KtKs◆SEED―BIZARRE_第34話

Last-modified: 2010-05-15 (土) 15:55:39

 『PHASE 34:混沌の使者』

 
 

 その日もオーブ政府は会議を開いていた。
 議題は、先日公表されたシュトロハイムの演説の内容に対し、オーブはいかなる態度を取るべきか。
 ロゴス打倒の為とはいえ、自分たちの国土を攻撃し、未知の生物兵器によって多くの死傷者を生んだ相手と、手を取り合っていいものか。ロゴスを討ったとしても、その後で連合は、疲弊したオーブを叩くつもりなのではないか。
 そのような反対意見も出たものの、同盟相手であるプラントのデュランダル議長が、シュトロハイムとの和議に同意したこともあり、ひとまずは連合と手を結ぶ方向で意見がまとまりつつあった。
 休憩時間、カガリ・ユラ・アスハはソファーにどっかりと腰を落とし、背伸びをし、肩を回した。
「まったく、決まるのによくもこう時間がかかるものだ」
 彼女は飽き飽きしたといったふうに、傍に立つアスラン・ザラに聞こえるように言う。
「父上が代表であった頃は、もっと早くすんだものだがな」
「あの頃とは情勢が違うんだ。仕方ないさ。会議制、民主主義というものはどうしても時間がかかる。話し合い、意見をまとめる時間がいるからな。独裁的な君主主義ならリーダーの鶴の一声で決まるが、それではそれこそジブリールが率いていた連合と同じだ」
「ジブリールか……奴はヘブンズベースに陣取っているということだが、まだ諦めないつもりだろうか」
 シュトロハイムの宣言の後、ジブリールはヘブンズベースからあくまで反プラントとコーディネイター廃絶の立場から徹底抗戦を唱え、賛同者を募る演説を行った。それによって、連合軍の一部から脱走者が出て、ヘブンズベースに入ったらしい。
「死ぬまで諦めないだろうな。だがロゴスのメンバーは既に五人まで逮捕したと、情報が入っている。中にはジブリールに助けを求めた者もいたらしいが、ジブリールに自分をクビにした相手を助けてやるほどの慈悲深さはなかったようで、叩き返されたということだ」
「そう、か。世界を裏から操り続けた組織といっても、白日の下に晒されたら最後、脆いものだな」
 ロゴス自体は、もはや戦い以前に滅んだようなものだ。
 財力は既に使うことはできず、利益を得るためにやってきた犯罪的行為の証拠は大西洋連合をはじめとする多くの国家から提出されてしまっている。武力や、軍内の反コーディネイター派への権力はジブリールに握られ、ロゴスメンバーにはもう何も残されていない。
 戦争の火種を育てた元凶は、戦争が鎮火される前に滅び去り、炎は最後の燃え上がりを見せている。
「そういえばポルナレフはどうしたんだ?」
 カガリはプラントからの使者のことを思い出す。
「ユウナのところだ。正確にはアヴドゥルさんとイギーのところかな。積もる話もあるんだろう」
「戦友なんだそうだな……それも、最初は敵としてあったのだとか」
「そうらしいな……」
 二人を思い出さずにはいられない。特にアスランにとっては、かつて友であり、そして敵になり、その後に友として手を取り合って、今はまた……心離れてしまった相手。

 

 キラ・ヤマト。そして、ラクス・クライン。

 

「また会えるかな……」
「会えるさ。いつか。その時はきっと……」

 

 そう話す二人は思いもしなかった。その時が、すぐそこまで迫っているということを。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 アークエンジェルは、そのデッキからオーブの陸地が視認できるまでに近づいていた。オーブからもその機影は見えており、警告の通信が送られてきている。しかしルカ・リビコッコは通信を無視し、手にしたスコップでガツンと床を叩いた。
 それは、彼が凶暴性を発揮するときの仕草であった。
「ローエングリン、ぐすっ、発射準備」
 ルカは、ワーグナーのオペラの主人公、アーサー王伝説に登場する『白鳥の騎士』の名を持つ陽電子破城砲の、発射を命令する。
「……宣戦布告もなしでか?」
 ヴェルサスは期待せずに、一応言う。
「正義のためだ。手段を選んでいる場合じゃない。グス、口出しをするんじゃねぇ。この艦の指揮権は俺にある。貴様は俺の命令を聞いてりゃいい」
 涙に濡れながらも、充分に鋭く凶悪な視線をヴェルサスに向ける。
「このオーブを、ラクス様に捧げるのは……このルカだ」
「………邪魔をするつもりはない。ご自由に」
 ヴェルサスは敬意の感じられない言葉を口にし、身を退いた。
(けっ、そんなこと言ったところで、結局一番危険な任務は俺たちにやらせるんだろうが。自分は楽して手柄を得る気か。別に欲しくはねえけどよ、こんな手柄)
 内心大いに不満ながらも、ヴェルサスは反対意見を述べることも、任務を辞することもなかった。この作戦が成功しようと失敗しようと構わないが、まだ得るべきものを得ていない以上、ラクスの意向を無視するわけにはいかなかったのである。
(手駒は僅かなりとも集められたが、クソ、こんな馬鹿げたことで消費するなんてな。だが出し惜しみをしていたら、この俺が死ぬかもしれねえ。あとちょっとだってのに、死んでたまるかよ)
 これからヴェルサスは、敵陣に入り込まねばならない。常人相手であれば負ける気はしないが、オーブ内のスパイからの情報では、スタンド使いがオーブ首脳陣の護衛にあたっているとのことだ。
 護衛の外見から判断するに、そいつはまずモハメド・アヴドゥルに違いない。
(聞いた話じゃ、質実剛健にして、炎を操る強力なスタンド使い。よりにもよって……チクショウ! しかもポルナレフまで来てるって話だ! ラクス・クラインめ。どこまでこの俺の計画を乱しやがるッ!!)
 今は空の果てにいる歌姫へと、何度目かわからない殺意を抱きながら、それでもヴェルサスはこの危機的状況を是が非でも乗り越える意思を固めるのだった。
 そして、ヴェルサスの心のうちなど知らずに、ルカは命令をくだす。
「ローエングリン! 撃てぇぇぇ―――――ッ!!」
 光線が真っ直ぐに迸り、攻撃に備えていたオーブのMSを巻き込みながら、正面の港に炸裂した。灼熱と衝撃波の嵐が荒れ狂う。炎などという生易しいものではない、超高熱の光がオーブの地を走り、そこに居合わせた人間をすべて、影も残さず焼き殺した。
 天を焦がす勢いで膨れ上がった爆発は、直後に大量の煙を生み、一帯の視界を閉ざした。

 

 それが後に、『大天使事件』『テロリズム・フューリー』などと呼称される、戦いの序曲であった。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 オーブ首脳部にアークエンジェル襲来の報が伝えられたのは、ローエングリンが火を吹いた直後であった。
 当然といえば当然のことながら、連絡を聞いた彼らは大いに動揺した。
「一体どういうことだ! なぜアークエンジェルが!」
「またカガリ様を誘拐しようというのか?」
「誘拐? これはもはやそんな生易しいものではないぞ! 戦争だ!」
「宣戦布告はおろか、なんの主張も要求もないでは、彼らの目的もわからない。どう対応すればいいんだ?」
「前の大戦を終わらせた英雄が、なぜこのような」
「不沈艦アークエンジェル、それにまだ姿を見せてはいないが、フリーダムもいるんだぞ」
「もともと我が国は連合軍と戦い通してきて疲弊している。対応を誤れば、オーブは軍艦一機分の戦力で堕ちることになる」
「どうする?」
「どうする?」
 もともとが宰相ウナト・エマ・セイランに牛耳られていた、能力が高いとはいえない者たちである。予想だにしないアークエンジェルの攻撃に、慌てふためきながら結論を出すことができない。
 しかし無理もない。前大戦で、オーブの味方として共に戦ってくれたアークエンジェルとフリーダム。それが式典に乱入しカガリを誘拐にはじまり、戦争に謎の介入をし続けると言う狂気めいた行動を起こしている。理解不能なだけに、なおさら恐ろしい。
 その混乱の中、テーブルを強く叩く音が響き、閣僚たちの不毛な会話が途切れた。
「……少し落ち着け」
 一拍の間を空けて、カガリ・ユラ・アスハの声が通った。
「いいか。お前たちは相手がアークエンジェルということでうろたえているようだが、相手が何者であれ、どれだけの戦力を持っている相手であれ、問答無用で攻撃してくる以上は、ただのテロリスト、犯罪者と同じだ。迎え撃ち、返り討ちにすればいい」
 厳しく、容赦ない言葉を、きっぱりと言い放った。
「………よろしいのですね?」
 ユウナ・ロマ・セイランが問いかける。彼女の覚悟を、この場の全員に伝えさせるために。
「軍部はすでにアークエンジェル撃退に向けて、そのように、動いている。とはいえ、我々が混乱していては、軍の士気に影響する。態度を決めろ。たとえ彼らが、最強の戦闘能力を誇る英雄だろうと、かつて共に戦った戦友だろうと」
 そして彼女の兄弟であろうと。
「今はただ、このオーブを乱す『悪』だ」

 

 そして、カガリ・ユラ・アスハは正義を背負う。正義も悪も、人の数だけ存在する曖昧な価値観にすぎないと言われるこの世界で、自分が選び信じた正義を、貫く覚悟を身に刻む。間違えであったとしても、やり直しはきかない。それでも、彼女は立ち止まらない。
 たとえその握り締めた拳が、兄弟を想う悲しみに震えているとしても。

 

 その覚悟に感化されたように、閣僚たちも腹を据えたとみえて各々強く頷いた。
「私は軍の総司令部に向かう。ユウナ、貴君もだ。戦況がいち早くわかるところにいねばならん」
「了承しました。代表」
 ユウナの返答に頷きを返すと、カガリは行政府を出発した。
 そのとき、アークエンジェルがオーブの大地の上空まで侵入を果たしていた。迎撃に放たれたムラサメを中心としたMSの中隊を全滅させたうえで。そしてその7割は、かつてこの国のために戦った少年によって落とされたのだ。

 

『破壊(デストロイ)』を破壊し、『戦車(チャリオッツ)』に勝利したMSは、今なお自由に戦場を舞い踊っていた。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 アスランはセイバーのコクピットで出撃のときを迎えていた。報告によると、先に出た部隊はすでに一人の生き残りも無く壊滅したらしい。
 ほんの僅かな時間でこれほどの損害を受けたことに、アスランは驚きに言葉を失った。相手が、そのくらいのことは『できる』だけの力があるとは知っていた。だが、その相手がそれを『する』とは思っていなかった。
「キラ……!」
 ポルナレフから、彼が最後に出会ったときよりもなお、悪い方向に変わってしまったことを聞いていたが、こうも怪物的な存在になっているとは予想できなかった。
「くそ……止めてやる。お前は俺が、止めてやる!」
 それが、友として自分がしなければならないことだと、アスランも覚悟を決める。毅然としてかつての仲間へと立ち向かう態度をとりながら、心の内で血涙を流し、慟哭を続ける、愛しい彼女のためにも。
 オペレーターの声が、出撃の準備が調ったことをアスランに知らせる。
「アスラン・ザラ、セイバー、出る!」
 真紅の機体が戦場へと飛び立つ。場違いなまでに青く澄み通った空を睨むパイロットの目には、漆黒の炎が燃えていた。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 空で砲火の応酬が行われている頃、地上では静かに二人の男が歩いていた。
 彼らはアークエンジェルから地上に降り立った別働隊である。その目的は、オーブ政府の要所である、行政府と総司令部の占拠にあった。要するにアークエンジェルは囮であり、本命はこちらと言える。以前、連合がチョコラータを送り込んだのと同様の手だ。
 オーブ内のクライン派には、すでに連絡がいっている。彼らと合流、協力して行動する予定である。ただ少なくとも、この二人の片側は、この任務に熱心とは言いがたかった。
 その男にとって、心底願っていた屈辱を晴らす機会が。ほんの一週間も経たずに訪れたのだ。任務よりそちらの方が優先される。
「今度は、前のようにはいかん。待っていろ……ポルナレフ」
 漆黒の怪人、ストレイツォは嬉しそうに呟いた。
 ベルリンでの戦闘後、彼はスタンドに対抗する準備を早くも済ませていた。ポルナレフへの再戦を挑みにいこうとしていたところを、アークエンジェルにオーブ戦の戦力として拾われ、渋々ながらここまで来た。
 しかし内通者からの報告で、ポルナレフがプラントからの使者としてこのオーブに来ているというではないか。ストレイツォは小躍りせんばかりの喜びを抱いた。
 これはまさに悪魔の采配というものだ。運命は是が非でも自分とポルナレフを戦わせたいらしい。
 ストレイツォはそう思い、軽い足取りで目的地へと進んでいた。

 

 一方、もう一人は無言のままに歩き続けていた。

 

「おい! お前たち! この非常時にのんびり歩きおって! 怪しいぞ!」
 その二人を呼び止める者がいた。民間人の避難の指揮を執っていたオーブ軍人の一人だ。
 ストレイツォは面倒そうに振り返る。そして彼が目にしたのは、左胸を貫かれ、血を流して絶命するオーブ軍人の姿だった。軍人は自分の身に何が起きたのかも、わからないままにこの世を去った。
 それはストレイツォがやったことではない。もう一人の方の仕業だ。
「ほう……大した早業だな」
「別に……そっちの反応が遅いんだ」
 男はストレイツォの素直な賛辞を、大したことじゃないと意に介さなかった。ストレイツォは少々気分を害したが、こんなところで争っても仕方が無いと、それ以上言葉を紡ぎはしなかった。
 ストレイツォと彼とは初対面だ。もう一方の男が何者なのか、どのような能力の持ち主なのか、ストレイツォも知らない。確かなことはスタンド使いであることくらいだ。だがその鋭くも暗い眼光に、只者ではないという印象を受けた。
 吸血鬼ストレイツォと、彼も一目置くスタンド使い。彼らが勝利するか敗北するか、それはわからない。確かなことは、彼らの行く手がどこであれ、そこには血の雨が降るということだ。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 カガリたちが離れた後、行政府では残された要人たちが各国への連絡や、民間人の非難指示など、彼らのするべき義務を混乱しながらもどうにか果たしていた。
 その中心には車椅子に座るウナト・エマ・セイランの姿がある。連合軍による謎のバイオ兵器(とされている)散布によって右足を失い、全身を深く侵食され、今まで入院していたが、この危機に無理矢理起き出し、閣僚の中心として指示を飛ばしていた。
「プラントは応援をよこしてくれそうか?」
 ウナトの言葉に、閣僚の一人タツキ・マシマが沈鬱な表情で答える。
「残念ながら、すぐにはとても……」
「そうか……そうだろうな」
 ヘブンズベースとの戦いのため、ザフトの主力はヘブンズベースのすぐ近くにあるジブラルタル基地に集められている。オーブ周辺の残存戦力は大したものではなく、助けは期待できない。
「やはり、私たちで何とかするしかない。か……」
 そう呟く彼の背後から、オーブ兵士の一人が声をかけた。
「セイラン様……ご報告があります」
「なんだ。報告は率直に、いちいち断るな。そんな呑気な事態ではない」
「はっ……実は、その報告とは」
 兵士は一礼し、顔を上げると同時に、腰に下げた拳銃を抜き放っていた。

 

「今日が、あなたの命日になるという報告でございます」
「なッ!?」
 額に銃口を向けられたウナトは反射的にのけぞる。兵士はそんなウナトに冷酷な視線を浴びせながら、引き金を引いた。だが、今度は兵士の方が声をあげた。
「な、なっ?」
 カチカチと音が鳴るばかり、まったく弾丸は出ない。
「セ、セーフティ・ロック(安全装置)は外したはず!」
 焦る兵士を、
「グウッ!?」
 駆けつけた別の兵士が殴り倒した。そのまま床に転がる裏切り者は、取り押さえられる。
「ご無事ですか閣下」
「う、うむ」
「どうやら、内部に何人か裏切り者がいるようです。人数は不明ですが……」
 連行されていく裏切り者を見送りながら、ウナトは安堵の息をつく。
「助かった。感謝しよう」
「いえ、これは私の手柄ではなく、この行政府に配置された兵士全体の指揮者である方の手柄です。私も、彼の人の指示に従ったからこそ、閣下をお助けすることができたのです」
「指揮者……その辺りはユウナの管轄だったが、誰だね?」
「礼のバイオ兵器事件を解決した一人ですよ。この銃の安全装置も、ひょっとしたら彼らのおかげかもしれませんよ」
 さきほどウナトに向けられ、さきほど取り上げられた拳銃を見て、兵士は言う。彼らには見えなかったが、その拳銃のグリップには、小さい虫のようなナニカが、自分の手柄を威張るように胸を張っていた。
「シシシ……オラノオカゲダ、ゾ!」

 

 裏切り者を取り押さえた兵士から、警備本部である部屋に連絡が入った。
「……どうやら事なきをえたようだな」
 連絡を受けた指揮官が笑みを浮かべ、隣にいた少年に声をかける。
「ちゃんと拳銃の安全装置もかかっていたそうだ。よくやってくれたな重ちー」
「シシシッ、この程度は朝飯前なんだど!」
 褒められて機嫌をよくした少年が、鼻の下を指でこすりながら言う。
「だが油断するなよ? この行政府で、誰がどう動いているか、不審な動きをしている者はいないか、それを見つけられるのはお前だけだ。ここの警備はお前にかかっているんだ」

 

 彼らがこの行政府の警備の指揮官にして責任者。
 依頼と報酬があれば、どんなきつい仕事でも請け負う、何でも屋。

 

 その名はスピードワゴンと重ちー。

 

 チョコラータとの戦いの傷がある程度癒えた彼らは、ユウナの依頼を幾度か受けていた。オーブ軍人への指導、訓練や要人警護、ブルーコスモス過激派の調査、発見、拘束などである。今回の警備もユウナの依頼だ。
 行政府を離れる前に、最も信頼でき、かつ、警備する兵士たちからも信頼されている人物に指揮を任せたのだ。
 警備にあたっている兵士たちの半数は、スピードワゴンたちのことを見知っている。スピードワゴンたちが以前受けた幾つもの任務に、関わった者たちである。彼らと触れ合った者たちは誰もが、彼らのことを信頼していた。

 

「ユウナの言うとおり、オーブのクライン派が動いているようだしな。注意してし過ぎるってことはないぜ」
 ユウナたちはカガリ暗殺事件以降、ブルーコスモスの調査を行っていた。そのとき行った国民の身辺調査によって、ブルーコスモスとは別のこともわかった。クライン派の存在と、彼らの強い忠誠心である。
 アークエンジェル襲来の報を受け、ユウナが心配したのはオーブ内のクライン派の動向であった。それほど人数は多くないようだが、ラクスのためならばどんなことでもするであろう者たちばかり。
 前回のカガリ誘拐のときも、多少の情報を流していたことがわかっていた。そんな者たちが軍部に紛れ込んでいると、対処は難しい。そこで役に立つのが、広範囲に渡って目を光らせることができる重ちーのスタンド、ハーヴェストである。
 ハーヴェスト自体の調査能力、精密動作性は低いが、ハーヴェストを行政府中に配置し、所定の位置にいない者、人がいてはおかしなところにいる者などを大雑把に調べ、他の兵士に連絡をとって、詳細に調べてもらうという手段がとれる。
 拳銃の安全装置程度ならいじくることも可能だ。しかし、彼らにしても守れるのは行政府だけだ。
「しかしモルゲンレーテから貰ったクライン派の資料によると、どうも司令部にいる連中にも裏切りそうな奴がいるんだよな……。そこは任せるしかないが」
 スピードワゴンの得意先であるモルゲンレーテ社もまたクライン派といっていい。その中で仕事をし、ラクスともよく会っていたスピードワゴンは、ラクスの奇妙な影響力も知っていた。
 ただモルゲンレーテ社もさすがに、今のラクスにはついていけないと感じたらしく、手は切って、ユウナたちに資料を提出するなど、積極的に協力している。ただしそれは上層部の話であって、下の社員がどうかはわからないが。
「それにしても重ちーよ」
「なんだど?」
「あの坊ちゃん嬢ちゃん、一体どうする気なんだろうな?」
「……知らないど。『キラ』ってのはどいつもこいつも何考えてんのかわかんねーど」
「悪意ねー分、余計にたちが悪いよな……」
 二人は知人たちの顔を思い浮かべてため息をついた。国際的犯罪者となってなお、キラとラクスに対して受ける印象は『邪悪』ではなかったし、嫌いにはなっていなかった。ただとことん『迷惑』ではあったが。
「『悪の化身』ってほど大物じゃあないよな。あいつら」
「つまり子供なんだど。大人の分別ってもんを身につけてほしいもんだど」
「……おめーより年上なんだけどな。まあ、その通りだが」
「んッ……54番の兵士が怪しいど。持ち場にいないみたいだど」
「了解」
 おしゃべりは中断され、仕事の続きが始められた。

 
 

 総司令部では、モニターを見るカガリの剣呑な表情が、更にしかめられていた。
「あれは、ザフトのMS……?」
 アークエンジェルから飛び出してきた8体のMSは、間違いなくザフトのザクであった。それらはフリーダムと共にオーブ軍へと向かっていく。その練度は中々に高く、まず一流といって差し支えないだろう。
 それでいて無理にムラサメ部隊に攻撃をかけることはなく、アークエンジェルを護り、牽制するにとどまっている。
「ア、アークエンジェルにザフトが協力しているのでしょうか?」
 オーブ軍人の一人が漏らした言葉を、ユウナはすぐさま否定する。
「そんなわけない。彼らは確かにザフトだろうが、ザフト全体が彼らに協力するなどありえない。ザフトのクライン派……おそらく脱走兵だろう」
「あれだけの兵力が脱走だと? 一体どこの部隊だ?」
 カガリは口にしながら、軍人に軍を裏切らせるほどのラクスの影響力に、内心脅威を感じていた。
「ザフトに連絡して調べてもらいましょう。向こうの戦力の予測が立てば、これから取る行動の判断材料にもなります」
 ソガ一佐が意見を出す。
「彼らの取る行動を予測する……ってのはかなり無理なような気がするが……ま、ザフトには連絡しておこう。脱走兵や盗まれた兵器については、彼らの責任であるわけだし」
 ユウナは傍らの兵に、ザフトへの連絡を指示し、また目の前の戦場に意識を集中させる。
 戦場はいよいよ本番を迎えようとしていた。蒼穹を我が物顔で貫き飛び来るアークエンジェルとフリーダムの前に、紅いMSが立ちはだかったからだ。

 

「さあ、主役同士の戦いだ。もちろん僕はセイバー(救世主)に賭けさせてもらうがね」

 

 ダーダネルスでの戦いでは、彼らが直接ぶつかりあうことはなかった。
 クレタでの戦いでは、すでにアスランはミネルバを離れていた。
 意外にも、キラとアスランが剣を交えるのは、この戦争が始まって以来、初めてのことであった。

 

 その戦いの結果に起こる事態から無関係の者ならば、この戦いは手に汗握る極上の試合(ゲーム)であろう。当事者であるオーブ軍人たちでさえ、キラとアスランのどちらが勝つかという問いの答えに、注目する想いはあった。
 しかし、彼らはすぐにこの戦いを悠長に見ているわけにはいかなくなった。

 

「……? 何か聞こえないか?」
 兵士の一人が、訝しげに言った。確かに司令部の外から、妙に騒がしい雑音が聞こえ、それが近づいてくるようだった。その音の正体はそれからすぐにわかった。いきなり総司令部のドアが激しい音を立てて破られ、
「全員、手を上げろ! 妙な動きをするものは即、射殺する!」
 重武装の兵士たちが、軽機関銃を向けて命令を叩きつけてきたが為である。

 

「なんだ!」
「これは一体」
「お前たち、何の真似だ!」

 

 司令部の面々が口々に叫ぶ。だがその驚きように、銃を突きつける側は薄笑いを浮かべていた。二十人ほどの乱入者のうち、一人が言葉を紡ぐ。
「ラクス様のため、あなた方には大人しくしてもらいます。カガリ様もです」
「私にまだ『様』をつけてくれるとはね。嬉しいよ。裏切り者諸君」
 カガリは指の動き一つで命を永遠に失う状況下に落ち、それでも恐怖をまったく見せなかった。恐くないわけではない。しかし、この乱入者たちに怯えた姿を見せるなど、彼女のプライドが許さなかった。
「申し訳ありません……。しかし、私たちは裏切り者ではありません。これはオーブを救うために必要なことなのです。このままでは、オーブはデュランダルの企みに乗せられてしまう。それを避けるためには、あなたに良からぬ考えを植え付ける……」
 自分に酔ったように語る兵士は、一度言葉をきって、銃口の向きを移動させた。
「セイランを討たねばならないのです」
 ユウナの額へと。
「丁度いいので、今ここで始末をつけてしまいましょう」
 兵士は狂気染みた笑みをネタリと浮かべ、引き金を、

 

 ボジュッ

 

 引くことはできなかった。
「は?」
 兵士は呆然として、消し炭になった自分の右手と、熔け落ちた合金製の機関銃の残骸を見ていた。自分が右手と武器を失ったことに気付く前に、兵士は、彼の目には見えない一撃をくらって吹っ飛び、気絶した。
「さて……ボディガードとしては、見過ごしては置けないな」
 これまでまったく口を開かず、アークエンジェルとの戦いを見守っていた男が初めて動く。荒鷲のように鋭い目で敵を睨み、激しく強い動作で、人差し指を裏切り者たちに突きつけていた。
「HELL 2U(地獄を、貴様に)!!」
 魔法使いを使う者が、彼の舞台において戦いを開始した。そしてその足元には、しょうがねーから付き合ってやるぜ、と言わんばかりの小犬が、裏切り者たちへ牙を剥いていた。
 しかし彼らはまだ気付いていない。裏切り者たちの影で、必殺の爪を研ぎながら潜んでいる、スタンド使いの存在に。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 司令部が襲撃を受けたちょうどその時、アスランの口から言葉が紡がれていた。
「……キラ」
「アスラン……」
 向かい合う者を撃ち殺し、触れようとする者を阻みとおすために造られた衣装越しに、親友同士の二人は再会を果たした。
「キラ……俺は最後に会ったとき、お前に言ったな。お前には覚悟が無いと」
「ああ……でも今はできている。仲間の、大切なもののためなら、もう人殺しだってしてやる……!」
 フリーダムの手のライフルが構えられる。
「……いいや。お前は覚悟を決めたわけじゃない」
 セイバーがビームサーベルを抜き放つ。
「ただ何もかもを投げ出しただけだ」
 キラは反論はしなかった。ことさら興味がない風に、アスランの言葉を受け流し、
「始めようか……」
 そうとだけ言った。アスランも問答は無用と判断する。
「仕方ないな……」
 キラの脳裏で紫の種が弾け割れ、光が閃くように能力が跳ね上がる。
 アスランの両眼に黒い炎が燃え上がり、思考が熱くも冷たく研ぎ澄まされる。
「キィィィラァァァァ!!」
「アァァァスラァァァン!!」
 静かな空気が、一斉に熱気と鬼気に支配され、バーニアが火を噴き、両MSが突進した。セイバーのビームサーベルが神速で横一線に薙ぎ放たれる。しかしフリーダムが微かに引いたために、サーベルの剣先はフリーダムの鼻先を通り過ぎた。
 そして小さな間合いが生まれたと同時に、フリーダムのビームライフルが発射された。ほぼ押しつけるような状態で放たれたビームを、セイバーは右に最低限動くことでかわす。
 その一瞬の攻防を見ただけで、戦場にいたすべての他の者たちは理解する。今行われた動きはどれもが、彼らにしかできないことであり、二人の戦いに介入しようとするならば、獅子同士の激闘に割り込もうとした兎のように、無駄に返り討ちにあうのみであると。
 そしてオーブとアークエンジェルの戦闘から、キラとアスランは乖離し、別次元での決闘へと突入することになった。誰も割り込む余地はない。戦争が始まって以来、最も高度で、最も激しい戦いがそこにあった。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 行政府では次々と反乱者たちが捕らえられていた。
 一代で巨万の富を築き、何世代にも続く大企業を生み出した、スピードワゴンのリーダーシップと的確な指示。数と行動範囲、利便性において並ぶ者のない、重ちーのスタンド能力。
 その二つが合わされば、ろくな計画も立てていないクーデターなど敵ではなかった。しかし、ほとんどの反乱者を捕まえられたという手応えを得られたところで、重ちーが顔色を変えた。
「ッ……な、なんだど? こいつは」
「どうした重ちー?」
 スピードワゴンの見る重ちーの額から、汗が流れる。
「近づいてくる……こっちにまっすぐ……って、どこ通ってるんだど!? こんなとこに道なんか、ええ?」
「お、おい?」
 混乱した様子の重ちーに心配げな声をかけるスピードワゴンに、別の部下から通信機を通して連絡が入った。その声は非常に動揺していた。
『たっ、隊長! 何者かが行政府に侵入! か、壁を破壊しながら進んで、そ、そんな馬鹿な!』
『じゅ、銃が効かない!? ゴビュッ! ぐ、ぶふっ……』
『何者なんだ! う、うわあーーー!! グブジュッ!』
『まさか、こいつは噂に聞く黒衣のテロリスト……!?』

 

 混乱、恐怖、悲鳴、絶叫、そして、肉が潰れる音。骨が砕ける音。血飛沫が飛ぶ音。

 

 ドグチャッ、バチ、ボジュンッ、ブブブブ………ブツリ

 

 向こう側で通信機が破壊されたようだった。

 

「何が起こっていやがる……!?」
 スピードワゴンは冷や汗を流しながらも、大口径の拳銃を手に取った。
「お前ら! 武装を整えろ! 何かわからんが来るぞ!」
「……来たど!」
 壁が向こう側から、轟音を響かせて破壊された。こちら側に瓦礫が激しく飛び散り、運の悪い兵士に激突し、負傷させた。血を流して倒れた兵士の様態はわからなかったが、そんな兵士に駆け寄れるほど余裕のある者は、残念ながらいなかった。
 その破壊は、一人の男が繰り出した一発の拳によって行われたものだった。それだけで、大人が身をかがめることなく通ることができるような大穴が開いた。
 警備本部に足を踏み入れたのは、漆黒の衣装に身を包んだ男だった。黒いライダースーツに、黒いヘルメット。露出している部分はまったくなく、人相もわからない。また奇妙な点としては胸の中央に仮面がつけられていたことだ。
 やはり黒い仮面であったが、スピードワゴンはそれと似た仮面を知っていた。かつて彼と友人を奇妙な冒険に巻き込んだ元凶である、石の仮面に似ているのだ。偶然であろうとは思ったが、スピードワゴンの気分はいっそう悪化した。
 来襲者は頭をひねり、本部全体を見渡した。そんな動作をしている相手に、兵士たちは度肝を抜かれて反応を示せなかった。ただ一人、スピードワゴンを除いては。
「この野郎!!」
 彼の銃が火を吹いた。弾丸は相手のヘルメットに命中し、粉々に破壊する。中身の頭にまではダメージは達しなかったが、ようやく敵の素顔を拝むことができた。だがそれによって、スピードワゴンの動きが止まることとなった。
 驚きの余り、続けて攻撃ができないスピードワゴンに、彼は言った。

 

「久しぶりだな。スピードワゴン……情報は受けていたが、随分若返ったものだ。羨ましいくらいだ」

 

 スピードワゴンはその男を知っていた!
 その顔を、たなびく長い黒髪を知っていた!

 

「ストレイツォ!!」
 かつての仲間にして、裏切り者。
 かつての戦友にして、自分を殺しかけた敵。
 その姿を目の前にして、豪胆なるスピードワゴンも引き金を引くことさえ忘れていた。
「二度も同じ相手に『吸われる』とは……ついていないな。前回は生き延びられたが……今度は完全に殺すとしよう」
 ストレイツォが手袋を取る。スピードワゴンの肌に直接触れて、血液と精気を吸い取るために。その妖気漂う手をスピードワゴンに向けて、ストレイツォは歩み出す。
「来るんじゃねーど! このロン毛ぇぇー!」
 そこで重ちーが雄叫びをあげた。さきほどまでストレイツォの生み出す威圧感に押さえつけられていた彼だったが、相棒を殺すという発言を聞き、プレッシャーを跳ね除けた。
「『ハーヴェスト』!!」

 

 ゾワワワワワワワ!!

 

 三十体ほどの小さなスタンドが、ストレイツォへと飛び掛る。本来は何百体もいるハーヴェストだが、現在は行政府中に配置しているため、すぐには多くを呼び戻せない。それでも目に見えないスタンドだ。効果は期待できる。
(まずはその目をえぐってやるど!!)
 視覚を奪うことを思いつき、ハーヴェストをストレイツォの顔へと向かわせる。だが、
「邪魔だ」
 顔の前で腕を一振りされ、その勢いでハーヴェストたちは吹っ飛ばされる。スタンドはスタンド以外に傷つけることはできないのでダメージはないが、吸血鬼のパワーを止めることはできない。
「み、見えている? あいつもスタンド使いかど!?」
「……邪魔をするな。子供」
 ストレイツォの鋭い視線が、重ちーへと向けられた。そしてそれはそのまま『照準』を合わせる行為となっていた。ストレイツォの瞳に穴が開き、そこから凄まじい圧力がかけられた体液が、光線のように発射された。

 

「空裂眼刺驚(スペースリパー・スティンギーアイズ)!!」

 

 その一撃が重ちーの頭蓋骨を貫くより先に、

 

「『銀の戦車(シルバー・チャリオッツ)』!!」

 

 剣閃がその一撃を切り捌いた。

 

「……来たか。ジャン・ピエール・ポルナレフ」
「そっちから来てくれるとは、いい度胸じゃねえか。ストレイツォ」
 ストレイツォが鋭い牙を見せて笑い、ポルナレフが怒りの形相で迎える。
「使い慣れた機体がない以上、ムラサメとか借りて乗っても、返って足手まといになっちまうと自重して、出撃せずに残っていたんだが」
 ポルナレフはストレイツォに歩み寄る。自分のスタンドの射程距離に入るために。
「てめーが来た今となっては、最高の選択だったぜ」
「そうだな。私にとってもだ……屈辱は晴らさねばならん」
 ストレイツォが右手をゆっくりと握り締める。その手の中に、ポルナレフの心臓があり、それを念入りに潰し込んでいるかのように、じっくりと拳を固めていた。
 その様子を冷たく眺めながら、ポルナレフは声をかける。
「……場所を変えないか? この部屋じゃ狭いだろ? ここにはパーティーにも利用される広間がある。そこなら存分にやれるはずだ」
「………そうだな。いいだろう」
 ストレイツォは頷く。
「ということだ。後は任せてくれ」
「……すまんポルナレフ」
 スピードワゴンは悔しそうに頭を下げた。ポルナレフにこの敵を押し付けるようで心苦しかったし、自分にとっても因縁のある相手だけに、ポルナレフに任せたくは無かった。
 だが、自分たちがいても足手まといであるのはわかったし、自分の因縁よりも役目の方が今は大切だ。ストレイツォに気を取られて、他の反乱分子を止められなかったのでは話にならない。
「ついてきな」
 そう言うポルナレフの後を追って、ストレイツォが部屋を出るとき、スピードワゴンはストレイツォに言った。

 

「ストレイツォ……お前さんが向こうで死んだあとのことだが、ジョセフは勝ったぜ。あの最強の生物『柱の男』に。お前が育てた、リサリサと共にな」

 

 その言葉に、今まで剣呑な殺気しか発さなかったストレイツォが怯んだ。一瞬ではあったが、郷愁を帯びた表情を見せ、二度と取り戻せぬものを懐かしむ、ほろ苦い想いを抱いていた。しかしそれもすぐに消え、
「………私にはもう、関わりのないことだ。すべて、捨てた」
「そうかい……」
 ドアが閉まり、ストレイツォの姿が消えた後、スピードワゴンは負傷者の治療、警備の続行を命令した。彼には彼の勤めがあり、それをまっとうすることが、ポルナレフに報いる方法だと、よくわかっていたのだ。

 

 そしてストレイツォは存外素直に広間に移ってくれた。彼にとって、あの場にいた人間たちはよくて餌レベルであり、敵意を向けて殺すほどの対象ではないということだろう。
「なるほど、ここなら存分にやれるな」
 広間はバスケットボールをやれるくらいのスペースがあり、現在はテーブルや椅子などの障害物もない。広いだけの空間だ。
「ああ……今度こそは、討たせてもらうぜ。友の仇を!!」
 再びシルバー・チャリオッツが臨戦態勢で登場する。
「好きなだけ吠えるといい。今度は前のようにはいかない……!」
 ストレイツォは笑みを浮かべる。ポルナレフはそのとき気付かなかったが、その笑みは確かに、スタンドの出現に反応してつくられたものであった。

 

 そして二人の最後の一戦が、幕を開ける。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

「大人しくしろ! とっととアークエンジェルへの攻撃をやめさせるんだ!」
 カガリの横に立つ襲撃者の一人が、機関銃をアヴドゥルに向ける。
「やめておけ。私にその程度の脅しは意味がない」
 しかしアヴドゥルは微動だにしない。彼のスタンド、『魔術師の赤(マジシャンズ・レッド)』は炎を操るスタンド。
 その破壊力、戦闘力はスタンドの中でも上位に入る。スタンドであっても正面から機関銃に対処できるものは少ないが、マジシャンズ・レッドであれば、飛び来る銃弾を空中にあるうちに焼き尽くすことが可能だ。
「………クク、そうだろうな」
「何?」
「スタンド使いに対しては、銃だけではな」
 兵士はスタンドについての知識があるようだった。ならばなぜ笑う余裕があるのか……。
「ならば……スタンド使いには、スタンド使いだ」
 兵士がパチリと、指を鳴らした。

 

 バリョッ!

 

 貫き破れる音がした。
 オーブ側の下士官の一人の胸から血が噴き出る。それは下士官の背中側から、肉体を貫き通し、空を切ってアヴドゥルへと向かってきた。
 それの切っ先は鋭く、反対側からは長い糸が伸びていた。猫の爪よりも深く曲がったそれは、紛れも無く一個の『釣り針』であった。
「ぬううう!」
 唸るアヴドゥルの背後から、猛禽の頭をした、筋肉逞しい男が現れる。アヴドゥルのスタンド、マジシャンズ・レッドの姿だ。
 赤い鳥人の腕が振るわれると、燃える物の無い空中に、炎が放たれた。釣り針は喰らいつこうとする炎に対し、敏感に反応した。敏捷にくねって炎を避け、糸は引き戻されていったが、どこへ戻されたのかはわからなかった。
 ただアヴドゥルの目には、釣り針は床に溶け込むように消えていったと見えた。
(物体を透過して伸ばしているのか? 承太郎やポルナレフが戦ったというアヌビス神の暗示のスタンドのように)
 胸を貫かれた下士官は、糸が抜けたと同時に膝を突き、横向きに倒れ伏す。その体にはすでに脈が無かった。
「っ! 貴様たち!」
 カガリが下士官の死に対し、指を鳴らした兵士に掴みかからんばかりの激昂を露わにした。だが兵士は涼しい声で、
「おっと……あなたにはここから遠ざかってもらいましょう」
「! お前は!」
 カガリはようやく気付いた。その兵士こそは、元凶なる者。オーブ兵士の装備をし、目深に被ったヘルメットで人相をわかりづらくしていたが、冷静になればすぐにわかった。
 ドナテロ・ヴェルサスが、ここに立っていることが。
「ウオンッ!」
 不穏さを増した空気に、イギーが反応して飛び掛る。同時に、機械と野獣を合成したような奇妙な怪物が姿を現していた。イギーのスタンド、『愚者(ザ・フール)』である。
 その姿を認めながら、ヴェルサスはまたしても指を鳴らした。
 同時にカガリとヴェルサスの二人の背丈が、急に縮んだ。
「カガリ!」
「ギャン!?」
 傍からは縮んだようにも見えたが、実際は彼ら二人の立っていた床が急に崩れ、二人は口を開けた大地の奥底へ落ち込んで行ったのだ。そして飛び掛ったイギーもまた、その穴へと飲み込まれていってしまった。
「しまった!」
 アヴドゥルが開いた穴へと駆け寄る。その穴は深く暗く、どこまで続いているのか見当もつかなかった。カガリの声も、イギーの鳴き声も聞こえない。
(追うべきか? いやしかし、この場を何とかせぬうちには……)
 アヴドゥルは穴の淵で一瞬迷う。しかし決断もままならぬうちに、状況は動いた。
 穴の奥を覆い隠す暗闇から、一筋の光が放たれた。それは蛇のように蠢きアヴドゥルの右足に食いついた。
「何ッ!」
 アヴドゥルの右足の脛の辺りが、ちょうど釣り針の形に膨れているのが見て取れた。足首の辺りからは、穴の奥に伸びる糸が生えている。さきほどの敵に間違いない。皮一枚下に、釣り針を潜り込まされたのだ。
 そして糸が引かれる。
「ぐう! ユウナッ!」
 堪える暇も与えられず、アヴドゥルは穴へと引きずり込まれていく。完全に穴へと落ちる前に、アヴドゥルは雇い主の方を見た。
「アヴドゥル!」
 ユウナは、真剣な面持ちで見返した。そこには恐怖の色はない。恐怖が無いわけではないだろう。ただ恐怖を押さえ込んでいるのだ。おそらくはアヴドゥルの心配を減らすために。
「カガリを頼む!」
 自らの身が危うい時だというのに、彼はただ、友でもある国家代表の身を案じていた。その想いに、アヴドゥルは目を見開いた意表を突かれた表情を見せ、そして、
「ああ! 必ず助け出す!」
 アヴドゥルは力強く言い切った。敵の能力は未知数であったが、彼らは無理だとか無茶だとか、そんな言葉で表されるようなことは何度も乗り越えてきた。
 まして、こうも無様に敵地へと引きずり込まれるような自分を、それでも信頼しようとしてくれているのだ。この約束、違えてはそれこそ男がすたるというものだと、アヴドゥルは命に代えてでも、カガリを無事に連れ戻すことを約束した。
 そして、この司令部にいたスタンド使いは全員いなくなり、そこには拳銃程度の装備しかしていないオーブ司令部の面々と、機関銃等で重武装した襲撃者たちが残された。
 数ではユウナたちの方が多いが、武装を見れば、不利なのはユウナたちだ。しかも敵は狂信的で、死ぬことさえ恐れていないと見受けられる。
「邪魔者はいなくなったようだな。言っておくが、助けは期待するな。我々の全兵力がここにいるわけではない。この建物のそこかしこで戦闘が行われている頃だ。救援を寄越す余裕はないだろう」
 現状での襲撃者のトップらしき男が言う。ヴェルサスを別格。アヴドゥルにやられた男をリーダーとするなら、本来はサブリーダーの位置にいる男であろうか。
 その声には過度の嗜虐性などはなく、鉄のように硬く曲がらず、目的のためには手段を選ばない冷徹さが感じられた。
「なるほどね。それで?」
 しかしユウナは務めて冷静に返した。
「しれたこと。戦闘停止の命令をくだし、軍の指揮権を明け渡してもらう」
「……だそうだけどソガ一佐。国防の実質的な指揮権保有者として、どうするのがいいと思う?」
 話をふられて、ソガ一佐はよどみなく答える。
「国家と国民を守る軍が、国家と国民に仇なすテロリストに屈するなど、あってはならないことです。この者たちの要求は、とうてい叶えることはできません」
「……反対意見のある者は?」
 誰も反対はしなかった。
「ということだ。まあ、この僕でさえ君らに従うという判断を出さないんだから、こういう結果になることはわかりきっていたけれど……民主的に、君らの要求は却下されたよ」
 ユウナがこの場の全員を代表するように、襲撃者たちへの返答を出した。
「……ここで皆殺しになってもよいのか?」
 襲撃者の声に、より強い殺気が滲んだのがわかった。
「……生憎だけど」
 ユウナが、そして、その場のオーブ軍人全員が、拳銃を抜き、抗戦の意を示す。
 そして、ユウナは後々の世にも伝えられることになる台詞を口にした。

 

「君らよりも、後でカガリのフューリー(憤激)をこうむる方が、ずっと恐ろしいのでね」

 

 それは後に、この戦いが『テロリズム・フューリー』と呼ばれることを決定付けた台詞であった。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

「……ここは」
 気がつけばアヴドゥルは、広い部屋の中にいた。客間であろうか、テーブルとソファが中央に置かれ、壁には時計や絵画がかけられている。カガリやイギーは見当たらない。
「穴の中に別の空間が……これはあのとき、カガリ代表の傍にいた男の能力か?」
 釣り針の能力とは異質すぎるため、これが同一人物の能力とは思えない。
「敵は少なくとも2人以上か」
 そして今、自分は一人。早くイギーと合流しなくてはならない。
「そのためにはこいつを何とかしなくてはな……」
 アヴドゥルは、いまだに自分の脚に食い込んでいる釣り針を睨む。糸は壁へと伸びており、壁の向こう側に突き抜けている。おそらく敵は向こう側にいるのだろうが、今自分は囚われの身も同然。釣り針を外さずに満足に戦えるとは思えない。
 釣り針はすでに脛から膝に上っている。いずれはもっと上、傷つけられたら致命傷になる部位にまで達するだろう。
「さて……」
 アヴドゥルは糸を掴んだ。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 アヴドゥルを捕らえた釣り針から伸びる糸の先には、当然といえば当然のことながら『釣竿』があった。リールが肉食恐竜の頭蓋骨めいた形であるところが変わっているが、他の見た目はほぼ普通の釣竿である。それは男の手に握られていた。
 低い鼻に太い首、頭の頂点以外の、周囲の髪の毛をそり落とした、モヒカンのような髪型をしている。歳はまだ若いが、その目つきは鋭く、金剛石のような硬い意志を輝かせていた。
 にじみ出る殺気は、この若さにして、彼が紛れもない『その道のプロ』であることをうかがわせるものだった。
「さて……どうするアヴドゥルとやら……」
 このまま釣り針を無事、心臓に食い込ませられると思うほど、彼は敵を甘く見てはいない。釣り糸から伝わる感触で、相手の動きを読み取り、どのようにでも対処できるように務める。
「どう動こうと……俺にはわかる。しかしこの感じられる脈拍からは……動揺が少ねえと見える。この状況でこの落ち着きは、さすが歴戦の戦士ってとこか。だが依頼を受けた以上はどんな奴だろうとぶっ殺して……」
 そこで言葉を途切れさせ、男は決まり悪げな表情になって、頬を掻く。
「いけねえいけねえ。どうもつい言っちまうな……俺もまだまだだぜ」
 彼にとって、彼に教えを授けた人物にとって、今言おうとした言葉はタブーだ。殺すのは当然のこと。いちいち宣言するような意味のあるものではない。意味があるのは、殺したという結果のみ。

 

「『ぶっ殺す』は使っちゃいけねえ……。使っていいのは、『ぶっ殺した』だ。なあ……プロシュート兄貴」

 

 男の名はペッシ。
 スタンドはその手に握られた釣竿、『ビーチ・ボーイ』。

 
 

TO BE CONTINUED