のことなら多分”生きてる”。それだけは前に住んでた人が確信してたと思う」
「そうです……か」
「便りがないのは無事な証拠って昔から言うけど……だからって、何も音沙汰なしは不安だもん……ね」
「……はい」

 

 踏み込んだ言葉。この言葉が今のマヤの善意と規約との帳尻の中で出来る最大限の譲歩だった。
 転校して元気にやっている。そんな言葉で彼が納得出来る筈がない。
 手紙や電話の一つもよこさない説明にならない上にソレ以上の猜疑心を産んでしまう。
 次は何をやるか分からないと言う打算としての押さえ込み。
 残念ながらとても希望など持てる状況ではないのはマヤが一番よく解ってしまっている。
 受動的に受け止められた事態と情報、それを忘れる事のできない業務上の立場。
 ケンスケも理解は出来ないが踏み込んだ言葉に真実味を感じられた。
 思わず、気持ちが決壊し目元から感情とともに涙が溢れ出す。
 嗚咽に近い鳴き声にぎょっとするペンペンと沙慈。刹那とマヤはその様子をじっと見つめていた。

 

「ごめんなさいね。こんな事しか言えなくて」
「……い、いぇっ、ずみばぜん……ぼんどに」
「……」
「あ、刹那君。ティッシュを」
「了解した」
「ありがど」

 

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔になっているケンスケ。刹那は何かそわそわしているのをわずかに感じさせた。
 しばし考えた後、んっとわずかに喉を鳴らせば、マヤは刹那へと指示を出す。
 少し体をひねって手を伸ばせば、ティッシュの箱を手にとり、ケンスケの前へと差し出す。
 目一杯手で掴んだと後、ぢぃーーんっと大きな音を立てて鼻をかむ。
 完全に他人事ながらも沙慈は備わった感受性からも目をわずかにうるませている。
 端的な事実としては何年も友人を探している少年。
 友達と離れても尚も其の行動力の源泉となる事実に感慨を受けるのは勿論
 凡その動機にようやく合点がいった沙慈にはどこか清々しさもあった。

 

「なんだか、大変だったんだね。言ってくれたら良かった……って程でも仲じゃないか」
「ずまんば。ぢゅうがぐがらのやぐそぐだっだもんで」
「そっか。ケンスケ君確か地元上がりだもんね」
「あら、友達じゃなかったの?」
「いえ……元々僕は高校からこっちにきた口で」
「…………そう。大変だったわね。まだ、そんなにこっちに来てから経ってないでしょ……う?」

 

 ただのクラスメイトだった男子二人が命掛けで戦地同然の所に忍び込み
 今もこうして独白を聞く立場にいる。それは沙慈にはとても想像のつかない顛末ではあった。
 ふとした疑問を口に出せば、そもそもそんな深い仲でもない事実に自嘲気味に笑う。
 そんな中、解っていた事ではあったが、それでも沙慈が連れて来られた理由に思う節のあるマヤは若干顔が曇る。
 誤魔化す様に言葉を続けていくが言葉を濁らせているのは解る。ケンスケは自分の気持ちで
 イッパイイッパイなのでそんな機微には気づかない。鈍い沙慈でもうっすらと其の違和感を感じ取れた。
 無関心とまではいかないが踏み込まない方が良いというそれなりの判断が働き沙慈も黙る。
 静かにケンスケが泣き止むのを待つ。それが終われば、グダグダとした流れのまま
 沙慈と共に立ち上がり、玄関を後にする。
 取留めの無い会話をしながらもお互いに先程以上に突っ込んだ話はしなかった。

 

「じゃ、ごめんなさいね。ろくなお構いも出来なくて」
「い、いえ。……あ、そうだ。コレ良かったらどうぞ」
「ん? 何?」
「えーと、筑前煮です。こういうのしか出来なくてお口にあえば良いんですが」
「筑前煮? 古風なチョイスね。
 ……えと、おね……いや……えと、自分で作ったの?」
「はい。一人暮らしが長いもので」
「あら。凄いのね。男の子が料理でわざわざ煮物なんて」
「一人暮らしなんで色々と出来る様にとよく言われてたので」
「じゃあありがたく。器は洗って刹那君から渡すわね」
「解りました」
「後、救助した人はまぁ前住んでた人に聞いてみて
 私の方で出来るだけ連絡する様にはしてみるけど」
「はい、ありがとうございます」
「あんまし期待はしないで? その人も現場から離れてるし」

 

 にこやかな笑顔で送り出すマヤ。沙慈とケンスケもそれなりの社交性を持ってソレに返す。
 最後に沙慈は手に持っていた荷物を渡した。なんてことは無い適当な会話を繰り返していく。
 社交辞令の様な賛辞とちょっとした家庭事情の申告。
 はにかみを交えた沙慈の表情にふぅんっとなにやら意味深に受け取った風を見せるマヤ。
 ケンスケは先程の一連の言動が恥ずかしいのか今すぐにでも帰りたい様子で若干そわそわしていた。
 そんな中、思わぬ申し出でぱぁっと顔が明るくなる。溺れるモノの藁は繋がった様だ。
 ある程度の確認を済ませた後、その場を後にするケンスケと沙慈の両名。 
 沙慈はエレベーターまで押し黙っていた。気を使っていたのだと思い
 ケンスケもその沈黙に付き合う。エレベーターに入り、降りている個室の中
 いつの間にか神妙な面持ちになっている沙慈は重い口を開く。

 

「ねぇ、やっぱあの人何か知ってるのかもね」
「ん? どうしたクロスフォード」
「なんであの人、最初にお姉さんって言おうとして訂正したのかな。
 確かに僕の両親は既に死んでるし、唯一の身寄りだった姉さんも
 もう死んじゃったから料理を作る事も教える人も居ないけどさ」
「!? な、そうだったのか? 初耳……え、ちょっと待て?」
「そう、 ”あの人には何も話してないのになんで気を使ってくれたの?”
 両親が居ない事まで知ってる様な言い方だったし」
「……それって」

 

 沙慈の呟きに近い情報の開示にケンスケの瞳孔は開き、驚きを露にする。
 遡る記憶の回想、確かにあの部屋の住人だった女性の言いよどんだ言葉は覚えている。
 帰り際の全てが終わって、気の抜けた時だったのでケンスケもその時は気にしていなかった。
 ただ、沙慈の一言により情報が一気に繋がってくる。
 あれ?あれ?とケンスケは一個一個の情報の繋ぎ合わせでいく中、恐怖で一度思考が停止した。
 家族構成、存命の是非、色々と情報を知る事は出来る。
 可能性は無限大だし、手を伸ばせば手に入る手段はいくらでもある。
 しかし、それにしても出来過ぎている。それがケンスケと沙慈が辿り着いた結論であった。

 

「ルイスが前に姉さんが居て昔ネルフって所のことを調べてたって事は言ってたけど。
 普通さ、親とか後は祖母とかなら解るけど、最初に”姉”って選択肢が出る?」
「出ないよな」
「可能性は色々あるよね。その話から深読みしたのか?
 後、刹那くんにはケアさんとも関係あるみたいだし、人伝に聞くことも出来る。
 特に隠してた訳でもないし」
「……けど、普通そこまで考慮して言わないよな?」
「今ならちょっとは解るかな。ルイスがこの前に無茶した気持ち」

 

 漠然とした不信感と疑問に包まれれば、不安と衝動に駆られてくる。
 可能性をわざと口に出しては意識を散らして無かったことにしたいのか、すらすらと言葉を繋いでいく。
 このまま後ろを振り返って、今のことを無理に問いただしたい気持ちがのんびりした自分ですら
 うっすらと宿っている事を考えれば、気性の激しいルイスの心中察する事が沙慈にようやくできた。
 沙慈は一線を超えることもなく、エレベーターの扉は閉まり、視線の先にあった先程の部屋が
 分厚いの壁に隔たれてずるずると下へと降りていく気分は居た堪れないモノであった。

 

―その日の夜 同場所にて

 

「……刹那君。起きてる?」
「ああ、起床している」
「ちょっと良いかな」
「問題ない」

 

 麩をがらっと開ければ、まっ暗い部屋の中に光の筋が染み渡ってくる。
 部屋の中の殺風景な風景を荒く光が輪郭を作っていく中
 真っ暗な事にマヤの疑問が脳へと行き渡る寸前
 くらがりの中からぬるぅっと褐色の肌をした手が延びて来る。
 真下に引きずられる様な感覚。魑魅魍魎の類の所業の様に
 がくっと膝を崩されていく。膝を付きそうになる中、刹那はどこから持ってきたのか
 自前の拳銃でマンションの部屋の中に視線と警戒を張り巡らせていく。
 安全装置は外しており、銃を向けられたペンペンはくわぁっと大きく鳴きつつも
 気配を察したのか冷蔵庫へとそそくさと帰っていく。 
 視線だけは隅々に気配をまさぐっていく中、刹那の中で安全が確保されたと認識すると
 その視線はいつもの無関心そうな何処を見ているとも見えない視線へともどっていく。

 

「……? なんだ、不審者ではないのか」
「っ! ちょっと、刹那君、急にどうしたの!? 何があったの!?」
「伊吹マヤ、アナタが不審者に連行されているのかと思った」

 

 淡々と述べている刹那。警戒をほどき、銃の安全装置を入れなおす。
 痕がつくほどに強く握られた手を離せば、刹那はすまなかったと軽く頭を下げている。
 当然、マヤは驚愕を強いられており、泣きそうになりながらも激しい剣幕で問い詰める。
 刹那はそれでもまっすぐとマヤの視線の奥底を覗き込む様な視線を注ぎながらも回答する。
 予想外の答えにマヤの驚愕は止まらない。むしろ、予想だにしない答えに
 頭を殴られた様な混乱と思考停止の連鎖にぐるぐると目の前の世界が揺らぐ。
 右側のこめかみ部分に手のひらを当てる。ひんやりとした自分の手がほんの数秒で
 ぐっしょりと汗ばんでいた事が確認できた。まるで海外ドラマの様な
 判断に徐々に空転していた視界と頭脳がゆっくりといつもの平常運行へと戻されていく。

 

「根拠を聞かせて。此処は確かに無防備かも知れないけど諜報部だって仕事はしてるし
 アナタの情報の隠蔽は……確かに今日みたいな事もあったけど」
「………んっ」

 

 拙速気味にマヤは真意を問いただそうとする。
 不安を解消する為の行動選択の中、考えていくと思考は芋づる式に導きだされていく。
 マヤの中では今日、クラスメイトが二人訪ねてきた事への懸念だと思っていた。
 だが、またも予想に反し刹那にしては珍しく視線を逸らしそうにしたそうにわずかに瞳孔が揺れている。
 普段の変化が少ない分、こういう場面では顕著に違いが手に取れた。
 マヤの思考が巡る。この子は根拠なしに気まぐれやイタズラにこういう事をするとは思えない。
 つまり、何か起因があった筈。それが何か? また、本人が話さない方が良いと判断したのだろう。
 根は人並みに優しい子である事はなんとなくマヤにも感じ取れている。
 マヤ自身も踏み込むことに若干迷った。彼なりに考えた判断だ。
 それを無理にしてどんな結果が待っているのか恐れもあった。
 それでもマヤは前に進んでみる事を決意する。

 

「ちゃんと話して。これは重大な問題だから」
「了解した。俺がこの部屋で共同生活をするにあたり、伊吹マヤ。
 アナタは一度も俺の部屋に入ろうとしなかった。むしろ、出来るだけ避けている様な傾向があった」
「……!? そ、そう?」

 
 

 マヤは心境的に踏み込んだ先の一歩は空白で、ずるっとそのままずり落ちそうになっていた。
 特に刹那が何かを要望、懇願しているとは思えない。単純にありのままの現状の報告。
 しかし、それはマヤ当人に取っては敢えて触れていなかった事への指摘。
 慌てて、それに意義を申し立てようとするも、やはりその論拠に自信が持てない。
 そんな曖昧な言葉に惑わされる子ではないという事くらい、マヤは理解している。
 予想通り、刹那は大した動揺も意見の修正を加えるつもりもなく
 じっとマヤの視線を見つめる。根負けしたのか視線を逸らすところに
 刹那はまたはっきりとした声で論拠を続けていく。

 

「用事がある時はわざと大声でFUSUMAであってたか? この扉を開ける事もなく済ませていた。
 まして、夕食後のお互いにシャワーを浴びて時間も経っている時間帯。
 就寝の可能性も十分に考慮出来る。それを踏まえての今回の行動は明らかに違和感がある」
「……っ」
「アナタが何を思って今回の行動に及んだかは俺は理解出来ない。
 別に尋ねた事自体は問題視はしていないが、本来ならありえないと今までの生活パターンから推測した」

 

 刹那の言葉はまるで心がすべてを見透かされている様で、しかもそれは正確無比な一撃であった。
 相手に悟られない様にも不自然に避けていた事もこうやって話すのすら
 夕食後数時間の葛藤があってからだという事実。
 マヤにとっては一個一個のハードルをクリアする事すらも躊躇われたのに
 それの躊躇も臆病も全て悟られていたという事実に膝をつきそうになる。
 まるで今日までの日常は取り立てて記述する事のない空虚な日々だと宣言された様なものだった。
 ただただ、お互いの生命活動の補助でしかなかった。同居、ましてや生活ですらない。
 食べて、寝て、着替えて、風呂に入るスペースがたまたま一緒だった程度の認識だったという事。

 

 ”悪いことではない” ”きっとそうあるべきかも知れない” ”その方がお互い楽だ”

 

 甘言を言い聞かせようとする弱い心にマヤは贖おうとする。
 そう、目の前の少年はそういう事すらも納得出来てしまう子なのだ。
 疑問を挟まない程、頭が悪い訳ではないが理屈を通して気持ちを押し殺してしまう子。
 それになんていう事を強いてきたのだろう。罪悪感がマヤの脳に焼き付いてくる。

 

「これから導きだされる可能性は不審者の侵入により、脅迫を受けてでの俺との接しょ――」
「……ごめんなさい。気を使わせてたの……ね」
「いや。俺は気にしていない」

 

 刹那の言葉がより鮮明に明確になる度にマヤの心がえぐられる。
 言葉が終わる前に心の堤防は決壊し、その溢れ出す気持ちは涙となって溢れでている。
 この痛みはツケなのだと嫌というほど理解できた。遠まわしに逃げていた事実。
 巨大な人造人間と意識を繋ぎ、未知の生命体と命の危険を顧みず処理しなければいけない任務。
 まだ、年端の行かない16歳の少年に何もしてやれていなかった事。
 空白期間が長ければ長いほどにその罪悪感は重くのしかかってくる。
 数週間の生活の間で、自分は彼に何が出来ていただろうか? 回想する自分の姿は酷く冷たかった。

 

”今日は資料作成で遅くなる” ”明日、実験場へいくから9時に集合”
”先にご飯は済ませていて” ”報告は受けたわ。とにかく今はこっちの実験に集中して”

 

 物分りのいい所に甘えていた。保護者なのに、大人のなのに、年上なのに
 身寄りのない彼の家族にならなければいけないのに。

 

「……ほんとうぅ……にぃ……ごめんなさい」
「……っ!? 今日のアナタはおかしい」

 

 泣き崩れる様に抱きしめるマヤ。体重が掛かっているが支えられる程の細い体だという事は
 理解は刹那にも理解出来ていたが、この感情の濁流は理解できてはいなかった。
 瞳孔はぶれにぶれて瞼は猛禽類の様に見開かれている。
 刹那にも何故コレほどまで罪悪感に苛まれているか解らない。
 こうして散々泣いている泣き、罪悪感に打ちひしがれていても
 伊吹マヤは彼の部屋へと一歩も入る事はできず
 刹那・F・セイエイも握りしめた銃を手放す事は出来なかった。

 
 

次回予告

 刹那・F・セイエイ。彼に対して、マヤはなんとか日常への回帰を促そうと奮闘する。 
 経験も教本すらない試行錯誤の日々の中、四番目に選ばれた子供、ヒリング・ケアの復帰が決まる。
 彼女の部屋を尋ねた刹那がそこに目にしたモノとは?

 

第伍話前編「四人目の適格者」