KtKs◆SEED―BIZARRE_第35話

Last-modified: 2009-06-28 (日) 10:04:06

 今まで登場したジョジョキャラ一覧

 

1部・スピードワゴン、ダイアー、切り裂きジャック
2部・シュトロハイム、ストレイツォ
3部・ポルナレフ、アヴドゥル、イギー、グレーフライ、ンドゥール、デーボ、花京院典明、アヌビス神
4部・虹村形兆、吉良吉影、重ちー、辻彩
5部・ブチャラティ、アバッキオ、ナランチャ、リゾット、プロシュート、メローネ、ホルマジオ、ギアッチョ、チョコラータ、セッコ、ペッシ
6部・ウェザー、フー・ファイターズ、ヴェルサス、ケンゾー、グッチョ
7部・フェルディナンド博士、リンゴォ・ロードアゲイン、サンドマン

 
 

 『PHASE 35:カガリ・ユラ・アスハの収穫』

 
 

 カガリは苦しげな唸りをあげた。原因は頭を強く押さえられ、床に顔面を押し付けられているためだ。
「きっさま……ヴェルサス……!」
「久しぶりですねカガリ様……」
 ヴェルサスの薄笑いが、カガリの神経を逆撫でする。
「キラ様のもとに戻っていただきます」
「……断る!」
 カガリは叫ぶと同時に、ポケットに隠し持っていた拳銃を抜いた。女性の護身用である小さな拳銃であるため、威力は高い方ではないが、それでも人を死に至らしめるには充分だ。ヴェルサスのいる方向に目を向けられないながらも、勘を頼りに引き金を引いた。
「おっと」
 ヴェルサスが飛び退き、カガリの頭から奴の手が離れる。すぐさま彼女は跳ね起きて、左右に首を振り、ここが廊下の真ん中であることを確かめると、全力で足を動かした。中々の脚力を見せて、カガリはヴェルサスの目の届く範囲から離れていった。
「逃がしてしまったか……ま、いいさ。どうせここからは逃げられん。出口がどこかもわかるまい」
 ここはヴェルサスの『アンダー・ワールド』が掘り起こした過去。大地の記憶に残った、とある建造物を再現したものだ。スタンド使いでもない常人に、対抗できるはずもない。
 元々カガリを重要視していないヴェルサスは、余裕の足取りでカガリの走り去った方向へ、歩を進めた。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 自分の足から伸びる糸を掴んだアヴドゥルは、
「『マジシャンズ・レッド』!!」
 炎をまとわせたスタンドの手刀を、糸へと振り下ろした。衝撃と高熱で岩をも砕く一撃が、糸に直撃する。
「う!」
 しかしマジシャンズ・レッドの手は糸を通過しながらも、糸を切ることはなかった。糸は壁を水のように透過したのと同様に、スタンドの手もすり抜けたのだ。そしてそれだけではない。
「ぐ、お、おおおおおおおおっ!?」
 突如、激痛と灼熱がアヴドゥルの肉体を駆け巡った。床に両手をつき、荒い息をついて身を震わせる。筋肉が引き裂かれるような苦しみに、さしものアヴドゥルも叫びを押さえられない。
「こ、れはっ! 糸への、攻撃は……私へのっ、ダメージとなって、跳ね返るのかっ!」
 苦痛に歯を食いしばって耐えながら、釣り針を見る。その位置は、更に少し上へと昇っていた。

 
 

「糸を攻撃したな……そして、この糸を伝わってくる震えからすると、相当苦しんでいる様子だ……」
 ペッシは手に届く感触から、アヴドゥルの状況を洞察する。
「今の針の位置は、奴の太股(ふともも)にある。今のうちに早く心臓まで……」
 ペッシの呟きを、直後響き渡った爆音が掻き消した。
「! なんだ!?」
 地震のように床や壁が振動する。瞬間的に起こった爆音が消えると、後を引き継ぐように重い物が落下して床に激突する音が耳に届く。それはアヴドゥルのいる方角から聞こえてきていた。
「これは……あいつ、壁を炎で壊しやがったな! 糸は切れないから、直接本体である俺を叩こうっつう腹か!」
 ペッシとていまやプロの殺し屋である。正面からの戦闘でも怯みはしないし、戦闘力にも自信はある。だがアヴドゥルの事前情報が確かなら、彼が操る炎は射程も長く、威力は鉄をも溶かすという。正面からやりあうのは流石に危険だ。
 勝てないとまでは言わないが、かなり厳しい。
「俺がどこにいるかはすぐわかる。糸をたどりゃあいいんだからな……奴のいる部屋とこの部屋の間には、あと3つの部屋がある。つまり壁は……4枚」
 考えている間に、再度爆音が響いた。更に1枚、砕かれたのだ。
「あと3枚ッ、だが!」
 ペッシは釣竿を握った手を大きく動かし、思い切り強く竿を振った。
「やらせるかぁッ!!」

 
 

 竿が振られると同時に、当然ながら糸も強く引かれ、糸と繋がったアヴドゥルの体も引き付けられた。
「何ぃッ!」
 急に足を引っ張られたアヴドゥルはバランスを失って床に倒れ込む。しかし彼の体が完全に倒れる前に、糸は彼を空中に浮かび上がらせた。ちょうど魚が吊り上げられるのと同じように、アヴドゥルの体が上に引き寄せられる。
 そして次の瞬間、今度はアヴドゥルの体は右横に落ちるような速度で振り回された。右には壁があり、彼は思い切り壁に叩きつけられようとしていた。
「い、いかん!」
 彼はとっさにマジシャンズ・レッドを出し、壁に当たる前に自分の体を抱きとめさせた。おかげで無傷ですんだが、まだ終わってはいなかった。
 またも引きずる方向の転換。また上へと引っ張られる。だが天井に頭を衝突させる前に、スタンドが天井に手を着いてブレーキをかけ、アヴドゥルの頭が天井でかち割られるのを防いだ。
 そこでようやく振り回しが終わり、アヴドゥルは床へと帰る。ペッシも竿を振るうには体力を使うために、長時間は振り回せないのだ。
 やや高いところからではあったが、彼は問題なく床に着地した。
 息を乱しながらもアヴドゥルが釣り針に目を向けると、それは太股を通りすぎ、腰まで到達しつつあった。振り回されている間も、針は進んでいたのだ。
「ハアッ、ハアッ、くそ……これはまずいぞ……」
 アヴドゥルは自分の危機を実感せざるをえない。今のが3度4度と行われれば、その頃には釣り針は心臓にまでとどいているだろう。壁を壊しきるのが間に合うだろうか。
「イギーもここにいるはずだが……情けないが俺から探しにいくことはできん。あいつの助けを期待したいな」
 アヴドゥルは止められない冷や汗をかきながら、呻くように呟いた。

 

 ペッシの方は、竿を振るうのを休み、アヴドゥルの様子を見ていた。また壁を壊すことをはじめたら、振り回しを開始するつもりだ。
 振り回されながらも強引に壁を壊してきたとしても、壁がすべてなくなる前に糸を伸ばして場所を移動し、アヴドゥルから離れればいい。
「この距離を保っていれば、まず勝ちは揺るがねえ。奴の仲間の犬コロも、別の奴が相手をしているはずだしな……」

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 イギーもまた、敵と遭遇していた。正確には、まだイギーは敵の姿も見てはいない。しかし、
(匂いを感じるぜ……ドブみてえに臭い敵の匂いを……)
 アヴドゥルの匂いとも、カガリの匂いとも違う人間の匂いがすれば、それは敵の匂い以外に考えられない。
(しっかし、方向がいまいちわからねえな……)
 イギーは周囲を観察する。そこそこ広いが使われていない部屋らしく、家具の類は置かれていない。つまり、身を隠すものが存在しない。
(だが奴は近くにいる。それは確かだ)
 人間などより遥かに嗅覚の鋭い犬は、匂いによって距離感さえ掴める。敵は、既に自分から5メートル以内にまで近づいていると、イギーは悟っていた。
「ウウウウウ………」
 4本の足で大地を踏みしめ、牙を剥いた威嚇のポーズをとり、スタンドを現す。いつ、どこから敵が攻めてきても対応できるよう、神経を研ぎ澄ませる。
 そうして、時間が流れる。

 

 1……2……3……4……5ッ!!

 

「!!」
 イギーの目の前の床から、『腕』が生えた。腕は弧を描いてイギーに振り下ろされる。
《『ザ・フール』!!》
 犬の言葉で叫び、イギーは砂のスタンドで防御を固める。速く強烈な拳は、イギーの小さな体をガードごと吹っ飛ばした。
「キャンッ!」
 直撃は避けたため、骨を砕かれるようなことはなかった。だが、衝撃は小さなものではなく、イギーの体は床を跳ね転がって、壁にぶつかりようやく止まった。
《痛つつつつつつ……クソ! ひでえことしやがるな》
 イギーはフラフラとしながらも立ち上がり、敵を見据える。今、敵は腕だけでなく上半身をさらけ出し、イギーを見つめている。
 イギーは今まで、こんな変な格好の奴を見たことはなかった。体をダイバースーツのようなもので覆っており、露出しているのは目の部分くらいだ。そしてその眼差しはいやに不気味だった。
 イギーがかつて戦った鳥のスタンド使い、ペットショップの目も非常に冷酷で鋭かったが、この敵の目は泥の沼のように沈み、得体の知れない不可解さがある。
(この全身タイツ野郎……どうやら物体に潜り込むスタンド能力ってところか……。しかもあのパンチの威力はパワー型。正面から相手にするには、デンジャラスだぜ……)
 犬離れした知力で、イギーはこのスタンド使い、セッコの能力を洞察する。思考している間に、セッコの体は全身をイギーに見せていた。やや前かがみの格好は、人間離れした不気味さを更にかもし出している。
《しかし……簡単に逃がしてくれそうもねえしな……》
 ザ・フールの前足が、イギーの体よりも前に出る。
《まずは……これでもくらいなッ!!》
 ザ・フールの体が前に出て、セッコに飛び掛る。突進する勢いを乗せて、ザ・フールの右前足がセッコの頭部を叩こうとする。
「フン」
 セッコは慌てず騒がず鼻を鳴らし、一歩もその場を離れずに、身をそらすだけで攻撃をかわす。そして、
「『オアシィィィィス』!!」
 ザ・フールの腹の部分に、3発の鉄拳を叩き込んだ。ザ・フールの体は、散り散りの砂状になって宙を舞う。砂は流れる水のように動いてイギーの傍に集い、固まって形を取り戻し、ザ・フールの姿に戻る。
 だが、その姿には不備があった。
《ぐ……こ、の野郎……》
 イギーは腹を隠すように体を丸めた。その顔には焦燥の色がある。
 ザ・フールの腹には、3ヵ所の跡がついていた。さきほどセッコが殴った部分が、とろけたチーズのように、酸性雨を浴び続けた大理石のように、グズグズになっていた。無論、本体のイギーの腹も同様になっている。
《すぐに命に別状があるってわけじゃないようだが、酷く脆くなってるだろうことはわかるぜ……。もう一度くらったら、多分腹が抉られる》
 セッコの能力が、物質を泥状に変質させる力であるということを理解し、イギーは血の気が引いていた。
 この敵には、ザ・フールの強みである、どれだけ強力な打撃や斬撃でもバラバラの砂になって無効化できるという力が、通用しないのだ。打撃の衝撃は受け流せるが、『溶かす』という能力は砂の体も溶かしてしまう。
《やっぱ、アヴドゥルの奴に着いてなんかこなきゃよかったぜ……》
 イギーはちょいと気ままにちょっと贅沢して、イイ女と恋をして、なんのトラブルもない平和な一生を送りたいという自分の希望を、ことごとく裏切ってくれる運命を呪うのだった。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

「どういうことだこれは……」
 カガリは呆然として立ち尽くしていた。
 廊下を走っているうちに、彼女は周囲の光景に見覚えがあることに気付いた。最初はただの既視感(デジャブ)かと思ったが、すぐに間違いなく、ここは自分の知っている場所だと確信した。
 確信したが、それでも『ここ』が『そこ』だとは信じられなかった。なぜなら、ここはもうこの世界に存在しないはずなのだ。忘れもしない2年前、ここは炎に包まれ、地上から消滅したのだから。
「そう、そうだとも……ここはもう無いはずなんだ……」
 カガリは走って逃げることも、通信機でアヴドゥルに連絡を取ることも忘れ、ブツブツと呟いていた。そんな彼女の背後から、落ち着いた声がかけられる。
「何が無いのかね?」
 カガリはその声に驚くこともなく、自然と答えていた。
「ここはもう無いはずなんです。ここは2年前、爆破されて存在しないはずなんです……」
 この状況で、知り合いの声でなければ、確実に敵であるという状況で、彼女は無防備に答えていた。

 

「この……モルゲンレーテ本社は」

 

 2年前の大戦の中、連合軍がオーブを襲撃したC.E.71年6月15日の『オーブ解放作戦』において、連合軍が目的としていた、このモルゲンレーテ社とマスドライバーは自爆して果てた。
 その事実を背後の声の主に話すカガリであったが、それが彼女の危機意識の無さにあるのだとするのは少しばかりフェアではない。なにせ、その声の主を、彼女はよく知っていたのだ。彼女にとって、その声の主に反応することも、警戒しないことも当然であった。
 しかし、あまりに自然であったがために、同じく自然に受け答えしていたカガリは、遅ればせながら、その『不自然さ』を理解する。そして、顔面蒼白になりながら恐る恐る背後を振り向いた。
「そ……んな……」
 カガリは掠れた声をあげて、双眸を見開いていた。その顔は驚愕と恐怖に彩られていた。あり得ないものを見たために。このモルゲンレーテ社の現存より、更に更にあり得ないものを見たために。
 背後の声の主は、壮年の男性だった。口と顎に髭を生やした、威厳ある顔つきをしている。実際に、彼は厳しく、覇気に満ちた男であることを、カガリは知っていた。彼のことを、カガリは赤子の頃から知っていた。

 

「お父様………ッ!!」

 

 その男の姿こそは、連合軍に渡さぬために、このモルゲンレーテ社とマスドライバーを爆破し、自らも命を絶った、『オーブの獅子』と呼ばれたかつてのオーブ代表、カガリの父である、ウズミ・ナラ・アスハに相違なかった。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 行政府においても戦いが繰り広げられていた。
「うおおおおおおお!!」
 シルバー・チャリオッツの剣が唸り、大気を切り裂いてストレイツォに迫った。しかし、本来見えないはずのスタンドの剣を、ストレイツォは鮮やかにかわし、距離を取る。そして隙を突き、ポルナレフに接近し、吸血鬼の凄まじい力を振るってくる。
「ちいっ!」
 傍から見れば互角の戦闘を行っているように見えるが、ポルナレフは自分の不利がわかっていた。確かに今は互角だが、ポルナレフはいずれ力尽きる。一方ストレイツォは人間を凌駕した体力で、変わらずに戦い続けられる。
 その時が来れば、決着はつく。ストレイツォの勝利という形で。
「どうした? その程度か? 前の勢いはどうした」
「はッ、これからだよ!」
 ストレイツォの挑発に、ポルナレフは吐き捨てるように応対する。
(前は確かにスタンドが見えなかったはずだ。スタンド能力を全然使ってこねえから、スタンド使いになったってわけでもなさそうだ。一体どうやって……)
 物質と一体化したスタンドならともかく、通常スタンドはスタンド使いにしか感知できない。スタンド使いにならずに、スタンドを感知できるようになった者など、ポルナレフは聞いたこともなかった。
 しかしストレイツォは実際にそれを行っている。

 

(やっぱ、あの仮面が怪しいな)

 

 ポルナレフが睨むのは、ストレイツォの胸の中央につけられた黒い仮面。人間の顔を象ったものであるが、妙に不気味で、口元からは2本の牙が突き出ていた。
 かつて会ったときも、ストレイツォは黒いライダースーツを着ていたが、胸の中央に仮面など飾っていなかった。ただのアクセサリーとは思えない。
(あいつを狙ってみるか)
 しかし今のままでは難しい。ポルナレフはシルバー・チャリオッツの鎧を外し、軽量化による速度上昇を行った。
 速度が上がる代わりに防御力が下がる諸刃の剣ではあるが、今回に限っては問題ない。ストレイツォもスタンドの動きがわかるとはいえ、スタンドを傷つけることはできないらしいので、鎧があってもなくても奴には『銀の戦車』を傷つけることはできない。
「何をする気だ?」
 はじけ飛んだ鎧に、ストレイツォは怪訝な声を出す。
「すぐにわかる……せいぜい、ゾッとしな!」
 シルバー・チャリオッツが動く。スタンドの姿がぶれたかと見えた直後、シルバー・チャリオッツの姿が七つに増えた。
「むうっ!?」
 ストレイツォが唸る。さしもの彼にとっても、それは意外であったのだ。
「姿が分身して見えるほどの高速移動か……かつて共に波紋を学んだ兄弟弟子は、体がぶれて見える不思議な歩法を身につけていたが、こういうのは初めてだ。面白い。来るがいい!」
 迎え撃つストレイツォに、7体の達人剣士が斬りかかる。
 その剣の何本かは、ストレイツォの体に突き刺さった。しかし、吸血鬼にとって脳以外へのダメージは致命傷にならない。それを理解しているからこそ、ストレイツォは避けなかった。
 脳への攻撃だけは巧みにそらし、安全圏に首を置くと、
「この程度では……ゾッとしてはやれないな」
 その目から、光線の如き圧縮体液を発射した。
「空裂眼刺驚(スペースリパー・スティンギーアイズ)!!」
 前回は何の効果もあげず、シルバー・チャリオッツに防がれた攻撃だが、今のポルナレフはスタンドを攻撃に使っているために無防備。圧縮体液は分身による陣形の隙間を縫い、ポルナレフを襲った。
「うあああああああ!!」
 ポルナレフは横に跳んでその攻撃をかわそうとあがく。しかし、完全にかわしきることはできなかった。心臓や脳への直撃を避けるために、身を動かした結果、
「ぐっ、おおおおおおおおお………!!」
 ボトリと音を立てて、ポルナレフの左腕が落ちた。あまりに鋭利に切り裂かれた断面からは、すぐには血が出なかった。血が噴出する前に、傷口の上を握りしめて、出血を押しとどめる。
「これ、しきのこと、で……!!」
 気絶してしまいそうな痛みに耐え、ポルナレフは敵を睨む。すでにシルバー・チャリオッツの姿はない。跳んだことで、射程距離の外まで離れてしまったために、消えてしまったのだ。
 今の交錯は、完全にストレイツォの勝ちであろう。しかし、ポルナレフにも得るものがなかったわけではない。当初の目的は果たした。
 ピシリと高い音がし、ストレイツォにわずかな戸惑いが生まれる。彼は自分の体を見て、胸の仮面に亀裂が入っていることを悟った。
「仮面を傷つけられたのは気付かなかったな。転んでもタダでは、という奴か。さすがと言えるだろうな」
 仮面が罅割れ、崩れ落ちていく。剣が突き刺さったことによってライダースーツも裂かれ、ストレイツォの上半身が露わになっていく。そしてストレイツォの胸を見たポルナレフは、失った左腕の痛みも忘れ、愕然とした。
「な……て、てめえ……なんだそれは!?」
「見てしまったか……」
 胸の仮面の下にあったもの。それは通常、仮面の下にあって当然のもの。

 

 それは……『顔』だった。

 

 ストレイツォの胸に張り付いた、蒼ざめた人間の顔。冴えない風貌の男の者で、こけた頬に、虚ろな目。半開きの口からは、涎と意味をなさない呻き声が漏れている。
「これは見ての通り、人間の顔だ。こいつは実力は無いがスタンド使いでな」
 胸の顔をストレイツォは指でなぞる。顔は、恐怖したように表情を歪めた。

 

「名はグッチョという」

 

 スタンド使い、グッチョ。スタンドは『サバイバー』。他者に酷く僅かな電流を流すことで、人間を怒らせる。ただそれだけの能力。しかも、床や人間が水で濡れて、電気を通しやすくなっていなければ通用しない。おそらくはスタンドの中でも最弱のスタンドである。
 この世界のことを知っている唯一のスタンド使いだったが、この世界に関する知識を得られた以上、戦闘にも他の事にも使えないグッチョは役立たずだ。ストレイツォがこの利用方法をヴェルサスに提案したとき、あっさりとその案は通った。

 

「屍生人(ゾンビ)にすれば、首だけになっても生きていられる。そうして脳ごと私の胸に取り付けて、こいつの神経と私の神経を体内で繋ぎ、こいつの見聞きするものを、このストレイツォも感じ取れるようにした。そうすれば、私もスタンドを見ることができる」

 

 かつてグッチョであったストレイツォ所有のレーダーは、思考能力を失いながらも、嘆くように涙を流し、呻き続けていた。

 

 ポルナレフは目の前の惨劇に吐き気さえこみ上げた。醜悪、残酷、邪悪、どのように表現してもしきれない、悪魔の所業を、ポルナレフは最初に驚愕、次に酷い嫌悪感、そして滾る怒りをもって応えた。
「改めて宣言するぜ……てめえは殺す」
 友を殺されたという時点で、既に怒りの上限に達していると思っていたポルナレフだったが、どうやら感情には限界点というものが無いようであると考えを改めた。
 服を引き裂いて左腕の断面の上に強く巻きつけ、血止めとする。その間も隙を作ることはなかったが、ストレイツォは余裕の風情でポルナレフの応急処置を見つめていた。
「すんだようだな」
 そして血止めが整うと、ストレイツォは腕をあげて構えを取った。
「すぐには終わってくれるなよ? まだ前回の屈辱を晴らしきったとは思っていない」
「勝手なこと言うんじゃねえ……俺はお前なんざ今すぐにでもぶっ殺してやりてえよ」
 そしてまた、死闘の続きが始まった。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 カガリはまず、自分の見ているものが幻の類であろうと推測した。
 しかし、どれほど目を凝らしても、幻と断ずるには質感がありすぎるし、どこにも記憶と違う部分がない。どこをどう眺めても、皺一つ黒子一つとして、在りし日の父の姿と異なる部分は見つからない。
 だが父が実は生きていたなどとも思えない。仮にあの状況下で生き延びていたのだとしても、今ここでこのような出会いをする理由がない。
 仕方なく、彼女は自分で結論を出すことを諦めた。
「貴方は……『何』なのですか?」
 震える声での問いに、ウズミの姿をしたものは答えた。
「私は、ウズミ・ナラ・アスハの……『記録』だ」
 その声もやはり、生前のウズミのものと何一つ変わるものではなかった。
「『記録』……ですと?」
「そう……このオーブの大地に刻まれた、大地の記憶。すなわち、この地上で起こった事象すべての『記録』の一部。それが今の私であり、この建物だ」
 ウズミの『記録』は、床を、大地を足で叩く動作をした。
「大地は過去の出来事を記憶している。磁気テープや、デジタルカメラのように。たとえば戦乱に巻き込まれて死んだ、悲劇の少女のこと……自爆して果てた男のこと、そして、今や存在しなくなったモルゲンレーテ本社のことも……すべて、完璧に記憶している」
 ただ淡々と説明するウズミの言葉を、カガリは動揺した頭脳ながらも懸命に理解しようとする。
「そしてその『記録』を地面から掘り出し……形を与えて再現する。それがあのドナテロ・ヴェルサスのスタンド能力。その名を『アンダー・ワールド』という」
「アンダー……ワールド……過去の再現」
 カガリは理解する。理解するが、言葉をうまく紡げない。自分の理解が正確ならば、ヴェルサスの能力は非常に強力だ。奴はいわば、この地球ができてからの46億年と、人類の歴史となる数千年に及ぶ過去を、味方につけているのだ。
「では貴方は……お父様本人ではなく、偽者や、幻覚でもなく、幽霊というわけでもなく……過去に撮られて、現在再生中の『映像』のようなものであると、言うのですか?」
「その理解で間違いない。ちなみに、この過去は6月14日……自爆する1日前の記録だ。ちょうど15日では、ヴェルサスも巻き込んで自爆してしまうから」
 この『ウズミ』に、自分がただの記録であるということに対しての負い目はないらしい。受け答えをしているため、自己意志があるように見えるが、実際はただ自動的に動いているにすぎないのだろう。
(あえてモルゲンレーテを再生させたのは……私に対する嫌がらせか、意味などなく、ただ有名な建物だから再生させやすかったのか……まあいい。それよりも……)
「ウズミ・ナラ・アスハの記録よ。もう一つ、答えてほしいことがある」
「何かね?」

 

「貴方は……今の私をどう思いますか?」

 

 それは、カガリが胸の奥で秘めていたものだった。
「私は、ウズミの志を継ぎ、二度とオーブが戦争に参加するようなことにはさせない。侵略させない。国土を焼かない。そう考えて行動してきました……。だが今また、この世界は戦争の渦中にあり、オーブはその一端をになっています。
 ウズミ・ナラ・アスハは……今のオーブを、力及ばぬこの私を、どう思われるでしょうか……!!」
 この現状は、カガリが、アスランが、他の誰もが、必死で努力し、道を探り、それでもなお至ってしまった結果だ。この結果を否定はできないし、この結果を背負う覚悟はある。だがそれでも気になっていたのだ。女々しいとは思いながらも、気にせずにはいられない。
 偉大な父は、今の自分を見たらどう思うだろうかと……。
 気にしても仕方ないこと。答えなど得られないこと。そう、諦めていた問いの答えが、今、得られるかもしれないのだ。たとえその答えが、失望であれ怒りであれ、受け入れよう。それでも聞きたい。ウズミ・ナラ・アスハの娘として。
「……私は『記録』であって、決してウズミ本人ではないが、それでいいならば答えよう」
 カガリは目をそらさずに頷いた。
「たとえ、お前がどのような行動を取ろうと、どのような結果を導こうと、ウズミ・ナラ・アスハの思うところは究極的には一つ。ただ願うのみだ」
「……何を願うというのですか? オーブの繁栄ですか? 民の安寧ですか?」
「違うな。わからないか?」
 ウズミの『記録』は、嘆かわしいとでもいいたげな顔から、薄くも暖かな微笑に表情を変えて、答えを出した。

 

「娘の幸福。それに決まっているだろう」

 

 カガリは絶句した。あの厳しい父から得られる答えは、叱責か諫言か、そのようなものであろうと思い込んでいたから。こんな……優しいものが得られるなんて、思ってもいなかったから。
「ウズミ・ナラ・アスハを、神様のような完璧な人間だとでも考えているのか? 何一つ間違うことのない無敵の超人だと。そんなわけはない。結局国土は守れなかったし、間違いも愚行も、幾つも犯してきた」
 呆然と『記録』を見つめるカガリに、『記録』は言葉を並べる。
「ウズミとて、ただの人間だ。無謬の政治家でも、不敗の英雄でもない、試行錯誤を繰り返し、限られた能力であがき苦しみ、時に失敗して自己嫌悪と後悔に包まれ、友や家族を愛し、泣いて、喜び、怒って、笑って……そんなただの当たり前の、一人の男にすぎん。
 そんな当たり前の男が、そんなどこにでもいる父親が願うことなど、一つっきりしかないだろう」
 偶像であるウズミ・ナラ・アスハをこき下ろした『記録』は、静かに結論をくだした。

 

「カガリ……。ウズミ・ナラ・アスハは……お前の父は、いつだってお前のことを大切に思っていた」

 

 いつの間にやら、カガリの目からは涙が溢れていた。それに気付いてからも、涙を止める気は起きなかった。
「だからカガリ……お前がどのように動き、失敗しようと、ウズミは決してお前を見捨てはしない。見限らない。お前を愛し続ける。それがこの、『記録』にすぎない身にいえる、真実だ」
 彼女は震える唇から、声を出そうとしたが、うまくいかない。感情が荒れ狂って、制御が難しい。しかしそれでも一つだけ言いたかった。生きているわけでもない『記録』であっても一言だけ、言いたかった。
「……ありがとうっ……ござい、ます……っ」
 その感謝の、一言だけは。

 

 それから幾らの時間が経っただろう。長い時間ではなかっただろうが、どうにも曖昧でわからない。ただカガリの涙が止まったことと、彼女がまた歩き出したことがすべてであった。
『記録』に別れを告げて、カガリ・ユラ・アスハはまた走り出した。通信機を手にして、アヴドゥルへの連絡をこころみながら。そうしながらも、彼女は思う。
 あの『記録』は、本当にただの『記録』だったのだろうか? あの優しい笑顔は、本当は、本当に、ウズミ・ナラ・アスハ本人であったのではないだろうか……。
 そう思うものの、カガリは振り返ることはしなかった。あのウズミ・ナラ・アスハが、ただの『記録』であれ、亡霊であれ、彼の言葉と慈愛は、真実に違いないのだから。

 

 それは小さな、しかしかけがえのない、彼女の収穫であったが、彼女は感傷に浸っていることはできなかった。彼女が走ることを選択したのならなおのこと。彼女は突き進む。そしてそれを恐れはしない。

 

「その手を……離してもらおう。セッコ……だったな」
 だから彼女は、ついに遭遇した敵に対しても恐れを踏みしめ、勇気を奮って命令する。
 カガリの今いる場所は、社内食堂の調理場。カガリの目にしているのは、かつてアークエンジェルで見た、自分をさらった相手である奇人、セッコ。そして、セッコに首根っこを掴まれ、苦悶の唸りを漏らすイギー。
 カガリは通信機を持っていないほうの手、右手に、拳銃を掴んだ。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 オーブの地は、混乱の中にあった。鉄火が咆哮をあげ、血肉が爆ぜ、死体が生み出される都市の影で、避難民とも官憲とも巡り合うことを避けながら行動する者たちがいた。
 数は片手の指で数えられるほどしかいないが、その身のこなしには隙がなく、尋常の人間ではないことがうかがえた。彼らは戦場を貫くように、目的の場所へとためらいのない足取りで向かうのだった。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 アヴドゥルが壁に叩きつけられる。その衝撃で彼は、肺に残った空気を吐き出した。呼吸困難に陥って激しく咳き込み、苦しむアヴドゥルを、糸は容赦なく振り回す。周囲は砕けた壁の破片が散乱しており、また一枚、アヴドゥルが壁を破ったことを表していた。
 しかしその代償として、彼はまたもペッシによって滅茶苦茶に引っ張りまわされていた。
「げほっ、げほっ……!!」
 ようやく落ち着いて呼吸を整えられるようになったときには、すでにアヴドゥルの胴ににまで、釣り針は侵入していた。
 アヴドゥルは焦りの色を浮かべて、周囲を確認する。そしてその表情を苦々しげなものとした。タイル張りの壁や床、並ぶ蛇口、水の匂い……その部屋こそは。
「よりにもよって……トイレか」
 以前、ジョセフ・ジョースターと共に磁力を武器とするスタンド使いに襲われたとき、トイレで災難にあったことを思い出し、うんざりとする。
「トイレは私のイメージじゃあない。こういうのはポルナレフの役だ……」
 割と酷いことを呟き、痛む体を起こす。早く次の壁を壊さねばならない。そしてスタンドを構えようとしたとき、通信機が動いた。
「む……」
 正直、自分のことに手一杯で通信機のことを忘れていたアヴドゥルは、自分の迂闊を恥じながらも通信機を取り、耳に当てた。
『アヴドゥル……今どこにいる?』
 カガリの声だった。
「カガリか。無事か?」
『傷はない。そちらは?』
「スタンド使いに襲われている。そちらには行けそうもないな。できればイギーと合流してほしいが……」
 アヴドゥルは、カガリの声が冷静だったため、彼女が無事だと判断した。
『そっちはどこにいるんだ? 爆発音の響きからして、同じ階にはいると思うが』
「……トイレだ」
『…………………………』
 沈黙したカガリに、アヴドゥルは妙に焦ってしまう。
「これは別に私の生理的都合というわけではなくて、やむなくだな……」
『いや、むしろ好都合かもしれない』
「……何?」
『頼みがある。お前のスタンドを……』

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

「何をぼそぼそやってやがる?」
 セッコは通信機越しに小声で会話するカガリを睨む。すぐに首の骨を圧し折れる状態にあるイギーには、既に注意を向けてはいない。
 最初に遭遇した部屋から、この場に来るまでの間に、イギーは相当消耗しており、スタンド能力も弱くなっている。攻撃しようものなら、一瞬で返り討ちにあうだけだ。
 位置関係としては、セッコが流し場の前に立ち、その背後には大きな冷蔵庫がある。カガリは廊下に出るドアのすぐ前に立ち、セッコとの距離は約5メートルというところだ。
「てめえは殺すなと言われているが……傷つけちゃいけねえとは、き、き、聞いてねえ……」
 脅しつけるセッコに、カガリは怯みそうになるが、逃げそうになる足を押さえる。ここで逃げたら、誰もイギーを助けられない。別のスタンド使いに襲われているというアヴドゥルもだ。
「脅しても無駄だ……」
 彼女は懸命に笑みの表情をつくる。
「私には、父がついてくれている。誰にも負けない」
「あん? 確かてめーの親父は、死んだってぇ話だが……まあいいや。スタンド使いでもねえ小娘が、吠え、吠えるんじゃ、ねえ」
 彼女が向ける拳銃など、玩具にもならぬという態度で舐めきった口を叩く。
「それに……さきほどアヴドゥルにも頼んだしな」
「アヴドゥル? そいつは別の奴が担当してるんだぜ。ここにゃ来れねえ」
 セッコの足がカガリの立つ方向に踏み出されようとしたとき、
「来てもらうまでもない」
 銃口から弾丸が放たれた。セッコに向けて撃ったのなら、あっさりと弾き飛ばされていただろう。しかしその弾丸は、セッコの傍にある、流し場の蛇口に当たり、それを破壊した。
「残念。はずれだ」
「いいや。大当たりだ」
 肩をすくめるセッコを、カガリが否定した。瞬間、壊れた蛇口から大量の水が噴き出た。そしてセッコはそれを浴び、
「……!!……ギャアアアアアアアアァァァァッ!!!?」
 セッコが絶叫した。手にしたイギーを投げ飛ばし、頭を抱えて転げまわる。
 彼の浴びた水は、湯気を上げて、泡を吹き出していた。蛇口から噴き出したのは、水ではなく、沸騰した熱湯だったのだ。
 いくら触れるものすべてを溶かす能力でも、最初から液状のものや、過剰な熱量はどうにもならない。
「うおおおおおっ! おお! おお!」
 セッコは悶えながら床を転がり、体に熱湯が当たらない場所まで避難する。息を荒げながら、火傷した肌を押さえながら振り向くと、そこにはイギーもカガリもいなかった。
「うう、おおおおっ! あんのアマァァァァァアッ!!」
 彼は怒りと屈辱に震えて叫び、衝動的に放った拳が調理場の壁を砕き散らした。

 
 

 カガリはイギーを両腕に抱えて、廊下を走っていた。
 カガリの作戦はこういうものだった。
 通信機でアヴドゥルがトイレにいることを知ったカガリは、彼のスタンドの炎で、トイレの蛇口に炎を流してもらった。マジシャンズ・レッドの炎は蛇口と、それに伝わる水道管を熱し、水を熱湯と変えた。
 水道管は同じ階にあるすべての蛇口と繋がっているから、他の蛇口から出る水も、また熱湯となる。だからカガリが蛇口を壊したことで噴き出た水が、熱湯になっていたのだ。
 それを予期することもできず、油断しているところで浴びせかけられたセッコは、思わずイギーを離してしまった。カガリはすぐさま放り捨てられたイギーを抱えあげると、ドアから廊下に出て、逃げたのだ。

 

(どうにか上手くいったが、この程度で諦めるような奴じゃないだろう。早く、アヴドゥルと合流しなくては)

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 進み続けることを選択した意志と覚悟によって、開いた活路。しかし、それも一時の危機をしのいだに過ぎない。このモルゲンレーテの構造についての記憶は薄いが、アヴドゥルのいるトイレ付近までの道順を思い返す。
「急がなくては……!」
「まったくだ……遅すぎるぜ」
 カガリの体が思わず硬直する。その声は、彼女のすぐ右側から聞こえた。目だけを動かし、視線を壁に向ける。白い壁からにじみ出るように、おぞましい殺意を孕んだ魔人が姿を見せた。
(いつの間に!)
 セッコの腕がカガリに伸びる。
「一応殺すなとは言われたがぁ! 腕の一本や二本はぶち切ってやらぁぁぁ!!」
 激しく抱きしめるような体勢で、セッコが迫る。その両腕がカガリに触れたとき、彼女の五体は欠落することになる。
「お、おおおおお!!」
 本来であれば、人は恐怖に体を動かすこともできずに無防備になるか、攻撃を避けるために身を引くかだろう。しかしカガリは違った。
「なにぃ?」
 彼女は、逆にセッコへと身を乗り出した! そして、いまだに半身を壁に埋めるセッコに向けて、蹴りを放つ。
「はあっ!」
「ぐう!」
 掛け声とともにセッコの腹をとらえた蹴りは、セッコの体を押し退け、逆にカガリの体に反作用を与え、彼女を壁と逆側に強く押し出す。二人の間合いは開き、セッコの腕はカガリに触れずじまいだった。
 そのままカガリは壁と反対側にあった、開いたドアの中に飛び込み、ドアを閉めた。
(今の……は、こいつあの一瞬でこんなこと思いつき、や、やがった? ち、違う、『凄味』だ。アークエンジェルにいたときよりも、『凄味』のある目……あれが、こいつにこんな行動をとらせやがった!!)
 セッコは痛みを感じながら、カガリの目を見て思い出す。あの、走ることを諦めぬ目。希望を捨てない目。夢に生きる目。覚悟を背負ったあの目こそは、彼自身の仇であるあの男と同じもの。
「ブローノ・ブチャラティ……」
 怒りが再燃する。あの目を見たからには、もう止まれない。もう、生かしたままに捕らえるなどやめだ。
「ぶち殺す……!!」
 怒りのままに、セッコは閉じたドアを激しく蹴破った。

 
 

 その部屋は事務作業を行うオフィスであった。デスクとコンピューターが並ぶその部屋で、カガリはデスクの下に潜んでいた。そして彼女の耳に、ドアが砕かれる音が届く。
(来た……しかしどうする?)
 手持ちの武器は拳銃一丁。セッコに対抗するにはバズーカ砲でもなければ駄目だ。

 

(何か手はある……あるはずだ……!)
 カガリは諦めずに、その場に何か役に立つものはないか探す。そうしていると、腕の中のイギーに動きがあった。
「? イギー?」
「クゥン……」
 小犬は弱弱しい鳴き声ながらも強い視線で、方向を示した。その視線の先には、花を飾った大口の真っ白な壷があった。棚の上に置かれたそれは、人の頭よりも二周り以上大きく、かなりの重さをうかがわせた。
「あれを……使えっていうのか?」
 イギーが首を縦に振る。
「………やってみよう」

 

「さぁて……どこにいやがるの・か・な・と」
 まず目に付いたデスクの縁を両手で掴み、投げ飛ばす。デスクの上に置かれた筆記用具や書類が飛び散り、デスクは別のデスクの上に落ちて、コンピューターを3台ほど押し潰す。
「隠れてねーで出てきやがれよ……でないと、楽しむ間もなく潰れちゃうぜ……?」
 もう一つデスクを掴み、脅しをかけながら持ち上げたとき、
「セッコぉぉぉぁぁぁぁ!!」
 その持ち上げたデスクの下から、大きな壷を掴んだカガリが飛び出した。敵の名を叫びながら、彼女は両手の塞がったセッコへと、壷を振り上げる。弧を描く一撃は遠心力を得て、セッコの顔面に向かう。
「甘えんだよ」
 セッコは無造作に右足を振り上げた。カガリはその足を腹にくらい、呆気なく吹っ飛ばされた。さっきカガリがセッコに放った蹴りより、あまりに真剣みのない適当な、にもかかわらず遥かに強烈な蹴り。
 能力は使われていなかったため、腹を破られるには至らなかったとはいえ、カガリは床に倒れ、激しく咳き込む。壷はカガリが床に叩きつけられたときに、彼女の手から離れ、天井近くまで飛んでいった。
「おしまいだなクソガキ」
 セッコは手にしたデスクを放り捨て、歩を進める。そこで彼は気付いた。
(……あの犬コロはどうした?)
 飛んだ壷が、セッコの頭の位置まで落ちてきた。そしてその壷の中から、
《『ザ・フール』!!》
 砂の鞭が放たれた。
「ゲッ!!」
 その予想のつかない攻撃はセッコの顎を正確に捉え、脳を揺さぶる打撃を与えた。
「お、おおおお……」
 掠れゆく意識を繋ぎとめようとするセッコだったが、その隙を見逃す相手ではなかった。
《ひっかかるとは頭悪いぜ! モグラ野郎! やられた分まで倍返しだぜ!!》
 壷が床に落ちて割れる。その中には、勝ち誇るブチ犬が入っていた。
 そしてその小さな体から膨れ上がるように砂の獣が現れ、姿を組み替える。獣から、逞しい体躯の人型に。古代ローマの拳闘士の如き姿となったザ・フールは、セッコに避けようのないとどめの攻撃を、
《こういうときは……やっぱこれだな!! 一度やってみたかった!!》
 放った。

 

《オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァァァァァ!!!》

 

「オバアアアアアアァァァァ!!」
 ザ・フールの突きの連打(ラッシュ)をまともにくらい、ついにセッコは壁まで叩きつけられる。ザ・フールの破壊力や速度は突出したものではないが、それでもこれだけくらえば無事ではすまない。
「オ……オオ………」
 打撲と裂傷で血に塗れ、セッコは朦朧と呻きながら、意識を途絶えさせ、床にドウと倒れこんだ。

 

「決着……だ!」

 

 カガリはよろよろと立ち上がり、宣言したのだった。
「その壷、私の見たとこ……かなり、いいものだぞ……。過去の記録とはいえ、そんな高価なものをわざわざ、使ったんだ。光栄に……思うんだな……。ハッ……にしても、女の……腹を、蹴るかよ。顔より、大事な場所、なんだぞ……?」
 腹をおさえ、どうやら肋骨に罅が入っているらしいことが、身に走る激痛からわかり、顔をしかめる。消化器官や子宮に影響が無いといいが……今はそれらを心配している余裕はない。
「イギー、早くアヴドゥルを助けに行ってくれ……」
 イギーはカガリの言葉に若干迷う素振りを見せる。気絶したとはいえ、セッコの傍に残していくことは不安なのだ。
「いいから!」
 カガリが叫ぶと、イギーはまだ気遣わしげな視線を送りながらも、匂いを嗅ぎ取ってアヴドゥルたちのもとに向かった。
「………きっつう」
 イギーが去ったあと、カガリは立つ力も尽き、膝を突く。ここでセッコが目覚めたら手も足も出ない。それでもアヴドゥルを助けるためには、ここでのうのうとイギーに守られてはいられなかった。

 

「これもまあ……覚悟だな」
「そうかい」

 

 背後から声がした。カガリが一瞬で血を引かせながら振り向いたとき、彼女は床に押し付けられていた。ちょうど、ここに来たときのように。
「じゃあ、こうなることも覚悟してるよなぁ? お嬢さん?」
「ヴェル、サス……!!」
 新たなる敵を、カガリは絶望とは無縁の、戦う意志に満ちた目で睨みつけた。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

「ようし……釣り針はすでに胴体半ばまで潜り込んだ。心臓まで、あと10秒……」
 ペッシは勝利を確信する。
「9……8……7……」
 壁はあと1枚を残すまでだ。これほど振り回され、痛めつけられて、なお壁を壊し続けた信念は大したものだが、もう時間がない。
「6……5……4……」
 だが最後まで気は抜かず、アヴドゥルの動きを読み取り続ける。
「3……2……1……」

 

 0と、そう言葉を唱える直前であった。彼が釣竿を手放してしまったのは。

 

「グ……アア……?」
 ペッシは自分が床に倒れていることを発見していた。
「なに、が、起きた……」
 その疑問はすぐに解消された。その目に、自分を睨みつける犬の姿が映ったときに。
「……そうか。クソ……!」
 ペッシは自分の間抜けさを恨む。アヴドゥルへと注意を向けすぎていたため、周囲をおろそかにしていた。イギーが自分のいる部屋に入り込んでいたことに、まったく気付かぬほどに。
「しかも、ビーチ・ボーイまで消しちまった……! 兄貴に知れたらまたぶん殴られちまう」
 手足の一本や二本なくなろうと、敵にとどめが刺せるまでは能力を解除しない。それが殺し屋としての覚悟であると教えられたペッシとしては、たかが予想外の攻撃を受けたくらいで、アヴドゥルを仕留められるチャンスを不意にしたことは、無様の極地であった。
「こうなりゃ、てめーをさっさと、ぶっ殺してから……!」
 再びビーチ・ボーイを現して、イギーへと釣り針を投げつけた。しかし、ペッシはいまだに精神的衝撃から立ち直っていなかった。余裕があれば、『ぶっ殺して』などとは口にしなかったはずだ。
「『ビーチ・ボーイ』!!」
 動揺は、精神エネルギーの具現化であるスタンドの威力に影響を及ぼす。投げられた釣り針には、速度と威力はあっても、柔軟性にかけた直線的な動きだった。イギーは迫り来る釣り針に怯えもせず、
《『ザ・フール』!!》
 砂のスタンドを周囲に展開し、飛んできた釣り針を受け止め、砂を凝結させた。固まった砂は石のように硬くなり、釣り針を閉じ込めた。
「なにぃ!?」
 引いてもびくともしないほどに完全に釣り針を捕らえられ、ペッシはビーチ・ボーイを消すこともできずにイギーを睨む。
(どうする……そうだ。糸を使ってあの犬の首を絞め落とせば……!!)
 対処法を思いつくペッシだったが、それも使えなくなる。なぜなら、
「助かったぞイギー。危ないところだった……」
 彼がついに、ペッシの正面に立ったのだから。
「モハメド・アヴドゥル……!!」
「ようやく顔を見せられたな。釣り針の男よ……!」
 アヴドゥルの苛烈な覇気が、それこそ炎のようにペッシへと向けられた。散々叩きつけられ、打撲を全身に受け、血も流し、それでも彼からはまるで弱さを感じなかった。
「くらえ……『マジシャンズ・レッド』!!」
 炎が渦を巻き、ペッシへと踊りかかる。
「くっ! ならこうだぁ!!」
 ビーチ・ボーイの糸が伸びる。たわんだ糸が、ペッシの眼前でのたうった。しかしそれは壁にもならず、炎は糸もろともペッシを焼いた。肌が沸騰して泡立ち、嫌な匂いが部屋に充満する。

 

「ぐおおおおおおおお!!」
「ギャーーーーーン!!」

 

 そして男の叫びと、犬の悲鳴が響いた。
「! イギー!!」
 ビーチ・ボーイの能力。糸が受けた攻撃の威力は、釣り針に引っ掛かった物体に流れ込む。そして今、釣り針に引っ掛かっているものは、イギーのザ・フール。『焼けば、焼き返される』。ビーチ・ボーイの糸を攻撃した炎は、イギーをも焼いてしまったのだ。
(よし! これであの犬が釣り針を放せば、ビーチ・ボーイを自在に使える。そうなりゃ、まだ勝機は……!!)
 だが、ペッシの思惑は外れてしまう。

 

「ウウウウウ……ウオオオン……」
「な、にいぃぃ?」
 イギーは、ザ・フールを解除せず、釣り針も放しはしなかった。砂はいまだに固まったまま、しっかりと捕らえている。セッコから受けた傷と併せて、かなりの重傷であろうに、その眼光はまったく衰えていない。
 何も対抗できないペッシに、今度はマジシャンズ・レッドの重い蹴りが放たれた。
「ごぼゲッ!」
 なすすべなく蹴りをくらったペッシは、意識を失う前に思った。
(こ、こんな犬が、よりにもよって兄貴みてえなことを。『いったん食らいついたら、腕や脚の一本や二本、失おうとも決して【スタンド能力】は解除しない』と……それを、チクショウ!! 俺のできなかったことを、こんな犬が! こんな犬が! クソゥ……!!)
 悔しくもあり、同時に、憧れも抱きながら、ペッシはアヴドゥルよりもイギーに対して敗北を認め、そして思考を途絶えさせた。

 

 それからペッシが完全に気絶していることを確かめ、立ち上がってきそうもないことを確認し、アヴドゥルはイギーに目を向ける。
「大丈夫かイギー? いや、大丈夫なわけはないな」
 自分の炎の威力は自分が一番よく知っている。敵を殺さず無力化するレベルまで手加減したとはいえ、軽傷ですむような炎ではなかった。
《ケッ、この程度、あの鳥公に足をちぎられたときに比べりゃ、どうってことねえよ》
 言葉は通じないまでも、威勢のいい吠え声にアヴドゥルも少し安心する。
「さて、早くカガリを見つけて、この妙なところから抜け出さなくてはな」
 ヴェルサスのことは知らないが、これがスタンド能力であることは確かだ。以前、幻を生み出す能力と遭遇したことがあったが、これも同じようなものなら、本体を叩けば倒せるはず。
「悪いがあまり休んではいられない。担いでやるから、行くぞ」
《情けねえな……》
 誇り高いイギーではあったが、さすがにこの傷では意地を張ってはいられない。アヴドゥルの腕に寄りかかろうとしたとき、

 

《ハッ!》

 

 アヴドゥルの背後に、新たな影が、現れた。
「……何者だ?」
 アヴドゥルもすぐに気付いた。背中に感じる殺気から、自然に息が荒くなる。それほどの『強敵』であると判断する。
 背中の相手は黙したまま、歩を進め、こちらに迫ってくる。足音から判断して、アヴドゥルと相手の間合いは、現在2メートル強。そして男はそこで止まった。近距離パワー型の平均的な射程距離限界。
(こいつは……私の能力が近距離パワー型だと知っている? いや、それなら炎の届かない距離まで下がるはずだ。こちらがどんな能力のスタンドでもギリギリ対応できる距離をとっているのだ。こいつは……戦闘に慣れている!)
 相手がどんな能力なのかはわからない。だがどんな能力であれ、この相手が強敵なのは確かだ。傷ついたイギーには無理をさせられない。事実上の1対1。
 アヴドゥルは神経を研ぎ澄まし、相手の出方に注意し、こちらが動く機会を待った。
 一瞬即発の空気に耐えながら二人のスタンド使いは、沈黙を保っていた。

 
 

TO BE CONTINUED